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6月3日(火) 穴蔵
雨。肌寒い日である。コタツを片づけたのが悔やまれる。
終日穴蔵。
本を読み、時々テレビでニュース。
長島茂雄が死去。3日6時39分、肺炎で。89歳。
ニュースは当然こればっかり。たしかに備蓄米も韓国大統領選も、どうでもええけんね。
先日来「穴蔵で読書」という記述が多いが、「大著」2冊を読んでいるため。
本のことは(当然)読み終えて書くのが原則だが、いつになるやらわからない。
1冊についてはこちらに書いているが、もう1冊(正確には前後篇2冊)について、以下に書いておくことに。ともに少しずつ読むつもりだから、読了まで最低あと数ヶ月かかりそうだから。
川本三郎『荷風の昭和』前篇・後篇(新潮選書)
『荷風と東京』と並ぶ川本三郎氏の代表作。
というよりも、時間的にも空間的にもこちらの方がスケールが大きく、荷風の評伝としても研究書としても、今後、日本の代表的な著作となるだろう。
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わが自論だが、日記文学は著者と同年の時に読むのがいちばん面白い。このことは【断腸亭の呪縛】で書いている。
高齢者が同年で読める日記は限られていて、長期にわたって読める日記は「断腸亭日乗」だけである。
私は還暦以降、摘録を手元に置いて、折に触れて読んできた。
川本氏の「波」連載開始は2018年で73歳の時、しかも東京在住で、『いまも、君を想う』にあるように、2008年から独居生活。荷風の晩年(79歳)に重なるところが多いのである(そのことは後記でも触れある)。それだけに、研究者の誰よりも荷風の生活感にも迫っている。
じつはこの連載、後半を読んだだけで、全体像は今回の出版を待っていたわけだが、到底一気読みできるものではない。
荷風の足跡(東京のみならず疎開先まで)も、著作と影響した他の作家の作品や映画・舞台なども、その時期の事件や政治状況についても、徹底的に調査されていて、その記述の密度が恐ろしく高いのである。
例えば……
・晩年の「毎日のように浅草へ通う」経路。これは興味あるところだった。
半藤一利氏は「家を出て、京成電車で押上へ。そこからバスか都電で浅草へ赴き、逆のコースで帰宅」と書く(『永井荷風の戦後』)。
川本氏は「京成八幡から京成関谷で降り、向かいの東武牛田駅で東武電車に乗り換えて浅草へ」のコースを加えている。
八幡から銀座へ出る時は省線だし、浅草からの帰路もタクシーを利用したり、複数あったようだが、脚の弱った晩年は関谷・牛田経由が正解だろう。
・「日乗」の日付けの上に頻出する「・印」について。
川本氏の私見は、「一般にいわれていること」ではなく「別解釈」である。その根拠として、森鴎外、三島由紀夫、筒井康隆の作品を挙げて論じている。これまた説得力のある新解釈である。
上記のふたつ、ともに半頁ほどの記述に過ぎない。前後2冊で1000頁以上、全編がこんな密度で書かれている。一気読みできない事情がおわかりいただけると思う。
「日乗」は大正6年から書かれ始めている。川本氏は、「荷風の昭和」の起点を関東大震災(大正12年)としている。ただし「日乗」に付された「自伝」に倣って「作家になるまで」の章がはじめの方に記されていて、評伝としての構成もきちんとしている。
まだ前篇の数章。全体の感想は当分先になるが、ともかくこれから楽しみながら丹念に読み進めることにする。
6月2日(月) 穴蔵/ウロウロ
晴。好天なり。
午前中、居住する集合住宅が水道メーター交換工事で断水のため、外出することにする。
梅田へ。ATMなど回り、大阪駅周辺うろうろ。平日の午前中だから空いている。
デパートの食品売り場にのみ、所々行列あり。まさか備蓄米ではないと思うが。
ついでに散髪もする。2ヶ月ぶりか。発育が遅く絶対量も少ないので、ほとんど変わらない。
ジュンク堂(堂島)に寄ったあと、堂島地蔵堂にお礼参り。
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以前何かお願いしたような気がするからてある。
国道を東へ。梅新からお初天神を抜け、新御堂を北へ歩いて、昼前に帰館。7500歩ほどになった。
午後は穴蔵にこもる。
6月1日(日) 穴蔵
目覚めれば6月であった。梅雨空の予報が薄曇、昼前から晴れてくる。結構な天気ではないか。
ゴミ出しに出たら、狭い花壇に紫陽花が開花していた。
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やはり6月であった。
終日穴蔵。本を読み、時々テレビを見て過ごす。
・『馬鹿が戦車でやって来る』(1964)。前に(60年前!)に見た時から、戦車の暴れ方がスラップスティクではないなと、笑えなかった記憶だけ残っていたが、今見ると、田舎の風景描写が見事なのに驚く。日本からこんな風景が失われてしまったからか。
・備蓄米のニュースはもういい。
・今日(6月1日)から懲役刑と禁錮刑が「拘禁刑」に一本化されるという。知らなかった。
その昔「懲役30年の禁固刑」というヘンな刑が出てくるSFがあったが、もう心配することないか。
しかし『懲役十八年』とか『懲役三兄弟』なんて映画も作られなくなるのは寂しいな。「おれは拘禁20年だ」と凄んでも迫力ないからなあ。
5月31日(土) 創サポ講座
一昨日までは雨の予報だったが、曇。落ち着いてよろしい。
終日穴蔵。本を読んで過ごす。
夕刻這い出て、地下鉄で天満、CANVAS谷町へ。
創作サポトートセンタ―の講座。
本日は半?公開講座があって、一聴講生としての参加させていただく。
玖馬巌さんと木下充矢さんの「星新一賞受賞者対談」
ともに第11回星新一賞の優秀賞受賞者で、当講座の木下さんが玖馬さんに声をかけて実現した。
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演題は、「書き続けるには?」― "小説=ソフトウェア仮説"をめぐるあれこれ ―
創作講座だから、いかに書くかがテーマである。
おふたりは、世代は違うがともに勤務しながらの執筆で、仕事はソフト開発と共通している。
勤務とSFの両立、いかにモチベーションを維持しつつ書き続けるかという話になり、その方法のひとつとして紹介されたのが(玖馬さんが実行しているらしい)「ソフトウェア仮説」である。
仕事でのソフト開発の方法を小説に転用する考え方で、これは面白い(昔かんべさんが書いた「広告屋的SF作法」を思い出した/これは自己確認のためのエッセイだったと思う)。
ソフト開発手法も進んでいて、「ウォーターフォール」型は古典的で応募小説に適し、「アジャイル」型はWEB小説に適するなど、初めて知ることも多い。
ただ、この方法は誰でも使えるわけではない。専門家だから、その方法がすでに血肉と化しているのだろう。当講座の皆さんもそれはわかっていたようだ。わがアドバイスとしては、自分の専門が何かを確認して、その領域での方法をいかにSF(小説)に転用できるかを考えることが大事。それは、SFでの努力が会社の仕事のスキルアップにもつながる可能性もある。
内輪の講座なので、両氏に会社での拘束時間、SFを書いてることを周囲はどの程度知っているのか、それに対する評価(評判)はどうなのかも質問したが……ここでは書かないでおこう(本講座はどこかに公開されるかもしれない)。基本的にはわが勤務時代とそう変わらないようだが、在宅勤務の影響は大きいようだ。
あと、軽く飲み会……にも参加したかったが、やはり「つい飲み過ぎてしまう」危険性あり、終了後おとなしく帰館する。
色々刺激を受けた一日であった。
5月30日(金) 穴蔵
ややこしい天気である。
いや、曇時々晴れ間もある、過ごしやすい日である。天気予報がややこしく、昨日は「雨」だったのが、本日も「傘持って出ろ」の繰り返し。ま、大阪府のどこかで俄雨かもしれんけど。
終日穴蔵の予報予定だったが、午後、1時間ほど散歩。
おや、西公園の南側にラーメン屋がオープン? 店名が「うまそうなラーメン屋 ジャンク店」?!
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ここはウナギの「菱や」だったはず。まずくはないが名店ともいえず、ウナギの値上げは無理だったのだろうな。
しかし、このラーメン激戦地に「うまそうな」「ジャンク」で参入とはなあ。閉ざされたドアもラーメン屋には見えない。ちょっと先の「内装だけで目立とうとした」うどん屋(昨秋オープンした「誰も見たことのないうどん屋」ご参照)が案の定閑散としているというのに、今度は名前だけ目立つ店名で勝負か。
どうなりますやら。ま、健闘を祈る。
5月29日(木) 穴蔵
曇。昨日と一転、梅雨が近いのであろうか。
終日穴蔵。
眼下の市営廃墟で昼寝しているトラを眺めて過ごす。エサは十分なのであろう。
トラたちとこちら、どちらが生産的なのか。
向うは眠って体力温存、こちらは起きてそれを眺めているだけ。
トラたちを見習わなければいかんな。
たちまち夕刻。専任料理人が鯵フライなど標準的安酒場メニューを並べてくれた。
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しかたなく、少しばかり液体をいただく。こちらもエサは十分である。
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