『マッドサイエンティストの手帳』660
●マッドサイエンティスト日記(2017年8月前半)
主な事件
・播州龍野いたりきたり
・ミステリ講座「『犯罪者』をめぐる現実と創作」(5日)
・大阪JAZZ同好会@ディアロード(6日)
・山下洋輔ソロ@ハチ(6日)
・暑気払い@石橋(10日)
8月1日(火) 大阪←→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
9時頃に実家に到着。
シルバー人材センターから、この数年おなじみの2氏来たりて雑草処理の作業開始。
今年はどことも異常な繁殖なのだとか。
庭と旧畑地の雑草をばっさばっさと刈ってくれたが、昼に中断。
猛暑なので、午後の作業(収穫物の搬出処理)は明日午前に送りたいという。
無理もなし。熱中症予防。おれとほぼ同年のシルバー氏だからなあ。
* → *
ビワの木は残った。
(2010年に種を埋めたこのビワ、2年前はこうだった)
果実を生きてるうちに食べられるかは未定。たぶん無理だろう。
昼過ぎに西宮から身内が到着。
市役所へ行き、年初にあった地籍調査の図面確認を行う。
ご近所にややこしいおっさんがひとりいて(隣接地の地権者ともめているのではなく、市のやり方に拒絶反応を起こしているらしい)、確定しない一角(筆界未定地というらしい)があるとの説明を受ける。
うちの敷地を売買するとなると、その一角は「ややこしい土地」になるらしい。
ややこしいおっさん、おれとほぼ同年らしいが、小学時代の記憶にはなし。困ったものだ。
別荘の維持もたいへんである。
夕刻の電車で帰阪。
8月2日(水) 穴蔵
夏の日である。
朝、近所の某医院へ定期検診に行く。ごく正常。
安心して、あとは終日穴蔵。少しは仕事もするのであった、いと少なしを。
たちまち夕刻となる。
自宅のリビングから暮れゆく北梅田を眺めながら晩酌。トミフラ師匠、デフランコ師匠を聴きつつ。
*
新潟産枝豆、翁豆腐ヤッコ、茄子田楽、山芋モズクおくらのネバネバ小鉢、トマトサラダ、キンメの煮たんなどでビール、麦焼酎水割り。
早寝するのである。
明日は少し体を動かそう。
8月3日(木) 穴蔵
快晴というか炎天というか。朝、東からの直射光強く、2時間ほどエアコン稼働。あとは扇風機。快適である。
穴蔵にて雑事あれやこれや。
斜陽の時間になって散歩。ジュンクドー往復のみ。
NBC前に「まくらざき」「かつお」の幟の出店があり、南薩地域地場産業振興センターの直販店である。
JR最北端・稚内とJR最南端・枕崎のコラボで、コンカツ(稚内の昆布、枕崎のかつお)のコラボという企画があったらしい。
かつお塩辛とかつおスライスを買って帰る。
ということで、夜は枕崎の酒盗(表記は「かつお塩辛」である)で黒糖焼酎の水割り。
*
なかなか。しかし、これは危険な飲み方である。
酒盗は少量にして、揚げの焼いたん、ポテト茹でたん、豚肉炒めたん、キャベツ刻んだん、蕪のたいたんの妖女なども食す。
早寝するのである。
8月4日(金) 穴蔵
快晴というか炎天というか。朝、東からの直射光強く、2時間ほどエアコン稼働。あとは扇風機。快適である。
穴蔵にて雑事あれやこれや。
斜陽の時間になって散歩。ジュンクドー往復のみ。
あ、昨日と同じだ。
たちまち夕刻。
暮れゆく北梅田を眺めつつ晩酌。
*
雰囲気はもう初秋である。滝川さんの「I Remeber April」が泣かせる(これは4月の恋を秋に思い出す曲なのである)。
専属料理人に、枝豆、ヤッコ、キャベツどっさりオムレツ、肝煮など並べてもらってビール。
*
シラスにトマト・カイワレ・茄子・レタスなど色々、ポン酢とオリーブオイルなどブレンドしたドレッシングのサラダが、キリッと冷やしたシャブリに合う。
早寝するのである。
8月5日(土) ミステリ講座「『犯罪者』をめぐる現実と創作」/淀川花火
台風五郎、じゃなかった、台風5号(屋久島あたりに停滞中)の影響か、雲の動きが急で、晴れたり曇ったり。
午後、地下鉄で谷四へ。
創サポ企画の連続講座「ミステリーから見える社会〜犯罪をめぐるフィクションと現実〜」の第2回である。
今回は弁護士の西村健氏と鈴木輝一郎さんの対談形式による「『犯罪者』をめぐる現実と創作」。
本日のテーマは、刑事事件での弁護士の「実務」の実態について……かな。
西村弁護士は刑事事件が比較的多く、取り調べの可視化に尽力されている方だが、極めて穏やかな印象である。
刑事事件で多いのが窃盗と覚醒剤。依頼の私選/国選の比は2/8とか。地味なもので、ミステリーの殺人事件はファンタジーみたいである。
ただ、依頼の実態とか被疑者の権利意識の変化など、面白い話が多い。
現実の事件にドラマはない。(テレビドラマとちがい)逮捕はドラマの終わりなく、起訴から始まる。等。示唆されること多し。
夕刻帰館。
地下鉄梅田から中津あたり、淀川方向へ歩く庶民諸君多し。浴衣が目立つ。
本日、淀川花火である。全国的に花火大会の多い日である。播州龍野も今日らしい。
ということで、専属料理人に数皿並べてもらってビール飲み始めたら、盛大に轟音が響きはじめた。
富島神社北側の堤までは徒歩6、7分だが、人混みを歩くのは面倒なので、テレビ大阪の中継を見る。
画面の光と響いてくる音の差は2秒ほど。
ウチと打ち上げ地点は2キロだから、放送の時差は約3.5秒か。
これ、テレビの機種で違うけどね。
*
現場は徒歩10分のとこ、その騒音を聴きつつテレビ中継見るというのもへんな気分だ。
あ、窓の外での「火星人の侵略開始」をネットで見ながらパソコンに向かっている状況をショートショートにしたことがあるなあ。四半世紀ほど前。
いい着眼と思ったのだがなあ……
8月6日(日) 大阪JAZZ@ディアロード/山下洋輔ソロ@ハチ
本日、天気予報では大阪38℃という。確かに9時にベランダは36℃。おれにはたいした気温ではないが。
昼過ぎに出てJR片町線・放出へ。
午後、ディア・ロードにて大阪JAZZ同好会の例会。
まず、会員Tさんによる企画「主役より脇役が目立つモダンジャス」……キャノンボールの「Somethin' Else」が代表格だが、ズート・シムスやコールマン・ホーキンス、若い頃のアート・ペッパーなど色々。多くのLPがサイン入りであるのが凄い。
新譜紹介あり、あと持ち寄り企画は「いちばん好きなピアノトリオ」……当然ながら、ビル・エバンスの名盤を持ってくるような素直なメンバーはいない。エバンスは死の2週間前のキーストンコーナー・ライブ、渋いところでハンプトン・ホース、レッド・ガーランドなど。デューク・ジョーダンは複数。おれは正直に「OVERSEAS」、ではなく、森山威男唯一のピアノトリオ音源(本田竹曠とのね)である。17時まで。
直ちにJRで北新地へ移動、お初天神付近で専属料理人と合流。ハチへ。
毎年恒例のハチママ・バースディ(昭和8年8月8日)ライブ、今年は2日繰り上げて今夕の開催である。
体調が心配だったが、ハチママ、別に車椅子も不要で出現した。ともかく、この日だけは異様に元気なのである。
18時〜山下洋輔さんのソロ。最前列で聴く。
・ゆずり葉の頃
・やわらぎ
・新世界より・第4楽章
(ここで「ちょっと休憩をかねて」ハチママを呼び出し)
・Happy Birthday〜リンゴ追分のさわり
昨年は「都々逸入り」だったが、今年は、長年の常連Wさんが「リンゴの苗木をもって宇宙に旅立ったから、もう封じる」……といいつつ、山下さんがピアノを弾き出すと、即興で「なぜ歌えないのか」を歌ってみせた。たいしたものである。
・You Don't Know What Love Is
・ラプソディ・イン・ブルー
・アンコールでなんと、ボレロ
ほとんど2時間、弾っぱなしであった。
みんなでハチママ見送り。
あとカウンターで軽くビール。
(たぶん明後日に出現する)超話題作「漸然山脈」の作曲にまつわることとか、奈良少年刑務所のホテル化計画などについて、興味深い話をいろいろ聞く。
久しぶりにジャズ漬けの1日であった。
8月7日(月) 台風5号
午前5時に目覚める。曇天。ニュースは、台風5号が四国沖を低速で進んでいて、夜に近畿直撃という。さよか。
昼前から雨。傘さしてジュンクドーへ出かける。
本日、文学界9月号が並んだ。最近は月曜でも新刊が配本されるらしい。
昼過ぎに阪急インターナショナルで小松御大のご子息の長男(つまり左京師匠の孫)のK青年と会う。
石毛先生の花見会で何度も会っているが、折り入ってインタビューという。
某大学院生で、専攻とはちがうが、夏休みで時間があるうちに祖父のことを色々調べたいのだという。
御大との初対面(「易仙逃里記」でデビューの少し前)の頃からのエピソードを色々話す。
「祖父の作品を読まれた中で、どれが好きですか?」
「全部読んでるがな」
「放送関係の人などは、そんなに読まれてませんね」
「そうかもしれななあ」
小松青年とおれの年齢差はほぼ半世紀。(あくまでも年齢だけで比較すれば)20代のおれが江戸川乱歩に斎藤茂吉のことを訊ねているような年齢差なのである。
「今のうちに聞いておかないと誰もいなくなってしまう」……その通りである。
小雨の中を穴蔵に戻る。
台風5号、夕刻、和歌山県北部に上陸と言うが、大阪市北区は普通に雨が降っているだけで静かなもの。
ところで、文学界9月号掲載の超話題作、筒井康隆「漸然山脈」……これは、なんと地球の両極点間をすべての山脈を巡って踏破しようとするSFである!(←おれの耄碌頭での理解) アマゾンあたりで「体が通常の五倍あるアナ**ダ」が出現してギャーーーーッと叫びそうになった。世の中には病的な×嫌いがいることまで記述してあるから、確信犯的というか……。主題曲の譜面もあり、明日8日に山下さんの演奏録画があるという。youtube放映はいつか。まさか巨大S字型は出てこないと思うが。
8月8日(火) 穴蔵
定刻午前4時に目覚める。
午前5時、まだ外は暗い。夏至から日の出が20分遅くなっている。昨日が立秋であった。夏は過ぎたのである。
台風一過、晴れたり曇ったり、涼しい日である。
少しは仕事を……と思いつつ、ボケーーーーッと過ごすのであった。
昼、リビングの窓から十数メートルの窓の外でトラ猫が涼んでいる。
*
その名は知らず。借景ならぬ、うちの借猫である。
寒くなると出てこなくなるのだろうな。
8月9日(水) 穴蔵
終日穴蔵。外は秋晴れというか残暑晴れというか、人これを炎天という。
朝2時間エアコン稼働、あとは扇風機の風に吹かれて過ごす。
快適で、本や資料は色々読めた。
たちまち夕刻。
専属料理人が並べた、新潟産枝豆、翁豆腐ヤッコ、厚揚げの煮たん、まぐろ山かけ、トマトサラダ、きんぴら、浅漬けなどで、ビール、黒糖焼酎れんと水割り。
早寝するのである。
8月10日(木) 暑気払い@石橋
穴蔵にてボケーーーッと過ごし、夕刻に這い出て阪急石橋に向かう。
タイムマシン事業の約3名集合、海鮮居酒屋Gにて暑気払いを行う。
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ヒラメがまだピクピクしておる。残酷なものである。
つき合いだからいただくが、近年、おれはこの手の食べ方は苦手である。命を奪う現場は見たくない。
あとはコロッケとか出し巻きでビール。
議題は事業の終活。
3人の平均年齢が70に近づいてきたのである。事業をスタートさせてから45年、しかも最初に開発した機種がまだ「現役」で、製品寿命がわしらより長い可能性大である。
しかし、供給が難しい部品が増えてきた事情もある。外注先もたたんだところが多いしなあ。
新製品の開発せずによく続くものである。開発費ゼロだから業績は低下しないまま。
あと数年……これ毎回同じ結論だな。
8月11日(金) 穴蔵/ウロウロ
穴蔵にてボケーーーーッと過ごす。
運動不足なので、午後2時頃に散歩に出る。外気は34℃の表示だが、日陰を選んで歩けば涼しく、汗もかかない。
久しぶりにうめきた2期区域を外回りに歩くことにする。
梅田貨物線の地下化工事の進行状況を見ながら、豊崎第6架道橋〜阪急中津〜スカイビル。
地下道はくぐらず、さらに南の西梅田1番踏切を渡り、2期区域の南側を大阪駅方向へ歩いてたら、向こうからかめくんが歩いてきた。
スカイビル近くで芝居のウチアゲがあるのだとか。
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記念撮影。ともに頭部の照り返しが強いが、刈ったのと抜けたのでは本質が異なるのである。嗚呼。
あと、ステーションビル・風の広場に上ってみる。
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地下線路と新駅の掘削は(北側は)かなり進んできた。
淀川決壊、一帯が泥に埋まるまであと○年である。
6,731歩となった。
8月12日(土) 穴蔵
終日穴蔵。ボケーーーッと過ごす。
主に居住する集合住宅の規約改訂に関する試案作成。
作日も入居者あり、3LDK→2LDKへの引っ越しで、入りきらない家具がエントランスに積まれるというトラブルあり。間取りがわかってたら、こんなアホなこと起こらんだろうが。あまり賢い人ではないらしい。
こういうのが増えた。
おれは現理事ではないのだが、来年から2年間、順番が回ってくる予定で、しかも以前から管理規約はおれが成文化してたものだから、ややこしい雑事が回ってくる。
都心の集合住宅だから、近郊都市に見られる高齢化・空き家問題よりも、引き継いだ子がアホ/賃貸増加/○国人の入居が増えてきたのが問題なのである。
あと3年ほど、鬱陶しい事務が続く。寿命が先にくるか。嗚呼。
8月13日(日) 穴蔵/ウロウロ
日曜なのであった。
終日穴蔵でボケーーーッと過ごす。
斜陽の時刻になって散歩。
ジュンクドーへ行く手前、茶屋町のゲーセンでダンレボおじさんが顔をひきつらせて踊っている。
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観客は2名。手すりを空手打ちして痛がるギャグも毎度同じ。もう飽きられているのである。ざんないなあ。
と、専属料理人からメール連絡あり、進路変更、中崎町を抜け、天八のスーパーに向かう。
食材のポーターをつとめる。
たちまち夕刻。
専属料理人に、新潟産枝豆、マグロ山かけ、ピーマンの煮たん、キンピラ、カイワレやトマを並べてもらって、ビール1缶。
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あと、こういうものをロックでチビチビ。しめに五目寿司を少しばかりいただく。
休日じゃ、早寝するのである。
8月14日(月) 穴蔵/ウロウロ
月曜なのであった。世間は盆休らしいので、つきあってボケーーーーッと過ごす。
ちょっと調べたいことあり、本を探すのに1時間以上かかる。
昨秋、穴蔵移転したとき、「今後は床に本とCDは積み上げない」と決めた。
そのため、古い資料はだいぶ処分し、SFの多くは播州龍野の書庫に送り、CDの半分はダンボールに詰めたまま。
それでも1年近く経つと、床に本が増えた。しかし肝心の本は発見できない。
播州龍野の本はダンボールのまま書庫に放置している。2時間かけて播州龍野へ行くよりも、ジュンクドーか中央図書館で調べる方が便利である。
ということで、午後、散歩を兼ねてジュンクドー往復。
日本最大の書店を書庫がわりに使えるのはありがたいことである。たまには買ってるからね。
近くの住宅前にモミジアオイが咲いている。
ともかく目立つ花だ。あまり好きではない。1日でしおれるところがいい。徒花というべきか。
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野々村竜太郎の生家近くにも花は咲くのであった。花は元住民を選ぶのか。
8月15日(火) 穴蔵/ウロウロ
曇天で涼しく、もうエアコン(冷房)は不要かもしれぬ。
昼過ぎに歩いて新阪急ホテルへ。
小松御大のご子息の長男(つまり左京師匠の孫)のK青年、かんべむさし氏、おれより古株のNULL同人のSさんと会う。
K青年の「祖父調査」の続きである。おれは先週話したので、本日はオブザーバー。
カフェ(Rainbow)にてあれこれ聞く。
近くのテーブルに河内厚郎さんがいてはって挨拶。ここは関係者密度の高い店である。
両氏の話を聞くうち、ふたつのことに気づく。
まず「小松さんとの初対面の印象、これは『日本沈没』前後で大きくちがうのではないか」……これに対してSさんの意見は「万博前後でちがうのだと思う」という。なるほど。「業界」の人にとっては万博の方が大きいのだろうな。
もうひとつは「関西SFが形成されたのは意外に短期間、1962〜1964年の3年間である」というもの。これは検証しはじめると長くなるので、別のかたちで書くことにしよう。
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