『マッドサイエンティストの手帳』302
●マッドサイエンティスト日記(2004年5月前半)
主な事件
・クラリネット・コネクション(3日)
・高槻ジャズストリート(4日)
・播州龍野の日々(5日〜)
・ニコニコの謎(7日)
2004年
5月1日(土)
5月になった。
「龍野の標準的一日」がつづく。
夜はLPでドルフィーのファイブスポット2枚、ロリンズ「ウェイ・アウト・ウエスト」、富樫〜高木「アイソレーション」を聴く。
5月2日(日)
龍野にて昼まで「標準的半日」。
妹が来たので、昼に見張り役交替。
午後帰阪。
夕刻、阪急石橋の居酒屋へ。
連休で帰省している友人と一杯。
よく回るなあ……二次会なし、午後9時に帰宅して直ちに眠る。
5月3日(月)
わ、きちんと午前4時に目が覚めた。
ほぼ終日穴蔵で溜まった新聞を速読、郵便物の処理。
定形外の郵便物を発送する必要が生じたので、昼、自転車で中央郵便局へ。
帰路、久しぶりにヨドバシを覗く。ついでに地下のグルメ街へ行ったら、880円の「行楽弁当」というのが旨そうなので、これを買って帰る。缶ビール飲みながら昼食……が、この弁当、予想以上のボリューム。食べ物を残すことは少ないのだが、半分ほどで満腹である。かんべむさしが来たら、この弁当ひとつで宴会ができるな。ま、そんな胃袋になってしまったのである。
夕刻、専属料理人と都島橋東側にある「アンサンブル・ホール」へ行く。
『クラリネット・コネクション』と題するコンサート。
これは97年9月28日のクラリネット・サミットの拡大版みたいな企画。
谷口英治さんをゲストに関西のクラリネット吹きが集まって色々な組み合わせでセッションを行う、クラ好きにはたまらない企画である。
あれからもう7年近く経つのかと驚きもする。
参集したのは年齢順(若い方から)鈴木孝紀、坂井原正光、谷口英治、滝川雅弘、吉川裕之、それにバスクラの樫口義夫。
バックは滝川カルテットでおなじみの八木隆幸(p)、山口裕之(b)、佐藤英宣(ds)
7年前の写真でわかるとおり、坂井原くんなどまだ少年の面影が残っていた。それがなかなかの進境。さらに若い鈴木孝紀くんも参加と、クラ層が広がっているのも嬉しい。
左から谷口、滝川、坂井原、鈴木、吉川の5氏。
若い順に1曲ずつ披露、あとは2管や3管で色々なバリエーション。
やっぱり滝川〜谷口の2クラは凄いなあ。
最後にドイツのRolf Kuhn作曲の「クラリネット・コネクション」(この曲名が今回のコンサート・タイトルにもなっている)……3楽章からなる組曲で、この曲のみバスクラの樫口さんが入る。Kuhnはジャズ奏者でもあるらしいが、クラ6本による現代音楽。楽章の切れ目で拍手していいのか迷う雰囲気である。
20:30まで。
まっすぐ帰館、明朝東京に戻るというボンクラ息子その1とビール、ワイン。
5月4日(火)
かなり激しい雨である。
ボンクラ息子その1、朝8時過ぎの昼特急(高速バス)で帰京するという。1C席というから、2階最前列右側。まったく同じバスの同じ席に一度乗ったことがある。見晴らし最高だが、本日は渋滞確実だからどうなりますやら。
地下鉄の駅まで傘を差して送ったあと、持ちきれぬ荷物を近くの宅配便集荷所に持ち込む。……明日の東京着は確実ですというからたいしたものだ。
昼過ぎに、専属料理人と阪急高槻へ。
高槻ジャズストリート2004……雨で屋外の会場数ヶ所は中止らしい。
13:30に現代劇場大ホール。こちらは14時からの滝川〜谷口2クラ・セッションが目当て。30分前に行ったら中央前よりのいい席が確保できた。
14時〜滝川雅弘カルテット+谷口英治。セブン・カム・イレブンから始まって6曲。大ホールで聴くのは久しぶり……千人近い会場では初めてではないか。グッドマン、アーティ・ショウ、それにデフランコが滝川さんにプレゼント(※)した「3B♭Amigos」など。
抜群のテクニックとセンスでオールラウンド・プレイヤーの谷口英治とデフランコ・スタイルを徹底して追求する滝川雅弘の組み合わせは、まさに東西のエース対決で、モダン・クラでは日本最高の組み合わせであると実感する。
最後の「Midgets」の猛烈なバトルでは大ホールが沸きかえった。
引き続き、川島哲郎クインテットを聴いて、大ホール「昼の部」終了。
雨の中を歩いてJR高槻駅方面へ。
高槻商店街を歩いている途中、ボンクラ息子その1からメール。「やっと足柄を抜けた。」 可哀想に、4時間以上の遅れ必至である。
JR高槻に来るのは不思議なことに30年ぶりくらい。
阪急高槻とは徒歩10分ほどだが、駅を中規模のデパートや商業施設が囲む感じで、とれもが中途半端なために客が分散、いずこも閑散としている雰囲気である。
近くのMarinnaというカフェで鈴木孝紀くんのグループが演奏中。ビールを飲みたいところだが、狭い店で入れない。路上で2曲。なかなかいい音色が流れてくる。
高槻ジャズストリートはどの会場も(大ホールも!)すべて「無料」、参加バンドも「来るもの拒まず」で、今年は327バンドがエントリーされている。運営はすべてボランティア。収入源は協賛金とTシャツの売り上げという。
2000円のTシャツの原価は500円とまで公表している。
この方式は立派だし、頭が下がる。
ただ……やはりTシャツ販売の「勧誘」が多すぎるのにはちょっと閉口する。
ぼくはもうTシャツを着る年ではないし、Tシャツを着て会場を移動するのは照れくさい。
その代わりTシャツ2枚の収益分をカンパすることにしている。
それでもカンパの声を何度もかけられるから、気持ちの負担が重くなる。
赤い羽根みたいな、カンパ済みのマークを考えてもらえないものだろうか。
18時〜市民交流センターのイベントホールで滝川雅弘カルテット+谷口英治。
全員が立ち見席でちとしんどいが、こちらは大ホールとちがってリラックス・ムード。谷口英治の「ボディ&ソウル」が絶品。最後はチェロキーで猛烈バトル。サービスで坂井原正光くんを加えて、3管でSwedish Pasty。
2日間のクラ漬け、もう大満足である。
※ 「3B♭Amigos」という曲は、2000年にデフランコが、北村英治、ジョン・デンマンとの3クラ・コンサートのために来日、その時に飛行機の中で作った3クラ用、軽快なサンバの曲。ところが演奏はされず、その譜面を滝川さんにプレゼントしてくれたのだという。
したがってこの曲はデフランコ本人によっては演奏されていない。
初演は確か2001年3月3日で、この時は2管なので「2B♭Amigos」と紹介された。
3管での初演は右近茂を加えた2001年8月25日の演奏であった。
もし機会があれば(たとえば来年7月!)、デフランコ、滝川、谷口の3管で聴きたい曲である。
5月5日(水)
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
「龍野の標準的一日」再開である。
こどもの日で、病院食にも柏餅が付くのであった。
夜はLPで中村誠一「取りみだしの美学」、三上寛「ひらく夢などあるじゃなし」、「タモリ3/戦後日本歌謡史」など聴きながらビール。
5月6日(木)
「龍野の標準的一日」である。
天気がいいので老母を車椅子に載せて外出する。
百メートルほどのところにある、あまあ大きい本屋まで行く。
何冊か購入。『ひょうご風景100選』(のじぎく文庫)というのが出ているのを発見。これは昨年5月に兵庫県公館に展示された『私の好きな兵庫県の風景100選』を本にまとめたもの。わが写真も掲載されている。知らなかったなあ。……が、老母が難しいSFが載るよりも喜んでくれ、一冊買ってくれた。
5月7日(金)
「龍野の標準的一日」である。
夏の陽気である。
ここで、とうとつだがニコニコの謎について考える。
「ニコニコ」とは何か。
前置きが長くなるのだが……実家の横に畑があって、母が入院したために雑草が伸び、ご近所から色々なご忠告がくる。すべては親切でいってくださるのであるが、わしゃ菜園の世話なんて趣味もなければ知識もない。
知り合いから人を紹介してもらって、雑草処理、黒いシートを被せて「休耕」にしてもらう。4時間ほど作業してもらって、昼に終了。
さやえんどう、イチゴ、じゃがいもが植えてあって、これは収穫後に同じ処理をすればいいのだとか。イチゴ以外は「どうぞご自由に」とせざるを得まい。
午後、母用にイチゴ数個を摘んで病院へ持っていく。
なんでもしばらく前に「食べ頃になったイチゴ数個が消えてしまった」ことがあるのだという。道路からは入りにくい場所なのに、おかしな話である。
で、老母がいうには「××さんところがあやしい。あそこのじいさんは、昔から笑うのが好きやったから」
まあ、じいさんは20年以上前に故人なんだし、これは邪推であろう。
が、確かに、「よく笑う人」であったことは、ぼくもよく覚えている。
ここでいう「笑う」は顔の表情ではない。関西で使う俗語の方である。用例は、たとえば開高健『日本三文オペラ』に出てくる。
特にぼくが強烈に覚えているのは、子供の頃(50年ほど前である)、ご本人から「映画館でニコニコ笑ろてきちゃった」と自慢げに聞かされたからである。
喜劇映画を見に行ったのではない。
映画館の前の自転車につけてあったカンテラをくすねてきたという意味なのである。
こんな話を老母としていて、ではなぜカンテラをニコニコといったのかという話になった。
どういう訳か、西播(兵庫県南西部)ではカンテラのことをニコニコと呼んでいた。懐中電灯のない時代、停電に備えて、昭和30年代のはじめまで、たいていの家庭にあったし、夜間の外出に提げていったり、自転車のフロントに取り付けることもあった。
あれをなぜニコニコと呼んだのか。どの地域での呼称だったのだろう。
以前、こんなことを話したら、米朝師匠が「あんたいったい歳いくつや!」と驚かれたことがある。姫路でもニコニコだったのである。
ウチの血筋なのか、母親も、こういう言葉の意味や語源が気になると落ち着かなくなるらしい。辞書を調べてくれというが、どう調べても出てこない。
イチゴからニコニコへ。入院生活は退屈なのであるなあ。
5月8日(土)
「龍野の標準的一日」である。
家や病室でテレビを断続的に見ていたら、昨日の福田辞任に続いて、管の「辞任拒否」の生中継……というより、本人が出てきて、くどくどと同じことばかりしゃべっている。往生際の悪いやつ……では片づけられない、不思議な違和感を覚えるなあ。
夜はLPで、ラスカルズ、ジョージ・ルイス、クリス・バーバー・ジャズバント。
5月9日(日)
「龍野の標準的一日」である。
朝5時過ぎ、「日本の話芸」に柳亭痴楽が出てくる。前の小痴楽。大きな耳だなあ。先代の闘病生活がずいぶん長かったことを初めて知った。
終日雨。
新聞は(病院にある数紙もチェック)すべて「管は明日辞任」と打っているが、管本人はテレビ局をハシゴして、相変わらず同じことばかりクドクドとしゃべり続け。このギャップは何なのか
管が「いざという時にダメな男」なのは今回に限ったことではない。
昨日からの違和感、「説明しなければならない」「説明するのが私の責任」の繰り返しににイライラするのである。管は、国民は説明すればわかってくれる」と信じているのだろうか。おれには「国民は説明してやらなければ理解しない」という愚民観?に毒されているとしか思えない。わしゃ、所詮ポンジン(日本人のことね)というのは90%は愚民だと思っている。でなければ、森と本質的に政策が変わらない小泉の支持率が80%を超えるなんて悪夢が実際に起こるはずがない。
福田も小泉もポンジンの大部分が愚民であることは知っている。だからこそ、理屈よりもイメージ優先の作戦をとる。背後に「選良」官僚がいるわけだしね。
こうなるとどちらが国民をバカにしているのかわからんなあ。
悪賢さでは福田・小泉の方が管より遙かに上だなと、愚民たるおれは思うのであった。
ともかく管の政治生命が終わった日である。
5月10日(月)
雨があがった。
朝の龍野の風景、低く垂れ込めた雲と天然林・鶏籠山の緑がなかなかで、一句詠みたくなる雰囲気なのであった。
ということで、川沿いの道をゆっくり走って病院に向かっていたら、とつぜん雲行きが怪しくなり、数分間のうちに土砂降り。まさに馬の背を分けるというのを実感する。
病院前の道路、冠水していて恐ろしいばかり。
病室のバスタオルで頭と体を拭く。災難であるなあ。たしかに天気予報では一時雷雨もといってたけど。
テレビは天気予報と同様に、管が夕刻辞任と予報を伝えている。もう飽きたよ。
市の介護保険課の担当者が来室、要介護度の訪問調査である。チェック・シートを広げて母に質問するのを見物する。……「一般的に行う調査ですから」とくどいほど断っての質問、何かと思ったら、とうぜん「ボケ」チェックも入っているから、「この病院名は?」とか「さっきまで何してましたか?」といったアホみたいな質問連発。なるほどね。
あ、管に覚えた違和感はこれと同質か。ボケ日本人にはテレビで何度もやさしく説明してやらねばいかんのだなあ……。管はポンジンをボケ扱いしていたわけだ。土井とか辻元ほどひどくはないけどね。
夕刻、横浜から兄が来る。
見張り役交替。
いっしょにちょっと一杯やってから、夜、帰阪。
5月11日(火)
わ、朝7時まで寝てしまった。
珍しいことである。
溜まっている雑事が色々あるが、なぜか体の節々が痛くて、終日穴蔵。
郵便物の処理と新聞など。
5月12日(水)
3時に目が覚めた。復調である。
朝から溜まっていた雑用を色々処理。
10時過ぎから自転車でウロウロ。梅田の銀行その他。最終的には、タイムマシンの部品関係で三国近くまで。ついでに阪急・庄内ま豊南市場まで走る。
海産物目当てであるが、豊南市場内に立ち食いうどんの店を発見。大和という店だが、こりゃなかなかの味、立ち食いうどんランキングを修正する。
午後帰宅。
夜は専属料理人の並べた皿をぼちぼちと片づけながら、読売棒振団を阪神がやっつける場面を期待してテレビを見るが、形勢面白くなし、テレビを切って、坂田明『フィッシャーマン・ドット・コム』その他を聴く。
あ、22時を過ぎてしまった。
もう寝るのである。
5月13日(木)
雨である。
終日穴蔵、雨読である。
5月14日(金)
わ、午前2時半に目が覚めてしまった。
3時に「資源ゴミ」を持ってオモテに出たら、はやくも「アルミ缶漁り」諸君が活動開始しいてるのであった。働き者というより、競争が激しいんだろうな。
昼前、タイムマシンの部品関係で、自転車で京橋近くまで行く。
快晴で暑く、冷麺が食べたくなって、自転車を京橋に置いて、環状線で鶴橋まで移動。
が、焼き肉屋となるとビール一杯となるので、ここは自粛。
鶴橋では立ち食いうどんのフィールドワークをやってないことを思い出して2軒。環状線ホームの「浪速そば」と近鉄構内の「うどん亭」。(マーケット横のは以前に懲りている)……が、京橋の充実に比べて鶴橋はいずれも平均レベル。やっぱり冷麺にはかなわないのかな。
いっそ「立ち食い冷麺」店ができると嬉しいのだが。
京橋に戻り、自転車で桜宮から大川沿いの道を毛馬閘門まで北上、淀川堤防を豊崎まで下る。約40分。この道は4月の花見時以外はサイクリング道路としては最高である。ママチャリで走っていても気分がいいのだから、本格的な自転車が欲しくなるなあ。高千穂遙氏に相談してみるか。講釈が長くなりそうだが。
夕刻、かんべむさし氏が来穴蔵。
久しぶりに軽くビールを飲む。
かんべさん、320万画素のデジカメ持参。かんちゃんがこういうデジタル機器に夢中になるのは珍しいことだが、面白くてしょうがない様子。(あ、石毛直道先生が新事務所を開設、電動アシスト自転車を手に入れた時の反応がこうだったな) 桂(ポンちゃん)米輔さんといい、意外といえば意外である。
5月15日(土)
ほぼ終日穴蔵。
昼間、自転車で青空書房往復。小さい店なのに結構入れ替わりが激しく、行けば必ず読みたかったのが数冊ある。『夢野久作』『黒岩涙香』の評伝、他。
坂本さん、咳がひどくて薬を飲んでいるという。症状、なんだか米朝師匠と似ているようで心配である。
夕刻、近所の会館で集合住宅の定期総会。
理事は離れているから気楽なものだが、議題のひとつが「ペット問題」。
管理規約にはペット禁止が明記してあるから、ペットの飼育は規約違反なのだが、その自覚すらない飼い主が増えていて、苦情が急増している。
色々な事例や判例を調べてみるに、どうもわが集合住宅、全体に住民が紳士的過ぎるのか揉め事が苦手なのか。違反者には強く出るべきである……と、違反者がひとりも出席していない総会では盛り上がるのであった。
午後9時過ぎからビール。
読売棒振団が早々と敗退したらしく、面白い場面を見損なった。しかたなく阪神の「雨中の延長戦」をダラダラと見るが、ずぶぬれの試合を見ながらビール飲んでもうまくないなあ。なぜであろう。選手や客席に感情移入しているからであろうか。
HomePage