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『マッドサイエンティストの手帳』367

●マッドサイエンティスト日記(2006年2月後半)


主な事件
 ・播州龍野の日常(15日〜)
 ・穴蔵の日々(18日〜)
 ・タイムマシン陸送(24日)
 ・「サウンド・オブ・サンダー」(24日)
 ・創サポ講義(25日)
 ・明石を歩く(27日)



2月16(木) 播州龍野の日常
 曇天なり。
 出かけてしばらくしたら小雨が降り出す、きわめて悪意的天気である。
 朝7時10分のプラスチック・ゴミ出ししかり。
 午後1時の確定申告書の龍野税務署への提出しかり。
 午後3時のスーパーへの買い物しかり。
 いずれも、自転車で走り出して3分ほどで小雨となる。
 傘なし。じとーっと湿っての帰館となる。
 わざわざ着替えるほどでもなし。
 頭髪のみタオルで拭いて、衣類はそのまま。
 さすがに気持ち悪く、久しぶりに夕刻「入浴」する。
 ビールがうまい。
 ということで早寝である。

2月17(金) 播州龍野の日常
 龍野にもコンビニが増えたといっても、徒歩5分の圏内に11店ある大阪とは較べるべくもない。
 自転車で10分ほど走ってローソンまで。
 端末で4月3日の「オーネット・コールマン・カルテット+山下洋輔」のチケットを購入。ど田舎でも購入できるのは便利だが、席は選べない。しかたないか。
 シンフォニー・ホールはエルビンや鼓童などで何度か行っているが、すべて山下さんがらみであるなあ。
 帰路、急に霰が降ってきた。
 避難する場所もなし。こういう場合は「霰やどり」というのかしらん。
 痛い上に、やっぱり濡れる。
 ついてない日である。
 明日の仮出所が待ち遠しい。

2月18(土) 播州龍野→大阪
 午後の電車で帰阪。
 穴蔵に戻る。
 天国である。
 おしまい。

2月19(日) 穴蔵生活
 早寝したら、定刻午前4時に目が覚める。
 龍野から「出所」した翌日の通例で、まったく外に出る気力なし。それを想定して、朝食、昼食の食材は搬入済みである。
 テレビは冬季五輪の中継が延々と続いている、らしい。
 おれは朝刊代わりにニュースが見たいのである。
 が、NHK、定刻5時になっても冬季五輪の中継延長である。困ったものだ。
 5時10分になってやっと「人殺し」「災害」のニュースが始まる。
 このアナウンサー、綾小路きみまろによく似ている。メガネもだけど、ヘアスタイルがそっくり。耳がほとんど見えない……ということは、やっぱりヅラか?
 名前は未確認である。
 綾小路の読むニュースってのは、なぜか信憑性がないんだよね。気の毒だけど。
 ということで、終日穴蔵。パジャマのまま過ごす。
 確定申告の下書き。2時間もかからず。支払調書、もう少し増やさないといかんなあ……。

2月20(月) 穴蔵生活
 本日も終日穴蔵。
 外出の用事なきにしもあらずだが、こういう日に限って天気予報が当たり、朝9時から雨になる。
 すべて明日に送る。
 溜まっていた新聞を読む。
 阪大生ホストの恐喝事件はどうなったかと気になっていたところに、去年の阪大医学部の「論文データ捏造事件」に関して、学生が指導教授を「名誉毀損とアカデミック・ハラストメント」で提訴するという記事が目にとまる。
 「白い巨塔」健在である。
 この事件、学生が自分の著作の「印税600万円」を教授に寄付したとかいう報道があったはず。医学書というのはSFよりけた違いに売れるのか?!と驚いた記憶がある。
 気になって調べたら、柳田充弘先生のブログに詳しい論評があった。
 こんなえらい方が、これまたマメに書いてはるのだなあと感心する。
 「印税600万円」というのも不思議な金額でないと納得。
 しかし、これは相当優秀な学生ではないか。
 SFも頑張らなければいかんなあ。
 明日からがんばろう。
 そのために、本日は早寝する。

2月21日(火) 穴蔵/市内徘徊
 2日間動かなかったので、少しは動かないと。
 午後、1時間ほどで確定申告の清書、帳票類の整理。
 税務署に提出のあと、インタープレイ・ハチへ。
 35年来の顔なじみのTくんが来て、カウンターでビールを飲んでいる。
 長年東京に単身赴任だったのが定年退職で帰阪、久しぶりに顔を出したという。こういうパターンが増えてくるなあ。
 昼間はハチを<リタイア組専用の酒場>にするとか、いろいろアイデアも出る。
 おれは昼ビールはやめているのでコーヒーだけ。
 15時過ぎて急に空が晴れ渡る。
 暖かくなったので、久しぶりに<東回り徘徊コース>で、毛馬橋〜毛馬堤〜赤川鉄橋近くの「ワンド」まで走る。
  
 春風や堤長うして家遠し
 花粉の襲来までの、つかの間の春である。
 毛馬閘門を渡って帰館。
 途中、近所にトマソン発見。芸術的価値は低そうな階段。壁には自衛隊員募集の看板。よく通る場所なのに今まで気づかなかった。
 右手のハシゴは下が切れているが、これは防犯のためであろう。

2月22日(水) 大阪→播州龍野/三角寛と齋藤十一
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 車中、別冊週刊新潮『「昭和31年「創刊号」完全復刻版』」を読む。
 「復刻版」は中に綴じ込まれている形式で、前後に解説的記事と50年間の資料など。
 目玉は「怪物編集者」齋藤十一についての論評とインタビュー。いずれも他誌から再録だが、初めて読む記事である。
 で、巻頭の佐野眞一によるポルトレーというか人物論。
 ヘェーと思ったのが齋藤十一と「ひとのみち教団」との関わりである。
 新潮社の創業者・佐藤義亮は「ひとのみち教団」の支援者で、「牛込支部」の建物を社の近くに建てた。このことは知っていた。
 齋藤は「ひとのみち教団」の信者であり、それが縁で佐藤家と知り合い、新潮社に入社した。入社は1935年。21歳の時。
 1936年に「ひとのみち教団」教祖逮捕事件(最近の聖神中央教会の牧師・金保に似た事件)があり、翌年、教団は解散に追い込まれる。
 佐野眞一の解釈は、齋藤がこの事件で「人間の裏表というものをいやというほど見せつけられ」「“神”に一度裏切られた男は、自殺するか、自分が“神”になるしかない。」
 これが週刊新潮の編集姿勢につながっているらしい。
 これはちと極端な解釈と思う。
 おれは「ひとのみち教団」で“サンカ作家”三角寛を思いだした。
 三角寛も「ひとのみち教団」の信者であり支持者であった。
 三角寛を連想したのは、サンカ小説と週刊新潮の窃見趣味・暴露志向とは共通するところが多い(特に「黒い報告書」など)と感じたのである。……いっとくが、おれはこういうの、結構好きなんだよね。
 三角寛と齋藤十一は、年代はずいぶん離れている印象をもつていたが、意外に接点があるのではないか。
 龍野の実家に到着してから、数ヶ月前に読んだ礫川全次『サンカと三角寛』(平凡新書)と照合する。……この新書は、「サンカ研究」「三角寛研究」を俯瞰する解説書としてはきわめて優れていると思う。
 三角寛。1903年生まれ。「朝詣り」は雑司が谷から池袋支部に通っていた。
 齋藤十一。1914年生まれ。住所は不明。渋谷の東京本部に通っていた。
 1936年の「弾圧事件」の時、三角33歳、齋藤22歳。
 どこかで出会って何らかの「薫陶」を得たということはなかったのだろうか。
 三角はその後も教団を擁護しつづけ、齋藤はあっさり離れた?……これは入信の動機の違いと思う。齋藤は親に入信させられた。佐野眞一説を疑うのはこの点からである。
 実はふたりにはその後に「接点」がある。
 1952年の福田蘭童の「剽窃事件」である。
 福田が別冊小説新潮に書いた「ダイナマイトを喰う山窩」が「サンカ用語」の使用について三角寛から抗議を受ける。
 この時、齋藤十一は新潮社の取締役である。週刊新潮は前年に創刊されている。
 この事件の時、三角と齋藤の「対面」はあったのだろうか。
 両者ともにこの世を去った今となっては、確認は難しそうである。
 「幼女姦教祖をめぐる三角寛と齋藤十一の底知れぬ闇」なんて記事、週刊新潮に載ることはなさそうである。

2月23日(木) 播州龍野の日常
 22日朝のASTRO-F打ち上げのあと、博多あたりで「地震雲」騒動があったらしい。
 打ち上げで生じた異様な雲が九州を縦断したらしいが、写真が見あたらない。
 どこかに掲載されているのだろうか。
 買い物に行く。
 いちばん近いスーパーが2月20日に閉店した。
 
 国道を挟んで大手スーパー2店が同時オープンしたのは四半世紀以上前のはず。
 会社全体では好調な方(ジャスコ)の店が撤退。再建中の方(ダイエー)がここでは残ったかたちだ。
 あとはどうなるのか?
 棚などの搬出・解体中のようである。「廃墟」として残してくれると面白いのだがなあ。
 しかし、買い物は不便になる。
 あまり気乗りしないが、クルマの導入を考えざるをえない。
 おれはバイクの方がいいのだが、これだけはうちの家族も兄弟も反対。老母だけが「好きにしたらいい」という意見だが、たぶんよくわかっていないのであろう。
 午後、老母を美容院へ連れて行く。
 ヘアスタイルを気にするのは元気な証拠である。
 ヘア・カット中、向かい側の「ガレリア アーツ&ティ」でコーヒー。
 2階の座敷の窓から風景写真を撮らせてもらう。
 花見宴会をやりたくなる座敷であるなあ。
  
 ガレリアは龍野橋の東側、揖保川に面した立地で、2階からの眺望は龍野でも屈指ではないか。
 揖保川と鶏籠山という代表的景観が電線のじゃまなく望める。
 参考までにガレリアの玄関、写真と福吉久代さんのスケッチを比較すると、福吉さんのうまさがよくわかる。
 ……ということで晩酌の時間となる。
 ホリエモン・ガセメールに関連して永田が議員辞職表明のニュース。
 ま、こりゃしかたないわなあ。

2月24日(金) 播州龍野→大阪/タイムマシン陸送/雷鳴
24  朝から播州龍野の格納庫でタイムマシンの積載作業。
 陸路で大阪の某研究機関まで搬送する。
 「恐怖の報酬」みたいにジリジリと徐行する必要はなく、高速をスイスイと走って、予定通り、午後到着。
 搬入、試運転……トラブルなく終了する。
 設置場所はマル秘だが、かんべむさし氏の事務所から徒歩5分ほどの場所。ちょっと一杯と誘いたいところだが、本日は夕方から別件あり。
 またも「タイムマシン」関係である。
 夕刻、中之島のリサイタルホールへ。
 「サウンド・オブ・サンダー」の試写会。
 これにもタイムマシンが登場する。
 ブラッドベリの短篇「雷のような音」(『太陽の黄金の林檎』所収)の映画化だが……これについては紹介が難しいなあ。3月下旬公開だから、今頃から観たぞ観たぞと騒ぐのはおれの趣味ではないし。(「スター・ウォーズ」騒動では、この手の人種からずいぶん迷惑を被ったから、おれはやらないのである)
 原作を読んだ人とならしゃべりたいことが色々あるが、映画ではその部分が伏せられているからさらに話しにくい。
 ただ、原作の雰囲気とはまったく異なる。
 ハイアムズらしい緊迫感で、なかなか面白かった。
 映画のはタイムトンネル型で、「わが社の製品」とはまったく異なる型式だ。性能は映画のが上、安全性ではウチのが優れている。
 感想その他は映画の公開前後に書くことにしよう。
 終了後、堂島まで歩き、ここから梅田地下を南端(堂島地下センター)から北端(三番街)まで歩いて帰宅。
 晩酌は午後10時を過ぎる。

2月25日(土) 穴蔵/創サポ
 穴蔵にこもる。
 春めいた陽気で、外出してみたい気分になるが、夕刻まで、たまっていた雑件の処理。
 夕刻、天満のエルおおさかへ。
 創作サポートセンター専科の講義。講義というよりも、提出作品についての講評が中心。今回は長編が1篇あり、Iさんの力作、作者の筆力と年齢が微妙なレベルにあって、こちらにも迷うところが幾つが出てくる。
 これは、当方の創作上の迷いのレベルでもある。
 帰路、地下鉄の売店で見た夕刊の見出し。
 大スポ(関東では東スポ)のトップ記事、「永田寿康議員『カツ丼を食べている』」……このセンス、いいねえ。昨夜「クラブハウス・サンドを食べてから入院」したという報道を受けてのもので、要するに仮病といっているのだ。読んでみたいが買うほどでもなし。
 しかし、民主党も、仮病疑惑を指摘されたのなら、この記事の真偽こそ「徹底的に解明」すべきではないかい。
 情報提供者は病院関係者なのか出前持ちなのか。赤だしつきだったのかどうか。そもそも病院で出前とるのが許されるのか?
 謎は深まるばかりだ。

2月26日(日) 穴蔵/Mアナウンサーに詫びる
 定刻朝4時に起床。
 五輪中継もヤマを越したようで、テレビも普通の報道に戻っている。
 4時台、日テレNEWS24、九州のニュースを流している。
 福岡県の深夜パトロール隊を「ミッドナイト遊撃隊」と命名したのだという。いいなあ、独立愚連隊には及ばないけど。
 で、朝5時のNHKニュース。
 先週の日曜朝5時10分に登場したアナウンサーが綾小路きみまろに似ているといったのだが、本日確認、なんとM田アナであったのだ!
 先週、ヅラ疑惑などと書いたのだが、これはおれの間違いであった。
 このMアナウンサーは絶対にヅラではない。
 永田議員ほどでないにせよ、おかしな邪推したこと、深くお詫び申し上げます。
 申し訳ございません。
 叩頭頓首平伏土下座してお詫び申し上げる次第でございます。
 M田アナウンサーは、確か阪神大震災の時に大阪におられた。
 震災報道で全国に顔が売れたのである。
 この方の特徴は、ともかく額が狭い。
 わが老母、なぜか額の狭いのが嫌いで、知性が感じられないとぼやくクセがある。(息子をかばうわけではないと思うが……)
 M田アナの額は確かに狭い。顔にまじめそうだからからいいが、これで爬虫類系の目だったら、典型的な「悪代官」顔になる。たとえば某社の次の社長の顔が典型的だけど。(4月1日からだからね、念のため……おぬしも悪よのう)
 しかし、きちんとしたヘアスタイルだったM田アナ、なぜ綾小路風のヘアスタイルに変わったのだろう。謎は謎である。
 ぜひ来週日曜朝5時に見ていただきたい。
 ということで、本日は雨。
 出かけることもなく、たちまち夜になった。
 NHK-FM、セッション505に谷口英治セクステットが登場。
 3管編成のバンド、例によって抜群のアレンジで聴かせるモダンスイングに酔いしれつつ、これが終われば、すぐ寝るのである。
 明日はまた播州龍野だ。

2月27日(月) 播州龍野往復/明石市
 2月22日朝、内之浦から打ち上げられたM5ロケットの噴煙が福岡で目撃されて地震雲騒ぎになったらしいと書いたら、山口県の友人が、写真を送ってくれた。
 某新聞の地方版の写真なので、目立たないようにちょこっと掲載。
 内之浦から350キロ。たいしたものだ。
 背景の空に女性の顔がぼやっと浮かんでいて、半村作品じゃないけど「虚空の女」なんて想像してしまう。これは紙面裏の写真が透けたのであろう。
 ということで、早朝の電車で播州龍野へ移動。
 タイムマシン格納庫で、ふたたびマシンの積載作業。
 明日陸送の予定が、1日ずれ込むことになる。
 予定が変わったので、クルマ同乗の予定を変えて、午後の電車で帰阪。
 帰路……午後の時間があいたので、明石で途中下車。
 毎週のように通過しているが、明石で降りるのは、運転免許試験場に来て以来で、じつに40年ぶりではないか。
 明石港まで歩いてみる。
  
 「たこフェリー」の乗り場まで。
 少し歩けば海岸という記憶だったが、防波堤や明石大橋など人工物ばかりで、殺風景なものである。
 「魚の棚市場」を歩く。
 うまそうだが、おれは魚の目利きができないので買わず。専属料理人を連れてこないと無理である。
 午後5時前で、魚のうまそうな居酒屋を探すには少し時間が早く、1時間ほどブラブラしただけで帰阪。
 昼か夜、空腹時に来た方がいいようだ。

2月28日(火)穴蔵
 本日の『朝はミラクル』、テーマは「身近にいるバカ」である。
 五十ヅラさげて女装してパーティ会場に現れる史上空前のバカ男がいるが、トイレは男女どちらを利用するのか……こんな話題を朝から公共の電波にのせるわけにもいくまいと、メール投稿は見合わせるのであった。
 終日穴蔵。
 月末の処理事項があって、午後、ちょっと銀行まで行くが、ATMの前、いずこも長い列。
 来月送りとして、急いで穴蔵に戻る。
 14時45分から民主党のお詫び会見中継を見る。
 永田寿康、珍妙な「お詫び」である。
 おれはこの騒動は楽しませてもらっているが、別に被害は受けていない。「国民の皆様」に詫びられても、国民のひとりとして戸惑うばかりである。「仲介者」を明かさず、イライラさせて申し訳ないというのならわかるが。
 メールアドレスを明かすと情報提供者が特定されてしまうと「仲介者」がいうのを信じて、確認していないというのだが、アドレスも何も、もしfromがホリエモンでtoが情報提供者なら、メールを公開した人物はひとりしかいないから、すでに特定されているも同然ではないか。
 永田議員「目がいんでもとる」気配である。

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