『マッドサイエンティストの手帳』513
●マッドサイエンティスト日記(2011年10月後半)
主な事件
・大阪←→播州龍野、いたりきたり
・ラスカルズ結成50周年コンサート(16日)
・発作的逃避行(18日)
・山下洋輔NYトリオ(24日)
・滝川雅弘 at ガゼボ(28日)
10月16日(日) ニューオリンズ・ラスカルズ50周年コンサート
午前中、某ゲラ到着、慌ただしくも慎重にチェック、FAXでは赤字がわかりにくいので、PDF化したファイルを送信する。
昼、専属料理人とJR環状線・大阪城公園へ向かう。
13時からイズミホールで「ニューオリンズ・ラスカルズ結成50周年記念コンサート」。
なんと、ほぼ正面最前列である。
最高の音響でラスカルズのフルメンバーの演奏が聴けるのは久しぶりである。
正直なところ、ラスカルズばかりずっと聴いていたい気分だが、(演奏者の体力にバラツキがあって)そうもいかない。
まして、今回は海外からのゲストが18人!
色々な組み合わせで続々登場だが……
なんといっても特筆すべきはピアノのボブ・グリーンで89歳!
63年のルイス初来日の時に日本にいたピアニストで、40歳ちょっと。ルイスと河合さんの間を取り持ったり、その後半世紀近い付き合いがつづいている。
グリーンは最後の方に登場、ソロ1曲、として河合さんと賛美歌のデュオ。
63年来日時のルイス一行のメンバーを全部紹介するなど、頭脳明晰である。
感動的であるなあ。
3時間、最後は全員で「You Rascal You」。
終演後、1時間ほどOBPを散歩する。
夕刻に心斎橋へ。
じつは「夜の部」もあるのであった。
「SEIRYU」という会場でディナー・コンサート。
150人ほど、ビール、ワインを飲みつつ、今度は気楽に「録音も撮影も自由にどうぞ」とアナウンスまである。
*
最初にラスカルズがフルメンバーで4曲。
志賀さんのヴォーカル2曲もあって、もうこれだけで満足である。
あと色々。
河合さんとラティ−ヌの2clによるバーガンディ・ストリートが泣かせた。
午後10時までの予定であったが、事情があって30分ほど早めに退席。
大阪駅へ。
おれだけ、新快速で姫路、姫新線の最終で本竜野に午後11時半に着く。
明朝からの修繕工事開始に備えてである。
深夜の就眠。
10月17日(月) 播州龍野
わ、わわっ、なんだなんだ!
通俗SFじゃないけど、朝目が覚めたら、窓の外に鉄骨が立っているのであった。
朝も早よからクレーン車が来て、門扉の外側からクレーンの先端を窓の反対側まで伸ばしているのである。
先だって台風被害にあった屋根の修繕工事である。
ちと大がかりで、2週間ほどかかりそうな。
作業開始。書斎の窓すぐ前にハシゴがかけられたり、大騒ぎである。
工事の音、特に背後で瓦を外す音が響いて落ち着かないことよ。
昼前に非難。
揖保川町馬場地区のコスモス畑を見に行く。
*
広大なコスモス畑だが、毎年(さらに広大な休耕地の中で)場所が変わる。
移動コスモスというべきか。
せっかくだから、室津方面への峠を越えて、道の駅みつへ。
レストラン「魚菜屋(ととなや)」で「アナゴ丼」を食すが、値段の割にはなあ。
午後帰館。
夕刻まで、屋根の工事に合わせて室内の床掃除など行う。
夜はひとり寂しく晩酌。
昨日がニューオリンズだったので、本日はトミフラ師匠、ハンク師匠、バロン師匠などピアノトリオを流しつつ、ビール、「神の河」。
播州龍野の夜は更けゆく。
10月18日(火) 発作的逃避行
播州龍野にて朝から掃除洗濯ゴミ出し。
8時から修繕工事が始まった。
書斎への騒音が大きく、仕事にはならず。
タイムマシン関係は相棒が海外行き準備中で、おれの出番はなし。
発作的に日常から逃避することにした。
某所のホテルを予約。
先日来の色々な作業に一区切りついたので、ぶらっと出かけたかったのである。
9時頃に出発。
あちこちに寄り、午後に某所に着く。
逃亡なので具体的な地名は伏せさせていただく。
*
こんな浜を歩く。
*
夜はこんなの(あくまでも最初の1鉢である)でビール、冷貯蔵など。
*
あと、ハイボール飲みつつ、こんな店でジャズを聴く。
「こんな店」では失礼か。「木馬」という店。右端はドラマーの吉川英治さんである。
たまらんなあ。
10月19日(水) 播州龍野へ帰る
朝、逃亡先を出て、4時間ほど走行、昼過ぎに播州龍野に着く。
雑事が色々待ち受けていた。
ささっと片づけて、夜はひとり寂しく晩酌。
早寝するのである。
10月20日(木) 播州龍野
播州龍野にて雑事色々。
実家は相変わらず屋根の工事中につき、昼間はタイムマシン格納庫にて、少し作業。
ちょっと旋盤も使う。
時々こうしないと、わがクラフトマンシップが衰えるからなあ。
夕刻に近い午後、揖保川沿いの道を帰る。
おなじみ「堀家住宅」の土蔵群をデジカメで撮ろうとしたところに、16時20分頃に事故発生。
「楠の大樹」で道幅が狭くなったところで、対向車が来たから、軽トラ(枯葉マークつけた爺さんふたり)が車線を左に寄せて急ブレーキかけたので、後ろから来たバイクが接触、転倒した。
兄ちゃんが「起こせ」とわめいている。
どちらが悪いか判定不能。
写真を撮るより転倒したバイクを助けろなどとはいわないでほしい。
土蔵の写真を撮ろうとしたところに事故発生なのだから。
10分ほど話し合っていたが、双方、そのまま走り去った。
兄ちゃん、案外いいやつだったのかも。後遺症があれば連絡してくれたまえ。証言はする。
ということで、帰館。
例によって、ひとり寂しくビール、湯割り。
早寝するのである。
10月21日(金) 播州龍野→大阪
秋晴れなのであった。
朝のテレビニュースでカダフィ殺害の映像が流れる。なかなかの末路である。
小金ちゃんはどう見たのか。
独裁者の断末魔を見るのは、チャウシェスク、フセインに続いて3件目のはずである。
この3人は自分で権力を掴んで独裁体制を敷いたのだが、小金ちゃんは世襲のアホボンだから、独裁者に上り詰める過程を知らない(親父を殺したという疑惑は残っているけど)。
小金ちゃん、どう感じているのか。震え上がったか理不尽と感じたのか、そのへんがわからん。
まさか老衰で死ねるとは思ってないはずだけど。
本日も播州龍野にて屋根の修繕工事。
好天がつづいたので、予定より早く、本日の午前中で完了となった。
午後の電車で帰阪する。
夜は、専属料理人が地域のなんとか会合で出かけてしまったので、作り置きのメニューでビール、湯割り。
ただ……このメニュー、昨夜おれが作ったのとほとんど同じなのよね。
材料が、こちらの方が豪華である。
安い材料で旨いものを作るのは、おれの方が上ではないかと、ちらっと思う。
ま、そういうものだ。
色々雑事はあるけど、早寝するのである。
10月22日(土) 穴蔵
朝だ。雨が降っている。久しぶりに浅田飴だ。
播州龍野の屋根工事のチェックには絶好の雨だが、今から行く気にはならない。
穴蔵にて、少しはマジメに仕事するのであった。
午後は自宅へ行ってパソコンのリカバリー作業。
自宅で使用しているのはDELLのノートパソコンでXP機。これは昨年、XP機の出荷が終わるというので、タイムマシン用の予備機として買っていたもの。使用する見込みがほとんどなくなったので、もったいないから、不調になったME機(10年以上使った)と入れ替えたのである。
2月ほどで不調……ウィルス感染らしい。たぶんボンクラ某が怪しげなサイトにつないだのであろう。
リカバリーは初めて行うが、DELLのサポートセンターは(土曜午後というのに)電話はつながりやすく、HDDフォーマット中の中断を挟んで、電話2回、ドライバーのインストールと再起動を5、6回、辛抱強くつきあってくれた。
職場からは他の電話での応答の声も聞こえてくるが、こんな仕事、うんざりしてくるだろうなあ。
2時間以上かかった。
ま、しかし、ともかく、昔のGatewayとちがって、DELLは良心的な会社である。
10月23日(日) 穴蔵
朝だ。雨は降っていない。浅田飴ではなかった。
ニュースでは、ドイツのエックス線観測衛星ROSATが本日9時30分頃に日本に落下する可能性があるらしい。
わ、大阪はコース下にある。
ということで、衛星直撃を避けて、終日穴蔵で過ごすことにする。
創サポ主催の「ショートショート・コンテスト」の候補作が届いたので、これらを読み、色々悩む。
最終的な決定の前に、各作品についてのコメントを書きはじめる。
たちまち夕刻となった。
ROSATはどこかの海に落ちたらしい。ほっ。
夕刻、パスタやサラダでビール、ワイン少し。
本を読みつつ早寝するのである。
いかん、2日間、まったく外出していない。脚が弱りそうな。
明日こそホリは出歩く。
10月24日(月) 穴蔵/ハチ/NYトリオ
本日も曇天なり。
穴蔵にて少しはマジメに仕事をするのであった。
創サボ主催のショートショート・コンテスト。
昨日から候補作を読み、コメントを書いてきたが、いろいろ迷ったあげく、最終的な結果を決めて、午後に事務局へ選評といっしょに送る。
毎回迷うのがアイデアの類似である。ぼく自身、全ショートショートのアイデアをチェックできるわけがない。あくまでも「アイデアは素材であって料理法を評価する」姿勢だが、今回、いちばん出来のいいのが「星さんの名作中の名作」と同一パターンなので、これだけは減点せざるを得なかった。だが、ジョン・コリアやリチャード・マティスンあたりになると、文庫でも入手しにくいから迷うところだ。
夕刻、専属料理人と歩いてハチへ。
ハチママが来ている。
しばらくして、山下洋輔さん、セシル・マクビーさん、フェローン・アクレフさん……つまりニューヨーク・トリオが現れた。
ハチママの体調が昨年来いまひとつということで、関西でのコンサート前日に、激励にやってきたのである。
ハチママは山下さんが来ると元気になるのだが、そこにセシルとフェローンだから、喜んだの喜ばないの……喜んだのでございます。
「ちょっと生ビールでもいこか」と、某ビアホールへ移動する。
ハチママは株主でもあって、店は一室を用意してくれた。
*
ハチママ「いつ、どうなるからわらんから、もう会えないかと思ってた」
セシル「そんなことは信じられない」
フェローン「またニューヨークへくればいいじゃないか」
ハチママ、感激して涙ぐむ。
が、あとは賑やかにビール、ワイン。セシルもフェローンもマグロ(刺身)が好きというのがおかしい。(山下さんは生魚はまったくダメである。
セシルはやっぱりスマートだなあ。ダンディだし紳士だし。専属料理人は目が☆になりそうなファンなのである。
ということで、専属料理人との2ショットをおれが撮る。
Hold me as a bass!
この写真は非公開。
フェローンとは11年前に撮っていて、これでやっと希望がかなったわけである。
ハチに戻って水割りで仕上げ。
ハチママを送って、22時頃の帰館となった。
10月25日(火) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
午前/午後、タイムマシン格納庫にて見張り番を務める。
相棒の某くんが某国へ出張なので、週末まで詰めることになる。
夕刻、食材を買って実家に戻る。
藤家虹二氏の訃報。78歳。
真摯なクラリネット奏者であった。グッドマンの研究ではトップであり、(クラシックの奏者としての活動を別にして、ジャズに限れば)スイング・スタイルを貫かれたが、13年前に瀬川昌久先生に伺ったところでは、60年頃にトニー・スコットにパップ奏法の教えを乞ったという。求道的な演奏家あったと思う。
夜は常夜鍋でビール、「神の河」湯割りを飲みつつ、鴨居のスピーカーから降り注ぐ藤家虹二のクラ『We Love Clarinet』を聴く。
「懐かしのストックホルム」がたまらなくいい。
秋であるなあ。
10月26日(水) 播州龍野
本日も、相棒の某くんが某国へ出張のため、タイムマシン格納庫にて見張り番を務める。
円高で75円なんぼまで高騰した。
こんなご時世に、よく某国の某社がマシンを買ってくれたものよ。
解約されるのではないかとヒヤヒヤしていたのである。
某くんからの緊急連絡もなく、無事ミッション終了のようである。
西の方向に感謝し、併せて年頭に福を授けてくださった桂米八師匠にお礼申し上げる。
ということで、本日もひとり寂しく晩酌。
北杜夫氏の訃報。84歳。24日の死去で、藤家虹二さんと同日である。
全作品を読むほどの熱狂的なファンではなかったが、やはり『楡家の人びと』は戦後文学を代表する作品であろう。
書庫から出してくる。
昭和39年に新潮社から出た箱入りのを読んでいる。600円である。
箱の裏側にある三島由紀夫の推薦文が素晴らしい。
46年ぶりに再読しようとするが、活字が小さすぎて、読むのがものすごくつらい。歳であるなあ。
冒頭の「飯炊き」描写とか、誰だったっけ、復員してくる場面とか、数々の名描写を覚えていて、今読み直したら、また別の感動があるのは明かなのだが……嗚呼。
10月27日(木) 播州龍野→大阪
播州龍野にて午前3時に目が覚めてしまう。
寒いのであった。室温14℃で、大阪だと真冬の温度である。
朝まで安部ねり『安部公房伝』を読む。伝記であるが、断章の集積の印象。特許を取得したタイヤチェーンの詳細をこの本で初めて知った。
朝からタイムマシン格納庫にこもる。
と、9時に相棒の某くんから電話。昨夜深夜(というよりも日付が変わってから)帰国したばかりというのに、本日、大阪からこちらに来るという。
夕刻に近い午後、某くん到着。
色々と報告を聞き、打ち合わせ。某国の事情を聞くに、某業界の合従連衡は急速に進んでいるらしい。来年は何度か往復することになるかも。
暗くなってから、大阪へ移動、21時過ぎの帰館となった。
小松左京マガジン第43号(追悼号)が届いている。こちらに紹介しております。
10月28日(金) 穴蔵/バンチ/滝川雅弘+池田信夫トリオ
穴蔵にて、少しはマジメに仕事するのであった。
某ゲラのチェック。
午後にかんべむさし氏が来穴蔵。
本日はSF検討会ではなく、仕事。上記ゲラのチェックのためである。
かんべさんとの対談形式なので、個別に訂正したのでは矛盾が生じかねない。ふたりで最終調整をやろうということだったが……ゲラをつき合わせてみれば、ほとんど修正の必要はなく、15分ほどで終わる。
せっかくだから、1時間ほどアホな話をして解散。
本日のは、小松親分の追悼出版のひとつに掲載予定である。
所用あって自転車で天六へ。
梅田へ自転車で行くのは(危険運転するアホが増えすぎたのと駐輪場所がなくなったため)やめたので、銀行関係は、自転車で天六へ行くことが多くなった。
久しぶりにワイルドバンチに寄る。
お、スピーカーが「YAMAHA NS-1000」に変わっていて、LPでクリフォードが流れている。
NS-1000は80年代の名器で、おれも憧れていたが、狭いマンションには不向きと断念し、ダイヤトーン(DS-201)にした経緯がある(これ、今も愛用しとるよ)。
庄内さんは「廃棄される寸前で引き取った」のだとか。
庄内さんが自宅からLP約2000枚を運び込んでいて、本格的ジャズ喫茶の雰囲気になってきたなあ。
(庄内さんのあまり趣味ではない)スタン・ゲッツもかけて貰う。やっぱりいい音である。
これからは、午後のジャズタイムはバンチということにしよう。
いったん帰館。
夜は靱公園東側のガゼボへ行く。
滝川雅弘カルテット……というよりも、滝川雅弘+池田信夫トリオというべきかな。
*
滝川雅弘(cl)古川亜紀子(p)宗竹正浩(b)池田信夫(ds)
池田さんとはハチで知り合ってもう40年。ドラム歴もそれくらいになるのかな。
「枯葉」から始まって、「プア・バタフライ」や「鈴懸の径」「星影のステラ」など、わりとポピュラーな曲を中心に2ステージ。
最後の方の「She Rote」「Billy's Bounce」などパーカー・ナンバーのノリが抜群にいい。
22時前まで。
ついでながら、ガゼボの名物は「きっと勝つさんど」というカツサンドだが、ランチタイムには400円の「玉子かけごはん」を始めたという。老舗醤油3種類から選べ、トッピングが色々。
本町界隈の諸君、試してみてくだされ。
10月29日(土) 穴蔵
定刻午前4時に起きる。
早朝のニュース、TBS系と思う。
バンコクの洪水を伝えているが、とつぜん、川から流れてきたという「巨大S字型変形生物」を映す。
ギャーーーーーーッと叫び声はあげないけど、慌ててテレビを切った。
ワニなら我慢できるけど、これだけはなあ。
朝っぱらから物騒なものを放映してくれるなよ。まにもー、とにもー、たくもー。
タイの洪水は当分の間報道されるだろうから、注意しないと。
厄日である。
嫌なもの見てしまって、食欲なし。
こういう日は出歩かないに限る。
終日穴蔵。
ほとんど仕事はせず、色々たまった本を読んで過ごす。
たちまち夕刻となる。
ちょいと一杯飲んで寝るのである。
10月30日(日) 穴蔵/週刊誌の終末
朝だ。曇である。浅田飴ではないのであった。
普通に朝食のあと、穴蔵にて机に向かう。
さりとて、生産的な仕事をするわけでもなく、ボケーーーッと過ごす。
いかんなあ。
そろそろ「大きな仕事」に取りかからねばいかんのだが、その前に、10年放置している難物があって、やっぱり年内にはこちらのケリをつけるべきかなあ。
ま、明日から考えることにして、本日は日曜だから、本を読んだりCDを聴いたりで過ごす。
本日は大阪マラソンの日である。
曇天。雨を願うほどおれはひねくれてはいないのである。
14時前から小雨になったようだが、傘を差すほどではなし。大阪マラソンはかろうじてセーフか。よかったではないか。
橋下も平松も、そろって、にこやかに登場したようだし。
しかし……先日突如起こった「橋下の出自」に関する週刊文春と週刊新潮の特集記事はいったい何なんだ。
橋下を支持するかどうかの問題ではない。
両誌を立ち読みしたが、「新潮45」の記事を超える内容は皆無。「独自取材」の痕跡すら感じられない。
ネガティブ・キャンペーンとしか思えないのである。
大阪人のおれとしては、こう問いかけざるを得ない。
「週刊文春と週刊新潮、どこからなんぼもろた」
(広告主を精査すれば見当はつくだろうが、まさか同じ号に広告を出すようなドジは踏むまい)
新潮は自社記事の使い回しとも考えられるけど、週刊誌ジャーナリズムというのも、そろそろ終末だな。
週刊現代も、取的の八百長報道では支持したけど、黒川博行氏をグリコ森永犯と決めてた連載(岩瀬達哉)について、黒川氏の再三の講義に対して、何の釈明も反論もしていない。
週刊現代も(八百長報道支援で)時々買ってたけど(ただし岩瀬達哉の連載は読んでいなかった)、これからはコンビニ立ち読みにするからね。
各誌とも10分ほどで読める内容ばっかりだもの。
今やまともな週刊誌といえるのは「アサ芸」だけではないか。ブレがないものなあ。
10月31日(月) 穴蔵/ウロウロ
終日穴蔵……のつもりだったが、月末で諸々の事務処理もあり、午前中、市内ウロウロ。
途中、コンビニで週刊現代立ち読み10分。岩瀬達哉の反論はなし。筆を折る覚悟を決めたということか。
午後は穴蔵にこもる。
静かである。
8月末に始まり、9月上旬にネットで覆われた某営住宅の修繕工事が終わったのである。
2ヶ月後に、湯上がりの雰囲気で再出現。
外壁塗装だけならうるさくはなかったはずが、聞けば、耐震性を高めるために、何か補強材を埋め込む工事も行われたらしい。
わが集合住宅では予算的に不可能な工事である。
某営住宅は、今や公務員宿舎と並ぶ特権階級の住まいなんだなあ。
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