『マッドサイエンティストの手帳』506
●マッドサイエンティスト日記(2011年7月前半)
主な事件
・大阪←→播州龍野、いたりきたり
・酉島伝法氏(2日)
・めん坊騒動/創サポ講義(9日)
・Sunday at Jazz Club(10日)
・ジョージ・ルイス111歳(13日)
7月1日(金) 穴蔵
夜中に目が覚めて、蒸し暑くて眠れない。
なんとなく気分が重く、そういえば荷風はおれと同年の頃にどうしていたのかと『断腸亭日乗』をめくってみる。
気が滅入った時の『断腸亭』である。
昭和19年6月29日。
《昨夜むし暑く寝られぬ故むかし紐育にて読み耽りたるラマルチンの詩巻など開き見る中短夜はいつか薄明くなりぬ。》
仏印戦線が崩壊して敗戦確実、空爆の気配が漂いはじめている頃である。
前月5月27日には《この頃鼠の荒れ廻ること甚だし》(洗濯用石鹸まで引かれる)だったのが、5月30日に《天井を走廻りし鼠いかにしけん昨夜よりひッそりとして音を立てず》一匹もいなくなったのである。《鼠群の突然家を去るは天変地異の来るべき予報なり》《軍閥の威勢も衰える時来れば衰ふべし。その時早く来れかし。家の鼠の去りしが如くに。》
「憲兵連絡者」という密告者・通報者がそれこそ鼠みたいにウロチョロしている(今の北朝鮮みたいな)状況で書いているのだからたいしたものだ。
空爆を福島原発に重ねると、なんとなく荷風の気分になる……なんて、まだまだ甘っちょろい。
半藤一利『永井荷風の昭和』を再読。「日乗」の全集版で調べたいことが幾つか出てくる。
今度の龍野行きの時にするか。
みじか夜は薄明くなりぬ。
本日は曇天なり。
午前4時の室温31℃。
朝の直射光がないから、終日室温は変わらず、エアコンは使用しないまま過ごす。
タイムマシン関係の雑事色々。
図面関係の整備がたいへんである。
7月2日(土) 穴蔵/酉島伝法氏
本日も曇天なり。
穴蔵の室温はずっと31℃。扇風機のみで快適である。
10時過ぎに可児市文化創造センターで9月17日「森山威男ジャズナイト2011」を予約する。
予約開始1時間で、中央付近の席はすでに埋まっている。
多治見市のオースタットでの宿泊も予約する。
おっと……ヒガシマルの龍野乃刻の受付も始まっている。
出来上がるのは11月だけど、これもまた、たまらなくうまいからなあ。今夏のヤッコ用はもうなくなってしまった。専属料理人に確認して予約する。
おれは予定で縛られるのが嫌で、気が向いたときに行動するのを好むが、予約を入れると、それまでは生きていなくてはと思うわけで、それもまたよしと思うべきか。
終日穴蔵。
夕方這い出て、天六のマーガレットへ向かう。
酒気帯び自転車はやめたので、中崎町界隈をブラブラして徒歩で40分。いい運動になる。
マーガレットで酉島伝法さんと会う。
酉島さんは第2回創元SF短編賞の受賞者である。
あとでわかったことだが、マーガレットの白木くんを介しての知人でもあったのである。
本日初対面。
その特異な作風から、異様な人物ではないかなどと想像していたのだが……あ、人柄も容貌も伏せさせていただく。
作品が出るまでは、謎めいている方が面白いもの。
受賞作『皆勤の徒』は7月末に出る『結晶銀河』に掲載される。
酉島さんはデザイナー&イラストレーターで、当然ながらというか、筋金入りの映画ファンであることが判明。
ワイルドバンチに席を移して、庄内さん含めて、水割り飲みつつ映画の話も色々。
わ、22時を過ぎてしまった。
帰る間際に「ブルンネン」(天五中崎通商店街・西端付近のベーカリー)の大将が来店しはった。ジャズファンらしい。パンを少しいただく。
天六で酉島さんとわかれ、酩酊寸前でぶらぶらと歩いて帰館。
本日の歩行数は7039歩、5.6キロ。
「ブルンネン」は専属料理人もよく知っていて、時々買いに行く店だという。明太子パンなどに大喜びである。
で、明太子パン2切れでグラスワイン。飲み過ぎか。
うまくて良心的なベーカリー「ブルンネン」に栄光あれ。
7月3日(日) 穴蔵
本日も曇天なり。
終日穴蔵にて資料を読んで過ごす。
朝……野菜ジュース、ブルンネンのパン、アイスティ、さくらんぼ
昼……梅若ぶっかけうどん
夜……枝豆、チヂミ、豚キムチ、サラダ風ビビン麺、ビール、「神の河」ロック
栄養バランスもなかなかいいのではないか。
これなら「一日一食」だった荷風散人より長生きできるかも。
専属料理人が先に逝って、「正午満留満。日替定食、ビール」の繰り返しになるかもしれんけど。
早寝するのである。
7月4日(月) 穴蔵/厄日
終日穴蔵。
資料を読んで過ごす。
夕方のニュースで松本龍(復興担当大臣)の暴言を見る。
やはり映像で見るものだ。
傲岸不遜、威圧的にして居丈高な雰囲気は「知恵を出したところは助け、知恵を出さないやつは助けない」と発言を文字で報道しただけでは絶対に伝わらない。
もう体質そのものであることがわかる。口先でいくら「九州の人間なのでちょっと語気が荒かった」などと取り繕って、誰が納得するものか。そもそも九州の男に失礼な話だ。
大阪のおれが血圧高騰だから、被災者の怒りはいかばかりか。
辞任必至。いや、むしろ「貧乏くじ引かされた」とアタマに来ていて、確信犯的な発言だったのかもしれん。
やはりテレビニュースは見るものだ……などと思いつつ、夕刻のニュース番組をあちこち見ていたら、新幹線車内にS字型変形生物がいて運転中止……みたいなニュースが流れた。
ギャーーーーーーーーーーーッ!
と声はあげなかったけど、あわててテレビを切る。
が、ちらっと見てしまったのよね。
ったく、グロテスクな映像を流すなよ。
去年から播州龍野でも実物は見ず、幸せな日々が続いていたというのに。嗚呼。
ということで、夕刻のニュースが終わった時刻から晩酌。
食欲なし。
当分テレビは見ない。
早寝したら、0時前に目が覚めてしまった。
そこで書いたのがこれ。
7月5日(火) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
姫路駅ビルの解体工事が本格化している。
*
姫新線ホームからの眺め。
このビルが崩れると、正面に大手前通、その向こうに姫路城が望める。といっても城も改修工事中だけど。
播州龍野にて雑事色々。
タイムマシン工事は7月下旬からになりそうである。
午後は書斎にてボケーーーッと過ごす。
*
お、庭にイタチがやってきた。
久しぶりだなあ。たぶん3年ぶりである。
また来てくれたまえ。
ネットのニュースでは松本龍が辞任したらしいが、テレビは(某ニュースの続報を警戒して)見ない。
夜は大阪から持ってきた総菜並べてビール。
徳山冷麺にハム、トマト、カイワレ、キムチをぶち込んで「神の河」水割り。
USBメモリーのMP3で、トミフラ師匠、デフランコ師匠、ケンペプ師匠などを鴨居の上にセットしたスピーカーから降り注ぐ音で聴きつつ。
たまらんなあ。
龍野の夜は更けゆく。
そろそろ音から活字へ……吉村昭『履歴書代わりに』(河出書房新社)に切り替えるか。
7月6日(水) 播州龍野→大阪
深夜から寝たり読んだりで朝になる。
第1水曜で粗大ゴミ回収日である。
7時頃にミニコンポなどを公民館へ持っていったら、早くも作業中であった。
大阪に較べて、播州龍野の公務員諸君はよく働く印象だ。
午後の電車で帰阪。
ビール飲んで早寝するのである。
7月7日(木) 穴蔵
早寝したら午前1時に目が覚めてしまった。
先日来、荷風関係を再読していて、半藤一利『荷風さんの戦後』につづいて、磯田光一『永井荷風』を読み、松本哉『荷風極楽』『永井荷風ひとり暮らし』を拾い読み。
小雨が降り続く。
終日穴蔵……のつもりだったが、読みたい本を思い出して、昼過ぎに丸善ジュンクドーへ。
川本三郎『荷風と東京(上下)』『荷風好日』(ともに岩波現代文庫)を買ってくる。
『荷風と東京』は読んでいるが、図書館で借りたもの。やはり手元に置いておくべきであろう。
小雨の中を歩く。
ペーブメントは雨に濡れていた……なんてセンチメンタルだぜイヒヒ(と殿山泰司調なり)。
夜は専属料理人に色々並べて貰ってビール。
『荷風と東京』を読みつつ、早寝するのである。
7月8日(金) 穴蔵/梅雨明け
朝のうちは少し雲があったが、昼前には晴れて、午後は炎天となった。
梅雨明け(らしい)である。
専属料理人が出かけたので、昼は冷ぶっかけうどんを作る。
自宅南側のベランダ、緑のカーテンの成長は、例年より早い梅雨明けに間に合わぬようである。
終日穴蔵。
川本三郎『荷風と東京』を再読する。
歩いてみたい場所がたちまち幾つか発生するが、大阪からわざわざというのはしんどい。
来月の上京の時に、1日延長して日和下駄としよう。
7月9日(土) めん坊騒動/穴蔵/創サポ
早寝したら、1時前に目が覚めてしまった。
午前3時頃から久しぶりに「深夜の散歩」に出かけることにする。
3時半頃に出て、自転車で梅田経由(風俗諸君が路上に溢れている)で天五へ。
先日聞き及んでいたことだが、終夜営業のうどん屋「こまいち」はやっぱり閉店している。
ここも40年以上前から時々来た店。
早朝グルメマップもそろそろ閉鎖すべき時期かなあ。閉店や業態変更が多くなった。
本日は「めん坊」に寄る。
天五中崎通商店街の東端近く、ギンギラギンの電飾が目立つ「うどん居酒屋」で、朝4時30分まで営業。
牛肉タタキ……トマト、オニオン、にんにく、きゅうり、ネギがどっさりのサラダ感覚で、なかなか結構な。これで軽くビール。
と、3時40頃……2階の座敷が騒がしいと思ったら、階段から凄まじい音とともに男が降ってきた。
階段下の電話台をアタマでドカーンと倒してのびている。手摺りを掴めないほど酩酊しているのである。派手にやってくれるぜ。
オデコから血を流したり、女が「タマちゃぁ〜ん」と叫んだり、いやはやたいへんな騒ぎ。
未明からえらいものを見物させていただいた。
20分ほどで片づいたあと、冷おろしうどんをいただく。
血を見たあとのうどんはうまい。
朝日が昇る前に帰館。
終日穴蔵。
夕刻這い出て、天満、エル大阪へ。
創作サポートセンター(専科)の講義である。
提出作品4篇を中心に色々。
・誰もが知る童話のパロディを現実の悲劇に結びつけるショートショート(寓話神話の換骨奪胎法を話す)。
・会話だけでどこまで書けるかという実験作(江坂遊作品を引き合いにコメント)。
・高度成長期の海外担当技術系サラリーマンの「家庭小説」(おれは「新時代の庄野潤三的作品」と高く評価した)。
・SF的ミステリーの意欲的長編(これは設定をいただきたくなるほどの面白さ)。
それぞれ面白く、メモを取ったり、関連作品を調べたりに、のべ2日をかけたが、おれとしては講師冥利に尽きる。
21時前に帰館。
遅めの晩酌。
遅寝(といっても23時前だけど)するのである。
7月10日(日) 穴蔵/Sunday at Jazz Club
本日も炎天なり。
午前中は『荷風と東京』を読む。
午後、穴蔵を這い出る。
中崎町界隈を抜けて天五方面へ。
中崎町……さすがにこの炎天下、人出は少ない。
黒崎町のバンブークラブへ。
Sunday at Jazz Clubの例会なり。
盛況である。
本日の特集は「和ジャズ」……コレクターが多いだけに、珍しい音源が多い。
いちばん驚いたのは、浜松からゲスト参加の静岡酵母さんが持参された、遠州スーパーギタートリオと杵屋邦寿の三味線による「ラ・フェスタ」……氏が主宰されている「あなたと地酒と音楽と」という会でのライブ録音で、まさに「最先端の和ジャズ」といえる演奏であった。
面白いことをやってはるのだ。
夕刻まで楽しき時間を過ごす。
夜は専属料理人の作ったゴーヤチャンプル(ベランダで採れはじめたから、これからはゴーヤが多くなりそうな)その他色々で、ビール、「神の河」水割り。
早寝するのである。
7月11日(月) 穴蔵/梅田
本日も炎天なり。
終日穴蔵……のつもりであったが、昼前に専属料理人が梅田へランチに行きませんかとメールしてくる。
新地に極めてCPの高いランチがあるというのである。
ま、たまにはいいか。
歩いていこうと表に出たら、あまりの日射しの強さに、帽子なしでは危険と判断して、地下鉄で移動。
地下街を南下して、JR北新地の上にあるむつごろうという割烹へ。
「おや、ご主人とですか?」
専属料理人は顔なじみらしい。亭主は立ち食いうどんというのに、けしからんことである。
*
日替定食をいただく。
味噌汁も人数分をダシから、揚げ物は揚げたてを……ともかく一切手抜きなしである。
隣席の天ぷら定食を見ていたら、揚げたてを次々追加していく方式で、とても1050円のランチとは思えない仕事ぶりである。
地鶏の親子丼なんてのもそそられるなあ。
昼の利用だけでは申し訳ない……という気分になるところが、ちょっと危ないかなあ。
(ちなみに、専属料理人はここのダシのとりかたを「盗もうと」しているらしい。別にそこまでして家庭で再現してくれなくてもいいのだが)
ま、そういうことでちょっと贅沢ランチなのであった。
おれは13時前に穴蔵に戻り、雑事の続行。
夜は粗食……でもないか、数皿並べてもらってビール、「神の河」水割り。
早寝するのである。
7月12日(火) 穴蔵/事故見物
蒸し暑く、あまり眠れぬまま、川本三郎『荷風好日』(岩波現代文庫)読了。
先日来、再読含めて荷風関係を7、8冊読んだが、評伝では磯田光一『永井荷風』が、現代史との関連では半藤一利『永井荷風の昭和』が、実証的都市論としては川本三郎『荷風と東京』が突出している。
特に川本三郎『荷風と東京』は、作者の荷風への敬慕が文体に反映していて、極めて格調が高い。
まさに名著であるが、巻末の持田叙子という人の浅薄な「解説」には呆れる他ない。
文体の軽薄さ、格調の高い著作に落書きが加えられたというか、懐石料理のデザートにポテトチップスが出てきたような印象で、解説ページを破り捨てたくなる。
都市出版の単行本を入手して、文庫は処分することにしよう。
終日穴蔵。
雑事色々。
19時過ぎ、「自宅」でビールを飲み始めたところに、派手な衝突音が音が響いてきた。
ウチから見える交差点でクルマの衝突事故である。
ここは事故の名所で、おれは30年間に5回ほど見物しているが、専属料理人のいうには3月に1度くらいパトカーが来るという。
さっそく駆け参じる。
交差点の光景を見むと門を出ず。未だ救急車来たらず、豊崎西公園南西交差点のあたり野次馬続々として集結す……と226事件の断腸亭調なり。むろんおれも野次馬のひとり。
*
タクシー(南側から)とJEEP(たぶん西側から)の衝突で、JEEPが横転している。
重心が低く重量でまさるJEEPが横転して少し飛ばされているから、タクシーのスピードがかなりのものと……これは事故に詳しいひとりの解説である。タク(乗客なし)はフロント大破、ともにエアバックは開いておらず、ともに運ちゃんが破損したクルマを検分している。たいした事故ではないような。
パトが来てあれこれ始めるまで20分ほど見物。
晩酌続行。
7月13日(水) 穴蔵/ルイス111歳
本日も炎天なり。
終日穴蔵にて雑事の処理。
夕刻這い出て、梅田へ歩く。
書店〜ミムラ〜ハチなどに寄り、中之島を西へ、靱公園まで歩く。
靱公園東側の「ガゼボ」にて、ニューオリンズ・ラスカルズ……というよりも、河合良一トリオ/カルテットのライブである。
本日はジョージ・ルイスの生誕111年というか「111歳の誕生日」で、記念ライブが急に決まったのである。
お馴染みの顔ぶれ30人ほど。
ジョージ・ルイスの1ホーン編成の演奏を、アメリカン・ミュージック(1944年)からセンター・レコード(1966年)まで6期にわけて辿る企画で、初期はメタル・クラリネットを使用、途中では(なんと久しぶりに)ルイスの遺品のクラを使うなど、河合さんは3本のクラリネットで吹き分ける。
*
↑ルイスの遺品を吹く河合さん。
ケーキカットもあって、ハッピーバースディ演奏は、体調不良とか遠距離で参加できなかったコアなファンのために携帯で中継するというサービスもやった。わが携帯では翻訳家のKさんに中継。
ルイス・ファンは情に厚いのである。
22時前まで。
御堂筋線で帰るが、結構混んでいて、酔客は見当たらず、皆さん遅くまでがんばってはるのだ。
7月14日(木) 大阪→播州龍野
朝の電車で播州龍野へ移動する。
車中、週刊文春をひろい読みするに、佐藤優・上杉隆・伊藤惇夫の座談会……佐藤優の最後の発言は要注目である。
「私は政治家ひとり一人にテロを覚悟しろと言いたい。(中略)これ以上、国民をナメていたら、必ず何らかの報復を受けると思います。」
おれは菅について同じことを予想している。
ちょっとヤバイかと思って、6月3日に冗談めかして「菅の額のホクロがゴルゴの標的に見えるのはおれだけであろうか」と書くにとどめたが、ともかく警備は強化した方がいいと思うぞ。口でいくら言っても無駄な人非人であることは全国民が実感しておるのだから。
雑事色々。
午後は書斎にてボケーーーツと過ごす。
*
外は炎天だが、室温30℃、風があるから快適である。眺めも大阪の穴蔵より遙かにいい。
気温がこの程度にとどまるのなら、仕事場をこちらに移してもいいのだが……。
ということで、播州龍野の定番的メニュー(枝豆、ヤッコ、トマト、ローストビーフ、ビール、冷麺、「神の河」水割り)でひとり寂しく晩酌。
寝る。
7月15日(金) 播州龍野
播州龍野にて張り切って雑用を処理する。
タイムマシン格納庫での作業も準備するが、本格的な組立は8月になりそうである。
熱中症が心配になってくる。
午後……畑地の雑草を処理しようか迷う。
5月下旬に身内が1日かけて除草してくれたのが、50日でほぼ元の状態になっている。
放っておくしかあるまい。嫌な動物が出てくるかもしれんからなあ。
午後は断腸亭日乗(岩波/全集)のチェック。
荷風の「トラ刈り事件」(中学時代、同級生の寺内寿一(軍人一家で後の元帥)一派6名が荷風(荘吉)をトラ刈りにした事件)の顛末を調べる。
この事件については、小林信彦『<超>読書法』に紹介されているのしか知らない。
秋庭太郎『考証永井荷風』では(三田文学の追悼号の記事から)寺内一派に鉄拳制裁をくわされたと紹介してあるだけ。
小林記事の出典は中学の学校新聞で、当事者が書いたものだから詳しい。殴打でなく長髪を切って「虎斑」にした。荘吉は6人の親に抗議、その後絶交、卒業まで口もきかず。
凄いのはその後で、文化勲章受章後(事件から60年!後)、関係修復をはかろうと2年先輩が市川の荷風邸を訪ねる。
荷風は「玄関のふすまのかげからちょっと顔だけ出して一言『帰れ』と答えて、そのまま引っ込んでついに出てこなかった」。
いいなあ。暴力行為への恨みはかくあるべしだ。
この「門前払い」がいつなのか気になって、文化勲章以降の日乗を調べるが、記述はなし。
この頃は「正午浅草」が増え、来客があっても「○○来話」だけで、追い返した客については何も書かれていない。
書くのも汚らわしい気分だったのだろうか。
播州龍野泊。
夜は菅野昭正『永井荷風巡礼』を読む。
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