東谷護『進駐軍クラブから歌謡曲へ』(みすず書房)
副題は「戦後日本ポピュラー音楽の黎明期」
博士論文がベースになっているが、そう堅苦しい本ではない。
映画『この世の外へ クラブ進駐軍』で取り上げられた「進駐軍クラブ」の実態と、それが日本のポピュラー音楽に与えた影響がテーマ。
著者の姿勢が「日本におけるアメリカナイゼーションの考察には(中略)マクロな立場から理論化を急ぐあまり、個々の事例を詳らかに検討することなく、表面だけをさらっていくきらいがある。このような方法に私は声を大にして異を唱えたい」(いいぞ! この姿勢、おれは大賛成だ)
で、東谷氏が始めたのは、文献蒐集と平行して、当時の現場にいた人たちへのインタビューである。
ジャズメンについては自伝や評伝である程度知られている。
ここで貴重なのは、「クラブマネージャー」「仲介業者」(特に「拾い」をやってた人)「クラブ従業員」らの証言である。
これらをベースに、「進駐軍クラブ」の復元図まで作られている。
・アマチュアに毛の生えたようなバンドでも仕事に呼ばれたのは、聞き手の米兵の多くは「田舎」出で、ニューヨークでバンドを聴くことなど、戦争がなければなかったかもしれない連中相手だったから。
・ほとんどがグレン・ミラー風。ビバップが要求されたのは黒人兵が来る低ランクのクラブだけ。
・「拾い」で編成される臨時バンドは楽譜を持ってるのがバンマスになりギャラの配分もやる。
・楽譜の入手経路の分析……
等々、面白いエピソードいっぱい。
ただ、論旨の大きな流れは、日本の戦後ジャズの流れではなく、もっと広い。この時期にできあがったバンドの構成が、その後、1980年代までの「歌謡曲」の歌伴に継承されている(多くの演奏者もこちらに流れる)というもの。
わが関心からは外れていく方向だが、テレビの歌謡番組などの変遷を見れば、説得力を持つ。
ところで、週刊新潮(05.7.21号)の「森進一の金銭トラブル」という記事。
要するに落ち目だからバックバンドのギャラを半額にしてリストラしようとして揉めているということだが、このバンドが「松本文男&ミュージックメーカーズ」
松本文男がまだ現役のバンマスというのも驚きだが、「日本のハリー・ジェームス」が森進一の演歌の歌伴をやってきたというのは、まさに本書の論脈を裏づけている。
そして……森進一が1980年代末から、すでに時代から遅れはじめていたということの証明でもあるのだが。
(2005.7.13)