『マッドサイエンティストの手帳』275
●マッドサイエンティスト日記(2003年5月後半)
主な事件
・『私の好きな兵庫の風景100選』(16日)
・滝川雅弘月例ライブ/旧友再会(20日)
・「ニューオリンズ・ジャズ・コンサート」(24日)
・石毛直道先生の事務所開き(24日)
・『尾田悟音楽の道60年記念コンサート』(25日)
・ジャズの害虫・バッタ野郎の駆除法発見!(25日)
・阪神ファン諸氏に詫びる(31日)
2003年
5月16日(金)
朝10時〜穴蔵で仕事を中断、FMでセッション505の再放送を聴くのであった。
日曜日にジャズの害虫・バッタ野郎のおかげで聞き逃していた「森山威男カルテット」。コルトレーン・ナンバーの特集で、9月の可児市コンサートではガゾーンをゲストに再演されるようである。
朝コルトレーンというのは朝酒と同じ気分になるので、録音だけして、夜聴くことにする。
昼過ぎに専属料理人と阪急で神戸へ。
兵庫県公館のロビーでやっている『私の好きな兵庫県の風景100選』の写真展を見に行くためである。
が、その前に元町の「愛園飯店」で昼飯。
……3皿並べてビールを飲む。が、後から来た女性ふたりが頼んだ定食を見たら、カニと玉子を混ぜたのとか、旨そうである。
しまった。平日の昼は700円のランチだあったのだ!
ま、たまには豪勢な昼飯もいいか。
ホロ酔い気分で兵庫県公館への坂道を上る。
公館ロビーで『私の好きな兵庫県の風景100選』の写真展を見る。
※兵庫県公館(JR元町北)ロビーで5月14日〜27日。
わが写真は15番目「畳堤のある風景/龍野市」で、「写真提供 龍野市 堀晃さん」とある。
龍野市は、他に龍野公園の聚遠亭とそうめん干しが選ばれている。
これらは、秋に選定される「兵庫のまちなみ100選」の対象であるらしい。
おれは近代産業の遺跡の方が好きなのであるが。
久しぶりに神戸を少し散歩してから帰宅。
5月17日(土)
朝刊トップにりそな銀行が公的資金注入のニュース。
「国営化」というより実質「破綻」ではないか。
旧大和をメインバンクとする某社、ある程度内情を知らないではないだけに、その行方が気になる。
同じ紙面に台湾の湾のSARS感染医師の旅程表。関空→大阪2泊→天橋立→姫路→小豆島→四国→淡路島通って関空とツアー、げ、大阪どころか、姫路でもニアミスではないか?
わが行動とつき合わせてみる必要があるなあ。
夕刻から天満・エル大阪でシナリオ学校講義「SFの書き方2」
今回は課題を出していたので、提出された十数編についてのコメント。
それぞれ面白く、例によって30分以上超過である。
おれも同じ課題で参加、短篇の一部を披露したが、ほとんど同じ発想の提出作品あり。
おれのは練り直しであるなあ。
5月18日(日)
朝5時過ぎ、「日本の話芸」再放送で、月亭八方の『始末の極意』を見る。
なかなかうまく、メリハリがきいているが、この系統の語り口(ある種の理詰め)はやっぱり桂歌之助が抜群にうまかった。
歌やんの落語が聴けなくなったのは、やはり寂しい。
SARSが気になってネット検索すると、SARS感染台湾医師の行程、ホテル名も含めてほとんどわかる。
幸い、最接近時間で3時間(大阪駅付近)である。こちらが先に通過しているから心配ないものの、5月9日夕方に入った「大阪駅近くのラーメン屋」というのはどこなんだ?
ガード下の新梅田食堂街だけではあってほしくない。
趣味というか、やっぱり仕事である。
昼前に出て播州龍野のタイムマシン格納庫へ移動。
午後はタイムマシンの整備。
夜は実家泊。
5月19日(月)
早朝から格納庫でタイムマシン整備。
終日肉体労働である。筋肉がだんだんと肉体労働に馴化してきた。
ビールがうまい。
実家泊。
学生時代の書籍を色々再読。
5月20日(火)
午前中は実家の仕事部屋でノートパソコン。
こちらはパルスダイヤルのダイアルアップ接続。
ADSLに慣れてしまうと、もう面倒でネットに接続する気分にならない。
贅沢なものである。
午後、格納庫に遠路東京より来客。
タイムマシンを某国へ移送する密談であるが、かなりの危険地帯になる可能性があるからどうしたものか……と、あまり本気にしないように、エシュロンくん。
夕刻、某氏をお送りしたあと、荷物を整理して、帰阪。
大阪駅から谷町線に乗り換えて谷町九丁目へ……と、これは先日SARS感染台湾医師がラーメン屋からホテルへ移動したのと同じコースである。
SUBでの滝川雅弘カルテット月例ライブ。
開始直後にたどり着く。と、意外に盛況である。
入り口付近の席に座ったら、隣の男性が「やあどうも」という仕種。
……誰だったっけと思ったら名刺をくれた。「松本良機」とある。
一瞬わからなかったが、たちまち思い出した。大学時代、旧NULL末期(DAICONの頃)からタイムパトロール初期にかけて、SFファン活動でなにかといっしょだった松本さんである。
1965年以来だからたぶん38年ぶりである。
なぜこんな場所でかというと、滝川サポーターのひとり、松竹の川合さんと知り合いでSUBに来るはずと判明したという。
時々松竹試写室でのコンサートをサポートしているのが川合さんである。
松本さんの会社が松竹試写室の電気工事をしたのだそうである。
なんとも不思議なつながりだが、松本さんは、そういえば舞台照明などの仕事をしていたから、舞台装置や映画関係につながりがあって不思議ではないわけだ。
世間は狭いなあ。
本日は「滝川さんがクラリネットを始めた頃」の知人連などで盛況。川合さんも2ステージ目から到着。
本日のベースは廣田昌世さん。……ベースの山口裕之さんが離れてから、ベースが決まらないままだなどと話していたら、2ステージ目途中に、とつぜん山口裕之さんが現れた。
正式に東京に移ることになり、住居が決まったので挨拶にということらしい。
ゲストで2曲演奏。リクエストに応えてアルコでミスティ。
最後の曲は「ジャイアント・ステップス」……これは山口さんの今後の活躍を祈ってという滝川さんの心遣いで、ちょっと憎い選曲である。
深夜帰宅。……本日、なんだか珍しい人たちが交錯した一日であった。
5月21日(水)
終日穴蔵。
3日間こちらを留守にしているだけで雑件がゴミ溜め状態なのであった。
だいたい片づけたのであった。
5月22日(木)
朝刊に武村信吾氏の訃報。関西テレビの常務という偉い人だが、ぼくにはジャズピアニストとしての印象の方が強く残っている。30年ほど前には何度が聴いているが、ハチの幸田晋一郎さん、ドラムの久保利道さんなど、亡くなった人も多い。最後に聴いたのは5年ほど前、客として来ていたサントリー5で数曲ソロを弾いた時だったかな。
SARS感染台湾医師の行程、5月9日夕方に入った「大阪駅近くのラーメン屋」が気になっていたが、週刊新潮に「阪急梅田駅の新阪急ホテルアネックス横の線路下にある有名なラーメン店に寄りました」とある。
有名かどうかはともかく、該当する繁盛店はひとつだけではないか。
昼頃に偵察に行ってみるが、特に貼り紙があるわけでもなし。アホがラーメンを食べておりました。
夕方、昔から仕事関係を離れても仲の良かったT氏と久しぶりに会う。たぶん10年ぶりかな。
加賀料理の店で刺身、ばい貝、ハタハタなどで冷酒。
どうしても昔の話になるが……30年ほど前につき合いのあった数社の、その後の数奇な運命など(某超ワンマンの爺さんの会社、爺さんが亡くなったら、跡継ぎの男3兄弟(といってもいい歳なのだが)が10年もしないうちにコロコロと死んだとか。男として何の面白い期間もないままに、である。ストレスかねえ)、色々聞きながら新地3軒ハシゴ。こんなことも5,6年ぶりである。
5月23日(金)
終日穴蔵。
少しは仕事もするのであった。
5月24日(土)
午後、専属料理人と都島の都島の「アンサンブル・ホール」(辻久子記念ホール)へ。
ここは1月に滝川雅弘さんがジャム・セッションをやったホール。
本日はニューオリンズ・ラスカルズ+JON MARKSの「ニューオリンズ・ジャズ・コンサート」である。
石田さんが渡米中で、ベースはレッドビーンズの佐々木さん。
1部はラスカルズ+マークス。2部はトリオ〜カルテット〜レッドビーンズの池本さんもゲスト参加して、多彩な構成。
第2部の最初に、マークスの希望で、河合さんがジョージ・ルイスの遺品のクラ持って、ベースとピアノのトリオで賛美歌。クラシック用のホールで音響もよく、胸が熱くなるような名演であった。
最後のアンコール曲「ダニーボーイ」も素晴らしい。
15分の休憩を含めて3時間近いコンサートであったが、まだちょっと聴き足りない気分である。あ、前のビッグリバーでは「ジャズの害虫・バッタ野郎」に妨害されて2曲しか聴けなかったからなあ。
本日は土曜日で、夜は同じメンバーでサントリー5に出演なのであるが、別の予定があり、これで満足とする。
環状線・桜宮まで歩いて、大阪駅経由、JR茨木へ。
3月末で国立民族学博物館を退官、これからは「おもろいことだけをやる」という石毛直道先生の事務所開きである。
JR茨木駅、春日丘高校のすぐ近くで、「お酒も置いてあるコンビニ」の2階、1フロアである。
午後5時半頃に着いたが、もう大盛況である。
かなり広いフロアの半分近くが本棚、奥にテーブルやソファなど。
いちばん奥に梅棹忠夫先生と小松の親っさん。
程一彦さんや高田公理氏、かんべむさしなどお馴染みの顔ぶれ。その他、要するに春の「花見会」メンバーが集まった雰囲気である。
タコヤキやらワインを色々といただく。
この事務所、これからはサロンにという構想らしいが、石毛先生、電動自転車で近所を「探検」するのが面白いらしく、ほとんど不在、放っとけば高槻あたりまで遠征の日々らしい。
おれもバイク復活しようかなと迷うが、専属料理人は猛反対。……要するに「即死」ならありがたいが、ややこしい介護状態はご勘弁をということである。
ま、しかたないか。
電動自転車検討が無難な線かな。
5月25日(日)
夕刻まで穴蔵に籠もる。
17時過ぎ穴蔵を出て、地下鉄で難波の道頓堀ホテルへ。
王龍子さんが企画している「Swing in 2003」というコンサートで『尾田悟音楽の道60年記念コンサート』である。
目玉は尾田悟と中村誠一のテナーバトル。ベースに宮本直介というのも期待できる。
中華のコース付きの、まあディナーショー的ライブか。
司会の杉岡東丘という「じいさん」はしゃべり過ぎで、ちょっといただけないが。
中村誠一さんが1949年製セルマーバランスアクションを入手したというので、期待のコンサートである。
滝川ライブでお馴染みの池田さんと「黄金虫」以来の誠一ファン・藤井信幸さんと同じテーブル。
藤井さんとは昨年ミスター・ケリーズで誠一さんを聴いて以来である。
全体にジャズライブというより大人の同窓会みたいな雰囲気。
1セット目、テナーの音色を数曲楽しんでいたところに、司会者がヴォーカルを呼び出した。出てきた「歌手」を見て思わずのけぞりかけた。
先日の大川ジャズフェスで多大の迷惑を被った、「ジャズの害虫・バッタ野郎」ではないか。
その名を「チャーリー西尾」という。
知らなかった。こんなのが出ると知ってたら絶対に来なかったぜ。
歌も歌うのかとうんざり気分。ナット・キング・コールなど3曲歌ったが、はっきりいって論評に値しないレベル。へたくそ。発音もひどい。わしゃ日頃、上山高史のCDを聴いているから、とてもじゃないが聴けたものではない。ぼんち・おさむ程度ではないか。
しかし、これは主催者が呼んだのだから、我慢しなければならぬ。
フロア前の方にかなりのスペースがある。
嫌な予感どおり、2セット目、本格的な2テナーが始まったところで、またもバッタ踊りを始めやがった。こちらは最前列右側のテーブル。左の方で小太りの女と踊っている間はがまんしていたが、目の前に移動してきた時には、さすがに我慢の限界を超えた。
中村誠一のセルマーによる音色を楽しみに来たというのに、目の前で短足とデブ女のバッタ踊りをやられたのでは堪らない。前は無料のコンサートだからおれが席を立ったが、今回は許せない。
立ち上がって、
「おい、目障りだから向こうへ行け!」と一喝したら、やっと左隅の方に移動した。
ったく困ったやつだ。今岡清なみの人間のクズだ。
あとで中村誠一さんが「堀さんが怒鳴ったらビビッてたじゃない」と笑っていたが、たまには怒鳴りつけてみるものだなあ。
・チャーリー西尾という名の出ているライブには絶対に行かない。
・目の前でバッタ踊りをやりだしたら怒鳴りつける。
「害虫駆除」にはこれを徹底することにしよう。
同志求む、である。
害虫・チャーリーを駆除できたので、2ステージは邪魔がなく、中村誠一がピアノを弾いたり(結構うまい)、直介さんのベースとのからみもよく、最高の雰囲気のステージになった。
それはそうと、隣席のジャズダンススタジオを主宰している女性と話していたら、この方がとんでもない経歴の持ち主と判明。一例をあげれば、60年代半ば、青山にいた頃にトニー・スコットが転がり込んできたとか(これは瀬川先生の家から出て、香港と往復していた時期らしい)、ビリー・バンクスやサラエス・モズレー(おれはソノシートでこのボーカルを持っているぞ)と親交があったとか、おれにとっての「ジャズ史空白部分」についてたいへんな情報をお持ちらしいのだ。改めてお話をお伺いすることにする。
終演後、中村誠一さん、藤井信幸さんと近くのライブハウスへ移動して、夜中まで雑談。
0時を過ぎてしまった。
5月26日(月)
終日小雨そぼ降る。
終日穴蔵。
少しは仕事もするのであった。
夕刻、岩手方面でかなり大きな地震。平谷美樹さん、よっちゃんを初めとする岩手のジャズ・ファンの諸氏は大丈夫であろうか。
5月27日(火)
昨日から読んでいた平谷美樹『約束の地』を明け方に読了。
小説後半の展開と昨日の東北での大地震のイメージが重なって不思議な気分になる。震災と作家の嗅覚を重ねるのは不謹慎ながら、阪神大震災での筒井康隆氏や北野勇作氏の作品がそうであった。平谷さんが「のっている」証左でもある。
珍しく朝寝。
昼間はネクタイをしての仕事もするのであった。
5月28日(水)
カンカン照りの夏日である。
梅雨にそなえ、穴蔵の寝具を干すのであった。
東向きベランダなので午前中しか干せない。
昼は本町まで行って、会社勤務時代の知人とランチ。カンカン照りの中を自転車で移動したので、おれだけビール中ジョッキを飲む。ボンクラサラリーマン諸君が多い店でこれをやるのは気分がいい。
本町まで行くならと専属料理人に頼まれていたTakeuchiのパン、行ってみると「引っ越し中」で30日に少し離れた場所に再オープンと、小さい貼り紙があるのみ。遠方から来たらしい女性数名が貼り紙をのぞき込んで戸惑っている様子。
夜はワインの予定が計画変更である。
すぐ近くのかんべむさし事務所に寄って雑談1時間。
夜は「冷ヤッコ、ミンチカツとキャベツ、筑前煮で焼酎湯割り」というつまらんメニューになってしまった。
が、『Live at Bird's Eye』のエリック・アレクサンターのテナーを聴きながら飲んでいるとまことに気分がよく、たぶん湯割り5、6杯ではないか。北野勇作さんから貰ったベトナム焼酎、めでたく空になる。
5月29日(木)
本日もカンカン照りの夏日。
穴蔵に籠もっていたいのだが、雑件重なり、市内ウロチョロ。
午後に穴蔵に戻って、少しは仕事もするのであった。
夕刊にプリゴジンの訃報。『散逸構造』を読み直そうと書棚を探すが見つからない。ハーケン『協同現象の数理』が出てきたのでしばらく拾い読み。これも完読していないなあ。
宇宙の運命はボルツマンが決めた。「熱死」である。プリゴジンは熱死にいたる過程に秩序(生命)を生成させた。荒っぽいイメージではそんなことになる。コーヒーカップの中のミルクの渦巻きに銀河系を見るように、宇宙SF好きは、煮立ちつつあるみそ鍋に宇宙生命の誕生を見る。これぞプリゴジンのおかげである。ボルツマンもみそ鍋を食べていたら死ぬことはなかったのにと思うことすらあるほどだ。
ああ、「熱の檻」の長編化は生きているうちにできるのだろうか……。ホイル様、プリゴジン様のためにも、少しは仕事しなければ。
5月30日(金)
所用あって本町へ自転車で。
と、朝9時過ぎ、中之島、市役所前に長い行列。地下鉄・淀屋橋まで。「ライト側売り切れました」なんて係員が叫んでいる。先頭は地下に潜り込んでいる。何なんだ。
用件終わって、帰路は御堂筋の西側を走る。
と、北端・阪神デパートを囲むような長蛇の列。どうやら7月甲子園での阪神・巨人戦のチケット販売と判明。しかし、きちんとした身なりのサリーマンらしいのもずいぶん並んでるぞ。仕事、どうしているのだ。もう昼に近い時間なのに。
これで阪神がボロ負けしたら怒鳴りたくなる気持ちはよくわかる。
しかしなあ……阪神優勝で「景気回復」はわかるが、単に消費拡大だけであって、国力は確実に落としていく。仕事しないんだものなあ。
わしゃ外貨獲得のために、いったん帰宅、今度はネクタイして地下鉄でふたたび本町へ。
ややこしい日だ。ややこしいけど、ナイターのチケット獲得のために1日犠牲にするよりは……。
などと考えつつ、夜、ビール飲みながらテレビを見ると、阪神ボロ負けの様相。甲子園ならものが投げ込まれるところか。
音を消して、ローヴィングスピリッツの嶋津健一『ダブル・ダブル・ベース・セッション』を聴く。端正かつユニークなトリオ演奏が画像(阪神ボロ負け)と全然合わず、なんやらシュールな雰囲気になってしまう。
台風接近、これからの阪神には「Stormy Weather」あたりが似合うか。
5月31日(土)
台風は逸れたというか消滅したというか。南風が少し強いだけなのであった。
終日穴蔵。
5月はあと7時間ほどあるのであった。(と午後5時に思ったのであった。)
別にたいしたことも起こるまいと、夜、専属料理人に作ってもらった「枝豆、冷ヤッコ、マグロの山かけ、焼きナス、水菜の煮浸し」を並べてビールを飲みながら気楽にナイターを見ていたら、二転三転、期待通り河原が打たれて、阪神、嵐の逆転劇。ドラマというのはあるものだ。
阪神ファンに詫びる。トラッキー浅田稔先生にもお詫び申し上げます。
昨日のところに「阪神Stormy Weatherの予感」みたいなことを書いたのは、台風にかこつけて、これから阪神のボロ負け連続が始まるだろうと縁起でもない予想したからである。
間違いであった。
阪神が台風となって東京ドームを襲ったのであった。
ともかく申し訳ない。わしの間違いであった。
前にも書いたが、おれは巨人ファンである。巨人が負けるのを見るのが何よりも好きなのである。
阪神が4-3で中日にサヨナラ勝ちする試合より、巨人が0-10で横浜に負ける試合の方が好きだ。
むろん巨人が阪神にボロ負けする試合が最高に好きだ。
したがって、おれも興奮はしているのだが、巨人が最後に1点返したところが気に入らないのである。徹底してないなあ。
ま、ともかく、過去の例をみても、おれが「お詫び」すると、世の中少しずつ好転するのである。
ということで、5月は終わる。
HomePage