『マッドサイエンティストの手帳』501

●マッドサイエンティスト日記(2011年4月後半)


主な事件
 ・大阪←→播州龍野、いたりきたり
 ・NEW ORLEANS JAZZ CARNIVAL(17日)
 ・鈴木孝紀カルテット(21日)
 ・NTT西日本・山名英俊に告ぐ(22日)
 ・創サポ講義(23日)
 ・神戸レコードコンサート(24日)


4月16日(土) 穴蔵
 定刻午前4時前に起き、4時30分から「日本の話芸」で桂雀三郎『胴乱の幸助』を見る。
 震災報道の合間にこういうのを見るとホッとするなあ。
 雀さんは今や上方落語の頂点にいるようだ。
 終日穴蔵……のつもりであったが、ちょっと気になるところあって、昼過ぎにキタ図書館へ。
 政治的なことは書きたくないのだが……
 震災対策に、やたら「会議」や「本部」が乱立して、官邸が機能不全に陥っているという。
 で、この1週間ほどの新聞各紙をチェックしてみた。
 恐ろしいことになっている。
 なかでは産経新聞の「官邸機能せず」という3回連載の特集記事がずば抜けている。
 菅は(気晴らしとしか思えない外出を兼ねて)現地視察に行く以外は、執務室に閉じこもって新聞や雑誌の切り抜きを読んでいるだけ、よほどの緊急時でなければ誰もドアをノックしない。菅が誰かれかまわず怒鳴り散らすからという。
 この非常時に首相交代はという議論があるが、菅は何もしていないのだから、即刻退任で何の支障もない。
 日本は滅びるぜ。
 本日の報道では、内閣官房参与の松本健一を「菅の失言を漏らした?(10年20年は住めないってのね。おれはその通りだと思うが)」ため解任とかいうが……即刻解任すべきは五十嵐敬喜だろう。
 組織乱立も五十嵐敬喜の悪知恵ではないのか。
 ともかく規制規制規制で、やたら組織や条例を作って身動きとれなくしてしまうのが、この慾ボケ三百代言のやり口である。
 それがいかに酷いかを、おれは松原隆一郎『失われた景観』(PHP新書)の「真鶴町の事例」で知った。(松原教授の紹介の意図とおれの解釈・評価はちがうのだが)
 ともかく、五十嵐敬喜はこんな時にいちばん出てきてはいけない男なのである。
 菅とともに、即刻(できればこの世から)退席したまえ。
 と、血圧が急上昇してしまった。
 夜、自宅へ行ったら、ボンクラ息子その2が、肉団子、豆もやし、ポテサラを並べていたので、それを分けてもらってビール。
 マイケル・サンデルの震災に関する「白熱教室」をちょっと見るが、設問の「誘導」が露骨で途中で切る。

4月17日(日) NEW ORLEANS JAZZ CARNIVAL
 午後、梅田新道のビアホール「スーパードライ」へ。
 復活祭の頃に行われる春の恒例行事「NEW ORLEANS JAZZ FESTIVAL」である。
 いつもは専属料理人がスタッフとして手伝うのだが、よんどころない事情でおれひとり参加。
 出演5バンドを訊きながら、13〜17時、4時間にわたってビール、ワインを飲み続けるから、これは効くわなあ。
 同じテーブルの品のいい「老嬢」、デジカメで写真を撮ったりチャールストンを踊ったり……訊けば90歳だとか。
 うちの母親とそんなに変わらないではないか。
 ということで、酩酊寸前で帰館、そのまま寝る。

4月18日(月) 大阪→播州龍野
 洗濯などを含む雑事色々。
 午後の電車で播州龍野へ移動する。
 こちらでも雑事色々。
 夜は、来る前にミムラで入手した、マグナス・ヨルト・トリオの新作『Gershwin』を聴きながら、ひとり寂しくビールを飲む。
 ヨルトの新作は、なんとストリングスを入れたガーシュイン・ナンバーで、また新しい一面を披露している。

4月19日(火) 播州龍野→大阪
 午前中、慌ただしく播州龍野市内、数ヶ所をウロウロ。
 年初からの残務整理、いよいよ大詰めである。
 午後の電車で帰阪。
 風が冷たくなり、移動途中で雨になった。くしゃみ鼻水がひどくなるが、花粉より寒さのせいかも。
 ついてない日である。
 専属料理人不在につき、夜は「安呑み屋なにわ」へ行こうかと思ってたら、ボンクラ息子その2が昨夜作ったらしい料理が残っていた。
 大根のたいたん(こんなのを作るのが結構うまい)、ヤッコ、トマトサラダでビール、カレーで終わる。
 早寝。

4月20日(水) 穴蔵
 終日穴蔵。
 運動不足はわかっているが、肌寒くて出歩く気がしない。
 さりとてたいして仕事もできず。
 週末の講義のために資料を読んで過ごす。
 タイムマシン関係で、昨年末に亡くなった某氏の代わりに板金関係を引き受けてくれるところを探さねばならず、20年近くごぶさたの某金属に電話してみたら、若々しい声の「社長」が出てきた。
 「失礼ですが息子さんでっか?」
 「もう代わって10年くらいになります」
 どことも代替わりが進んでいるのである。
 近日訪問することに。
 専属料理人不在、調理が面倒になり、夜はコンビニで弁当を買ってきてビール。
 まずい。
 こんなことは滅多にやらないのだが……。

4月21日(木) 穴蔵/鈴木孝紀カルテット
 終日穴蔵。
 天気晴朗なれど、まだヒノキ花粉が多そうで、出歩く気分にならない。
 これでは足が弱りそうなので、夕刻、歩いて梅田へ。
 曾根崎小学校南側の「寿司屋通り」を抜ける。
 と、「市力」が「お初」という和食の店に変わっているのに気づく。
 半世紀近く利用してきた店であったが、しばらく来てなかったからなあ。
 この路地は10店近い寿司屋が並んでいたが、今や「亀寿司」だけになった。
 たぶん「回転寿司」に客を奪われたのであろう。
 ロイヤルホースへ。
 本日は鈴木孝紀カルテットが出演。
 鈴木孝紀(cl,bcl) 大野こうじ(g) 時安吉宏(b) 佐藤英宜(ds)
 鈴木さんが新たに結成したピアノレスのカルテットである。
  *
 スタンダードに加えて、半分近くがオリジナルで、作曲センスもなかなか。
 ギター、ベースともに若く、これからの活躍が期待できそうな。
 明日が北村英治さんのライブなので、今日は寂しいのではないかと心配していたのだが、まずまずの盛況でなによりであった。
 「響」の水割りを数杯、歩いて帰館、本日は推定3000歩。

4月22日(金) 穴蔵/某金属工業所/NTT西日本・山名英俊に告ぐ
 朝から小雨が降りつづく。
 終日穴蔵……といきたいところなれど、こんな日に限って出かけなければならぬ用事が発生する。
 先日来、晴れれば籠もり降れば出かけるパターンに陥っているような。
 阪急三国へ。
 駅前の立ち食い「三国そば」で昼食……ここの味は相変わらず「阪急沿線でトップ」である。
 6、7分歩いて某金属工業所へ。
 サンプルをクルマで運んできた相棒の某くんと合流して、タイムマシン外装鋼板の製作打ち合わせ。
 図面の大部分はAUTOCADではない手書きだから、相当手間がかかりそうで、コストアップは必至である。
 帰路の車中で相棒の某くんと話す。
 「亡くなったあの男は、考えてみれば、たいしたやつだったんだなあ」
 おれもこんな風に評価されたいものだ。
 宮崎のテリーくんから宅配便が届く。
 おおっ、ちりめんタコの入った宮崎のちりめんである。(カントリーママのパンやマドレーヌも。)
  *
 この「未選別さ」がいいなあ。
 ということで、夜は手のかからぬ総菜類を並べてビール、タコ入りちりめんで「神の河」湯割り。
 専属料理人がいれば、ナスの炒めたのにトッピングしたり、サラダに混ぜたり、バリエーションが増えるのだろうけど、こういうのはそのまま食すのがいい。磯の香りがたまらない。
 ということで、気分よく穴蔵に戻ったところに、とつぜん電話。
 NTT西日本の山名という男から、明日(4月23日)わが集合住宅のエントランスで「フレッツ光の説明会云々」としゃべりだす。
 それは、チラシ(というよりも「すでにご利用の方にもと、わが名前入りの案内資料がメールボックスに入っていた)で知っている。ちょっと相談してグレードアップしようかと思っていたところにこの電話で、気が変わった。
「この番号は非公開だから、電話はやめてください」
「あ、失礼しました。それで、明日ですね……」とまだしゃべろうとする。
「電話するなとゆうとるやろ!」と怒鳴りつけて電話を切った。
 電話の主は、
  NTT西日本 大阪支店 営業部 第5フレッツ光推進担当
  山名英俊
  お問い合わせは 0120-230-367
 である。
 ともかくおれは、穴蔵に電話を引いて以来、NTTからのセールス電話に悩まされつづけてきた。
 2003年6月28日には抗議して、処置するとの約束を取り付けている。約束したのはNTT西日本・豊中のフジキと名乗る男である。
 しばらくおとなしかったのに、2004年にまたあった。
 さらに、NTT西日本は、わが非公開の番号をNTT販売パートナーの矢野に漏洩して(その根拠はNTT西日本・板倉大明の強姦容疑とかこの事件とかね)多大な迷惑をかけた上に、その番号は幾つか名簿業者に流れている(たとえばこんな被害、他にもある)。
 そのうえ、またもNTT本体からの電話である。
 たぶん山名英俊は命じられてかかる迷惑行為を繰り返しているのだろう。
 明日見かけたらぶん殴ってやろうか……かなり迷う。
 いや、ここは冷静に、やはり大竹伸一に抗議すべきだろうな。
 ともかく、これを機会に、フレッツ光は解約して、e-mobileに切り替えることにしよう。

4月23日(土) 穴蔵/創サポ講義
 定刻午前4時に起床、4時30分から「日本の話芸」で柳家小さん(6代目?)の『一人酒盛』をちょっと見るが、いやはや。
 「日本の話芸」は当たり外れが大きく、外れた日はろくなことがない。
 終日穴蔵。
 集合住宅のエントランスでNTT西日本の山名英俊が終日「説明会」とかをやっているらしいから、怖くて通れないのである。
 山名が怖いのではない。
 思わず殴ってしまいそうで、それが怖いのである。
 「SF作家、NTT社員を撲殺」なんて大きな見出しが頭に浮かぶ。
 いや、今なら震災のニュースに紛れてベタ記事で済むかな、などと愚考する。
 困ったことだ。次の総会では、悪徳企業にエントランスを使用させるなと提案することにしよう。
 ということで、山名が退去した17時を過ぎてから出かけることにする。
 天満のエルおおさかで創作サポートセンターの講義。
 別教室の担当は芦辺拓さんで、開始前に10分ほど雑談。
 なんでも「東千代之介の主演映画」を見せて講義するためにはるばる東京から来たという。
 おれもそちらに参加したくなるなあ。いったい何をやるのやら。
 わが教室は提出作品4篇中心に。
・東寺の骨董市で和尚が不思議なチベット像を手に入れる顛末。「聞き上手」な和尚が語るという、不思議な語り口で、聞書きの小説化という雰囲気が面白い。
・砂漠のなかで孤立した村から歩いて脱出?しようとする少年。砂漠のイメージはいいが背景の設定が弱い。設定の一例を考えてみたが、これは現実の生々しい事件を想起させるのでちと困った。
・とつぜん「あの世」へ行った男の話。ユニークな設定だが、話が動き出す前に中座してしまった感あり。地獄を舞台とする作品で「地獄八景」を超えるのはの至難どころか、不可能なのではないかと思う。
・ガン告知された青年の心の変化を女の子の幽霊?をからませて描いた中編。秀作である。おれがコメントするのが適任か迷うが、心理描写がよく、それに刺激されて、おれが大学時代に漱石作品の1文から発見したレトリック(これは今まで誰にも…かんべむさし氏にすら話したことがない)を公開する。おれのいいたいのは、漱石のレトリックが、心理描写にも宇宙描写にも応用がきくということなのだが、参考になったかどうか。
 専属料理人不在につき、帰路、たまたま目にとまったウナギ屋に入ったが……悲惨。やっぱりついてない日だ。

4月24日(日) レコードコンサート/播州龍野へ移動
 穴蔵にて雑事。
 昼頃に這い出て、神戸へ向かう。
 阪急・春日野道で降りるのは初めてである。
 葺合文化センターの視聴覚室で、M渡さん主催のジャズ・レコード・コンサートにはじめて参加させていただく。
 もう7年ほどになる鑑賞会らしい。
 
 音響はなかなかいい。
 もともとがそうなのか、本日が特別なのか、30〜40年代のが中心で、おれがジャズに目覚めるはるか以前のレコードが中心。
 川畑文子、南里文雄、エセル・ウォーターズ、ヴァレイダス・スノウ、リリー・クリスチャンなどなど……これにサイドメンの詳しい紹介があるから、恐ろしきレベルの高さである。
 古い映像にバディ・デフランコが歌伴でチラッと映ったり、感涙ものであるなあ。
 東日本大震災の募金もあり。いくらでも結構、気に入ったCDがあれば1枚どうぞと、名盤が数十枚並べてある。
 「名前を出さないで」という条件で大量のCDの寄付があったらしい。
 マイルスやコルトレーンなど、名盤100選的なのが多くて、「全部持ってるよ」みたいな表情の人が多いところがさすがだ。
 おれは紙幣1枚を箱に押し込んで、渋いところでウィントン・ケリー「KELLY BLUE」をいただく。
 終了後、阪急〜山電〜姫新線と乗り継いで、夕闇が迫る頃に播州龍野に着く。
 コンビニで買った食材を並べて、ウィントン・ケリーを聴きつつ、ひとり寂しく晩酌。
 ウィントン・ケリーのセクステット、いいねえ。
 このグループがツアーに出て、朝飯に和食メニュ−がふたつ並んでた。
 ケリーが訊く。「納豆は誰?」…「おれや」とコルネットが答えた。その横でドラムが「滋味な昆布」を食べているのであった。
 田中啓文ならわかってくれるか。

4月25日(月) 播州龍野
 播州龍野の朝。
 昨夜は暗くなっての到着なので気づかなかったが、庭は牡丹が満開で、塀の外では紫木蓮が花開いている。
  *
 たぶん春なのである。
 が、室温は13℃、居間ではまだコタツが必要である。
 雑事色々。
 夕方近い午後に身内が集合。
 色々な事務処理。
 あと、居間で色々並べて、ビール、冷酒など飲みながらガヤガヤやってたら22時近くになった。
 寝る。

4月26日(火) 播州龍野→大阪
 播州龍野にて、兄妹3人で色々な事務処理。
 10時頃に片づいたので、兄は姫新線で姫路へ向かう。
 と、某事務所から電話があり、書類に不備があったので、作り直しました、再度押印願いたいという電話。
 慌てて兄に電話、新幹線に乗る前だったので待機してもらい、書類を受け取って、クルマで姫路駅南口まで25分、車内で押印、また龍野へ引き返す。
 慌ただしいことである。
 昼はガレリアでランチ。
 イカスミのピラフがなかなかいけまっせ。
 
 鶏籠山、新緑が鮮やかである。
 午後、ガレリア近くの某証役場へ行く。
 某款を認証してもらう。
 作業は10分もかからず、費用は○万円。
 某証人のU田センセイは写真が趣味らしく、風景写真がたくさん飾ってある。
 「センセイが撮りはったんですか」と訊いたら、おもむろに机からファイル数冊を取り出し、龍野以外に、御津の梅林、佐用のひまわり畑、山崎のコスモス、砥峰高原のススキ、室津の海……など、次の来客まで30分ほどの発作的なかば強制的鑑賞会となった。
 ええ仕事ですなあ。
 午後の電車で帰阪。
 専属料理人不在につき、夜は久しぶりに梅田の九州でビール。
 前に呑んでから、1年半ほどになるのか。

4月27日(水) 穴蔵/梅田
 晴れた空、そよぐ風。
 洗濯をし、穴蔵に掃除機をかける。
 室温23℃で初夏の気分なり。
 ただし、ヒノキ花粉はまだ終息しておらず、毛布など干すのは見合わせる。
 穴蔵にて、色々と書類作り。
 午後……所用あって梅田へ歩き出したら、雨になった。
 
 雨に濡れた新緑のペーブメントを歩く。センチメンタルになるぜ。
 ついでにQBハウスで1000円散髪。すっきりするぜ。
 夕刻、専属料理人が帰ってきた。
 ということで、夜は例によって静岡産メニューである。
 わさび漬け、しらすおろし、マグロとヒラメの刺身、サクラエビの掻き揚げ、黒はんぺんの天ぷら、サラダなど並べてビール。
 久々にまともな晩酌である。

4月28日(木) 穴蔵/梅田
 穴蔵にて粛々と雑用を片づける。
 主には集合住宅の規約改訂に関わる文書作りで、ややこしいことが多い。
 特にペット(犬)関係。
 いくら規約を定めても、罰則がないから、いかんともしがたい。
 せめて「肩身の狭い」思いで生活してくれたらいいのだが、開き直り型が増える傾向にあるような。
 昼、所用あって1時間ほど梅田往復。
 ヌー茶屋町の東側一帯、あちこちに牛の置物が並べてある。
 
 あ、三遊亭円丈…じゃなかった、ヌーちゃんのシャレか。
 また新しい商業施設…東側は「NU+」(ヌー茶屋町プラス)という名で、明日オープンらしい。
 案内板を見るに、シャレた雑貨品店が多く、おれには縁のなさそうなのばかり。
 金はあっても使い道がないなあ。

4月29日(金) 穴蔵/梅田
 世間では大型連休の初日である。
 特に出かける予定もなく、穴蔵にて雑事の継続。
 午後、散歩を兼ねて、徒歩7分・日本最大の売り場面積・書籍200万冊の丸善ジュンクドーへ行く。
 と、ロフトの前で大谷龍一郎くんが宗右衛門町ブルースを歌っている。
 新曲のキャンペーンらしい。
 
 なんでも鹿児島・宮崎を走る吉都(きっと)線にちなんでのカバー曲リリースらしい。
 平和勝っちゃんよりうまいのではないか。
 ヒットを祈る。
 九州諸君、応援してやってくれたまえ。

4月30日(土) 穴蔵/石橋
 世間では大型連休2日目である。
 ニュースで某国のロイヤル・ウェディングというのを見るが、なぜか新郎の頭髪(おれとそう変わらないような)は話題にならず、新婦の笑顔?(キスの時以外、ずっと歯をむき出しにして固定された表情)が不気味だ。
 人間離れした世界の出来事である。
 朝、某資料が届き、終日穴蔵にてそれを読む。
 夕刻に這い出て、阪急石橋へ。
 友あり遠方より帰省。
 3名集まり、格安海鮮居酒屋にて一献。
 天然かれいの姿づくり。
 
 アタマと骨だけにされて、身は食われているのに、ピクピク動いている。
 残酷なことやるよなあ……。
 と慨嘆しつつ、震災支援(一部が義援金になる)生ビールを盛大に飲み、若竹煮、うに一箱で山田錦の吟醸酒、鯖寿司で終わる。
 酩酊寸前で無事帰館。
 寝る。


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