『マッドサイエンティストの手帳』424
●マッドサイエンティスト日記(2008年3月後半)
主な事件
・小山彰太ライブ(18日)
・クラークの訃報(19日)
・グリーン交響楽団/ラスカルズ(22日)
・創サポ講義(29日)
3月16日(日) 穴蔵/ワイルドバンチ
日曜なのであった。
本日は仕事はしないのであった。
午前中、色々とたまっている本を読む。
午後、自転車で天六のワイルドバンチへ。
ここを拠点に発足した「天満ジャズ倶楽部」の例会である。
今日が3回目だが、今まで都合がつかず、今回はじめての参加。
マスターの庄内さん、常連のSさん、デザイナーのakiraさんが発起人となってのジャズ・サロン。
予約不要・会費500円1ドリンク付・途中の出退席自由という気楽な方式がいい。
要するに午後3時間ほどのジャズ・サロンの雰囲気である。
参加者十数人、たぶん20人未満。
1部は矢木さんによるマイルスの特集で、代表曲を数バージョン、編曲の差、ミュートの有無、共演者の違い、スタジオとライブなどの違いを検証するかたちで聴き分ける企画。
初めて聴く非公式ライブ録音盤?が色々出てきて面白かった。
2部はSさんによる「ジャズの楽しみ方」色々で、駅売り千円で発掘したDVDとか、春の曲とか、土着ジャズとか、さらに面白い切り口が用意されていたようだが時間切れとなった。
参加者が気に入りのCDを持ってきてもいいコーナーもあり、次はおれも何か持って行こう。
「ぼくの昭和ジャズ喫茶」の著者・高瀬進さんも来られていてご挨拶。今まで会ってないのが不思議……たぶんどこかで何度か同席していたはずの方である。
ということで、次はたぶん4月20日。大阪にいれば必ず参加のつもりである。
帰館。
夜は専属料理人がピザを焼く。
これでワイン飲みつつ、ハイビジョンで『赤塚不二夫なのだ!!』を見るのだ。
久しぶりに長谷邦夫さんを見た。懐かしいのだ。
周囲の皆さんはお元気そうで、それが救いなのだ。
そろそろ寝るのだ。
3月17日(月) 穴蔵/ハチ
春である。
終日穴蔵……のつもりだったが、昼、ハチまで散歩、ランチ。
ハチ・バンドのフルート・佐藤くんがいて、先週末の土曜日にハチで「厄明け」ライブ、大盛況だったという。
ええ、もう厄年を過ぎたのか。まだ20代の印象だったのに。
この間ライブを聴いたと思ってたら、なんと6年前であったのだ。
月日の経つのは早いものよ。
ということで、帰館して仕事のつづき。
夕刻、デフランコの『GROOVIN'』をCD-R化。1日1枚である。
夕食時、専属料理人に色々並べてもらって、ビール飲みながらこれを聴く。
「Anthropology」が素晴らしい。
寝る。
3月18日(火) 穴蔵/ワイルドバンチ
終日穴蔵。
少しは仕事もしなければならないのだが、あまりはかどらないのであった。
合間に『Art Tatum & Buddy DeFranco』をCD-R化。
夜、自転車でワイルドバンチへ。
「Reunion」――小山彰太(ds)登敬三(ts)デュオである。
小山さん、短い休憩はさんで2ステージ、2時間以上叩きつづけ。森山さんといい小山さんといい、衰えを知らない感じだ。
テナーとのデュオで、徹底したフリーフォームかと思っていたら、全8曲、板橋さんの曲や「円周率」も。意外に端正な曲もあって、あっという間の印象であった。
終演後、大きなテーブル囲んでウチアゲ。
本日までがデュオのツアー、明日から2日間、小山さんは四国(香川)でソロがあるという。
青春18期間だから、讃岐うどんツアー兼ねて付いていこうかと迷うが、明日が某修繕委員会という野暮用があるからなあ……。
ということで、深夜、酒気帯び自転車で無事帰館。
3月19日(水) 巨星墜つ
雨であり、終日穴蔵で仕事……のつもりであった。
昼前に某紙の記者から電話、未明にアーサー・C・クラークが死去という。
巨星墜つ。
この言葉をおれは生涯に3回しか使わないつもりである。
1回目は2006年3月28日レムの訃報を聞いた時であった。
2回目がこんなに早いとは。年齢からすれば、そして体調について仄聞していたことから、びっくりはしないが……。
おれは14歳の時にSFマガジン創刊号で「太陽系最後の日」を読んでSFに夢中になった。
以後、半世紀近くその熱は下がらず、ずっとクラークを師と仰いできた。
わがデビュー作「イカルスの翼」もクラーク師の「イカルスの夏」とのアイデア類似という奇妙な因縁があり(イカルスの本影に入れば太陽に最接近できるという着想が「未来のプロフーィル」に出てくるが、おれが書いたのは翻訳される3年ほど前であった)、この2篇が「宇宙塵」に並べて掲載されたことがデビューの契機になっている。
クラーク師に会ったのは生涯で1度だけ。1970年の国際SFシンポジウムの時であった。
クラーク師52歳、おれは26歳であった。
この時、むろんクラークは世界最高のSF作家であったが、一般に知られる(国民作家ならぬ「人類作家」と評価される)のは、『2001年宇宙の旅』以降で、50歳過ぎてからということになるのか。
『楽園の泉』を書いたのが62歳、ほぼ今のおれの年齢の時。一度引退しかけたが、『3001年終局の旅』は80歳前後かな。
70代でも書き続けたわけだから、少しは見習わなければ……。
ともかく、師には「感謝」しかない。
……終日、半ば放心したような気分で、あれこれ読んだりしながら過ごす。
で、3番目の「巨星」。
おれは3回目を使うのは嫌である。
これを回避する方法はないではない。
米朝師匠に例えれば、おれが歌之助になる。吉朝はヨコジュンかかんべか?
いや、不謹慎なことは考えない方がいいか。
浮き世の義理で夜は某修繕委員会。
遅い晩酌時に西の方向にグラスを掲げ、感謝と追悼の意を表してからビールをいただく。
3月20日(木) 穴蔵/ウロウロ
雨である。祝日であり、修繕工事も休み。
静かなので終日穴蔵にて仕事……のつもりであったが、FAX用紙が切れて慌てる。
昼前に雨あがり、ヨドバシへ行くついでに、専属料理人と梅田ウロウロ。昼飯のあと、買い物のお供、要するにポーター役である。
帰館後、CDでしばらく『栄光の上方漫才』を拾い聴き。
このボックス、外観からは中身がわからず、本屋で判定できないとかんべむさしさんがフリーメモでボヤいてはるが、確かに上方漫才が網羅してあると思ったら肩すかしになりそうな。
朝日放送の公開録音から収録したもので、CD10枚15組。10枚中、ダイラケ2枚8篇、ヤスキヨ2枚8編、Wヤング2枚10篇となればその偏向ぶりがわかろうというもの。いとこいさんはなし。過去に他から色々出ているものも考えれば「Wヤング2枚10篇」が貴重で、これに19800円払うかどうかが運命の分かれ道というところかな。
10話連続で聴くのはしんどいので全部聴いてないけど、Wヤングのうまさ再認識。
昼が重かったので夜は軽く。
カツオのタタキ、エビグラタン、サラダでビール、ワイン。
ワイン飲みつつ、NHKハイビジョン放送で『昭和を笑わせた男たち』を見る。
松尾貴史とグッチ祐三がなんとかお笑いスクール?の生徒数十人を集めて「講義」する形式で、この客席の空気が「どす黒く」ていただけない。落語会にオチ研が並ぶよりも雰囲気が悪い。普通のファンを並べるべきだ。
内容は『日本の喜劇人』の上っ面をなぞった程度でごく浅く、古い映像に期待したが断片的で、NHKに期待したものではなかった。
……とボヤきつつ、2時間半、最後まで見てしまったけど。
念のため、取り上げられたのは、トニー谷、人生幸朗・生恵幸子、林家三平、桂枝雀、川田晴久、エンタツ・アチャコ、由利徹、藤山寛美の8組。
「生徒」で寛美を知っているか?に挙手20%くらいというのが恐ろしい。お笑い志望者といってもバラエティ番組を目指しているんだろうからなあ。
灘康次とモダンカンカンによる「あきれたぼういず」再現が面白かった程度である。
3月21日(金) 穴蔵/ウロウロ
春である。
暑さ寒さも胃ガンまで。20年前には太融寺で歌やんの「やけくそ5日間」なんかがあった季節であるなあ。
終日穴蔵にて仕事……のつもりであったが(こればっかりだな)、昼、歩いて梅田へ。
旧「NULL」時代からつき合いのあるSさんとランチ。
クラークの死亡記事を見ておれを思い出したと、電話してきてくれたのである。
クラーク効果、色々なところに波及している。
天ざるで軽くビール。
あと、阪急グランドビル30階でコーヒー。
いっしょにここへ来たのが1年半ほど前だったことを思い出す。つい先月だったような気がする。
旧NULL時代から40年以上……えらいところまで来たものである。
大阪駅の工事現場が見渡せる。
半年に1度くらい来ると面白そうだ。
あと、日本橋へ行き、タイムマシンの部品など探す。
天気がよく、くしゃみも鼻水も出ない。
花粉症については免疫体質になったのであろうか。
3月22日(土) 穴蔵/グリーン交響楽団/ラスカルズ
穴蔵にて粛々と雑事の処理。
午後、森之宮のピロティホールへ。
みどり会主催のグリーンコンサート。
男声合唱眼の途中から聴き、あとグリーン交響楽団の「くるみ割り人形」全曲を聴く。
おれもたまにはこういうのも聴くのである。
最後はオーケストラ伴奏で「上を向いて歩こう」大合唱。
梅田へ移動。
播州龍野方面から移動してきた兄と合流。
ヤキトリ屋で軽くビールを飲んだあと、ニューサントリーファイブへ。
ニューオリンズ・ラスカルズの出演日である。
知り合い多く、1stステージから満員の大盛況。
トランペットでピンカラさんとNOグローリーランド・ジャズバンドの松永さん、クラリネットでの冨家良平さん、小林さんが来ていて、セッションもあり。
小林・冨家・河合氏による3clセッション。
後進を育成しようという河合さんの姿勢が現れている。
最終ステージまで。あっという間である。
大阪泊・明日は横浜に帰る兄と別れて、深夜帰館。
3月23日(日) 穴蔵
うへ、朝7時半まで8時間熟睡である。
やや二日酔いである。
朝食後、また寝る。
昼前に起きて、あとは終日穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
夕刻、郵便物投函に道を渡ったポストまで。
と、ウチの隣のビルのホール(ロビー)でライブをやっている。
小田純平ライブという貼り紙あり。
ギター弾きながら歌ってはる。顔はド演歌系だが……。
すぐ近所なのに、地下鉄の駅とは反対方向なので、ここがTエンターテインメントスクールなる「芸能学校」とはまったく知らなかった。
「殺陣」の講座もあるみたいで、「斬られ役」を学んでみたい気もするが、もう体がついていかないだろうなあ。
3月24日(月) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
これからしばらく田舎生活となる。
下男(おとこし)仕事に加えて、銀行、市役所、さらにまるさん自動車へ行って保険の手続きなど、雑事が多い。清さんを見かけたが忙しそうなので話はしなかった。
少しは仕事もしなければいかんのだが、どうしても小刻みになってしまうなあ。
夕刻近い時間に1時間ほど揖保川沿いに散歩。
定点写真を撮る場所のひとつ。新芽が出て、もうすっかり春である。
田舎の夜は早く、18時過ぎに老母につきあって晩酌。
早寝するのである。
暖かくなってきたら、早朝に集中して仕事というパターンに入れそうである。
3月25日(火) 播州龍野の日常
ここ数年、老母は、補聴器とか眼鏡とか時には杖まで、どこに置いたか忘れることが多くなった。
本日は朝から眼鏡がないという。
過去の経験から、ありそうな場所をチェックするが発見できず。
つい先日、親戚の法要に出かけたので、そちらに忘れたのか、移動のクルマの中で落としたのか、各方面に電話で問い合わせ。
結局、自宅の思いがけない場所で発見できたのだが、そうなるとお詫びと連絡の電話など、朝から2時間、ややこしいことである。
「失せ物探し」ミステリーのアイデアをひとつ得たと考えるべきか。SFにできるかどうか、ま、引き出しに入れておくことにしよう。
暖かくなった。
啓蟄はとっくに過ぎている。
こうなるとややこしいS字型変形動物を警戒しなければならない。
ホームセンターへ行って、昨年と同じ「忌避剤」を5袋買ってくる。
商品名は「天然虫除け粉」。庭に盛大に散布。
昨年は不運にも2、3度見かけてしまったが、忌避剤を撒いてからは見ずにすんだ。
早めに防御しておくに限る。
今シーズン、あと3、4回は散布せねばなるまい。年間予算1万円。SF作家クラブの会費と同じか。安いものである。困窮すればSF作家クラブを退会すればいいわけだし。ははは。
ということで、早寝するのである。
3月26日(水) 播州龍野の日常
定刻午前4時起床、少しは仕事もするつもりで机に向かう。
窓からの眺め。薄明のなか、木蓮が白く浮かんでいるのであった。
6時過ぎ、大阪では受信しにくいラジオ大阪を聴く。
毎朝6時過ぎに、ピアノ伴奏で朗読される「小説」がある。山本伸一という青年の情熱と行動が感動的で、一日の元気をいただく。素晴らしい青年なのだ。
それに較べ、山本伸一青年のあとに登場するかんべむさしくんの軽いこと。
むさしくん、伸一を見習いたまえ……なんていっても、フィクションの主人公を見習うのは無理な話か。
夜明けが早いと老母の起床も早くなる。
6時半から下男仕事色々。
午後はタイムマシン格納庫にて半日組立作業。室温25℃で、ちと汗をかく。
夕刻、食材の買い物に行く。
おおっ「盛岡冷麺」があるではないか。
ということで、夜は老母の夕食につきあって、冷ややっこ・その他小鉢で軽くビール。
老母が就眠してから、おれも入浴・洗髪。
湯上がりで、キムチドバドバ・トマト・ハム・カイワレぶち込みの盛岡冷麺を作って「神の河」水割りでダレヤメ。たまらんなあ。
早寝するのである。
3月27日(木) 播州龍野の日常
春は曙。
老母の起床時間だだんだん早くなり、6時過ぎに起床したらしき気配。
ラジオ大阪では山本伸一という「架空の人物」(←あくまでもフィクション。現実にはいるはずもない。それゆえに、おれはちょっと憧れるねえ。笛吹童子とかスーパーマンに憧れたようなものか。)が活動している最中だが、朝食の用意にかからねばならぬ。
相変わらずの下男仕事の合間にタイムマシン格納庫で組立作業。
さらにその合間にタイムドメインの加工を行う。
タイムマシン格納庫でタイムドメインとはこれいかに。
龍野ではもっぱら愛用の「TIMEDOMAIN mini」にSONYの携帯CDプレーヤーをつないで聴いている。
書斎で聴いている分にはいいのだが、夜、一杯飲みながらとなると、このセットを階下の居間まで移さねばならない。これが意外に面倒なのである。
ケーブル類が多く、さらにAC電源アダプターが2個あり、ケーブルがもつれたり、煩雑である。
これをひとつにまとめることにした。
要するにパレット上に木材組み合わせて、スピーカー、プレーヤー、電源、ケーブルを半固定して、ラジカセ感覚で持ち運べるようにしたのである。
材料費420円。
木工作業は久しぶりだが、まあまあの出来映えである。
ということで、夜は老母が寝てから、またもキムチ系で「神の河」飲みつつ、デフランコ、トミ・フラ師匠、渋いところでジミー・ヌーン。
福田康夫が記者会見したり、桑田が引退表明したり、ゴジラが結婚宣言したり、ややこしい日である。
ま、明日にでもゆっくり考えよう。
だいぶ夜更かししてしまった。といっても22時前だけど。田舎の夜は早い。
3月28日(金) 播州龍野の日常
下男仕事の合間に少しは仕事もするのであった。
春なのに気分は梅雨空のごとく。
田舎ストレスである。
早寝。明日は帰阪することに。
3月29日(土) 播州龍野→大阪/創サポ
午前中、慌ただしく下男(おとこし)仕事。
午後の電車で大阪へ移動する。
夕刻、天満橋へ。
土佐堀川に水上バスなどの「八軒家浜」乗船場が本日オープン。午前中に「開港式」があったらしい。
25分間の花見用遊山船が案内されているが閑散。肌寒いから、船遊びの気分にはならないのであろう。
エルおおさかで創作サポートセンターの講義の日。
本日は青木治道氏と提出作品十数篇についてコメント。
SF系の作品が半数近く、その他にも面白い作品があって、約30分超過。
あと青木氏といっしょに中津の「いせや」へ。ここ、ウチから2分ほどで、時々来る店である。
本日、夕方からラマダホテルで雑誌「SEMBA」の編集長だった廣瀬豊さんを偲ぶ会があり、この二次会に合流である。久しぶりの方々ちらほら。本会には眉村さんも来られていたらしい。
軽くビールをいただく。
明日の都合もあり、早めに帰館。
3月30日(日) 大阪→播州龍野
早朝に出かける。
近くにある北野教会の桜の古木、ほぼ満開である。
風格のある桜だが、前にワイド型自販機が置かれてから、ますますいい雰囲気になった。横にウルトラマンでも立たせたら面白いのだが。
播州龍野へ移動。
播磨路は雨である。寒い。花冷えである。
またも下男モード入り。
疲れた。
21時からテレビで『タイムマシン』があるが、とても起きてられそうにない。
明日はタイムマシン関係の作業をやらなければならぬ。
早寝するのである。
3月31日(月) 播州龍野の日常
昨日からの雨、未明にやむ。午前6時には晴れてきた。
6時15分、『朝ミラ』をしばらく聴く。
むさしくん、本日で満3年、明日から4年目に入るという。スタート記念のメッセージを送ったのがつい先日のような気がするが。
厳密には2005年4月4日(月)のスタートである。月日の経つのは早いものよ。
3年前に大阪の穴蔵にあったラジオとタイムドメインは、今は龍野の書斎にある。
龍野のオーディオは大阪に移った。
変わらぬは老母ばかりでぼけもせず。
年度末ということで、下男仕事に加えてタイムマシン関係の雑事色々。
さらに、海を隔てた「中共」ではない独立国から新規案件が舞い込んできた。
神様仏様ゼンジー北京様であるなあ。ありがたやありがたや。
ただ、中心的なパーツが間に合わない心配も発生。
近日交渉に行かねばの娘。
嬉しい悲鳴というべきか。
下男仕事では、精米所へ米袋を運んだり、ビール1ケース買いに行ったり、痩躯酷使である。
ああ疲れた。
夜、老母か寝た後、キムチ・トマト・ハム・カイワレ・たまごをぶち込んだ盛岡冷麺を作る。
タイムドメインで宮沢昭の『ラウンド・ミッドナイト』聴きながら「神の河」水割りでダレヤメ。
たまらんなあ。
ということで、そろそろ早寝。
テレビは明日からのガソリン税廃止の混乱予想ばかりだが、たいしたことないはずだぜ。困れば高いガソリンを少し入れればいいだけのこと。
ガソリン税にたかってきた役人の給料ストップくらいのことやらなければ。
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