永井永光『父 荷風』(白水社)
荷風の養子である人が、たぶん初めて本格的に荷風を語った。
構成者は明記されていないが、聞き書き。したがって、残念ながら生々しさはない。
こちらが知りたいこと(荷風の死後のドタバタなど)は微妙にぼかしてある。
この人の経歴には興味があるが、これも淡泊なもの。
当時の週刊誌の報道に対して、私怨をぶちまけてほしかったがなあ。
おっと思ったのは市川時代に、荷風が正岡容邸を何度か訪ねているあたり。
米朝師匠が門下生になったのは正岡容が大塚の花街に住んでいた昭和18年。
戦災で焼け出されて、昭和21年に市川市笹塚に居を構える。
が、この頃は、米朝師匠はサラリーマン!である。
戦後、米朝師匠はどの程度の頻度で正岡邸を訪れたのだろうか。
ひょっとしてそこで荷風と米朝が顔を合わせるということはなかったのだろうか。
あったとすれば、どう感じはったか。
「嫌なやつがいい小説を書くんだよ」((C)筒井康隆「大いなる助走」)みたいに思われたか……興味あるところだが、作品になりませんかね→むさしさん。
(2005.7.14)