『マッドサイエンティストの手帳』483
●マッドサイエンティスト日記(2010年7月後半)
主な事件
・播州の非日常的日々(11〜22日)
・SF検討会(30日)
・青空書房(31日)
7月16日(金) 播州龍野/相生
朝から相生の隠れ家に向かう。
おれほど隠れ家の多い人間もそういないだろう。
いつも「穴蔵」と表記している大阪の常駐場所は隠れ家の一種だし(表札は出してない)、龍野の実家も隠遁所といえなくもないし、11年前には別荘3軒を手に入れてる(住み心地がいいかどうかは別)。
ボンクラ息子その1の住まいを東京の隠れ家にする計画は頓挫したけど。
むさしくんがやってた「朝ミラ」の「隠れ家特集」では、「隠れ家の達人」として声がかかったほどだ。
相生のは「短期間の賃貸」というかレンタルというか、まあそんなものである。
ほぼ終日、ノートパソコンをいじって過ごす。
午後、久しぶりに晴れ間があり、1時間ほど近所を散歩する。
すぐ裏側が「ほんまち商店街」。寂れているなあ。
相生には、中学高校時代、同級生のところに時々遊びに来た。当時はここが最大の「繁華街」だったはずだが。
ついでに10分ほど歩いて海岸まで行く。
ポート公園というが殺伐たるもの。
IHIの工場と道の駅「ペーロン城」が目立つだけ。
気分はブルー&センチメンタルである。
夕刻、龍野の隠れ家に帰館。
生産的なことは何もしてないのに疲れていて、枝豆茹で、スーパーで買ってきた総菜並べてビールを飲んだら、たちまち眠くなる。
7月17日(土) 播州龍野/相生
朝から相生の隠れ家に向かう。
SX3KX06MADの設定色々、デスクトップ機とほとんど同じにして、HP更新もできるようにした。
合間にミッションもこなす。
午後には近畿地方の梅雨明けが報じられ、空は晴れ上がった。
夕刻、天気がいいので、播磨灘沿いの道を室津経由で帰ることにする。
野瀬埠頭から夕日を見る。
*
対岸は石川島播磨(IHI)……大学時代の夏、工場実習で通ったところである。
後ろはすぐ山で、海岸に沿った細く長い造船所である。
中型タンカーの溶接をやったが、ドックは現役なのか?
奥の方が艤装部門で、ユートピアラインと書かれたフェリーが停泊しているから、事業は継続しているのだろう。
埠頭横にヨットハーバー。
こんな田舎にも金持ちは結構いるのだなあ。
7月18日(日) 播州龍野/相生
朝から相生の隠れ家に向かう。
世間は3連休の2日目らしいが、わしゃ関係なし。
帰阪したい用事がいくつか発生しているが、まだ帰れる目途がたたず。
メランコリックになるぜ。
7月19日(月) 播州龍野/相生
本日も朝から相生の隠れ家に向かう。もう厭きてきたなあ。
日没後に龍野に帰館。
メランコリックになるぜ。
おれの場合、メランコリーの妙薬はビール、ワイン、その他色々しかない。
ということで、食品スーパーで買ってきた総菜並べて「妙薬」を飲む。
早寝するのである。
7月20(火) 播州龍野/相生/室津
朝も早よから相生の隠れ家に向かう。
厭きてきたなあ。
昼、久しぶりに室津へ行ってみる。15分ほどで行ける。
遊郭のことを調べてみたかったのだが、民俗資料館は本日休館であった。
*
ここが「遊女発祥の地」であるとか、歴史的な由来は色々と書かれている。
おれが知りたいのは昭和33年まで「営業」していた場所と建物、客層とか値段などについてである。さらに、その後も「営業」していたのか、どのように廃業したのか……要するに生々しい営業実態が知りたいのである。
ずいぶん前に亡くなった近所の某おっさん、自転車で龍野から相生の造船所に通勤していたが、時々、帰路、室津に回って「女郎買い」して帰ってきたという。
これがよくわからん。
龍野〜相生は比較的平坦で13キロ、自転車だと1時間くらいで行ける。
だが、室津経由で帰るとなると、約30キロ。しかも相生〜室津は海岸沿いに峠を2、3つ越えねばならず、室津〜龍野は山ひとつ越えねばならない(自転車では無理。平坦な御津町経由となるとさらに10キロほど延びる)。
そこまでしての「室津通い」という執念がどうしても実感できないのである。
狭い町である。当時を知る人はまだ多くいるはずだが、うかつに「あまりに具体的な」質問するわけにもいかず。
また出直すことにするか。
7月21(水) 播州龍野/相生
朝も早よから相生の隠れ家に向かう。
どうにかミッション終了の目途が立った。
前祝いでもないけど、昼は道の駅・白龍城へ行って、「ながさわ」というレストランで840円の豪華ランチを食す。
値段のわりになかなか豪華な。
白龍はペーロンと読む。別に中華専門ではありません。
和食とうどんの店。
ちなみに「ど根性だいこん」メニューはなし。
それにしても、相生には、うまい店がないなあ。播州龍野も同様だけど。
隠れ家近くにCOOPがあり、中のうどんや丼もののコーナーも試してみたが、わが人生でも屈指のひどさであった。
道の駅がまだ無難というのではなあ……。
新幹線停車駅で食事に困ることでは「相生」は「岐阜羽島」「米原」と並ぶワースト3ではなかろうか。
7月22(木) 播州龍野/相生撤収
朝も早よから相生に向かう。
本日でミッション終了、隠れ家を片づけて引き払う。
昼前に播州龍野に帰る。
帰路、「味三昧」で幕の内弁当を買って、昼はビールを一杯いただく。
本日くらいはいいであろう。
午後は寝転がって雑読。
世間は「猛暑」らしい。2階書斎の室温は34.5℃である。
おれの場合、扇風機を回しておれば平気で、相生のエアコンの効いた隠れ家よりも快適だ。
夏来たりなば秋遠からず、10月半ばからの肌寒さを想像するだけで憂鬱になってくる。
ということで、夜は逝く夏を惜しむ気分で盛大にビール。
明日は出所できる予定である。
7月23(金) 播州龍野→大阪
昼間の電車で大阪に帰る。
なんだか、ずいぶん久しぶりのような気がする。
午後、穴蔵に戻る。
雑事山積だが、新聞雑誌などちょっと読んでいたら、たちまち睡魔に襲われる。
ともかく昼寝。
夜はビールを飲んで、今度は本格的に就眠。
早朝に目が覚めて書いたのがこれ。
7月24(土) 穴蔵/ちょっとウロウロ
よく寝た。
自宅へ行って朝飯。
穴蔵に戻って、また寝る。
自宅へ行って昼飯。
穴蔵に戻って、また2時間ほど昼寝。
元気が戻ってきた。
夕刻に近い午後、自転車でウロウロ。
ミムラへ行ってCDを見る。「PIT INN」制作の「辛島文雄meets森山威男」というのが出ていてびっくり。予告もなにも知らなかった。
扇町公園を抜けて天六へ。
人出多し。そうか、明日が天神祭なのだ。
天六「ワイルドバンチ」でビールを少しばかり。
庄内さんから色々と面白い情報提供を受ける。
夕陽の直射を浴びつつ帰館。
夜は専属料理人の作った色々で盛大にビール。
本日はおれ好みのメニューである。
枝豆、もずくと山芋の小鉢、肝煮、天ぷら(エビ、レンコン、サツマイモ、アスパラ)、カツオのタタキでビール、「神の河」ロック。
聴きたいCD、見たいDVD、その前に片づけねばならぬ雑事山積なれど、酔っぱらって面倒になった。
読みたい本を最優先にして、そろそろ寝るのである。
7月25(日) 穴蔵
終日穴蔵。
溜まっている雑事を粛々と処理する……つもりだけど、ぜんぜん片づかないなあ。
新聞雑誌など読んでいて、おっと思ったこと。
・書評家・豊崎由美さんの故郷は愛知県江南市だという。
小学2年から6年までマンモス団地に住み、木曽川で遊んでいたとか。
年齢からいって、1970年、おれは江南の工場にいて、木曽川堤にも散歩に行った。江南団地も時々通った。
名鉄・江南(当時は古知野)駅から江南団地行きのバスが出ていたなあ。
わがデビュー作がSFマガジンに載った頃である。
小学3、4年の谷崎由美さんが近所で遊んではったのか。
それだけのことだけど。
・石毛先生の梅棹忠夫氏への追悼文。
梅棹さんは、知的活動にたずさわる者にとって、いちばん大事なのは「前提のきりくずしという能力である」という。……いままでの知の秩序を破壊したからには、あたらしい知の世界を構築しなければならない。その能力にかけては、梅棹さんは天才的であった。
なんと的確な。
たちまち夕刻となる。
本日は天神祭である。
天神祭となると、どうしても先代・桂歌之助を思い出す。
7月25日には、土佐堀側に面したアイル・モレ・コタで落語会をやり、あと花火を見ながら一杯というパターンであった。
落語船が眼下に来て、「歌之助、出でこ〜〜い」なんてやってたものである。
ちょうど10年前のこの日に「百噺」達成……記念的な日(しかし「斂葬の儀」とかで花火は延期)だったが、その1年半後に亡くなる。
夕食は枝豆、ヤッコ、焼きナス、豚肉・たまねぎ炒めでビール、「神の河」ロック。
20時過ぎ、天神祭の花火の音が遠雷のように聞こえてくるが、出歩く元気はなし。
そろそろ就眠である。
7月26(月) 穴蔵/ウロウロ
本日も炎天なり。
終日穴蔵で本を読んでいたいが、外回りの雑事か色々あり、昼前後に自転車で梅田〜天五〜天六界隈をウロウロ。
土用であって、こんな日にウナギ屋に入るほどのバカではないが、スタミナはつけねばならず、昼は「玉一イサク店」で焼肉定食……生一杯、ま、いいではないか。
午後は穴蔵にて粛々と雑事。
夜、軽くビールの後、またも自転車ホロ酔い運転で梅田へ。
ハチへ行って8月7日の打ち合わせとチケット受け取り。
ハチ恒例の8/8山下洋輔ライブは、今年は8/8が日曜なので、1日繰り上げて、8月7日開催である。
扇町公園を抜けて、天六のワイルドバンチへ。
雑談の中で「ゾンビの3原則」というのを初めて聞く。
ロメロの「ゾンビ」がベースで自然発生したものらしく、「走らない」「しゃべらない」「考えない」……他にも諸説あるらしいが、吸血鬼の規定よりははるかに緩く、ロボット3原則やノックスの十戒のように明確に定義されたものでもないらしい。
へえ〜と思ったのが、70年代半ばに出来た原則で、意外に歴史は浅いことである。
してみるとゾンビというあだ名はずいぶん先駆的だったのだなあ、小笠原くん。
7月27(火) 穴蔵
本日も炎天なり。
終日穴蔵にて過ごす。「自宅」へ食事に行く以外、まったく外出せず。
健康にいいのか悪いのか……どうでもええけんね。
生産的なことはやらず、雑事をほぼ片づけたあとは、CDを聴きDVDを見て本を読んで過ごす。
「雑読雑聴」に感想をアップすべき作品が20以上溜まってしまった。
ま、明日にしようか。明日に送るということは、永遠に先送りかもしれんのだけど。
夜は、豚トロ+レタス、ポテトサラダなどでビール。
早寝するのである。
7月28(水) 穴蔵/ウロウロ
本日は薄曇なり。
ちょっと落ち着いたので、少しはSF系で生産的な仕事をと思ってたら、また色々雑事発生。
タイムマシン関係のこともあって、これは嬉しく楽しい仕事なのである。
成約にいたるかどうか、海原かなた師匠のご利益たまわりたいものだ。
午後、自転車で天六へ。
銀行関係のことでは、最近は梅田より天六へ行くようになった。
天六交差点の南東に大手4行(りそな含む)が集中しているからである。
阪急天六ビルが工事用フェンスですっぽり覆われた。
高層化か。2年ほどはこんな眺めなのであろう。
色々と思い出の多いビルであったが……
夜はマグナス・ヨルト・トリオを聴きつつ、専属料理人が並べてくれた枝豆・みりん干し・冷しゃぶサラダなどでビール、「神の河」ロック。
本日も早寝するのである。
7月29(木) 穴蔵
雨ぞ降る。
雨天だと東向きの穴蔵に朝の直射光はなく、きわめて快適。
終日穴蔵。
雨読の日である。
7月30(金) 穴蔵/SF検討会
また夏日に戻った。
終日穴蔵。
この数日……というか相生ミッションの終了後、明らかに引きこもり状態である。
夕刻、専属料理人は地域のことで外出とかなので、豊崎4丁目の北京料理店「菊華」へ行って、オードブルや唐揚げの皿を受け取ってくる。
「菊華」の夜の営業は17:30〜なのだが、大将が早めに作ってくれたのである。
安くて旨い「菊華」に栄光あれ。
かんべむさし氏が焼酎ぶら下げて来穴蔵。
久しぶりに定員2名内容非公開のSF検討会を開催する。
3時間半以上4時間未満……電子出版その他色々あったように思うが、終わってみると何も覚えていない。
そういうものだ。
7月31(土) 穴蔵/青空書房
薄い雲がかかっているが炎天に近いのであった。
定刻午前4時に目が覚め、シャワー。あとは穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
午前10時に自転車で青空書房へ行く。
↑ずいぶん混み合っているように見えるが、名古屋から高井信ちゃんが来て、さらに京都から山本孝一さん、地元の橋本喬木も来たためである。
店主の坂本健一が自伝的エッセイ『ぎっこんばったん』を出されたばかり。
この本については明日にでもアップ(本日、ビール飲んでもうしんどい)予定なり。
上記3氏と中崎商店街の「まりも」という喫茶店へ行って、昼前まで雑談。
ショートショートや短編の書誌的話がメインになるが、古い(といっても20年くらい前まで)作品はよく覚えているが、最近の作品はほとんど忘れてしまうという、老化現象の確認になってしまうなあ。
あとは本やDVDの交換会。
モーニングサービスのゆで卵2個をおみやげにいただいて帰館する。
昨日に引き続き、やっぱりSFの話をしていると元気が出てくるなあ。
夜。
ビール飲みながら NHK『ワンダー×ワンダー「ポロロッカ アマゾンの大激流」』を見る。
ポロロッカよりも、それでサーフィンやる連中のルポで、それなりに面白いが……波の前を走りながら撮影しているボートも撮すべきではないか。ヘリからの映像が少しあって、それほどの波ではないことがわかるけど。
要するに年中行事で、それほど大げさに伝えるほどの現象でないことがわかったのが収穫か。
早寝するのである。
あ、7月が終わるのだ……肌寒い秋はすぐそこである。
気が重いことだ。
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