『マッドサイエンティストの手帳』366
●マッドサイエンティスト日記(2006年2月前半)
主な事件
・播州龍野の日常(1日〜)
・穴蔵の日々(4日〜)
・播州龍野の日常(8日〜)
・水田宗近ジャズバンド(12日)
・穴蔵の日々(13日〜)
・播州龍野の日常(15日〜)
2月1日(水) 大阪→播州龍野
昨夜から月末の雑事を色々やってたら眠れず、午前3時まで起きていた。
われながら不思議な……。
2時間ほど仮眠の後、早朝の電車で播州龍野へ移動。
夕刻まで小雨が降り続く。
3月並の気温とかいうものの、やはり寒い。
キンタマ、収縮はしないが、寒さにしおたれた感あり、拘置所のホリエモン、かくあるべしや。
熱燗飲み、早寝である。
2月2日(木) 播州龍野の日常
定刻4時に目が覚める。
寒い中、着替えてトイレに行く。
またも布団に潜り込んで、朝刊を読む。
そのままずっと寝ていたいが、プラスチック・ゴミの回収日で、「見張り」のいる7時10分〜7時30分の間に指定場所に出さねばならぬ。
その後、朝食準備。
トイレが室内にあって、朝食は運んできてくれる拘置所の方が快適なのではないか。
ホリエモンがうらやましい。
タイムマシン格納庫へ。
向かい側の家の柿の木、ついに大部分の実が腐って、ひからびたようである。
昨年10月23日に大量の実をつけ、11月1日には自重で枝が折れ、12月23日になってもまったく収穫されることなく、年が明けた1月7日でも大部分の実が残っていたのだが、この3週間で急激にしなびた。
多少はカラスがつついたようだが、鳥もまずいのは後回しにするようである。
定点観測はこれで終わる。今年の秋がどの程度か。
タイムマシン。
相棒の某くんが電装関係を担当していたが、作業ほぼ終了。
午後「火入れ」を行う。
問題なく起動! よかったよかった。
試運転で、10秒ほど過去へ。
問題なく起動! よかったよかった。
試運転で、10秒ほど過去へ。
問題なく起動! よかったよかった。
試運転で、10秒ほど過去へ。
問題なく起動! よかったよかった。
試運転で、10秒ほど過去へ。
……あ、いかん、ループにはまりかけた。
あわてて電源を切る。
あとは艤装とエージングである。
夜のヤエガキ熱燗がうまい。
2月3日(金) 播州龍野の日常
ジャズピアニスト・市川修氏の訃報。
先日、Musicraftで悪いという話は聞いていたが、1月31日に亡くなられたという。
森山さんとの共演や、関西のライブハウスで何度か聴いたが、その実力もさることながら、後進の指導にも力を注がれている大きな存在だった。
本田竹広氏につづき、夫人がヴォーカリストということでも、今年はジャズの厄年なのか……。
2月4日(土) 播州龍野→大阪
寒い。この冬いちばんの寒気だという。
朝からタイムマシン格納庫で性能チェックの作業。
8時30分、室温-2℃である。
正午でやっと5℃。
体が冷え切ってしまった。
午後、大阪へ移動。
夕刻から天満のエルおおさかで創作サポートセンターの専科講義。
提出作品6篇、ホラSFから世話物まで作風多彩。
プロレスものについて、「天才を超えた魔術師」とか「スペース・ローン・ウルフ」なんてキャッチフレーズのレスラーが出てくるので、これでは迫力がないといったら、これらは全部実在の名前なのだという。おれの方が時代に遅れているのだなあ。
森達也『悪役レスラーは笑う』(岩波新書)を読んだばかりで……これはグレート東郷の「評伝」的プロレス論だが……「カナダの密林王」や「地獄の墓堀人」や「鋼鉄怪人」「吸血鬼」「発電所」なんて凄いのを思い出していただけに、ずんぶん垢抜けてきたものと感心する。
見世物感覚からショービジネス感覚へということであろうか。
まっすぐ帰宅。
さすがに体が冷え切っていて、久しぶりに入浴(湯の中に体を沈めるという意味である)。今年2度目か。
2月5日(日) 穴蔵
終日穴蔵で過ごす。
朝と昼の食料は運び込んでおいたので、着替えずに夕刻まで過ごせる。
夢みたいであるなあ。
終日雑読。
22時〜セッション505は岸ミツアキ・トリオ+藤井寛(ヴァイヴ)、スタンダードのスイングがなかなか。
この番組、2月は井上淑彦(再放送)、谷口英治、そして森山威男が登場する。楽しみなことである。
それはそうと、岸ミツアキさんも夫人がヴォーカリストである。用心してくださいよ。
「遊歩人」2月号。
井家上隆幸さんが書評欄のアタマでライブドア騒動に触れておられる。
『演歌の明治大正史』から「あヽ金の世」の歌詞を引用。
「あヽ金の世や金の世や、地獄の沙汰も金次第。笑うも金よ泣くも金。一も二も金三も金。強欲非道と謗らうが、我利々々亡者と罵ろが、痛くも痒くもあるものか。金になりさへすればよい」
で、この歌の結びが、
「あヽ金の世や金の世や。互いに血眼皿眼、食い合い、奪ひ合い、むしり合い、負けりゃ乞食か泥棒か。のたれて死ぬか土左衛門」
で、井家上さんは、これに続けて、
「ここのドザエモンをホリエモンに替えればドンピシャリ」
爆笑ものですなあ。
テレビのワイドショーで駄弁を垂れ流しているコメンテーターなる輩も、これくらいのセンスで喋ってほしいものだ。
2月6日(月) 穴蔵/東横イン・新大阪の謎
穴蔵生活の続行。快適である。
テレビ・ニュース、東横インの法令違反改造ばかりである。
これに関して、思い出したことがある。
昔……
1970年代の後半、おれは西中島4丁目に住んでいた。
この頃、西中島5丁目……新大阪駅から在来線に沿って南へ少し行ったあたりに「前衛」という店があった。
3、4階建の小さなビルで、側面の階段を上がって2階が店である。白いプラスチックに「前衛」と書かれた看板があり、これはJR在来線・下りで新大阪を出てしばらくしたら、西側に窓からちらっと見えたはず。
これがSMショーをやる店だったのである。
むろん、おれは趣味でないから行ったことはない。
1980年代になって、この店は、なんと「食堂」になった。
和風総菜のバイキングのはしりみたいな店で、安いランチの店として雑誌に紹介された。
むろん、おれは食べに行ったことはない。この頃には、おれは中津に越していたし、SMショーやってた場所で昼飯ってのもなあ。
しかし、味はしらんが安くて評判にはなったと思う。
で、その後、いつの頃か……おれの記憶では、ここに東横インが出来たのである。
報道によれば東横インのチェーン店化は1986年からという。
東横イン・新大阪は早い方ではなかったか。
ただ(おれは、記憶力は悪い方ではないが、つまらんことばかり覚えていて、肝心なことはあやふやという悪弊がある)このへん、記憶があいまいである。
気になって、小雨が降るなか、地下鉄で西中島南方へ行く。
東横インは2つ(本館と新館)となり、堂々たるたたずまいである。
うーん、ひょっとしたら「前衛」は通りひとつ隔てた北側であったかもしれない。
昔は小さな建物が並んでいただけなのに、すっかり様変わりしている。
記憶があいまいであるなあ。
いずれにしても、昔の「前衛」ビルはない。
どなたか、「前衛」で行われていたショーの内容、その後の食堂のメニュー、体験された方がいらっしゃれば教えていただきたい。
SMショー→食堂→改造ビジネスホテルという変遷に、おれは(佐野眞一調で)底知れぬ闇を見るのであった。
東横インの社長・西田くんがSM趣味というのでは(たぶん)ありません。
2月7日(火) 穴蔵/おひとりさま?/ミナミ/ハチ
曇天である。昼過ぎ、龍野行きのための買い物に出たとたんに小雨となった。
ついてない日である。
エルマガからでているタウン誌「Meets」はコラムが面白いので時々買っているが、今号の特集が「おひとりさまの達人」。
要するに「ひとり」で飲食しやすい店とノウハウの特集である。
へぇ〜〜〜と思ってしまうねえ。
おれは(まあ自分でも相当孤独癖が強い方だと自覚しているが)原則的にひとりで食事するのが好きで、親しい人とふたりはいいが、3人以上となると、色々と迷いが生じる。団体は苦手で、ましてこれを仕切るのはたいへんである。10年前まではやったが、もう無理だ。
したがって「おひとりさま」をわざわざ特集するとなると、よほど凄い店が紹介してあるのではないか……と熟読。
なんてことない、普通の店で、カウンター席で飲食すればいいというもの。カウンター席のある店なんてどこでもある。
キタ・ミナミ・京都・神戸の店が紹介してあるが、おれが(いつもひとりで)行く店は数店のみ。
カウンターだけの店(「奴」や「新喜楽」や「まん馬」など)は原則「おひとりさま歓迎」の店で、4、5人ドヤドヤの方がおかしいのである。
世の中、連れだって飲み食いするのが普通というのが、おれには不思議に思えてくるのであった。
そんなに群れたがる時代になってるのか?
特集内で、唯一「テーブル席ばかりだがひとり客への配慮がいきとどいている」というので共感を覚えたのはお初天神の「瓢亭」だけであった。
ちなみに、おれが早朝グルメで行く店はすべて「おひとりさま」が好ましい。立ち食いうどんはいうまでもない。
黒門市場で買い物。
昼飯はひとり「あそこ」でカレーうどん。うまいけど、高くなったなあ……。
久しぶりに心斎橋まで歩く。
東急ハンズ、システム・ダイアリー関係はもう置いてない。通販しか無理か。
梅田・ハチに寄ってコーヒー。
4月に山下さんとオーネット・コールマンの共演がシンフォニー・ホールであり、チラシを貰う。
ただ、本当に「共演」となるかどうかは行ってみないとわからないようである。
今さらコールマンというのもなあ……。
2月8日(水) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ……のつもりが、8時頃まで『朝はミラクル』を聞いたので、到着は10時を過ぎる。
ちなみに、『朝ミラ』の話題は、トベクマさんが以前コメントされていた泉州方面の景況についてであった。
播州龍野、立春とはいえ丸裸……にされたような寒さ。
雪までちらつく。
またしばらく収容所列島生活である。
2月9日(木) 播州龍野の日常
老母が孫より可愛がっていた猫が2001年1月に死んでもう5年になる。
その後、ネズミは出なかったのだが、老母が台所で小ネズミを見たという。
ホームセンターへ行って、ネズミ退治の道具を調べる。
バネで挟む古典的なのもまだ売っているのだなあ。
おれは野良猫捕獲は得意だが、ネズミはよくわからん。
ゴキブリホイホイの大型みたいなのを試してみることにする。
2月10日(金) 播州龍野の日常/タイムマシン
2月にしては穏やかな日である。
タイムマシン格納庫にてマシンのエージング。
と、さる映画関係方面からメール。
ブラッドペリのタイムもの短編が映画化されて来月封切りらしい。この景気づけイベントとして、わがタイムマシン研究の成果発表か「タイムマシンの実物公開」は可能かという打診である。
映画は面白そうである。「サウンド・オブ・サンダー」は、『太陽の黄金の林檎』の中の「雷のような音」だが、これがスペクタクルSF?になるらしい。
ただ、おれのタイムマシンは基本的には非公開で、まだ恐竜見物に行けるほどの性能は備えてないので、今回は見送りとさせていただく。
わがタイムマシンについては、松田卓也博士のホームページのエッセイ・コーナー「松田卓也が語る」の中の「明るい穴蔵生活」である程度明かされている。
考えてみれば、わが国でタイムマシン研究に一番熱心なのは松田卓也博士ではないか。以前、京都でハードSF研の例会にゲストでおいでいただいたが、その時に話されたタイムマシン論はきわめてユニークなものだった。
松田「……と、堀さん、これはSFになりますかね」
おれ「うーん、そのタイムマシン、松田研究室が開発したと発表すれば、発明者は信じているが世間は信用しないということになるのですか?」
松田「逆じゃないですか……手の内はこちらが知っているわけだから」
つまり、半村良さんの「闇の中の……」シリーズになりそうなアイデアなのである。
もっとも、松田博士の論じる航時理論はこれに限らず、色々ある。
映画化できそうなのもあるがなあ。
ブラッドベリ作品の映画化は「原始怪獣現る」「華氏451度」とあり、「刺青の男」以来かなと思ったら、結構他にもあるのだなあ。
ま、映画化は無理としても、おれは本日もタイムマシン開発にいそしむのであった。
2月11日(土) 播州龍野の日常
昨日の報告忘れ……別に報告することでもないのだが、台所の隅に仕掛けた「ネズミ獲り粘着板」、見事に小ネズミ2匹をくっつけていた。
その処理についてし詳述を控える。
引き続き昨夜も仕掛けたが成果ゼロ。
これで終わりなら、それに越したことはないのだが。
午前中、タイムマシン格納庫で雑用。
静かだなと思ったら、あ、なんと本日は祝日なのであった。
午後、久しぶりに揖保川沿い上流の方に散歩にでかける。
小学校時代の友人の住まいからさらに北へ。
昔、野鳥を捕りに時々来たところである。
ほとんど昔のまま。
冬の散歩道、寂寞として人の気配はなし。
小鳥の鳴き声もなく、ただ冬枯れの雑木がつづくのみ。
で、雑木林を抜けると「うすくち」醤油のケースがパレットに積み上げられていたりして……。
おれのアタマまで「うすくち」になってしまいそうである。
2月12日(日) 水田宗親カルテット
うへ、朝、雪がちらつく。
午後には晴れてきて、夕刻には満月が昇る。
月明かりの中、ほろ酔い気分、酒気帯び自転車で近所まで。
龍野で夜の外出というのは珍しいことである。
龍野橋東側に「ガレリア」という喫茶/絵画/文化教室/その他色々の多目的空間がある。
以前(2004年11月14日)、映画ポスター展のあったギャラリーで、揖保川に面した眺めのいい店である。
時々ジャズ・ライブのポスターが張り出されていて、前から気になっていたのだが、なかなかタイミングが合わなかった。
本日、初めて聴きに行く。
ちなみに「ガレリア」のHPには福吉久代さんのスケッチ画が載せてある。抽象画がメインの福吉さん、スケッチ画もうまいものだ。聞けば、オーナー・井上さんのご主人が画家で知り合いらしい。
出演は水田宗親カルテット。
水田宗親(as,ss),小林俊介(p),河股豊(ds),亀淵良輔(b)
水田さんは新宮町在住で、他は京阪神から参加。
編成から、チャーリー・パーカー系かなと想像していたら、最初が「オポチュニア」……という方がいいのだろうな、ロシア民謡の「黒い瞳」、つづいて「枯葉」と、スタンダード中心に軽やかなスイング。
何よりもシルバーのヤナギサワ(ふだんはセルマーだそうだが)から出る柔らかい音色がなかなか。
天井の高い木造建築で、音響もいい。
正統派のバップからボサノバまで、ワインを飲みながら2時間ほど堪能。
地元にもいいプレイヤーがいるのだなあ……。
皓々たる月明かりの中を一杯機嫌で帰館するが、龍野にこういう場所があると地域に根を下ろしてしまいそうで、ちょっとやばいね。
2月13日(月) 播州龍野→大阪/見なければよかった
雲ひとつない快晴で、この季節では珍しい。
昼間の電車で帰阪。
姫路から、本日は山陽電車〜阪神梅田の特急。
空いているから、脚を組んでシートにもたれ、本を読む。
この季節、おれが好んで履くのはPEDALAのセミブーツである。
おれは蝶結びができないので、酔っぱらって靴ひもを結ぶとたいていすぐ緩んでしまう。酒席……とくに座敷の場合は適さない。専属料理人同伴だと結んでもらったりする。
しかし、履き心地はいい。ウォーキングにも快適である。
で……ふと思いついて、靴の底を見てギョ。
この靴底の形状、今までしげしげと見たことがなかったのだが、虫酸が走るというか、生理的な嫌悪感を覚えるデザインである。
履き心地・歩き心地のよさは、この醜悪さと表裏一体であったのだ。
メルロ・ポンティによれば、靴底もおれの身体の一部ということになるのだろうか。
脚を組んでいると、通路の客は気味悪がるのではないか。
慌てて両足を床に置く。
見なければよかった。
世の中には、見なければよかったというものがある。
人間、自分の肛門はよほど体が柔軟でないと直視できない。これなんぞ、見なければいい代表ではないか。鏡に跨ると可能らしいが、おれにはその勇気はない。(野坂昭如がやったのを読んだことがある)
幸い、肛門は人目にさらしている心配はないが、自分の死角がとんでもないことになっているのに自覚してないことがあるのではないか。たとえば後頭部とか。
気になって、帰宅後、冬樹蛉さんにならって「見なければよかった」で検索してみる。
「つまらないテレビドラマとか映画」「声優の顔」「身内の日記」など想定内のが多い。ちょっと面白いと思ったのが「バツイチ旦那の最初の結婚式ビデオ」程度である。
「見てはいけないものを見てしまった」で検索……これも数は多いが、たいした事例はない。
ついでに「あったら怖い」で見たら、これはちゃんとサイトがあるのですなあ。
ざっと見たが、嘉門達夫を超えるのは見当たらない。嘉門、たいしたものだ。……おれの好きなのは「包丁のつかみ取り」というのだけど。
まあ、おれの場合、自覚ないままとんでもないものを世間にさらしていることは(たぶん)ないのだろう。今岡清ではないんだからね。
2月14日(火) 穴蔵/ハチ/ミムラ/やまもと
晴なのであった。
穴蔵で過ごすのであった。
午後になったのであった。
自転車で出かけるのであった。
たちまち小雨になったのであった。
困ったものだ。
インタープレイ・ハチへ。
「天満人」の井上編集長がコーヒーを飲んでいる。
次号に山下洋輔さんとハチママの対談が載るので、最終稿のチェックらしい。
しばらくして田中啓文さんがやってきた。
こちらはおれとの待ち合わせ。『落下する緑』の帯に山下洋輔さんの「お言葉」があり、それに関しての挨拶である。ま、洋輔さんとくればハチママだからねえ。
この本は面白いから、ジャズ・ファンにぜひとも読んで欲しいものである。
あと、啓文さんと「ジャズの専門店ミムラ」にも寄る。
啓文さん、「あそこはフリー系はあまりないはず」といいつつ、たちまち3枚衝動買い。ふだんから「金がない」という理由の一端がわかるねえ。
夕刻に近い時間、エストにあるネギ焼きの「やまもと」でビール。
先日、十三で見かけてへぇっと思った店である。そのエスト店。聞けば有名な店らしい。
牡蠣の塩焼きがなかなかのもの。
田中啓文さんとは当然ながらジャズ談義となる。アルバート・アイラーの「箱」が凄いものらしい。アメリカのジャズ研究の凄さというか、ともかく徹底的な音源の調査・蒐集の精華であって、これはわが「森山研」も手本としなければならぬところだ。
中ジョッキ3杯。
帰館後、夕食は軽くワインとする。
パキート・デリヴェラのクラリネットがたまらない。トリノでの日本勢惨敗なんてどうでもいいことである。
ということで、また明日から寒い田舎へ。
2月15日(水) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動。
四月なみの暖かさとかいう予報であったが、やっぱり寒いぞ。
さすがにキンタマが収縮してしまうほどではないが。
半日、老母の確定申告。
パソコンにフォームを入れてあるから機械的な作業なのだが、ん? 「老年者控除」というのはなくなったのか?
手引きを見ると、廃止されている。老母、老年者から久しぶりに寡婦に戻るわけである。
阪大生ホストが恐喝で逮捕されているが、強姦京大生とどちらがワルなのか。よくわからん。
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