『マッドサイエンティストの手帳』362
●マッドサイエンティスト日記(2005年12月後半)
主な事件
・穴蔵の日々(〜21日)
・「朝ミラ」に行く(20日)
・天敵の会(20日)
・桂吉朝を送る会(21日)
・播州龍野の日常(22日〜)
12月16日(金) 穴蔵/ミニ忘年会
終日穴蔵。
日経の「交遊抄」、タイトルがなんと「宇宙軍大元帥」!
ボンクラサラリーマン諸君は朝からびっくりするのではないか。
柴野さんが野田大元帥のことを書いておられるのであった。
『朝ミラ』でのっけにかんべむさし氏が「夕方からSF検討会なるものをやることになっておりまして……」
なんのこっちゃ?! わかっとるのだけどね。
朝から新聞とラジオでSF大会気分である。
終日、黙々と雑用の処理。
夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
ビール飲みながら「SF検討会」なるものを開始。といっても、単に雑談だけど。
ただし「検討会」という以上、検討事項(テーマ)はあるわけで、あらかじめ設定していた事案数件について、あれやこれや検討するのである。
かんべ氏、ラジオでは話題にできないことが多く、やたら過激な方向に広がる。
忘年会を兼ねる雰囲気になり、湯割りに切り替え、専属料理人が運んできた唐揚げとか「生節の生姜煮」(hoshizuruさん、ありがとうございました)などで延々。
めったにないことである。
12月17日(土) 青空書房/コール・セコインデ/ラスカルズ
正真正銘、この冬いちばんの寒さ。真冬なみという。ということは、この程度なら大阪では困ることなしだな。龍野がどうか気になるが。
昼、自転車で青空書房へ。主目的は向かいの店で「天なべ定食」を食べることである。
山本一力さん賞賛の「天なべ」、つゆ一滴も残さずにいただく。熱燗もほしいところだが、昼間なので遠慮。次回はソバ系に挑むことにする。
坂本さん、先日委託した『ハッピー介護の秘密』(この本については次項)の手書きポスターを作ってくれている。
ありがたいことである。
いったん帰館。
夕刻、専属料理人と阪急伊丹へ。
夕方からいたみホールで「コール・セコインデ」のリサイタル。関学グリークラブ出身者中心?の男声合唱団。
専属料理人のお友達が関わっているという。
前半が北原白秋の歌曲とコーダイ男性合唱曲という荘重な雰囲気、後半はビートルズ・メドレーやクリスマス・ソングなど。……たまにはこういう雰囲気もいいものである。
最後は「ホワイト・クリスマス」
梅田に戻って、春駒で一杯。
ブリの粕汁が絶品で、これで熱燗。冷えた体にたまらないのであった。
専属料理人、顔が火照ってしまい「飲んでるのがまるわかりで困る」というが、何をいまさら。
20時過ぎにニューサントリー5へ。
ニューオリンズ・ラスカルズの出演日。
今年のラストステージは来週24日だが、クリスマス・イブと重なっていて超満員必至、おれはたぶん播州龍野だから、本日を「ラスカルズの聴き納め」としたのである。
トランペット、ピアノ、ドラムがレッドビーンズからのトラ。木村さんが来てないのは珍しい。
結構混んでいるが、最終ステージは正面の席で聴けた。
トロンボーン・フィーチャーで「インディアン・ラブコール」が聴けたり、2ステージ目最後が「世界は日の出を……」だったり。最後は「サイレント・ナイト」であった。
今年のライブはこれでたぶん終わりだな。
12月18日(日) 穴蔵/最後の一葉
終日穴蔵。
ちょっと行きたいところがあってオモテに出たのだが、とても自転車で走れる気温ではなく、あっさり中止。
年賀状の作成2時間ほど。あとはたまっている本を読んで過ごす。
わが集合住宅の2階「庭園」の桜……いったい何枚くらい葉をつけるのだろう。
先月末まで鮮やかな色だったのが、ほとんど全部散って、絵に描いたような「最後の一葉」になっている。
別に願かけしているわけではないが、目立つところに1葉だけ残っているから、これが落ちるとどうなるのか、気になってしかたがない。
とり・みき作品に「最後の一葉」ギャグがあったけど、あれは『遠くへ行きたい』だったっけ?
12月19日(月) 穴蔵/堀HPふたつ
終日穴蔵。
ふたつのホームページ開設を知る。ともに「堀」がらみである。
まず、わが同姓同名発音違い、画家・堀晃さんの「堀晃の世界」である。
ヒカルさんは長年、山口県湯玉に「海に面したアトリエ」を構えているが、数年前に全国をスケッチ旅行した時に加計呂麻島が気に入り、この11月から奄美大島・瀬戸内町にもアトリエをオープンした。今はこちらに住んでいるらしい。廃校?を改造したアトリエで、そちらでの生活ぶりも紹介されている。
避寒に行ってみたくなるなあ。行けば黒糖焼酎で歓待してくれるだろうが、絵の制作のじゃまをしてはいかんし。
さすがに画家のページ、作品を見ているだけでいい気分になる。佐藤允彦さんのCDジャケットなども紹介してうるのがうれしい。
もうひとつは、30年来の友人・堀良策さんの「ホリ設計工房」。……70年代初め頃から山下洋輔トリオをハチでいっしょに聴いてきた。絵も描き、写真もうまく、本職は機械設計・工業デザインという多彩な男である。25年ほど前から、この人も山口に居を移したが、活躍しているのだ。森山威男・坂田明参加のトリオ時代の写真もある。
あれ、ともにジャズがらみだなあ。
12月20日(火) 朝ミラ/天王寺界隈/天敵の会・アイル閉館
朝7時過ぎに弁天町のOBCへ行く。
おなじみ『朝はミラクル』に顔出しというか「声出し」である。
本日のテーマが「あなたはうどん派?そば派?」で、おれはコーナーに「立ち食いうどん研究家」として10分ほど。
この道、なかなか奥が深く、文献調査の道筋は立てているのだが、なかなか本格的研究にはかかれないまま、フィールドワーク中心なのである。
出番が終わったところで原田アナウンサーと初対面。この人、立ち食いにやたら詳しい。実家が製麺所だったとか。高評価店はほぼ一致、「三国そば」(駅の移転前)とか、京橋「すびす」とか、天王寺うどんの「屋台時代!」を知ってるからたいしたもの。おれをゲストに呼ぶ必要はなかったのではないか。
原田アナの得意とするエリアはミナミの方が多いようである。
で、前回に引き続き、制作のF野さんとまたも朝から「立ち食い」実践に出かける。
朝9時前に、今回は天王寺界隈へ。
F野氏推奨店はビルが改装中で休業中。阿倍野筋の「老舗」を松屋できつね。20数年ぶりである。
あと、天王寺公園横を通り、「カラオケ屋台」の跡を見る。風蕭々。
カラオケのがなり声がきこえないのは寂しい限りだ。
天王寺公園、冬の朝というよりも、有料ゆえ、人影なし。役人の私庭になって久しい。
新世界……「百均食堂」を見学、160円の立ち食いうどんを眺めつつ、ジャンジャン横町を抜ける。
……にしても、F野氏さん、本当に麺類と街歩きが好きなんだなあ。おれも、朝9時の新世界は初めてだし、なかなか面白いのであった。
地下鉄で帰館。
夕刻まで穴蔵で、少しは仕事もするのであった。
夕刻這い出して、北浜、アイル・モレ・コタへ。
「天敵の会」……桂すずめ(三林京子)さんと桂歌々志さんん、つまり「スズメとカカシ」の対決する落語会である。
もともとは歌やんの発案らしい。
歌々志さんの『茶の湯』……これは歌やんが関西に移植したネタだが、師匠とは別解釈、うまいなあ。
ふつうなら、あんなまずい「茶」を繰り返し飲むはずがないのだが、この飲みっぷりが抜群で、見栄とマゾ的快感が同居しているような気分が伝わってきて爆笑。
97年2月22日に歌やんの病室にいた横田青年、うまくなったなあ。いまや中堅である。
あと、1階上のホールで忘年パーティ。アイルモレコタが閉店(閉館?)となるため、ここでのパーティは今回が最後である。
夜景も見納めである。
天神祭の時、歌やんが語っている最中に「落語船」がすぐ下に来て「歌之助、ででこ〜〜い」なんて叫んでいたのが懐かしい。
ワインをたっぷりいただく。
帰宅21:30。早寝。
12月21日(水) 桂吉朝を送る会
昼前に穴蔵を出て阪神尼崎へ。
アルカイックホール・オクトで「桂吉朝を送る会」
定刻30分ほど前に着いたので、ちょっと迷ったが一般席のいちばん前に座る。
写真撮影は遠慮した。
吉朝さんの経歴がプロジェクターで紹介されたが、幼少時の家族の写真、父君の顔が吉朝さんそっくり(小米朝さんと昔の米朝師匠も似ているが、その比にあらず、本当にそっくり)なので、会場がどよめいた。
吉朝さんの「咲くやこの花賞」受賞紹介の時の写真が、おれのカメラで撮ったの(ここに掲載)だったので、ちょっと嬉しかった。
平成紅梅亭の「ふぐ鍋」が上映されたが、これも絶品であった。拍手が沸いた。
弔辞というか、お別れの言葉が、ざこば師匠、千朝師匠、吉鹿徳之司さん。
それぞれに心がこもっていた。
米朝師匠は「めまい」がするということで欠席。心配なことだ。
一門以外では仁鶴師匠やこいし師匠など多数。小松さんも来てはったが、挨拶はできなかった。
献花のあと、ロビーで中野晴行さん、田中啓文さんと会う。
いっしょに梅田へ出て、新梅田食道街の居酒屋で精進落とし。15時頃だが、某居酒屋がテーブル席をあけてくれた。
落語とジャズが好きなメンバーだから、中野さんの新幹線時刻まで、色々しゃべりつつビール、湯割り。これも供養であろう。
早々と酔っぱらってしまって、帰館後早寝。
12月22日(木) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動。
……のつもりであったが、途中で雪が激しくなり、電車は止まる、人身事故まで起きる、姫新線もダイヤめちゃくちゃ、4時間半かかった。
ホームでの待ち時間が延べ1時間以上。
キンタマ極小サイズに収縮でござりまするがな。
龍野に到着、午後には晴れてきた。
自転車で凍結した道を買い物に往復。
転倒すると生活パターンが一変することになるのだろうなあ。
初雪のわが家。門から撮影。2階右の窓がわが「書斎」で、ここから○東○託が来たら「ドアホ、いね!」とわめき散らすのである。
なお、これは広角で撮影しているので、実際には、みかんの皮を投げつければ命中するくらいの距離である。ごく狭い。
○東○託に限らず、どなた様も、ご来訪はむろん歓迎いたしません。
12月23日(金) 播州龍野の日常
昨日の雪が残ったままキンタマ縮んだままの朝である。
居間の室温4℃。
ま、こんなものであろう。
タイムマシン格納庫で年末年始の作業の準備。孤独な作業の日々が楽しみである。
向かい側の家の柿、ついにすべて落葉し、果実だけが残っている。鳥もつつきに来ない。まずいのであろう。
10月23日に大量の実をつけ、11月1日に自重で枝が折れた柿の木、食べられることもなく、ただ腐食を待つのみ。
おれの書く原稿もこんなものか。嗚呼…
12月24日(土) 播州龍野の日常
スーパーへ食材を買いに行ったら、鶏腿の照り焼きが投げ売り状態。
クリスマス・イブであったか。
都会は浮かれているのであろうが、田舎は静かなものである。
鶏肉でワインという気分にもならず、おでんで熱燗。
20時過ぎに寝る。
12月25日(日) 播州龍野の日常
昨夜早寝したら午前3時に目が覚めてしまう。龍野の午前3時は朝遊びに行けるわけでもなし、どうしようもない。
ストーブつけて朝刊が来るまで机に向かう。
月末と年末の決算関係があって、こちらでも雑用は色々あるのであった。
午後、スーパーへ買い物に行ったら、総菜コーナーに鶏腿のフライ(チキンフライと書いてある)が大量に並べてある。昨日の売れ残りをフライにしたのか? ふだんコロッケが並べてあるコーナーが鶏だらけだ。
冷凍の「韓国冷麺」(一応有名なメーカーの)が3個98円で売られている。これは買ってみる。
鶏は食べる気にならず、ブリの切り身を買ってきて、大根・人参・小芋・揚げ・白ネギ・こんにゃくぶち込みの粕汁を作る。われながら会心の出来映え。カロリー値が高いので老母には好ましくないのだが、クリスマスくらいはいいであろう。
熱燗、丹波のきさらぎ漬も並べて……3合以上4合以下か。
夜、テレビで『ザ・コア』を見るが……いやはや。よくやるよ。
おれも40年前に人形アニメの台本を数本書いていて(事情は2号前の小松左京マガジンにちょっと書いている……結局アニメ化はされなかったけど)、そのひとつは地底探査の話。これほどの「冒険」はやれなかったなあ。冒険というのは無謀なものであり、無知ゆえに可能なものか。
夜中になり、33円の冷麺を作ってみたが、これまたいやはや。値段相応。素麺+ヒガシマルのぶっかけ出汁+キムチの「代用冷麺」の方が遙かにうまい。
ついてない日というべきか。
12月26日(月) 播州龍野の日常
年末のややこしい時期に3連休、しかも世間の給料日と重なっているから、本日は銀行が混み合うこと必至。この地方都市に唯一の都市銀行(もとは神戸銀行、その後、太陽神戸その他色々の改名があって、今や「神戸」なんてどこにも残っていない)に8時40分に行く。ATM前に10人くらい並んでいる。記帳の必要もあって、8:45まで待って処理開始。
9時前……列は30人くらいの列になっていて、表には駐車場へ入るクルマの列も。
割り込みをかけるアホもいて、危なくてしかたがない。
ともかくクルマのマナーの悪さはどうしようもない。自転車が少数派だからであろう。
早く来たのは正解であった。
ついでに郵便局本局に行き、荷物の受け取り。ここも混んでいる。クルマも同様。
帰路、国道わたって、北側の某スーパーの前まで来たら、このザマである。
派手にやってくれるぜ。
いや、割り込もうとしたクルマかどうかは知らんよ。
スーパーの駐車場から広い道に出るところ。買い物でいつも通る場所である。
あまり出歩かない方がいいようだ。
部屋にこもって、老母の年賀状宛名プリントのために、住所録の整備。
「私の訃報にも使えるな」
その通りであるが……。
12月27日(火) 播州龍野の日常
年末なのであった。
タイムマシン格納庫の片づけもするのであった。
大掃除というわけではなく、年末〜年始、閉じこもって作業するための環境整備である。
横の空き地の草を燃やす。夏場に刈り取った雑草が積み上げたままになっている。
そこに「自重で折れた柿の枝」もあって目障りである。
派手に燃えてくれるねえ。
都会では味わえぬ楽しみである。
炎を見るのは楽しい……華氏451の冒頭を思い出す。正確な文章が思い出せない。老化である。書庫の本を積み上げて燃やしたい気分になる。中学時代に読んでから40年以上手に取ったこともない本がほこりまみれで山積だからなあ。もう気分的にも重荷である。
ということで、1時間ほどで燃え尽きる。
小便では消せないので、バケツ数杯の水を撒いて終了。
焚書は来年に持ち越しとする。
12月28日(水) 播州龍野の日常
老母を医院に連れて行く。
特に大きな問題はないものの、某値が高くなっている。
注意してきたつもりだが、先日の「クリスマスケーキ」がまずかったか。
おれの不在の時に届いてしまったのである。身内からだから面と向かって苦情がいいにくい。だからここに書く。ある程度事情はわかっているはずではないか。
おれは「世話してくれ」とはいってない。が、好意の表明が「ケーキを送りつけること」とはなんという無神経さ。
老母が1/4ほど食べてしまったが、残りは翌日の生ゴミとして捨てた。
これからは貰う菓子類は全部捨てることにする。
お返しにはタバコがいいかな。
いや、ポトラッチみたいなことをやってはいかんのだ。
物品は何もいらない。ありがた迷惑なのだ。頼むからビール券にしてくれよな。
……どうもストレスが限界に達しているようである。
寒く、脚が冷えるので、せいでんへ行って足温用に1500円の「ホットクッション」を買ってきた。
これを机の下に敷く。
1年前にハロゲンヒーターを置いたが、これではつま先が冷たい。
ハロゲンヒーターをやや上向きにして、ホットクッションを併用することで、下半身の暖房は完璧になった。腿が熱く、キンタマ・ホカホカ。
上半身は防寒服、アタマは冷却状態で、ほぼコタツと同じ状態が得られた。
この冬はこれでなんとかなりそうな。
12月29日(木) 播州龍野→大阪
昼前の電車で大阪へ移動する。
久しぶりに新梅田食道街「奴」で昼飯。12時半というのにどの店も空いている。世間の多くは正月モード入りらしい。
モンブランのインクを探すが、万年筆売場がどことも縮小されてしまっているのに驚く。
梅田ロフトでやっと発見。ここの万年筆売場も1コーナーになっていて、尋ねないとわからなかった。
なんと20年ぶりにインクを買う。
おれが使用しているのはモンブラン149……筒井康隆氏の名作「小説『私小説』」に登場する「モントブランクの超太軸」である。
もう30年使っているが、ワープロ導入後、使用頻度激減。いちばんよく使うのが貿易書類(INVOICEなど)のサイン用、それにグリーティングカードなど。したがって、インクが1瓶で20年ももったのである。
このインク瓶の形状は好きだったが、今の瓶は狛犬みたいな形になっている。戌年にちなんでかしらん。
1瓶1300円ちょっと。これからまた20年と考えると、これが最後のひと瓶。安いものである。
龍野にUSBメモリーを忘れてきたのに気づく。
穴蔵から龍野にいる妹に連絡。IP電話で指示しつつパソコンを操作してもらう。
必要なファイルをメールに添付して送ってもらう。
「パソコンでの通信はやったことがない」というが、5分ほどでトラブルなく届く。
便利なものである。
12月30日(金) 穴蔵/忘年会
穴蔵で雑件の片づけ。
掃除もした方がいいのだが、年末年始は不在となるので、散らかった本や書類はそのままにする。返事せねばならぬ郵便物がだいぶ埋没しているような気がするが。
夕刻、阪急石橋へ。
遠方より帰省中の某くんらと本年唯一の忘年会。
「龍力」のしぼりたて、一杯800円というのがある。他のメニューと較べてもずいぶん高い冷酒である。
「田鶴野の名酒」と書いてあるが、龍野の宛字か? 「たつの」より遙かにいい表記だ。 (※)
タツリキは八重垣ともに地元の酒だが、まだ飲んだことなく、一杯試みる。
たしかに値段だけのことはある。
播州龍野周辺にも意外にいい酒があるのだなあ。
20時帰館、健康なものである。
明日からまたしばらく播州龍野。「八重垣」と「龍力」で越年としよう。
※田鶴野は豊岡の方の地名らしい。ここで獲れる米を使用。播州米ではないようである。播州米はうまいんだけどねえ。
12月31日(土) 大阪→播州龍野/タイムマシン作業始動
早朝の電車で播州龍野へ移動。
専属料理人、簡単な総菜でいいというのに、わりと本格的な「お節」を作ってくれた。冷凍のカニも。さらに、暖房なしの格納庫での作業があるから「エベレストを征した下着」も携行しなければならず、荷物がずいぶん増えた。
電車はガラガラ。
午前9時着。
正月用の酒を買いに行く。ディスカウント店、「龍力」はなく、ヤエガキ購入。
午後はタイムマシン格納庫にこもる。
おれは基本的に世間とは反対の行動をとるのが好きなので、これから数日間、タイムマシン格納庫にこもって組み立て作業を行うのである。
電話も来客もたぶんないから、快適である。
敵は「寒さ」だけ。
本日は比較的穏やかなので、ふつうの防寒スタイル。
それでも16時過ぎると、足先がものすごく冷えてくる。
17時に帰館。
18時から老母と夕食。
老母のいうのに、NHKは昼から延々と「紅白歌合戦」の宣伝番組ばかり流しているらしい。さすがに「飽き飽きしてきた」という。とはいうものの、格闘技は興味ないらしい。困ったものだ。
ビール飲みながらその「宣伝番組」を見ていたら、鈴木健二が出てきて、都はるみの「引退」の時の「一分間だけ時間をください」というのが名文句だと自画自賛。アホか。あの時の名文句というなら、生方はんの「ミソラ……」だろうが。
などと血圧が上がってくるような放送ばかり。
19時、片づけ終わり、書斎に引き上げる。
久しぶりに肉体労働をしたため、筋肉が微妙にひきつれた感じである。
明日というか来年というか、筋肉痛から始まりそうである。
早寝いたします。
また来年。
SF HomePage