『マッドサイエンティストの手帳』507

●マッドサイエンティスト日記(2011年7月後半)


主な事件
 ・大阪←→播州龍野、いたりきたり
 ・墓参(16日)
 ・巨星墜つ(28日)
 ・KCC小説講座(30日)
 ・三村さん告別式(31日)


7月16日(土) 播州龍野→大阪
 午前6時、播州龍野にて目覚める。まあまあ涼しい。
 昼前にボンクラ息子その1とその配偶者が姫路に到着するので迎えに行く。
 わが亡母の墓参という……なかなか殊勝な心がけである。
 いったん実家に帰館の後、花を買い、墓地に赴く。
 墓掃除、周辺の雑草も除去する。
 
 墓石に水をかけたら、「堀」の字に潜んでいた墓守蛙(2代目?先代はこちら)が驚いて飛び出してきた。
 悪い悪い。また「堀」の字を守ってくれたまえ。
 あと、龍野市内あちこちを案内。
 
 「堀家住宅」前にて記念撮影。
 夕刻に近い時刻になって、3人揃って大阪へ移動する。
 大阪に戻る。
 夜は専属料理人が色々用意してくれたメニューで、一族揃ってシャンパンで乾杯のあと、盛大に飲む。
 枝豆、焼きナス、オクラ小鉢、ヨコワ刺身、ハモ梅肉、ローストビーフ、トマトサラダ、ビール、ワイン少し……他にも何かあったかも。
 おれは21時過ぎに穴蔵にて早寝するのである。

7月17日(日) 穴蔵
 本日も炎天なり。
 ボンクラ息子その1とその配偶者は関西の友人たちが祝賀行事をやってくれるとかで出ていく。
 終日穴蔵。
 資料を読んで過ごす。

7月18日(月) 穴蔵/新大阪
 午前5時前に目が覚める。
 東の空、不気味な朝焼けである。
 
 「吸血鬼ゴケミドロ」を思い出すなあ。
 やがて空は雲で覆われ、小雨になった。
 午後の「のぞみ」でボンクラ息子その1と配偶者が東京へ戻るというので、見送りを兼ねて一族ゾロゾロと新大阪へ移動する。
 米朝師匠ご贔屓の「文楽」新大阪店にて昼食会。
 揚げたての天ぷらと出石そばのセットで生ビール。
 おれのみ、引き続き冷酒をいただく。
 14時頃、ボンクラ息子その1と配偶者は東に去り、専属料理人その他は新大阪駅近くのホームセンターへ行き、おれひとり帰館。
 山本弘『MM9 invasion』を読む。
 相変わらずの面白さ。
 怪獣と宇宙論と初恋?が混在して一気に読ませる「本格SF」なんて、山本弘さんにしか書けない世界である。

7月19日(火) 穴蔵
 台風接近で早朝から雨が断続的に降る。
 東向きの部屋、エアコン使用の必要がなく快適である。
 終日穴蔵……のつもりだったが、金融機関などに行かねばならず、10時頃に外出したら、雨が最も激しい時間であった。
 下半身ずぶ濡れ、クツ浸水。
 ついてない日である。
 午後は穴蔵にて雑事の処理。
 夜は数皿並べて貰ってビール。
 ゴーヤのチーズ風味揚げ……レモンをしぼると、これはまあまあいける。
 
 他にゴボウの揚げたのと枝豆。
 ポトフの野菜は少し食べるが、肉塊は食べる気がしない。
 急激に肉が食べられなくなってきた。
 夏バテか、そろそろ寿命か。

7月20日(水) 穴蔵/梅田
 台風を警戒してガラス戸を閉ざして寝たが、蒸し暑く、眠り断続的である。
 朝5時、台風は徳島に上陸後、紀伊半島先端に接近中らしい。
 大阪は(暴風・波浪警報が出ているが)、雲が厚いものの風は吹かず。静かなもの。
 終日穴蔵……のつもりだったが、諸々のチケットを予約しておく必要あり、昼休み時間をはさんで梅田を散歩することに。
 チケットショップ経由、大阪駅で予約、ヨドバシを検分、かっぱ横丁の「つるまるうどん」(カレーうどんなど)に寄ったあと、丸善ジュンクドー〜ロフトと1時間半ほどのコースを歩く。
 ロフトは8月に大がかりなリニューアルをやるらしい。閉店する店も多いようである。
 心なしか売り場は閑散。
 大阪駅に東急ハンズが入ったし、近くにNU茶屋町(雑貨店)がオープンしたりで、苦戦の模様なり。
 帰路、前から気になっているビル(?)の前を通貨する。
 テナントビルの敷地の角にある建物である。
 
 買収に応じず残ったのであろうか。
 (この種の代表例としては、りそな銀行本店(備後町)南東角の建物がある)
 うちの近所のはさらに小さく、たぶん「1坪2階建て」である。
 ちゃんと会社の表札も出ているが、人の気配がしたことはない。
 しかしこの建物、集中して仕事するのには、よさそうに見えるなあ。
 播州龍野の庭の隅にこんなのを建ててみようか、迷うところだ。
 午後は穴蔵にこもる。
 夜は専属料理人に5皿ほど並べてもらってビール、ワイン少しばかり。
 明日こそホリは働く(←このフレーズは時々使うけど、むろん河野典生の名作『明日こそ鳥は羽ばたく』から/為念)…つもり。

7月21日(木) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 本日よりしばらく田舎生活となる。
 タイムマシン格納庫にて組立作業開始。
 曇天だが……やっぱり暑い。
 午後には34℃(夏の格納庫で、これはましな温度だが)になり、汗ドロドロ。
 魔法瓶に麦茶を用意して随時補給するものの、汗の垂れ流し感覚。
 久しぶりの肉体労働なので、初日は16時までとする。
 食材を買って帰館。
 シャワー、洗濯。
 盛大にビール飲み、早寝。
 夜は比較的涼しく助かる。

7月22日(金) 播州龍野
 おや、涼しい日である。
 午前5時の室温27℃、よく眠れたはずである。
 体調よく、タイムマシン格納庫にて張り切って組立作業に勤しむ。
 薄曇りだったのが、午後は晴れてきて、格納庫内は32℃、湿度70%で蒸し暑くなった。
 16時前に作業を終える。
 無理しないペースで行こう。
 夕刻、揖保川沿いを散歩。
  *
 水量が多く、ふだんの散歩コースは冠水している。
 堀家住宅の西側、楠の手前で引き返す。
 シャワーの後、昨夜とほとんど同じようなメニューで晩酌。
 ちなみに、そのメニューは、
・枝豆、ヤッコ(カツオブシとカイワレ)、トマトスライス、チクワ炒め梅肉和えでビール。
(デフランコ師匠、グラッペリ師匠を聴きつつ小休止)
・冷麺(キムチ・スイカ・カイワレ・焼き豚ぶち込み)で「神の河」ロックに近い水割り。
 ちょっと気になって1年前のメニューを調べてみると、ほとんど同じなのであった。
 1年前の7/22は、明記はしてないけど、相生のIHI播磨病院に入院していた母の退院の日であり、夜は母の好物(肉じゃがとかキュウリの酢もみとか)を並べた。
 おれはおれで自分の好物を並べてビールを飲み、「神の河」を飲んだのであった。
 ずいぶん昔のことのように思える。
 気分はブルー&センチメンタル。

7月23日(土) 播州龍野→大阪
 播州龍野にて午前6時前に目覚める。
 室温26℃……快適な朝である。
 午前8時頃からタイムマシン組立作業を開始。
 快調なり。
 梅若ぶっかけうどん(手製)の昼食をはさんで作業を続ける。
 が……14時過ぎ、格納庫の室温は39℃(湿度55%)となった。
 
 ちょっとやばい。2年前までは平気だったが、さすがに熱中症が心配になる。
 予定よりも作業の進行は早いので、相棒の某くんに電装関係の作業を引き継ぎ、いったん帰阪することにする。
 夕刻の電車で帰阪。
 夜は専属料理人に数品並べてもらってビール、少しばかりワイン。
 汗をかいたあとのビールはたまらんなあ。
 早寝するのである。

7月24日(日) 穴蔵/ウロウロ
 炎天だが比較的涼しく、朝の日光直射時間もエアコンは使用せず。
 昼前に日本橋へ。
 タイムマシン組立用に特殊な工具が必要になったのだが、ナニワネジにちゃんとあった。
 日曜営業してくれていて、助かるなあ。
 近くの「J.J.」でパキートのラテン・ジャズを1枚発見、うれしいねえ。
 さらに南下、恵比須町から北へ移転した「シリコンハウス」にも寄って部品調達、ありがたいねえ。
 シマ無線やディスクピアなど覗き、通天閣本通を南下、沢野工房の前を通る。
  *
 「通天閣と沢野工房」……これは「大阪ジャズ風景」を代表する眺めのひとつであろう。
 川本三郎氏が『荷風と東京』でやったように、おれはジャズを通しての大阪都市論を書いてみたい思っているが(むろん第一章は「服部良一少年の見た道頓堀」)、いつになるやら。
 断片的なメモ書きからでもHPでスタートさせるべきかなあ。
 炎天下の新世界、(アホというか愚民というか、そういう諸君が)串カツ屋(「だるま」と「八重勝」だけ)に長い行列。
 テレビで見たんだろうけど、そんな風にして食べるほどのものじゃないんだよ。
 阿倍野まで歩こうかと迷ったが、暑い。やまと屋2号店でぶっかけ素麺と生ビールとする。
 動物園前から地下鉄で帰館。
 穴蔵に戻る。
 夕方のニュース。中国の高速鉄道事故……「わちゃーー、やりよったがな!」(案の定というニュアンス含む)と、これは歌やんのフレーズである。
 たちまち夕刻。
 専属料理人に色々(ヤッコ、一口餃子、鰺刺身、サラダ風冷やし中華など)並べてもらってビール、焼酎ロック。
 明日からまた播州龍野行き。
 早寝するのである。

7月25日(月) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 タイムマシン格納庫にて組立作業。
 曇天で、午後も32℃……まあ快適な温度である。
 夕刻に近い頃にひと区切りついた。
 快調な仕上がりで、あとは相棒の某くんに引き継ぐ。
 食品スーパーで最小限の食材購入して、実家に帰館。
 シャワー、洗濯。
 
 19時、門扉の前から西空を眺める。鶏籠山の夕映え。
 センチメンタルになるぜ。
 大阪から持ってきた総菜数種に色々ぶち込み冷麺を並べてビール、「神の河」ロック。
 ニュースを見る。
 中国の高速鉄道の事故、衝突車輌を現場に穴掘って埋めてしまったとは、こりゃどういうことよ。
 証拠隠蔽なんて話ではない。
 死者の数はともかく、こんな貴重な「衝突実験のデータ」を放棄してしまうことが信じられない。もったいない話ではないか。
 ゴクチューのやること、たいがいは「またかよ」で納得してきたが、これだけは理解不能である。
 しいて想像力を働かせば、衝突車輌を分析すれば賄賂の実態がまるわかりになるから……かなあ。
 材質がとんでもない粗悪品だとか。
 しかしそれだと、今走ってる車輌を調べればわかることだしなあ。
 わからん国だ。
 わがタイムマシン関係では、中国とはいっさい提携(「合作」というやつね)しない(この時に断っている)というわが判断は、やはり正解である。

7月26日(火) 播州龍野→大阪
 播州龍野にて目覚める。
 朝、昨日来阪の兄が、大阪からやってきた。
 播州龍野関係のことあれやこれや相談する。
 別にややこしい内容ではなく、家周辺の雑草の処理とか、墓の掃除とか、水利費とかなんとかの寄付とか……要するに「ご近所」が色々うるさいので、どう対処するかというつまらん相談である。
 おれはムラ社会の嫌われ者になっても一向にかまわんのだが(その点では、おれは丸山健二の大ファンである)、一族の同意を得るのは難しい。
 昼の電車で帰阪。
 お、こちらにも雑事山積。
 タイムマシン関係、今度はインドネシア関係が本格化するか。
 夕刻のニュース。中国の高速鉄道事故……埋めた事故車両を掘り出してどこかへ運び去ったという。
 どうなっておるのだ。
 ゴクチューよりはネシアと仕事したいよ。
 早寝するのである。

7月27日(水) 穴蔵/ぎょ
 終日穴蔵。
 タイムマシン関係の連絡メール待ちなどあり、デスクに向かったまま、ドキュメントの下書きしたり、本を読んだり、メールチェックしたり、ネットサーフィンしたり、CDを聴いたりで1日が過ぎる。
 ところで、本日知ったことだが……
 3年ほど前、ここに、「私は自分自身の作品を客観的に見ることはできるんです。○っちゃんと違うんです。」と書いている(上田早夕里さんとはなんの関係もない)。
 ○には「立」の字を入れてほしい。
 世の中には自己を客観視できないタイプの人間がいて、これがナルシストだとたいへんなことになる。
 その代表例で、SF関係(四半世紀以上前)では知る人ぞ知るなのだが……ひょんな事情から、この人物が「盗撮ビデオ通販」の世界では結構有名になってると知って、ぎょ。
 キーワードは「好きすき、盗撮びでお君!」である。
 いやはや。
 あ、もはやSFとはなんの関係もない話題だからね。

7月28日(木) 巨星墜つ
 本日は服喪。

7月29日(金) 穴蔵
 昨日16時前に、とつぜん電話で小松左京さんの訃報。
 知らせてくれたのはかんべむさし氏だが、新聞社からの情報で、かんべさんも詳しい事情はわからないという。
 26日に亡くなり、本日、家族葬が終わったところでマスコミ発表となったらしい。
 したがって、新聞社からの電話も、詳しい事情を知らないかという問い合わせだったらしい。
 落ち着かぬ気分だが、じっとしているしかあるまい。
 体調がすぐれないことは聞いていて、もう1年以上会ってない。
 今年1月の傘寿でも特別な会は開かれないままだった。
 小松作品をあれこれ再読する。
 それにしても……巨星墜つという表現は3年前で終わりにしたかった。
 最後の1回がこんなに早く来るとは……
 本日も終日穴蔵にて過ごす。
 短い追悼文を依頼されたので、わが師のために文章を書く。
 決して不謹慎なことではあるまい。
 昨夜から引き続き、師の著作を再読し、メモをとる。
 下書きで10数枚となり、これを3枚まで圧縮する。
 親っさんとの初対面は、高校2年の時。NULL主催の「関西SFのつどい」に参加した時である。
 その席で、事前に送っていた習作についてコメントしてくれたのが小松左京さんである。
 「易仙逃里記」でデビューする3月前であった。
 あれから半世紀になろうとしている。
 思い出すことは際限がない……

7月30日(土) 穴蔵/神戸KCC講座
 なぜか訃報が続く。
・朝刊に鎮目恭夫氏の訃報。『サイバネティックスはいかにして生まれたか』や『科学と神』など、ウィーナー関係はほとんど氏の訳業を通して学んだ気がする。
・文芸家協会報で瀬川昌男氏が7月10日に亡くなられたことを知る。80歳。小松左京さんと同年であったのか。『火星にさく花』『白鳥座61番星』など、日本のハードSFの草分けで、なんとなく柴野さん世代と思っていた。何度か手紙をいただいたことがあるが、お目にかかる機会はないままだった。
・そしてとつぜん、「ジャズの専門店ミムラ」の三村晃夫さんが急性心不全で亡くなられたという。持病なんて聞いたこともなかったから、まったくの急逝。今夜が通夜、明日が葬儀という。辛い話である。
 穴蔵にてボケーーーッと……してはいかんので、少しは仕事しつつ過ごす。
 夕刻、神戸へ。
 KCC(神戸新聞文化センター)で高井信さんが主宰の小説講座にゲスト講師として招かれたのであるが、高井さんが先日から体調を崩したため、期せずして「代講」となった。
 提出作品8編を中心に行うが……この講座のレベルは高い。
・アンドロイド・キラーという「切り裂きジャック」ロボット版のような犯罪者を追う(人体改造を受けた)女性捜査官……これは構成を少し直せばかなりのレベルに達する力作。
・旧友が坊主を務める山寺を訪れた画家志望の青年が巻き込まれる、ほまぼのとした妖怪譚。雰囲気がいい。
・お腹に子供を宿したまま失踪した妻を追って山中に迷い込んだ男の不気味な体験。怪談の定型というべき佳作。
・居酒屋で隣り合わせた老人が語る怪異譚。死神が子供の姿で現れる趣向が面白い。
・ダジャレから発想された擬人化ショートショート。笑った。
・マッドサイエンティストが死んだ後、延々とプログラムに従って実験を繰り返すロボット助手……情景描写が優れていて、長編の発端にもなりそうな。
・様々な「別離」が独創的な構成でつながれる短編……これは「構成の妙」であって、秀作という以外のコメントができなかった。
・ある都市に単身赴任した青年が巻き込まれる異世界。深夜の地下街から地下迷宮、不気味な汽車、無人の商店街と、様々な世界を巡っていく力作長編。ディック(初期の「宇宙の眼」)のラノベ版の印象。想像力豊かな作品である。
 やはりSFの議論をしていると楽しい。
 花博プロデューサー時代の小松さんがそうであったなあと思い出す。花博関係の会議で疲れはったらしき時に電話があって、自転車10分ほどでプラザの事務所へ駆けつけると、飲みながら「虚無回廊」や「宇宙にとって人類とは……」という話になった。
 あの気分はよくわかる。

7月31日(日) 穴蔵/告別
 6時過ぎに起床。蝉の鳴き声で目が覚めた。
 今年は蝉の声を聞かないという報道があったが、昨日からいっせいに鳴き出した。
 小さい街路樹を含めて凄まじい密度である。
 蝉の声については記録してないので、例年にくらべて早いのか遅いのか判定はできないのであった。
 穴蔵にて少し仕事。
 午前……京阪・香里園の某会館へ行く。
 <ジャズの専門店ミムラ>三村晃夫さんの告別式である。
 
 <ミムラ>は梅田繁華街の片隅にある小さいCDショップだが、ジャズ・ファンにとって、こんな気分のいい店はない。
 ひとえに店主・三村晃夫さんの人柄による。
 ともかくジャズに詳しく、しかも絶対に悪口をいわない人であった。個人的にもジャズメンについてもアルバムについても。
 職業柄、特定のCDを貶すわけにはいかない……そういう理由からではなかったと思う。
 ジャズに関しては、いいところをじつに楽しく教えてくれた。
 色んな客の好みを全部覚えていて、おれの場合、思いもよらないCDを薦められて外れたことがない。
 <ミムラ>はわが散歩コースに入っていて、月に2、3度立ち寄る場所である。
 寂しくなるなあ。
 最後に挨拶されたのが御父君であったことが、おれには特に辛い。しっかりと話される方だが、最後は言葉に詰まられていた。
 お見送りの時にロリンズの「モリタート」が流され、1階ホール通過の時にはトミフラ師匠のピアノソロであった。

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