『マッドサイエンティストの手帳』512

●マッドサイエンティスト日記(2011年10月前半)


主な事件
 ・滝川雅弘+寺井尚之トリオ(1日)
 ・京都SFフェスティバル(8日)
 ・大阪←→播州龍野いたりきたり


10月1日(土) 穴蔵/滝川雅弘+寺井尚之トリオ@OverSeas
 終日穴蔵にて粛々と仕事……のつもりであるが、たいしてはかどらないのであった。
 10月1日では遅すぎるのであった。
 よくわからぬまま、夕刻、専属料理人と地下鉄で本町へ。
 土曜のビジネス街は閑散……かと思ったら、案外居酒屋などは営業している。
 わがボンクラ・サラリーマン時代の勤務先の前を通過。
 
 向かい側に「完全個室ダイニング」の「楽園の泉」という店が出来ているが、いったいどんな料理がでてくるのか。スリランカ料理ではないようだ。
 むろんパス。
 堺筋本町のOverSeasへ。
 わがボンサラ時代には、「OverSeas」(ピアニスト寺井尚之さんの本拠地である)は本町通に面していて、喫茶店でもあったから、取引先や商工会議所へ行ったついでに時々寄ったものである。
 ひとつ北側の通りに移って「ジャズクラブ」になってからは初めて。
   *
 本日の出演は滝川雅弘カルテット……と書いてあるが、デフランコ派の滝川さんと、フラナガンの「世界唯一の弟子」寺井さんの、なんと「25年ぶりの共演」である。
 滝川雅弘(cl) 寺井尚之(p) 宮本在浩(b) 今北有俊(ds)
 3ステージ。
 最初はお互いに気遣いというか遠慮がちの雰囲気があったのが、だんだんとこなれてきて、パーカー・ナンバーを演る頃には、なんだかデフランコとフラナガンの共演を聴くような気分になってきた。
 ちなみに、師匠筋というか、デフランコとフラナガンの共演は(デフランコのバイオグラフィによる限り)なかったはずである。
 こんなのが大阪で聴けるとは嬉しいねえ。
 これを機会に、年に何度かは聴かせていただきたいものだ。
 終了後、滝川さん、寺井さんと記念写真を撮ってもらったが、おれがいちばんフラナガンに似てきたので、掲載は見合わせる。
 もっとも呉の某くんほどは似てないけどね。

10月2日(日) 穴蔵
 涼しいのであった。室温26℃で、冬の訪れを感じさせる。
 終日穴蔵。
 少しは仕事もする……つもりだが、あまりはかどらないのであった。
 いかんなあ。
 夜は専属料理人が並べた数皿でビール。
 昨日いただいた「ポール」のパンでワインを少しばかり。
 早寝するのである。
 本日のアホニュース。
 高崎市で「住職」が運転するクルマが「タコボーズ」という居酒屋に突っ込んだという。
 先代歌やんやないけど「笑てしまいますな」。

10月3日(月) 穴蔵
 涼しい……むしろ寒いのであった。
 終日穴蔵。
 少しは仕事もする……つもりだが、あまりはかどらないのであった。
 資料は色々と読む。
 タイムマシン関係の連絡もあれこれ。
 わが穴蔵では、昨年から、デスク前のコルクボードに3月分の自作カレンダーを貼ることにしている。
 12月のカレンダーを作って追加する。
 (三ツ星ベルトのカレンダーを貰えなくなったからね)
 
 姫新線や紅葉など、播州龍野の写真がメインである。
 今年もあと3月。昨年の今頃は、母の入院でたいへんであった。
 その世話から解放されたものの、今年、わしゃ、これといった仕事をしてないなあ。
 あと3月のうちに、何ができるやら。反省しきりである。
 夕刻から、ノーベル賞に関しての報道が喧しい。
 医学・生理学賞で山中伸弥教授は受賞せず。しかし(戸塚洋二先生みたいな不運が限り)近い将来、確実であろう。
 物理で、おれは中村修二はんはダメと予想する。
 理由はこのへんを見てほしい。
 いや、わが予想が外れたら、それはそれでめでたいことで、祝福するにやぶさかではありませんよ。
 修二くんにすれば、日亜の婿養子社長、ざまみろって気分だろうし。それはそれで痛快である。

10月4日(火) 穴蔵
 終日穴蔵。
 茶屋町アプローズ地下の郵便局へ行き、あと、ロフトから通りを隔てた東側のビル(以前かんべむさしくんの仕事場があった)へ移ったQBハウスで1000円散髪。
 外出は40分ほど。
 あとは机に向かって過ごす。
 仕事がはかどったかどうかは別の話だけど。

10月5日(水) 穴蔵
 終日穴蔵。
 小雨が降り続く。
 ずっと(食事以外)机に向かって過ごす。
 ともかくマジメに仕事しているのである。
 仕事がはかどったかどうかは別の話だけど。

10月6日(木) 穴蔵
 終日穴蔵。
 晴れたり曇ったり。
 ずっと(食事以外)机に向かって過ごす。
 ともかくマジメに仕事しているのである。
 仕事がはかどったかどうかはまったく別の話だけど。
 昨日と同じか。
 政治的発言はしないつもりでいるのだが……
 夕刻、テレビで小沢一郎の裁判後の会見を見る。
 発言の主旨もっとも。
 小沢の政治を支持するかどうかは別である。
 これは明らかに「官」による小沢潰しであって、今回は、特捜の不始末を司法が助けようという姿勢(大部分のマスコミもだけど)が見え見えで、そら恐ろしくなってくる。
 わがことだが、五十嵐敬喜という希代の欲ボケ三百代言(しかも恐っそろしき悪相/ハゲ頭でサディストの容貌である)にからまれた時の気分を思い出すなあ。
 おれは、政治家としての小沢はまったく支持しないが、この裁判に関しては無罪という正当な判決が出ることを祈る。

10月7日(金) 穴蔵
 終日穴蔵。
 晴れたり曇ったり。
 ずっと(食事以外)机に向かって過ごす。
 ともかくマジメに仕事しているのである。
 仕事がはかどったかどうかは別の話だけど。
 最近こればっかりだな。
 いや、おれの生活は本来こうあるべきなんだよね。
 午後、専属料理人と近所の中本酒店へビール1ケース買いに出かけたのが唯一の外出。
 運動不足である。
 明日はちょっとウロウロ(京フェスとかね)する予定。

10月8日(土) 京フェス/創サポ
 秋晴れである。
 昼前に淀屋橋でかんべむさし氏と合流、京阪で京都へ向かう。
 京都教育文化センターへ。
 「京都SFフェスティバル」に参加。
 京フェスには、おれは初期(80年代初め)の頃からよく参加しているが、かんべさんは初めてで、SFコンベンション参加自体がずいぶん久しぶりのはずである。
 他ならぬ小松左京氏の追悼企画「上方と小松SF」だからである。
 司会は大森望氏。
 前半の「小松実が小松左京になるまで」パートは、かんべさんが小松左京展での講演(神戸文学館)のために調べた資料をベースに、後半の「実が左京になってから」(デビュー後)はわれわれの見聞を中心にという予定であったが、かんべさんの話が面白く、デビュー後パートは残り15分くらいになってからとなった。(前の企画、水鏡子氏による長谷敏司さんインタビューが似たような展開だったらしい)
 デビュー後パートは先日のトークイベントなどと重複することが多く、これでよかったのではないか。
 某書籍の企画のために、その後、1時間半ほど、近くの喫茶コーナーで追加取材を受ける。
 キーワードは「上方風流(かみがたぶり)」で、これだけは関東から見て理解しにくいところであろうなあ。
 たぶん年内に何かのかたちで記事になる予定。
 後の企画も聞きたかったが、夕刻から別件あり、むさしくんといっしょに帰阪。
 帰路の車中での話がだんだん過激になるが、まあ、これはいつものパターンである。
 おれは天満橋で下車。
 予定より早めに着いたので、「BUNJIN HALL」で1時間ほど「過激な音」を楽しむ。
 
 ドルフィーやシェリー・マンなど。
 18時からエルおおさかで「創作サポートセンター」の講義。
 提出作品、短編9篇についてコメント。
 ファンタジックな作品から「中年のメルヘン」みたいな恋愛小説(おれがコメントするのにふさわしいか迷うが)まで多彩で、30分ほど時間オーバーとなった。
 まっすぐ帰館、22時頃の晩酌となる。

10月9日(日) 穴蔵
 秋晴れである。
 終日穴蔵。
 ともかくマジメに仕事しているのである。
 仕事がはかどったかどうかは別の話だけど。
 ま、たいして生産的な日ではなかったものの、世間は休日なのだからいいではないか。
 夜は、専属料理人が並べてくれた数皿(枝豆とか大根と筋肉のタイタンの妖女とか)でビール。
 あと、今季はじめて「菊正宗」熱燗……本当は「呉春」(は贅沢過ぎるから)「龍力」あたり飲きたいが、予定外だったから料理酒よりちょっと上のランクので。
  *
 親父の形見の備前焼徳利で、お猪口は龍野で飼い猫が割ったものだから、先日入手した備前焼。
 それに3月ほど前に備前市で買ってきた小鉢に塩辛を少しばかり盛って、チビチビ。
 秋であるなあ。

10月10日(月) 穴蔵/ちょっとウロウロ
 秋晴れである。
 終日穴蔵、ともかくマジメに仕事……なのだが、ちょっと調べたいことが発生、丸善ジュンクドーへ行く。
 ひとつは判明。
 やっぱり西長堀の市立中央図書館へ行くしかない。
 蔵書の7割くらいが播州龍野の書庫だから、こんな時は不便である。
 市立中央図書館……1時間ほどで調べはついた。ほっ。
 天気がいいので、ちょっと散歩。
 図書館の北側にあるアールデコ風「細野ビルヂング」を見物。
  *
 あと、ぶらぶらと阿波座まで歩く。
 もう少し歩けばかんべむさし氏の仕事場だが、一昨日会ったばかりなので本日は連絡せず、まっすぐ帰館する。
 あとはマジメに机に向かうのである。
 ということで、夜は粗食。
 また机に向かう。
 決して、夜は専属料理人の並べた、枝豆、イカとエビの洋風なんとか、生ハムサラダなどでビール、あとチーズやフルーツで安ワインをチビチビ飲みつつ、森山威男の新譜『Dazzling』(傑作である!)を聴いたりはしないのであった。
 本当です、K社のIさん。
 Trust me!

10月11日(火) 穴蔵
 曇天なり。
 早朝から穴蔵にてマジメに仕事するのであった。
 昼前に一区切りついた。ほっ。
 午後、近くの医院へ定期検診に行く。
 あまり寝ていないけど、血圧は正常であった。
 雑事色々。
 夜は専属料理人の並べた小鉢(枝豆、湯豆腐、おくらなど)でビール。
 
 シェパードパイ(というのだと思う)とサラダでワインを少しばかり飲む。
 早寝するのである。

10月12日(水) 大阪→播州龍野
 秋晴れである。
 早朝から雑事を片づけ、通勤ラッシュの終わった時刻に、電車で播州龍野へ移動する。
 播州龍野、ほとんど2週間ぶりである。
 実家はコスモスに包まれているのであった。
  *
 センチメンタルになるぜ。
 雑事山積。タイムマシン関係のことも少しは片づける。
 夜は常夜鍋でビール、あと、うどんをぶち込んで「神の河」ロック。
 播州龍野の実家、約百畳にひとりいると、静かでいいなあ。
 鴨居の上にセットしたONKYOスピーカーで、近所に遠慮することなく、トミフラ師匠、デフランコ師匠、北村師匠など聴く。
 ONKYOスピーカーは低音が俗っぽいので、明日はタイムドメインと入れ替えてみるか。
 早寝するのである。

10月13日(木) 播州龍野→大阪
 曇天なり。
 午前中、小雨。
 雑事を片づけ、午後の電車で帰阪。
 夜は専属料理人の並べたありきたりメニュー(肉じゃがとかほうれん草など)でビール、湯割り少し。
 読みたい本が色々あるので、枕頭に積んで、早寝するのである。

10月14日(金) 穴蔵
 曇天、やがて小雨、昼過ぎから本格的な降りとなる。
 こんな日は穴蔵に閉じこもって過ごすに限る。
 あまり仕事は進まないのであった。
 たちまち夕刻となる。
 夜は専属料理人が並べた粗食的メニューでビール、湯割り。
  *
 雨に煙る梅田を眺めつつ、バド・パウエル、エドモンド・ホール。
 泣けてくるぜ。

10月15日(土) 穴蔵/ウロウロ
 定刻午前4時に起床、少しはマジメに仕事するのであった。
 曇天なり。
 10時半から、久しぶりに自転車でうろうろすることにする。
 この夏から、散歩のコースが変わってしまった気がする。
 理由ははっきりしている。
 7月末の、小松左京さんの死と、<ミムラ>店主・三村晃夫さんの死である。
 <ミムラ>が閉店して、堂山町方面に行かなくなり、その延長にあるハチ方面も(夜のみ営業ということもあって)足が遠のいている。
 昼間の散歩は、ヨドバシから北ヤード、スカイビルなど通って、旧ホテルプラザ跡(小松事務所)方面が増えた。
 東から西へ、大阪駅の南から北へ、かな。
 阪急デパートの工事で阪急東への人の流れが遮断されているが、工事期間中に、だんだんと茶屋町方面に流れは変わるのかも。
 本日は久しぶりに「旧コース」をうろうろする。
 ミムラは閉店、旭屋本店も年内でクローズ(駅前第3ビルに移るらしいが)である。
 新御堂から見る、OSホテル東側の廃墟ビル。
  *
 この眺めだけは、今後10年、変わりそうにない。
 東梅田衰退の象徴となるであろう。
 おれのフランチャイズは長年(70年〜去年までの40年ほど)大阪駅の東南、昔「ヌルスタジオ」があった梅ヶ枝町あたりまでの曾根崎界隈(含・落語の太融寺)であったが、エリアが急激に変わってきたなあ。
 扇町公園を抜けて天六へ。
 小雨が降りだしたので「天六うどん」で昼飯、13時前に帰館。
 午後は本を読んで過ごす。
 夜は専属料理人の並べた地味目メニュー(枝豆、あんかけ豆腐、なんとかがんもの煮たの、切り干し大根、サラダなど)でビール、屋久島焼酎「三岳」の湯割り。
 明日はラスカルズ50周年コンサートなど、深夜まで色々あるので、早寝するのである。

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