『マッドサイエンティストの手帳』326
●マッドサイエンティスト日記(2005年3月前半)
主な事件
・上京 アケタの店/SF大賞/新宿ピットイン/浅草HUB(3〜7日)
・穴蔵の日々(8日〜)
・播州龍野の日常(14日〜)
3月1日(火) 播州龍野/大阪
老母を美容院に連れていく。髪のカット。病院へ連れていくよりも遙かに気分がよい。容姿を気にしている限り、精神的にも大丈夫である。
昼前に兄が到着、珍しくも昨夜大阪で「飲み過ぎ」状態であったらしい。
見張り役兼料理人役の交替。
と、専属料理人、インフルエンザで寝込んでいる。
無理して料理を作ってくれるが、伝染されてもかなわんしなあ(まして、それを龍野へ持っていったりしたら大変である)。
そそくさと夕食を済ませ、ワインとチーズなど持って穴蔵に非難。
※この日、アサヒネットのブログ「asablo」開設にともない「マッドサイエンティストの手帳」をブログに移したが、諸般の事情により、後日ふたたび本ホームページに戻る。
3月2日(水) 穴蔵
播州龍野への出張中に溜まった新聞を読んでいたら、「東大阪宇宙開発協同組合(SOHLA)で青木豊彦初代理事長が退任(理事としては留まる)」の記事。
「どうなる まいど1号」というタイトルだが、どうも背景がはっきりしない。
SOHLAのページにも記事が掲載されているが、「お騒がせしました」だけで、よくわからない。
看板が「目立ち過ぎ」というところかな。
いずれにしても「まいど1号」を地元の産業に結びつけるのは難しいようである。
明日からしばらく上京なので、雑件処理、市内ウロウロ。
3月3日(木) 上京/アケタの店
午後、上京。
江東区の「隠れ家」……といっても、ボンクラ息子その1の寓居である……に荷物を放り込んで、阿佐ヶ谷に移動。
夕刻、「鳥正」にご挨拶に寄る。例によって煮込みと白菜漬でビール。
いい気分になったところで西荻窪「アケタの店」に移動。
本日の出演、渋谷毅(p)、峰厚介(ts)、望月英明(b)という予告で、これに森山さんが加わったらいいだろうなと思っていたら、なんと古沢良次郎(ds)が出演であった。
個別には何度か聴いたことのある実力派揃いだが、このメンバーで演奏するのは初めてだとか。
古沢さんを聴くのは70年代初め、森山さんが入院中に山下トリオに参加されていた時以来であろうか。追っかけで九州(長崎、熊本)まで行ったことを思い出す。カジシンの結婚式に出るのを兼ねての旅であった。
その古沢さん、なんだか仙人みたいな風貌である。
演奏は極めて渋い大人の雰囲気。
「年寄りばっかりだから……」とはグズラさんの弁だが。
渋谷さんの選曲らしいが、曲目紹介がほとんど聞き取れず、しかも「エリントンの曲ですが、なんだったかな」だったり、わかったのは「グリーン・スリーブス」と「星影のステラ」くらい。まあ全体にそんな曲想のが多かった。
終演23時前。
大雪になるぞとかメールがあり、総武線で隠れ家に向かう。が、ややこしいことに、23時を過ぎると千葉方面への直行はなく、お茶の水で乗り換えという変則的な路線になることを初めて知った。
雪は降らないが雨になったので、亀戸駅までボンクラ息子その1がクルマで迎えに来てくれた。
深夜スーパーで食材やワインを買い込み、隠れ家で深夜の酒盛り、1時過ぎまで。
3月4日(金) 第25回日本SF大賞
東京の隠れ家で午前7時まで寝る。
雪の降る音で目が覚めた。正確には屋根や電線に積もった雪が落ちる音か。
かなりの降雪で、まだ降り続いている。
隣で寝ているボンクラ息子その1を起こさないように注意して着替え、外に出てみるが、散歩できる状況ではない。
朝食の準備。
ボンクラ息子その1が出勤のあと、パソコンを借りる。
普通、子供は親が勝手に部屋に入るのを嫌がるものだが、ボンクラ息子その1はまったく気にしない、スペアキーまで渡してくれるのだから助かる。
昼前に出かける。雪は少し小降りになった。
地下鉄で銀座へ。
久しぶりに朝日ネットを訪問。
このブログ開設のため、細かい操作などについてレクチャーを受ける。
タイトル・デザインの試作版……わが写真はSFホームページのプロフィルに使っているもので、髪の量が今とはだいぶ違うのだが、ま、プロ・カメラマンがマッド・サイエンティスト・ユニオンの白衣を着ているところを撮ってくれたやつだから、これで行こうということになる。
山野楽器、本屋などを覗いて、夕刻、東京會舘へ。
徳間文芸賞贈賞式と記念パーティに出席する。
徳間文芸賞
今年の受賞は、
第7回大藪春彦賞 雫石脩介『犯人に告ぐ』
第25回日本SF大賞 押井守『イノセンス』
〃 特別賞 矢野徹
第6回日本SF新人賞 照下土竜『ゴーディーサンデー』
左から、矢野夫人、照下氏、押井氏、雫石氏
大藪賞の選評は大沢在昌氏が、SF大賞の選評は辻真先氏が、SF新人賞の選評は北野勇作氏が、それぞれ選考委員を代表して述べられた。
ユニークなのが北野氏のスピーチ。
ひとことでいえば「欠点もあって文句なしの受賞とはいえないが、部分的に突出しているところもあり、今後の可能性を含めての受賞」ということであるが、北野流の語り口が面白く、いったいどんな作品なんだと興味を喚起させるところがいい。
したがって受賞者・照下土竜(ひのした・もぐら)氏の受賞の言葉もユニークで、「まるで犯罪者になった気分ですが……なんとかこれでごはんが食べられるようにがんばりたい」だったかな、ちょっと正確ではないが、この簡潔さ・短さは町井登志夫さんの20秒に並ぶのではないかな。
なんといっても22歳という若さである。それに「大阪市内在住」というのがいい。
またひとり「SFは関西に限る」を証明する新人の登場である。
北野さん、森下一仁さん、井上雅彦さんらと照下さんを囲んで色々話を聞く。 高知出身で森下さんと同郷、今の住まいは淀川区で、わが穴蔵から地下鉄2駅である。 うちのボンクラ息子その2と同年というのも凄い。うちのなんて、まともに文章も書けないんじゃないか。えらい違いだ。
(SFJに掲載の受賞第1作『仏像士』を読んだが、文章に独特の粘着性が感じられる。北野さんが「暗い情熱」といった雰囲気かな。ともかく受賞作が楽しみである)
珍しいところでは陰山琢磨氏が出現した。
同じ名古屋の町井登志夫さん、陰山氏、森岡浩之氏、林譲治氏。
浮世離れした顔ぶれが揃っているように見えるが、陰山氏が群を抜いている。(ということは、小説家以外に通用しないということでもあるから強い)
会場、大盛況で、久しぶりに会う人が多く、少し話しているだけなのに、あっという間に時間が経過、水割りを数杯、気がつけばほとんど何も食べていなかった。
ま、本日も深夜の宴会が待っているから控えたということもあるけど。
以前は二次会〜三次会まで騒いだものだが、近年は1階でお茶……今年は居候という立場上、「料理人」をやらねばならないので、まっすぐ隠れ家に帰る。
23時まで営業しているスーパーで食材購入、深夜食の準備にかかる。
ボンクラ息子その1は、土曜の出勤も多いのだが、明日を休日にするために遅くなり、終電近くので帰ってきた。
昨夜に引き続き、深夜の酒盛り。
メニューは……鍋その他であるが、書くほどのものでなし。
3月5日(土) 浅草/夢の島/新宿/市川芳枝+森山威男
東京の隠れ家にて、気分よく、朝8時に目が覚めた。
こんな熟睡、久しぶりである。
昼、ボンクラ息子その1は休日であり、そのクルマで浅草へ行く。
むろん、わしゃ『断腸亭日乗』の現場検証が主目的であるが、ボンクラ息子その1も2年前に東京に来てから、浅草界隈が好きなのだという。
安い寿司屋とか感じのいい洋食店など、馴染みではないが、好きな店がいくつかあるという。
たいしたものだ。
若いうちから荷風モードでは困るけど。
ということで、田原町近くにウーノを停めて、六区ウロウロ。
荷風おなじみの「アリゾナ」「尾張屋」は敬遠、いつも行くという安旨寿司屋は満員なので、発作的にちょっとよさそうなウナギ屋で昼飯。ハズレとはいわぬが、まあ、こんなものか。
荷風関係で、「葛西橋」の横を南下し、「夢の島」経由、「若洲海浜公園」を見物に行く。
風力発電の模型みたいなのとか、ショートゴルフのコースなどがある。
埋め立て地の先端の釣り場も見学。
人工的な海岸はそれなりにいいなあ。
殺伐とした雰囲気だがが、夢の島のさらに先というのに、深作映画『誇り高き挑戦』の頃の雰囲気はもうない。いや、日野啓三『夢の島』すらもう昔の光景である。
野良猫がやたら多い。
釣り人が捨てるハゼとかボラで喰っとるのだろうか。
ボンクラ息子その1、この風景がいたく気に入ったみたいで、また休日に来るとか。おれもまた来たい。
帰路、東陽町の「格安スーパー」に寄る。
団地(10棟以上あって、下が商店街とかスーパー)まるで活況を呈していた頃の「軍艦島」である。住みたくはないけど。
食材やワインを購入。
夕刻、途中の地下鉄の駅で降ろしてもらって、新宿3丁目へ。
新宿ピットインへ。
森山威男御大の出演日。
『スンミ-YOSHIE ICHIKAWA Live at blue note Vol.2」CD発売記念』ライブである。
同じ「森山研」のぶるさんと久しぶりにいっしょになり、並んで聴く。
市川芳枝(vo),森山 威男(ds),市川 修(p),三原 脩(b)
京都のブルーノートをモデルに書かれた、藤森益弘『モンク』(文源春秋)の出版記念も兼ねたライブで、最初に藤森さんが挨拶、メンバー紹介された。
『スンミ』『モンク』についてはここに書いている。もう半年になるのだなあ。(その後、順序が逆だが『春の砦』も読んだ)
満員の盛況。ゆかりの方々が多い雰囲気であるが。
市川芳枝さんの歌声はCDで聴くより遙かにエモーショナルであった。
森山ファンとして何よりも嬉しかったのが「hush-a-bye」。ボーカル・ヴァージョンは初めてではないか。
2ステージ目の数曲、若いアルトの三木敏彦さん(「トシ」の字は違っているかも)が参加、インストでのカルテット演奏もなかなかであった。
最後にレイにちなんで「ジョージア・オン・マイ・マインド」……これも森山さんのドラムで聴くのは初めてだなあ。
アンコールで「ハレルヤ」大合唱……森山さんはすでに着替えていたらしく、イキなシャツで再登場(これは翌日の写真を見られよ)
終演23時頃。
帰館は24時前である。
気分よく、仕上げにまたビール。1時過ぎになる。
3月6日(日) 銀座/旧友/新宿/森山威男カルテット
気分よく目覚めた。
朝9時頃に朝食を用意する。
ボンクラ息子その1は、「天気が持てば友人とショートホールを回る」とかで、出ていく。
午前中、ボンクラ息子その1のパソコンを借りてゴチャゴチャ。
あまり仕事はしないのであった。
ま、今回の上京は「播州龍野の日常」を離れて「断腸亭日乗」的世界を満喫するのが目的なのである。
昼前に隠れ家を出て銀座へ。
昼過ぎに、三越前でボンクラ・サラリーマン時代初期に「同棲」していた級友・N藤くんと会う。
三越のライオン前で会って、ビアホールのライオンへ。
ビール飲みながら雑談3時間ほど。
N藤とは、彼の所有する南方のマンションに居候させてもらった仲である。「男のひと二人住んではる」と、近所で妙に有名になってしまった。
ま、そんなことも含めて、懐かしい話をしていたらきりがない。
夕刻、本日もまた新宿3丁目へ。
新宿ピットイン。
本日は森山威男カルテットの出演である。
一昨日にパーティで会った今野敏さんといっしょになる。
夫人同伴……「娘さんですか」と訊く前に「妻です」と紹介してくれたが、なんと○○歳(←2桁でっせ)年下なのだという。
他に、盛岡からのヨッちゃん、北海道からのNさんはじめ、カスミさん、中西さん、その他諸々の顔ぶれ。森山掲示板でおなじみのメンバー多し。
森山威男(ds),田中信正(p),音川英二(ts),望月英明(b)
1ステージ目、4曲。
コルトレーンの曲……インプレッションズ、アフロブルー、アイ・ウォント・ツウ・トーク……だったっけ。あとがオリジナルで、ナノマシーン? わしゃ曲名を記憶するのが苦手で、自信がない。
どなたかコメントで補強してくださると助かります。
森山さん「どうもお久しぶりです、去年以来でしたか」と、これは客席でなく、音川さんへの言葉。
(田中さんに)「貴方とはこないだ中津川の小学校で会いましたね」(と、小学校で入れ替え制でデュオ演奏したとか……HPのライブ・スケジュールには乗っとらんぞ!)
(望月さんに)「あんたは何してたの……あ、アタマ刈ってたのか」
2ステージ目、またアタマの2曲はバラードだったか不明(コメントよろしく)、あと、「グラティチュード」「サンライズ」「ハッシャバイ」
やっぱり昨日より数倍いいなあ。あ、いや、昨日もそれなりによかったのだけど。
森山「もう歳なんだから円熟した演奏をしろという人がいるんですけど、ドラムに円熟なんてありますか? 手数が少なくなるだけのことでしょ。円熟なんてこと考えずに叩き続けます」……涙が出てくるなあ。
アンコールで「グッドバイ」、これを聴けばもう大満足である。
※なお、この日の演奏曲目は、その後のメールによるご教示もあり、次のとおりで多分間違いなし。
1st Set
・Impressions
・Afro Blue
・I want to talk about you
・Sound River
2nd set
・Hole in the World
・New & Old Wonder
・Gratitude
・Sunrise
・Hush-a-bye
・Good bye
森山さん他、おなじみの皆さんにご挨拶して都営新宿線で隠れ家に帰館。
先に帰っていたボンクラ息子その1と軽くワインで仕上げ。
ボンクラ息子その1は、おれに似ず、風呂好きである。
寒いゴルフから帰って、夕方、区内のラジウム温泉とかに出かけていたそうである。
「そろそろ出よかと思てたら、隣りで湯船のヘリに座ってた爺さん、居眠りしてるみたいやったのが、気がついたら、ズブズブスブと湯船に滑り込んで、湯の中に沈んどるねん」
のぼせて沈み込んだらしい。
「爺やん、どないしとんねん」と(大阪弁でいったのかどうか知らないが)爺さんを湯船から引き上げて、係員を呼ぶやら救急車がくるやら、大騒ぎであったらしい。
「他に客はおらんかったから、1分先におれが出てたら、あら溺死してるで」
爺さん、モゴモゴというには八十なんぼであったらしい。
うーん。
そのままでもよかったのではないか……とか色々議論したが、あとは省略する。
3月7日(月) 浅草/花岡詠二クインテット
本来、本日朝から帰阪の予定であった。
が……『断腸亭日乗』を読んでいたら、もう少し浅草界隈を歩いてみたくなる。 本日は天気がいいらしいし、それに毎月第一月曜は「浅草HUB」に花岡詠二さんが出る日である。
おれ「もう一晩おってもええか」
ボンクラ息子その1「好きなだけおったらええがな」
……名称を「孝行息子」に変えた方がいいであろうか。
ま、長年の呼称であるからそのまま継続するが。
ということで、朝食用意、ボンクラ息子その1を送り出したあと、またもパソコンを借りる。
昼過ぎに地下鉄で小川町へ。本屋をぶらぶら、ディスクユニオンなど覗き、その後、地下鉄で浅草へ。
荷風が浅草にはまるきっかけになった東本願寺あたりを散策、ついでに合羽橋界隈まで。
お好み焼き屋でビール一杯。
夕刻、浅草HUBへ。
ちょつと早めに行ったのだが、テーブル席は全部「予約席」である。全部でっせ。
やっぱり花岡さんは人気があるのだなあ。
カウンターでピザでビール。
19:20に始まって、最後まで3セット全部聴く。
1セット目はクラ1本でスイング。
いいノリである。出口辰治さんのヴァイブもいい。
3日間(1日空けてだけど)連続でライブを聴いてきて、さらにこんな贅沢が許されるのかという気がしないではないけど、ま、たまにはいいではないか。これから当分、地味な生活を送るつもりなんだから。
今回の上京、
1日目 アケタで じっくり煮込んだビーフシチュー
2日目 ピットインで 辛みの効いたカルピ・クッパ・ビビンバ
3日目 ピットインで ボリュームたっぷりのステーキ
みたいなもので、本日は、おれにとっては、懐かしきオフクロの味である。
2セット目、花岡さん、なんとテナーに持ち替えて、カントリー中心に演奏するという。4月17日にある「カントリー&デキシー・コンサート」の予告編みたいなもので、カントリーは演奏しはじめるととまらないらしい。
カントリーといっても、ハンク風ではなく、昔(1958年頃)ヒットした「レッド・リバー」のテナーの雰囲気を想像してもらえればいい。2セット目は徹底してテナー、最後は両膝ついて背中をのけぞらせて吹きまくる熱演。
これはこれで、なかなかであった。
3セット目は再びクラに持ち替え、それに若いテナーがゲスト参加。
最後の方で「スギ爺」さんという方ののボーカルで「嘘は罪」も。以前よく出てきた、うまいのか下手なのか判別不能の「尺八」の方は出てこなかった。
色々あったが、ラストは「チャイナボーイ」……これは見事なもの。
ということで、本日も帰館は夜中。
中華で飲んできたというボンクラ息子その1の帰館はおれより30分あと。
本日は酒盛りなしで眠るのであった。
3月8日(火) 帰阪/穴蔵
東京の休日は終わった。
日常に復帰しなければならぬ。
ボンクラ息子その1に感謝の気持ちをこめて、ビール1箱買っておいたのだが、「わしは普段そんなに飲まへんで。たぶん今度来るまで残ってるやろ」
それはそれでありがたいことである。
ということで、午後帰阪。
春の陽気で……しかし、着替えをバックに詰め込むと荷物が増えるので、往路と同じ厚着……じっとりと汗ばむ。
で、帰宅すると、専属料理人、まだ風邪が治りきらずにゴホゴホやっておる。
困ったものだ。
あまりニュースを見なかったので、ホリエモンと日枝の抗争ニュースを新聞でまとめて読むが、まあだいたい「想定内」の展開であるなあ。
3月9日(水) 穴蔵/かんべ事務所/ブログの最終チェック
穴蔵の日々再開……のはずが、上京中に雑件も溜まっていて、あれやこれや。
メールでドメイン契約の更新時期が近いという連絡。
独自ドメインは2つ持っており、ひとつはタイムマシン関係で使っている。これは更新。
もうひとつ迷うのが「hard-sf.com」である。これは使う可能性ありということで2000年に押さえたのだが、わが余生を考えると、放棄することになりそうだ。
有効に利用してくださる方で、無償譲渡とか何か方法があるのなら、お申し出あれば便宜をはかります。
同じ頃、「soliton.com」はアメリカの会社に先にとられた。3日ほどの遅れである。とれていたら、タイムマシン関係には、こちらを使ったはずである。
午後、銀行関係その他の雑用あって、自転車で外出。花粉が多いらしいのでマスク着用。
かんべむさし氏の事務所にも寄って、雑談2時間近く。
むさしくん、近日開始の仕事の準備で何かと慌ただしい様子である。
専属料理人に頼まれていたので、靱公園横の「タケウチ」に寄るが、店の前に長蛇の列、またもテレビか何かの影響で行列復活したらしいという話は本当であった。
わしゃ並んでまでタケウチのパンを食べたくはなし、即刻断念、「篁」でワイン(ヤコブのクリーク)を買い、中津まで戻って阪急インターでフランスパンを買って帰る。
夕刻まで、試験的に使ってきたこのブログ公開、最終的な準備。
東京での逗留が長引いたために、公式オープンが遅れていたのである。
夜はブルスケッタその他色々でワイン。
グラスワインを持って穴蔵に移り、ブログの最終チェック、夜中まで。
で、アップするのがこの記事である。
3月10日(木) 穴蔵/以心伝心
暖なれど花粉濛々の気配あり終日穴蔵を出ず。
ゴミを捨てに階段を下りるのみ。
ゴミを出してらせん階段を昇っていたら、降りてきた某くんとすれ違う。
なぜかおれを喧嘩腰の表情で睨みつける。恐ろしいね。
この男、管理規約に違反したりマナーが悪かったり、おれが相手を嫌っているのは確かである。
が、別に直接注意したこともなければ挨拶したこともない。
黙ってすれ違うだけである。
が……この男、管理人にこういったらしい。
「あそこのウチは、奥さんは愛想いいのに、旦那の方は気むずかしそうですなあ」
わしゃ別にお近づきになりたくないから構わんのであるが。
専属料理人「表情とか、廊下で犬を避ける(犬は規約違反であった)姿勢とかに露骨に出るからよ」というのであるが。
こういうのに限って、早朝によく廊下で出くわすことになる。
困ったものだ。
顔を背けてすれ違えば済むことが、睨みつけられるまでにエスカレートしてきた。
ま、だんだん荷風の境地に近づきつつあるということか。
こんなこと気にしているようではまだまだだけどね。
ホリエモンの行方
本日(11日)午後、ずっと穴蔵で過ごす。
17時過ぎにニュース。
ライブドアの新株予約権の差し止め請求事件、東京地裁は新株予約権発行の差し止めを命じる仮処分を決定。
これはまあおれの「想定内」……とまではいわないけど、予想していたところ。
おれの予想は2月24日に書いている。
おれの方針として、未来予想が外れたら謝ることにしている。
まだ外れとらんぞ。
たぶん、堀江がそこそこの金額(損はしない)で株を売って手打ちだろう。
日枝は悔し紛れに「名を捨てて実を取った」とかいうのかな。
日枝が辞めれば、わしの気分は万歳だけど。
いずれにしても、電波の公共性なんて、まったく関係ない事件である。
ホリエがフジテレビ支配しようが、これ以下のバカテレビにはならんだろうし。
目くそ鼻くそとかいうが、おれの知っている格言でいえば「○ッタイの○サ恨み」
どっちがどっちとはいわないけど。
どっちになろうが見ないんだものなあ。
付記すれば、テレビは白痴化しているが新聞にはまだ期待している。
産経がホリエに支配されてたまるかというのはそのとおり。要するに、ジャーナリズムは必要なのである。
テレビで(特に朝の番組)朝刊の記事を映してネタにしているのを見ると、あんたら(テレビ局のアホね)何しとんのと思うものね。
3月11日(金) 穴蔵
暖なれど曇り昼過ぎて小雨となる。終日穴蔵を出ず。
森下一仁さんのページ、日記がブログ惑星ダルの日常として独立している。
似たような時期に似たようなリニューアルだなあ。
先日会ったときには、こんな話、まったく出なかった。
3月12日(土) 穴蔵/十三/米朝/文枝
夜来の雨やみて晴。風吹きすさみて寒し。
花粉の飛散が多そうであるが、昼過ぎに歩いて梅田へ。
「桂米朝集成」の第4巻が出て完結。第4巻は「師・友・門人」。正岡蓉関係に貴重な資料が多い。「門人」関係では、「桂歌之助」の巻頭に寄せていただいた「歌之助という男」が収録されている。
うれしいことである。
ついでに「kamzine」という「芸能雑誌」を買うがこれは別項にて。
阪急で十三へ。
龍野用に丹波のきさらぎ漬けを買うため。ふだんは自転車で行くのだが、さすがに本日は寒風強く、十三大橋を渡るのはつらい。
電車で行ったついでに、久しぶりに十三駅近辺をウロウロ。
「立ち食いうどん」のチェックも行う。
東口にあったはずのコーナーはなくなり、「十三製麺所」という店が出来ている。見かけはよさそうで、寄ってみたくなるが、立ち食いにあらず。
東側は寂れた感じだ。
昔、森進一が働いていたという食堂ももうない。20年前にはあったのだが。
西口の「千成うどん」……まあ標準レベル。
十三駅西側の路地……ここは新世界のジャンジャン横丁と並んで、「大衆酒場群」は相も変わらず昼間から盛況だ。
せっかくだから「どて焼き」でビール一杯。
ヤマちゃんという店員、ヒゲを生やす前の高橋良平さんによく似ている。何の関係もないけど。
ということで、夜、きさらぎ漬けでチビチビ飲んでいたら、桂文枝師匠の訃報。
四天王半減である。
小林旭×浅丘ルリ子
kamzine」というのは産経新聞社が出している「芸能雑誌」。初めて手にした。
「黄金コンビ初対談」として小林旭と浅丘ルリ子が「初めて」対談している。
立ち読みするのが恥ずかしいし、映画の写真が多そうだから買ってきたのだが……。
これは読者層を、昔「平凡」とか「明星」を読んでいたお年寄りと想定しているのかな。
なんとも締まらない構成である。
浅丘ルリ子はデビュー作の『緑はるかに』を見ているし、小林旭については、いまさらいうまでもないファンである。共演作は『女を忘れろ』以来、大部分を見ているのではないか。
このふたりの「仲」については、ゴシップは色々あったと思うが、映画以外のことはほとんど興味がなかった。
アキラとひばりの仲には……田岡の親っさんがからんできたりで興味があるが。
(ひばり関係では、そのうち刊行されるであろう、西木正明『一場の夢』が決定版になるだろう。「小説すばる」で熱心に読んだのはこの連載けであった)
で、その対談であるが、一言でいえば「当時ふたりは恋仲であった」ということを明言している。それだけのことである。
「恋仲」というのがどういうことか……もう少し下品にいってもいいが、そういう仲である。
別に驚きもしないが、対談ページの前に「浅丘ルリ子インタビュー」後ろに「小林旭インタビュー」、このふたつは芸能誌らしい「きれい事」をまとめた、毒にもクスリにもならぬ記事。
その中で、「対談」だけが、ただただ「隠微」…あ、変換ミス「淫靡」だ。
これには驚く。
「恋愛感情」が現在も継続中であることまでアケスケ。
アキラともあろう大スターがやることじゃないよ。
すぐ後ろのインタビューで「謎めいてる部分がなきゃ、神秘性も何も感じない」といってるのと矛盾してしまう。
こんなことは小林旭『さすらい』にも、宍戸錠の『シシド 小説・日活撮影所』(これは間違いなく本人が執筆しており、当時の役者の生態がビビッドに描かれている)でも触れられていなかった。
それだけに、過去の「手記」やインタビュー記事がさらにうさんくさく感じられてくる。(決定版といえる『小林旭読本』(キネマ旬報社)に本人インタビューがないのは救いというか、編者の見識であろう)
特に浅丘ルリ子のインタビュー記事はひどい。
過去を明かすのなら、ぜひともアラン・ドロンとのことを話してほしかった。
これは長尾三郎『週刊誌血風録』(講談社文庫)111頁に「誰それとわかるように名を伏せて((C)桂米朝)」書かれている。
いや、芸能ゴシップなんて興味はないんだけどね。
中途半端に「告白」して都合の悪いことは隠すという姿勢が鼻持ちならないのである。
3月13日(日) 穴蔵/千葉知事選
晴れたれど寒気甚しければ穴蔵にありて惰眠を貪る。
が、思い出して、朝8時半にボンクラ息子その1に電話して起床を促す。
日曜なのに、朝モーニングコールをくれとメールがあったのである。
「起きろよ」
「ああ」
「またゴルフか」
「千葉知事選の応援に行くねん」
千葉県民でもないのに、得意先かなんかが○○を支援していて、賑やかしに行くのだと。今日が投票日だから、もはや応援でもあるまいに。
終日穴蔵。
朝刊に、中津川、一族殺傷のはらたいらくんのコメント。
「何もかもいやになった」
うーん、これは名文句であるなあ。
もし老人性の鬱だったとすれば、気持ちはわからんでもない。
今年の流行語大賞の有力候補である。
夕方、ボンクラ息子その1から電話。
「知事選の予想、インターネットで調べられんか」
「出口調査の予想は、投票が締め切られてからでないと出んやろ」
「何かわかったら携帯にメールしてくれ」
選挙となると血が騒ぐタイプなのかねえ。
晩酌後も穴蔵でネットをチェック、なかなか千葉知事選の速報が出ない。わしゃ全然関係ない立場なんだけどねえ。
ということで、23:30頃に堂本の当確が出た。とんだ夜更かしである。
明日からまたしばらく播州龍野行きである。
3月14日(月) 播州龍野/姫路駅複雑化
晴。寒気甚しけれど行かねばならぬ。
早朝の電車で播州龍野へ移動。
姫路駅でちょっと驚く。
JR姫路駅、南側が新幹線ホームで高架。山陽線(在来線)は地表。……この在来線を高架化する計画は前から聞いていた。ただ、ややこしいのが山陽電車。山陽電車の姫路駅は駅の北側(表側)にあり、その高架が直ちに、新幹線の高架をくぐる形で南側へ延びる。ややこしいが、JR在来線と新幹線の間(上下の間)を駅のすぐ西側で私鉄が横切る構造なのである。
在来線を高架化するのに、新幹線と同じ高さにすれば問題ないが、これはちょっと高過ぎる。
で、本日気づいたのだが、JR在来線の高架下を山陽電車がくぐるかたちに山電の高架を下げるらしい。そんな工事が進められている。
さらにややこしいことに、おれがいつも乗る姫新線は、どうも半地下? 高架にならず、山電の下をくぐる構造になるらしい。ちょつと調べてみる必要があるなあ。
姫新線に乗って、動き出したら、すぐにジーゼル車が「半地下」に潜り出し、それで窓の外を見て工事の状況がわかったのである。
いったいどんな構造になるのか。
これ、文章ではうまく説明ができない。
本日、デジカメ撮影する余裕がなかった。
近日、写真で説明したい。
ともかく姫路駅のややこしさ、線路が複雑に交差して重なる上に、さらにややこしくも廃線となって久しいモノレール高架の残骸があちこちにオブジェみたいに残っているものだから、今回の工事が終わっても、廃墟混在の異様な景観になるはず。
播州の恥、石見の残骸……楽しみなことである。
ということで、またしばらく、播州龍野の日常再開である。
田舎の夜は早い。
ニッポン放送の「焦土作戦」(ますます面白くなるなあ)なんてニュースをちらっと見て、もう就眠の定刻22時に近い。
※姫路駅の高架工事については情報提供いただいた。
詳しくはここ、高架切替工事説明を。
ともかく大工事である。最終的には姫新線も高架になるが、いつのことやら。
3月15日(火) 播州龍野/エンディング・ノート
曇りて風冷なり。
播州龍野の日常。
ややこしいこと色々あって、書庫の調査、学生時代の本を詰めた段ボール開封など、寒い場所で埃まみれの作業、調査事項はよくわからないまま。
資料の場所、だいたいあのへんという記憶がだんだん曖昧になってくる。
30年ほど空けていない段ボール20個以上。
もう無理だな。
午後、老母を病院へ連れて行く。
骨折事故からちょうど一周年である。
異常なし、まあよかった。
晩酌しつつ、テレビ。
老母はいつもNHKである。(ちゃんと払ってるよ、NHKさんよ)
19:30〜の「クローズアップ現代」、テーマは「エンディング・ノート」。
この名称は初めて知ったが、法的効力のない遺書みたいなものか。
死んだらこうしてくれとか、子供や孫に言いたくて言えなかったことを書くらしい。
老母、見ていて「私は短歌に書いているからええ」
確かに、心境は読みとれるし、おれは3冊目の歌集を、おれの写真を入れて作りたいと思っている。子供への恨みつらみはまったくないのであろう。ま、ありがたいことである。
おれも「エンディング・ノート」に相当するものは作っている。「まさかの時の開封ファイル」というもので、おれが急死した時の処理マニュアルである。
思うところあり、近日更新しなければなあ。
……おれのこのブログは「エンディング・ノート」ではない。
が、専属料理人に面と向かって言えないけどブログでなら書けるってことは、確かにあるなあ。
と、「クローズアップ現代」を見て、ブログで「エンディング・ノート」を始める人が急増するのではないかと予想したので、そのことのみ。
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