『マッドサイエンティストの手帳』494

●マッドサイエンティスト日記(2011年1月前半)


主な事件
 ・新年を迎える(1日)
 ・NEW YEAR JAZZ PARTY(9日)
 ・堀川戎(10日)
 ・風呂本佳苗リサイタル(14日)
 ・マホガニーホール(15日)
 ・創サポ講義(15日)


1月1日(土) 新年を迎える
 トイレに行きたくなって午前3時半に目覚めたら新年であった。
 腹具合が相変わらずよろしくない。まったく、しまらない年明けである。
 大阪で新年を迎えるのは6年ぶり……2004年の正月以来である。
 何の感慨もわかないけど。
 午前5時に「自宅」へ行って朝刊を読み、ひとり朝食。
 テーブルの上にはオセチの重箱らしいのが置いてあるが、勝手に手をつけるわけにもいくまい。
 元旦の朝酒は数年前からやめている(昨年一度復活させて懲りた)から、トースト1枚焼き、コンソメスープを飲む。
 穴蔵にもどって、また寝るのである。
 ということで朝寝。
 寒波降雪が伝えられているが、部屋にいる限り、大阪は穏やかなもの。
 昼、(夜中に開栓したらしい)シャンパンの残りを1グラスをいただく。
 いかん、これが呼び水になって、ジャーン!「呉春」大吟醸を開けてちょっと一杯。
 
 年末に買ってベランダに置いてたのである。6℃の適温。「ちょっと一杯」ではすまなくなってしまった。
 「呉春」愛好諸氏はわかってくださるであろう。
 ま、年に一度の楽しみとしよう。
 ということで、午後も惰眠。
 夜はごく軽くいただいて、そろそろ早寝するのである。
 元旦がこれではいけない。
 やらねばいかんことが、まだかなりある。
 制約のひとつからは自由になったのだから、少しはマジメに仕事をしなくてはなあ。
 ちょっと反省(酔っぱらいの反省ほどええかげんなものはないが)しつつ……明日こそホリは羽ばたく。

1月2日(日) 大阪→播州龍野
 午前4時に自然に目が覚めた。
 体調復帰である。
 午前5時20分に出て梅田へ歩く。
 6時前、阪神デハートの地下階段(阪神電車のコンコース)に行列ができている。福袋目当ての客らしい。たいしたものだ。6時前だぜ。
 日本が豊かな証拠であろう。必需品の安売りに並んでるわけじゃないからなあ。
 6時始発の特急で姫路に7時半に着く。と、山陽デパート前にも福袋行列、20人ほどで大阪ほどではないような。姫路は貧しいのか賢明なのか。
 ということで、9時前に本竜野に着く。
 播州龍野、大晦日は雪だったらしく、畑や屋根に雪が残っている。
 陋屋にてひとりで過ごす。
 9時の室温は4℃。
 雑事色々。書き出したらきりがないので省略。
 午後はスーパーに食材を買いに行く。
 龍野市民諸君が、他に行くところがないのであろう、狭いイベントコーナーなどに遊びに来ている。
 たちまち夕刻。
 ひとり寂しく常夜鍋を作ってビール、「神の河」湯割り、うどんで終わる。
 22時、そろそろ就眠。

1月3日(月) 播州龍野
 正月も3日目である。
 播州龍野の実家にてボケーーーーッと過ごす。というか、過ごさざるを得ない。
 色々とやらねばいかんことがあるのだが、世間が始動しないことには。
 月曜なんだから、官庁も金融機関も仕事始めにすべきではないか。年頭から3連休でもあるまい。ったくもう。
 箱根駅伝を断続的に見ながら書類作り。
 この6年、正月は老母と過ごしたが、2、3日はいつも駅伝を見ていたなあ。
 箱根が映ると女学校の修学旅行の話をはじめたものであった。
 昼、鍋焼きうどんを作って「龍力」熱燗を少しばかり。
 午後は今野浩『スプートニクの落とし子たち』(毎日新聞社)を読み始める。
 夜は昨日の食材の残りで似たようなメニュー。
 田舎の一人暮らしというのは、それなりにいいと実感する。
 仕事の資料を持ってこなかったのがいけない。
 そのうちクルマで大量に移送すべきか。
 迷うところだ。

1月4日(火) 播州龍野
 播州龍野の陋屋にて静かに過ごす。
 郵便局へ行っただけ。
 播州龍野の民間事務所はまだ正月休みである。
 田舎者ども、ちゃんと仕事しろよ。
 ということで、大部分の時間をボケーーーーッと過ごす。
 関テレ「扇町寄席」に米朝師匠が出てきはったが……話は南光はんの誘導であるなあ。
 しかし、ともかく、画面介してだが、お目にかかれてなによりである。
 居間の隣室……ガラス戸に老母の使い慣れた杖が立てかけたままであるのに気づいた。
 
 戸には老母の愛猫がガリガリッと爪を研いだ痕が残っている。ここを引っ掻くのがクセであった。
 その愛猫が死んだのがちょうど10年前である。
 20年ほどの、母とその愛猫の生活の痕跡がそこいらに色々残っている。
 まあ、当分はこのままにしておくことにしよう。
 湯豆腐その他で一杯飲んでいたら「I'm Getting Sentimental…」気分になってくる。
 メランコリーの妙薬をたくさん飲んで寝るのである。

1月5日(水) 播州龍野
 世間もどうやら始動。
 朝、龍野にある某事務所へ行く。事後処理に関する諸々の相談である。
 まだ先でいいと思っていたら、3月までに、なるべく早くすべきことが色々あることが判明する。
 金融機関や役所をウロウロする。
 昼前に専属料理人がやってきた。
 料理人兼掃除婦として呼び寄せたのである。
 年末のゴタゴタのあと、色々な荷物をあちこちに放置したり詰め込んだりしたままなので、午後はちょっと遅めの大掃除を行う。
 だいぶすっきりした。
 夜はチーズフォンジュで安ワイン。

1月6日(木) 播州龍野→大阪
 なんとなく慌ただしさが継続する。
 おれも大阪の区役所へ出向く必要が生じて、昼の電車で専属料理人とともに帰阪する。
 梅田地下街にある区役所のカウンターで書類を取得。
 面倒なことである。
 ということで、大阪の穴蔵に戻る。
 夜は専属料理人が年末にいただいた「河内レンコン」でコロッケを作った。
 
 これがバカウマ。表面のパン粉にあたるのが、煎餅を砕いたものなのだそうな。
 播州龍野は寒いから、どうしても鍋系になってしまう。
 鍋に食傷気味だったところに、こういうのでビール、「神の河」湯割りというのはたまらんなあ。
 早寝するのである。

1月7日(金) 大阪→播州龍野→上郡→播州龍野→大阪
 慌ただしいのであった。
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 播州龍野からクルマで上郡に向かう。
 「赤穂郡上郡町」……中学高校時代、ここから姫路に通学していた友人がいるが、初めて来る町である。
 JR上郡。
 
 駅員がいて、タクシーも売店もある立派な駅だが、周辺は寂れているなあ。
 「モロどん」という幟がやたら目立つ。「モロヘイヤうどん」というので町おこしを試みているのであった。
 食す時間なし。
 緑のうどん……ヒットするのかなあ。
 駅で身内をピックアップして町役場に行き、播州龍野へ戻る。
 実家に兄妹集合。
 ガヤガヤ・グダグダのあと、午後、某事務所へ行って諸々の手続き。
 煩わしいことが多い。
 夕刻に大阪に戻る。
 どうにか晩酌の時間に間に合った。
 一杯飲んで早寝。

1月8日(土) 穴蔵/ウロウロ
 久しぶりに穴蔵にて落ち着いた時間を過ごす。
 机に向かって資料作り。
 午後、1時間ちょっと、散歩を兼ねて梅田へ。
 ジョーシン3番街店が閉店セールで大にぎわいなり。便利な店で、サプライ品はだいたいここで買っていたが、近くにヨドバシがあるからなあ。
 本日は特に何も買わず。
 駅前第一ビルの中央郵便局経由、桜橋まで行って引き返す。
 北野教会が取り壊され、ハートンホテルが完成間近。その南側に、安っぽい十字架がついた教会?が出現した。
  *
 西日本本部になるらしいが、以前の北野教会の雰囲気と較べるとなあ。とても安らぎは感じられない。
 夕刻まで事務的作業。
 夜はビーフシチューその他でビール、ワイン。
 専属料理人が買ってきた、天橋立産のオイルサーデンならぬオイルししゃも(包装紙には「子持ちししゃもの油漬け」という実にわかりやすい表記)をフランスパンとともに食す。なかなか結構な。
 20時から、NHK「ワンダー×ワンダー」でH-UAの打ち上げドキュメントを見る。なかなか結構な。
 早寝するのである。


1月9日(日) NEW YEAR JAZZ PARTY
 穴蔵にて粛々と事務作業のあと、昼過ぎに出かける。
 梅田新道のビアホール「スーパードライ」へ。
 「NEW YEAR JAZZ PARTY」……新年恒例、トラッド・ジャズファンの新年パーティである。
 専属料理人は受付、おれはジャズ本販売で、半スタッフだが、大部分の時間は隅の方の席で盛大にビール飲みながら出演6バンドの演奏を楽しむ。
  *
 なんといっても、ニューオリンズ・ラスカルズ、久しぶりにフルメンバーというのがうれしい。
 今年は結成50周年で、どうやら記念コンサートは確実のようである。
 夕刻歩いて帰館。
 早寝するのである。

1月10日(月) 堀川戎
 昼前に自転車で堀川戎へ行く。
 零細企業の親爺として、タイムマシン業の商売繁盛祈願である。
 なかなかの人出だが「芸人」導師はいてはらん。
 昨年は海原かなた師匠にお祓いしてもらった。不景気で……福もはるか師匠の髪同様に「吹き飛ばされ」てしまったのではないかと心配していたら、年末に奇跡的な受注があって逃げ切れた。
 過去トップの業績は「タネもしかけもちょとある」ゼンジー北京師匠の年であり、続いて桂米八師匠(2度)の年が極めて好調であった。
 どうしようかなと迷っていたところに、おお! なんと! 正義の味方、桂米八師匠が出現しはった!
 奇蹟ではないか。
 
 ありがたく福を授けていただく。
 賽銭(紙幣の場合も賽銭でいいのかな)もはずませていただきました。
 もっとも、師匠本人の商売は「他人に福を授けすぎて」ぜんぜんあかんそうであるが。
 福をまき散らさないよう、まっすぐ帰館。
 午後は真面目に仕事もするのであった。

1月11日(火) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 午前6時前の梅田、おそろしく寒いのであった。
 まあ全国的にそうらしい。
 播州龍野に着いたら、やっぱり寒い。
 色々な事務処理を行う。待ち時間が長いことよ。
 たちまち夕方になった。
 ひとり鍋でビール、雑炊作って「神の河」湯割り。
 体が温まったので、早寝するのである。
 播州龍野の夜は寒そうなので、ストーブ炊きつつ電気毛布も使用。
 明日は、少しはSF系のこともやらねばなあ。

1月12日(水) 播州龍野
 寒いのであった。
 厳冬の陋屋、100畳にひとりでは、そりゃ寒いわ。
 雑事色々。
 墓地に老母の名が刻まれた「霊標」が石材店から戻ってきた。
 
 さほどセンチメンタルにはならず。
 両親がここに納まるのはいいことだが、この墓はこれでおしまいである。
 おれは散骨で、家族の誰ともどこにも、いっしょには入らない。
 墓地に固定されるなんてまっぴらである。
 宇宙葬が理想だが、太陽系の重力圏から出るのは無理だから、贅沢いえばニューオリンズのリバーボートからミシシッピーに散骨、面倒なら毛馬閘門から淀川に散骨、ややこしければ下水に流してくれればいいからね。
 寝る。

1月13日(木) 播州龍野→大阪
 播州龍野は本日も寒いのであった。
 午前6時、窓の外は-2℃、居間は4℃である。
 この冬経験するいちばんの寒さである。北朝鮮の底辺諸君とは較べものにならんけど。
 極端に収縮したキンタマは、まあキン冷法と割り切って、粛々と雑事を処理。
 午前中の電車で帰阪する。
 帰宅してから、近所の医院へ定期検診に行く。
 「ほほう、血圧がずいぶん下がりましたね」といわれるが……ストレスがなくなったからであろうか。
 夕刻まで穴蔵にて雑事を色々と片づける。
 夜は専属料理人が並べた、ハッシュドビーフのかかったオムレツ、色々トッピングのポテトパイ、トマト、ほうれん草のソテーでビール、あと安ワインを少しばかり飲みつつ、フランスパンとリンゴで仕上げ。
 読まねばの資料を枕頭に積み上げて、早々と布団にもぐり込むのである。

1月14日(金) 風呂本佳苗リサイタル/安呑屋
 寒いのであった。
 終日穴蔵。少しは仕事もするのであった。
 夕刻這い出て、阪急・西宮北口へ。
 芸術文化センター・小ホールで、風呂本佳苗さんのリサイタルを聴く。
 
 今年のテーマは「一晩中踊り明かそう」で、オペラを含む舞踏曲を中心に。
 最後がゴッチョークとガーシュインというのが、ちょっとジャズ的でうれしいね。
 ゴッチョーク(ゴットシャルク)は初めて聴くが、ヨーロッパとハイチの血を引いて、19世紀半ばにニューオリンズのクリオール街で育ったピアニスト・作曲家……記譜されたものは少ないという。
 ハバネラのリズムの「舞曲」はジャズ誕生の下地を感じさせる。
 ロビーで芦辺拓さんと挨拶。なぜか芦辺さんは毎年、風呂本さんのリサイタルに出現するのである。
 帰路、穴蔵に近い中津の「安呑屋・なにわや」で一杯。
 地下鉄中津の北側路地を西に入ったところ。同名の「二度漬け禁止」串カツ屋と並んでいる。
 壁一面のメニューが芸術的である(メニューは天井にも貼ってある)。
  *
 100円、150円メニューの充実を見よ。
 たとえば「コロッケ2コ200円」……ちゃんとキザミキャベツの上に熱いコロッケ2個という、吉朝さんが元気だったら泣いて喜びそうな逸品である。
 本日は、スジ煮込み、串カツ盛り合わせ、湯豆腐鍋に、「赤字覚悟」のビール大瓶350円、あとは熱燗2本。
 安呑屋なにわやに栄光あれ。

1月15日(土) マホガニーホール/創サポ/ハチ
 寒いのであった。
 午前中は穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
 午後に這い出て、心斎橋のマホガニーホールへ。
 ODJCのコンサート。
 本日のゲストは東京から、阿部寛(gt)、小林真人(b)、渡辺恭一(cl,sax)の3氏。
  *
 阿部寛、小林真人という名手ふたりにはさまれて、サックスを吹くのは若干26歳の渡辺恭一さん。
 上の写真で吹いているのは、珍しくも「Cメロディサックス」である。
 トリオ演奏のあとは、ラスカルズやレッドビーンズのメンバーとのセッションなど。
 夕方に講義が控えているのでビールが飲めないのが残念である。
 ということで、夕刻に天満のエルおおさかへ。
 創作サポートセンター専科の講義である。
 提出作品を中心に行うのだが、本日は、昨年末に出た『原色の想像力』に『土の塵』(日下三蔵賞)が掲載された山下敬さんが来たので、最初の20分ほど、対談形式で創作過程を訊く。
 『土の塵』は古典的ともいえる時間SFだが、語り口が抜群にうまく、タイムものとは想像させない導入部には特に感心した。
 『原色の想像力』は出色のSFアンソロジーであり、近日、別に感想をアップすることに。
 帰路、天満から旧梅ヶ枝町まであるく。
 恐ろしく風が冷たい。
 ハチにちょっと顔を出す。
 
 アーチー・シェップ風のライブの最中であった。
 年始の挨拶だけして帰る。
 ニューサントリー5では昼間のマホガニーホールから移動したメンバーが演奏しているはずだが、ちょっと疲れたので22時前に帰館。
 専属料理人の並べてくれた和風ハンバーグとポテトサラダでビール、イカの酢みそ和えと湯豆腐で「呉春」大吟醸(ベランダに出しておいたら抜群の冷え具合であった)の最後の2合を呑み、鉄火巻きで仕上げ。
 寝る。


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