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10月19日(月) ハチママ通夜
 午前7時にとつぜんボンクラ息子その1が帰ってきた。
 父親骨折と聞いて夜中にクルマで走ってきたという。
 おれを見て「なんや、普通に歩いてるやないか」。
 連絡が悪いのではないか(誰とはいわんが)。
 PC広げて断続的にオンライン会議を始めた。
 変則的休日ということらしいが、よくわからんなあ。
 しかし、便利でもある。
 夕刻、長柄の北斎場までクルマで送り迎えしてくれた。
 ハチママの通夜である。
 大ちゃんはじめ、ハチの古株数氏と挨拶。山下洋輔さんも来られていた。
 新コロナ下、故人を偲んで一杯というわけにもいかず、おとなしく迎えのクルマで帰宅する。

10月18日(日) 穴蔵
 早寝して6時間熟睡できた。久しぶりである。
 10月の生活パターンを取り戻して、終日穴蔵にて過ごす。
 ただし、長時間同じ姿勢で座っていると片脚の血の巡りが悪くなりそうで、時々立ち上がってストレッチしたり近所の公園を散歩したり。
 主な作業は入院中のメモのデジタル化である。
 半朦朧状態で書いた「尿管接続時の尿意を解消する方法(特許検討)」というのがあった。
 尿管使用中に尿意がつづくのは、チューブが「先」から太腿を越えて「収納袋」につながっているから、太腿部分までの尿がサイフォンの原理で作用して膀胱に逆方向から圧力をかけるため。これを解消するために……という意味のメモがある。
 これは看護師に「落差で落ちてますから」と否定された。ただ、体を動かせないから、現物を確認していない。尿管を引き抜いたあと、尿意がなくなったのも事実である。
 もう少し調べてみるか。朦朧状態だったから、案外いいアイデアかも。
 たちまち夕刻。
 本日も色々並べてもらってちょいと一杯。
 昆布キムチなど入れたネバネバ小鉢が出てくる。
  *
 病院食では絶対に出てこないメニューだな。

10月17日(土) 生還と訃報
 ほとんど眠れぬまま病室にて朝を迎える。
 昨夕「出所」できたはずが、なぜかひと晩足止めとなり、午前10時頃やっと「計算書」が届いた。
 1階に降りると専属料理人が待機していた。
 支払いを済ませ、表に出る。
 17日ぶり、10月になってはじめてシャバの空気を吸う。
 雨で肌寒い。11月下旬の気温といってたが、確かに「入所」時の服装では寒い。
 知らぬ間に秋は過ぎていたのである。
 タクシー拾って10分で帰館。
 穴蔵に戻る。
 荷物を整理してたところに電話あり。
 ハチのAマスターからである。
 なんとハチママの訃報
 以前から老人施設に移ったのは知っていたが、転倒して大腿骨骨折、入院中に肺炎併発して、昨夜8時頃に亡くなったという。
 入院先は?と聞いて愕然。
 おれが2週間いたのと同じ病院ではないか。ずっと同じ建物で生活していたのか。
 昨夕退院できるはずが、なぜかひと晩延びてしまった。
 ひょっとしてハチママが引き留めていたのか……
 複雑な気分である。
 夜、専属料理人が準備してたので、祝杯を献杯に変更する。
  *
 紫頭巾、翁豆腐の湯豆腐、刺身、天ぷら、サラダなどでビール、ワインを少しばかり。
 ともかく今夜は眠ることにする。
※ハチママの通夜・葬儀についてはこちらを。

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The October Country
 10月1日〜16日

 10月になったとたんに、とつぜん神隠しにあったようなものか。
 世間からは神隠しに見えたのではないか。
 とつぜん異世界に連れ去られたのだから。
 October the first is too late.
 ちょっと違うか。手遅れにはならず、何とかヨレヨレ状態で生還できたわけだし。
 ……などと書き出したが、思わせぶりはいかんな。
 本WEB、10月前半(1日から16日)にブランクが生じた。
 ブランクのままでもいいように思うが、日頃埒もないことを書き散らしていながら、都合の悪いことは伏せるのはいかん。むろんウソもいかん。
 さりとて詳述する内容でもなし。まあ、適当に事情を書いておくことに。

 10月1日
 穴蔵で転倒した。つまらん転倒である。(→以下、こちらにつづく)


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