『マッドサイエンティストの手帳』24
●浜松ジャズウィークの興奮(日記特別篇1997年6月15日)
主な事件
・浜松ジャズウィーク最終日に行く
香取良彦ジャズオーケストラ
渡辺香津美グループ
森山威男グループ(ゲスト:山下洋輔、坂田明)
6月15日(日)
新大阪から「こだま」で2時間、浜松に正午到着。
駅から地下道でつながるアクトシティ大ホールへ。
ここは2年前、SF大会の会場となった建物である。SF大会・大ホールでの企画に桂歌之助の口演があり、「地震麻原」というSF落語を書いたのであった。口演のあと、舞台にも出たから、このホールには「出演歴あり」か。ついでに、ファンジン大賞・創作部門の受賞が、ソリトン創刊号の志田海市「牛車道」であり、作者に替わって賞状を受け取ったのもこの舞台であった。……ウチアゲの席に「世にも暑苦しいSF作家」が乱入してきたのもこの建物内の居酒屋であった。思い出の多いところである。
本日、ここに長年熱狂的に支持してきたメンバーが集結するとあって、いてもたってもいられなく、東海道を遠州路まで下ってきたわけである。
浜松ジャズウィーク。最終日。大ホールに登場するのは3グループ。
・香取良彦ジャズオーケストラ。
・渡辺香津美グループ。
・森山威男グループ。
香取オーケストラ、香取オリジナル曲で華麗。ヴァイブがいい。
渡辺香津美グループのラスト・ナンバー、おなじみ「遠州燕返し」。いつもながら華麗な指さばきである。ポンタ良く、ホンダ良く、森剣治のクラリネットがすばらしい。
そして、15時過ぎ、森山威男グループ登場。
最初は山下洋輔〜森山威男デュオ。「ミナのセカンドテーマ」。中村誠一テナー時代によく演奏された曲だが、デュオで聴くのははじめて。しかも、まったく新しい曲想に聞こえる。森山さんのブラシの動きが早くも激しく凶暴である。
同時に、やっぱり懐かしさも否定できない。
70年代前半、山下トリオを聞くとき、ぼくの席は、森山さんの前1メートルということが多かった。この席には、ドラムの移動防止のために大きな「漬物石」が置いてあり、これを足押さえるように座るのだった。
ときどき、折れたブラシの針か飛んできた。
1曲目のあと、森山さんが山下さんを紹介した。
「60年代、70年代といっしょに演奏してきました、山下洋輔トリオの山下洋輔!」……拍手とともにちょっと笑い声。
つづけて、
「70年代、ずっといっしょに旅してきました、山下洋輔トリオの坂田明!」
拍手に迎えられて、坂田明さん登場。
2曲目、「キアズマ」
70年代の山下洋輔トリオによる演奏である。
この曲も、涙が出てくるほどうれしい。坂田さんが加入したのは73年夏だったと思う。その頃の坂田さんは痩せていて眼光が鋭く、横顔がアルバート・アイラーに似ていると思った。これは最初の印象であって、大阪・ハチで2、3度聴き、話する機会があるうちに、年齢(半年ぼくが早いが同学年)、理系という共通項から、すごく話やすい方だとわかった。
坂田さんの演奏する曲では「ソング・オブ・アキラ」「カウンタークロックワイズ……ええ、早く言えばオイワケ」と並んで「キアズマ」が好きだ。ぼくの記憶では、この曲は、ハチで初めて演奏されたのではないかと思う。新幹線で先に到着した山下さんと森山さんが、新幹線のなかで作った。遅れてきた坂田さんが譜面を見せられて、ぶっつけで演奏した、というのがぼくの記憶である。……この種の記憶力は、15年前の民事訴訟では担当の松井弁護士があきれたほど正確だったのだが、さすがに最近は細部に自信がない。
しかし、坂田さんの演奏、相変わらずのパワーだ。
つづいて、「学生服で山下洋輔トリオに飛び入りしたことのある林栄一!」
と林栄一さんを呼出し、つづけて、 「その頃からいっしょに演奏してきた望月英明!」
と、ベースの望月さんを呼び出す。
残念ながら、学生服の林さんは聴いていない。が、凄いアルトが現れたという噂は聞いていて、ハチで聞いたのはその2年後だと思う。
望月英明さんを聞いたのはそれより早く、名古屋・雲竜会館(?だったかな)でのライブにゲスト参加された時だと思う。
3曲目「虹の彼方に」
CD表題にもなっている林さんの名演である。
……70年代から、山下トリオ、森山グループ、坂田グループと、ずいぶん個性的なメンバーの演奏を聴いてきたなあ。森山さんのあとに座った小山彰太さんを初めて聴いたのは沢井原児4の時だったし、武田和命さん、阿部薫さんはもう聴けないし……吉野弘志さんもすばらしかったし、国仲さんのベースも面白かった。
「山国で育ったので、子供の頃、海に憧れていて、見たこともないのに作文に海のことを書いたことが。その頃を思い出して『浜辺の歌』を演ってみたくなりました……」
山下さんのソロから入って、すばらしいアレンジである。
ぼくは特に坂田さんの演奏には涙が出てきた。日本的叙情をミジンコも感じさせずに例によってモゲゲモゲゲと吹き上げながら、モントルーで幽霊に赤トンボを混在させたような叙情性を漂わせる離れ技である。
場内、写真撮影は禁止だが、音のしないデジカメを一度だけ押した。
左から、山下、林、望月、坂田、森山の各氏。
アンコール曲「マナ」
感動した。
大きな会場と大きな団体の主催するコンサートなので、楽屋を訪ねるのに気遅れするが、ちょっとだけ表敬訪問。
大阪からはぼくだけかと思っていたら、同志はいた。
ミノさん。……ハチの同志で、伝説の日比谷野音・「ザ・ウチアゲ」に登場のハチ軍団のひとりである。
節ちゃん、当時ANAスッチー、今3男の母、当時は「機内アナウンス」芸がバカウケであった。なんと宮崎からの駆けつけ。
さて、つぎの写真1枚。自慢させていただこう。
デジカメをもってウロウロしていたヤツガレの肩をたたいて「トリオで撮ろう」とおっしゃってくださったのが山下洋輔さんである。
そこで撮ったのが下の1枚。
今日の演奏は「懐かしい」という種類のものではなかった。懐かしさはある。しかし、ともかくジャズの先端を走るメンバーが久々に集まって心地よい演奏をしたのがすべてである。
トリオの凄い仕事をやり終えた表情を見よ。皆さんの笑顔がすばらしい。男はかくあるべし。ぼくのみ緊張して堅くなってしまった。
坂田さんは、名古屋へ移動し、明日、上海へ飛ぶという。
森山さん、山下さん、それぞれに活動が控えている。
しばし歓談ののち、それぞれの方向に別れる。
ぼくだけ自慢では悪いので、「山下洋輔追っかけページ」ホームページのMINさんを紹介させていただきます。
東京方面から来場のパソ通メンバーと、近くの「マイン・シュロス」なる「輸入」地ビールの店で一杯、新幹線で東へ向かう。
写真、左から、MIN、J・PAUL、Heavy Moon、いのどんぶり、ぶる、の諸氏。
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