『マッドサイエンティストの手帳』615

●マッドサイエンティスト日記(2015年10月後半)


主な事件
 ・淀川河口(18日)
 ・播州龍野いたりきたり
 ・山下洋輔NYトリオ@芸術文化センター(22日)
 ・381系ラストラン(30日)
 ・小杉健治『残り火』(双葉文庫)


10月16日(金) 穴蔵
 朝だ。快晴である。もう東からの直射光で室温が急上昇することはない。
 が、7時20分、半分ほど開いているカーテンの隙間から異様な光が射し込み、室内が不思議に輝く。
  *
 この時期、タワーマンションの反射で、朝10分間ほど起きる「二重太陽」の照射である。
 宇宙SFのちょっとした場面に使えそうだが、うーん、宇宙を書くのはしんどくなったからなあ。
 終日穴蔵。
 播州龍野に雑件発生、来週のスケジュールの調整に手間取る。
※金三胖(金三代目の太っちょ)という言葉が中国で「検索禁止」になっているとか。
 「胖」は漢和辞典では「いけにえの半体の肉」「あばら」「ゆたか」の意という。デブの意味はないような。
 テリー伊藤「お笑い北朝鮮」(1993)によれば、金ちゃん、小金ちゃんと続いた。
 三代目は太金ちゃんか。デブ金ちゃんの方がいいか。
 身長170cm、体重130kgというから、おれと身長はそう変わらないのに体重は倍以上。そりゃ自重で骨折するわなあ。
 BMIではダントツで国のトップだろうな。国民は太れないんだもの。
 肉の半分を「いけにえ」にするのがベストなどと愚考する。

10月17日(土) 穴蔵/ウロウロ/黒鯛煮付
 秋晴れである。天気予報では午後は「急に雷雨も」というので、午前中に出かけることにする。
 西長堀の中央図書館へ。資料の返却。書庫資料を数点調べる。
 運動不足なので歩くことにする。
 土佐稲荷に参拝してから伯楽橋を渡り、みなと通に出る。
 川口教会横を通り、中央市場方面へ。
  *
 端建蔵橋と船津橋の中間、中之島の西端にて。いざ出撃!(←福田紀一「霧に沈む戦艦未来の城」)
 中央市場の寿司「ゑんどう」は相変わらずの行列なのでパス。
 堂島川を右岸に沿って歩き、あみだ池筋を福島方向へ。
 貨物駅西側を歩き、スカイビルの里山(稲刈りはまだである)を抜けて、中津経由で帰館。
 12,452歩を記録した。
 結局、終日秋晴れであった。
 浜松のSさんからクール便が届いた。おれより年長のトラッドジャズ・ファンだが、今も浜名湖の遠州灘付近で「素潜り」「魚突き」を楽しむという強者である。その釣果(ではなく銛果?突果?)が送られてきた。
 黒鯛のでかいのをさばいたの、ひらきも数枚。大変なものである。
 ということで、ありがたくも今夜のメインは煮付け。
  *
 ビール飲みつつ胴体部分をいただいたあと、頭部をつつきまわしながら、中本酒店推奨の「吉乃川」冷酒をダラダラと飲む。
 不思議に尾田悟師匠のテナーが合うなあ。ルイスかラスカルズを流すべきところなんだけど。
 豊崎の夜は更けゆく。

10月18日(日) 淀川河口
 秋晴れである。
 早朝から5時間ほど、一応机に向かう。
 天気がいいので、久しぶりに自転車で走ることにする。
 11時頃に出て、淀川堤を河口に向かう。
 豊崎(河口から8キロ)に35年以上住んでいるが、淀川は東海道線の下淀川橋梁より下流へは行ったことがない。
 淀川左岸の堤をとろとろ走る。
 阪神本線の鉄橋をくぐると護岸になり、眺めはいまひとつ。
 ハゼ釣り諸君が多い。
 が、阪神なんば線の鉄橋(ここは昔ながらの踏切)を過ぎたあたりから、堤防の道は広く、きれいに舗装されていて、眺めもよくなる。
 「酉島」あたり。その先に「伝法」水門。
  *
 ちょっといい雰囲気である。
 ただ、此花区は意外にきれいに整備されていて、期待していた「皆勤の徒」の原風景は見あたらない。
 おれは廃墟寸前の工場エリアが好きなのだが。
 寄り道しつつ1時間ほど走って常吉風向風速観測所に着く。
  *
 ここが淀川河川事務所と大阪港湾局の管理境界で、左岸の河口はこことみていいのであろう。
 その先に大阪北港マリーナ。海上保安庁の「てるぎく」が何かセレモニーをやってはった。
 さらに先、舞洲へ橋の側道を渡れるらしいが、本日はここまでにする。
 50分で帰館。
 帰りの方がなぜか楽である。淀川の下流はほとんど高低差なしということか。
 遅めのランチ。
 専属料理人に焼きそばを作ってもらってビールを少しばかり……のつもりが、盛大に。
 昼寝するのである。

10月19日(月) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。須磨あたりで日が昇る。
 午前9時に実家到着。
 肉体労働の日である。
 まず庭掃除。大量の枯葉を袋詰め。以前に伐採した枯枝が相当あり、これも荷造り。
  *
 柿が食べ頃であり、これを獲ってダンボールに詰める。
 種あり、かため、甘みは強くない。好みがあって、むろん売り物にはならず(したがって店頭でも手に入らない)、しかし身内は好きなのである。
 某運輸の営業所に持ち込み、2箇所に発送。
 午後はタイムマシン格納庫にて見張り番。
 たちまち夕刻となる。
 18時には真っ暗である。
 さあ、実家に帰って一人酒盛といくか。

10月20日(火) 播州龍野→大阪
 よく寝た。7時間以上熟睡。肉体労働と静寂のおかげであろう。
 本日も下男(おとこし)仕事。
 アタマ使う仕事よりはるかに楽である。嗚呼。
 昼前に、袋詰めした落ち葉・雑草を軽ワゴンに詰め込む。
 午後1時に揖西のクリーンセンターへ搬入。
  *
 亡母が相生の病院に入院中、毎日のように走った道である。稲刈りの最中。広大な田園地区だが、後継者不足らしい。10年後にはどうなることやら。
 播州龍野に定住するか迷った時期もあったが、おれ自身が相生へ通院するのは無理だしなあ。
 大阪〜播州龍野の距離でこれだから、バブル時代に別荘購入した連中、どうしているのだろう。維持がたいへんのはず。
 ややこしい作業が残っているが、業者の都合により週末となる。出直すしかない。
 夕刻の電車で帰阪。

10月21日(水) 穴蔵/ウロウロ
 定刻午前4時に目覚める。
 午前中、一応机に向かうものの、あまりアタマ働かず。困ったものだ。
 午後、久しぶりに東南方向に散歩。
 まず天五の区役所まで歩く。某月の某費が「高額」に相当するので、領収証を持っていけば×千円ほどの還付が受けられるという通知がきたのである。ま、ありがたく、30分ほど待って申請手続き。
 あと、青空書房にちょっと挨拶、天神橋筋商店街うろうろ、扇町公園を抜け、梅田経由で帰館する。
  *
 都心の秋。
 しかし、この4年ほど、ハチの昼営業がなくなり、ミムラさんが閉店してから、東南コースの散歩は面白くなくなった。
 同時に、CD蒐集への執着がなくなったなあ。
 ということで、たちまち夕刻。
 本日の晩酌メニュー。
 弥七向かいの翁豆腐のヤッコ、みりん干し、豚キムチ、トマト・レタス・オニオンその他にゴボウのささがき揚げをトッピングしたサラダ、ビール1缶、黒糖焼酎の湯割り1杯、自家製リンゴのなんとかケーキ1切、ワイン1グラス、播州龍野の柿。
 本を読みつつ、早寝するのである。

10月22日(木) 山下洋輔NYトリオ@芸術文化センター
 終日穴蔵。
 相変わらず雑事の処理ばかり。
 夕刻に這い出て、専属料理人と西宮北口へ向かう。
 山下洋輔NYトリオのコンサート。
 本日は芸術文化センター10周年記念日でもある。9年前の「ジャズマン忠臣蔵」以来、毎年のように聴いてきたなあ。
 18:30開場、19時開演。
 山下洋輔(p)Cecil McBee(b)Fheeroan akLaff(ds)
・Seven Tails Cat
・Gentle Conversation
・新世界・第4楽章
・Spider
(休憩)
・仙波山
・Evry Time We Say Goodbye
・Groovin' Parade
・Kurdish Dance
・(アンコール)My Favarite Things
 S列(後から2列目)中央付近だが、音響はいい。ただ前方……禿げた客が多いなあ。人のことはいえん。おれがカブリツキを敬遠する所以である。
 1部が最新バージョン、2部がリラックスしておなじみのナンバー、いい雰囲気であった。
 21時過ぎまで。
 ロビーで岡本吉民・幸代さん夫妻に会う。久しぶりだが、このふたりは変わらんなあ。
 サイン会に並ぶか迷ったが、CDはすでに所有しているからなあ。
 まっすぐ帰館。
 近所の「串樽」で閉店間際にちょっと一杯。串焼きの店だが、レンコン饅頭とか焼きポテサラがなかなか。
 深夜の就眠となる。

10月23日(金) 大阪→播州龍野
 秋晴れがつづく。
 通勤ラッシュの終わった頃に出て播州龍野へ移動する。
 大阪駅、ご老人のグループが多いなあ。皆さん、リュックを背負いウォーキングシューズのハンキング・スタイル。10人くらいのグループを10数団体見かける。お元気でなにより。よく見りゃこちらもご老人なんだけど。
 姫路駅も同様。
 姫新線に乗るグループはいないようだ。
 昼前に本竜野着。
 雑事色々。タイムマシン関係の案件と陋屋の修繕が重なり、ややこしいことである。
 たちまち夕刻となる。
  *
 味三昧で豪華弁当を買って、川沿いの道を帰館。
 17時に日没、18時には真っ暗である。
 ウィントン・ケリー、ジム・ホールなど流しつつ、ひとり酒盛。
 龍野の夜は更けゆく。

10月24日(土) 播州龍野→大阪
 午前6時に起床、よく寝たものである。
 午前7時半にシルバー人材センターの2氏が到着、塀の外、テニスコート半分ほどの畑地の雑草を刈り始める。
 母が元気な頃(20年ほど前まで)はトマトやスイカ、インゲン豆、茄子、小芋などを作っていたが。
 土がいいので雑草がよく育つ。夏の4ヶ月でこれ(前回は7月4日)。
  * → *
 シルバー2氏、手際よく片づけてくれる。
 ビワの木は残った。
 修繕関係があと2件あるが、部品の事情で11月に送らざるを得ない。
 午後の電車で帰阪する。
 ちと疲れたね。
 夜は専属料理人が並べた、翁豆腐のヤッコ、ほうれん草のなんたら、鰯のかんたら、ごちゃごちゃサラダでビール、粘度の低い(スープよりは粘度の高い)ミニカレーで豊崎西公園南の中本酒店推奨の格安バカウマワインを少しばかり。
 早寝するのである。

10月25日(日) 穴蔵
 午前4時に目覚める。
 室温24℃、外は14℃。寒さは感じないが、この温度差は真冬並である(真冬は室温14℃なら外は4℃)。
 本日も秋晴れなり。
 大阪マラソンの日で、出歩く気分にならず、終日穴蔵。
 外は「木枯らし1号」というが、そんな風は吹いてないぜ。
 本を読んでたら、たちまち夕刻となる。
※そういえば、面白く読んだ本の感想をしばらく書いてない。SFに関しては職業意識が働くのか、つい面倒になってしまうところがある。月10冊くらいのペースで読んでいるのだが。近日、気楽にまとめてアップすることにしよう。
 ちなみに本日読んだのは法月綸太郎『怪盗グリィフィン対ラトウッジ機関』(講談社)。
 第一部の、ディックをモデルにした作家の「幻の未発表原稿」の争奪戦が抜群に面白い。ともかくアイデア密度が凄まじく(短編10篇分くらいが詰まっている)、「ノックス・マシン」の密度で書かれた長編である。マッドサイエンティストと「ラトウィッジ機関」が登場する第二部は「多世界SF」で、全体としては極めて上質のSFなのだが……ともかく前半が凄すぎるのだ。前半だけで本年度のベスト級。
 刺激されるところがあって、ある着想を得る。しばらく検討することに。

10月26日(月) 穴蔵/ウロウロ
 朝、久しぶりにネクタイを着用。
 タイムマシン業の相棒・某くんがクルマで迎えに来てくれて、市内の某社へ行く。
 某オファーに関する打ち合わせだが、それは10分ほどで終わり、あと、某社長から近年の業界事情について色々とレクチャーを受ける。
 わが事業についても先行き色々と考えること多いが、どことも似たような事情であることがわかってくる。
 要するに、マーケット縮小と高齢化である。
 シルバー人材センターにいるつもりでやるのがいいのかなという話になる。
 わ、SFも同じではないか。
 中国に「コピー製品」で出回って……という事情まで似ているなあ。
 ま、細々とつづける他あるまい。
 相棒の某くんは播州龍野へ向かうので、おれは西天満からぶらぶら歩いて帰る。
 米朝事務所の2号線を隔てた南側の路地うろうろ。このあたり、意外に面白いなあ。中崎町がカフェ増えすぎでつまらなくなったのと対称的である。
 たまには歩いてみるものだ。
 8,790歩。

10月27日(火) 穴蔵
 終日穴蔵。
 机に向かう。寝そべって本を読む。ちょっとCDを聴く。
 この繰り返しで、たちまち夕刻となる。
 粗食にて晩酌。
 早寝するのである。

10月28日(水) 穴蔵
 生頼範義氏の訃報。27日に肺炎で死去。79歳。オモテに出てこられることがなく、どんな方だったのか、まったく知らないままである。SFアドベンチャーの表紙、平井さんと小松さんのブックカバーが素晴らしかった。小松さんの肖像画も。昨年の『生頼範義展』を見に宮崎まで行かなかったのが悔やまれる。
 本日も終日穴蔵……ではいかんので、午後、散髪のため大阪駅西の梅三小路往復。
 グラフロ経由で帰館。
 旧三井アーバンホテル(その後コムズホテル)が解体されて更地になっている。ここは42階のタワーマンションになるらしい。
 北側の東洋ホテル(その後ラマダホテル)は1年間ゴーストビルだったが、解体工事開始。ここもやはり高層マンションか、不明。
 
 間の地下鉄中津駅4号出入口はこれから3年間封鎖される。
 乗り換え客の安全のために、バス停は移動しないのかなあ。おれはあまり関係ないけど。
 6,960歩になった。
 たちまち夕刻。
 粗食にて晩酌。
 早寝するのである。

10月29日(木) 穴蔵
 晴れて風なし。終日穴蔵にて書物なんということなく読みあさるほどに、日の傾きかけ、穴蔵より出で北東に歩く。
 豊崎神社の近く、穴毛というエゲツナイ名のホテルがあって、豊崎の恥といわれているが、ド派手な色に塗り直されている。
 
 名前が隠されているが、「改名」するのかしらん。つぶれてくれるのがベストなんだが。
 本庄公園を抜け、淀川堤を天八、ここから天神橋筋を下り、本庄西の路地を歩き、タカセで黒糖焼酎「れんと」を買って帰館。
 7,753歩。
 夜は翁豆腐のヤッコ、串カツなどで湯割り。
 早寝するのである。

小杉健治『残り火』(双葉文庫)
 『残り火』が文庫化されたので紹介しておこう。
 
 立花孝久58歳、定年まで3年残してアパレルメーカーを退職、82歳の老母の世話をしながら暮らしている。ひとり息子は自殺し、妻とは離婚している。息子の自殺は、痴漢の冤罪が原因だった。裁判で無実は証明されたが、職を失い婚約も破棄されて、精神を病み自殺する。もう残りの人生に何の希望もない。……そんなある日、ある青年が連続通り魔事件の容疑者として逮捕された。孝久はその青年の無実を「確信」する。その青年は老母が外出して倒れた時に、老母を背負って自宅まで運び届け、名も告げずに去った青年だったからだ。
 孝久は貯金をはたいてでも青年に弁護士をつける決心をして、水木邦夫弁護士を訪ねる。水木弁護士は孝久の息子の冤罪をはらしてくれた腕利きの弁護士だ。だが、水木弁護士65歳は、半年前に妻を亡くし、自宅に引きこもり仏壇にむかう日々で、弁護士としての活動は休止していた……
 法廷ミステリーの傑作である。そして、これは「老人小説」の傑作でもある。
 息子を亡くした孝久(語り手)、妻を亡くした水木弁護士(探偵)、容疑者の唯一の身内の祖父は寝たきり老人、それぞれが老齢期にいたって何かを喪失している。そして「残り火」のタイトルどおり、事件を機に再起をはかろうとする。
 人物の配置が巧妙で、衝撃的な結末を迎える。
 小杉健治氏の水木弁護士シリーズは80年代の『陰の判決』から始まる。水木弁護士登場は10数年ぶりで、もう65歳というのも感慨深いが、これはシリーズ最高傑作であり、小杉さんの作品の中でもベスト級であろう。
 ちなみに、今でこそ小沢一郎の事件などで知られるようになったが、「検察審査会」を初めて小説にとりあげたのは小杉健治氏の『検察者』である。小杉さんの法廷ミステリーはいずれも着眼がユニークで秀作揃いである。
(以下は、きわめて個人的な感想)
 80年代前半、おれはある訴訟事件の被告(被控訴人)であった。代理人を務めてくれたのはM弁護士である。おれと同年。ともかくこの人はシャープで、準備書面の文章の緊密さ、法廷での弁論の切れなど、いっしょに戦っていたT書店の編集者すべてが惚れ込んでしまったほどである。ある日(科学考証部分について話してた時と思うが)、M弁護士がコンピュータ関係に凄く詳しいので、「この事件のために調べられたのですか」と訊ねると、M弁護士「ぼくは工学部出身なんです。T社でコンピュータ開発をやってましたが、会社勤めが性格に合わず、司法試験の勉強をはじめたんです」
 その論理性の鋭さがわかった。
 それからしばらくして小杉健治『陰の判決』を読んで驚いた。水木弁護士の経歴がまったく同じだったからである。こんな経歴の弁護士はそういるはずがない。M弁護士に尋ねると「ああ、かれとは会社時代、いっしょに仕事していた仲で、仕事のあともよくしゃべっていた」……コンピュータ開発に携わりつつ、ひとりは弁護士になり、ひとりは推理作家になった。
 あれから30年。色々なドラマがあるなあ。

10月30日(金) ラストラン
 秋晴れが続く。
 静かに書を紐解きたいところだが、2階上の部屋で、予告なしにリフォーム工事らしいのが始まった。
 トカトントンの金槌音がたまらん。
 昼前に外出、ジュンクドーなど梅田うろうろ、豊崎の信州そばにて大ザルを食す。
 幸い、工事は午前中で終わったらしい。3時間ほどのロスである。
 本日は381系の「くろしお」と「こうのとり」引退の日。
 15時に淀川堤、上淀川橋梁へ赴く。
 くどいようだが、おれは鉄ではない。「にわか撮り鉄」である。
 淀川堤に撮り鉄らしいのが10人ほど。トワイライトエクスプレスとちがって、毎日何本も走るし、本当のラストは夜10時頃に新大阪着だから、こんなものであろう。
 15時過ぎ、新大阪発の「くろしお」が梅田貨物線に入っていく(大阪駅には寄らず、西九条から天王寺へ向かう)。
  *  *
 しばらくして、「こうのとり」15号が来る。
 ブルーの「くろしお」はともかく、「国鉄色」には思い入れがある。入社直後に実習で富山の工場に行ったのが「雷鳥」であった。
 70年代後半〜80年代前半、富山や金沢への出張が多く、「雷鳥」をよく利用した。冬の立山連邦の眺めが懐かしい。
 北陸方面(福井より先)へは20年以上行ってないなあ。
 この秋、ぶらっと行ってみるか。

10月31日(土) 穴蔵
 秋晴れであるが、ちょっと肌寒い。
 室温は23℃で昨日より1℃低いだけだが、このあたりがわが体感温度では冬の始まりらしい。
 まだ暖房器具は出さないが、椅子(エルゴヒューマン)がメッシュなので、尻が寒い感じだ。
 フリースの膝掛けを敷く。座り心地はそう変わらないので、春まではこの方式とするか。
 終日穴蔵。
 今年もあと2ヶ月。システムダイアリーの来年のスケジュール表を作成する。
  *
 ついでに最終頁に入れていたカード電卓を外すことにする。携帯に電卓機能があり、5年以上使ってないことに気づいたからである。
 CASIO SL-750。調べればわかるが、30年近く使ってきたはず。記念に残しておくか。


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