『マッドサイエンティストの手帳』659

●マッドサイエンティスト日記(2017年7月後半)


主な事件
 ・穴蔵の日々
 ・山野浩一氏の訃報(20日)
 ・暑気払い@26F(21日)
 ・ミステリ講座「冤罪〜科学捜査の落とし穴〜」(22日)
 ・播州龍野いたりきたり
 ・SF検討会(28日)


7月16日(日) 穴蔵/ウロウロ
 晴。炎天というほどではなし。
 穴蔵にて机に向かって過ごす。
 色々と迷うこと多し。
 午後は薄い雲がかかったので、散歩に出ることにする。この数日、さすがに運動不足である。
 ジュンクドーに向かう途中、茶屋町のゲーセンで「ダンレボおじさん」が顔をひきつらせて踊っておる。
  *
 この男を見るのは去年のクリスマスイブ以来である。
 前に見たとき「実生活は孤独な独居者」の印象を受けた。
 その後ググッてみたら、youtubeに動画があり、twitterがあり、おれの印象は間違ってないことがわかった。
 「精神障がい2級。年金。無職。」という自己紹介は、たぶんその通りなのだろうが「鬱。阪大の大学院(マスター)卒。」はホンマかいな。誕生日が1976年3月2日というなら年金もあやしい。生活保護か。
 やはり、ざんない眺めである。
 ※「ざんない」という言葉を時々使いますが、大阪弁で「慙無い」、「見るに忍びない」「見るに耐えない」の意です。「えげつない」同様、標準語ではぴったりした言葉がありません。

7月17日(月) 穴蔵/上方落語の戦後史
 天気予報があてにならない。曇天から雨の予報が、薄曇りで午後は晴。
 庶民どもの3連休最終日だから、出かけるつもりはなかったものの、少しは雨が降ってほしい。
 終日穴蔵。
※7月15日(土)の産経夕刊の戸田学氏のコラムを目にした。
 昭和21年に姫路であった落語会について「中川清」という名で書かれたレポートが発見されたという。
 中川青年が米團治に弟子入りする前である。一部が引用されているが、松鶴「らくだ」に関する考察の鋭さたるや……。
 戸田学氏はつぎのように書く。この落語会については『上方落語の戦後史』で触れているが、桂米團治の記録によるもので、演目がひとつ抜けている。色々な状況証拠から新資料の方が正しいと思う(その判断理由も記載)。機会あれば改めるが、ともかく訂正の記事を残しておくのが著者の責務……という主旨。
 戸田学『上方落語の戦後史』が上方落語に関する第一級の著作であることはいうまでもない。
 おれがいいたいのは次のことである。
 4年前(2013年10月)、米朝師匠に関する本が出版中止になったことがある(朝日デジタルが報じた)。
 これに関して、おれは関係者の某氏から事情を聞いた。某氏は著者(コラムニストらしい)からチェックを依頼されたが、その立場にあらずと、さらに詳しい某某氏を紹介した。某某氏は原稿(ゲラ?)を読み、あまりの間違いの多さに呆れて、せめてこの程度の資料を調べなさいと数冊の本を紹介した。後日ゲラが届いた。間違いはまったく直っておらず、あとがきに某某氏への謝辞があった。某某氏は慌てて「私が監修者と間違われては大迷惑だから、私の名は削除してほしい」と申し入れた。某某氏が申し入れたのは「自分の名の削除」だけである。ところが出版社は増刷の場合になんとかといってきた。どうやら刷り上がっているらしい。ごちゃごちゃしているうちに米朝事務所が間違いの多さに驚き、全面的な訂正を申し入れた。そういうことらしい。
 おれは、その「著者」なる人物がどんな仕事をしているのかという妙な興味から、ジュンクドーで立ち読みしてみたが(できそこないのマスコミ論みたいなもの)、まったく資料的価値のない、悲惨なものであった。
 たぶん数ヶ月でチャカチャカッとでっち上げたものだったのだろう。
 戸田学氏の真摯な姿勢を見て、つまらん「事件」を思い出したのである。

7月18日(火) 穴蔵
 天気予報があてにならない。曇天/夕刻から雨の予報が、朝から炎天、エアコン稼働、昼頃に曇ってきたので散歩に出ようかと思ったら小雨になった。
 結局、終日穴蔵。
 ドタマ働かず、ボケーーーツと過ごす。
 タドコロにはなりたくない。
 おれの場合、ボケーーーツと過ごすのは、それなりに苦痛なので、まだあの恐るべき境地には達してないと思うのであるが。

7月19日(水) 穴蔵/ウロウロ
 昼前に淀屋橋へ。播州龍野関係のことを処理するのに、大阪市内ではここにしかATMがないのである。
 どういうわけか専属料理人もついてくる。
 2分で終了。炎天下、中之島を抜けて北へ歩く。
 スタミナをつけねばならぬ。
 昼、裁判所の北側というか宇治電ビルの東側というか、そのあたりの某店でこういうものをいただく。
  *
 年に2、3度の贅沢。おおっ、この前の店よりも、こちらの方が好みである。
 専属料理人も同感という。
 帰路……
 日陰を選んでハチの西側あたりをお初天神方向へ歩いてたら、新御堂東側でルンちゃんとすれ違った。
 ボロ一枚はおっているだけで、裸足、全身黒く汚れている。谷岡ヤスジの描いたスケスケおじさんというかペタシというのか、あれが髪を伸ばして真っ黒に汚れてるようなの。
 フラフラと歩いてきて、こちらが避けてすり抜けたが、食後でよかったぜ。
 真っ昼間だが、「ひとりだったら悲鳴あげたかも」と専属料理人。
 この界隈では有名な存在なのだろうか。
 夜は、枝豆、ヤッコ、サラダ、ミニカレーといった軽いメニューでビール、白ワイン少しばかり。
 と、NHKニュースで19:25頃に、第157回直木賞に佐藤正午氏の報道あり。
 「リボルバー」から30年以上ではないか。書き続けることなんだなあ。受賞作は未読だが、良かったとしかいえない。木下昌輝さん、宮内悠介さんは、残念だが、まだまだこれからの人なんだし。

7月20日(木) 穴蔵
 炎天なり。朝2時間ほどエアコンを稼働させる。あとは扇風機の風に吹かれて終日穴蔵。
 大阪は36℃とか騒いでいて、確かにベランダの温度計は36℃だが、室内は快適なもの。
 しかし……本日はガキどもの終業式らしく、昼前から騒音あり。
 これから1ヶ月、ちょっと気が重い日々がつづくことになる。
 午後、旅行の計画。
 梅雨明けにぶらっと出かけようかと前から思ってたので、ホテルの空室カレンダーなど調べるが、意外に混んでるような。
 おれは、海外旅行は(仕事の出張も含めて)もうしない。これは5年前に決めている。
 国内で行ってみたい場所は10ヶ所ほど。
 いずれも、ボンサラ時代の出張で頻繁に訪れながら、ぶらぶら歩きのできなかった町である。
 ほとんどが繊維関係の工場があった場所。早朝に移動・工場で作業・夕方帰るパターンだった。
 できれば周辺をぶらぶら歩きしたい。名所旧跡には興味なし、普通に散歩したり一杯飲んだりしたいのである。
 退職後、東海道線・山陽線の沿線は青春18でだいたい歩けた。東は三島から西は三原まで、藤枝、浜松、鷲津、豊橋、岡崎、蒲郡、大垣、西は倉敷、笠岡、福山、尾道など。宮津、舞鶴、敦賀などへも行った。
 四国の予讃線に幾つか残っている。具体的には丸亀、新居浜、西条、今治、八幡浜である(他に関東と九州にポツポツ)。
 だが……青春18はもう面倒である。クルマでもいいのだが、ビールが飲めない。
 午後、四国の気になる町を google map のストリートビューで回ってたら、工場跡地がどうなっているか、ほとんどわかり、現地へ行く気が失せてしまった。
 おれはもともとド・セルヴィ主義者である(※)
 ストリートビューの凄いところは、工場跡地に建った家の表札までわかる(場合がある)ことで、ともかく、操業を終えた繊維工場のある町の景観は、全国どことも似たりよったりなのがわかる。ショッピングセンターに入ってる店も外食チェーンもほとんど同じ。ぶらぶら歩きしても面白いとは思えない。
 もう国内旅行することもなくなってしまうのであろうか……。
※ド・セルヴィ方式の旅行術とは、小林信彦『つむじ曲りの世界地図』で紹介されている、時刻表・地図・絵はがき・その他の資料を集めて想像力で行う旅行法。『第三の警官』に出てくる謎の天才ド・セルヴィが出典。

山野浩一氏の訃報
 7月20日夜、ネットに山野浩一氏の訃報。
 癌で闘病中、余命そう長くないと本人が書かれていたが、すごく明晰な文章だったから、まだ、もっと先のことと思っていた。
 山野さんに初めて会ったのは1964年6月上旬だったと思う。半世紀以上前である。宇宙塵に掲載された「X電車で行こう」が(あの「路線」をばっさり削られて)SFマガジンに載って間もない頃である。大阪の実家に帰られる機会だったのだ思う。筒井康隆氏から連絡をいただいて、夕刻に梅田で会った。筒井さんはヌルスタジオをやられてた時期。その夏のDAICON前である。NULLの同人として声をかけていただいたのだと思う。喫茶店で2時間ほど話した。内容はよく覚えてないが、SFより映画の話が多かったように思う。山野さんが、最近見た「去年マリエンバードで」の映像がすごく実験的で面白いと話され、そのうち筒井さんがソワソワしはじめ、「今から最終回を見る」(すぐ近くの北野劇場で上映中だった)ということで散会になった。山野さんからは「弟もSF好きだ」と伝えられ、その後、山野修さんと知り合って(同じ学生だったから)ファン活動をいっしょにやることになる。
 その後……山野浩一さんとはあまりお目にかかる機会はなく(5、6年に1度くらいの気がする)、しかし、『鳥はいまどこを飛ぶか』などの作品集やNW-SFは愛読してきた。週刊読書人のSF時評も。山野さんはハードSFに縁がなさそうな印象だが、そんなことはなく、拙作には好意的な批評をいただき嬉しかった。サンリオSF文庫やSF百科図鑑の監修などを見ても、広くSF全般に目配りされていたことがわかる。
 ワールドコン(Nippon2007)のパーティで、たまたま、シルヴァーバーグと山野さんと3人でしばらく談笑ということがあり(不思議な顔ぶれである)懐かしい思い出だ。もう10年になるのか。
 享年77歳。
 関係ないけど、わが亡父の享年が77歳で、来年が33回忌。
 ご冥福をお祈り……というより、何年かしたらまた、というのが正直な気分だ。

7月21日(金) 暑気払い@26F
 昼に出て地下鉄で心斎橋経由、OBPへ。
 松下IMPビルの26階にあるレストランアサヒへ。
 初めて来るが、眺望のいいビアレストランである。
 この店、7月末で閉店という。同級生のひとりが馴染みで、暑気払いをやろうと声をかけてくれたもの。
 ということで大学同級20人集合しての飲み会。
  *
 大阪城を見下ろしつつ一杯。
 ボンクラサラリーマン諸君のランチが終わった頃から昼ビールというのがいいねえ。
 全員古希を過ぎ、老人会の様相。ほとんどが製造業勤務だったから、専門を生かして仕事してるのと趣味の世界が半々かな。
 やたら「詐欺にひっかかりそうになった」という話が出る。
 おれのアドバイス。
 「名簿がいかんのである。おれは4年前から、業者へ丸投げの名簿についてはすべて『逝去』と返事している。投資とか不動産のややこしい電話は激減した。時々遠慮がちに『元気か?』という問い合わせがあるけど、その時は事情を説明すればいいのである」
 半分くらいが賛同してくれたが、実行はしないだろうな。
 どうせ近いうち全員「逝去」なんだけどなあ。

7月22日(土) ミステリ講座「冤罪〜科学捜査の落とし穴〜」
 炎天なり。
 午後、地下鉄で谷四へ。
 創サポ企画の連続講座「ミステリーから見える社会〜犯罪をめぐるフィクションと現実〜」の第1回である。
 第1回は平岡義博氏(元科学捜査研究所主席研究員)と黒崎緑さんの対談形式による「冤罪〜科学捜査の落とし穴〜」
 平岡義博さんには昨年3月に芦辺拓さんとの企画があり、本日は「冤罪」関連にしぼっての話である。
 テレビの「科捜研の女」と現実がいかに違うか、から始まって、絶対に確かと思われがちな科捜研の鑑定にも、意外に冤罪を生む陥穽が潜んでいるという。
 詳しくは聴講者の特権だからここでは明かさないが、「認知バイアス」と「圧力」というキーワードが重い。冤罪回避のための提言もあった。
 おれはミステリーは書かない(書けない)と思うが、やはり現場(科捜研の設備、分析装置、鑑定の具体的な作業手順など)を見学させてほしいなと思う。
 現場から採取された「微物」には繊維(首を絞めたロープとかタオルなど)が多く、その分析についても話された。これはボンサラ時代に、ガスクロによる分析など、ある程度の経験はあるのだが、DNA鑑定になると分析装置のイメージもわからないのである。
 科捜研の予算は厳しいという話もあったから、製薬会社や化学メーカーの研究所の設備とかわらん一般的な器機なのだろうけど、隣にいた林譲治さんと「島津製作所あたりが特別仕様の分析機器を受注しているんじゃないか」という話になる。
 講座はあと3回。弁護士、新聞記者などのゲストが予定されている。

7月23日(日) 穴蔵
 曇天なり。朝の室温は31℃。2時間ほどエアコン稼働。あとは扇風機の風に吹かれて終日穴蔵。
 少しは仕事もするのであった、いと少なしを。タドコロよりは桁違いに多いけど。
 ベランダから見下ろすと、百日紅が開花している。わが実家の古木に較べると品がない。
  *
 野々村竜太郎の生家前にも(品のない)花は咲くのであった。
 おれの印象では、百日紅は晩夏の花である。
 17時過ぎると、外は明るいが、室内の照明をつける。日没が早くなっている。秋が近いのである。秋来たりなば冬遠からじ。
 苦手な季節が近いと思うと、ちと憂鬱になるぜ。

7月24日(月) 穴蔵
 終日穴蔵。
 ボケーーーーッとタドコロ状態で過ごす。いかんなあ。
 「閉会中審査」なるものの中継を断続的に見るが、退屈。
 支持率急降下というカオテックな変化の基調が持ち直すことはあるまい。
 これは、本日登場した面々のせいというよりも「悪妻は百年の不作」に起因するから。
 主因が除去されぬ限り流れは変わらんよ。

7月25日(火) 大阪←→播州龍野/天神祭
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 午前9時前に実家に到着。
 百日紅の古木に花が咲き始めている。
 おれの記憶では、百日紅は晩夏の花であり、窓外の花を眺めつつ、夏休みの宿題の仕上げに励んだものである。
  *
 堀晃の生家前にも(上品な)花は咲くのであった。
 と、花はいいが、3週間ほどこないうちに、庭の雑草がえげつない伸び方。
 塀の外の旧畑地はさらに凄まじく、とてもひとりで処理できるものではない。
 シルバー人材センターに依頼しているのだが、混み合っているようである。
 雑事色々。
 タイムマシン格納庫でうち合わせあれこれ。海外案件の対応に迷うこともあり。社員兼役員兼株主全員高齢化。タイムマシン業も重大局面を迎えつつある。
 夕刻の電車で帰阪。
 夜は専属料理人に数皿並べてもらってビール、黒糖焼酎水割り。
 天神祭である。奉納花火が遠雷のように響く。花火は見えない。ここ十数年、同じパターンであるなあ。
 歌やんの会があった時代(先世紀)にはアイルで落語を聴きビール飲みながら花火を見たものだが、もう、花火の見える場所まで歩くのも面倒である。

7月26日(水) 穴蔵
 わ、早寝したら、午前3時に激しい雨音で目覚めた。
 そのままタドコロ状態に陥る。いかんなあ。
 終日穴蔵。
 昼は、専属料理人が所用で出かけたので、揖保乃糸(黒帯)を茹で、おくらモズク納豆などネバネバ系をぶち込み、缶ビール。
 午睡。たちまち夕刻。
 夜は、専属料理人に、八尾産枝豆、翁豆腐ヤッコ、舞鶴産じゃがのコロッケ、産地不明のキャベツ・トマト・アスパラなど並べてもらってビール、黒糖焼酎水割り。
 本日0歩。いかんなあ。
 無為に過ごした1日を反省しつつ、寝る。

7月27日(木) 穴蔵
 終日穴蔵。
 ただし運動不足なので午後ジュンクドー往復、3,265歩。
 これといったニュースもなし。金三胖(キタのデブ)はICBM発射できず。つまらん女政治家約2名の辞任と約1名の「一線は越えてません」会見(子供が「一線て何?」と訊いたら、親は「オ**してへんいうてんのや」と教えるのだろうか。ボンクラ息子その1の小学時代、こんな会見をテレビではやらなんだわなあ)など、あほらしいのばかり。
 豊田真由子はまだ入院したままなのか? 早いとこ(できれば閻魔の/つまりさっさとアチラへ行って)裁きを受けてほしいものである。
 こんな日が続くのであろう。嗚呼。

7月28日(金) SF検討会
 穴蔵に引きこもり。
 夕刻、かんべむさし氏来穴蔵、久しぶりに定員2名内容非公開のSF検討会を開催する。4月の花見以来である。
 本日は小松師匠の七回忌でもある(訃報に接したのが6年前の本日)。
 焼酎水割り飲みつつ、しんみりした話から、(おれがこのところ鬱気味なこともあって)暗い話が多く、やがて怒り(田舎者批判)に変わるという妙な展開。
 これも高齢化ゆえか。
 専属料理人に揖保乃糸(黒帯)を茹でてもらっておひらきとする。

7月29日(土) 穴蔵
 わ、酔っぱらって熟睡、目覚めれば、金三胖が夜中にICBM発射していた。
 花火同様、夏の風物詩と割り切るしかないか。
 例によって各国(中国以外)切歯扼腕。韓国もよくわからん。振られても振られても言い寄るアホ男、恥ずかしくないのだろうか。
 終日穴蔵。
 これといった仕事はしないまま一日が終わる。嗚呼。

7月30日(日) 穴蔵/ウロウロ
 曇天にて涼しいものの、気分相変わらず。穴蔵にて鬱々と過ごす。
 この3日ほど、ほとんど出歩いておらず、運動不足のせいかもしれぬ。
 斜陽の時刻になって散歩に出る。
 中崎町うろうろ、天五から商店街を北上、天六から天八、長柄まで出て、淀川堤を下流へ歩く。
 新御堂をくぐって西側まで。
 淀川左岸線の工事状況を見るが、ぜんぜん進んでおらんなあ。
  *
 本庄水管橋の遺構、堤防の南側……ひと月前にくらべ、夏草に覆われて、風格まで感じられる。
 この一帯、廃墟のままなら面白いのだが、工事計画は決まってるわけだし、(カウス師匠じゃないけど)「やるんなら早よやってちょうだい」(←出典)といいたくなるぜ。
 1万歩を超えた。
 シャワー。晩酌。ゴーヤチャンプルでビールがうまい。

7月31日(月) 穴蔵
 朝7時過ぎに朝食。
 NHKニュース見てたら、伊丹の公園にややこしいS字形が出現、子供が噛まれて一時意識不明になったというニュース。昨日からやってるのだろ?
 したがって昨夜はテレビの報道番組は見なかったけど。まだやってるのか。
 あわてて電源切る直前、ちらっと画像が目に入った。
 ギャーーーーーーーーーーーーーーッ!と叫びかける。叫ばなかったけど。食欲喪失。
 夏休みでガキが公園うろちょろする時期だから、注意喚起は大事とは思うけど、「これから不気味な映像が流れます」くらい予告しろよ。死刑執行場面を予告なしで放映する方がまだましである。
 終日穴蔵。テレビは見ずに過ごす。
 終日気分悪し。
 19時から晩酌。
 専属料理人が並べた数皿でビール飲みつつ、ニュースは見ず、BSで「懐かしき昭和への旅 廃墟」を見る。
 普通には立ち入れない昭和の廃墟の探訪番組。
 明延鉱山につづいて、なんと知多・東浦の「大生紡績」が出てきた。
 80年頃に(むろん操業中に工事で)何度か行ったところだ。廃業したまま残っているのは珍しい。豊武線東浦のすぐそばだが、小さい駅だから、ショッピングセンターにはできないのか。
 近くを通ることがあれば寄ってみたいが、もう行くことはなさそうな。


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