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『マッドサイエンティストの手帳』342

●ブリーゲン師


 2005年6月30日の朝刊に「ロベール・ヴリーゲン」氏の訃報。
 「ロベール・ヴリーゲンさん(大阪芸術大学名誉教授、ベルギーフランドル交流センター元館長) 26日、肝臓がんで死去。76歳。ルネサンス音楽の研究者。同センターが設立された75年から館長を約20年間務めた。」
 わが記憶では「ロベルト・ブリーゲン神父」である。
 Robert VLIEGEN が正規の表記。
 76歳というのは意外な若さである。
 ぼくの、中学〜高校時代の音楽の教師であった。
 15,6歳の少年にとって、今考えれば30代半ばだが、ベルギー出身の神父であり、ずっと年上の印象だった。
 ブリーゲン神父……ご本人のいないところでは「ブリさん」と呼んでいた。
 中学では「音楽」が教科にあるから習ったが、ぼくは中学時代に音楽部に入り、クラリネットを始めた。(3年上に兄がいて、トランペットを吹いていた)
 吹奏楽部で行進曲がメイン。
 その音楽部の指導もブリさんの担当であった。
 ただ……当時は、そんなに偉い人だとは知らなかった。
 ぼくは、当時、神戸放送の電リクで聴いた鈴木章治とジョージ・ルイス(極端な組み合わせだが、どちらも、生涯聴きつづけることになる)でジャズ・クラが好きになり、ジャズがやりたくてしかたがなかった。
 ただ、ちょっと真似て、グッドマンのフレーズを吹いたら、ひどくしかられたことがある。
 基本もできてないのに変な吹き方ををするなということであったのだろう。
 「ジャズは芸術ではない。芸術に高めたのはストラビンスキーです」とも。
 当時バンド『火の鳥』の来日公演が姫路でもあったはず。
 ま、今なら反論できないではないけど……。
   音楽部は高校2年の夏までつづけた。
 ブリーゲン神父は社会人の管弦楽団の指導もしていて、欠員があるからそちらへ入ってみないかという話があった。
 一度、見学を兼ねてその楽団の練習に参加した。(部室と同じ教会の敷地内で行われていたのである)
 が……ともかくレベルが違う。
 それに、抜群にうまいクラリネットの人がいて、こりゃとても一緒に演奏できのレベルではないと、早々に退散した。
 ※その後40年以上経って、キャッスル・ジャズバンドの「My Happy Jazz Story」を読んだら、この抜群のクラリネットは、おそらく若き日の桔梗亮三さんであったと思っている。
 その頃は、受験勉強に本腰を入れろといわれていた時期だし、NULLに入会してSFの習作を始めていたし、音楽よりはSFだなと思い始めていたし。
 ということで、音楽部をやめ、ブリーゲン神父とは卒業以来、会うことがないままである。
 ブリさんは、その後、大阪に移り、音楽大の教授に転身。
 ぼくは見ていないのだが、70年の大阪万博では、なぜか小松左京さんと並んでいるところが放映されたという。
 たぶんベルギーとの親善関係だったのだろう。
 ・ベルギー王冠勲章
 ・ベルギー王立アカデミー芸術院会員
 ・(財)ベルギーフランドル交流センターを設立
 ・ベルギーリムブルグ州音楽賞受賞
 ・在大阪ベルギー名誉領事
 ・ベルギー王冠勲章(オフィサー賞)授与
 ・大阪市国際親善功労賞受賞
 ・国際人文科学アカデミー(パリ)音楽学博士
 ・勲三等瑞宝章叙勲
 同窓会などで色々な伝聞を総合すれば、こんなにえらい人だとは知らなかった。
 教えてほしかったことが色々出てきたのはぼくが40歳を過ぎてからである。
 同じ大阪なのだから、訪ねていけばよかったはずが、なんとなくそのままになってしまった。
 ぼくのいちばんの思い出は、学園祭「ファミリーフェア」で当時のヒット曲『南国土佐を後にして』を演奏したことで、この写譜の半分くらいをぼくがやった。コピー機なんてない時代で、たいへんだった。
 ブリさんは指揮しつつ、体を反転させて3番まで歌った。
 大受けだったなあ……。

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