『マッドサイエンティストの手帳』317
●マッドサイエンティスト日記(2004年11月前半)
主な事件
・播州龍野の日々(1日〜)
・穴蔵の日々(6日〜)
・播州龍野の日々(14日〜)
2004年
11月1日(月)
播州龍野の日常。
天気晴朗にして暖かし。
揖保川、先日の台風では相当な増水であったらしく、河原や河川敷に流木やゴミが散乱している。両側の「畳堤」には一部畳が差し込まれた様子だ。
今は穏やかなものである。
親戚の某くん、特定郵便局の局長であるので、年賀状ぜひともウチでという懇願。
民営化やら何やらで、この世界もたいへんらしい。
一族の分まとめて○百枚(千枚未満)を買ってくる。
大阪や横浜まで持ち帰るわけで、相当重い。
年賀状もそろそろ打ち止めにするべきか。
11月2日(火)
播州龍野の日常。
朝5時、晴れていて、木星と金星がますます接近してきたのが鮮やかに見える。
最接近の時は大阪にいるから、ここまで鮮明に見えるかどうか……。
前に「100均」で買った小型の土鍋(東南アジアの某国製)、ちゃんと「土留め」したにもかかわらず、数回使用したところでヒビが入り、水漏れしはじめた。ちょっと手に力を入れると脆くも割れてしまった。断面、粘土細工に塗料を塗ったようもの。
嫌になって、今度は10倍ほどの値段の国産品を買ってくる。
ついでに焦げつきやすいフライパンも新品にし、中華鍋も買う。
調理がだんだん本格的になってくるなあ……。
11月3日(水)
播州龍野の日常。
朝、なにやら花火が上り、昼頃になって遠くから騒音が流れてくる。
酒のディスカウント店へ行くと、店から南へ1キロほど、市役所前の道路が通行禁止となり、踊りのパレードが行われている。
「龍野市民まつり」という催しで、各地区から出場の踊りの連が延々とつづく。
「よさこい踊り」はこんな地方都市にまで蔓延しているのか……。
踊りに関しては、思い出すことがある。
1969年……アポロが月に着陸した頃だが、この年の春から半年間、富山の工場にいた。
寮生活で、夏には「盆踊りの練習にでてこい」などといわれた。
寮生の多くが出ていくとひとりになれるので、おれは嫌われるの覚悟で「盆踊り拒否」、ひとりで原稿を書いていた。
しばらくして、隣町(八尾)で「ちょっと奇妙な盆踊り」があるから見物に行かないかと誘われた。これも興味がないので拒否。……これが、当時はまだほとんど知られていなかった「風の盆」である。
半年後、今度は高知工場へ移動した。こちらは陽気で、酒と魚がうまく(なにしろ工場食に時々刺身が出る!)、面白い土地であった。
こちらの連中は「よさこい踊り」……なにかあると宴会になって、最後は「高知の城下へ来てみ〜りゃ〜」と歌い踊るのであった。阿波踊りは知っていたが、よさこい踊りはこの時に初めて知った。
「風の盆」と「よさこい踊り」、ともに今では全国区人気である。
こんな未来は予想できなかった。
むろん、関心がないからである。
11月4日(木)
播州龍野の日常。
裏庭の柿を獲る。今年は台風で大部分が落ちてしまった。残っているのは、意外にも上の方ばかり。もう木登りできる年齢ではないし、落ちて骨折したのでは老母の世話もできなくなってしまう。
安全なところだけの収穫に留める。
11月5日(金)
播州龍野の日常。
おお、快晴であった。
朝5時、放射冷却でキンタマ収縮を実感しつつ木星と金星の最接近を鑑賞。
デジカメでの撮影も試みるが、シルエットで屋根か樹影を入れると輝点が小さすぎて、難しい。いずれにしても三脚なしでは無理と断念する。
朝、昼と冷蔵庫の「在庫整理」メニュー。
夜、帰阪。
11月6日(土)
久しぶりに大阪の「穴蔵」で目覚める。
終日穴蔵。
溜まっていた雑件と郵便物の処理しているとたちまち夕方になる。
夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
久しぶりに小説作法について議論。
その関連で、米朝師匠の話も。……なんでも、桂吉朝さんが体調を悪くしてしばらく休業なのだそうである。ちと心配なことである。
……あとでかんべさんが知らせてくれたが、この日は米朝師匠の七九歳(満年齢)の誕生日なのであった。
11月7日(日)
終日穴蔵。
雑用処理の続きである。
……午後になって、本日、友人が出演しているコンサートに行く予定であったことに気づく。ボケが始まっているのであろうか。間に合わない時間になってしまった。
夕刻から専属料理人は「第九の練習」とかで出かけてしまう。
ひとり寂しく、作り置きの、鰺のなんとか煮、イカと小芋の煮たのやら、牛肉タタキその他色々並べてビール、湯割り。
龍野での食生活に比べると、材料費がだいぶ高い気がする。
11月8日(月)
朝から雑用色々、本日は銀行、役所関係含めて、出かけるところ色々あり。
天五の某部品屋にタイムマシンのレギュレーターを受け取りに自転車で行く。
帰路、商店街路上で青空書房の坂本さん(奥さんの方)にばったり。
「この先に桂南光さんが店出しはって、こないだ挨拶に来はりましたで」
「え、何の店?」
「さあ、よう知らんのですけど、たぶんバーでっしゃろ」
「中崎町商店街でっか?」
「交番のちょっと西、前は医者やったとこが店2軒になってますわ。間に非常階段があって、その片側」
「何ちゅう店ですねん」
「さあ……何やったかいなあ」
行ってみるとすぐわかった。
「サザンライト倶楽部」という看板が出ていたからである。
会員制の店かな、これは。「隠れ家風」ということであろうか。
隣が「くすのき」という酒場みたいで、これも千早赤阪村に関係ないではない。
まだ午前中なのでどちらもオープンはしていない。
窓はなく内部の様子はわからない。中崎町にしては高級そうな作りで、イチゲンには入りにくい感じであるなあ。
梅田へ行ったついでに、久しぶりに旭屋と紀伊国屋を覗く。
ちょっと気になって(先月の文春を読んでだが)「ハリー・ポッター」を探してみたが、いつもの巡回経路では目にとまらなかった。どうなっているのであろうか。
11月9日(火)
定刻4時起床、天気はまだよく、5時過ぎに木星と金星に月が接近中の様子が見える。明日も晴れてくれるといいが。
終日穴蔵。
少し室内を整理する。
午後、『夢見る猫は、宇宙に眠る』の八杉将司さん、『神パズ』機本伸司さん、『かめ』北野勇作さん、『ゼウスの檻』上田早夕里さん、(到着順)来穴蔵。
コーヒー飲みながら(ビールでないのが珍しい)SF談義。
きっかけは機本さんの執筆中の作品(宇宙もの)について……の予定であったが、別に具体的なアドバイスとかいった話でもなく、順調に進行中の様子。機本さんと北野さんは同門だがゆっくり話をしたことがないとか、上田さんの2冊目が出だばかりであるとか、それなら姫路在住の八杉さんもということで、「播州もん」で固めたわけではないが、兵庫県関係の雑談会になった。
イーガンのこと、アニメのことなど、話題はとりとめなく種々雑多。
機本さんの『神様のパズル』の原題(というか着想時のタイトル)が『宇宙製造法』であったとは意外だが、いわれてみるとこれはいい。ハミルトンよりもかんべむさしが先であったとは。
*
夕方から安くて旨い中華屋「菊華」へゾロゾロと移動。
皆さん、映画をよく見ているのには感心する。小説はともかく、映画・アニメの話題にはついていけない。
わしゃ、映画館にはいちばん近い場所で生活していながら、時間的な拘束が苦痛になってしまったからなあ……。
四半世紀前にやったギャグで、某中小企業の社長が『わはははは、若い人と話してるとおもしろいよ』と嘯くのがあったが、気がつけば、これリアリズムになっておるのだなあ……。
11月10日(水)
定刻午前4時起床、天気を確認、晴れている!
5時、ベランダから東の空に、金星と木星が月を挟むかたちで並ぶ「天体ショー」を眺める。
新御堂筋の上空、デジカメで長時間撮影を試みるが、まあこれが限界。HPでは木星は見えないだろうな。
雑用あって自転車で外出、午後、かんべむさし氏の仕事場に寄る。
かんべさん、ホームページの開設準備が大詰めで、仮アップの状態。
横から見せてもらうが、この種のことは苦手というわりにはすべて自作で、なかなか立派なものである。
靱公園横のタケウチでパンを買って帰る。
ここで買って帰ると、だいだい夜はワイン系のメニューになるのである。
夜は専属料理人の作った、手羽をグリルしたなんとかとか、タコのマリネとか色々。
専属料理人「500円のパンを買ってきてくれるのはうれしいが、ワインが阪神地下で選んでも千なんぼかかって出費がどうたら……」
古典的セリフをいいたくなるなあ。
「誰のおかげで食わせてもらってるんだ!」と。
11月11日(木)
雨である。
終日穴蔵。
タイムマシンの部品が届いたり、関連して来客があったり、雨の日にしては落ち着かない。
それはそうと、林譲治さんの日記の中で、野良猫写真につけられたキャプションがだんだんエスカレートしていくのがなんともおかしい。こういうユーモア感覚は林さんがあまり見せなかった一面である。
11月12日(金)
朝から本格的な雨である。
終日穴蔵のつもりだったが、午後は晴れてきたので、近日の龍野行き準備のため外出。主に防寒関係である。
ハチに寄ってコーヒー。「親っさん」の方、検査入院は終わり、これから診断結果がでるという。が、まあ、ご本人は元気な様子でコーヒーを淹れてくれた。
マスターとジャズクラCDについて情報交換。
帰路、泉の広場近くの定位置にルン吉くんが佇んでいるのと遭遇。
10月22日以来か。
いつもよりだいぶ遅いのではないか。雨で出発が遅れたのであろうか。
堂山町、先日深夜にサラリーマンがチンピラらしいのに撲殺されたばかり。
ルン吉くんが狙われることはないだろうけど、わが早朝散歩は当分は堂山町迂回だな。
帰るとかんべむさし氏からメール。
かんべむさしホームページの整備が終わって、正式にオープンしたという連絡。
さっそく訪問。
なるほど、わがページにジャズ記事が多いように、かんべページの目玉は「落語・演芸・お笑い」のようである。
何かリンク企画を考えるか……。
……どうでもいいことだけど、NHK-TV関西、20:45〜21:00のニュースに出てきたアナウンサー、喉に何が詰まったのか、延々とシャックリ・アナウンス。餅詰め老人の断末魔みたいで、可哀想なやら爆笑するやら、映像部分での代替アナもいなかったみたいで、いやはや。
災難でしたなあ。
エビ・ジョンイルの往生際の悪さに対して、現場は「お笑い」で話題をそらそうとしてるのかしらん。
明日の同時刻には「お詫び」があるかな。土曜日だからないか。
ま、色々笑わせてくれるよなあ、NHKは。
いっとくけど、うちは受信料払ってるよ。おれはやめろといっとるんだけど。
11月13日(土)
終日穴蔵。
夕刻から専属料理人が「第九のリハーサル」とかで出かけてしまったので、夜はひとり寂しくビール。
テレビのチャンネルを切り替えていたら、関テレで企画意図不明のカラオケ演歌大会みたいなのをやっとる。堀内孝雄が「別れの一本杉」を歌ってるが、うまくないなあ。
あほらしくなって、『フィッシャーマンズ・ドットコム』を出してきて、坂田明の「別れの一本杉」を聴く。こちらの方が数段いい。それに、ビールにも酒にも焼酎湯割りにもバーボンにも合う。つい飲み過ぎ。
11月14日(日)
早朝の電車で播州龍野へ移動。
予想通り寒い。
播州龍野の日常再開。
図書館へ行った帰路、小さなスタジオと喫茶店で『懐かしい映画のポスター展』をやっているので見学。
昭和40年頃まで、龍野には映画館が2館あった。小学時代は「邦画」と「洋画」に別れていたが、途中から両館とも邦画になった。
ポスターは銭湯とか散髪屋に貼られていた。「ビラ下あります」と書かれていることがある。ポスター貼付の謝礼として配られる割引券や招待券のことである。散髪に行くと「ビラ下」が貰えることがあった。
そんな時代……昭和20〜30年代のポスターが数十点「発見」されたので、展示会が行われているのであった。
古い建物を建て替えようとしてら、畳の下に敷いてあったらしい。
懐かしいのが数点。
若き日のアラカンがいいなあ。『源太時雨』は何度もリメイクされていて(アラカン主演で)、1953年のすらリメイク版のはずである。これは見ていないが、その後の『抱寝の長脇差』は見たはず。内容は覚えていないが、「長脇差」を「ナガドス」と読めず「ナガワキザシ」と読んで笑われたのを覚えている。国語教育もあの時代の方が遙かに高度であった。
……しかし、『地球最期の日』や『宇宙水爆戦』のポスターが残ってないのは寂しい。あの頃は田舎町でも最新SF映画が上映されてたのである。
11月15日(月)
播州龍野の日常。
雨である。
が、家に籠もっているわけにはいかず、食事以外の時間はタイムマシン格納庫に詰める。
寒くて、朝しばらくはストーブをつける。
キンタマの波動関数収縮する季節の到来間近なり。
整備中のタイムマシン、反日感情最大、アジアカップで暴動寸前だった某都市へ年末に移送される予定だが、どうなりますことやら。
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