『マッドサイエンティストの手帳』303
●マッドサイエンティスト日記(2004年5月後半)
主な事件
・天六の朝は働き者の街である(18日)
・30年ぶりに野良捕獲(19日)
・播州龍野の日々(19日〜)
2004年
5月16日(日)
終日雨である。
終日穴蔵。あまり仕事はしないのであった。
5月17日(月)
わ、午前3時に目が覚めた。
テレビでジャパネットタカタが復活しているではないか。「新顔」のターさんも登場。価格.comと比較するのが朝の楽しみである。
雨、朝6時頃まで降り続く。
少しは仕事もするのであった。
昼前に、宅配便発送。ついでに自転車でヨドバシ。龍野での仕事用にパソコンを買い替えるか迷うが、ここはがまん。基本的にはノートパソコンのキーボードがどうしても体質に合わない。肩が凝ってしまうのである。龍野の自宅から動かないとなれば安いデスクトップを導入せざるを得まい。……まあ、テキストの入力だけなら、実家には9801がまだ健在なんだけどね。
立ち食いうどんのフィールドワークで、阪神百貨店地下のスナックパークの立ち食い「讃岐うどん/楽座」を試みる。大阪の讃岐うどんはほとんどがセルフ店で、立ち食いで讃岐うどんを標榜している店は珍しい。
5月18日(火)
わ、2時半に目が覚めてしまった。少しずつ目覚めが早くなっている。
少しは仕事もするのであった。
夜明け前、空腹なのであった。自宅に朝食の用意がないことは事前にわかっていたので、日の出前に自転車で天六方向へ出かける。
と、午前4時半、近所の路上で若いのが3人座って宴会?中。嗚呼。
本庄東(天七)まで行くと、路上に女の靴が脱ぎ捨ててある。橋の上か川べりなら慌てるが、ごくふつうの道路。森永ひさし(←なんて歌手、覚えている人いるかなあ)じゃないけど『何があったの』」といいたくなる。
天六の駐車場前にはゴロ寝男。ホームレスではなさそう。
以上3件、金曜の夜ならともかく、月曜深夜から火曜早朝にかけてのことだぜ、ったくもう。日本は、大阪は、キタはどうなってしまうのか。
天六、4時59分開店の「十八番」(天六の立ち食いうどんの向かい側である)……ここは前の路上にクルマがずらり、自転車も。朝の客はほとんどが「働き者」で、開店と同時にほぼ満席になる。
早朝開店の店なので、ここは「早朝グルメ」には入れていないが、「朝飯」では抜群の店である。運ちゃんや、これから現場に向かうという威勢のいい連中がぞくぞくと入ってくる。……つまり、深夜の放埒組と早朝からの仕事組が見事に入れ替わる場であり時間帯であり、そこが気分いいのである。
朝定食は豚汁・貝汁・味噌汁の3種類あり、わしゃだいたい貝汁定食400円である。
ということで、「十八番」朝飯組諸君を見習って、6時前に帰館、終日穴蔵で少しは仕事もするのであった。
本日、専属料理人不在。
夜、ミナミへ。
久しぶりに上本町六丁目の「やぐら」で串カツ。
20時過ぎにSUBへ。
滝川雅弘カルテットの月例ライブ。明日が早いので1ステージのみ。初演の「スカイライナー」がユニークであった。
5月19日(水)
早朝の電車で播州龍野へ移動。実家へ。
明日、老母が退院することになったので、手すりの取付けや上がり口の改造など、実家の改修について工務店と打ち合わせ。
昼前に病院へ。
テレビで宇都宮の拳銃立てこもり男・畠山くんの実況中継中(この時点で28時間経過、がんばるなあ)に、ちょうど主治医が回診に入って来た。
「まだやってますか。……こら確実に覚醒剤やってますな」
なるほどねえ。
午後、実家に戻って、今度は久しぶりに「猫の捕獲」である。
たちの悪い野良(面相も凶悪である)が実家に居着きそうな気配があり、母が戻ってきて、しかも窓を開け放つ季節になると困ったことになりそうである。
倉庫から古いリンゴ箱(昔はリンゴは木製の箱に詰められていたのである)を探し出し、段ボールの上に餌とともにセット、これを紐で引いて落とす「古典的方法」である。
……15時前、猜疑心の塊みたいな悪相野良、「罠」の餌を食べているではないか。
細心の注意を払って紐を引っ張る。一度失敗すると、もうこの手は使えないからなあ。
箱はゴトリと落ちて、見事に野良を封じ込んだ。
餌を食べている場面をデジカメ撮影するのは無理であった。残念。
ちなみに、この方法による捕獲、30年前に成功して以来ではないかなあ。
兄貴と共同作業で「荷造り」……が、底がダンボールだと撓みが生じて、猫の手が突きだしてくる。さて恐ろしき執念よなあ。
今回、自転車では目立つので、友人のワゴンを頼み、だいぶ離れた揖保川沿いの寂しげな場所まで移動、新天地での活躍を祈って解放したのであった。
夜は捕獲成功と退院前祝いを兼ねて、おでんを作って盛大に兄弟酒盛り。
5月20日(木)
きちんと4時に目が覚めるのであった。
5時30分……ニュースを見ていたら、宇都宮の立てこもり男・畠山くんに対して警官隊「突入」の中継が流れる。この種の事件はだいたいが「暁の急襲」であるから、4時半からもうそろそろとテレビをつけっぱなしにしていたのである。
45時間……よくがんばったものである。6時過ぎに「身柄確保した」が「死亡したらしい」に変わるが、覚醒剤云々はなし。
病院へ。
朝8時、病院の朝食が終わったら、さっそく母が「帰りたい」と言いだす。
もう待ちきれないらしい。
9時に事務所が開いて、精算してからのつもりが、通院もあるから後日でいいということになり、直ちに荷物を整理、友人のワゴンを頼んで10分後には自宅に帰館である。
ワゴン車、昨日は野良を運び本日は老母を運ぶまた楽しからずや。
昨日まで世話役であった兄は横浜に帰る。
本日からしばらくはわが当番である。
退院の電話連絡、ハガキ作成、食材買い出しと、雑用が多い。
5月21日(金)
龍野の標準的1日……というのは、自宅に戻るとだいぶ変わりそうだな。
標準パターンはこれから作っていくことにして……
母、髪が気になるらしく「白髪染めがどうとか」言い出す。
食事のこと、治療のことはわかるが、美容関係になると皆目わからない。
入院中いちばん気になっていたことらしい。
妹に連絡して、明日来て貰うことにする。
午後、タクシーでリハビリのために病院往復。
夜は……阪神〜読売棒振団戦を見ながら、おれは晩酌、老母におれの酒肴を少しずつ分け与えるのであった。
……などと書くと母をいじめているような。
老母の食が細くなっている。好物の「白和え」「きんぴら」「ひじき」「土佐煮」みたいな総菜が少しあればいいというが、これでは筋肉や骨の回復が遅れてしまう。和風総菜は幾つか用意しておくことにして、メインデッシュ(動物性蛋白)は「こちら」のを少しシェアするという作戦であり、おれが肉や魚でビールを飲むのも一種の親孝行なのである。
などといいつつ、ビールを飲んでいたら、読売の振り回す棒にたまたま井川の球が命中する不運があり、母が落胆。老母を悲しませる読売は許せんという気分になってテレビを切る。
母が寝たあと、LPのオムニバス(フリーダムというのが出てきた)でオーネット・コールマン、セシル・テイラー、ダラー・ブランドを聴いてから寝る。
5月22日(土)
朝から改修工事。
築百年を超える家なので、バリアフリーなどと言いだすと改築相当の大工事になる。
幸い室内なら杖なしでも歩ける程度になったので、上がり框の改造と要所に手すりを設置する程度で、午前中に終了。
妹が助っ人に来たので、午後、いったん帰阪することにする。
午後、姫路に出ると、ものすごい人出である。
なにか祭かイベントがあるらしく、歩道が混み合っている上、飲食店、どの店も表に列が出来ているのが異様だ。
何しろ、そううまいとはいえない立ち食いの「山陽そば」にまで人が並んでいる。
昼食はあきらめて山電〜阪神特急で梅田へ。三宮〜甲子園間の混み方も予想通り。
ああしんど。田舎暮らしに慣れると、人混みはつらい。
拉致家族5人帰国のニュース、似たような報道ばかりで散漫であり、ビールを飲みながら阪神・読売棒振団の試合中継見る。
あとはオーディオパークから出た『ニューオリンズ・クラリネット』『モダン・クラリネット』を聴く。
後者にはデフランコのSP盤から10曲収録されていてたまらない。
5月23日(日)
早朝から穴蔵で雑用の処理。
午後4時に穴蔵を這い出て播州龍野の実家に向かう。
いつもなら阪神梅田から姫路行き特急を利用するのだが、本日は夕方から甲子園で阪神〜読売戦なので、この路線は敬遠。
阪急梅田→高速神戸→山陽電鉄で姫路のコース。
途中、妹からメールで買い物の指示。姫路のデパ地下で母用の食材指示である。
指示にしたがって姫路・山陽デパート地下に行ってみると、奥の方にイカリに似た、やや高級食材スーパーが入っているのであった。自分用には一袋300円の岐阜産えだ豆と刺身。
指示してきた妹とは姫新線・余部駅ですれ違いである。
午後7時、実家着。
豪勢に酒肴を並べ、横からねだる老母に少しずつ分け与えつつ、盛大にビールを飲む。
親孝行のためにも、がっばってビールを飲まねば。
テレビで阪神〜読売棒振団戦を観戦しつつ。
これ、まれに見る波瀾万丈のゲームであるが、9回裏で中継終わる。これだからサンテレ以外はいかんのだよ。老母9時半にふて寝てしまう。
こちらにはラジオがないからなあ。
で、ネットで経過を見たら、なんと「おれのいちばん好きな」河原が出ているではないか! 読売棒振団を借金生活に引きずり落とす「救世主」久々の登場! 見たかったなあ。わしゃあの暗い感じがたまらなく好きだ。
5月24日(月)
播州龍野の標準的1日(在宅バージョン)が始まる。
・午前4時に目が覚める。朝刊が届くのもこの時刻である。
・午前7時頃に老母も起床する。
・朝食はトースト、コーヒー、果物系である。(ここで牛乳/タマゴを食べればいいらしいが、老母はあまり好きではない)
・掃除・洗濯もするのであった。
・龍野のゴミ出しは分別がうるさいのであった。
・2階の書斎(旧・勉強部屋)に籠もるが、1時間ごとに階下をチェック。
・正午に昼食。昼は軽くである。ごはん/うどん・そば/寿司系/焼きそば系/丼系/カレー系のいずれかが多い。
・回覧板なるものが回ってきたり、選挙の事前運動みたいな訪問があったり、募金があったり、顔見知り(こっちは知らない人が多いのだが)の訪問者は無視もできず、そのたびに階段の上がり降りも結構面倒である。
・銀行や郵便局、買い物にも行くのであった。
・時々、タイムマシン格納庫へも行くのであった。
・週2〜3回は老母をリハビリに連れていくのであった。
・パソコンはダイアルアップ接続なので朝・昼・夜、最小限の接続だけである。
・時間はあるのだが、細切れの時間ばかりになり、何かに集中するのは難しくなる。
・本棚を片づけたり、オーディオの配置を変えてみたり、LPを整理したり、環境だけはそれなりに整ってくるのであった。
・これで庭の雑草処理とか菜園の手入れなんてのに関心が移るとやばいね。
・夕刻、シャワー。
・これからが『親孝行』時間である。
老母用にはごはんと最小限の総菜の小鉢数個を並べておけばいいのである。
おれは、炊く/焼く/炒めるは出来る。煮るもなんとか。蒸す/揚げるは出来ない(揚げ物は出来合いのを買ってくるしかない)。
この方法に、肉/魚/タマゴ/野菜を組み合わせれば、メニューは数十くらいはなんとかなる。
味付けは専属料理人みたいな複雑なことはしない。
枝豆とヤッコは欠かさない。
まあそんなところで数皿並べてビールを飲む。
老母には動物性蛋白を少し分け与えてやる。……これが親孝行なのであった。
・午後8時を過ぎると、やることがなくなるのであった。田舎の夜は早い。
・LPをしばらく聴いてから、本を読んでいるうちに寝てしまうのであった。
・1日が終わる。
5月25日(火)
龍野の標準的1日(在宅バージョン)であった。
5月26日(水)
龍野の標準的1日(在宅バージョン)であった。
5月27日(木)
龍野の標準的1日(在宅バージョン)であった。
専属料理人が午後こちらに来るという。
ということで、夜は久しぶりに煮物(鯛の煮付)とか生もの(静岡産のしらす)とか少し手の込んだサラダなどが並んだ。
5月28日(金)
龍野の標準的1日(在宅バージョン)がつづく……はずであったが、土曜に某講座があるのを忘れていた。準備もあるので帰らねばならぬ。
午後、妹が到着。退院後1週間の診察とリハビリのために病院往復の後、夜、専属料理人ともども帰阪。
5月29日(土)
雑件が色々と溜まっている。
昼、不在時に届いた郵便物の受け取りと発送のために自転車で中央郵便局まで。
あと、御堂筋の方に回る。
と……立ち食いうどんの丸一屋が閉店しているではないか。
お馴染みの巨大な丼の看板が撤去されているから閉店なのであろう。味は標準レベルだが、24時間営業という姿勢が立派な店であった。
しばらく離れているだけで変化が早い。穴蔵近くのコンビニが閉店して「めしや丼」に改装中であるし。チェーン店ばかり増えても面白くないのだが。
旭屋に寄って、老母が読みたいといった志水辰夫の短編集を購入。
シミタツが読みたいとはどういう心境なのであろう。ハードボイルド時代の作品ではないから、なかなか渋い趣味なんだけどね。
夕刻、天満の「エル大阪」へ。
シナリオ学校の講座。SF志望者は少数みたいなのがちょっと寂しいところだ。
終了後、天満に向かう路上で芦辺拓氏と遭遇。昨年徳島で発見したという文庫『梅田地下オデッセイ』(200円)を持ってきてくれたのであった。
近くの安い中華屋でのウチアゲに高井信さんと天羽孔明さんも合流するらしいのだが、ちとしんどいのと明日からまた龍野行きという事情もあって、こちらはパス。
そういえば、今夜のサントリー5には東京からのゲストも参加しているらしいのだが、こちらへ寄る元気もない。
昨夜は中津川で森山威男カルテットのコンサートがあったようだし。
おれのいない場所で楽しげなことが色々と進行している感じだなあ……。
午後10時近くから、専属料理人の作った鶏の煮込み、ボンゴレ、サラダなどでワインを飲む。BGMは森山威男『しーそー』である。
5月30日(日)
朝から雑件処理。
どうでもいいことだが、穴蔵の階下の部屋が引っ越しである。
昨日朝から業者が荷造りを始めたが、1日で終わらず、本日になっても延々と作業が続いている。
昼前にオモテに出てみたら、なんとトラック3台である。わが穴蔵と同じ間取りのはず。これだけの荷物が収納できるとは信じがたい。ちらっと見たら、傘だけでも30本ほど傘立てに詰め込んである。
都心のゴミ屋敷ではなかったのだろうか。
堺三保さんの部屋もこんな状態だったのだろうか。
おれも穴蔵を引き払って実家に書斎を移す可能性があるから、荷物は(本も含めて)極力増やさないことにしているが、ともかく桁がちがうぜ。
と、去りゆく人がどんな人物かは知らぬまま、昼前の電車で播州龍野の実家に向かうのであった。
午後、妹と担当交替。
龍野の標準的1日(在宅バージョン)に復帰する。
5月31日(月)
龍野の標準的1日(在宅バージョン)である。
市役所の介護保険課で居宅介護について聞き、近所のケアマネージャーに諸々の依頼に行く。
色々手続きが面倒であるが、ま、こんなのも一度慣れればあとは楽。小学校同級であった中山一江さんに比べれば、軽いものである。
夜はLPで鈴木章治。北里典彦のトランペットはいいなあと再認識。デキシーの南里、スイングの北里である。確かオーディオパークから去年あたりにCDが出たはず。あとで当たってみよう。
ということで、早くも5月が終わる。
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