『マッドサイエンティストの手帳』365
●マッドサイエンティスト日記(2006年1月後半)
主な事件
・穴蔵の日々(13日〜)
・播州龍野の日常(18日〜)
・穴蔵の日々(23日〜)
1月16日(月) 穴蔵生活
平日に処理すべき雑件があり、朝しばらく外出する以外、穴蔵にこもる。
少しは仕事もするのであった。
夜はテーブルに色々並べて、花岡詠二Septetの快演『AIR MAIL SPECIAL』を聴きながら、ビール、湯割り。
守口レンコンをすりつぶして蒸し・あんかけにしたのが湯割りにあって、なかなかのものである。
気分よく酔っぱらって寝る……つもりが、とつぜんライブドアの強制捜査。
うーん、どこかで叩いてやろうという勢力があって不思議ではないが、このタイミングは何なのだ?
おれは瀬名秀明さんの特任教授就任の会見の方が気になっているのに。
明日が、ヒューザー小嶋の喚問と宮崎勤の死刑判決(間違いない)、阪神大震災11年と色々あるところへ、フジテレビ大ハシャギ大ニュース。
芥川賞・直木賞なんてどうでもいい雰囲気になるなあ。
加藤芳郎氏の訃報。
「俺はオバケだぞ」が代表作と思うが、なんといっても最高傑作はスカトロ・マンガの嚆矢ともいえる「ベンベン物語」だろうな。
書庫のどこかに保存してあるはずだが……。
1月17日(火) 穴蔵生活
明日からの龍野行きに備えて、タイムマシンの部品の手配、その他色々あって、久しぶりに大阪市内を自転車で徘徊。
十三の「丹波」にも寄る。
と……十三本通り、「やまもと」というネギ焼きの店に開店前(11時過ぎ)に早くも列ができている。平日の昼間である。そんなにうまいのか?
寄ってみたくなるが、後日にする。本日は昼ビールとはいかんからねえ。
午後2時少し前に帰館。
夕方まで、ヒューザーの小嶋の喚問中継を見る。
さすがに前回の「愚能」代議士みたいなアホ質問はないが、証言拒否の連発。
補佐人の鶴見俊男という弁護士、やり手なのか作戦ミスなのか、判断がつかないなあ。
どこかが読唇術で小嶋の「相談内容」を解析してくれること期待。
その他の「大ニュース」はだいたい予想した線で、たいした1日ではなかった。
1月18日(水) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動。
キンタマ収縮させつつタイムマシン格納庫で作業。
夜は、風呂でキンタマを暖め、収縮解除、2個にほぐした後、おでんでビール。
ライブドア騒動で東証のシステムがパンク状態になったという。
ライブドアのせいといいたげな口調に聞こえたが、これは東証のシステムの問題だろう。しいていうなら、派手なガサ入れやった検察のせい。
いずれにせよ、単に「賭場が荒らされた」だけのことで、ギャンブルをいっさいやらないおれには楽しめるニュースである。
1月19日(木) 播州龍野の日常
ほぼ終日、キンタマ収縮させつつ、タイムマシン格納庫で作業。
昨日より寒いとか、寒の戻りとか聞くが、年末年始ほどの寒さではない。
早春の気配すら感じられるのであった。
とはいえ、龍野の早春は大阪の真冬より寒い。
夜は具だくさんの粕汁を作って熱燗。やっとキンタマが柔らかくなってきた。
老母就眠後、ストーブで暖をとりつつ、ジャックダニエルの水割り、小林真人さん参加のCDを聴くのであった。
1月20日(金) 播州龍野の日常
タイムマシン格納庫、午前8時0℃、9時3℃、10時6℃と、先週より3℃以上暖かい。
午後、ほぼ予定の作業が終了。
「エベレストを征した下着」の出番、今シーズンはこれで終わることになりそうである。
「コニカミノルタ、カメラ事業撤退」のニュース。
うーん、寂しいことである。
DiMAGE A200 を1年ちょっと使ってきたが、今もこれ以外のカメラがほしいとは思わない。後継機種はSONYに移ることになるのか。
DiMAGE A200はミノルタ系だが、おれはもともとはコニカ・ファン。フィルム・カメラでは、ペンタックスLXを持っているが、使用頻度いちばんはコニカのBig-Miniだった。撮影枚数もこれが一番多かったのではないか。
ただ、フィルムはこの5年間、買った記憶がないなあ。
寂しいことだが、これも時代であろう。
A200は当分使うことにする。何年か先、どうするか。デジタル一眼は重くて、もうこの歳になると持つのが苦痛である。
さあ、タイムマシン関係は一区切りついたので、たまっている本を読むことにする。
1月21日(土) 播州龍野→大阪
午前中の電車で大阪へ向かう。
姫路から山陽電車の特急。
姫路駅はJRと山陽電車との高架切替工事が大詰めで、昨日、深夜か早朝かに、工事の時間を間違えて事故を起こしかけたらしい。相変わらずであるなあ、JR西日本は。
本日はその工事現場の「見学会」があるらしい。
工事中の高架を歩けるのならぜひとも参加したいところだが、残念ながら時間がない。
姫路駅の高架はトポロジーの例題みたいになりそうだから楽しみである。
野田阪神で降りる。
駅前がややこしいということでは、この駅は関西屈指だろう。
地図で見ればわかるが、野田阪神駅は4本の道路が交差する中心にある。それぞれの道路が正確に45度で交わっているわけではないが、それに近い。
さらに「野田阪神本通り」と「新橋筋」というふたつの商店街の入り口が面している。
上に高速道路、地下に地下鉄千日前線とJR東西線。
野田阪神の南側駅前に立つと、商店街を含めて、じつに7方向に道がのびているのが見える。
これが凱旋門から見るパリの旧市街とちがって、ものすごくゴミゴミしているところがたまらなくいい。
このなかから1本の道路を選んで10分ほど歩くと「大阪NPOプラザ」なる建物に至る。
迷わず行けたからたいしたものである。
「創作サポートセンター」の会議。
芦辺拓さんが大阪に戻ってきたのにあわせて、青木治道さん、高井信さんと。
雑談が半分である。
ついでにNPOのブースも見学させてもらう。
大きめの机がパーティションで仕切られていて、案外静かな雰囲気。
もう少し便利な場所にあれば、おれも穴蔵を引き払って移ってきてもいいなと思うが……夜間や土日は時間制限があるようで、事務仕事以外は難しいかな。
野田阪神からバスで帰宅。
久しぶりに大阪泊。また明日は寒冷地に舞い戻りだが。
1月22日(日) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動。
車中、村上春樹『意味がなければスイングはない』(文藝春秋)を断片的に読む。
ジャズではシダー・ウォルトン、スタン・ゲッツ、ウィントン・マルサリスの3人が取り上げられているが、マルサリスに関する論考「ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?」が際だって面白い。アドリブ(自発性)のもつグルーブ感と作品の音楽的完成度(整合性)のジレンマということだが、これは小説にもいえることなのである。
10時15分〜NHKの「思い出シアター」で桂吉朝『住吉駕籠』を見る。平成7年の「日本の話芸」の再放送。40歳の時か。「自発性」と「整合性」が見事に融合した至芸である。
午後はしばらくタイムマシン格納庫。
夜、横浜から兄が来た。
携帯電話から「バーガンディ・ストリート・ブルース」が流れるからびっくり。着メロかと思ったら、携帯にジョージ・ルイスと河合良一を入れていて、イアホンで聴きながら来たのだという。携帯も進化しておるのだなあ。
1月23日(月) 播州龍野→大阪
午前4時、朝刊の届く物音で起床。夜の底が白いと思ったら雪である。
朝からタイムマシン格納庫へ。
午前8時マイナス2℃……年末の寒さに戻っている。
わが担当作業は終了、昼前の電車で大阪へ向かう。
が……いかん、体が冷え過ぎて気分がいまひとつ。
正月の風には懲りたから、予防薬として「熱燗」がほしくなる。どうせ帰宅したら寝るだけである。
こういう時にはジャンジャン横丁の「ヤマト屋2号店」が最適なのだがなあ。
梅田地下街の立ち呑み「大御所」で、湯豆腐、月桂冠。ここの湯豆腐はわりといけるのであるが……脚が冷たくて、暖まったという感覚ゼロ。立ち呑みの限界であろう。
歩いて帰館。
ん? わが家の近所、東洋ホテルが「RAMADA」に変わっている。へえ。経営が変わったのか。
東洋ホテルはプラザ同様、大阪万博の時にできたホテル。つぶれた訳ではなさそうな。
徒歩2分だから、ここのロビーは待ち合わせに便利なのだが、これからは「ラマダ」でわかるかなあ……。
帰館、専属料理人になべ焼きうどんを作ってもらって、また熱燗。 やっと足先の感覚が戻る。
夕方まで仮眠。
夜のニュースでホリエモン(と幹部/ライブドアのビッグ・フォー)逮捕の報。
ほほう、意外に早いね。
昨年の「賭場荒らし」に対する制裁だろうな。「法」は犯さなかったが「掟」を破ったのだから、こちらの報復の方が恐ろしい。そこへ女連れて自家用ジェット機での海外旅行だから、これが引き金になったのかな。ギャンブルをやらないおれにはヤクザの抗争と区別がつかないのであった。
東京拘置所、今夜は冷えるぞ。
1月24日(火) 穴蔵生活
終日穴蔵にこもる。
何もしない1日であった。
出所した翌日というのはこんなものである。
1月25日(水) 穴蔵生活
終日穴蔵にこもる。
どうも色々な運勢が「凶」らしく、こんな日は出歩かないに限る。
本を読み、CDを聴いて過ごす。
ホリエモン報道を断続的に見るが、「側近(主に宮内)」が容疑事実を全部認めて「堀江も(粉飾決算など)違法性を認識していた」らしいという報道ばかり。テレビも新聞も全部。
ニュース・ソースは検察なんだろ?
おれもライブドアの実態はたぶんそうなんだろうと思うが、全報道がこうも見事に一致というのはなあ……。
宮内の肉声を聞いた報道機関はあるのか?
1月26日(木) 穴蔵生活
本日も運勢よろしくない気配、終日穴蔵にこもる。
昨日から朝昼の食料も持ち込んでいるから、終日パジャマのまま。夕食時のみ防寒着を羽織って自宅往復した。
それはそうと……
以前つき合いのあった某新聞の○本記者、ともかく血の気の多い記者で、あだ名がオ○モトであった。
社会部時代、殺人現場に駆けつけると、被害者が女性の場合、取材の第一声が、
「やられてまんのか、やられてまへんのか?」
これがあだ名の由来。
「取材の原点ここにあり」だそうである。
他でもない「11人の女性と同居」している「1夫11妻」男、オ○モト記者が現役であったらどのような取材をしいかなる記事を書かれたか。
熱血記者がいなくなってしまったのか、新聞もテレビも歯がゆいなあ……。
1月27日(金) 穴蔵生活
3日以上穴蔵生活を続けると、さすがに運動不足である。
昼間、1時間ほど近所を歩く。
深夜から明け方にかけて、猫の喧嘩が多い。やたら鳴き声が聞こえてくる。
横の公園中心にまた野良が増えている気配である。
4棟ある市営住宅の植え込みや駐車場、食品スーパー裏の路地など、昼間は「活動」しているのが多く、どこを歩いても1、2匹がうろちょろしている。
公園は閑散としている……のではないか。
じっとしているのは3、4匹。
おれも昼間は少し動かないといかんのだなあ。
これは林譲治さんの日記ではありません。
本日は東京で「森奈津子さんを励ます会」などSF関係行事がある日なのだが、このところ上京する気力がない。
夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
40日ぶりに「SF検討会」なるものを開く。
年末年始はさんで議題がたまっているので、ビール・湯割り呑みつつ2時間ほど。
夜、テレビで『マイノリティ・レポート』を見る。
普通なら寝てしまう夜中まで見たのだから、ディックものとしてはましな方なのかな。
スタントはアンフェアというか、未来ガジェット舞台に肉体アクションというおきまりのパターンだから、助かり方もだいたい読めてしまう。最後の30分はネタが割れているから退屈。短篇の映画化だから、余計な引き伸ばしが目立つのかな。スピルバーグ作品としては冗長。
目玉を入れ替える場面が「犬の目」でみたいで面白く、こういう「ギャグ路線」がディック作品の映画化としては新機軸かと期待したが、あの目玉、あとの方に生かされてないのが惜しい。
それはそうと、東横インの西田社長というのは、とぼけた男というか、食えないやつだなあ。
ビジネスホテルで認可を受けてオープンしたら連れ込みホテルというパターンがよくある。この方面も摘発してほしいところだ。
1月28日(土) 穴蔵/中央市場/ミナミ
とつぜん野田の大阪中央卸売市場へ行きたくなった。
9時過ぎ、JR野田へ行くつもりで梅田へ向かう途中、野田阪神行きのバスが来たので、これで野田阪神へ。ここから歩いて市場まで約20分。
以前、ゼロハンに乗っていた時期は明け方によく「競り」を見に来たが、未明に自転車ではちょっとしんどい距離。
ここへ来るのは、大規模改修工事が終わってから初めてで、たぶん20年ぶりくらいのはず。 もはや「新装」ともいえない状態である。
土曜の昼前で、場内は閑散としている。
一巡。1時間ほどウロウロ。「普通の」食堂は2階2箇所に集められているなど、全体の構造はわかった。安全にはなったが面白さは減じた感じだ。
「有名」な店はオモテに近いところに独立して5、6件並んでいて、これは一般の見学者向けなのであろうる。
「えんどう」はその「有名店」の方に移っていた。
一皿に5カン載せる方式は昔と変わらず。これ「おまかせでよろしいですか」といってるが、昔は「マゼ」と呼んでいたはず。鰺棒はなくなったのかな?
全体に、普通の寿司屋になった印象である。
と、ごく軽くいただいて、歩いて野田阪神の方へ戻る。
また歩いて野田へ。
途中、気になるうどん屋があったからである。
「製麺所の名が並記してあるうどん屋」があったのだ。
野田阪神近く。
「青野製麺所」と「めん久」が看板に並んでいる。高松にあるような、製麺所を兼ねた店なら期待できる……と(ぶっかけか釜揚げが売り物らしいが)きつねを試す。
ま、まあ、こんなものか。横に製麺所があるのではなく、経営がいっしょという意味なのであろう。
地下鉄でナンバへ。 「Musicraft」でコーヒー。
必要あって道具屋筋で銅製の雪平なべを探すが、ここでもアルミばかり。
根拠を問われると困るが、おれはアルミなべは使いたくないのである。
銅なべは緑青が浮くから家庭用に向かないのであろうか。
今度浅草へ行く時に探すことにする。
新生堂に北村英治とバディ・デフランコの『Cookin'』があったので購入。
ついでに黒門市場をウロウロ。
ここでも立ち食い店発見。
小判屋という店で「はやい やすい うまい」と大書。この方針はおれの「立ち食い観」と見事に一致しているので飛び込んだが、「共感」を覚えるには至らず。
「かけ220円」が「やすい」だから推して知るべしであったのだ。
午後3時頃に帰館。
久しぶりによく歩いた日である。
小松左京マガジン21巻、巻頭に親っさんが、来夏のワールドコンのゲスト・オブ・オーナーのことに触れて「星さんや矢野さんが『こっちに来い』としきりに呼んでいるのだが……」などと書いてはる。それでなくても病人が増えているのに、困りまっせ。
順番に行くのではなくて、SF作家クラブでも『銀齢の果て』を実行する方が面白いと思うがなあ……。
1月29日(日) 穴蔵生活
終日穴蔵。
朝5時15分、「日本の話芸」に桂福團治師匠登場。『蜆売り』である。
善意のつもりでしたことが思わぬ悲劇を呼んでいたという『一文笛』系の噺。笑いは乏しく、早朝には向かないのだが、ちょっと見ていたらやっぱり引き込まれてしまった。朝からしんみりするねえ。
昼は大阪女子マラソンをテレビでボケーの眺める。
レースにはあまり興味なく、コースの町並みを眺めるのが面白いのである。
よく知っているのは大阪城付近から御堂筋にかけてだが、今里筋をから曲がって勝山通、玉造筋あたりにも記憶にある場所がちらほら。
ゼロハン(ホンダのランナウェイだった)に乗っていた時代、夏の早朝に時々走ったコースである。
ただ、上町台地に南から上っていく道としては、谷町筋の景観がいちばんいい。このコースは坂が急過ぎるからマラソンには向かないのかな。
レースの結果は? よく覚えとらん。ペースメーカーがずっと走ってたような印象しか残らないのであった。
1月30日(月) 穴蔵生活
朝から断続的に小雨である。
終日穴蔵……というわけにもいかず、昼過ぎ、雨がやんだようなので、自転車で梅田へ。
雑件処理。
「ジャズの専門店ミムラ」に寄る。
ジャズ本が色々置いてあって、内田修『ジャズが若かったころ』があったので購入。20年前に出た名著だが、不思議なことに買いそびれていたのである。
あと、ハチへ行くつもりが、雨が本格的になり、そのまま帰館。
夕方まで本を読む。
内田先生の本に限らず、色々と読んでいるのだが、感想をアップするのを、このところさぼっている。
別に義務ではないのだが。
出た直後、活字の書評が出るまでにアップしないと、つい面倒になってしまう。特にSF関係では多分に職業意識が働いて構えてしまうところがある。
しかし、面白い作品が多いので、時期遅れの感あれど、ぼちぼち再開しようと思う。
1月31日(火) 穴蔵/青空書房/ハチ
またも曇天。
雨は降らないようである。
昼過ぎに専属料理人と梅田へ。
『ハッピー介護の秘密』の作者・中山一江さんが大阪に来ていて、青空書房に挨拶に寄りたいということなので、案内する。
専属料理人も「青空書房の向かい側の店」の「天なべ」が食べてみたいということで同行である。
坂本さん、昼飯抜きで待っていてくれて、立ち話のあと、向かいの店へ。
おれは「天なべ」はこの前食べたから、ざるそばで熱燗にするか迷ったが、月末の事務処理など色々あるため、やっぱり天なべ。
話題の『満腹亭へようこそ』がまだ入手できるか訊く。青空では5冊で終わりだが、まだ入手できる可能性はあるらしい。
しばし雑談ののち、また梅田へ。
タイムマシン関係の雑用のあと、おれのみ、ハチに寄る。
『天満人』の次号にハチママと山下さんの対談が掲載される。そのゲラが出ていて、チェックしてくれという。
ハチママ、どうも自分のしゃべる大阪弁がそのまま活字になると違和感を覚えるらしい。
編集の井上さんの聞き書きは(天満に住む色々な人の聞き書きを多数掲載しているが)一級の腕前で、見事なもの。
テープ起こしが正確すぎるのかな。
気になるところがあったら「ここ、もう少し上品にして」という程度でいいんではないの、とアドバイス。
帰路、近所の公園。
椿が満開で、根元に野良が座布団を敷いて一服しているのであった。
優雅なものである。
これがバラだと市に追い立てられるのであろうか。
(くどいようだが、これは林譲治さんの日記ではありません)
ホームレス諸君の「定住」に同情はしないが、「バラ会議」なんてもの、やらなければいいのである。これこそ無駄遣い。むろん、おれは見に行かない。
それにしても、排除に出向いた職員、危険手当とかをたんまり貰っているような気がするなあ。
靱公園も役人が私物化するのだろうか。天王寺博という愚挙が公園有料化の名目だったように。
悪賢い市政である。
帰館。
以前の同僚・串崎くんが出した旅行記が届いている。
これについては、別項で紹介。
夜は中トロの刺身で、正月の飲むつもりで風邪でダウンしたために延期していた「越乃白雪」純米大吟醸を一献。
某ウワバミ氏からの頂き物である。さすがにうまいわ。
ということで、明日からまた拘置所・龍野行きである。
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