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『マッドサイエンティストの手帳』340

●マッドサイエンティスト日記(2005年6月前半)


主な事件
 ・穴蔵の日々(1日〜)
 ・「短篇ベストコレクション」(2日)
 ・堀晃新作展(3日)
 ・ニューオリンズ・ラスカルズ(4日)
 ・播州龍野の日常(7日〜)
 ・穴蔵の日々(12日〜)
 ・播州龍野の日常(14日〜)


6月1日(水) 穴蔵
 定刻4時に起床、メールボックスを開いたらスパムメールに混じって朝3時10分に送信された「知人」からのが1通。
 本文「1行」だけだが、冗談とも思えず、対応に戸惑う。
 鬱病ならメールを送ったりするだろうか? こんな場合、激励はかえってまずいとか聞くし……そんな戸惑いである。
 しばらく迷った揚げ句、色々な可能性に配慮した短いメールを返したが、朝刊を読み終えたころに来た再返信を見て呆れる。
 おれは世間の常識から外れたふるまいには寛容な方だと自分では思っているが、ここまで甘ったれた態度に、猛烈に腹が立ってきた。
 おれはカウンセラーでも愚痴の聞き役でもないよ。
 内容はここでは明かさないが、3時10分にメールしてきた某くん、二度とメールは送ってこないように。むろん電話はもってのほかである。
 ……と、6月になったばかりなのに、気分は早くも梅雨空である。
 終日穴蔵。

6月2日(木) 穴蔵/「短篇ベストコレクション」
 昨日から梅雨空気分だったら、本当に梅雨みたいな天気になった。
 終日穴蔵。
 『短篇ベストコレクション 現代の小説2005』(徳間文庫)の見本が届く。
 
 近日書店に並ぶはず。
 おれはブログに自分の仕事のことはあまり書いてない。
 これは方針というより、このところ細々したことしかやっておらず、自慢できるほどの仕事をしてないからである。
 ただ、これはちょっと紹介を。
 日本文芸家協会から委嘱されて、中間小説誌中心に発表された短篇の秀作を選ぶ委員のひとりを数年間務めてきたのである。この巻では「あとがき」も書いている。
 各作品にもコメントしているわけで、これは緊張しまっせ。怠慢SF作家が、SF以外の、それも昨年の傑作についてコメントするわけだから。
 対象となる作品は千篇を超える。全分野・全作品は読めないが、数百篇(3〜400篇)は読む。
 しかし、こんな機会がなければ、絲山秋子とか平安寿子とか朱川湊人などの作品は読まなかったと思う。勉強にもなった。
 最終的に22篇にしぼったが、どうしても収録したい作品が60篇ほどあり、そこからの絞り込みである。ま、これ以上の内輪の話はまずいかな。
 清原康正さん、長谷部史親さんという読み巧者の知遇を得たのはうれしかった。
 内海隆一郎さんの作品は以前から好きであったが(そして、わが老母も大ファンである)、この人の鑑定眼と精神の若々しさには驚嘆した。菅浩江さんとか田中啓文さんに注目して、よく読んでおられるのであった。
 ま、それはともかく……
 この文庫を紹介するのは、かんべむさし『幻夢の邂逅』に注目してほしいからである。
 発表されたのが小松左京マガジンというマイナーな(ごめん、マイナーなことは決して悪いことではないですよ)媒体であったため、幻の短篇で終わる可能性なきにしもあらずであった。
 この作品については前にもちょっと触れたけど、その発想と切れ味、かんべ氏の数ある短篇の中でも五指に入る傑作である。
 このようなかたちで残ったのはよかったと思う。
 専属料理人から夕刻帰るという連絡。
 こういう場合は実家方面の名産品(静岡)と決まっているので、早めに呉春・特吟を冷やしておく。
 正解であった。
 夜は、しらすおろし、黒ハンペン、鯛の一夜干し?、由緒ある(裏宮内庁御用達とかいう/沼津の御用邸用?)わさび漬け、その他色々で、ビール、呉春。
 瀬名さんをご招待したい気分(専属料理人は同郷ということもあってかなりのファン)であるなあ。
 梅雨空ムードが午後8時には晴れ上がってくる気配。
 ということで、早寝するのである。

6月3日(金) 堀晃新作展/ハチ/ミムラ/かんべ氏
 午前中、穴蔵。
 『朝はミラクル』、金曜は「本のコーナー」があり、かんべさん、中野晴行『そうだったのか手塚治虫』を紹介。前後を「鉄腕アトム」と「ジャングル大帝」の主題歌で挟むサービスぶりである。
 午後、自転車で梅田へ。
 中宮画廊へ。
 堀晃さんと久しぶりに会う。
 このことは「堀晃新作展」案内のところに記事を追加。
 ハチに寄りコーヒー。マスターとジャズ・クラ情報の交換。
 帰路、堂山町の「ジャズの専門店ミムラ」に寄る。
 
 バナナホールの少し東。
 入るなり、三村氏「昼前に店の前をルン吉さんが通ってかれましたよ」
 人気があるのだ。
 ルン吉くん、扇町公園「2番石」からYMCAあたりを抜け、西へ進んで、ミムラ、三木歯科、バナナホール前を通過、ツタヤの角を曲がって南へ進み、ラーメン店横の○○箱というのが巡回コースのようである。
 復路がはっきりしないが。
 アラン・ベッシェ『Big Four』と、ボブ・ウィルバーがダニー・ドーリッツのヴァイブと組んだクインテットのを入手。前者はベッシェの意外に軽やかな(クラ、コルネット、ギター、ベースという編成の)室内楽的スイングで、先日から探していたやつ。後者はウィルバーがクラ一本で通した典型的グッドマン・スタイル。……サックスとの持ち替え奏者が多いから、こういうのは嬉しいね。
 穴蔵に戻る。
 夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
 軽くビール飲みながら雑談。
 かんべさん、5日間の早起き生活が終わる金曜夕方がいちばん解放感があるという。まさにサラリーマン感覚で、ひと頃のおれと立場が逆転しているのであった。
 夜は「静岡特産シリーズ」2晩目で、桜エビの掻き揚げなど。最後はこの掻き揚げを乗せたお茶漬けで仕上げ。
 専属料理人、深夜(というか明け方というか)のバーレーン戦に備えて仮眠するとか。
 時間を見たら、おれも起きられない時刻ではない。自然に目が覚めればということにして、水割りを飲みつつボブ・ウィルバーを聞くのであった。

6月4日(土) 穴蔵/極真会館/ニューサントリー5
 なんと朝6時に目が覚めた。珍しい朝寝坊である。
 「本宅」は明け方までサッカー中継を見ていたらしい。ひとりで冷蔵庫をゴソゴソやって朝食。
 昼……買い物に出たついでに中崎町を通る。
 極真会館が金網塀で囲われ、看板に「近日解体、整地の予定」とある。
 
 住宅会社の「管理地」になっているようだが、どうなるのであろうか。
 隣接する許永中の邸宅は門扉が改造されているが、庭にはガラクタが置かれ、人の住む気配はない。
 そういえば、近くの「許の資金源」といわれたパチンコ屋も取り壊されて更地になっている。
 色々なことが進行している気配であるなあ。
 わが穴蔵のすぐ近所にも謎の建物がある。
 一時期「KBS京都」の看板がかかったことがある建物である。
 新しい4階建ての小さなビルで、1階にベンツがとまっていたこともある。
 ここも、この数年、人の気配はない。
 某酒屋のおっちゃんが詳しいはず。今度ビールを買いに行ったら訊いてみよう。
 夕刻まで穴蔵。
 夜9時頃に梅田へ。
 久しぶりにニューサントリー5へ行って、ニューオリンズ・ラスカルズを聴く。
 
 バンジョーを除くメンバーが揃っている。
 「セントジェームス病院」「ユー・ラスカル・ユー」「タイガーラグ」など人気曲が多くて嬉しい。
 カウンターで久しぶりにいっしょになった内田さん(東京でよく南里文雄を生で聴いていたという方だが)、話していたら、レコード会社勤務の従兄がよく案内してくれたという話。Oさんという姓を聞いて、「え、ひょっとしたらジャズ評論家のOさんですか?」とフルネームを確認したら、その通りであった。
 「ふつうのおっちゃんですよ」と言われるが、身内だから、その偉さがおわかりになってられないようである。
 「ジャズ批評」の記事はよく読んでいるが、コレクターとしても凄いし、希觀盤に関しては日本で一番詳しいのではないか。滝川雅弘さんのCDを最初にジャズ誌に紹介されたのもこの方である。
 時々関西にも来られるようで、機会があれば紹介していただくことになる。
 世間は狭いなあ。

6月5日(日) 穴蔵
 終日穴蔵。
 ジョン・F・スウェッドの大著『サン・ラー伝 土星から来た大音楽家』を読み始めるが、目が疲れて50ページも進まない。
 まあ一気読みする本でもなし、少しずつ断続的に読み進める方がいいであろう。
 と、読書の合間にサン・ラーを流す。
 現在サン・ラー中毒の友人Iさんに教えられたのだが、1983年のオランダでのライブ盤で聴ける「ラウンド・ミッドナイト」は確かに絶品である。
 ただ、昼間でも、部屋を薄暗くしてワインか水割りを飲みたくなるから困る。
 さすがに穴蔵で昼間からそれはやらんけどね。

6月6日(月) 穴蔵/中央図書館/1600キロ徒歩帰郷
3時前に目が覚めた。
 昨日まったく外出しなかったので体が鈍っている感じ。自転車で走ることにする。
 大阪市内、さすがに月曜の早朝は人もクルマも少ない。
 堂山町の交差点、「水撒き車」と「タワシ車(とでもいうのかねえ)」のコンビが道路を洗っていく。猫の死骸くらいはさっと片づけてしまいそうな。ルン吉くん、前みたいに道ばたで寝ていたら危ないぜ。
 掃除ロボットはこういうのから普及していくのだろうな。
  
 天六〜天八経由で毛馬橋。
 毛馬堤を城東貨物線の鉄橋まで行って引き返す。
 帰路は毛馬閘門の上を通って、淀川堤を豊崎まで。河川敷におびただしいカラスが降りてウロウロあるいているのが不気味だ。
 午前中、西長堀の市立中央図書館へ。
 2週間の「蔵書点検期間」が終わって、やっと開館。結構混んでいる。
 ここは基本的に開架式で便利なのだが、調べたい資料はほとんどが書庫にある。
 「相談窓口」で長時間粘る人の大部分が自分で本棚を探すのが面倒だったり、端末の操作がよくわからんから、書名のメモを持ってきて担当者に操作してもらうという手合い。
 借出表を提出する、書庫から出てきた本を受け取る……そのたびに15分ほど並ばねばならぬことがある。何とかならんのかねえ。銀行でATMを使うのに窓口手続きが必要かね。
 数冊を借りて帰館。
 午後は穴蔵。
 Kくん……などと書く必要もないか、昨年「夫婦で1600キロ歩いて帰郷」した串崎くんが、その旅行記をメールで送ってくれた。
 その周到な準備(装備や健康管理以外に、勤務のことが大きい)から九州に入ってからの盛り上がりまで、淡々とした記述だが、やっぱり事実の面白さというのは強い。
 本になるかもしれないので、その時には改めて紹介予定。

6月7日(火) 穴蔵/本町/ミナミ
 わ、朝6時起床、寝坊である。別に早起きの必要はなけれども。
 午前中、穴蔵で過ごす。
 昼過ぎに這い出て、地下鉄で本町へ。
 「桂歌之助」をいっしょに編集したKさん事務所に寄って、資料の返却、雑談30分。
 キタから落語の「場」がなくなっていく状況を慨嘆。サンケイホールが解体され、太融寺が建て替え、しかもあとがどうなるやら不透明である。大ホールはいいとしても、若手や中堅どころが語れる場がキタからなくなっていくのは寂しい限りだ。
 地下鉄で日本橋へ。
 黒門市場で買い物。明日から播州龍野で料理人になるので、食材買い出しである。
 帰路、Musicraftに寄って、軽くビールを飲みながら林さんと雑談。珍しくも、オープンリールでデフランコがかかっている。
 夕刻帰館。
 明日から久しぶりに播州龍野行き、早寝である。

6月8日(水) 大阪→播州龍野
 朝刊にナベツネが読売の球団会長に復帰の記事。このボケ老人、ついに羞恥心まで忘れてしまったようである。ま、プロ野球を見ることはないから、どうでもいいのだが、無様な死に様は見たいものだ。
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 2週間ぶりだが、緑が濃くなって、真夏の雰囲気である。
 嫌な動物さえ見なければ、いい季節なのだが。
 ナベツネともども「今シーズン目にすることがありませんように」と願わずにはいられない。
 雑用、色々あるなあ。
 龍野の「書斎」も、机下のヒロゲンヒーターを片づけ、夏モードにする。
 早い夕食のあと、W杯予選、北朝鮮相手の「無観客戦」を見るが……。
 ブラウンの『闘技場』を思わせるような不思議な雰囲気を期待していたのだが、客席は写さず、アナウンサーは例によっての興奮口調でしゃべっているから、普通の試合中継とかわらない。
 たいして面白くないので、途中から普通のニュースに切り替え、引き続き「エンタツ・アチャコ」(NHK「その時歴史が動いた」)を見るのであった。

6月9日(木) 播州龍野の日常
 朝4時に朝刊の届く音で目が覚める。
 便利なものよ、この田舎の静寂は。
 奈良の造り酒屋のU原さんちの近所は「自分の心臓の鼓動が聞こえるくらい」静かなんだそうだが、それも困るね。放屁の音がお隣りまで聞こえてもなあ……。
 などと憂慮すること多い田舎生活である。
 職業野球も蹴球もさほど面白くない。ただ、大相撲のみ、やたら面白い、場外乱闘だけど。
 ということで、図書館、うかいや書店など回って、「若貴戦」の記事を読む。
 週刊朝日……森下さんという女中がしゃべっとる。貴支援。
 週刊文春……貴がしゃべって、上記女中も傍証を語る。
 週刊新潮……慶子・諸悪の根源説。渡辺「スケベ作家」淳一くんの、ピントはずれエッセイもあり。双子山に原因あり説で、そりゃ一因はあろうが、こんな暴論が通るなら、世間の男兄弟、喧嘩ばかりだろうが。
 共通しているのは「若が単なるスケベ兄ちゃん」であることか。
 おれの現時点分析は「アホがアホを生みアホとくっつき、さらに周囲にアホ(女中とかゴマスリ・ジャーナリスト含む)を呼び寄せた」……というところか。
 ただ、アホ息子ふたり、相撲とらせりゃ凄かった、特に弟は……これだけは確かである。
 むろん、おれの立場はアホ野次馬である。アホ故にアホに敏感。
 ますます面白くなりそうな。

6月10日(金) 播州龍野の日常
 暑くなった。
 おれは快適だが、暑さに弱い老母は、はやくも夏バテの兆候。
 昨日コタツの布団を片づけたばかりというのに、扇風機のチェックを行う。
 昼のテレビ番組で貴乃花のインタビューを見て、ちょっと驚く。
 その語り口、昨日読んだ週刊文春のインタビュー記事そのままで、きわめて明晰。てっきり記者が構成した記事だと思っていたのだが、これはおそらく貴乃花の語りをほとんどそのままテープ起しした記事に思えてくる。
 取的時代の無愛想な語り口とはまったくちがう。
 これを見ると「師匠の言いつけを頑なに守ってきた」という言い分も信憑性を帯びてくるから不思議だ。
 これに対して、森下なんとか(仮名・54歳)という女中のしゃべることしゃべること。職業倫理なんてものは貞操同様どこかに置き忘れてきたようなやかましさ。
 こうなるとスケベ兄ちゃん・若乃花がいちばんの芸なしということになるぞ。
 反撃を期待する。
 面白くなってくるなあ。
 と、若貴戦とは関係なく、「疎開小説」を読む。
 早川幾忠『あまざかる鄙に五年』につづき、佐江衆一『遙か戦火を離れて』
 疎開……特に学童疎開(集団疎開)については、別項を立てる予定である。
 午後8時を過ぎると、もう深夜の雰囲気である。

6月11日(土) 播州龍野→大阪
 午前3時から雨になった。入梅らしい。
 午後、帰阪。
 夕刻から天満・エル大阪へ。
 創作サポートセンターの講義の日である。
 帰宅午後9時。
 たまっていた新聞に目を通していたら「磯田敏夫文学にネオンの光を」という記事。
 「磯田文学」といっても磯田光一ではない。
 映画『ネオン太平記』の原作者(としておれは知ったものだから)の磯田敏夫氏である。
 昨年86歳で亡くなられ、6月26日13:30〜堺市北野田の文化会館で一周忌の「ネオン太平忌」があるという。
 昨年まで生きてはったのだ。『ネオン太平記』のビデオ上映もあるから、若き日の米朝師匠と小松さんが登場する冒頭シーンを見に行ってもいいのだが、ちと遠いなあ。

6月12日(日) 穴蔵
 終日穴蔵。
 龍野から帰った翌日はだいたいこうなる。「田舎疲れ」であろう。
 疎開から戻った少年は、これどころではなかったであろうなあ。
 おれは田舎から大阪に戻ると安息できる「穴蔵」があるが、学童疎開の場合、戻ったら家はなし、そのまま戦災孤児になることもあったのだから。
 ということで、引き続き疎開小説。
 柏原兵三『長い道』と高井有一『少年たちの戦場』を読む。
 結局は小林信彦『冬の神話』がずば抜けた傑作であることが確認できた。
 夜は専属料理人の作った創作料理?
 肉類をワインで煮込んだのとか温野菜数種類にややこしいドレッシング(隠し味がわさび漬け?)をかけたのとか、色々。そこいらの店だと3000円くらいはすると自称する数皿並べて白ワイン。
 集団疎開では考えられないメニューだが……わし、厚揚げの焼いたのとか肉じゃがでビールがいいんだけどねえ。

6月13日(月) 穴蔵/市内を歩く
 午前中、穴蔵。
 ラジオとテレビを断続的に視聴。
 午後の「双子山協会葬」に備えて、朝から中継……まるで開戦前夜っつうか、葬儀というよりも若貴の果たし合いが始まるようなものものしさである。
 アホかいな、であるな。
 昼、地下鉄で西長堀、中央図書館へ。
 資料の返却と、ちょっと調べものをして、本町に戻り、ボンクラ・サラリーマン時代からの馴染みの店で遅めの昼飯。
 あとは炎天下を歩いて帰ることにする。
 御堂筋、10年前に較べて、銀杏が「痩せてきた」というか、葉の少ない木が増えてきたなあ。
 中之島、水晶橋を渡り、裁判所。
 面白そうなのをやってたら、休憩かねて傍聴していこうかと思ったが、覚醒剤事件が圧倒的に多くて興ざめである。
 そのまま北上。
 老松町の十字路、昔のヌル・スタジオ近くを、おかしな浮浪者らしき男が歩行中。
 脚を開き気味にして、相撲のすり足みたいな歩き方である。
 後ろからみたら、ズボンの「中心あたり」から両側、それにシャツの中央下の部分が「褐色」に染まっている。
  
 うーん、どんな事情でかかる色彩になったのやら。
 平気なのかねえ。
 ルン吉くんの方がよほど清潔な感じがしてくる。
 ハチでコーヒー。
 ハチママ、昨日の午後、香芝での山下さんのコンサートに行ったと、ひとしきり自慢話。誘ってくれたら行けたのに。
 さらに歩いて北上。
 「ジャズの専門店ミムラ」に寄る。
 ルン吉くん、元気に店の前を通過しているらしい。一安心である。
 ボブ・ライトマイヤーのトリオのがあってゲット。
 歩いて穴蔵に戻る。
 よく歩いた。
 夕刻のニュースでは協会葬で「乱闘」はなかったらしい。残念。
 ホームページの「雑読雑聴」をリニューアル。古いことを少し書くことにする。

6月14日(火) 大阪→播州龍野
 早朝の電車(姫新線以外は私鉄)で播州龍野へ移動。
 またしばらくの「疎開」である。
 専属料理人からややこしい電話。
 留守電にわめき声で「殺すぞ!」というメッセージが入っていたのだという。
 050なんとかでIP電話か?
 基地外からの電話であろう。
 ただ、おれがブログに「播州龍野にいる」と書くと、大阪が留守ということがわかるから怖いという。
 うーん。
 ちと迷うが……誰を「殺す」といっとるのだ? おれを殺すつもりなら、来てもいないよといってるわけで、かえって安心なのではないか。
 専属料理人を殺すといっとるのなら、まあ、……うーん、殺されるような心当たりあるのか?
 ま、腕力ではおれより強いボンクラ息子が(たぶん)常駐しとるわけだし。
 ということで、おれの居所は隠さないことにする。
 このブログは全部フィクションという可能性もあるけど。(つまり、おれを殺しにわざわざ龍野へ来てもらっても、いないかもしれないからね)
 田舎の夜は早い。
 21時というのに、もう眠いのである。

6月15日(水) 播州龍野の日常
 予報は梅雨空であったが晴である。
 早朝に「除草作業」……つまり雑草の刈り取りである。
 タイムマシン格納庫の周辺、ドクダミその他の雑草が繁殖。おれは雑木も雑草も好きなのだが、放置しておくと田舎のことゆえ、何かとうるさいのである。
 パートナーの某君と集中して1時間。汗ダラダラ。
 ……ボンクラ・サラリーマン時代に某堺方面の工場に「わが社で一番の高給草むしり」と呼ばれるのがいたことを思い出す。推定時給4千円相当。しかし、お役所関係に比較すれば、たぶん安いものなのだろうなあ。
 ちなみに、わがタイムマシン関係でいえば、草むしりは時給2千円である。
 草むしりに限らず、機構設計もソフト開発も組立作業も荷造りも事務処理も同額。ただし、多少の得手不得手はあっても、すべての業務をこなせなければならない。設計も草むしりも対等にしかも同じ熱意で取り組むところがダンディズムなのである。しかも経営者を兼ねる。経営者がパートタイマーを兼務するからこそ効率が上がるのである(そら、普通の「自営業」やんけ、といわれそうだが、ちがうんだなあ、これが)……ま、これ以上のノウハウは明かさんとこ。ホリエモンもそうだけど、ノウハウ開示して自慢し始めたところから没落が始まるのである。
 などと考えつつ、朝の農作業終了。
 シャワーを浴びて、あとは龍野の「退屈な日常」に戻る。
 本日の仕事はパートタイマー1時間と作家3時間である。作家の「時給」は明かさないけどね。
 午後8時、老母は就眠。
 周辺、もう深夜の気配である。

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