『マッドサイエンティストの手帳』619

●マッドサイエンティスト日記(2015年12月後半)


主な事件
 ・播州龍野いたりきたり
 ・ランチ・コンサート@DISH(20日)
 ・聴き納め@ニューサン(26日)
 ・池田の酒買い(28日)


12月16日(水) 大阪←→播州龍野
 通勤ラッシュの終わった頃に出て播州龍野へ移動する。
 大阪10時の姫路行き新快速、1号車8Aに座る。
 すぐ後ろ(9AB)のご老人おふたり、姫路へ行くらしいが、耳が遠いのか大声で話し続ける。本は読めず眠れず、困ったもの。
 おふたりは会社員時代「水無瀬」でいっしょだった仲らしい。水無瀬には寮があって、おれも2年いたから気になる。
 フィルムなどの専門用語が多発、「武蔵」「水口」といった工場名から「積水化学」勤務だったことがわかる。事業所の事情や海外の提携先など色々、台北は大変だったんですなあ。尼崎の「本庄さん」はなかなか立派な人だったらしい、など……車中で会社のことを大声でしゃべるものではないな。こちらは面白いけどさ。
 昼前に播州龍野に着き、タイムマシン関係と実家関係の雑事をあわただしくこなす。
 揖西のヤマト運輸から荷物を発送の帰路、東の堤から揖保川を眺める。
  *
 西に鶏籠山、東にヒガシマル工場、わが家はヒガシマルの少し北である。
 ちとセンチメンタルな気分になるぜ。
 夕刻に近い時間の姫新線で帰阪する。

12月17日(木) 穴蔵/ウロウロ
 天気予報では今日から「真冬並みの寒さ」だったが、そう寒くもなし。
 昼前に地下鉄で天王寺へ行く。
 ボンサラ時代の知人と会って物々交換(スグキが大好物というので少しばかり持参)、キュウズモールの蕎麦屋で天ざるでちょっと一杯。
 あと、日本橋へ行くので、天王寺公園を抜ける。
 阿倍野側の庭園が芝生になって、立ち入り自由になっている。ガーやんに訊けば秋からこうなったらしい。
 有料区域は実質的には動物園だけのようである。
 天王寺公園の有料化自体が間違いであったのだ。
  *
 通天閣を正面に見る坂道を下る。
 パソコンショップを覗きつつ恵美須町から難波まで歩き、地下鉄で帰館。
 夕刻のニュース。
 今日未明、アルゼンチンのサッカー・サポーターらしき連中(フーリガンとはいわなかったが)が道頓堀のコンビニで「集団強盗」をやったらしい。
 昨日、朝9時半頃に新大阪駅から新快速に乗ったのだが、コンコースで高歌放吟しつつ階段を下りてくる2、300人の「外人」の隊列とすれ違った。ナニ人かわからなかったが、長居へ向かうアルゼンチン連中だつたのか。その傍若無人ぶり、中国人がおとなしく上品に感じられるほどであった。
 商品強奪をとがめたコンビニ店員を殴る蹴る……大阪府警諸君の健闘を祈る。

12月18日(金) 穴蔵/ウロウロ
 朝、近所の某内科医院にて定期検診。年内最後。ごく正常であった。
 ついでに梅田。郵便局、金融機関など回り、昼前に帰館。
 あとは穴蔵にて雑事。
 タイムマシン事業については年内の諸事項がすべて確定したので、決算業務を行う。
 今年は、特に努力したわけではないがゼンジー師匠の御利益があり、ありがたい決算となった。
 ということで、タイムマシン関係は本日が仕事納めである。
 夜は、寒いのでミニ鍋でビール、雑炊をリゾット代わりにして、豊崎西公園南側の中本酒店推奨の格安バカうまワイン(しかもラベル汚れで100円引き)を少しばかり。
 昼から夜にかけてのニュース。
 「スターウォーズ」封切りのことばかりだが、なぜ世界的なニュースなのか、NHKまでがなぜ宣伝にここまで荷担するのか、不思議でならない。おれはDVD化されれば見るかもしれないけど。
 じつはエピソードの3作品もまだ見てないのである。
 わがセンス・オブ・ワンダーとは別世界と思えてならない。

12月19日(土) 穴蔵
 真冬並という天気予報だったが、午前6時、室温19℃、外は8℃で、おだやかなもの。
 終日穴蔵。
 今年のタイムマシン業務が終わったこともあって、ボケーーーーーーッと「タドコロ状態」※ですごす。
 ※前にも書いたが、タドコロ状態とは、ボンサラ時代のおれが月曜の午前中3時間で片づけた仕事を「専任」で1週間かけて行う状態をいう。これを執筆に置き換えると、半村良氏が3時間で書く枚数をおれが1週間かけてやるような(しかも品質はおれの方が相当低い)ものである。他人のことをとやかくはいえない。
 3時間、某ゲラの校正やってヤマト便で発送。3時間は仕事したので、タドコロよりはましであろう。
 たちまち夕刻。
 出歩かないのは正解であった。専属料理人のいうに、梅田界隈(特にデパ地下)はラッシュなみであったような。
 内海隆一郎氏の訃報。
 市井の人を描く短編の名手であった。ともかく日本の短編小説のひとつの極地で、他に類を見ない。
 おれはファンであったが、わが亡母が熱心な愛読者であった(田辺聖子氏、宮尾登美子氏らもともに、ほとんど全作品を読んでいた)。
 2000年からの5年間、短篇ベストコレクションの委員会で年に1度、お目にかかった。たいへんな読書家でもあり、意外なことに(というと失礼だが)SFやホラーもよく読まれていて、菅ちゃんや田中啓文さんを(2000年頃から)高く評価されていた。
 10年以上前だが、80代半ばの母に、内海隆一郎さんにお目にかかったと話したら、サインを貰ってほしかったと残念がったものである。

12月20日(日) ランチ・コンサート@DISH
 昼前に地下鉄で心斎橋へ。
 マホガニーホール近くのイタリアン「DISH」で河合良一TRIO & QUARTETのランチ・コンサート。
 おれの場合ちょうど6年ぶりぶりである。
 これは河合さんのクラを聴く会。ほとんどカブリツキにて。
  *
 ルイスの演奏曲や賛美歌などすばらしいが、なんといっても「浜辺の歌」が泣かせる。
 これは初のラスカルズ米国ツアー(1966)の時に演奏された曲である。
 おれの知るところでは、これをジャズで演ったのは、鈴木章治、ラスカルズ、森山威男(海のない山梨生まれで、海への憧れがあるという)の3バンド。いずれの演奏も好きである。
 パスタ、特製ハンバーグなどでワイン飲みつつ15時過ぎまで。
 いい午後であった。
 ということで(専属料理人には昼はイタリアン風と伝えていたので)夜は和風メニュー。
 しらすおろし、アサリの吸物風湯豆腐、ほうれん草、すぐきなど並べてもらって「吉乃川」を少しばかり350mlばかり。
 森山威男「浜辺の歌」(『しーそー』収録)など聴きつつ(おれは、1997年に山下さん、坂田明さんが参加しての演奏が最高だと思う。この音源が残ってないのは寂しい)。
 年の瀬の夜は更けゆく。

12月21日(月) 穴蔵
 定刻4時、雨音で目覚める。
 いかん、不調である。二日酔いではなく、ただ体がだるい。
 終日穴蔵。
 「タドコロ状態」どころではない、食事の時間以外、布団に潜り込んで、本を読んで過ごす。
 昼寝、断続的に5時間くらい。
 夜はパジャマの上に防寒服を着て自宅へ行き、パスタで軽くワイン。
 穴蔵に戻って、ともかく早寝するのである。
 寿命が尽きかけているのだろうか。

12月22日(火) 穴蔵
 午前6時に起きる。が、また寝る。
 9時間ほど断続的に眠っていたはずだが、体調いまひとつ。
 終日穴蔵。
 ボケーーーーッと「タドコロ以下状態」で過ごす。
 冬至である。
 夕刻、久しぶりに「入浴」。たぶん11月4日以来。
 少し気分が落ち着く。
 肉じゃがなど、ありふれたメニューでビール。
 ともかく早寝するのである。

12月23日(水) 穴蔵
 部屋を真っ暗にして寝たら7時間熟睡できた(ふだんは本を読みながら寝るから……というより本を読みながらでないと眠れないから……枕元の照明は点けたままのことがほとんど)。
 午前6時起床、体調はまあまあよろしい。
 健康には入浴と睡眠がいいわけか。
 今後、できれば週1度くらいはそうすることにしよう。
 念のため、本日も終日穴蔵。
 資料を読んで過ごす。
 たちまち夕刻。
 食欲いまひとつ。専属料理人が並べたグラタンとサラダで中本酒店推奨のバカ安白ワイン。
  *
 暖冬というが、外は氷雨のように見える。
 雨の北梅田を眺めつつ、こういう時はピアノトリオがよろしく、トミフラ師匠、ハンク師匠、バロン師匠を2、3曲ずつビクターのウッドコーンで流す。
 さあ、早寝しよう。
 明日こそホリは羽ばたく……つもり。

12月24日(木) 穴蔵/ウロウロ
 午前5時に起床。体調はいいようである。
 ゴミを出したり、穴蔵を掃除したり、軽い朝食(トースト、チーズ、サラダ、ミルクティ、みかん)という日常生活パターンに復帰する。
 少しは仕事もするのであった。
 昼前に久しぶりに外出。
 阪急インターナショナルで某くん・某さんと会い、蕎麦屋で天ざる、あと喫茶コーナーであれやこれや。
 小松左京ライブラリーが珍しい資料を「発掘」した。
 半世紀前の幻の資料で、これについては、おれがたぶんいちばん詳しく、同じく当時の事情を知る某さんを呼び出して、検証作業を行う。
 うまく行けば、年明けに公開されることになるか。
 半世紀前、おれは二十歳そこそこだったから、細部まで記憶しているのである。
 書店、ヨドバシなどうろうろ、5,000歩ほど歩いて帰館。
 イブである。
 鶏の腿肉はご勘弁をと思ってたら、ローストビーフや牡蠣フライなど、軽めのメニューであった。
  *
 本日は、中本酒店推奨ではなく、専属料理人の実家方面のヴィノスやまざき(小さい店の頃からのなじみ)で手配したワインをいただく。
 たまにはよろしかろう。うまっ。

12月25日(金) 大阪←→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 年末の雑事色々。
 実家の大掃除はしない。春になってからでいいだろう。閉ざされたままの部屋が増えたことだし。
 タイムマシン格納庫にて打ち合わせ。相棒の某くんはあと2日いるというが、実質的には本日が仕事納めである。
 午後、姫新線で姫路へ移動する。
 久しぶりに城の東側へ……中高時代の6年、通い慣れたる道である。
  *
 某修道会という浮世離れした建物を訪ねる。
 クリスマスの諸々の儀式は午前中で終わったそうで、しんとしている。
 こんな場所にも「身内」がいるのである。日頃ろくでもない生活をしている身としては、ちと敷居が高い。
 なんと姫路の銘酒・八重垣「純米大吟醸」をいただく。
 関係先の祝い事で貰ったが、修道会に呑む人おらず、それならば「わかる人」にと、おれが指名されたのである。
 ありがたいことである。正月用にいたします。H谷川氏とその一族に栄光あれ。
 落とさないよう酒瓶抱えて、夕刻の新快速で帰阪。
 12,000歩を超えた。
 よく動いた。
 つくね鍋で一杯飲んで早寝するのである。

12月26日(土) 聴き納め@ニューサン
 終日穴蔵。
 年内の予定事項は(穴蔵の大掃除以外)すべて終わったので、落ち着いて机に向かえばいいのだが、いまひとつ気合いが入らず。
 ボケーーーーッとすごす。
 夕刻、暗くなってから、専属料理人と梅田へ出かける。
 ニューサンへ。ラスカルズ今年最後の出演日で、これを本年の「聴き納め」とする。
 19時ちょっと前に行って、カンウター席のいちばん奥に座る。
 たちまち混み始め、19:30の開演時には満員。半分以上はODJCの顔なじみである。
  *
 ただし、すぐ後ろのテーブルの騒がしい7、8人は「普通の飲み会」らしく、奇声は発するは、民謡調の手拍子は打つは、「あの丸いギター、珍しいわね」なんて声まで聞こえてくる。困ったものだ。この連中は2セットで帰った。ほっ。
 と、最後のセットの途中で、なんと白石幸司さん(cl)と阿倍寛さん(bj)が現れる。
 梅田芸術劇場のミュージカル「シカゴ」に出演中で、舞台が終わってから駆けつけという。
 河合さんと2clで2曲、福田さんと1曲、うれしいサプライズである。
  *
 白石さんと記念撮影。
 酔客でごったがえしの阪急東通りを抜けて、歩いて帰館。
 本年度の「行事」もこれで終わる。

12月27日(日) 穴蔵
 晴れたり曇ったり。終日穴蔵にあり。
 生産的なことは何もできぬまま。嗚呼。

12月28日(月) 池田の酒買い
 昼前に出て、阪急で池田に向かう。
 十三の渡し、三国の渡しを越え、服部の天神さんを尻目に岡町を抜け、池田に着く。
 35年前から20年ほど通勤したコースである。
 池田からバスで亀岡街道を久安寺まで通勤した。伏尾の谷底みたいな場所に事業所があったのである。
 懐かしき久安寺まで行ってみたい気もするが、相変わらずの交通渋滞のようで、やめる。伏尾台に空き家が増えるはずだ。池田まで1時間以上かかることがざらだからなあ。
 六太夫はんには会わずじまい。
 栄町商店街をぶらぶら。
  *
 閑散。ガキが自転車で走っておる。寂れちまったなあ。なじみだった耕文堂書店は、建物はあるが営業してないような。
 本日の主目的。
 駅前の「にいみ酒店」で呉春2本(特吟と普通の池田酒)を買って帰る。
 ということで、特吟は正月用とし、夜は専属料理人に和風を並べて貰って普通の呉春(昔の二級)のぬる燗で一献。
  *
 父の形見の備前焼徳利で呉春呑みつつ、舞鶴産自然薯の海苔巻き、黒はんなどの静岡おでん、京都特産すぐきなど。
 たまらんなあ。
 毎日これだと泣けてくるが、つぎは大晦日あたりにしよう。

12月29日(火) 穴蔵/ウロウロ
 朝から穴蔵の大掃除……のつもりであったが、本を整理しようとして、忘れかけていた資料が出てきて、ちょっと読み、後で読もうと机に置き、整理作業を再開したら、また忘れかけていた資料が出てきて……の繰り返しで、本を5冊ほど積んだところで、大掃除は来年に先延ばしして、あれこれ読んで過ごす。
 面倒くさいから、これから10年ほど、このパターンでいこう。
 掃除は死体の処理といっしょにやってもらえばいいのである。
 午後、散歩をかねて外出。
 近所の郵便局は混んでおり、大阪駅桜橋口の中央郵便局まで。
 ついでに近くの某所から貨物駅跡の定点撮影。
  *
 ああ貨物駅。来年には始めよう。
 貨物駅跡を南回りで歩き、小松師匠の事務所跡にてしばし黙祷、墓参に代えさせていただく。
 スカイビルの里山を抜け、地下道をくぐり、ヨドバシ〜紀伊国屋書店〜ジュンクドーを巡って帰館。
 7,018歩となった。

12月30日(水) 穴蔵/ウロウロ
 年末だが、小春日和といっていいのであろうか。穏やかな晴天。
 穴蔵にてタドコロ状態で過ごそうと思ってたら、朝から専属料理人が来て、廊下側の窓枠とか玄関の掃除を始めた。
 しかたなく室内も本とCDを整理して拭き掃除を行う。
 一応スッキリした状態になった。
 午後、北西方向に散歩。
 淀川堤、上淀川橋梁に撮り鉄らしいのが数人いる。珍しいのが走るのかと、しばらく横で見物していたら、15時過ぎに城之崎行きの「こうのとり」が通過した。
  *
 国鉄色のラストランは2月前だったから、珍しいとは思えないが。おっ、野々村竜太郎が乗っている……ような気がいたしました。
 長柄橋まで歩き、天八〜天六〜中崎町を抜けて帰館。
 7,095歩となった。
 穴蔵にて机に向かっていたら、19時、周囲でけたたましいサイレンの響き。消防車5、6台が押し寄せ、ベランダから見ると、30メートル先の野々村竜太郎の生家を取り囲んだ。
  *
 なな、なんだ。消防署員がうろうろしているが、火災の気配はない。
 誤報か? よくわからぬまま、20分ほどして引き上げていった。
 相変わらず人騒がせな生家だなあ。
 今は住之江でやたらパトカーを呼んでるそうだが。

12月31日(木) 穴蔵
 朝、穴蔵の普通ゴミを出す。今年は大晦日が最後のゴミ収集日というので助かるね。
 あとは穴蔵にて雑事。
 5種類ある表計算ファイルの2016年版の作成など。
 今年書いた原稿、撮った写真をDVD-Rに整理する。たいしたことはやっとらんなあ。
 ということで夕刻となる。
 ニュース見ながら、湯豆腐、菜っぱの煮浸し、スグキなどでビール。あと呉春に切り替える。
 と、19時過ぎに早くも国民的学芸会が始まった。
 チャンネル変えたらKBS京都で『羅生門』をやっている。これは面白いけど途中から。「次の三船が坂道を駆け下りるシーンがすごいぞ」などと解説してたら、専属料理人が「なぜそんなに詳しいの」と聞く。考えてみたらDVDを所有していた。来年また見ることにしよう。
 にぎり寿司5カンほど。
 あと、長野から送っていただいた、きりっと冷たい信州そばをたぐりつつ、呉春を飲み干す。
 うまっ。
 あとは穴蔵で、米朝師匠の『厄払い』を見て早寝する。
 やり残したことばかり多い気がするなあ。
 無為に過ごした1年が終わる。嗚呼。


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