『マッドサイエンティストの手帳』328
●マッドサイエンティスト日記(2005年4月前半)
主な事件
・フラナガンの足跡(1日)
・かんべむさし氏『朝はミラクル!』スタート(4日)
・『ミリオンダラー・ベイビー』(5日)
・『失踪日記』(6日)
・播州龍野の日常(7日〜12日)
・穴蔵生活(13日〜)
4月1日(金) 穴蔵/梅田/フラナガン
ノド薬と咳止めを買う。
「咳止め専用」のような表示だが、「風邪薬と併用しないように」というから、広義の風邪薬なのであろう。
久しぶりにハチにも寄って、ここでデフランコ聴きながらクスリを飲む。
だいぶましになってきた。
午後、穴蔵に戻って、少しは仕事をしようかと思ったところに悪役ランプ氏からメール。
寺井尚之氏のジャズ講義をまとめた『The Artistry of Tommy Flanagan』がすごいぞという案内である。
中野氏のHPで見て、今度本町界隈へ行く時に「Over Seas」に寄ってみようと思っていたのだが、梅田のミムラにも置いてあることが判明。ここだと自転車で5分ほどである。
ということで、夕方、ミムラ往復。
で、夜、その『Tommy Flanagan』を読み始めたのだが、これがとんでもない解説書であることがわかってきた。
寺井尚之氏はトミー・フラナガンの「公認」弟子である。
副題は「トミー・フラナガンの足跡を辿る Vol.1」で、初レコーディングから名盤「OVER SEAS」まで、その残した録音を紹介しながら解説していく講座の記録。
これ、単なる解説ではなく、全曲、詳細な分析が行われている。
ぼくはフラナガンの熱心な聴き手ではないのだが、ともかく、繰り返し聴いているのは『サキソホン・コロサス』……まあ、名盤中の名盤ということで、今さら解説も……と一読、仰天、愕然、目からウロコがボロボロと落ちて掃除がたいへんなほどである。
特に「STRODE RODE」の分析には驚嘆した。
曲の構造が変則的ということで、それを図解して、各パートがどこでどう戸惑っているかを分析。いや、それどころか、一音一音から演奏者の瞬間的な心理状態と反応まで解明、さらに「クスリ」の効果まで推論……。
CDをかけながら再聴、再読、なるほどなあ。
「日本の評論家の先生は、おそらく誰も何もわかっていなかったのではないか」というのもむべなるかな。
分析はさらにつづく。
一箇所だけフラナガンが「きついコード」を押さえている箇所について、これはフラナガンの「怒りの刻印」なんだという。
なんとドラマティックな解釈!
こうした数多くの指摘を読んだ上で、やっぱりこれは名盤中の名盤。名演がより身近になった気がする。
『サキソホン・コロサス』だけで夜中になってしまった。
『OVER SAES』を聴くのが恐ろしくなってくるなあ。
いや、そこに至までに、フラナガンの音源を揃えて、時系列で聴くべきか。
時間と費用を考えると、罪な本であるなあ……。
4月2日(土) 穴蔵/日本橋/トラック殺人
午前中、穴蔵。
少しは仕事もするのであった。
体力回復傾向、ノド以外はほぼ普通に戻ったので、午後、地下鉄で難波へ。
難波〜恵美須町、往復。
久しぶりに日本橋を歩くが、昔からのなじみの店は激減。
結局、寄ったのは、タイムマシンの部品関係で、ナニワネジ、三重電業、シリコンハウス、南端ニノミヤの部品階(5階)くらい。
ディスクピアも品揃え貧困、梅田のミムラとワルティで十分というところ。
DVD店と食べ物屋ばかりが増えている。が、旨そうな店はなし。表通りに飲食店が増えて、トンカツの「こけし」が寂れたら、日本橋に来る理由はなくなってしまいそうな。
迷っていた某機種については、ヨドバシより安い店は皆無(置いてない店がほとんど)、ナンバに戻って、ビックカメラで調べたら、ヨドバシとポイント含めてまったく同額で、ともにいちばん安いのだから、何しに来たことやら。日本橋、壊滅近し。
で、梅田でヨドバシに寄るが、こちらは、どのレジにも長い列。行列の出来る家電店があるというのも驚異である。結局、必要な部品以外、何も買わずに帰宅。
6日ぶりにシャワーを浴びる。
2日ぶりにビール。やっぱり、おいしく感じない。
白ワイン。こちらはうまく、ノドにも抵抗がない。
専属料理人が作った春スパゲティ(というらしい。ホタルイカやプロッコリがドバドバ)でワイン。
ニュース。
仙台で派手なトラック殺人。
朝の商店街を4トントラックがブレーキかけずに突進。
ん、阿部重和の『シンセミア』に似た場面があったはず。渋谷のホコテンにダンプだったかな。
これに限らず、阿部重和には事件の先取りが多く、作家として乗っている証拠だ。
調べてみたら、作者本人がインタビューで、 「『シンセミア』は特にそうで、現実に起こった事件とシンクロするものが多かったですね。小説より事件の方が後のこともあれば、先のこともあるのですが、同時進行で起きているから、ニュースを見ながら書いているように思われるのがすごく嫌でした。」と述べている。
むろん、今回の犯人・大友誠治38歳が『シンセミア』を読んでいるとは思えない。
これは作家にとっては勲章である。
筒井さんがそうだもの。
四半世紀前の事件。
JR三宮のコンコースを、乗客を乗せたタクシーが走り抜ける事件があった。
よく死者がでなかったもの。
この時、運ちゃん「お客さん、わしといっしょに死んどくなはれ」といったとか。
むろん、この運ちゃん、『夜を走る』を読んでいたわけじゃないよ。
※後で教えてもらっただが、「仙台のトラック暴走、長編小説がヒント?」というニュースが配信されていた。むろん『シンセミア』のこと。
しかし、むろん、ヒントになったということはないはず。真似るならスカGで橋脚に激突のはず。
阿部重和作品と現実のシンクロというのは、線路にかがみ込んでの自殺とか、市会議員ハレンチ罪で逮捕とか、すぐ忘れてしまう(現実の事件を忘れてしまうように)種類のが多いと思う。
『シンセミア』を覚えていたのは、読んだのが2月ほど前で、芥川賞受賞作を読む前に読んでおいた方がいいだろうと、龍野図書館で借りて読んだもの。すみません。手元に本がないので確認できないが、小説はダンプで、宇田川なんとかを往復してデパートへ突っ込むのだったかな。二度轢いているし、仙台の4トントラックとでは印象はまるでちがう。
むしろ、三宮駅コンコースをタクシーが走り抜けた事件の年月日が思い出せないのが気になる。老化であるなあ。
4月3日(日) 穴蔵/ヨドバシ/中村誠一
どよ〜んとした日である。
昨夜ワインを飲んだら、やはりノドが腫れた感じ。
念のため、本日もクスリを飲むことにしたので、わがアタマもどよ〜ん。
10時の開店時間を待って、自転車でヨドバシへ。
明朝スタートのかんべむさし氏のOBC『朝はミラクル』に備えて、聴取環境の最終仕上げである。
じゃーん。
SONY ICF-EX5 を導入。
ラジオといえば、大手ではSONYかPanasonicだろうけど、わしゃ個人的に片方の不買運動継続中であるから、迷うことなしである。
10分後には穴蔵で試聴。
専用機はやはりクリアである。
というわけで、午後はAMを色々聴いて過ごすつもりが、競馬中継が多いんだなあ……。こんなことも初めて知った。
と……18時17分、とてつもなく大きな雷鳴が轟き渡った。
もう暗くなり、穴蔵の遮光カーテンは引いていたのだが、その隙間から閃光。
ただ、その光量は特別大きくは感じなかった。
約2秒ほどして雷鳴が轟いた。
何かが近所で倒壊したのではないかと思ったほど。
ベランダのガラス戸がビリビリガタガタと振動して、それが10秒以上……動転して正確には計っていないが20秒近く続くような気がする。
こんな場合、記憶はやや大げさになるとは思うが。
ともかく、雷鳴の大きさだけは、60年の生涯でも最大規模と思う。
「本宅」にいた専属料理人も似たような感想であった。
しばらくして雨。
ニュースを見たが、特に報道はない。
福岡の落雷の方が被害が大きかったからか。
震源地というか、放電地点はどのあたりだったのか。
(局所的な雷で、ニュースにみならんのだろうと思ってたら、喜多哲士さんがぼやき日記に、やはりこの雷が凄かったことを書かれている。
わが穴蔵との位置関係からすると、雷の中心は北区と都島区の境界あたり……旧・かめくんの生息地あたりだったのだろうか。
いや、久々の電撃であった。)
クスリの副作用で、ビール飲む気がしない。
ごく普通に健全な夕食。
夜は「セッション505」、久しぶりに中村誠一登場。
中村誠一・ボノボランド。ワンホーンの正統派ワンホーン・カルテット。
スタンダード中心だが、アレンジは粋(妙に「斬新」にせず、小粋であるところがいい)、「All of Me」とか「小さな花」(これをテナーで吹くところがいい)、それに続けて「Impression」という並べ方が嬉しくなるねえ。
快演である。
……と、本日も夜更かししてしまった。飲んでないから、眠れそうにないなあ。
明日から、かんべむさし氏は、おれと同じ午前4時起きだそうである。
おれもつき合って、そろそろ就眠。
4月4日(月)穴蔵/朝ミラ
終日穴蔵。
6時50分から『朝はミラクル!』
あとは終日穴蔵。
風邪系のクスリは昨日をもっていっさい終了とする。
午後は快晴となるが、念のため本日は外出せず。
AMの受信環境の最終整備。
結局、机の前(窓際)には AIWA の古いミニコンポに TimeDomain mini のスピーカーをつないだのを設置。
AIWAのミニコンポ(スピーカー以外)はカセットテープの音源をMDに移すためだけに残していたのだが、AMレシーバーとしては、これがいちばん優秀であることが判明。AIWA恐るべし。
ふだん使用のミニコンポはリビングに移し、SONY ICF-EX5 は播州龍野へ持っていくのである。
夜、久しぶりにビール痛飲。
※その『朝はミラクル!』初日を聴いて
ということで、さきほど、本日スタートした『朝はミラクル』の初日を聴き終えました。
かんべむさしさん、「緊張気味」といいつつ、なかなか堂に入ったもの。
初日だけに、祝メールが賑やかであるなあ。
小松左京親分をはじめ、石毛直道センセ、小山修三センセ、松枝師匠、小佐田定雄はん、飛べクマさん……その他、SFや落語の知り合い多数で、なんだかサンケイホールのあとで宴会やっているような雰囲気。
日替わりテーマが「応援」だったが、わかっていたらおれも少し工夫したのであるが。
ちなみに、明日4/5のお題は「花見」
たぶんOBCのHP、『朝はミラクル』にも告知されるはず。
あまりウケ狙いのメールが増えると、『朝は題なし』になってしまうか。
それもいいと思うがなあ。
ま、おれの場合、9時から仕事ということにすれば、区切りのいい番組になりそう。
4月5日(火)穴蔵/ミリオンダラー・ベイビー
桜が開花しはじめている……らしい。
このところ外出しとらんからなあ。
晴れて春漸く酣なり、と荷風調にいいたくなる天気である。
終日穴蔵。
少しは仕事もするのであった。
日没後に這い出て梅田ピカデリーへ。
『ミリオンダラー・ベイビー』の試写会に行く。
19:20〜21:40。
佳作と思う。
詳しくは……これから観る人の感興を殺いではいけないので、書くとしても公開2月後くらいにしよう。が、たぶん客観的な評価はできないと思う。
おかしなことになってしまったからである。
試写に先立って、名前は忘れたが「案内役」とかいう人が映画の見所を紹介した。
試写に先立つ「ご案内」自体、余計なことと思うが、その中の「一言」がひっかかってしまって、最後まで頭から離れず、見終わって、なんだこれは……となってしまったのである。
まったく余計な一言で、これは明らかに勘違いしていると思う。
したがって、この「一言」がどんなことかは紹介しない。(たとえば、まったく関係ないジャンルに置き換えるが、「コロンボ」を観る前に「この映画には斬新な『叙述トリック』が隠されています」なんて紹介されたら戸惑うでしょ? そんな勘違い)
そういう事情で、この映画、へんな先入観抜きで素直に楽しむ機会は失われてしまった。
試写会にはi-podを持っていくべきだな。
4月6日(水) 穴蔵/十三/失踪日記
定刻午前4時起床。
体調、快復したようである。
朝刊を見たら、読売棒振団が開幕4連敗で47年ぶりの記録だとか。
へえ〜と思うが、何の感興も湧かない。
プロ野球、開幕してたのか、というのが正直な感想。
このところ、体調その他の事情から、新聞をろくに読んでなかったこともある。
スポーツ面は読み飛ばし。
が、ともかく、昨年の7月7日以来、おれは完全にプロ野球への興味喪失、ナベツネが失脚しようが堤が逮捕されようが、まったく興味は復活しない。こんなヤクザまがいの連中にたぶらかされてたのかという気分である。
パの復興とかプロ野球の再生とか、もうないと思うぞ。
6:50〜かんべむさし氏の『朝はミラクル!』を聴きながらアタマを使わない雑用など。
かんべさん、かなり慣れてきた感じ。
この番組、色々なコーナーがあって、まあ雑用やりながらにはいいのだけど、なぜか『武田鉄也』が出てくる時間帯があって(ここだけ別番組なんだろうね)、ここで番組がプッツーンと切れる。なんで朝からこんな暑苦しい男のしゃべりを聴かにゃならんのよ。と、ここで一度ラジオを切るのだが、本日、あと、つけわすれてしまった。
キッチュ(松尾貴史)じゃないけど、「タケダはここまで来ているんですよ」といいたくなるね。
「本宅」で聴いていた専属料理人も、ここで戸惑ってしまうらしい。
タケダテツヤ、恐るべし。
少しは仕事も……のつもりが、昨夜ツタヤでやっと見つけた、吾妻ひでお『失踪日記』(3刷である)を読んだら、あまりの衝撃に、仕事など手につかなくなってしまった。
天才、復活、健在である。
81年夏だったか、SF大会の時、天才吾妻センセイはわが家に遊びにこられたことがある。
記念写真があるはずだが、出てこない。
そのうち探し出して自慢することにしよう。
午後、自転車で十三へ。
途中、八分先の桜などスナップ。
『丹波』できさらぎ漬を購入……龍野の老母用である。
ということで、明日からまたしばらく、播州龍野行きである。
4月7日(木)穴蔵→播州龍野
定刻4時起床。播州龍野行きの用意。ラジオSONY ICF-EX5、仕事の資料どっさり、食材など、けっこう多くて重い。
しかも5時30分に出たら小雨である。
半分寝ながら播州龍野へ移動。
移動とかんべさんの「朝ミラ」が同じ時間帯なので、本日は聴けない。
ちょうど「朝ミラ」が終わる頃に実家着。
さっそくラジオのチェック。ラジオ大阪は大阪北区豊崎の穴蔵よりもはるかに鮮明である。ICF-EX5、恐るべし。
龍野の桜はまだ五分咲き。
薄着で来たが、ちと肌寒い。
見張り役、兄と交替の後、雑用色々。
……こんな調子で、早朝からブログにほぼ3時間ごとに追記スタイルで「中継型」書き込みを試みていたのだが、夕食後、20時過ぎにアップしたら、とつぜん文字化け。
原因不明。酔っぱらっていたからとは思えない。(そんなことはしょっちゅうあるもの)
何度かやり直したが直らず。いったん削除。
というわけで、これは4月9日に再アップ。
いずれにしても、ダラダラと書いているだけで、たいした内容はありません。
4月8日(金) 播州龍野の日常
定刻4時に起床、ちょうど朝刊が届く。
暖かく、ストーブをつける必要はなくなった。(今シーズン、まだわからんけど)
7時、ラジオ大阪「朝ミラ」の受信状況、まあ正常である。
パソコンを起動するとノイズが大きく、これがいちばんの障害である。
雑用、ちょっとは仕事、午後晴れてきたので、自転車で揖保川〜旧市街など写真を撮りに行く。
堀家(うちではないが)前の桜もまだ七分咲きといったところ。
帰ってきて、書斎からボケーと庭を眺めるに、倉庫の屋根の向こうに椿の木の先端が見え、これがいちばん風情がある。
ということで、例によって、まだ明るいうちに夕食。
田舎の夜は早い。
深夜というか明朝2:30頃からテレビでフェリーニの『81/2』があるので、ともかく早寝するのである。
4月9日(土) 播州龍野の日常
0時に目が覚め、小便に行く。
2:30に目が覚める。が、フェリーニ『8 1/2』は2:20に放映開始、最初の悪夢的場面はもう終わっている。
ふて寝。
4時前に朝刊届く。
びっくりしたのがサンヨーの会長っつのかCEOっのか、そんなのに野中ともよ就任!!!
これは……「背水の陣」というより「破局法」ではないか。
よくも就任するものよ。
ま、わが同級生は、年齢からいって、もうほとんどいないだろうが、屈辱ものだろうなあ。「製造業」であり「関西」であり、しかも優秀な技術系社員が多い会社だ。
おれには関係ない会社のことだから、どうこういうことではないんだけどね。
「野中ともよ」は「内藤陳」に似ている。
顔が似ていると、やることも似てくる。
たとえば、チンカス三百代言の五十嵐敬喜と一家皆殺しで死刑になった○○○○○が「禿げ方」そっくりなように。……ったく、その残虐性、そっくりだぜ。なあ、五十嵐。
ハードボイルドになるぞ。
※帰阪後、新聞記事をまとめ読み。
野中ともよの就任、どうも「若ボン」を社長にするための隠れ蓑的起用みたい。
「困難な時期に私なんかにまかせて大丈夫か、と従業員が(ママ)危機感を持って貰うことが私の就任理由です」とは。
危機感と不安の区別がついてない。
従業員もたまったものじゃないね。
危機感をあおるならアホの坂田を起用する方がいいと思いまっせ。
7時前、ラジオをつけて戸惑う。
あ、本日は土曜日、かんべくんの番組はお休みなのであった。
晴。
天気予報では、本日が最高の花見日和という。
0時頃に老母と歩いて「堀家」の門前で花見。
昨日の写真と比較されよ。ぐっときれいになった。
午後は、旧市街から龍野公園散策。人出多し。年寄りばかり。
絵はがき的写真を撮る。
あと、ぶらぶら歩いて、北龍野の「龍野市水源地」へ。
ここは観光客も地元の人間もほとんど来ない。
門が開いていたので、勝手に入って撮影。
大阪の柴島浄水場はじめ、水道関係の場所の桜は贅沢なものだ。
ということで、本日も早晩酌、早寝である。
4月10日(日) 播州龍野の日常
雨という予報であったが、夕刻まで花曇り、暖かく、午後は薄日も射す。
が、花見で浮かれる気分にもならず。
またもご近所の訃報。
手伝いには行かなくてもいいらしいが、田舎では葬式は最大のイベント。なにかとややこしいことである。
少しは仕事も……のつもりが、雑件断続的に入り落ち着かず。
4月11日(月) 播州龍野の日常
明け方に雨はあがり、薄日も射す。
朝から町内放送喧し。昨日に続いてまたも葬儀発生、今度はより「ご近所」で、いわゆる「隣保」という区域。おれは住民ではないから義務はないのだが、そこはそれ長年の習慣というものがあるし、老母が「わたしの番が来たら、やっぱり手伝ってもらうことになるから」と、ま、まったく関係なしではすまされない。
丸山健二くらい徹底して近所づきあいを拒否したいところだが、「村八分」の「残り二分」のひとつであるからなあ。
ということで、少しは仕事もしつつ、断続的に雑用。
ややこしいことである。
幸い、ご近所の場合は「雑用係」として参加するのであり、受付・記帳の係でなければ礼服着用の必要がないことも判明、これはかえってありがたいのであった。
ジーンズというわけにはいきまへんが。
本日は通夜。コソコソと行き、門の横にたたずみ、コソコソと帰る。
4月12日(火) 播州龍野→大阪
小雨である。細雨烟のごとし。葬式日和である。
ご近所の告別式。普段着でコソコソ行ってコソコソ帰ってくる。
老母「年下の人の葬式に行くのは歓迎されないらしい」とかで、出棺の時のみ見送りに行く。
肌寒く、しばらくストーブ点灯。
少しは仕事もするのであった。
午後、タイムマシン倉庫にインドネシア関係の来客。華僑であり、中国関係の事情を色々聞く。
わしら(というのがどんなメンバーかは伏せるが)は天安門事件以降、中国とのビジネスについて、どんなおいしいそうな話があっても断ってきたが、やはり正解であろう。
夕刻の電車で帰阪。
姫新線の「一番槍」男(別項で書く)……困ったものだ。
席取り合戦が嫌なので、空いている山陽電車・阪神梅田行き特急に乗る。
甲子園、雨中のナイター、阪神〜読売戦らしい。21時前であるが、帰ってくる人もいる。大勢は決しているようである。
4月13日(水) 穴蔵
朝4時に起きるが、体力いまひとつ。
雑用が溜まっているのだが、片づける気力がわいてこない。
龍野から戻った翌日はいつもこうなる。
ほぼ終日穴蔵。
銀行業務の終わる寸前、14時半頃に自転車で梅田へ。
ついでにハチにも寄る。
ハチママ「これから歯医者へ行って親知らずを抜く」のだと浮かぬ顔である。
しばらくはこの話ばかり聞かされることになるなあ。
また穴蔵に戻り、結局生産的なことは何もしない一日であった。
4月14日(木) 穴蔵
定刻前、3時過ぎに目が覚めてしまった。
昨日さぼって遅れてしまった原稿のことがアタマにあって、夢の中では進行しているのに、目が覚めたら、何もできていない。
忘れないうちに備忘のメモ。
まだ調子が戻らないなあ……。
かんべさんの「朝ミラ」を聴いたあと、ぼちぼちと進める。それほど大げさにいうほどの仕事ではないのだが。
と、10時過ぎて、急に調子が出てきた。
パソコンの前を離れて気分が変わるのが嫌で、専属料理人に電話して、昼はおにぎりを穴蔵まで運んでもらう。おれとしては珍しいことである。
夕刻前に終了。
天気がいいので、散歩を兼ねて梅田へ。
『The Artistry of Tommy Flanagan』の感想をブログに書いたら、寺井尚之さんご本人からコメントをいただいた。そんなこともあったので、本を買った「ジャズの専門店ミムラ」に寄って、三村さんに挨拶。
時々覗いていたのだが、照れくさくて名乗ったことがなかったのだ。しゃべっていたら、ジャズ関係・落語関係で共通の知人が色々出てくる。まあ、関西は狭いからなあ。
ということで、フラナガンの音源コレクションは泥沼に入りそうでなので、今のところ、代表的なCDにとどめることにして、クラリネットでチャック・ホッジスの『TRIBUTE TO HAMP / DUANE THAMM and the CHUCK HEDGES SWINGTET』を購入。
夜は専属料理人に数皿並べてもらって(野菜が多いのには閉口するが、しかたないか)ビールを飲みながら、ホッジス、フラナガンの『スピーク・ロウ』など。
さあ、また明日は播州龍野行きである。
4月15日(金) 早朝グルメ/播州龍野へ移動
3時に目が覚める。
暖かくなったので、久しぶりに自転車で早朝散歩に出かける。
と、豊崎交差点に警官3人。呼び止められて「自転車の検問」……こんな時間に自転車でウロウロするのは20年近い習慣であるが、検問は初めてである。
若い警官で、懐中電灯で防犯マークの確認、携帯でどこかへ照会している。新入り警官の「研修」の雰囲気。「どちらへおでかけですか」などと、ずいぶん丁寧な質問である。
デジカメを見せて「中之島公園で日の出の写真を撮るねん」
ちょうど照会終わり、問題なしの回答があったらしい。「いい趣味お持ちですね、お気をつけて」と、えらい低姿勢。
おれが走りかけたところ、背後で大声。
「遅刻したらどないすんねん!」と叫ぶ茶髪の兄ちゃんと揉め始めた。写真撮ろうかと迷ったが、騒ぎを大きくしてはまずいのでやめる。しばらく見物。盗難車ではないらしいが、兄ちゃん、えらい剣幕でくってかかっている。
……こういう手合いに鍛えられて、だんだん尊大なポリに成長していくんだろうなあ。
扇町公園抜けて、久しぶりに「ひろや」へ。
今年初めてか。
「早朝グルメ」も、しばらく来ないと営業形態が変わっていたりする。時々チェックする必要があるし、新しい店も開拓しなければなあ。
と、ドヤドヤときた若いのが数人。元気な連中だが、なんと「大メシ」でビールを飲み始めた。
左端のは、そのうち「大メシ」おかわり。横の兄ちゃんから豚カツ2切れほどもらったようだけど、メインは醤油メシである。
ま、おれはこんな連中、嫌いではないんだけどね。「お疲れさま」といいながら飲み始めてたし。
帰路……本庄にあった「許永中の資金源」であったパチンコ屋が取り壊されて更地になっている。しばらく来ないうちに、街の景観も変化しているなあ。何ができるのやら。
ということで、夜明け前に帰館。
早朝の電車で、播州龍野へ移動。
モグラ被害について、工務店と工事の打ち合わせ。
「畦道」の下にモグラが穴を掘り、そこが踏まれて崩れ、畦道がいつの間にか「低く広く」なっているのだと、ご近所からの指摘である。
このままだと、それが「公道」になってしまいかねないのだとか。
土地にさほどの執着はないものの、次の段階として、「公道の延長」部分として、ウチ(実家)の塀が出過ぎているなんてことになりかねない……のだとか。
確かに現場を見ると、おれの子供の頃の記憶(自転車では絶対に走れなかった)より倍くらいの幅になっている。舗装はされてないし、クルマは通らないから、犬の散歩や通園にはいいらしい。
ややこしいことであるなあ。
おれはエゴむき出しの交渉は苦手だから、寄付してしまえばいいと思うが、その結果、家を削れとなると困るのである。
地権者(老母)には長生きしてもらわねば……と、夜は健康食(つまり粗食)を作るのであった。
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