『マッドサイエンティストの手帳』343
●マッドサイエンティスト日記(2005年7月前半)
主な事件
・穴蔵の日々(1日〜)
・滝川雅弘 plays Benny Goodman(3日)
・播州龍野の日常(11日〜)
7月1日(金) 播州龍野→大阪
やっと梅雨空である。
早朝、ゴミ袋を下げ、傘を差して、田舎道を歩くのであった。風流だなあ。
午後帰阪。
夕刻、かんべむさし氏、来穴蔵。
週末の一刻、ビール飲みながら雑談。
かんべさん、月〜金の帯番組を持っていると、金曜午後がいちばん気分が解放されるとか……いいながら、何かが話題になると「忘れないように」と、箸袋を破ったり爪楊枝を折ったりしてポケットに入れる。これは「記憶術」の要諦で、あとでそのテーマを調べるためのメモがわりだとか。「仕事」が全然アタマから離れてないではないか。
帰阪した夜のメニューはおれが龍野では作れないものと決まっている。
3皿のひとつが鰹のタタキ。鰹の切り身がバカ安だったので、専属料理人自らタタキにチャレンジしたのだという。なかなかの出来映えと、一応誉めておこう。
これで冷やした「呉春」一献。この組み合わせは今シーズン初である。
7月2日(土) 穴蔵/兄弟朝ビール
田舎疲れである。
定刻4時に起きて朝刊・朝食という朝の儀式のあと、また眠り続け。
10時前に兄からの電話で飛び起きる。
梅田に来ているのであった。メール連絡があったのに気づかなかったのである。
あわてて大阪駅まで自転車で駆けつける。10分ちょっとで行けるところがすごい。
兄、「生ビールが飲みたい」という。
久しぶりに大阪駅の「樽亭」へ。
4年ぶりくらいかな。この一角では今や老舗である。競馬開催日というのに空いている。
おれはともかく、マジメな兄貴が「朝ビール」とは珍しいが、フランスから帰ったばかりで、「あの国は、ワインは水がわりだが、ともかく旨いビールがない」という反動らしい。
1時間半ほど雑談しながら兄弟で朝ビール。
若貴兄弟とはえらいちがいである。けだし兄がマジメ弟がフマジメという組み合わせの方がいいのであろう。
前野隆司氏の「受動意識仮説」は注目すべき理論であるというレクチャーを受ける。
一種のパラダイム・シフトと思うが(「心の地動説」とはうまい)、具体的な検証の手順はどうなるのか。
まだアタマが働かず、これからチャレンジである。
昼前に、播州龍野に向かう兄と別れ、穴蔵に戻る。
夜まで、またも寝転がったまま、半睡状態のまま過ごす。
7月3日(日) 穴蔵/韓国朝食/滝川雅弘/菊地成孔
わ、午前2時に目が覚めた。昨日、昼寝のし過ぎである。
しばらく机に向かうが、ちょっと空腹。自転車で早朝の梅田に出かける。
大阪駅を抜けて桜橋へ。
見知らぬ方からメールで教えてもらった「まん馬」へ。早朝に韓国料理が食べられるのはありがたい。
日曜の未明は人通りが少ない。
朝5時の地下街も覗く。
空調はまだ動いておらず、熱気がよどんでいる。ディアモールの五叉路、スニーカーで歩いても自分の足音が反響する。この時間、スケボーで走れば面白そうだが。
あとは終日穴蔵。
昨日から急に気温が低下したら、専属料理人、たちまち風邪を引いてしまったという。
昼も「まん馬」でもいいのだが、雨足が強くなり、外出は面倒である。
龍野から戻っても昼は自炊である。困ったものだ。
夕刻、穴蔵を出て、阪急武庫之荘、「ライブスポット・アロー」へ。
「Benny Goodmanの曲中心のLive」で、出演メンバーは、
滝川雅弘(cl)、鍋島直昶(vib)、畑ひろし(gt)、八木隆幸(p)、中村尚美(bs)、東敏之(dr)
これは現在関西で考えられる最強メンバーではないか?
ほぼ同じメンバーでは、2003年7月6日にグッドマンの生誕90周年ライブがあったが、滝川さん、今や絶好調だものなあ。
雨が本降りだが、まずまずの入り。……静かな住宅街のライブハウスだが、がんばってるんだなあ。
「桜の庄兵衛」の奥野さんご夫妻らといっしょのテーブルになる。他にも知り合いちらほら、滝川さんの新CD(これについては別項予定)発売記念と、国際クラリネット・フェス出演の壮行みたいな雰囲気である。
アヴァロンから始まって、シング・シング・シング、アンコールのムーングロウまで、2ステージ、グッドマンのお馴染みのナンバーを堪能。
ただし……滝川さんは基本的にバッパーだし、鍋島さんも(精神的にはもの凄く若い)ミルト・ジャクソン派、モダンな感覚を備えたメンバーばかりだから、そのアドリブはきわめて斬新。特に「シング・シング・シング」では、東さんのドラムをバックに、それぞれソロが回されたが、タムタムのリズムがなければ原曲はわからないほどモダン。鍋島さんの抑制したフレーズが素晴らしい(さすが「葉隠」鍋島藩直系である)し、最後の中村さんのアルコに至っては感涙ものである。
このメンバーで、8年後には「グッドマン生誕100年ライブ」を聴きたいものだ。
鍋島さん、元気でいてくださいよ。
ということで、満ち足りた気分で帰館。
今日のニュースは……とテレビをつけたら、なんと菊地成孔さんが出ている。
「情熱大陸」という番組で、が菊地成孔の生活に密着してのドキュメント。始まって10分ほどのようである。わかってたら録画してたのだが。
パンツなしで着替える場面も面白いが、ああっ、そうだったのかと納得したのは、故郷・銚子の「菊地食堂」の写真である。
『スペインの宇宙食』の冒頭で漁師とヤクザが喧嘩する場面、あの「現場」のイメージがいまひとつ掴めなかったのである。
写真を見て氷解。流血騒動が日常茶飯事であった雰囲気もよーくわかった。
もう深夜である。
韓国料理にはじまりスペインの宇宙食で終わる、波乱の一日であった。
7月4日(月) 穴蔵
朝刊の広告。
週刊ポスト「「靖国A級戦犯」を東郷神社に分祀−内政干渉を断つ新構想が急浮上」という記事、ほんまかいな。
「分祀」という言葉についてはオロモルフ博士の論考を読んだばかりだから、そんなことが原理的に可能とは思えない。
雨の中、ゴミ出しのついでに、近所のコンビニで立ち読み。
単に「東郷神社の宮司が、ウチに分霊してもいいと言い出した」という記事であった。そんなことやったらA級戦犯の参拝所を増やすのかと、また某国が因縁つけてくるのに決まっとるじゃないの。ややこしい記事載せるなよ。
雨が強くなってきた。
こんな日こそ穴蔵に籠もっていたいが、平日昼間に出向かなければならぬ用事数件あり、午前中、市内ウロウロ。
久しぶりに1時間以上歩いた。膝から下がびしょ濡れ。
午後は穴蔵。
CDを聴きながら、あまりアタマを使わない仕事をするのであった。
ロイ・ヘインズ『OUT OF THE AFTERNOON』をやっと全曲聴く。ローランド・カークのモンスターぶりはほとんど感じられず、フラナガンとのからみに格調まで漂うところが凄い。
引き続きフラナガンの晩年の『JAZZ POET』も。雨降りに部屋で聴くにはいい雰囲気……本日は雨足が強すぎるが。
寺井尚之さんの講座(本の方ね)がこれにたどり着くのはいつになるのか。
夕刻、ディープインパクトが放った砲弾がテンペル第1彗星に命中したというニュース。
興奮するなあ。
穴蔵上空は梅雨空であるが、遠い空の彼方では派手なドラマが展開しているのである。
7月5日(火) 穴蔵
わ、午前2時に目が覚めた。
早起きなのか不眠なのか、よくわからん。
もう少し夜更かしする方がいいようだ。
「若の相続放棄」……意外や意外。貴、振り上げた拳をどう下ろすのか、はたまた何か裏があるのか。
どうでもいい気分で終日穴蔵……のつもりであったが、冷たいソバが食べたくなって、昼過ぎにお初天神の瓢亭まで。
帰路、「ジャズの専門店ミムラ」に寄って、「TONY SCOT IN HI-FI」。紙ジャケなのでわかりにくかったが、ちゃんと置いてあった。さすがである。
ついでに、歌伴のクラがよろしいでということで、Rebecca Kilgore「Make Someone Happy」も。Bobby Gordonというクラリネットはまったく知らないが、なかなか。Gordonという名はテナー吹きとしか思えないが。
夜、某ライブを聴きに行くつもりであったが、夕方ビールを少し飲んだだけで、急に酔いが回り、眠くなってくる。
これはちとやばい。東浩紀さんみたいになってもいかんので、外出はやめる。
昨夜ビデオ録画しておいた『ピアニストを撃て』を観るが、これも途中まで。
早寝である。
7月6日(水) 穴蔵/以心伝心ふたたび/某紙取材
昨夜ちょっと夜更かし(23時頃まで)したら、きちんと定刻4時に目が覚めた。
わが「穴蔵」は集合住宅の廊下中程にある。
同じフロアにおれを嫌っている「以心伝心」男がいる。おれが嫌っていることをテレパシーで悟って、その結果、おれを嫌っているのである。
その男の部屋は端の方にある。
エレベーターは反対側の端にある。
「以心伝心」くんは、いつもわが「穴蔵」前を通過していく。
エレベーターを利用しようとしたら、廊下ですれ違う場合がある。
「以心伝心」くんが犬を連れている時はたいへんである。
そもそも、おれが嫌っているのはペット(犬)飼育のマナーの悪さが原因なのである。
それが嫌で、おれは極力、わが「穴蔵」前のらせん螺旋階段を利用することにしている。
つまり、こんな配置である。
【以心くん】−(廊下)−【穴蔵】−−(廊下)−−【エレベーター】
【らせん階段】
雨の日は困る。今朝は雨は降ってないが、らせん階段には、昨日の雨が、防水効果と構造の歪みを証明するかのように水たまりを作っている。
朝5時。
しかたなくエレベーターの方へ廊下を歩きだしたところに、犬の散歩から戻った「以心くん」がエレベーターから降りて出てきた。
その距離5メートル。もはや引き返すわけにもいかず。
早朝から廊下で殺気だったすれ違いである。
座頭市ファンなら『座頭市凶状旅』で、カツシンと北城寿太郎が階段ですれ違う場面をご記憶だろう。
あの緊迫感である。
朝から疲れることである。
こんな日はろくなことがない。
外出はいっさいやめて、終日穴蔵。
夕刻、高校生向けのフリーペーパーのインタビュー。
「今の高校生の未来生活予想」みたいなことをしゃべるが……。
「穴蔵」に来たライター、編集者、カメラマンの若さにびっくり。
3人とも大学生としか見えない。
写真は「仕事場の方がいい」という。まあいいか。本棚と机が占拠する隙間にストロボのスタンド2本をセッティングしての本格的な撮影。若い女性カメラマンだが、機材だけでも「海外旅行」みたいな雰囲気で、カメラマンも体力勝負なんだなあ。
7月7日(木) 穴蔵
「若貴騒動」について、週刊文春、週刊新潮、2誌の記事を検証する。
若の相続放棄で両誌の形勢も逆転した印象だ。
貴の「独占インタビュー」で圧倒的優勢だった文春、若の相続放棄という捨て身の技にどう対応するか、注目の大一番であった。
文春……貴の「苦しい言い訳」を支援。ほとんど意味なし。
新潮……若の相続放棄は、貴の借金を双子山が連帯保証しているからというもの。
この新潮が引いた「連帯保証」という補助線、見事にエレガントな証明というか、貴の理解に苦しむ言動までも説明できる説得力あり、すべてが氷解する。幾何学の難問が一本の補助線で証明される快感に近い。
「連帯保証」という仮定がホントとしてだけど。
うーん、新潮恐るべし。
ということで、穴蔵でボソボソと、少しは仕事もするのであった。
昼、銀行、郵便局に出かけたついでに、紀伊国屋書店・古典芸能コーナーで橋本喬木『落語のごらく』の帯を見る。「堀晃氏絶賛!?」のばかでかい文字に仰天、星さんの気持ちがわかってくるなあ。
星新一さんに、ショートショート集の帯に推薦文を書いていただいたことがる。
この本が出て、星さんがずいぶん立腹されていると聞き、戸惑った。
「星新一氏激賞!」という文字が著者名より大きくて、作者に失礼だということらしい。
おれはこれでうれしかったのだが。
で、「堀晃氏絶賛!?」というでかい文字を見て、うーん、なるほど、星さんはこんな気分だったのか、と。ま、この場合、作者がやっとるのだから、これでいいんだけどね。
午後も穴蔵にこもる。
ロンドンで爆破テロ? サミット狙いか。オリンピック誘致がらみでパリがやったのではなかろう。
「芥川、直木賞の候補」
今回のみ予想。
芥川賞はまったく知らない(読んでない)
直木賞 ▲絲山秋子「逃亡くそたわけ」 ◎恩田陸「ユージニア」 ○古川日出男「ベルカ、吠えないのか?」
絲山秋子受賞なら今の選考委員、たいしたものだと思うが、おそらく理解不能者が多いだろうな。
と、ここ数年、SF以外もわりと読んでいたので、こんな予想を書いた。これが最後。
7月8日(金) 穴蔵/腰痛
げっ、早朝にパソコンに向かっていて、立ち上がっただけなのに、腰がねじれた感じで、違和感を覚える。
背筋を真っ直ぐにしている分にはいいが、動こうとすると腰痛が走る。
動くのがちとつらい。
……ということで、終日穴蔵。
いい機会だから、ほぼ終日ごろ寝して、どういう訳か「三代目三遊亭小圓朝」を聴いて過ごす。
東大落研の「師」であったということは知っていたが、部員が自宅に通い稽古をつけてもらう、本格的な「師匠」と「通い弟子」の関係であったとは知らなかった。主に昭和30年代のことであるが。
晩飯の時に、専属料理人が腰痛について(腰痛持ちの友人から聞いた話らしいが)いうには、
・運動不足で筋力が落ちている(これはまあその通りだろう)
・腹筋と背筋のバランスが崩れて背骨に負担がかかる(なるほど)
・一般には、背筋をきたえる運動を紹介している例が多いが、腹筋が弱っている方が多い(へえ)
・寝ていて直る腰痛はありません(はい)
ということで、腹筋体操を教えてくれたが、面倒なことである。
ビールの量を増やせばいいのではないか。
腹が膨らみ、トイレに行って収縮する。これを繰り返せば原理的には腹筋強化になるように思うが……
7月9日(土) 穴蔵
夏至から20日も過ぎると夜明けが遅くなった。
曇っているとはいえ、朝4時半でも外は暗い。
もう秋の気配を感じるのであった。
終日穴蔵……のつもりであったが、少しは動かねばならぬ。
というよりも、動いている方が腰が楽である。
雨が降り出したので、穴蔵のベランダを水洗い掃除。
午後は小降りになったので、新十三大橋を渡り、歩いて十三往復。
播州龍野用の買い物である。
約1時間半歩く。
腰痛、少しましになった気分。
夜はビールによる腹筋運動。
だいぶ楽になった。
7月10日(日) 穴蔵/梅田
わ、午前1時に目が覚める。いくらなんでも、これは早起きというより不眠である。
しばらく本を読んでから、朝6時まで寝る。
午前中、穴蔵。
昼過ぎからネットで「肝付町」内之浦からのMVロケット6号機打ち上げ中継を見る。
Win98の限界かADSLの限界か混み合っているせいか、画像の動きが緩慢。
12:30の発射からブースター切り離しまで、画面が何度か猛煙に包まれたように見えるので爆発かとヒヤヒヤする。
結局、いちばん早く成功が確認できたのは「宇宙作家クラブ」での笹本さんの速報であった。
一応ほっとして、外出。
本日も歩くことにする。
梅田地下街、北端の三番街からほぼ南端のジュンクドーまで。
古典芸能のコーナー、橋本喬木さんの『落語のごらく』、4冊あって、仁鶴師匠の本より減っているぞ。
帰路、ヨドバシを覗く。
デジカメの売場の面積が大幅に縮小されている。携帯音楽プレイヤーとパソコンの売場が拡張されている。デジカメのブームは終わった感あり。
ヨドバシでは型落ちモデルの投げ売りのないのが寂しい。
日本橋へ行ってみたくなるが……明日からしばらく播州龍野。再来週以降の楽しみとする。
7月11日(月) 大阪→播州龍野
梅雨空なのであった。
早朝の電車で播州龍野へ移動。
姫路駅で、午前8時過ぎの姫新線、「山陽線の到着が遅れております。乗り継がれる方のために発車が○○分ほど遅れる見込みです」というアナウンス。
近くの連中。「最近、よう遅れるなあ」「マジメにやってんのやろ」
要するに「本線」はここんとこ遅れを無理して回復しない方針で運行しているらしい。
結構なことだが、ローカル線にもしわ寄せがくるのであった。
とういことで、数分遅れて梅雨空の播州龍野に降り立ったのであった。
おれは帰ってきたのであった。
老母の専属料理人に徹するのであった。
調理の合間(調理時間は1時間/合間は4時間以上)に粕谷一希『鎮魂 吉田満とその時代』を読む。
『戦艦大和ノ最期』については、他にも色々あり、2、3日かけて色々確認してみようと思う。
7月12日(火) 播州龍野の日常
曇天である。
実家で「下男」やりながら雑読。
体を動かしていると、腰痛はほとんど感じなくなった。
椅子も実家で使っている方が、座り心地も姿勢にもずっといいようである。
giroflexというブランドで、数万円のを格安で入手したもの。大阪の椅子と交換しようか迷う。
文芸春秋8月号。松井一彦「『戦艦大和ノ最期』60年目の証言」……先日、産経の記事(手首切り落としの記述について)で読んだが、朝日の天声人語の「引用の仕方」が問題らしい。この記述は説得力あり。
『戦艦大和ノ最期』は文庫でも読んでいるが、最初に読んだのは昭和27年に出た創元社版。こちら(龍野)の本棚のどこかにあるはずだが、出てこない。……兄が古本屋で買ってきたもので、読んだのは昭和33年頃と思う。
ただ、吉田満なき今となっては、発禁になった雑誌『創元』のと読み比べるのがいちばん正確と思うが、たぶん無理だろうな。
あと、千早耿一郎『大和の最期、それから』は未読なので、帰阪後すぐにチェックすることにする。
むしろ、ずっと気になっているのが、昭和28年の新東宝作品『戦艦大和の最期』である。
これはおれが小学3年の時で、「最期」を「さいご」と読めなかった。
ただ、こん映画のポスターはよく覚えている。猛烈な戦闘機の攻撃のなかを進む大和の姿があり、「全艦突進セヨ 全員火トナリ風トナリ 全弾打尽スベシ」といったキャプションが踊っていた。ものすごい海戦スペクタクルではないか……そんな記憶があるが、どこまで正確か。残念ながらこの映画は見ていない。ただ「全員火トナリ風トナリ」のフレーズは、散髪屋に貼ってあったポスターで覚えたのは間違いない。
どうも些細なことが気になってしかたがない。
7月13日(水) 播州龍野の日常
曇天にして、終日室温28℃を超えず、はなはだ快適である。
が、(たぶん15年以上使ってきた)電子レンジの具合がおかしくなった。
炊事もする「下男」としては、これは困るので、パートナーの某くんに頼んで「せいでん龍野店」に買いに行く。……老母でも使える同形式のはいちばん安かった。
ということで、東谷護『進駐軍クラブから歌謡曲へ』(みすず書房)を読む。
7月14日(木) 播州龍野の日常
ふだんより30分早起き、朝3時半に起きてテレビをチェック。
中継なしか?
4時過ぎに、ディスカバリーの打ち上げ延期と判明。
ちょうど朝刊が届いたので普通の日常に戻る。
曇天だが、やや蒸し暑い。
老母の米寿の祝いというのを近日早めにやろうということになり、雑用色々。
といっても田舎のことゆえ、本格的中華店以外、これといった店はなし。
座敷で折り詰めがいちばん無難な気がしてくる。
ということで、永井永光『父 荷風』(白水社)
を読む。
7月15日(金) 播州龍野→大阪
朝刊。直木賞に朱川湊人『花まんま』の記事。
わが予想は外れたが、この受賞にはまったく異論なし。むしろあまりのケレン味のなさに、目立たないのではないかと心配したほど。
朱川作品は昨年の『短篇ベストコレクション』に「いっぺんさん」が収録されている。
委員という立場でなければ、おれはふだん中間小説誌をほとんど読まないから、朱川作品も知らないままでいた可能性が高い。
朱川さんの短篇は昨年度で18篇あり、「花まんま」はむろんのこと、「摩訶不思議」「逆井水」「紫陽花のころ」「枯葉の日」など、どれも粒ぞろいの秀作だった。
その作風は「奇妙な味」と日本的の風土(それも懐かしい原風景)が見事に融合した雰囲気で、SFファンとしても、この受賞は嬉しいことである。
梅雨明けを思わせる日照り。
揖保川、釣師諸君がやけっぱちで流れの中に突っ立っておる。
鮎より多いんではないかい。
午後、帰阪。
千早耿一郎『大和の最期、それから』を読む。
『戦艦大和の最期』は、抄録など含めて8バージョンあり、その経過は詳しく書かれている。
「手首切り落とし」(救助された砲術士の述懐)は初稿(雑誌「創元」掲載予定だったもの)にはなく、昭和27年の創元社版で書き加えられている。
6年余の間にどのような心境の変化があったのか、また「救出消息」の章について指摘を受け、この章の記述が「事実」として流布しはじめている現実を知っていながら、なぜ「検討する」(私信)という役人答弁で終わったままなのか、作者亡き今となっては確認のしようがない。
雑誌「創元」の初稿は江藤淳『落葉の掃き寄せ』に収録されているらしい。これも後日チェックすることに。
ただ、6年後に「伝聞?」が追加されたことについては、作品の純度を落とした気がしてならない。
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