『マッドサイエンティストの手帳』516

●マッドサイエンティスト日記(2011年12月前半)


主な事件
 ・播州龍野いたりきたり
 ・Sunday at Jazz Club(4日)
 ・播州龍野の紅葉(7日)
 ・第32回日本SF大賞(11日)


12月1日(木) 穴蔵/ハチ
 師走である。
 寒いのであった。
 無為のまま1年が過ぎようとしている。
 少しは大きい仕事をしなければなあ……などと思いつつ、穴蔵にて雑事色々。
 夕刻に近い午後に歩いて梅田へ。
 18時前、久しぶりにハチ寄る。
 おや、ハチママ来店であった。
 ビール飲みつつあれやこれやしゃべる。
 19時前に歩いて帰館。
 
 久しぶりに梅田の夜景を見る。観覧車の明滅がSSの断面みたいでいいなあ。
 帰館。
 夜は牡蠣のグラタンなどでワインを少しばかり。
 一昨日入手した「ジミー・ハミルトン」を聴きつつ。たまらんなあ、ハミルトンの音はよ。
 ということで、21時過ぎ、枕頭に本を積み上げて、読書→早寝モードに入るのである。

12月2日(金) 穴蔵/明治屋ファン
 さらに寒いのであった。
 終日穴蔵。
 本を読んで過ごす。主にSF大賞候補作の再読である。
 緊張の日々……。
 夕方、ボケーーーッと報道番組を見ていたら、堺市の自宅で象印マホービンの元副社長が殺害されたニュース。
 恨みをもつ元社員の犯行ではないかと心配したが(元社員を知ってるからなあ)、なんと、元副社長氏は天王寺の明治屋の常連で、閉店に際して「こんな店を残すのが大阪文化」といった発言をされている映像が流れた。
 明治屋愛好者が社員の恨み(社員でなくてもだ)を買うはずはない。
 おそらく金目当ての犯行であろう。
 大阪府警諸君、がっばって犯人を挙げてくれたまえ。

12月3日(土) 穴蔵
 曇天なり。
 終日穴蔵。
 DVDを見て過ごす。午前3時間、午後3時間、さすがに疲れるねえ。
 夜は粗食にてビール、「神の河」湯割りを少しばかり。
 眼精疲労につき、濡れタオルを目にかぶせて、トミフラ師匠、デフランコ師匠を聴く。
 早寝。

12月4日(日) 穴蔵/Sunday at Jazz Club
 定刻前、午前3時に目が覚めてしまった。
 早朝のテレビでジャパネット・タカタをしばらく見る。
 タカタ社長の「芸」は今風の「啖呵売」であって、もう名人の域である。
 ターさん芸は、新世界のマルトミも難波の自由軒東側も、70年代半ばまで。寂しいことである。
 ジャパネットがタダで楽しめるのは幸せである。
 午前中、少しは仕事もするのであった。
 午後、歩いて黒崎町のバンブークラブへ。Sunday at Jazz Clubの例会である。
 12月は年末恒例「本年度のベスト盤」持ち寄り大会である。
 それぞれのお気に入りだから、敦賀明子、テテ・モントリュー、同じくスペインのイナキ・サンドバル、なんとチャーリー・シェイバースまで多彩。
 おれのベスト盤はむろん森山威男+ジョージ・ガゾーンの『Dazzling』であり、「Giant Steps」を。
 本日は池ちゃん(池田武久さん)の追悼企画もあり、弟のドラマー池田信夫さんがジミー竹内の秘蔵ビデオを持ってきてくれた。
 池田信夫さんが兄貴・武久さんの思い出を話したなかのエピソード。
 池ちゃん、ある日、ホテルの喫茶室にジミー・コブがいるのを見つけた。
 が、サインを貰うにも、レコードも色紙も持っていない。
 そこで1万円札を取り出して「これにサインしてくれ」とやったのだという。
 粋なことやるなあ!
 コブは笑いながらサインしてくれたという。
 ただ、サイン入りの1万円札、いつの間にかどこかで使ってしまったのだとか。
 その他、ビリー・バンクス1932年!のレコードなど、面白いなあ。
 年末なので、夕刻から引き続き2時間ほど飲み会となる。
 
 ↑池田さんと友人のY原さん。なんとなくほっとする(理由は見てのとおり)顔ぶれである。
 ビール、湯割りでいい気分になり、徒歩20分で帰館。
 専属料理人の作っていたオードブル2品で「山崎」ロック2杯。
 早寝するのである。

12月5日(月) 穴蔵/阪急インター
 わ、早寝したら、午前2時に目が覚めてしまった。
 だんだん睡眠時間が不規則になってくるなあ。もうちょっと夜更かししなければ。
 午前3時前から関テレで「“独裁者”が生まれた町−鹿児島・阿久根市 混乱の869日−」を見る。
 前市長の竹原信一くん(おれ、ファンだよ)が登場、その柔和な表情に驚く。
 「専決処分」を繰り返した時期がいかにしんどかったか想像できるなあ。
 橋下くんもだんだんと表情が険しくなっていくことだろう。
 叩いても叩いても増殖する公務員、ウジ虫のごとし。ましてや腐れきった大阪市幹部においてをや。
 穴蔵にて粛々と雑事の処理。
 午後、徒歩5分の阪急インターナショナルのティラウンジにて某イベントの打ち合わせ。
 石毛直道、古吟勲一、林信夫、高田公理、かんべむさし……といった顔ぶれから、だいたいの目的は、わかる人にはわかるであろう。
 辣腕プロデューサーが約2名いて、決断は早い。が、公式的な発表はまだだいぶ先になりそうな。
 ともかく最初の顔合わせだものなあ。
 帰館。
 粗食にてビール、シャブリ。
 早寝……は、しない方がいいか。ともかく、明日から播州龍野行き。適当に眠るつもりなり。

12月6日(火) 大阪→播州龍野
 朝の電車で播州龍野へ移動する。
 タイムマシン格納庫にて、相棒の某くんと作業。
 年末(期末)の棚卸である。
 もう年内に製品が動くことはほとんどなさそうなので、早めの決算準備、大掃除も兼ねる。
 夕刻にほぼ片づいた。
 肉体労働は心地よいねえ。
 ということで、シャワーの後、夜は寂しく一人鍋。
 寝る。

12月7日(水) 播州龍野
 播州龍野にて年末の雑事色々。
 そろそろ母の一周忌であり、その準備なども。
 昼前に懐かしくも珍しいボンクラサラリーマン時代の知人が播州龍野へやってきた。
 ちょっと遅めの紅葉狩りである。
 天気予報は曇天だったが、時々日も差す薄曇りで、暖かい。
 今年は暖かかったので、紅葉はまだほとんど残っている。
 龍野城跡〜脇坂家〜紅葉谷〜聚遠亭〜赤とんぼの碑〜霞城館〜醤油蔵の並ぶ通りなどを歩く。
  *
 聚遠亭の秋……。
 ついでに「堀家住宅」周辺も。
 ちょっと遅めのランチのために室津まで行く。
 播磨灘に沿ったシーサイドロードの紅葉もなかなかよろしい。
 ただし、龍野も室津も、なぜかレストランは軒並みに水曜が定休日で、「道の駅みつ」も「海宝」も休業。
 「堀市」で冷えたカキフライを食べるが、いまひとつであった。
 大阪へ帰る知人を網干まで送る。
 ということで、夜は本日もひとり寂しく、湯豆腐やシュウマイを並べてビール、「神の河」湯割り。
 播州龍野の夜は更けゆく……前に、そろそろ早寝するのである。

12月8日(木) 播州龍野→大阪
 わ、朝6時半に目覚めた。よく寝たものである。
 播州龍野の朝は暗く、小雨が降っている。昨日の紅葉見物は正解であった。
 昼間の電車で帰阪する。
 夜の食卓。
 おっ、ドロメではないか!
 
 と思ったら、専属料理人の実家方面から届いた駿河湾の「生しらす」であった。そう変わらんのだが。
 「しらす」は季節外れではないかといったら、結構獲れているらしく、静岡市内ではやたらセミが鳴いているのだとか。
 東海大地震の予兆なりや……などと余計な憶測はやめとこ。
 しかし、震災にはご注意を。
 他に、根野菜の揚げたのとかパスタ、サラダなどでビール、ワインを少しばかり。
 早寝するのである。

12月9日(金) 穴蔵
 ほぼ終日穴蔵。資料を読んで過ごす。
 午後に散歩をかねて梅田のヨドバシ往復。
 プリンターのインク・カートリッジを買うが、EPSONの6色パック、純正の方が300円ほど安いのはどういうことだ。

12月10日(土) 穴蔵
 ほぼ終日穴蔵。資料を読んで過ごす。
 本格的な寒さ……とはいえ室温は17℃、播州龍野なら春の陽気である。
 エアコンは未稼働。
 防寒着(というか、そのまま外出できる格好)で机に向かうのである。
 たちまち夕刻となった。
 粗食にてビール、「山崎」のロック。
 本日は皆既月食だが、午後から曇天、残念、断念だんねん。
 また資料を読みつつメモをとる。
 明日は上京……そろそろ眠らねば。

12月11日(日) 第32回日本SF大賞
 定刻午前4時に目覚める。
 昨夜は曇天と書いたが、夜は晴れて、深夜に皆既月食は鑑賞できたらしい。
 どうせ起きてられない時間だし、天文学的にはたいして意味のない現象だから、まあよろしかろう。
 朝ののぞみで上京する。
 
 東海道は日本晴れ。
 こんな日はいいことがあるに決まっている。
 午後に徳間書店の会議室で第32回日本SF大賞選考委員会。
 選考委員は、冲方丁・貴志祐介・豊田有恒・堀晃・宮部みゆき(50音順)である。
 去年もそうだったが、今年もまことになごやかで刺激的な会だった。
 基本的な評価は大きく変わらないのだが、解釈が多様で、特におれには「アニメ的解釈」がとても新鮮だった。  15時過ぎに「結論」が出て、みんなで池袋の「丸善ジュンク堂」へ移動する。
 今回から、4階の喫茶室で発表のセレモニーを行うことになったのである。
 日本SF評論賞の発表もあり、日本SF大賞とともに公式的発表となる。
 以下の通り。

 第32回日本SF大賞
 大賞 上田早夕里『華竜の宮』(早川書房)
 特別賞 横田順彌『近代日本奇想小説史 明治篇』(ピラールプレス)
 特別功労賞 故 小松左京氏

 第7回日本SF評論賞
 優秀賞 渡邊利道「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」
 選考委員特別賞 忍澤勉「『惑星ソラリス』理解のために−−『ソラリス』はどう伝わったのか」

 ニコニコ動画での中継もあり、13000人くらいのアクセスがあったらしい(「まどか」効果らしいが)。
 ヨコジュン、上田早夕里さん、両氏の作品は、ともにデビュー以前のを含めてほとんどを読んできた。
 それだけに、今回の受賞はともかく嬉しい。
 詳しくは、近日書く「選評」にて。
 それから、SF評論賞の忍澤勉さんは、創元SF短編賞で「堀晃賞」受賞の俊才である。
 評論と創作とをこなせる才気は期待させるところが大きい。
 セレモニーの終了間際に、ボンクラ息子その1がやってきた。
 「宮部みゆきさんに会えるぞ」とメールしたらすっ飛んできたのである。
 親父の凡作には見向きもせず、宮部ファンなのである。
 ということで、記念撮影をお願いする。
  *
 ボンクラ息子その1、べつにホストをやっとるのではありません。正業に就き、今年から配偶者もおるのです。
 「あんなに感じのいい人とは思わなかった」と感激しているのであった。
 ということで、最終ののぞみで帰阪するので、早めに失礼する。
 池袋のうなぎ屋で軽く一杯。
 21時頃に東京駅へ。
 ボンクラ息子その1がイータリーのグリッシーニをオカン(専属料理人のことね)へのみやげにくれ、ついでにおれには「新幹線でワインを飲むのだろうから」とイチヂクパンもつけてくれた。
 おれの好みをよくわかっているではないか。孝行息子と改めるべきか。
 ということで、東京駅構内で「自転車ラベル」のコノスル・ハーフボトル580円を購入する。
 
 最終のぞみでチビチビやりつつ帰阪する。
 と、小田原通過あたりでLEDの字幕ニュースで「日本SF大賞に上田早夕里さん『華龍の宮』……」とテロップが流れた。
 なんだかとても幸せな気分になる。
 やはりいい日であった。

12月12日(月) 青空/すぐき
 午前7時に起床。日付が変わっての就眠だから、こんなものか。
 朝食は抜き。
 近所の内科医院にて定期検診。血圧は良好であった。
 穴蔵にて雑事色々。
 昼前に自転車で青空書房へ行く。
 京都の友人Yさんが上賀茂特製の「すぐき」を持ってきてくれる。
 年末だなあと思うことあるよ。
 昼は玉一で焼肉定食。ビールも少しばかり。
 朝食抜きだったから、うまいなあ。ビールも回るなあ。
 帰館。1時間半ほど仮眠。
 夕刻、ハチに「すぐき」を届ける。
 Yさんがハチ用(ハチママ、大好物なのである)も持ってきてくれたのである。
 珍しくもハチママが店に来ていて、狂喜。食べ過ぎたらいかんぜよ。
 ということで、夜……専属料理人は地域の福祉なんたのグループの忘年会とかで出かけてしまう。
 ひとり晩酌。
  *
 昼がヘビィだったから「軽く」と伝えてたら、トヨウケの湯豆腐、イカ刺しなどに「すぐき」が用意してあった。
 軽くビールのあと、中本酒店推薦・新潟の辛口「吉乃川」の熱燗を愛用の備前焼き徳利で一献。
 ケニー・バロン師匠を聴きつつ。
 たまらんなあ。

12月13日(火) 穴蔵/日本橋
 わ、目覚めれば午前6時である。
 ふだんより2時間の寝過ごし。通勤のなくなった今は、この程度でちょうどいいのかな。
 穴蔵にて雑事色々。
 午後、日本橋へ行く。
 タイムマシンの周辺機器の調査。
 わがタイムマシン(くどいようだけど時速1時間の未来行専用機だからね)に使用のプリンターはセントロニクス規格なのだが、これがほとんど製造中止である。
 本体は堅牢(30年近く使用している例も)だが、プリンターがいかれることが多いので、ある程度在庫せねばならぬ。
 ネットでも調査ではほとんどなし。
 日本橋の数社で聞くが、タイの洪水で生産延期らしい。
 メーカーは明言してないものの、このまま生産終了ということもありそうな。
 あまりにも寿命の長いマシンを作るのも考えものだな。わが社の技術はすごいのだが。
 使用期限ギリギリのタイムマシンというアイデアを思いつくが、ボツか。
 必要あってUSBメモリーを購入。8Gのが880円。日本メーカーブランドだが「Made in Chaina」。品質管理を信じざるを得ない。
 それにしても、一生分の仕事が880円のメモリーに収納されてしまうのだなあ。
 などと愚考しつつ、恵比寿町から新世界へ。
 
 沢野工房前から見る通天閣。
 ヨーロピアン・ジャズとはちと雰囲気がちがうなあ。パリ左岸に見えないことはないけど、串カツ屋が近いし。
 ということで、ジャンジャン横丁で一杯はやらず、まっすぐ帰館。
 夜はビーフシチュー、サラダ・ブロッコリなど並べてビール、ワインを少しばかり。
 すぐきの葉っぱを混ぜ込んだピラフが泣かせるぜ。

12月14日(水) 穴蔵/キャンドルナイト
 終日穴蔵にて粛々と雑事の処理。
 立石泰則『さよなら! 僕らのソニー』(文春新書)を読む。
 名文句続出。「創業者精神は語り継がれても受け継がれない」「経営者の最大のメッセージは人事である」「抽象化とは形式知である。教科書をテキストにして経営する者は誰もいない」……もと「弊社」の役員に聞かせてやりたいねえ。
 「技術のソニー」が凋落していくプロセスが手に取るようにわかる。
 わが穴蔵にあるソニー製品は三つ。CDプレイヤーとラジオとテレビ。CDプレイヤーは15年ほど前に買って今も愛用している。ラジオ(ICF-EX5)は6年前に「朝ミラ」聴くために買ったもので、これも(昔のトランジスターラジオの雰囲気を継承していて)いい製品である。32インチの液晶テレビは今年(アナログ放送終了時に)買ったもので、国産でいちばん安かったからである。こんなに安くていいのかいなと思ったほど。赤字前提の投げ売りだったんだなあ。
 今ちょっとほしいなと思うのはデジカメだが、ソニーのは実質「コニカミノルタ」だから、対象外と考えるべき。エレクトロニクス・メーカーSONYは消滅してしまったのか……。
 夜。
 粗食で晩酌の後、ほろ酔い気分で茶屋町まで散歩。
 「1000000人のキャンドルナイト」を見に行く。
   *
 この夏は雨で気の毒であったが、本日は晴れ。
 20時からは周辺のビルが消灯して、なかなかの風情である。

12月15日(木) 穴蔵/LASSALE
 穴蔵にて粛々と雑用。
 午後、散歩のついでに梅田地下街まで行く。
 腕時計の竜頭がとれたので、電池交換や修理に利用している梅チカの時計屋へ行ってみたら、閉店していて、輸入アクセサリーの店に変わっていた。
 しかたなく、地下鉄で四ツ橋へ。SEIKOの「お客様相談窓口」へ持ち込む。
 腕時計は「LASSALE」というブランドで、おれが「デザインが気に入って」買った唯一の製品である。
 すでに製造中止になっていて、修理見積に1週間ほどかかるとか。
 分解掃除も含めると2万円以上かかるらしく、それなら「使い捨て」感覚で3〜4年ごとに買い換える方が賢明か。
 迷うところである。
 本日のニュース。
 長瀬産業が林原を買収、子会社化するという。
 業界ではちょっとした騒ぎではないか。
 ケミカル関係は仕事の縁がなくなって10年以上、仕事での知り合いもほとんどリタイアされているから、あれこれ聞くルートがなく、野次馬としては寂しい限りだ。


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