HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』142

●マッドサイエンティスト日記(2000年2月後半)


主な事件
 ・読売文学賞贈賞式(17日)
 ・山下洋輔コンサート…豊中アクアホール(18日)
 ・宇宙作家クラブ「新年会」?(19日)
 ・かんべむさし「奮戦! リストラ三銃士」を読む(19日)
 ・『古今東西噺家紳士録』は恐るべきCD−ROMである。
 ・発作的に上海〜常州を往復(24〜26日)

2000年

2月16日(水)
 猛烈な寒波。ボンクラサラリーマン略してボンサラ、誠実に手抜き仕事のつもりが、寒くてポケットから手が抜けない。終日手入れ仕事。

2月17日(木)
 6時36分新大阪始発のひかりで静岡から清水市へ。関ヶ原付近、雪が降り続いていて50分の遅れ。その後の予定がズルズルとずれ込んできて、1社は後日にずらせてもらう。夕方の読売文学賞贈賞式にはなんとか間に合う。
 午後8時頃まで。……東京駅まで行くと、新大阪行き最終は到着が1時間ほど遅れそうだという。急遽予定変更、東京泊とするが、受験シーズンと重なっていて、木場のカプセルホテルと「同居」のビジネスホテルしかない。
 寝るだけと割り切って、ひとりで浅草HUBへ。デキシーバンドが出ているが、ニューオリンズ・ラスカルズに比べるとものたりない。1ステージ聴いて帰館。

2月18日(金)
 午前中都内ウロウロ。午後のひかりに乗る。東京は暖かく日本晴れなのに、名古屋を過ぎるとまたも雪、大阪は曇。30分ほどの遅れ。夕方近くになりヒヤヒヤもの、なぜかというと、夜、豊中アクアホールで久しぶりに「山下洋輔コンサート」があるからである。山下さんも昨夜の贈賞式に出席されていたから、本日の移動のはず。
 「専属料理人」と合流して、なんとか午後7時の開演にたどり着けた。
 本日はソロ。曲目は、ブライトネス/カンゾー先生のテーマ/ブルー・モンク/仙波山/休憩/チュニジアの夜/バッハチェロ無伴奏ソナタより/ラウンド・ミッドナイト/ボレロ/アンコール(これだけが曲名がわからなかった)
 21時終演。ハチママが例によって梅田へという。これまた久しぶりの筒井倶楽部会長・岡本吉民・幸代ご妻とミュンヘン北大使館へ行って、「ご一行様」と合流。
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 あとハチへ行って、結局終電間際まで。

2月19日(土)
 夕方までごろ寝雑読。
 夕方、梅田へ。突発的に宇宙作家クラブの新年会?をやるという案内(今頃新年会というのも変だが、旧正月か……)が来たのだが、よく聞くと田中哲弥氏の誕生日?……まあ、そんな飲み会らしい。要するにSFマンガカルテット+宇宙作家クラブその他という集まり。珍しく喜多哲士氏も来ている。全部で14名。
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 喜多さんから「古今東西噺家紳士録」というCD−ROMがすごいと教えられる。ついでに落語の話をしているうちに、「S年F組」用の新ネタを思いついた。……最近のSF全部をアホにしてしまう可朝ネタで、ゼロコンで「S年F組」ライブがあるなら、久しぶりにやろうかしらん。
 30代後半をピークとする元気な人たち中心の飲み会、さすがにわしゃ高齢で疲れる。二次会かラスカルズかと迷うが、先日から出歩き過ぎ・飲み過ぎなので、午後8時半頃、まっすぐ帰宅。

2月20日(日)
 雨である。雨の休日は落ち着いて机に向かえる……はずが、先週末の出張の間の雑件が気になり、出社。案の定、某紙のコラムのゲラがFAXで送られてきていて、机の上に置いてある。ちとまずいんだよなあ。その他雑用、昼まで。
 午後、かんべむさし『奮戦!リストラ三銃士』(光文社文庫)を読む。
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 丁寧に書いてある。例によって「善良な人たち」がメインのサラリーマン小説で、その限りでは、SFではなく奇想小説でもなく、ぼくにはものたりないのだが、昨今のリストラ事情、とくに50代半ばでリストラされた主人公の心理が恐ろしくリアルに書いてあるのにびっくりする。かんべさんはサラリーマンを辞めて20年以上、したがってリストラの実感はわかるまいと予想していたのだが……。それでも「ややハッピー」な終わり方はやはりものたりないなあ。作者の「気遣い」が見えるからである。登場人物にも読者にも情けは無用である。……と人のことはいえないのだが。こんな場合、明日は我が身と震え上がらせる方が面白いのではなかろうか。……わしゃ主人公の立場に近いだけにそう思うのであります。(※かんべさんは、あとがきに「登場人物に情が移った」こと、「中成功で手を打った」ことを明記している。さめているのである。)

2月21日(月)
 昼休みに丸善までCD−ROM『古今東西噺家紳士録』を買いに行く。税込13,440円。……帰宅後、さっそく聴く。
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 確かにすごい。噺家データベースで、その「解説」部分はすでにある事典に比べると物足りないが、「出囃子」が聴けるのと、物故噺家に限ってだが、なんと235人255席が完全収録してある。恐るべき圧縮技術である。……文楽、志ん生、円生はいうにおよばず、上方では桂音也や桂文我(三代目)の「くやみ」、「最新」の桂枝雀まで聴ける。CD46枚分というのもうなづける。……ただ、これ、パソコンで聴くわけだから、聴いている間、他の仕事ができんのよね。一日一席で一年間楽しむというのが正解か。
 漫才版が出ないものか。

2月22日(火)
 ボンサラ、播州地区ウロウロ。つまらん日である。

2月23日(水)
 ボンサラ、誠実に手抜き仕事。つまらん日である。
 明日から3日間、中国往復なので、「緊急時ノート」を整備、専属料理人に渡す。飛行機事故その他でわしが死亡したときの諸々の処置を記入したもので、本人死亡時以外には開封しないノート。
 わしゃリストラ寸前だから、いま飛行機が落ちるのが家族にとっては理想的なんだろうな。保険金その他ごっそり入って、濡れ落ち葉の始末は航空会社がしてくれるのだからなあ。それを待望している気配がひしひしと感じられる今日この頃である。嗚呼……。

2月24日(木)
 本日より2日休暇をとって、発作的に中国・常州市に行くことにする。
 オーストリアの某社で繊維用試験機を担当しているシュナイダー氏が台北、香港、上海経由で常州の某メーカーに来る。台北からは、これまた15年以上のつきあいになる”JET”高氏も来る。面白いものが見られるから、お前も来いというお誘いである。……仕事として行くにはもう手を離れた分野だし、しかし、興味はあるし、で、長年同じ仕事をしてきた赤松くんという「相棒」といっしょに遊びに行くことにした。……ようするに、昨年6月にパリのITMA99という見本市に行ったのと同じパターン。SF大会に行くのと同じ感覚かな。……せっかく行くのなら、上海観光もすればいいのにといわれるが、わしゃ観光旅行なんてまったく興味なし。和平飯店の骨董品みたいなジャズも、18年前に一度聴いていて(この時はまだ観光案内にも紹介されていなかった)今更ねえ。
 というわけで、関空より悪評高いMD11機で10時20分に離陸、現地時間11時50分に浦東空港着陸。ここは上海の新空港で、国際便はこちらに移るらしい。が、香港から来るメンバーは虹橋空港に着くのでややこしい。
 出迎えのクルマ「サンタナ」で虹橋空港へ。……運ちゃん、携帯電話でどなりつつ、虹橋空港で香港組と合流。2台のサンタナで抜きつ抜かれつ常州へ。濾宇高速公道を平均時速130キロで走る。ただ平坦であきあきする風景が2時間。クルマは圧倒的にサンタナが多い。夕方近くに常州大酒店(CHANGZHOU GRAND HOTER)着。なんと豪華なホテルである。
 常州という街、はじめてきたが大都会である。
 夜、常州の某社……あ、別に隠すこともないか、常州第二繊維機械廠のメンバー諸氏と近くの中華料理店で宴会。

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 青島ビールを希望したのだが、これをチェーサー代わりに55度の白酒でカンペーカンペーの連続で、この習慣は16年前と変わってないなあ。

2月25日(金)
 朝から常州第二繊維機械廠を見学。
 うーん、「専門的」にはいいたいととが山ほどあるが、これはまあ、相手側の企業秘密にもかかわることだから、300行ほど省略。
 工場での親睦会も含めて午後3時頃まで。
 メンバー全員で記念撮影。

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 来たときと同じ運ちゃんが、シュナイダー氏、赤松くんとぼくの3名を上海まで送ってくれることになったのだが……。
 夕方、上海で高速を降りたところで、運ちゃんが「帯路」というプラカードを持った男と大声で罵り合いをはじめ、やがて、しばらくクルマを走らすと、タクシーを止めて、訳がわからんうちに「乗り換えろ」というゼスチャー。3名がタクシーに乗り換えると、バイバイという感じて引き返してしまった。
 ホテルまでの案内図は用意していたにもかかわらず、である。
 タクシーの中で、3人、つたない英語で議論。……運ちゃんは上海市内の道には疎いのであろう。「帯路」というのはナビゲーターではないか。料金が折り合わないのでアタマに来たんだろう、という結論になったのだが、後で調べると、これは正解であった。「帯路」諸君はクルマのナンバーを見て声をかけてくるのだという。
 タクシーで上海賓館に着く。こちらも立派なホテルだが、知り合いルートから頼んでいたのでひとり300元(約4000円)。最上階の日本料理店で3人で晩飯。
 シュナイダー氏はぼくより若く、スズキの600CCで奥さんとツーリングが趣味という。が、むろんオーストリアの人らしく、音楽は当然の教養としている。オーストリアに来れば室内楽を演奏している、観光コースとは関係ないところに案内してくれるという約束をとりつける。

2月26日(土)
 午後の便で帰国であり、午前中があいてしまったが、市内観光も面倒だしで、近所の食堂で朝粥。コンビニがあって覗くと、日本とまったく同じレイアウト。弁当やおにぎり、焼きそばUFOまで同じである。

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 浦東空港へはまだリムジンがなく、タクシー以外の交通手段がない。60キロ以上あって、1時間半は見ておいた方がいいといわれて、早めに出たら40分で着いてしまった。
 しかし、話には聞いていたが、高層ビルの林立ぶりには驚く。前回……というか、過去に上海に来たのは一度だけで、1983年8月末から9月初めにかけてだった。4日間いて、SF作家・葉永烈にはじめて会ったのもこの時。高層ビルがぽつりぽつりと建設中だった。黄浦江に橋などむろんなく、仕事の相手だった研究員は浦東から船で通っているといっていた。
 その浦東にある新空港、関空並みの広さでガラガラ。
 午後3時、悪評高いMD11機が離陸して、窓から見ると、空港に機影ゼロである。
 夕方、関空着。こちらは厳寒。さっきまで雪が降っていたという。

2月27日(日)
 休暇中の雑件が気になって出社、われながら貧乏性というか気弱というか、ワーカーホリックではあるまい。午後帰宅。確定申告の準備……昨年はほとんど「仕事」をしていないことがわかって愕然。
 心を入れ替えなくちゃなあ。

2月28日(月)
 4時起床。朝刊に田中小実昌氏がロスで死亡の記事。74歳。「放浪」状態であったらしい。ついでに、新潟見物で雪見マージャンしていた局長・中田好昭くんの顔写真。……この人、ぼくと同年である。わしもおっさんになったとは自覚しているが、ここまでとは思わないが、やっぱり似た年齢に見えるのだろうか。うーん、嫌だなあ。
 昼飯マージャン優先の中田くんとちがって、ボンサラ、誠実に仕事。

2月29日(火)
 変則「うるう日」で2000年問題要注意日、アメダスのシステムがおかしいと5時のニュースから大騒ぎしている。
 特別の事故はなく、つまらん一日。……と思っていたら、夕刊に松本英彦死亡の記事。洋酒の壽屋がお送りしてくれたトリス・ジャズ・ゲームが懐かしい。70年頃には、ハチで飛び入りで演奏してくれたことがあったなあ。(ハチママのいうには、○を待つのに時間が余っとるからや、というのだが……)
 夜、久しぶりにサウスサイド・ジャズバンドを聴く。
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 ピアノの藤森省二さんとしゃべる。日本のトラディショナルの歴史について、まだまだ調べるべきことが多いことがわかってくる。……が、まだ諸々のことからリタイアして趣味三昧生活というわけにはいかんしなあ。
 と、地球の回転の誤差から生じた付録みたいな日だけに、考えることが多い。


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