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『マッドサイエンティストの手帳』337

●マッドサイエンティスト日記(2005年5月後半)


主な事件
 ・播州龍野の日常(16日〜)
 ・穴蔵の日々(21日〜)
 ・滝川雅弘(22日)
 ・播州龍野の日常(24日〜)
 ・桂米輔35周年記念落語会(26日)
 ・穴蔵の日々(27日〜)


5月16日(月) 大阪→播州龍野
 定刻4時に目が覚める。
 4時半…夜明けの空からきれいな気配なので、デジカメ持って出てみるが、たいした空ではない。豊崎西公園、3軒並ぶコンパネ・ハウスは静かであり、段ボールハウスを持たぬ「石飛卓美似(←そっくりではない)」くんは植え込みに広げたシート横たわっているのであった。
 たいした絵にならないので穴蔵に戻る。
 早朝の電車(くどいようだけど姫路までは私鉄)で播州龍野へ移動。
 ちょうど、むさしくんの『朝ミラ』時間といっしょであって、心苦しいところ。
 朝9時に龍野着。
 しばらくは退屈な日々である。
 時間があるから、こんな時にこそ机に向かって……のつもりであったが、諸々のデータを納めたフラッシュ・メモリーを穴蔵のパソコンに付けたまま、持ってくるのを忘れたのであった。
 宅配便で送ってもらうのも心配だし。
 ということで、播州龍野での生活、情報、ゼロ払いである。
 せっかく「ニコニコ仮面」撃退用のデータを色々準備してたのに、苦戦を強いられそうな。
 龍野は快晴。
 午前中は書斎の室温18℃で、まだ冬である。
 ということで……
 田舎の夜は早い。
 老母の就眠にあわせて、そろそろ寝る用意である。
 ……これから水割り飲みつつ、LP2、3枚聴く贅沢くらいは許されようか。

5月17日(火) 播州龍野の日常
 寒い。朝4時の室温16℃。真冬である。
 トレーナーの上にフリース着用、ハロゲンヒーターで脚を暖めつつ机に向かうのであった。
 快晴で、屋外は暖かくなるが、室温は連動しない。昔「長老」から聞いた話では、ウチの屋根は、瓦の下側の「壁」が相当厚い作りらしく(したがって解体する時はものすごい量の土煙が出るはず)、直射光の影響はそう受けず、ただし気温はもろに利くのであろう。
 室温は輻射でなく対流で決まる。
 昔は、夏は涼しかった。近年は暑くて眠れない。平均気温が上がっているのであろう。冬はむろん寒い。……だんだん周囲が都市型環境になっていて、ウチの構造が古めかしいということであろう。
 住み難いことである。

5月18日(水) 播州龍野の日常
 午前2時前に目が覚めた。
 本日は雨の予報で、どよーんと曇っているらしく、室温20℃で暖かい。
 外気も同等なのであろう。
 播州龍野の午前2時の様相はいかに……と自転車で「散歩」してみることにした。
 
 旭橋の常夜灯を撮影。ともかく暗い。対岸の国道を時々クルマが走る程度。
 揖保川沿いに南下、国道に沿ってしばらく走る。
 コンビニと「すき家」が開いている程度。
 どう考えても「不審者」にしか見えないだろうな。
 どこかの神社へ行ったら「丑の刻参り」が目撃できるかもしれない……そんな雰囲気である。
 15分ほど走って帰宅。
 龍野での「早朝グルメ」なんてものはありえないことが判明したのであった。
 朝刊が届くまで雑読。
 あとは代わり映えのない日常である。
 エッフェル塔からの降下に失敗してパラシュート男が即死というニュース。
 気になるのが、次の一行。
 「塔からの降下は違法だが、自殺志願者を中心に年間数百人が飛び降りている。」
 ということは、2,3日見ていたら飛び降り(死なないのがほとんどのように読めるけど)が目撃できるということになるのだか……誰か見はった人、いてはりますか?

5月19日(木) 播州龍野の日常
 定刻午前4時に目が覚めた。
 なんと室温20℃ではないか。
 夏が近づく気配か。蛙の声を聞く。今シーズン初めてである。
 相も変わらずの日常……ただし、タイムマシン関係で、またも中国関係で動きある気配。
 かの国に対しては、こちらからは絶対に動かない。が、来る話は拒まず、である。
 夕刻、初秋を思わせる筋雲の上に白い月。
 ボケーと空を見る。
 
 夕暮れ近い月の傍を航空機が通過していく。
 意外に上空を通過していくのが多い。
 おれが上海や香港へ行く時に龍野の上空を飛んだ記憶はない。
 どこへ行く機体なりや。国内路線が増えたのか……
 早寝傾向が加速。
 ビーバップハイヒールなるのを一度見てみたいが、もう寝るのである。

5月20日(金) 播州龍野→大阪
 晴れている。
 たぶん五月晴れなのであろうが、アタマはボケーっとして春霞がかかったような気配。
 ボケが進行しはじめたのである。
 助っ人を頼んで、午後の電車で帰阪。
 夕刻、近所の医院へ。
 血圧は140-70で、少し暑くなったからこんなものか。
 安心して、夜は専属料理人の作ったスペイン風オムレツとかトマトのなんとか、その他色々並べて白ワイン。
 溜まっていた郵便物など読みかけて、たちまち眠ってしまう。

5月21日(土) 穴蔵/早朝グルメ/かんべむさし
 早寝したものだから当然ながら午前3時過ぎに目が覚める。
 4時前から早朝「散歩」に出かけることにした。
 自転車で梅田を抜け、本日は「老松町」を探検。
 近日「早朝グルメ」にアップ予定。
 この界隈、アメリカ領事館の裏手だから、深夜とか夜明け前にウロウロするのは妙に誤解されそうで嫌なんだよね。
 昼間新御堂筋のアメリカ領事館前を通るのも嫌である。「装甲車」から監視されているのも嫌だし、いつ爆弾で吹っ飛ばされるか、毎度緊張するものなあ。
 ま、それはともかく、色々な思い出のある暁暗の水晶橋を撮影。
  
 少し東へ。ライオン橋からバラ園を眺める。
 夜明け前のバラ園、不思議な雰囲気である。
 帰館5時過ぎである。
 あとは終日穴蔵。
 雑用が溜まっているのであった。
 生産的な用事はあまりないのであった。
 コタツの布団をベランダで干すのであった。
 大阪の穴蔵もやっと夏モード入りなのであった。
 ベランダの掃除をするのであった。
 犬の毛の多さに驚くのであった。
 夕刻に近い時間、ビールやつまみの用意をするのであった。
 午後5時に、かんべむさし氏が来穴蔵なのであった。
 堺市の地ビール「ハーベストの丘」なるのを持ってきてくれたのであった。
 『朝はミラクル』のことなど、色々聞くのであった。
 おれ(堀晃)の個人的意見であるが、「8時過ぎに武田鉄也が出てくるとラジオを切る」といったら、そういう人は結構いるらしいということであった。
 どうしようもない男(鉄也)なのであった。
 かんべ氏はパンクチャルであって定刻18:30に帰ってしまうのであった。
 夕刻ビールを飲んだので、軽い夕食で済ますのであった。
 もう寝るのであった。

5月22日(日) 穴蔵/三題噺/天保山/滝川雅弘
 午前は曇午後は雨という予報が、朝3時半から降り始めた。
 出かけたい用事が幾つかあったのだが、穴蔵にこもり、朝5時過ぎから桂雀々『代書』を見る。
 落語ついでに……
 高木喬木さんという方が『落語のごらく』という本を送ってくださった。
 「三題噺」を中心とする創作落語集なのだが……「三題噺」というのは自分で題を決めて作るものかいなと思ったら、これMIXIでの「日記」替わりの三題噺。それほど多いとは思えない読者相手に、お題を貰って落語を作るという日々の記録であった。さすがに一日一話は無理としても、3月足らずで36話とはかなりのハイペースだ。
 
 しかもタイトルに「ゴジラ・貯金箱・レンコンの天ぷら」とか「死人茶屋」とか「月息子」なんてのが混じっている。……最初のは桂吉朝の会の趣向で、小佐田定雄氏とかんべむさし氏、それにぼくの3人で作った時のお題である。もう20年以上前のこと。
 読めば高木さんは、これを聴いて三題噺に興味を持ち始めたのだという。
 「方程式」ものが出てきたり、SFにも相当詳しい人である。
 出来映えは……うーん、かなりバラツキあり。ちょっと苦し紛れもあるけど、あえてそのまま収録してあるところが値打ち。昔の『お笑いタッグマッチ』(といっても覚えている人は少ないだろうなあ)の雰囲気を思い出した。
 (ええっと、本の入手方法はよくわかりませんので、紹介した方がいいようでしたら、コメントしてください→橋本さん)
 雨がほぼやんだようなので、夕刻に近い時刻に穴蔵から這い出る。
 大阪駅まで歩き、ここから市バスで天保山に向かう。
 海遊館へ行くにはふつう地下鉄で大阪港へというのが一般的だが、おれは市バス88路線愛用者。
 旧川口居留地、大阪ドーム裏側などを抜けて観覧車前までの路線バスは飽きない。
 以前『路線バスの旅』(大阪篇)に寄稿したことがあり、これは好きな路線に乗ってルポを書く趣向。路線の割り振りは、何案か希望を出して編集部が調整する。
 おれが第一希望に出したのがこの88路線だった。
 が、この線はチチ松村さんに先に取られた。……聞けば「中学時代の同級生が運転手で走っているのに同乗する」というから、これは譲らざるをえなかった。
 なんてことを思い出しながら天保山へ。
 サントリー・ミュージアムの海に面した会場でみどり会のメセナ・コンサート。
 「Modern Times big Band」にゲストが滝川雅弘さん(cl)と、第5回神戸jazz vo コンテストグランプリ受賞者・北浪良佳さん(vo) 。
  
 ビッグバンドをバックに滝川さんのクラというのは久しぶりである。
 時間を勘違いしたため、着いたときには後半が始まっていた。
 「ルート66」熱唱。
 ふだんはベイシーなどがメインのバンドらしいが、最後は滝川さんをフィーチャーして「シング・シング・シング」、そして「グッドバイ」。
 また小雨になり、「夕陽の名所」の眺望はいまひとつである。
 帰りもルート88で大阪駅まで。……日曜の市内は空いていて快適である。

5月23日(月) 穴蔵/米朝事務所/呉春
 定刻……より少し早い午前3時に目が覚める。
 いかんなあ。だんだん早起きになっていく。
 本日も穴蔵でゴソゴソ。
 早朝に龍野方面から「電話していいか」というメール。「諾」の返事を送ると、電話がかかってきた。またも訃報である。
 年齢から考えれば早世ではないものの……。
 ボケーっと「朝ミラ」を聴く。
 午後は雑件あって市内ウロウロ。
 天満通過のついでに、桂米朝事務所に寄る。
 5月26日にワッハ上方である桂米輔さんの「35周年記念落語会」のチケットを購入。太融寺の会で求めればよかったのが、龍野行きの関係で日程が合わなかったのである。
 7月にはサンケイホール「ホンマに最後の」米朝一門会がある。前売り情報などもチェックする。
 米朝事務所から堺筋に出て北上、昔「軍」と「ポリ公」が衝突したので有名な交差点で右折、東にしばらく走って、Rが頭文字(ドイツワインのメーカー名である)の酒屋へ行く。
 確かに「呉春」特吟が置いてあった。
 価格は…池田の酒屋に頼んでいた時の2千何百円とはだいぶ違うが、ネットオークションで見る価格よりはリーズナブル。ま、久しぶりに一献もよかろう。
 帰宅途中で風雲急を告げる感じ。
 穴蔵に戻ったとたんに夕立である。
 呉春を急冷しておく。
 専属料理人に頼んで、夜は和風にしてもらう。
 冷やヤッコ、水菜の煮浸し、風呂吹き大根、山かけ、丹波のきさらぎ漬けなどで冷えた特吟一献。
 たまらんなあ。
 あさりごはんと吸物で仕上げ。
 明日から播州龍野。
 早寝である。

5月24日(火) 大阪→播州龍野
 いかんなあ。午前2時過ぎに目が覚めてしまった。
 午前2時の梅田散歩。……月曜深夜のつづきであるから、人通りは少ない。
 「早朝グルメ」店の営業状況をチェック。だいぶ様変わりしている。記事を修正する必要がありそうだ。
 扇町公園で十三夜の月を眺める。サッカーをしている一団がいる。
 夜が明けるのを待って、早朝の電車で播州龍野へ移動。
 タイムマシン格納庫で雑用色々。
 またも重慶方面からの話があるが、どうなるやら。
 中国に関しては、来る話は拒まないがこちらから働きかけることはしない、いっしょにやろうという話にはいっさい応じない。この10年はこれで徹底してきたけど、結果としては、この判断、正しいと思うぞ。
 たちまち夕刻。
 老母が炊事の大半をやってくれた。……健康上も、この方がいいみたいであるなあ。しばらくは食材買い出し役と後かたづけに専念するか。
 龍野の夜は早い。
 午後8時、周囲はほとんど深夜の雰囲気。
  
 午前3時の大阪の月と、午後8時の龍野の月。まるで逆のような……。

5月25日(水) 播州龍野/社葬
 午後、「赤とんぼ文化ホール」という龍野市でいちばん大きい総合文化会館のホールへ。
 親しくしていただいていた地元企業の会長だったK氏……などと伏せる必要もないか。
 極東産機株式会社の頃安会長の社葬である。
 本社が、わがタイムマシンの格納庫と道を挟んで向かい側にある。
 むろん規模は豪邸と犬小屋の差。ただ、会長室からはわが犬小屋が見えるので、おれがいるときに、時々雑談に来られることがあった。
 なぜこのように気さくに接していただいたか。
 タイムマシンに興味があったということもある。
 部品の外注先を紹介してもらったり、おれの大学同級生の会社と共同開発していることがわかったり……。
 それ以前に、わが両親が頃安夫妻の仲人をつとめたという関係で、長年、家族同士のつき合いが続いていたのである。
 苦学の人であり、インテリア関連の機器で小さな「ギヤー製作所」を業界でも指折りの優良企業に育てた経営者である。
 エンジニアとしては「生涯現役」で、70歳の時に「エイジ・パテントリー」(頃安さんの造語)を目指すと宣言、喜寿(77歳)までの7年間に77件の特許出願に挑戦するということだった。
 75歳での急逝……残念ながら、この記録は達成されなかった。
 
 財界関係の役職も多かったため、業界のみならず、参列者は多く、市最大のホールがいっぱいであった。
 「導師」として読経したのが、おれの小学時代の同級生Tくん。
 立派な僧侶になったというか、噺家といっしょで、五十を過ぎてから味がでてくる職業なのであろう。悪ガキ時代しか知らないおれには、ありがた味がいまひとつなのであった。
 頃安会長は西播磨テクノポリス計画にも関わっておられた。
 最後にお目にかかった時、「午後、テクノポリスへ行くから、スプリング8を見学したかったら、いっしょに来たら」と誘ってくださった。
 別の用事があったので、次の機会ということにしたのだが。
 残念。……ということで、おれはまだスプリング8を見たことがないままだ。

5月26日(木) 播州龍野→大阪/桂米輔35周年記念落語会
播州龍野。
 やっと早朝でもフリースを着込む必要がなくなった。
 午後、大阪へ戻る。
 夕刻、ミナミへ。
 ワッハ上方で「桂米輔三十五周年記念落語会」である。
 「20年目も30年目もやらんと、なんでこんな中途半端な年に記念会ですねん」(ゲストの南光さん)というのもごもっとも。
 歌やんが35周年を前に亡くなったものだから、追善的な意味もあるのであった。
 この会の露払い的月例落語会にあまり顔出しできなかったので、この日は最優先である。
 かんべむさし氏もむろん来ている。
 演題は……プログラムでは、米輔さん以外は演目がブランクになっている。
 桂まん我「寄合酒」
 桂米輔「兵庫船」……これは米朝師匠に最初に稽古をつけてもらった噺だという。
 桂米左……これ、初めて聞く噺。米左さんも風格が出てきたなあ。「禁酒番屋」とか「禁酒関所」というらしい。
 桂米輔「三枚起請」……これも米朝師匠仕込みの代表ネタ。
 (中入)
 桂南光……義眼を入れて早速女郎屋へ行くという、これは「入れ目なんとか」だったか「義眼」だったかな。雀三郎さんで聞いて、二度目である。上品な噺ではないが、好きだなあ。
 桂米輔「祝のし」……これは文枝師匠に習ったもので、追悼の意味も込められている。
  
 米輔さん、(アチラ関係の人にもの凄くもてる)可愛い少年の雰囲気だったのが、気がつけば髪が白く、品のある年寄りの気配が漂っている。
 芸風もこれからまた変わっていくのだろうな。
 いちばん得意な「踊り」の入るネタがないのがちと寂しかった。
 ウチアゲにも行きたいが、参加すると夜中までの酒盛り必至、こちらは遠慮して、会場に来ていたSFの友人と軽くビールということにした。
 
 精華小学校の向こう側に巨大メカ怪獣。
 ミナミの夜景はたまに来ると面白いなあ。

5月27日(金) 穴蔵
 終日穴蔵。
 少しは仕事もするのであった。
 専属料理人が一昨日から実家方面へ去った。
 冷蔵庫に詰め込まれた食材で何かをと試みるが、勝手がよくわからん。
 ともかく調味料とか鍋とか食器が多すぎるのである。
 結局、夜は豚肉とキャベツを炒め、トマトを切り、ビールを飲んで、素麺で仕上げ。
 ごくシンプルなもの。
 専属料理人、このまま帰ってこなければいいがなあ……。

5月28日(土) 大阪←→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 兄が来ていて、兄弟でいろいろと雑談。ちとややこしい相談も。
 「クルマを買うかどうか」という話も出るが、やっぱりやめる。
 なんでも「貧乏でもないのに自転車で買い物に行ってはる」という声が「ご近所」から聞こえてきたとか。……おれはいいのだが、某企業の役員まで務めた兄がボロ自転車に乗る姿は奇妙に映るらしい。
 これだから田舎は嫌なのである。
 自転車が、盗まれる心配のないレベルのママチャリであるのは事実。
 超高級車(自転車の)を買うかという話になりかける。もっとも、値打ちのわかりそうな人はいそうにないが。
 夕刻帰阪。
 夕刻の梅田、おそろしい人出である。
 ライブに行くつもであったが、いったん帰宅すると、外出する気力がなくなる。
 専属料理人は不在。龍野で買ってきた素麺を茹で、キムチやトマト、ハムなどをぶち込んで冷麺風にする。滝川雅弘さんの新CDの音源(ちょっと明かしてもいいと思うが近いうちリリースされる3枚目のCDである)を聴きながらビール。
 ひとりだとどうしてもメニューが淡白になる。

5月29日(日) 穴蔵
 午前3時に起きる。
 雑用片づけ。
 朝7時にボンクラ息子その1へモーニングコール。月末は忙しいらしく、今日も仕事という。
 明日30日に池袋で岡本喜八の『地獄の饗宴』が上映される。上京しようか迷っていたのだが、こんな状態の時に親父が映画1本観るために上京してきたとなると……と色々な事態を考慮して、上京は断念する。
 終日穴蔵。
 専属料理人不在につき、夜はひとりで調理。
 すべて冷蔵庫にある食材で……と、枝豆(冷凍)、ヤッコ、出汁巻、ソーセージを茹でてキャベツを刻む。これでビール。シンプルなものである。調味料は、醤油、塩、みりん、ケチャップのみ。わけのわからん調味料が多すぎて何がなんだかわからないためである。
 22時からFMで「セッション505」を聴きながら呉春一杯。
 本日は深津純子(フルート)カルテット。……ドラムが池長一美である。難波弘之の『A.P.J Labyrinthos』で際だった技量を発揮した俊才、「キャラバン」におけるドラムが素晴らしい。
 ということで23時になる。夜更かししてしまった。
 明日もモーニングコールをかける必要あり、早く眠らねば。

5月30日(月) 穴蔵
 図書館へ行くつもりであったが、市立中央図書館は2週間の蔵書点検期間の最中と判明、。困ったものだ。  専属料理人不在につき、「朝ミラ」を断続的に聴きながら、掃除、洗濯。
 あとは穴蔵にこもる。
 パソコンに向かうが、このところ、目が疲れる。
 どうでもいいことだが、目薬のCM、なぜ片目にだけさして両目がすっきりするのだろう。片方は義眼なのだろうか……と南光師匠の「義眼」を聴いて間もないものだから愚考するのであった。
 夜は和風シンプル・メニューのつもりで近所の食品スーパーで枝豆と刺身を買って「本宅」へ行ったら、ボンクラ息子その2が本格的中華メニューを調理中であった。
 双子山親方死去のニュースを見ながら日中友好の豪華メニューでビール。
 なぜか笑福亭福笑が演った『骨肉』を思い出すのであった。

5月31日(火) 穴蔵
 定刻4時起床。
 おれが好きなテレビ番組の第一は、早朝、番組放映前に町の景観をボケーっと映しているやつ。あれ、正式には何というのか。
 放映が24時間化してきて、これが減った。
 今や関西では関テレが早朝に「放映」しているだけではないか。
 おれはファンである。……時々わが部屋が映ることがあるしねえ(茶屋町アプローズが映る時に、その横に入る)。
 本日の「画面」……梅田グランドビルの定点カメラからにしては見慣れぬ風景。
 4:30頃、明るくなってきて、どうやら関テレ屋上から扇町公園の南側を映しているらしいことがわかってきた。
 このアングルは初めて見る。
 あとで確認に行ってみよう。
 本日も専属料理人は不在につき、朝は『朝はミラクル』を断続的に聴きつつ、朝食、掃除、洗濯。専業主夫(アホの今岡清の場合はヒモとかクズヒモとかいう)の生活というのはこんなものであろうか。
 月末である。
 色々な処理事項があって、「朝ミラ」終了後、自転車で梅田界隈ウロウロ。
 ついでに扇町公園にも寄る。
 関テレで朝見た景観はまさにここであった。
 扇町公園の南側、指定席「2番の石」で、ルン吉くん、朝寝している。
 午前10時である。
 
 気持ちよさそうな……。今がいちばんいい季節なんだろうな。
 5月1日と同じ場所。
 ここが冬までの定位置になるのかな。
 ちなみに、この番号の記された石……これは以前ここにあった「扇町プール」のスタート台であった石がモニュメントとして残されているのである。
 幾多の選手が飛び込んだスタート台、今はルン吉くんの寝床である。
 ということで、昼前に帰館。
 あとは終日穴蔵。
 先日来、早朝に市内をウロウロして確認した結果、「早朝グルメ案内」に数店を追加し、実情に合わせて修正を施す。
 早朝にビールを飲むこともなくなったので、これからは、もう少し時間を遅らせて、午前7時頃の朝メシ案内に切り替えて行くべきか……。

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