『マッドサイエンティストの手帳』301
●マッドサイエンティスト日記(2004年4月後半)
主な事件
・穴蔵の日々(16日〜)
・滝川雅弘月例ライブ(20日)
・ハチのアルテック・バレンシア復活(21日)
・小学校同窓会で47年ぶり再会多数(25日)
・播州龍野の日々(23日〜)
2004年
4月16日(金)
終日穴蔵……のつもりが、天気がいいので、午後、自転車で野田阪神往復。家用の買い物である。新しい自転車、ずいぶん軽くなった印象。
4月17日(土)
終日穴蔵……のつもりが、天気がいいので、昼前、自転車でヨドバシ、タワーレコード、ジュンク堂。競馬開催日は梅田(北側)の人出が多く、扇町、天六、天八と迂回して帰宅。
あまり仕事はしないのであった。
国立国会図書館から「日本全国書誌」が届く。寄贈した「桂歌之助」が受け付けられて書誌に掲載されたとの連絡である。
国立国会図書館のHPで蔵書検索してみると、きちんと出てきた。
大阪府立図書館、大阪市立図書館、京都府立図書館もすべて検索できた。図書館の寄贈本の扱いについて心配していたが、すべてきちんと納めてくれたのであった。
ちょっど完売したところなので、これはまあ、よかったよかった。
「図書館問題」がらみで、図書館の対応について思うところなきにしもあらずだが、今回の扱いについては好印象を持つ。きちんと機能しているのであった。
ジュンク堂、旭屋の店頭も完売。
青空書房も完売……ただし、また問い合わせがあるらしいので、編集委員の手持ち分(数氏が保管用に数冊ずつ買ってくれたのである)から融通してもらうことにするか。
4月18日(日)
定刻4時起床、5時20分から「日本の話芸」再放送、珍しく桂三枝の出演であるが、不思議に新作は朝から聴く気分にならない。
5時半に自転車で天六「十八番」へ。……ここは朝4時59分開店の人気朝食スポットで、天六の立ち食いうどんの向かい側。早朝グルメ店に加えてもいいのだが、朝飯専門であって、ビールを飲む人はまずいない。
朝食専用ということでは、新梅田食堂街の「毎日」と並ぶ贔屓店である。
快晴で、もうたぶん寒くはならない雰囲気なので、穴蔵を冬仕様から夏バージョンに変更する。暖房機器の片づけ、冬物衣料をクリーニングに出し、部屋の掃除。
午後は広々としたフロアにごろ寝して雑読。
あまり仕事はしないのであった。
4月19日(月)
曇天、昼前から雨になり、午後は本降り。
終日、穴蔵で雨読。
……のつもりであったが、かなりのどしゃ降りになったので、昨日やり残したベランダの掃除。デッキブラシで犬毛を洗い流す。ずいぶん吹き溜まるものである。
兄妹間でメールやりとり、スケジュール調整、播州龍野には終末から連休にかけて行くことにする。
夜、夕食に「自宅」へ行く。
吹き降りの中、茶屋町アプローズが、燃えさかる巨大石油ストーブのように見える。ちょっとブレードランナー的眺めである。
雨で買い物に行かなかったから「冷蔵庫内片づけメニュー」とかで、ヤッコ、小芋、タタミイワシ、焼売、ハンバーグとキャベツのケチャップ煮、もずく、という雑食でビール、湯割り。
ニュースは例によって「元人質のPTSD(? こんなの3人揃って罹るものなのか?)」とかばかりなので、テレビは見ず、CDでデフランコ、ケン・ベプロフスキー、ケニー・ダーヴァンを聴く。
某友人がメールで、6月中旬、NYのIRIDIUMにデフランコが出演すると知らせてくれた。うーん、迷うところだが……老母の退院の時期と重なりそうだしなあ。
4月20日(火)
終日穴蔵。
少しは仕事もするのであった。
夜、谷九のSUBへ。
滝川雅弘月例ライブ、本日はピアノの八木隆幸さんに替ってギターの橋本裕さんが入ってのカルテット。客はだいたいいつもの顔ぶれに加えて、CD「Masahiro Takigawa」をプロデュースした南方和尚、それにうれしいことに女性客が多い。
女性二人は神戸大のジャズ関係、あと二人は親娘で、滝川さんが教職にあった時指導した生徒で、その娘さんが中学生、ともにフルートを吹いているという。ジャズの裾野を感じさせる客層だ。
2ステージ目の初め、神戸大の川島さんという女性ベースが入って一曲。パーカーの曲だっけ。なかなかの腕、さすが田中啓文の後輩である。
どうでもいいけど、店のオーナーでもあるベースのNやんが「結婚して、パリに新婚旅行中」だとか! ええっ、ボヤキのNやん、小松さんより若く筒井さんより上のはず。それが新婚……元気やなあ!
4月21日(水)
快晴、夏日である。
久しぶりに朝のテレビ番組を見る。番組表にイラク人質問題について「自己責任論」徹底検証と出ていたからである。
が、その議論、ひどいもの。
高千穂遙氏も指摘しているが、おれは「自己責任」とは漠然と「自己の判断による行為については自分が責任を負う」程度にしか考えておらず、「自己責任の原則」は「法律用語」で明確な定義があることをオロモルフのホームページの「保存頁」にある記事で初めて知ったのである。
なるほど、政府見解に賛成するも反対するも、この「基本の基本」に基づいて発言しなければ(少なくとも政府見解に矛盾はない)、トンチンカンな批判、見当違いな珍論暴論になってしまう。
その上でテレビのコメンテーターの発言を見ていると、その教養レベルが見事に判別できる。
鳥越某なんてとんでもない暴論を吐いている。コラムで読んだ香山某もまったくピントはずれ。
イラクへの自衛隊派遣に賛成か反対かということではない、定義を誤解した発言をいくらやっても何の意味もない。
基礎教養というのは大事だな。無知とはおそろしい。おれも同等レベルかと思うと冷や汗が出てくる。テレビで恥はさらしてないけどね。
またしばらく、電波芸者見物は中止である。
自転車で市内ウロウロ。
ランチタイムに、久しぶりにハチに寄る。
おおっ、ハチの雰囲気が一変している。
今年初めに冠水したアルテック・バレンシアの修理が終わり、戻ってきた。汚水で汚れた奥の壁も改装、ついでに側面がレンガ壁になって、すごく落ち着いた雰囲気になった。
山下洋輔さん寄贈という「ジャズメン人形」も飾られている。
アルテック・バレンシアの音質、「まだ元の音にはほど遠いがチューニング中」で、元の音に戻るまでは、かなり使い込まねばならないとか。
マスターがボブ・ウィルバーのクラをかけてくれる。音質、わしの耳には前の音と区別がつかないけどね。
「ハチママ、昨日聞いた話やけど、Nやんが結婚したらしいで」
「なにぃ! ○回目かいな! ありゃウチより年上やで!」
「わしの一回り上や」
「スーベはだいたい女の体を弾くのもうまいねん」
「一般論としてはなあ……グズラさんなんか、そう思えんけど」
「Nやんが特別やねん、ナオン弾きすぎて、スーベはうまないねん」
「まあ元気でなによりやんか」
「Nやんがそれやったら、ウチかて、バレンシアが元の音出すまで、あと40年、店やるで!」
推定年齢110歳まで……まあ、こんな対抗意識が長生きにつながれば結構なことである。
その時わしゃ99歳か……
4月22日(木)
快晴。初夏…というよりも夏そのものである。
終日穴蔵。
あまり仕事はしないのであった。
夕刻、地下鉄・桜川の某セレモニーホールへ。
昨日とつぜん連絡のあった、芦辺拓氏ご母堂のお通夜である。
本当に「急なこと」であったらしい。
芦辺さんの母堂はわが老母より若く、そして「物語」について芦辺さんにかなりの影響力をお持ちの方だったらしい。喪主・芦辺さんからそんな挨拶があった。
ぼくは「物語」については母の影響は受けていないが、文章表現については影響されている……ということが最近わかったきた。
芦辺さんが落ち着かれたら、このへんのことをゆっくり伺うことにしよう。
4月23日(金)
わ、午前3時に目が覚めてしまった。
4時にNNN24を見ると、北朝鮮でLPガスと石油の列車衝突、爆発事故で、死傷者3千人以上、小金ちゃんの列車が通過してから9時間「後」とか……「前」の方が面白いのになあ。
雑件色々の日。
出かける用事のある日に限って雨である。
と思っていたら、9時にやむ。
自転車で市内ウロウロ。
午後、明日からしばらく大阪を離れるので、雑件処理が多い。
ついでに午後、近所の医院へ。
血圧、142-80。「まあまあ」といわれるが、ちと高いかな。自転車で帰ってきて10分だからこんなものか。
夜、専属料理人の作った数皿並べ、阪神〜読売戦(甲子園)見ながらビール、湯割り。と、読売が逆転して急に面白くなくなる。
テレビを切って、CD。ピーナッツ・ハッコー、花岡詠二、藤家虹二を数曲ずつ聴く。共通タイトル「Tribute to Benny Goodman」である。
読売のサヨナラ負けかもしれないが、結果は見ないまま、もう寝るのである。
明日からしばらく播州龍野行きである。
4月24日(土)
わ、午前2時に起きてしまった。
NHKを見ると「スタンリー・キューブリック」のドキュメント、第1回で「博士の異常な愛情」がメインで、ウディ・アレンなどがコメントしている。3回ほどあるらしいから、「2001」の回もあるのかな。
そのまま朝まで雑用片づけ。
ほとんど始発に近い電車で播州龍野へ移動……が、姫新線の土日ダイヤ、朝はまばらになっていて、姫路駅で1時間近い待ちが生じる。早朝8時から営業の新興書房で龍野での読書用数冊。
実家へ行くと、先週から滞在している兄、「大掃除」の最中。防犯用を兼ねた自動点灯の庭園灯とか玄関モニターを取り付け工事している。好きなんだのう。
あとは病院と実家を自転車で往復、「龍野の標準的一日」再開である。
4月25日(日)
3時に目が覚める。
机に向かっていたら、午前4時、庭園灯が点灯する気配。朝刊配達の気配に、門灯ちゃんと作動したのである。まあ便利といえば便利。
朝、病院往復のあと、歩いて龍野公園へ。
桜はさほどきれいではないが、龍野(に限らないが)の新緑はたいへん気分がいい。とくにモミジの名所とされる場所は、この季節がいちばんである。
1時間ほど散策の後、昼前に国民宿舎「赤とんぼ荘」へ。
小学校の「同窓会」……正式名称は、あまり公開したくないが「小宅小学校昭和31年度卒業生還暦同窓会」である。
つまりこの4月から来年の3月にかけて全員節目の年齢を迎える記念の会でもある。
約45人参集、卒業生の約1/3である。
大部分は同じ中学に進むのだが、ぼくだけは家の事情もあって姫路に通学したものだから、まったく47年ぶりに再会という同級生が多い。
が、名札と顔を照合すると、たいてい当時の顔を思い出すから不思議だ。まあ頭髪は別にして。
それに女性参加の同窓会というのも小学校だけだから、ぼくには珍しい雰囲気である。
孫数人というのもザラ。全体にやはりオバハンたちは元気だなあ。
仲のよかった英ちゃん、47年ぶり再会組のひとりであるが、今は某警某部長という要職にあってテレビにも何度か写ったことがあるとか(出演というよりも、部下の不祥事でアタマ下げる役ね)、確かに正義感の強い少年だったからなあ。「印籠」がわりに名刺をいただく。
難病の夫の介護10年の記録を出版したKさんとか(これは別途紹介)、早くも「老人会の最若手」というのやら、「挨拶が必ず説教になる」僧侶のTくんとか、小学校の場合はバラエティ豊かである。(大学の場合、大部分が技術系サラリーマンだからなあ)
夕刻帰宅。
夜は兄と久しぶりにビールを酌み交わす。
最後は、阪神が読売に逆転勝ち(星野が小久保の弱点を指摘したとたんに、その通りの展開になって逆転。星野おそるべし)、わが愛する読売棒振団が単独最下位、つまり「再会」で始まって「最下位」で終わる、まことに楽しい一日であった。
4月26日(月)
早朝の姫新線で、長期滞在していた兄が帰る。
駅まで見送りの後、病院へ。
「龍野の標準的一日」の「再開」である。
天気予報によれば、明日は未明から大雨。
気が重いことであるなあ。
4月27日(火)
夜来の雨、早朝にますます激しくなる。
朝刊を取りに傘を差して庭に出るだけで下半身かなり濡れるほど。風も強く、自転車での往復は無理である。
昼前、小降りになるまで待って病院へ。
あとは「標準的一日」となる。
4月28日(水)
天気晴朗なれど風強し。
まるでバラードの『狂風世界』、病院前に駐車の自転車、軒並みに吹き倒される。
母が、お見舞いへの礼状を書くというので、龍野の新緑の写真を入れた絵はがきを数葉プリント、病院に届ける。
写真はがきにすれば長文を書く必要がないからとの配慮だが、万年筆で結構こまかく詰め込んで書く。辞書も使わずサラサラと数枚書き上げる。……病室やリハビリ室に掲示してある注意書きの文章がおかしいとあれこれ批判、まあボケる心配はないようである。
昼前に妹が来たので、一時交替、ただし夕方まで。
午後はタイムマシン格納庫に籠もる。
4月29日(木)
世間は本日より連休入りらしい。
快晴で「行楽日和」らしいが、こちらは「龍野の標準的一日」。
夜は久しぶりにワインを飲みながらテレビでナイター観戦……のつもりが読売棒振団が優勢で面白くもなし。阪神は横浜に5連敗濃厚、去年のリベンジだが、接戦で負けるパターンが多いのは、島野の不在が主因ではないかと想像する。
野球がつまらんので、2階の「リスニング・ルーム」にワインその他を持ってあがり、LPで、サンジェルマンのブレイキー、ラスカルズの「古い十字架」、山下トリオの「木喰」を大音響で聴く。
ああ、酔った。
4月30日(金)
「龍野の標準的一日」である。
連休前の金曜営業日とあって、龍野にある唯一の都市銀行支店、9時からATM前に長い列。
市役所の介護保険課など、雑用色々。
と……昼前にとつぜん専属料理人とボンクラ息子その1がやってきた。
ボンクラ息子その1、夜行バスで今朝大阪着、そのまま見舞いに来たのだという。意外に感心なやつである。
近くの讃岐うどんセルフ店で昼飯。ボンクラ息子その1、えらい気に入りようで「晩飯もここで食べたい」とまで言い出す(山陽自動車道・龍野インターの北側交差点近く。Mという大きな店もあるが、こちらはペケ。「一心」という店である)が、夕刻帰阪。
夜はまたひとり寂しく晩酌。
読売棒振団、唯一の「借金」球団がいつの間にか「5位」に「躍進」している。
面白くないので、今夜も2階のリスニングルームで飲みながら、LPでステファン・グラッペリ「アフタヌーン・イン・パリ」、鈴木章治「プレイ・ガーシュイン」、「ソロ・モンク」、右近雅夫出演の「デキシー・フェス」アルバムなど。
と、酔っぱらっているうちに4月も終わりである。嗚呼……
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