『マッドサイエンティストの手帳』514

●マッドサイエンティスト日記(2011年11月前半)


主な事件
 ・大阪←→播州龍野、いたりきたり
 ・常盤武彦 Photo & Talk Session 2011(3日)
 ・大阪ショートショート大賞(5日)
 ・三村さん追悼会(6日)


11月1日(火) 穴蔵/悪の町・江坂
 定刻前、午前3時半に目が覚めてしまった。
 少しは仕事もするのであった。
 朝9時過ぎに出る。秋晴れである。地下鉄で江坂へ行く。
 デジカメの機構がちょっと不調、江坂にサービスセンターがあるので、持ち込むことにした。
 R社のサービス、2時間かかるというので、10〜11時頃、修理待ちの間に江坂をウロウロ。
 そうか、ジョーシン(東急ハンズの上階)が閉店したのか。
 R社に戻る途中、陸橋横の狭い歩道で、直進してきたオバハンの自転車とぶつかりそうになる。
 オバハンがチリンチリン、速度落とす気配なし。
 おれが陸橋にへばりついて避けたが、追いかけてぶん殴りたい気分になった。
  *
 場所は↑ここである。道路交通法からいって、この場所はどうなのよ。
 江坂の住民、ろくでもないのがいるなあ。遊び人の江坂遊……は別だけど。
 ということで、江坂は嫌なところだが、R社の対応はじつに誠実であったことは明記しておく。
 (と、要するに、町の印象というのは、いいことがあったか嫌な目にあったか、第一印象で決まってしまうということである。江坂にはもう行きたくない)
 午後は穴蔵。
 あまり生産的な仕事はしないのであった。
 夜は「スペイン風カツ」と「豆腐チゲ」という変な組見合わせでビール、「神の河」ロック、クッパで仕上げ。
 早寝するのである。

11月2日(水) 穴蔵
 終日穴蔵。
 必要あって、半日、DVDを見て過ごす。
 あとの半日は寝て(目をつぶって/CDを聴いたりして)過ごす。
 本を読むのなら10時間でも平気だが、DVDは連続2時間が限界だと思い知る。
 疲れたので、一杯飲んで早寝。

11月3日(木) 常盤武彦 Photo & Talk Session 2011
 わ、早寝(21時前)したら、午前1時に目が覚めてしまった。
 読んだり仮眠したり、睡眠が不規則になるなあ。
 穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。いと少なしを。
 文化の日で、静かなもの。
 夕刻に近い午後に這い出て、阪急で六甲へ。
 バークリー提携校甲陽音楽院へ行く。
 常盤武彦さんの「Photo & Talk Session 2011」……これは甲陽音楽院のオープンカレッジ企画である。
 常盤さんはニューヨークを拠点に、ジャズを中心に活躍するフォト・ジャーナリスト。
 (著書が2冊。「ジャズでめぐるニューヨーク」「ニューヨーク アウトドアコンサートの楽しみ」、ともに面白い。)
 だが、本や写真展で紹介しきれない膨大な写真があるとのことで、それらを、10テーマほどに分けて、プロジェクターで紹介しながら、音も流すイベント。
 ロリンズやチック・コリアから最新のNYサウンドまで多彩である。
 常盤さんは今やベテラン・レポーターであり、ジョシュア・レッドマンや晩年のレス・ポールなどにもインタビューしている。
 何といっても面白いのは、ソニー・ロリンズ単独インタビューの写真と、パット・メセニーが試みた「ロボット・オーケストラ」との共演……これは厳密にはロボットではないのだが、かなりSF的な試みである。
 ゲストとしてコルトレーン研究家の藤岡靖洋さんも来られた。
 
 写真は終了後に著書にサインする常盤さんと、藤岡さん。
 終了後、常盤さんとニューヨークで知り合ったという友人3氏、それに会場に来ていたとべくまさんらと三宮の「燕京」へ移動する。
  *
 隅の方のテーブルで、ビール、紹興酒を飲みつつ、パソコンで、上映されなかった分の鑑賞会を行う。
 常盤さんは、明日が名古屋、6日が東京と、かなり強行軍のようである。
 近いうちにニューヨークで会いたいねといいつつ、22時解散となった。

11月4日(金) 穴蔵
 わ、夜更かししたら、午前6時まで寝てしまった。珍しいことである。
 午後10時就眠〜午前4時起床のペースを維持するのは難しい。
 このところ、1〜2時間のブレが続いている。
 終日穴蔵。
 少しは仕事もする……つもりであったが、あまりしないのであった。
 仕事といえるかどうか、色々と本を読んで過ごす。
 たちまち夕刻。
 粗食にてビール。
 早寝……というより、定刻の30分ほど前に寝るのである。

11月5日(土) 穴蔵/大阪ショートショート大賞
 朝だ。曇天である。浅田飴はどうでもよろしく、セブンイレブンへ行く。
 話かわって、『地獄八景』の一場面。
 閻魔「あのような鬼でも笑うか」
 男「鬼さん、ちょっとこっちィおいで」
 男が耳打ちすると
 鬼「……うっふ、うっふふ、うわっはははは」
 閻魔「鬼が笑うとるぞ」
 鬼「こいつ、来年の話ばっかりしよりますのや」
 ……ということで、来年の話である。
 コンビニのチケットぴあの端末を操作して、来年1月4日のチケットをゲット。
 
 見えにくいかな。
 繁盛亭で、1月4日 18:00〜「歌之助が遺したネタ達」……2000円である。
 出演は、三代目歌之助に、こごろう、九雀、米二、笑福亭生喬ら。
 先代歌之助師匠は2002年1月2日に死去。あれから10年、三代目の成長が嬉しいではないか。
 来年の初笑いは、米朝師匠の出ない一門新年会よりは、こちらに決めたのであります。
 どんな「ネタ達」が披露されるのか、楽しみであるなあ。
 ということで、終日穴蔵。
 午後は小雨となる。
 夕刻這い出て、天満のエルおおさかへ。
 創作サポートセンター主催の「大阪ショートショート大賞」授賞式と講座の開講式。
 僭越ながら、選考委員として出席。
 入選作は大石典子さんの「願いごと」
 佳作が安田典生さん「窓のない部屋」と世古雄也さん「タブーの空」。
 奨励賞が今村反岳さん「空室」
 
 写真は大石さんと今村さん。
 大石さんの作品は、アラフォー的な生活感がうまく表現されていて、構成も技巧的。
 今村さんのは、着想が抜群に面白く(パクリたくなるほど/しかしアイデアの展開が不十分)、改稿、再チャレンジを期待して奨励賞とした。
 霧雨のなかを帰館。
 グラタン食べつつ、備前焼のゴブレットで「神の河」ロックという、妙な晩酌。
 寝る。

11月6日(日) 三村さん追悼会
 曇天なり。
 穴蔵にて少しばかり仕事。
 夕刻這い出て、桜橋まで歩く。
 「JAZZ ON TOP」での三村さん追悼会(ミムラ・メモリアルサービス)に参加する。
 7月末に亡くなられた「ジャズの専門店」ミムラ店主・三村晃夫さんを偲ぶ会。
 なんと4時間、食べ放題・飲み放題、4000円という太っ腹な企画である。
 実質的な世話人・藤岡靖洋さんの司会で、企画委員長・桂南光師匠が挨拶。献杯。
 あと、玲子夫人、(名物年賀状を作成した)高橋さんら、ゆかりの方々の挨拶があり、参加者の短いスピーチも色々。
  
 店には1度しか行ったことがないという人から「2000枚ほど買った」人まで50人ほど。
 ともかく皆さん口を揃えていうのは三村さんの人柄のよさであり、ファンからは「サロン」がなくなってしまう、ミュージシャンからはCDを売っていただく「出口」が狭まってしまうという声が相次いだ。
 後半は、安次嶺悟(p)畑ひろし(g)東ともみ(b)清水ひろみ(vo)の「ハウスバンド」を始め、ゲストが色々参加してのライブ。
 中締めは22時過ぎ。実質4時間半ほど飲んで聴いていたことになる。
 それにしても……実は7月末以来、おれはCDは1枚も買ってない。(あ、alaで森山威男『Dazzling』を買ってるから1枚だけか)
 ジャズ振興にいいこととは思えないが、CD購入枚数が減ったという声は多かったなあ。
 ミムラがいかに大事な店だったか、改めて実感する。

11月7日(月) 穴蔵
 午前5時頃に目が覚める。昨夜飲み過ぎ、1時間の朝寝坊である。
 終日穴蔵。
 少しは仕事……といえるのかどうか、必要あって終日資料を読む。
 目が疲れるなあ。
 30分ほど読んでは10分ほど目を閉じて休憩の繰り返し。
 午後、宅配便発送のついでに、近所を20分ほど散歩。
 「ジャズの専門店ミムラ」が閉店してから、散歩の距離が急速に短くなった。2000歩ほどである。いかんなあ。
 豊崎西公園には秋の気配が漂っていた。
  *
 公園には誰もいない。
 センチメンタルになるぜ。
 夜は専属料理人が地域のなんとかで出かけてしまったので、肉じゃがなど温めて、ビール独酌。
 明日は播州龍野行き。
 早寝するのである。

11月8日(火) 大阪→播州龍野
 ラッシュ時間に播州龍野へ移動する。
 通勤客とは逆方向なので楽なもの。
 2週間近く来ないうちに、姫路駅の駅前ビル解体工事が最終段階に入った。
  *
 地下街だった部分が暗渠のように露出している。
 あと一月ほどで解体は終わり、あとは広場か?
 大阪駅前(南北とも)よりはるかに広い空間が出現しそうである。
 播州龍野にて、タイムマシン関係の用事を色々片づける。
 夕刻に近い午後に実家へ。
 こちらは先日来、庭木の剪定中である。
 松の木1本にかかる費用は、おれの年間散髪代(QBだけど)の数倍である。嗚呼。
 
 石蕗が開花している。
 夕刻、風が冷たくなってきた。
 立冬である。
 扇風機を片づけて、居間を冬仕様に模様替えする。
 さすがにまたストーブは使用しないけど。
 キムチチゲの一人鍋でビール。「神の河」湯割り。
 早寝するのである。

11月9日(水) 播州龍野→大阪/太平寺勇助くん
 播州龍野にて定刻午前4時に目覚めたのであった。
 寒くて目が覚めたってところか。
 2階居室の室温14℃、外気10℃、1階の居間は11℃。大阪の穴蔵だと真冬の気温である。
 毎年のことだが、100畳にひとりだと、寒さがこたえるなあ。
 昨日に引き続き、冬支度色々。
 午後の電車で帰阪する。
 夜は専属料理人が並べた、アスパラ巻き、ローストビーフ、なんとかサラダ、かんとかパスタでビール、ワイン。
 
 先日、堺市のY口さんから送ってもらった、柏原のワイン「太平寺勇助畑」の新酒「限定675本」の1本を開栓、ありがたくいただく。
 うまーーーっ! 辛口で抜群なり。
 早寝するのである。

11月10日(木) 穴蔵/『別冊文藝 小松左京』
 朝はほとんど晴に近い薄曇りであったのが、昼前から曇天、午後には薄暗くなった。
 終日穴蔵。
 読まねばならぬ資料が色々あり、読んでは仮眠の繰り返し。
 午後、『別冊文藝 小松左京』(河出書房新社)が届いた。
 
 小松さん追悼出版のひとつ。
 こちらに紹介しております。
 しかし、本当の追悼は、上記「追悼トーク大阪篇」の最後で上田早夕里さんが発言されているように、小松師匠の問いかけに対して自分なりの答えを返していく営為であるはず。
 明日こそホリは羽ばたかねば。

11月11日(金) 穴蔵/老犬死すべし
 朝から小雨が降り続く。
 終日穴蔵。
 室温は23℃だが、寒いのであった。
 久しぶりに部屋の大掃除。
 コタツのセットなど、穴蔵を冬仕様に設定する。
 おっ、夕刻のニュースでは、読売ジャイアンツに内紛勃発。
 清武球団代表がナベツネの「人事介入」を告発する記者会見を行ったのである。
 球団人事が決まっていたのに、ナベツネが「江川をヘッドコーチにする」といいだしたらしい。
 おおっ、泥仕合が楽しみな。
 清武の主張は、表現は抑えているが「ナベツネのボケが進行している」ことを示唆している。
 これは間違いないところだろうな。
 それにしても、江川という男には、終生ダーティなイメージがつきまとうなあ。今回はとんだトバッチリかもしれんけど。
 江川がいくら否定しても、裏で何かありそうなというところが面白いのだ。
 おれは、ナベツネの2004年9月の「たかが選手」発言以来、職業野球に興味を失ってもう7年になる。選手も過半が入れ替わって、ほとんど名前はわからない。
 職業野球なんてどうなってもいいのだが、独裁者の末路というのは見たいものだ。
 夜、ネットとテレビでニュースを追うが、報道が少ないなあ。
 TTP関連のニュースなんてどうでもよろしい。
 桃井という球団社長が「鶴の一声で渡辺会長が決めたことではない」とナベツネを弁護したらしいが、21:30時点では、よくわからんまま。
 ナベツネ、なんとかいわんかい。
 眠くなってきたから、おれの意見だけは書いておいて、就眠する。
 老害は駆除すべし。

11月12日(土) 穴蔵/シンフォニーホール
 定刻午前4時に起きる。
 午前5時……コンビニへ行く。
 スポーツ紙はすべて読売の騒動が一面である。いちばん客観的と思えるサンスポを買ってきて熟読。
 特に新情報はないなあ。
 しかし、日本シリーズより読売の紅白戦(黒白戦というべきか)の方が面白いとは、けったいな事態であることよ。
 穴蔵にて資料を読む。
 夕刻に近い午後に這い出て、専属料理人と、梅田経由、シンフォニーホールまで歩く。
 途中、解体工事中のプラザホテルを眺める。
 
 親っさんに呼び出されて、上層階にあった事務所でビールを飲みながらしゃべったのは、日没近いこんな時刻が多かった。
 センチメンタルになるぜ。
 夕刻より、シンフォニーホールにて、グリーン・オーケストラのコンサートを聴く。
 おれはジャズばかりではないのである。
 ショスタコーヴィッチ『交響曲題9番』
 チャイコフスキー『悲愴』
 ともによろしいのだが、チケット送ってくださった奏者は、先日骨折入院中で出てはらん。
 後ろの爺さんは鼾かくし。
 ちと肩すかしのところはあるが、前から2列目左寄りの席。
 ここからは、コンマスの楽譜が斜め後ろから見えるので、たいへん面白かった。
 帰路、かっぱ横丁の「酔鯨亭」で、ドロメ、タタキ、揚げ出し、鯖棒などで、ちょいと一杯。
 帰館、早寝するのである。

11月13日(日) 穴蔵
 早朝、コンビニへ行く。
 スポーツ紙はすべて「ナベツネが吠えた」がトップ記事。日本シリーズなんてどうでもええけんねという姿勢がいいなあ。
 いちばん客観的(と主観的に思う)サンスポを買ってくる。「清武をボロカス」の見出しが気に入ったからである。
 ナベツネが文書(本人が書いたのかどうかは怪しい)で「反論」し、ネットによれは、清武も文書で再反論したらしい。
 おれなりに要約すると、
ナベツネ「原の要請で江川を助監督にするつもりだったんじゃ。お前が無能だからよ。内部のこと勝手にしゃべるな、ボケ。謝ったら今回だけは許したる」
清武「ボケとるのはお前じゃ」
 ナベツネはボケてないことを証明すべきだろうな。
 ナベツネ、出てきて、九九を暗唱するとか、この三日間の食事メニューをいうとか、なんとかやってみせろよ。おれは今のところボケ説を支持する。
 清武がんばれ。泥仕合化を期待しとるよ。
 終日穴蔵。
 ちょっと気力が減退してくる。
 午後、淀川堤を毛馬閘門まで散歩する。
  *
 大阪でいちばん好きなのは毛馬堤である。
 ここに来るとなぜか「SFの初心」を思い出すのである。
 たぶん閘門がSFへのゲートウェイなのであろう。
 早寝するのである。
 ナベツネ、明日も吠えろよ。
 ついでながら、週刊現代関係で、岩瀬達哉氏にも、いつまでも沈黙してないで、なんとか発言(筆を折るという宣言でもいいし、黒川博行氏の言い分を全面的に認める敗北宣言でもいいが)してほしいものだ。読者としては忘れておらんのだよ。

11月14日(月) 穴蔵
 終日穴蔵。
 朝から晩まで資料読み、時々、目が疲れるのでCDを聴く。
 粗食にて軽く晩酌。
 早寝。

11月15日(火) 穴蔵/ウロウロ
 秋冷。
 定刻午前4時に自然に目覚め、昨日に引き続き、資料を読んで過ごす。
 色々と調べたいことが生じて、10時過ぎに出て、西長堀の市立中央図書館へ行く。
 昼過ぎまであれやこれや。
 午後、天気がいいので、照りかげりの風景((c)眉村卓)の中、長堀通を西長堀から長堀橋まで歩く。
 長堀通は、電線がなく、空が広くて気分がいいのだが、自転車が増えて、ちょっと怖い。
 13時過ぎに長堀橋の「うな茂」にて「うな茂定食」。
 
 ボンサラ時代に時々来た店。ウナギは大阪焼きだが、CPでは圧倒的である。
 満腹状態で、御堂筋へ出て、本町まで歩く。
  *
 銀杏並木はまだ緑、黄色い時間((c)眉村卓)までは2週間くらいか。
 ボンサラ時代、落ち込んだときなど、この道を考え事しながら歩いたものであった。
 センチメンタルになるぜ。
 帰館後、また資料読み。
 夜は(昼が重かったものだから)粗食にてビール少し、水割りたくさん。
 早寝する。

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