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『マッドサイエンティストの手帳』364

●マッドサイエンティスト日記(2006年1月前半)


主な事件
 ・風邪でダウン(1〜5日)
 ・播州龍野の日常(7日〜)
 ・穴蔵の日々(13日〜)
 ・花岡詠二さん来阪(14日)



1月1日(日) 播州龍野の正月
 早寝したからとうぜん早起き。
 老母の起床を待ってかたちばかりの朝祝い。
 午後からタイムマシン格納庫にこもる予定だから、酒は飲まず、むろん餅は食べないことにしたから、普通の朝食である。
 が、昼前から悪寒がする。
 昨日午後の作業が響いたのかしらん。
 昨夜来、喉が痛かったのが、鼻水・悪寒に拡大。
 老母に移してはいかんので、感冒薬を飲んで寝る。
 オセチはこういう場合便利である。
 夕食も食べず。
 スープと風邪薬。
 また寝ることにする。
 明日は「始動」したいものだ。
 にしても、今年はまで一滴も飲んでないのだなあ……。

1月2日(月) 播州龍野の日常/発熱
 4時頃に目が覚める。悪寒変わらず。
 布団の中で「朝ミラ」を聴く。ちょっと起きてメールでメッセージを送ったら読んでくれた。
 リクエスト曲はかからず。
 老母の起きる気配。食事の世話だけして、また寝る。
 移してはいかんので、最小限の接触にしなければならぬ。
 タイムマシン作業が気になるが未だ始動できず。
 風邪薬でアタマ朦朧。
 この24時間中、20時間くらい布団に潜り込んでいる気がする。
 夕食終了、本日も飲む気になれず。
 18時30分、片づけ終了。
 もう寝るのである。

1月3日(火) 朦朧帰阪
 助っ人が来てくれることになり、昼間の電車で朦朧と帰阪。
 穴蔵で寝る。

1月4日(水) 穴蔵
 1月3日午後1時から36時間、穴蔵にこもりっ放し、食べ物を運んでもらって、30時間ほど横になって過ごしましたら、熱は下がり、風邪の諸症状もほぼ収束しました。
 体力は少し落ちたようなので、週末復帰を目指して、明日から体を動かすことにします。
 しかし、たかが風邪でこんなに時間がかかったのは初めて。
 睡眠時間も、いったい30時間中何時間眠ったのか、見当もつかない。
 今年はアルコールもシャワーもまだ。
 これはあと2,3日継続するか……。
 ま、体温〜室温〜思考力の相関がある程度つかめたのが収穫か。
 夕刻からやっと落ち着いて年賀状を眺める。

1月5日(木) 穴蔵
 飲まないと眠れないもので、朝まで寝たり読んだりの繰り返し。
 朝食抜きで近くの医院へ行く。……と、無念、木曜に限り診察は午後だけ。
 せっかく丸4日アルコールを抜いたのだから、この際、前から勧められていた血液検査もやっておこうと、張り切って出向いたのになあ。
 自宅に行き、専属料理人に「普通の朝食」を作ってもらう。
 あ、「自宅」に来たのも今年が初めて。まるで火宅の人だなあ。
 おれの場合、家族に風邪をうつしてはいかんと思えばこそだが。
 午後、再度某医院へ。
 血圧もまあ普通。風邪については問診のみ。まあよかろうという判断。
 血液検査は、朝飯食べたから血糖値がどうなるか不明だが……。
 一区切りついたところで、夕刻、久しぶりに入浴……8日ぶりかな。12月29日にシャワーを浴びて以来だ(下着は着替えてるよ)。
 夜は、今年はじめてのビール(ロング缶1)、シャブリ(半分ほど)。料理は……色々並んでいたが、あまり食べられない。バナナとビタミン・ドリンクだけというのが何度かあったから、胃袋がそちらに慣れているのであろう。
 これからは「バナナとワイン」だけにするか。結構バランスいいのではないか。
 ……と、だんだん調子が戻ってきた。

1月6日(金) 穴蔵/年始回り
 定刻……より寝坊して午前5時に起きた。
 熱なし、鼻水もとくにひどい状態ではない。
 たぶん平常に復帰であろう。
 雑件片づけにかかる。
 午後、自転車で市内……東回りコースで一回りすることに。
 今年初めての「外出」であり、年始回りというのは本日しかできない。
 まず、
●青空書房。
 坂本さんも寒がりで、冬はいつも机の奥で縮んだように見える。
 こちらは「帽子・マスク・防寒服」だから、一瞬誰かわからないらしい。
 入る前に帽子のマスクはとらんといかんなあ。
●扇町公園。
 ルン吉くんはいない。春には元気な姿を見せてくれたまえ。
●インタープレイ・ハチ。
 ハチママはじめ、ご一統、元気である。4日から営業、その4日、例によって大ちゃん、推定1升5合とか。
 「年男引き継ぎの儀」は無事執り行われたらしい。
 新年だから御神酒をと勧められるが、さすがに本日はコーヒーのみ。
●旭屋書店。
 龍野行きに備えて数冊。ポルノも一冊……わが知人のデビュー作であり、ま、後日ちらっと触れるかもしれない。
 ジャンルが何であれ、いかにそこに書きたいものが表現されているかである。
 「エンタク」が「桂吉朝追悼」の小特集。
 桂吉弥、中野晴行、松本尚久の3氏。それぞれ、弟子、学友、ウォッチャーの立場から小文を寄せている。ランプ氏の思い出が泣かせる。精神形成期の友を失う辛さは、おれも経験しているのである。
ジャズの専門店ミムラ
 狭い店内に客3人は大入りである。
 ひとりは「HOT JAZZ LINE」に末廣さんとの対談記事が載っているT本さん。
 ジャズ、今年は活況か。
 佐藤允彦トリオ(富樫雅彦がドラムの時代)の旧盤「パラジウム」など3枚がCDで再販されるというので、さっそく注文。LPは持っていない。この時代(70年頃)は、宮沢昭とのカルテットも含めて凄かったのである。
 ミムラの店の向かい側、午後3時というのに「満室」の表示。
 楽しそうだなあ。
 おれはまっすぐ帰宅。
●年賀便
 というわけでもないが、ベースの小林真人さんのCDが届く。
 これについては、また改めて書くことに。
 小林真人さんは、1999年12月27日、年末のややこしい時期に聴いて以来の大ファンなのである。
 夜はよくスイングするベースを聴きながら、湯割りを数杯。
 さあ、明日からは龍野行き、本格的に始動である。

1月7日(土) 大阪→播州龍野
 播州龍野の日常再開である。
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 助っ人で来てくれていた妹は午後までいてくれるので、おれは朝からさっそくタイムマシンの組み立て作業開始。
 雪の予報もあったが、天気はおおむね晴。
 「標準的防寒服」で大丈夫である。
 充実した気分である。クラフトマン・シップが蘇る気分。こういってはなんだが、おれは機械工作など結構器用な方なのである。
 タイムマシンが単に時を移動する道具に過ぎないなら、おれの指先の芸術はいらない……。
 ほぼ夕刻まで作業継続。
 タイムマシン格納庫の向かい側の柿。
 1月7日になっても、年末とまるでかわらない。
  
 ちなみに、右はわが家の庭の柿。実はひからび、上空には夕方の半月。
 それぞれの住人の心象風景であろうか。
 夕刻より炊事開始。
 片づけ終了が19時過ぎ。
 おれは、しばらくしたら、小林真人を聴きながら水割りとする。
 明日は冷えそうである。
 さあ、明日はいよいよ最強の防寒衣料「エベレストを征した下着」登場の予定である。

1月8日(日)播州龍野/タイムマシン格納庫
 午前9時からタイムマシン格納庫にて作業開始。
 本日は最強の防寒スタイルである。
 アンダーは「エベレストを征した下着」である。……写真を撮ろうか迷ったが、さすがにこれだけで外出はできない。裏庭ならテストできそうだが、まあやめとこ。風邪に懲りたからなあ。
 ただ、通気性がかるから、無風の日だまりならともかく、北風の強い日に「広告写真」みたいなことはできないにきまっている。
 アウターはボンクラ・サラリーマン時代に、つき合いのあった「自重堂」の「ヘビー・デューティ防寒作業服」で、これも中央アジア・ミッションに備えて買ったまま、ほとんど着用したことがない。
 
 この格好で居間にのっしのっしと入ると、老母が「人造人間みたいで怖い」という。
 宇宙服感覚であろうか。
 ちょっと重い。
 防寒性はさすがで、倉庫内0℃の環境でじっとしていても、寒さはまるで感じない。
 が……罠があった。<キャッチ22>である。
 しばらくすると指先がかじかんで動かなくなる。精密な作業だから手袋はできない。だからこれは想定内。
 盲点は靴であった。靴下2枚でも、たちまちつま先から冷えてくる。
 登山靴買うのもなあ……。
 ということで、午前2時間、午後3時間半くらいが限度である。

1月9日(月)播州龍野/タイムマシン格納庫
 キンタマ収縮させつつ、タイムマシン格納庫で組み立て作業。
 厳密には、キンタマよりもつま先が冷たい。
 両手の指先も冷たい。
 手足の先端が冷たく、やがて中心部のキンタマに冷たさが及ぶのである。
 しかし、まあ、タイムマシンがだんだんと形を整えてくるのはいいものである。
 夕方まで。
 夜は老母のメニューにあわせて、大根・こんにゃく・ブリ・人参・ネギ・エノキ・小芋などを大量にぶち込んだ(カロリー制限)粕汁とイカの刺身で、ヤエガキ「律」……ヤエガキはうまいのだが、「赤」「白」「無」など、妙に悪懲りしたブランド酒が多い。普通がいいんだよ。
 枝雀師匠ひいきの梅田「八重垣」はアンテナショップではなかったっけ。ふつうに飲んではったぜ、枝雀師匠は。
 などといいつつ、最後の1合、小林真人氏が参加のCD(清水万紀夫のクラに感涙)を聴きながら飲んで、もう寝るのである。

1月10日(火) 播州龍野/タイムマシン格納庫
 8:30にタイムマシン格納庫へ行ったら、室温零下3℃である。
 まいったね。
 9時で0℃。
 細々と作業。午前中3時間。
 いったん帰館してなべ焼きうどんを作る。
 午後は4時間。
 室温5℃を越えず。
 つま先が冷たい。
 夕刻、炊事をしつつ、浴槽に熱湯をためて足だけ暖める。温泉でこういうのあるらしいね。5分ほどで、まあなんとか人心地つく。
 おでんでビール。
 これからCDを少し聴いて、もう寝るのである。

1月11日(水) 播州龍野の日常
 午前9時のタイムマシン格納庫、3℃で、昨日ほどの寒さではない。
 が、やっぱり30分ほどでつま先が冷え切ってしまう。
 部品の不足に気づいて、あわてて手配。が、届くのが早くて13日の金曜日である。
 作業のペースを落とすことにして、午後は「靴のヒラキ」という量販店へ行く。
 ありましたねえ「防寒ブーツ」のコーナー。
 なんとも潔い品揃え。
 「780円」のと「1780円」の2種類のみである。
 もっと高価なものかと思っていたのだが。
 内部がフワフワのモダン長靴か。
 さすがに「高額」の方がデザインもよく、こちらを奮発。
 午後は暖かくなったが、作業は中止。
 防寒ブーツのデビューは明日である。
 老母が「皇室事情が気になる」というので週刊文春を買って帰る。

1月12日(木) 播州龍野の日常
 ジャーン。
 1780円の防寒ブーツの出番である。
 
 ちなみに左側のは冬季愛用のPEDARAのセミブーツ。これは紐を結ぶのが面倒なのだが、履き心地はよく、たぶん塩之谷香さんも褒めてくれるであろう逸品。しかだって作業靴にはできない。
 だいたい、おれはこの20年、PEDARA愛用者なのである。
 右が1780円のブーツ。……要するにゴム長の内側にフワフワが張ってあるだけのもの。防寒効果は、厚手の靴下を一枚余分に履いた程度か。
 本日は比較的暖かく、効果のほどを実証するに至らず。
 印象だけいえば、たいしたことなさそうな。底の厚いトレッキングシューズの方が作業には便利かな。
 ただ、また雪が降るかもしれんから、無駄にはなるまい。
 部品が届かないので、作業は2時間ほどでやめる。
 昼前に、老母を500メートルほどのところにある内科医院へ連れて行く。
 ふだん通らない近道の路地を抜ける。
 と、塀から異様に赤い実をつけた木がせり出している。
 
 「ウメモドキやろ」と老母はいうが……「梅擬」はうちの庭にも生えているけど、もっと葉が多く実は少ないのではないか。
 植物の名はよく知らないのだが、葉が少なく実が異様に多いのは不気味である。

1月13日(金) 播州龍野→大阪
 「なにわ芸術祭・落語部門」新人賞に桂歌々志さん。
 これは嬉しいニュースである。米朝一門からは桂吉弥につづいて、かな。
 防寒ブーツを買ったとたんに寒さが緩んだ感じ。
 部品の都合で作業は小休止である。
 タイムマシン格納庫に飾ってある「福笹」……今年は十日戎に行けなかったので、専属料理人に「代参」させている。きちんと行ってくれたのであろうか。
 昨年のはあまり「ご利益」がなかった。
 桂米八師匠に御祓いしてもらった2002年1月の福笹がいちばん「ご利益」があったが、米八師匠、あれ以来、堀川戎では見かけないままだなあ。
 いずれにしても、去年の福笹を返しに行くタイミングがなくなったので、龍野の「どんど」焼きで燃やすことにする。
 揖保川の河原に15日に燃やされる予定の「どんど」がすでに組まれている。
  
 川の対岸にも。
 自転車で走っていたら、あちこちの田圃にも見かける。
 いっせいに燃やされるらしい。
 15日はいないので、本日「奉還」……祟ってくれるなよ。大阪で「まあまあの値段」のを買っておるのだからね。
 ということで、午後の電車で帰阪。
 しばらく穴蔵生活となる。

1月14日(土) 穴蔵/花岡詠二さん来阪
 定刻4時に起きる。朝刊・朝食など、朝の行事のあと、また寝る。
 しばらく本を読むつもりが眠ってしまって、昼前まで熟睡。
 暖かいのはやっぱりいいなあ。外は春雨の気配。
 夕刻、穴蔵を這い出る。
 専属料理人と歩いて梅田へ。
 花岡詠二さんが、明日のコンサート(和歌山)のために「前ノリ」で来阪という。
 某方面からのお声がかり。
 花岡ご夫妻、ODJCの口羽ご夫妻、コルネットの池田公信さんと合流、ゾロゾロと堀川戎に近い某店へ。……あ、伏せる必要はないか。「大美」である。
 花岡さんは浅草HUBや神戸でよく聴いているが、こんな風にしゃべるのは初めて。
 クラ同様、その話術も抜群で、一杯飲みながらガヤガヤやっていたら、たちまち9時を過ぎてしまった。
  
 「大美」から徒歩5分の「インタープレイ・ハチ」に移動。
 ハチママは山下洋輔トリオ時代からのモダン一辺倒だが、現マスター・明利くんは(おれの影響でもないけど)スイング・クラにのめり込んでいて、クラでは花岡さんを、ピアノでは秋満義孝さんを神様のように信奉しているのである。
 ハチ・バンドといっしょに2曲。
 『枯葉』……「尾田悟風の音を出す」女性テナーのたまちゃん、臆せずがんばる。
 つづいてハイテンポで『Oh! Lady Be Good』、花岡さん、ピアノまで弾くサービス。いいなあ。
 引き続きジントニックを飲みながら雑談していたら夜中を過ぎてしまった。
 久しぶりの夜更かしである。

1月15日(日) 穴蔵
 定刻4時に目が覚める。が、またそのまま寝る。
 午前7時、朝刊・朝食など、朝の行事のあと、また寝る。
 しばらく本を読むつもりが眠ってしまって、昼前まで熟睡。
 毎日がこうだと夢みたいであるが……。
 昨日、本田竹広さんの訃報が流れた。
 12日に急性心不全で死去。
 これに関連して、公式サイトに掲載された「緊急報告」を読んで、森山威男、鈴木良雄とのトリオによるCDの企画が進行していた事情を知る。
 ご本人や周辺の人たちの無念さがひしひしと伝わってくる。
 おれが友人数氏と「森山威男研究会」なるものを発足させたきっかけが、『My Funny Valentine』と『In A Sentimental Mood』の2枚のCDであり、今も繰り返し聴く愛聴盤である。
 『The Great Departure』が幻の名盤になってしまったのは惜しまれてならない。

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