『マッドサイエンティストの手帳』485
●マッドサイエンティスト日記(2010年8月後半)
主な事件
・室温新記録(18日)
・「現代語裏辞典」完成記念パーティ(21日)
・創サポ講義(28日)
8月16日(月) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
盆休は終わったものと思ってたら、阪神の特急始発、車内の半分は遊びに行く連中みたい。
甲子園で降りる客が結構多く(6時15分頃だぜ)、吊り道具を大量に持ち込んだグループは須磨寺公園で降りる。
本日も炎天なり。
播州龍野にて下男モード入り。
肉体労働が待ち受けていた。
大量の汗が噴き出し、午後には老母につき合ってスイカを食べる。
スイカなんて食べるのは10年ぶり……いや、2、30年ぶりかな。体がよほど水分を要求しているのであろう。
むろん夜は盛大にビールを飲む。
書斎から見る、19時の空。
秋が近い……と思ったのは錯覚で、21時を過ぎても室温は34℃である。
8月17日(火) 播州龍野の日常/酷暑
ほとんど眠れず。
午前4時の室温は32℃である。外は29℃。部屋の空気が入れ替わらず、屋根瓦の蓄熱性が高いからであろう。
本日も炎天なり。
午前中、昨日の引き続き肉体労働。
さすがに熱中症が気になる。
昼頃に区切りがついた。
少し遅めの昼食、「味三昧」で弁当(老母にはコンパクトなの、おれはちょっと豪華な幕の内)を買ってくる。
老母は居間で食す。
おれは庭に面した座敷を開け放って、風を通し、ここでビールを軽く一杯やることにする。
*
ちょっとした料亭気分だが……室温は2階と同じく35℃である。風通しがいいだけ、2階の書斎よりましか。
そもそも家でいちばんいい部屋をほとんど使用しないというのは不思議なことだ。
築100年、戦前からの「来賓用の座敷」という妙な形式が残っているのである。
おれはこの座敷に机やパソコンを置いて、司馬遼太郎の仕事部屋みたいにしたいのだが、老母は抵抗しそうである。
ま、エアコンが設置できない構造だから、仕事ができる期間は限られるけど。
あとは、そのまま座敷に寝転がって2時間ほど仮眠。
と、門を閉めているにもかかわらず、来訪者がしつこくチャイムを鳴らし続ける。
門扉の隙間から覗いて、座敷の戸が開いているのを確認しての行為であろう。
たいした用件ではない。メモを郵便受けに入れておいてくれれば済むことだが、内部を偵察しないと気が済まないのかなあ。
田舎者のメンタリティ、いかんともしがたい。嗚呼。
夕刻、老母の夕食にあわせて枝豆とヤッコで軽くビール。
老母が寝てから、シャワーを浴び、本格的晩酌となる。
ぶっかけうどんを作る。
うどんは(食品スーパーなどで入手できる10数種類を試した結果)ダイエーで売ってるシマダヤ食品の「熟成うどん」1玉68円が突出しているという結論に達した。温よしヒヤよし。これに鳴門のワカメとオクラを載せ、ヒガシマルの「ぶっかけうどんつゆ」をぶっかける。
これで龍力の冷酒を飲む。いと少なしを。
22時前……2階の書斎(兼寝室)は相変わらず34℃である。
おれは暑いことに関して愚痴はいわないが、限界は33℃であることを思い知ったのである。
8月18日(水) 播州龍野の日常/酷暑
本日も炎天なり。
下男仕事色々。
洗濯物を干すにはいい天気である。
が……朝には昨日と同じく32℃だった書斎の室温が、10時には(わが限界温度33℃を越えて)34℃になり、座っているのもつらくなってきた。
昼寝しようかと思ったら、13時過ぎ、室温は36.5℃……体温近くになった。
たぶんこの部屋の新記録である。
ちなみに老母のいる居間は34℃。
座敷を開け放ったら、ここは35℃。
座敷に寝転がって本を読んで過ごす。
これ以下に室温を下げる方法がないのだからなあ。
おれは暑さについて愚痴をいうことはない。冬の寒さを想像すると、やっぱり夏の方がいいなと思う。
今後は新記録が出た場合のみ報告することにしよう。
ただ、生活保護家庭がエアコンOKと聞くと釈然としないなあ。
おれは刑務所収監かよ。ま、確かにそんな生活だけど。
刑務所に較べれば、ビールが飲めるだけ幸せである。
ということで、夜、ビール飲みつつ読売テレビ『笑ってコラえて』という番組を見る。
「日本語検定の第1回トップ認定者」ということでポールゐのうゑこと井上剛さんが登場する。
ポールも白いものが目立ちはじめたなあ。
SF作家という紹介はあったが、おれはポールのこんな「日本語」経歴はまったく知らなかった。
「ら抜き言葉」について明晰な漫談的解説、たいしたものだ。
ポールはわが家で8年前に、一瞬にしてマッカートニからビジネスマンに変身する「髪型芸」を披露してくれたことがある。
これテレビでやったら受けるのではないかと思うが、この芸は出なかった。
次の機会を待つことにしよう。
21時過ぎに書斎へ。
相変わらず35℃。
とりあえず、扇風機に吹かれつつ横になるのである。
8月19日(木) 播州龍野の日常/酷暑
わ、眠れない。
午前2時、室温は33℃なり。
階下に降り、居間の戸を開け、裏庭に面した戸を開けて、扇風機で外気を入れつつ、座布団を並べて横になる。
29℃。
野宿同然である。
朝まで寝たり読んだり。
本日も炎天なり。
下男仕事色々。
厭きてきたなあ。
百日紅の「撮り方」を調べてみるが、模範解答はなさそうな。
花弁をマクロで撮っても面白い花ではない。
そう大きくない木が、小枝の先に掃除のブラシみたい大量の花を咲かせているのは、剪定してないからで、いまひつと品がない。
たとえば山寺。炎天の中、石段をのぼり、山門を潜って汗をぬぐったところで、境内に咲いている百日紅の老木に癒される……こんな雰囲気がいいのではないか。
紅と緑、ツルツルした太い幹の質感、背景は青空、ちょっとボケ気味の鐘楼などあるといいが、近くの寺に百日紅はないなあ。
ということで庭の百日紅(樹齢は百年超)を撮る。やはり平凡な。
*
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。……
ちょっとちがうか。
墓地に百日紅が咲いていたのは『五番町夕霧楼』のラストだったかな。
暑さでアタマがボケてきた。
8月20日(金) 播州龍野→大阪
わ、眠れない。
今夜も午前2時、室温は33℃なり。
朝まで「野宿」。
本日は仮釈放である。
昼前の電車で大阪へ移動する。
帰館したところで専属料理人は留守。実家へ行っているのである。どちらも似たように事情である。
外食も面倒になり、阪急デパ地下で「米八」の「四君子弁当」(鰆の西京焼き入り)を買って帰る。
熱中症予防のため「水分補給」も怠りなし。
→ →
午後は雑事の処理色々。
夜は自転車で出て、ハチでビール。
文化タコヤキにして「となりの人間国宝」白木くんのマーガレットで、トマトサラダ、とん平焼き、サッポロビール。
ワイルドバンチに寄って天才バーボンのロック。
酩酊寸前の自転車で無事帰館……のつもりが、停車寸前で壁に右腕を擦過、シャワーでしみるので擦り傷に気づいた。
酒気帯び自転車はやめることにする。
8月21日(土) 上京/裏辞典パーティ
うーん、食欲がない。
二日酔いなのか夏バテなのか、判別ができない。
朝食は抜き。10時頃まで寝転がって過ごす。
昼前の新幹線で上京。
車中、サンドイッチでビール。ちょっと元気が出てきた。
東日本橋のホテルに荷物を預けてから、秋葉原・石丸ソフト館へ。特に収穫なし。山野楽器へ行くべきだったか。
四谷「いーぐる」へ行く。
後藤雅洋『一生モノのジャズ名盤500』(小学館新書)が面白かったので、一度寄ってみたかったのである。
本日は「エリントンを聴け」というレコードコンサートであった。 「ソウルフル・エリントン」特集で面白いのだが、18時に表参道へ行くため、1時間ほどいて、17時20分に中座する。
代々木経由で原宿へ。
表参道の某レストランを貸し切りにして、筒井康隆さん主催『現代語裏辞典』完成記念パーティである。
アサヒネットの会議室での協力メンバー中心に発行元・文藝春秋の方々など、30人くらいの内輪のパーティ。
221メンバーのパーティは何年ぶりかなあ。
ともかく「裏辞典」がスタートして8年である。
筒井さんは最後まで司会役で、参加者の氏名・ハンドルネーム・経歴などを全部アタマに入れてはるのには驚嘆。
おれはボケが進行していて、名前と顔が一致しなかったりして戸惑うばかりであった。
閉会30分前くらいに、徒歩圏の渋谷で仕事していたボンクラ息子その1が来た。
ワインがぶ飲み、酩酊寸前の親父をホテルまで送るための案内役である。
21時にオモテの階段で記念撮影してお開きとなる。
無事にホテルに送り届けられて、22時前、シャワーも浴びず寝る。
8月22日(日) 東京→大阪
うーん、しんどい。
二日酔いなのか夏バテなのか、判別ができない。こればっかりだな。
ノートパソコンというか工人舎の「SX3KX06MAD」を持ってきてるのだが、何かやろうという気分にもならない。
この暑さでは、都内をウロウロする気分にもならず、東京駅に直行、午後、穴蔵に戻る。
エアコン・フル稼働で昼寝。
専属料理人はまだ実家から戻らず。
夜は枝豆、ヤッコ、トマトスライスでビール。ぶっかけうどん作って仕上げ。
明日からまたも収監、早寝するのである。
8月23日(月) 大阪→播州龍野
午前5時に起きる。
うーん、しんどい。
二日酔いなのか夏バテなのか、判別ができない……日が2、3日つづいたが、ちゃんと判別できた。
暑さで睡眠不足であり、専属料理人の不在もあって食が偏り、あっさりしたもの少量しか食べてない。したがってスタミナ不足で、これは夏バテである。しかし水分補給しなければいかんから、ビールを盛大に飲み、寝苦しいから、睡眠導入剤代わりに焼酎かワインも盛大に飲む。
ようするに夏バテと二日酔いの併合症なのであった。
フラフラ状態で梅田まで歩き、6時始発の電車で播州龍野へ移動する。
しばらく下男モードに入る。
門柱の横に凌霄花が開花している。
毎年6月末頃に咲く(昨年は6月29日)から、今年は2月近く遅い。
ただ、猛暑の影響とかではなく、昨年の植木剪定の時に根元から切ってしまったからであろう。
凶兆かと心配していたが、まあよかった。
室温の推移。
10時の書斎は33℃。
午後には35℃。
1階の座敷を解放して寝転がるが、やっぱり35℃。
19時、2階の書斎は34℃。嗚呼。
21時過ぎても34℃。
さあ、どう眠るべきか。夜遊びするにも外は真っ暗。ただいま21:20。嗚呼。
8月24日(火) 播州龍野の日常
しんどいのであった。
昨夜のアルコールは控え目にしたので、やっぱり眠れず、本日はふつうの夏バテであろう。
某医院へ老母を定期検診に連れて行く。
9時前におれがひとりで行って診察券を出し、人数を確認して10時半に連れて行ったのに、11時半になっても呼び出しなし。気を遣いつつ訊ねたら、順番を無視されていた。要するに放置。嗚呼。
帰ることにして老母を医院から連れ出しかけたら、受付の女性から「次に呼びますから」といわれる。
かなり迷う。
老母の疲労を考えると、おれとしては「もういい」気分なのだが……診せずに連れ帰って何かあれば身内から何をいわれるかわからんし……相当迷ったあげく診て貰うことにしたが、それから30分かかり、精算が終わったのはさらに30分後。医院を出たら12時半であった。
老母に「医院へ行くのをやめるか」と訊けば「行かない」というに決まっている。
おれも、歩くのが辛いのに無理して連れて行く(さらに今日みたいに1時間半も狭いシートに座らせておくのは)のは可哀想になる。
もういいのではないか。
それを誰が言い出すのかが問題なのだが。
身内と相談はするが、おれは医院担当から降りることにしよう。
世間によくある(ことが最近になってわかったわけだが)ように、ふらっと出ていって20年以上行方不明ってのは最高であろうなあ。うらやましい限りだ。
と、午前中の1時間を「無視」されたことで、おれは相当イライラしているのである。
19時の夕空。
ふつうの夕雲と積乱雲が並ぶというのも不思議。わが心象風景なるや。
雲は見えるが雨は降らず。
庭に散水。
ビール飲んで寝るのである。たぶん眠れないけど。
8月25日(水) 播州龍野の日常
やっぱり眠れないのであった。
午前2時に目が覚める。3時間ほど眠れたのは幸いか。室温32℃。
外が異様に明るい。月も未練な13夜? 朝涼みを兼ねて揖保川堤まで行ってみる。
少しは涼しい。人の気配は皆無。
どの家もエアコンを持ってはるのだなあ。
エアコン無能の陋屋に住まねばならぬ身の上、哀しきばかりなり。
夜が明けて、あとは終日下男仕事。
22時前に寝るのである。
4時間眠れれば幸いである。
8月26日(木) 播州龍野の日常
秋になった。
おれは感覚的にそう思う。
午前5時に目覚める。室温31℃。これは快適である。
雑事色々。
昼の室温は34℃。昨日より1℃下がった。
午後はタイムマシン格納庫にて仕事あり。ここは39℃だが、快適な汗を流す。サウナみたいなものよ。
菅(無能)内閣のおかげでひどい円高にもかかわらず、某国よりのタイムマシン発注が確定しそうで、アホ菅よりも海原かなた師匠に感謝すべきだろうな。
ということで、夜は盛大にビール。
21時、書斎は31℃。
一日を通して、気温は昨日から明らかに1℃さがった。
この1度差は、おれには決定的に快適なのである。
秋は来ぬ。
キンタマ収縮の晩秋はもうずぐで、気が滅入るが、ま、残り少ない晩夏、本を読みながら眠ることにする。
8月27日(金) 播州龍野→大阪
おお、目覚めれば午前4時。6時間眠れた。室温は31℃だが、そろそろ初秋である。
朝から張り切って下男仕事。
助っ人来たりて交替。
昼前の電車で大阪に移動する。
久しぶりに穴蔵に戻る。
エアコン全開、雑事の処理。
至福の時間であるなあ。
夜は、専属料理人が帰阪しているので、洋風中心に色々並べてもらってビール、ワイン。
枝豆、しらすとオクラの小鉢、イカ・ボイル、トマトなどのサラダなどで、出たばかりの「秋味」1缶、あとはパンと白ワイン。
夏バテで食が細っているから、あまり食べられず、カジキのなんとかなど2皿は明日に送る。
色々読みたいのがあり、枕頭に積み上げて早寝するのである。
8月28日(土) 穴蔵/創サポ講義
終日穴蔵にて雑事の処理。
夕刻這い出て、地下鉄で天満のエルおおさかへ。
その前にちょっと南の「EXPO CAFE」の前を通る。
エル大阪には、この10年ほど月1ペースで来ているが、こんなに近いところとは知らなかった。
本日は時間がないのでパス。次回に覗いてみることにしよう。
18時〜創作サポートセンターの講義。
専科の提出作品4篇、それぞれに面白い。
おれなりに要約すると、
・裁判を民営化したような制度が実施されて、正体不明の「代理人」に追われるサスペンス。
・ある仇討ち事件を詮議し切腹を命じた奉行のもとに黄表紙が届くが、そこには酷似した百年前の仇討ち話が……
・通勤バスの席取り合戦をユーモラスにスケッチして、唐突に宇宙人オチで終わるショートショート。これは普通に読めば禁じ手(宇宙人オチ)だが、F・ブラウン「闘技場」に代表されるような「平凡な人間に人類の命運が託される」パターンの逆視点と読めるのである。
・マクロ経済学をベースに日本経済が極端から極端に振れる多元宇宙もの。おれには、バブル再来で「荒木師匠」が再登場するというギャグだけがわからなかった。
それぞれに面白いが、作者が優れたコンセプトに自覚的でないところがあって、その指摘がメインになった。
20時過ぎまで。
遅い晩酌。ビール飲みつつNHK『追跡! A to Z』で「はやぶさ奇跡の帰還劇」を見る。
感動的であるなあ。
8月29日(日) 穴蔵/阪神・久保の笑い?
終日穴蔵。
正確には、11時頃に本屋へ行こうかとオモテに出たのだが、猛烈な日射しで、とても歩けたものではない。
30メートル歩いて引き返した。
あとは雑事の処理、いろいろ読んだり聴いたり。
夜は専属料理人に「あっさり系」(枝豆、青菜の煮浸し、山かけ、肉豆腐、わさび漬けなど)並べてもらってビール、冷酒(静岡の喜久酔)を飲む。
20時過ぎ、ボンクラ息子その1から写メ「勝ってるで」……神宮球場の3塁側にいるらしい。
おれも家人がBSで阪神ヤクルト戦を見ているので、見ていた。
久保という投手の「笑い顔(に見える)」に興味を持った。これは昔の湯船の顔に似ている。
緊迫した場面でなぜ笑い顔(に見える)表情を浮かべるのか。
これについては某法廷で目撃した、人間のクズ・今岡清とかカス弁護士・堀敏明の表情との類似(ベクトルは逆)を想起するのであるが、その考察は後日に述べることにする。
阪神ボロ勝ちの様相。先日ボンクラ息子その1が行った東京ドームでは惨敗だったらしいから、結構なことではないか。
おれは早寝するのである。
8月30日(月) 穴蔵/ウロウロ
朝のニュース番組(民放)を見てたら、民主党の代表選騒動に関して、ある政治評論家がこんなコメントをしていた。
「小沢さんの要求は仙石さんと枝野さんの解任でしょうが、そうなると菅さんは『裸の王様』になってしまいます」
「裸の王様」という表現が3回ほど出てきたが、使い方がちがうだろう。
取り巻きを排除したら「裸の王様」ではなくなるんだよ。
菅はすでに「裸の王様」になってるよ。
某政治評論家は、子分を失って「手足をもがて」「徒手空拳」状態になるといいたいのだろうけど。女子アナならともかく、ええ年こいたおっさんが。官房機密費もらうとこうなるのかね。
午前9時……正装して(といってもノーネクタイ、上着なし)市内の数ヶ所をウロウロする。
タイムマシン関係の業務なり。
午後、穴蔵に戻り、麦茶500ccほどを飲む。
いかん、疲れやすくなっている。
CD版『インスピレーション&パワー』を聴きつつ、ぐたーーーーッとして過ごす。
1973年のフリージャズ。山下洋輔トリオや吉沢元治のベースソロはやはりいいが、当時すでに袋小路に入りかけてたのも。37年前だものなあ……。
ということで、夜は本日もあっさり系メニューでビール、「神の河」ロック。
早寝するのである。
8月31日(火) 穴蔵/ちょっとウロウロ
本日も炎天なり。
こんな日は穴蔵で聴いたり読んだりで過ごす……つもりであったが、タイムマシン関係がことが動き出して、メールや電話連絡以外に色々動かねばならなくなった。
午後、郵便局、某行、某社などウロウロする。
えげつない日照りである。
帽子なしで薄い頭髪では、これは危険である。
この暑さを、荷風散人はおれと同年の時にどう表現していたか。
『日は焼くがごとく照り渡りたれど、涼風颯々として庭樹を鳴らし、空には白き雲層をなして動きゆくさま、既に立秋後の空模様なり』(断腸亭日乗1944)
うまいなあ。
大阪は雲も風もなく、ただ日は焼くがごとく照り渡っているばかり。嗚呼。
夕方のニュース。小沢はやっぱり総裁選に出るという。面白くなるぞ。
夜は専属料理人に並べてもらった、煮込み、サラダ、タコとキノコのなんたら、その他でビール、ワイン。
早寝するのである。
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