『マッドサイエンティストの手帳』447
●マッドサイエンティスト日記(2009年2月前半)
主な事件
・中村誠一ライブ(3日)
・確定申告(6日)
2月1日(日) 穴蔵/ウロウロ
朝、久しぶりにテレビで『題名のない音楽会』で黛敏郎の特集を見る。
「饗宴」感涙ものである。
黛敏郎氏とは大澤徹訓さんの関係で2度お目にかかったことがある。
最初が毎日音楽コンクールで、四半世紀近く前、日比谷公会堂で「隣席」であった。
こちらは震え上がった。が、「題なし」口調で、ごく気楽にかつ実に丁寧に話してくださったことを覚えている。
天才は自分の(社会的な)偉さに自覚的ではないのだなと(これは手塚治虫氏にも感じたことだけど)思ったのであった。
穴蔵にて雑事色々。
午後、散歩と買い物兼ねて、梅田界隈を歩く。
ヨドバシから紀伊国屋。
帰路、茶屋町の工事現場を見る。ロフトの南側、旧東急ホテルの西側。昔ながらの茶屋町はここが最後のエリアであった。
昔の「石畳の路地」(子犬がさまようCMに使われた)は跡形もなく、奥の樹木だけが残っている。これも切り倒されるのであろう。
このエリア、商業施設で埋めてどうすんのよ。大阪駅中心に急激に増えてるのに。
「町歩き」の楽しみは、新御堂の東側、中崎町の方へ移っていくのであろうか。
MBSと茶屋町アプローズの間の通路を抜けようとしたら、梅田芸術劇場の楽屋口に「出待ち」らしき女性が密集していて通行不能。ホテルの通路を迂回する。
阪急インターナショナル・ホテル北側まで列ができている。
出し物は「エリザベート」らしいが、ここまでファンを集める出し物がまだあるのだなあ。
どんな「スター」か知らんが、不況どこ吹く風である。
帰館。
夜は牡蠣のグラタン、ブロッコリ、タコのマリネ、ビール、ワイン。
早寝するのである。
2月2日(月) 穴蔵/ウロウロ
穴蔵にて雑事の処理。
久しぶりに集合住宅関連、面倒なことである。
午後、自転車で梅田へ。金融機関関係のことあり、あとチーハに寄ってヒーコ。
帰ろうと表に出たら、北隣のややこしき「風俗ビル」の前に「太った上杉隆」みたいな男が自転車で帰ってきたところであった。この男、昨年の8月8日に出てきた不気味な「店長」である。
携帯で何やらしゃべっている。どこへだれを「派遣」しようとしているのか。
その営業実態、ハチ・マスターから色々聞いているのだが、おもろそうだなあ。昼間から不況どこ吹く風。
そういえば、マイク・モラスキーさんの連載『ジャズ喫茶という異空間』が一応完結した。
おれは某タウン誌に、ハチの半世紀を、主に梅田界隈の変化と並べて書いて、先月原稿を渡した。
その中でモラさんの連載にも触れたのだが、こんなタイミングで終わるとは思わなかった。まだ10回くらいは続くものと思っていたのである。
最終回、ジャズ喫茶の盛衰を10年刻みではなく、もっと細かい年代で区分してある。これは確かに説得力のある分類である。特に21世紀の新店舗に「惜別とかすかな希望」を重ねて終わるところは感動的だ。
おれはジャズ喫茶周辺の景観の変化をスケッチしたのだが、モラさんの連載を読むと、おれももう少し追加して書きたくなってきた。
モラスキーさんのは、今年中には本にまとまるのだろうか。
だいたいモラさん、日本にいるのか? メールすればわかるはずだが、どこかの居酒屋でばったの会いそうな気もするから、それを楽しみにしよう。
本日は煮魚、野菜炒めなどでごく軽くビール、珍しくごはんを食べて、早寝するのである。
明日は定期検診。
2月3日(火) 穴蔵/中村誠一ライブ
朝、近所の医院で定期検診。血圧は、冬にしてはまあいい方……らしい。
肩こりはやはりパソコンのせいらしい。湿布を出してもらう。
曇天が昼前に小雨が降り始め午後には本格的な雨になった。
運動すべきだが、こういう日は穴蔵にこもっているに限る。
少しは仕事もするのであった。
夜、地下鉄で谷九「SUB」へ。
中村誠一さんのライブ。
大阪で3日、レフトアローンで1日の4日連続ライブの2日目。
ギリギリで行ったらカブリツキの席があいていた。
PAなしの店だから、これは最高の席である。
中村誠一(ts/ss)西山満(b)竹田達彦(ds)のトリオで、これはロリンズの「WAY OUT EWEST」の編成ではないか。西やんのベースはヘインズと較べるべくもないけど。
割と気どった店でのライブが続く中、本日は息抜きか、普段着?のまま、打ち合わせもなし、その場で曲を決めてのスタート。その分、誠一の音色とアドリブが際だっていてたまらない。
最後は若手のトランペットや19歳のベースが入ったりして、これはこれで楽しかった。
深夜帰館。
2月4日(水) 穴蔵/日本橋
わ、目が覚めれば午前8時である。
朝寝の新記録ではないか。
いい演奏のあと一杯飲んでラーメン食った結果か。
気分よし。たまには夜遊びもするものだなあ。
終日穴蔵……のつもりであったが、タイムマシンの部品関係で、午後、日本橋へ行く。
ついでに色々回るつもりが、水曜は定休日の店が多いのであった。
1日ずらせばよかった。
「J.J.」の中古CDでケン・ペプロフスキーとリチャード・ストルツマンを発掘。ま、無駄ではなかった。
帰路、チーハに寄ってヒーコ。
ハチを出たら、隣の風俗ビルから、おなじみ“太った上杉隆”みたいな「不気味店長」が黒いコートの女性を連れて出てきたところであった。「派遣」か「配送」か。
いずこへ?! って訊きたくなるぜ。
まったくそそられるタイプじゃないんだけど。
↑プライバシーの侵害だというなら、直接おれに文句いってくるように、“上杉くん”。
しかし、最近、よく会うよなあ、この「不気味店長」とは。向こうはおれの顔は知らんだろうけど。
まっすぐ帰館。
夜は、ストルツマンを聴きつつ、バラ肉の炒めたのに温野菜・キムチ・ポテト・たまごサラダ・その他でビール・湯割り。
早寝するのである。
2月5日(木) 穴蔵
終日穴蔵。
読んだり聴いたり少し仕事したり。
ニュース雑感を色々。
●本日の週刊新潮。
“実名告白手記”島村征憲『私は朝日新聞「阪神支局」を襲撃した!』の第2回。
島村に武器を渡して襲撃を指示した「ある公的な組織に属する人物」とは「在日アメリカ大使館の職員」(←この表記がどこかおかしい)というところで「以下次号」……なんとなく怪しげな調子になってきたなあ。
手下のマモル(仮名)が秘密を抱え込んだまま死んだで終わるのではないかと心配になる。
●民主が麻生太郎を「やるやる詐欺」呼ばわりしたそうだが、太郎ちゃんは(解散総選挙を)やるやるとはいっとらんよ。おれは総裁就任時(昨年9月22日)にも、民主の質問時(10月15日)にもそう思ったし、以来、状況はぜんぜん変わっとらんじゃないの。任期ギリギリまで権力を手放すわけないよ。相変わらず同じ「お願い」を繰り返しとる民主はバカじゃないの?
おれはバカ太郎支持ではなく、早く総選挙やってほしい立場。小泉チルドレンというバブルの産物(文字通り、本来なら「泡沫候補」だったんだからな)には一刻も早く退場してほしいとは思うけどね。
●大麻取的・馬鹿麒麟(←喜多哲士さん命名)の処分が「解雇」では甘いと未だ喧しいことだが、これ、順当なところではないか。「リンチ殺人」やった親方も取的も「除名」にはなってない。昔の大鵬・柏戸の拳銃不法所持は解雇にもなってない。このことは去年の「若の鵬逮捕」(8月19日)の時に書いたとおり。大麻はせいぜい自傷行為で、他人に迷惑かけたわけでなし、リンチ殺人や拳銃不法所持に較べれば、どうってことないではないか。
●パナソニックが15000人削減。知財部門のやつらを整理しろ。おれは個人的にはこの事件は忘れておらず、「不買運動」継続中だからね。
2月6日(金) 穴蔵/確定申告/日本橋
穴蔵にて雑事。
11時前に自転車で天五の北区民センターへ。
時間指定して「確定申告の相談においでください」という案内が送られてきたのである。
文面からは「e-Tax」推進で、実技指導のように読める。
面倒なので昨年もe-Taxは使ってない。どんなものか興味もあって行ってみたら、相談員、おれがExcelでプリントしたのを見て、「あ、ここまで出来ていたら、このまま提出の方が便利です」という。
動員されている相談員も「専門」とは思えず、積極的にe-Taxを薦めている風でもない。
まあ年に一度のことだからこのソウトに「習熟」する必要もなし、10年以上使っている自作のExcelのマクロの方が便利だし、要するに「転記」の手間だけのように思える。
ということで、5分もかからず終了。
ついでだから、扇町から地下鉄で恵美須町へ。先日買えなかったタイムマシンの部品を調達。
昼は「まる榮」でカツカレー丼。
うーん、巨大トンカツ、やっぱりおれにはヘビィであるなあ。
扇町に戻り、公園を抜けて帰館。
扇町公園からは、西に赤い「鉄塔」が見える。
これ、梅田の観覧車を縦に見ているのである。
岩崎一彰(おれには岩崎賀都彰の方がなじみだが)画伯の描く土星の輪だな。
この観覧車がガタッと外れて、町並をサンダーで切るように東へ転がってくると面白いだろうな。ミムラ向かい側の「昼間から満室」の建物がスパッと切られて断面がさらされると、面白いぞ……などと愚考するのであった。
午後は満腹でアタマ働かず、帰館後、ゴロッと横になって雑読。北村英治を聴く。
ま、還付金が確定したから、本日は仕事しなくてもいいか。
明日から「収監」である。
2月7日(土) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動。
正確には午前6時始発の姫路行き阪神特急に乗る。酔っぱらいが結構多い。
「3時までのつもりだったが」などとオダあげてる会社員のグループもいる。
不況どこ吹く風であるなあ。
神戸を過ぎてやっと静かになり、須磨で日昇寸前の海を見る。
姫路での乗り換えが不便になった。
JR姫路駅が高架化して、ホームが50メートルほど南へ移動した。 従来の構内通路だった部分がコンコースになって、駅の南側への通り抜けが可能になったから、そう広くない通路を自転車で走り抜けるやからがいる。物騒な。
ローカル駅なんだなあ。
昔(1982年と思う)、JR三ノ宮駅のコンコースを走り抜けたタクシーがあった。
運ちゃんが客に「いっしょに死んどくなはれ」といったとか。『夜を走る』そのままである。
姫路駅の通路はクルマが走れる幅はないが、バイクが走り抜ける可能性は高いぞ。
龍野にて<下男>交替。
収監となる。
雑事の合間にボケーーーーッと書斎の窓から庭を眺めて過ごす。
野鳥が南天の実をついばんでいる。
シギの一種か?
しまった、大阪にいる時にヤキトリを食べておくべきであった。
こちらにはヤキトリ、ウナギ、キムチ系の店はないからなあ……。
2月8日(日) 播州龍野の日常
天気晴朗、洗濯日和である。
ということで、張り切って炊事・洗濯・書斎の掃除もする。
元気が出てきて、少しは仕事もするのであった。
ついでに来月の予定なども決めてホテルの予約なども。
発作的にどこかへ行くというのは(あの世以外は)無理だが、1月先だとなんとかなる。
余命と予定のパラドックスというのはもう少し考えてみることにする。
夕刻、おなじみ川沿いの道を30分ほど散歩。
東の山、ちょうどアンテナ群の位置から、満月に近い月が昇りはじめている。
この山の上のアンテナ群へ登ったのは2005年4月で、4年ほど前だ。
また1、2基、アンテナが増えているような。
おそらくe-mobileのであろうが、ちょっと気になるなあ。
明日、天気がよければまた登ってみることにするか。
通信アンテナ連続倒壊テロ……いや、実行はしないよ。もし書くとしたらどうするか、モデルとする現場を見に行くだけだからね。
2月9日(月) 播州龍野の日常
相も変わらず<下男仕事>に勤しむのであった。
薄曇りが午後には曇天、今にも雨が降り出しそうな。
午後に3時間くらいは自由にできそうだが、「山の上のアンテナ群」見物は断念する。
ま、いつでも行けることだから。
夕刻、2008年12月29日に加古川近くでタクシー運転手を斬殺した犯人が逮捕されたというニュース。
犯人は19歳の派遣社員。
年末年始に頻発したタクシー運転手狙い強盗のはしりである。
西播は青少年の運ちゃん殺し発祥の地か。
ちょうど8年前年末のこの事件(12/30)…世紀末に「16歳の男女」が室津でやった殺人(運ちゃんの首筋をカッターナイフで切って殺害)が嚆矢ではないか。
この16歳の男女……今は25、6歳になってるのか。
まさか……と思うが、いや、シャバに出てきて、そこいらへんで生活している公算が高いなあ。「ご近所」へ行けば、しゃべりたがりのオバハンがいっぱいいるだろうけど。
播州もんを見たらタクシー強盗と思え。
おれも播州もんである。
だからタクシーには乗らない。
2月10日(火) 播州龍野の日常
相も変わらず<下男仕事>。
洗濯物が多いのでホームセンターへ物干し竿を買いに行く。ステンレス製の継ぎ足し・伸縮型……よくできている。
不審者撃退用には、木刀より、これを槍代わりに買った方がよかったかも。
昼、息抜きにちょっと出かける。
太子町のユニクロへ行って、すり切れてきたジーンズの買い換え。
おれはジーンズはユニクロと決めている。この素材を作っているカイハラとは30年以上前(貝原織布の社名だった)から付き合いがあって、その経営姿勢(品質管理を含む)にほれぼれしていたのである。
ユニクロとともに成長してはる。いいことではないか。
で、ジーンズの裾揚げしてもらっている間に、となりの讃岐うどんセルフ店「あやがわうどん」できつね。
ここはなかなかの店である。
麺もいいが、ダシが素晴らしい。
チェーン店のようだが、播州龍野の近傍ではトップであろう。
ウチから7キロほど。時々来ることにしよう。
夕刻のニュース。
群馬県でヘリコプターが東電の送電線近くに墜落、停電でスキー場のゴンドラとリフトが停止。
「TOKYO BLACKOUT」が実行されたのかと慌てるぜ。
ということで、夜は冷蔵庫内一掃メニュー(鍋だけど)で一杯飲んで、早寝するのである。
2月11日(水) 播州龍野→大阪
昼の電車で大阪へ移動、穴蔵に戻る。
大阪が暖かいのか本日特別に気温が高いのか、ともかく楽である。
夜は専属料理人に色々並べてもらう。
豚・ソーセージ・キャベツなどの蒸し煮?(洋風煮込みか)、サラダ、ポテトパイ、ブロッコリ・いんげんなど。これでビール、白ワイン。
炊事しないのは楽であるなあ。
まあ、そのために高額で専属料理人を終身雇用しているのだが……。
飲み過ぎである。
2月12日(木) 穴蔵/ウロウロ
午前6時まで寝た。
穴蔵にて雑事の処理。
室温17℃で、体がよく動く。
書斎の仕事といっても、ちょっと本を取りに立ち上がったり、CDを交換したり、体は絶えず動かしている。
播州龍野の書斎だと机下のハロゲンヒーターでキンタマ暖めつつじっとしている(昔の股火鉢ね)。
仕事の効率がちがうなあ。
昼過ぎに梅田へ出かける。
久しぶりに駅前第4ビル地下の「めん次郎」で昼飯。おおっ、播州の「あやがわうどん」より、こっちのがうまいわ。
駅ビル地下という「うどんの激戦地」で闘い抜いているだけのことはある。
チーハに寄ってヒーコ。
ハチママ、体調崩して今週は休んでいるという。風邪ではないらしい。ちと心配な。
ということで15時頃に帰館。
近所の弥七、相変わらずの人気だなあ。15時というのに20人ほどが並んでいる。ランチとは思えず、サラリーマンが並べるわけがないから、主に河合塾の生徒か。
平日のこんな時間に普通の人がラーメンのために長時間並べるわけないものなあ。
それはともかく、広島の「歩いていこう」ニイカワくん、がんばってくれたまえ。
元時津風・山本順一が「リンチ殺人」について無罪を主張……往生際が悪いというか、現役時代の取り口が土俵際でねばるタイプだったのか、ともかく……弟子や周辺の証言がすべて一致しているのに、ただひとり「そんな指示はしていない」といい続け……麻生太郎とちがって、ブレてないのは確かだけどねえ。
判事に対して「根負け」戦法が通用するやいなや。
キムチ鍋でビール、湯割り。
早寝するのである。
2月13日(金) 穴蔵/ウロウロ
穴蔵にて雑用。
曇天だが暖かい。運動不足なので、昼、歩いて梅田へ。
金融機関関係のあと、地下街を抜けて、ジュンクドー〜駅前ビルのCDショップ〜ヨドバシと歩いて帰館。
約6800歩であった。
播州龍野方面からちと気の重い電話。
明朝からまた収監である。
早寝することにする。
2月14日(土) 大阪→播州龍野
早朝の電車……正確には、先週と同じ6時に梅田始発の阪神特急で姫路に向かう。
やっぱり酔っぱらい数組。
ただ、本日、体育会系の女子高生がやたら多い。大きなバッグ持って明石で降りていったが、なにかの大会があるのか。
酔っぱらいよりは体育会系の方がましである。
ということで、播州龍野にて、しばらく<下男>生活開始。
2階の書斎、室温は18℃である。
4月中旬並とかいうもののキンタマはふにゃふにゃならず、ストーブはつけないが、やっぱり厚着してじっとして過ごす。
キンタマのたるむ季節が待ち遠しい。
早寝するのである。
2月15日(日) 播州龍野の日常
午前6時の室温12℃で、これは大阪の真冬、こちら「ど田舎」では暖かいのであった。
炊事洗濯など、水仕事の多い「下男」にはありがたいのであった。
ボケーーーーーッと過ごす。
夕刻に近い午後、自転車で1時間ほど走る。
揖保川上流、小学校時代に遠足で来た「屏風岩」あたりまで。
このあたりは昔のまま。
冬枯れの雑木が風の中にあった。センチメンタルになるぜ。
とはいうものの、体を動かしたからであろう、無性に冷麺が食べたくなった。
が、こちらにはないのよねえ。
夜、老母の夕食につきあって、湯豆腐とシャケの塩焼きで軽くビール。
老母の入浴後、おれも(じつは3日ぶり/というのか、2晩入浴もシャワーもなしであった)風呂で体を温め、湯上がりで「代用冷麺」を作る。
すなわち、素麺+トマト+カイワレ+ハム+キムチ。出汁はそうめんツユと寄せ鍋用のスープ(ともにヒガシマル)を混ぜて薄めたが、ちと甘ったるい感じである。
研究しなければ。
これで「神の河」ロック。
21時過ぎ、そろそろ早寝するのである。
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