『マッドサイエンティストの手帳』279
●マッドサイエンティスト日記(2003年7月後半)
主な事件
・播州龍野を歩く(17日)
・アホ原の泣き面で寿司を食べる(26日)
・全日本デキシーランドジャズ・フェスティバル前夜祭(26日)
・かめくん送別会(27日)
・名古屋のジャズ友・今高英一氏を訪ねる(30日)
・おなじみ「某経紙のH記者」来穴蔵(31日)
2003年
7月16日(水)
げ、気がつけば午前8時を過ぎている。
おれの日常からいえば4時間寝過ごしである。
うーん、二日酔いである。というよりも、まだアルコールが抜けきっていない感じ。
いつもは早朝に移動するのが、ラッシュアワーの過ぎた時間帯に、電車で播州龍野のタイムマシン格納庫へ移動。
中東の某国へ移送する予定のタイムマシン、現地まで出向かねばならぬかと覚悟していたのが、某社スタッフが日本で指導してもらえばやってみるということになったのである。
午後、ベンツで現れた青年相手に夕方まで「航時訓練」……優秀な青年で、近いうち、中東某国で2000年ばかり過去に遡りそうである。……本気にしないように、エシュロンくん。(もっとも、最近はイラク情報がらみで、エシュロンくん、口ほどでもないという噂だけど)
龍野の実家泊。
7月17日(木)
ううっ、寒い。
薄着で寝ていたら、明け方、寒さで目が覚める。毛布を出して再仮眠。
快晴であって、午前9時を過ぎてやっと普通の気温になる。
と、たちまちカンカン照りの真夏日になる。
困ったものだ。
こちらのノートパソコンで少しは仕事もするのであった。
昼前後、2時間ほど龍野の旧市街など散歩。
龍野の町並みをデジカメで撮影。……遠方に住む老母の「女学校時代の同級生」、殺風景な環境で不遇な生活をしているので、母が絵はがきがわりに送る龍野の写真(おれが撮ってプリントしたもの)を眺めるのが唯一の心の慰めなのだという。
昔、女学校のあった場所を中心に10枚ほど写真ハガキを作成。
日差しが強すぎていい絵にはならない。
ノートパソコン担いで、夕刻帰阪。
明け方の寒さで風邪をひいたみたいで、くしゃみ連発である。
7月18日(金)
朝刊に石田衣良氏の直木賞受賞のニュース。
去年3月はじめに会って、なんといい男だと驚いたのであったが、筆力がちゃんと容貌についていっているところが素晴らしい。
朝から電話とFAXが錯綜。
昨日で中東関係が片づいたところへ、今度は台湾経由の上海である。
SARS一段落で密約復活、機密書類の作成とFAX。ああしんど。
気がつけば昼飯抜きの午後2時過ぎである。……やればできるじゃないか。
午後、辻元清美と五島昌子「逮捕」のニュースが流れる。凄いねえ。……田中真紀子はどうなる。
夕刻、ノートパソコン担いで神戸へ。
文化ホールの事務室で神戸ジャズストリートHPの最終打ち合わせ。
末廣光夫ご夫妻、作成実務のジャズ副大使・二神くん、ODJCの口羽事務局長にやつがれの5人。
最終的判断は末廣光夫さんだが、結局、ほとんど二神くんのセンスで作った案に落ち着く。
神戸ジャズストリートのページは現在まだ去年のデザインのままで簡単な案内しか出ていないが、近日、全面的にリニューアルの予定である。乞ご期待。
午後8時頃まで。小雨になる。が、甲子園はやっているらしい。
例によって「安くて旨い」中華屋へ行きたいところだが、くしゃみ連発状態が治まらず、まっすぐ帰宅。
……と、小さなコラム原稿のことで留守電あり。指摘内容、こちらも気になっていた部分でもあり、ネットその他で調べるが、結論がでない。「関係方面」は明日からの連休が明けないと連絡がつきそうにもない。
慌てて別原稿を書いて差し替えとする。
7月19日(土)
昨夜のつづきが気になって、あれこれ調べるが、やっぱりよくわからない。
ま、慌てることでもないのだが。
夕刻から天満のえる大阪。
シナリオ学校「専科」の講義……というよりも、提出作品を中心にしたゼミ形式。
ただ、提出された作品、それぞれに面白い部分、明らかな欠点など、こちらもよくわかるのだが、「やおい」的なのあり、ホラーあり、芸道小説あり、分類不能あり、シナリオあり……で、こちらのレクチャーが的確なのかどうか、ちょっと自信がなくなる。
笠原和夫氏の骨法十箇条を参考にしたが、これは極めて有効であった。SF版の検討を進めてみよう。
7月20日(日)
終日穴蔵。
風邪はどうやら回復。
そういえば栃木の塩原温泉で日本SF大会が開催中である。
SF関係のサイトが静かなはずだ。
野尻抱介氏の『太陽の簒奪者』が星雲賞日本長編部門受賞……らしい。そんなニュースが流れるが、公式報告はまだ。まず間違いないところであろう。
しかし、梅雨明けがまだという時期にSF大会というのも不思議なものであるなあ。
7月21日(月)
九州地方「湿舌」による豪雨。カジシン、大丈夫か。昔、台風で手塚コレクションその他大部分に被害を受けて以来、物欲はなくなってしまったらしいから、まあ命さえあればよかろう。
終日穴蔵。
夕刻、かんべむさし氏、来穴蔵。
静かな日である。
7月22日(火)
市内ウロウロ。ジュンクドー、旭屋にも寄って、ちょっと調べもの。
三球・照代ではないが、地下鉄の経路で調べたいことあり、中央線と堺筋線が相互乗り入れ可能かどうか……結局は陸送しかないとわかる。
谷町線と中央線は谷町四丁目にある「秘密の連絡線路」で乗り入れ可能。
こんなのが他にもあると思っていたのだが、ないのだなあ。
当然、検車場もそれぞれ違う。谷四が例外的なのであった。
正午……正確には午前11時45分頃に堂山町交差点を通りかかると、ルン吉くん、またも車道で思索にふけっている。
7月11日に車道進出していたが、今回、クルマがちゃんと避けて通っている。
偉くなったものである。
午後、ハチに寄る。 ハチママ、体調を崩していたが、まあまあ元気に復帰。ただし午後3〜5時は「休憩時間」にしているという。明かりを落とした店内で、来月8月7日の山下洋輔ソロ・ライブのことなど、色々しゃべること多い。
※8月7日夜、山下洋輔ソロ。まだ少し余裕あり。問い合わせは06-6363-4888(ハチ)へ。
わしゃ6-7の席におります。
夜、ビール飲みながらナイター。
阪神が伊良部でヤクルトに勝ち、読売は延長の末、広島に負けるという、なかなかの展開である。
7月23日(水)
朝刊のトップ。イラクのドツキ漫才コンビ、「ドラ息子・ウダイとクサイ」米軍が射殺のニュース。へえ。まあ、中東某×リアへは行かなくて済むことになったから、どうでもいいんだけど。
雑用色々の日。
ついでに地下鉄で恵美須町へ。
ニノミヤの部品コーナーその他、タイムマシンの部品を探すが、製造中止部品、なくなるのが早い。徒労に終わるなり。
夕刻帰宅したら、専属料理人の実家からなんとワイン半ダースが届いたという。
なんでも○婚式の祝いということらしい。こちらは忘れておりましたがな。
ま、しかし、せっかくいただいたワイン、さっそくパスタなど作っていただく。
読売〜広島、阪神〜ヤクルト、ともに0-0の投手戦。なんといっても阪神の久保田が凄い。古田を3三振させるふてぶてしさ。これが新人か。巨人が9回表1点とられる、エラーまがいのだらしない敗戦、阪神は延長サヨナラ勝ちという、結果としては最高の日であった。
が、自由党が民主党に「吸収合併」で合意という不思議なニュースも。
どうにもならん状況だな。
7月24日(木)
終日穴蔵……というわけにもいかず、3時間ほど外出。
たいした成果なし。
中国相手の仕事は疲れる。
ボンクラ息子その2、本日より長い夏休みに入るのだという。
これまた疲れることだ。
7月25日(金)
午前2時過ぎに目が覚めてしまった。
読売テレビ、76年東映の『暴走パニック大激突』をやっている。
深作欣二作品で、まあまあ面白い。
最後の「大激突」、低予算で、今のハリウッド映画と比べると情けないようなものだが、役者の面白さと「仁義なき戦い」のカメラワークで撮ったところがミソなんだろうな。ロケ地、淀川あたりか? 見たような景色が出てくる。
おなじみの役者が皆若いなあ。
で、気がつけば明け方である。
終日穴蔵。
が……タイムマシン関係の電話とFAX錯綜。
英文レター作成の時間がやたらかかるようになった。歳であるなあ。
夕刻、神戸ジャズストリートのジャズ副大使・二神くんが進めていた神戸ジャズストリートのホームページ、リニューアル・オープンしたという連絡メール。
ぼくも少しばかり打ち合わせに参加していたので、少しばかり感慨もあり。
まだコンテンツが少ないが、これから充実していくだろう。
こちらからもリンク設定。
ボンクラ息子その1が東京から電話してくる。
月末から8月初めにかけて上京のつもにりだったのが、中国関係の遅れで微妙になった。ボンクラ息子その1と「鳥正」で一杯のつもりであったのが、ずれ込みそうである。盆休に帰省するから、上京に及ばすの連絡である。
いたしかたなし。
谷口英治を聴きたいのだけどなあ……。
専属料理人とワインを飲んでいたら遠く花火の音。
そうか、本日は天神祭、船渡御の日であったのだ。
3年前までなら北浜で桂歌之助師匠の落語を聴いて、あとは花火を見ながらビールを飲むのが恒例であったが。
7月26日(土)
終日穴蔵。
宮城県でM6の地震のニュースばかりであるが、それに混じってサンスポにとんでもない記事。
「G戦士にスマイル指令…新スローガンは「笑え!!」(サンケイスポーツ)」
……だというのである。
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「低迷する原巨人の新スローガンが『笑え!!』に決定した。」原監督は「笑顔のないところに幸せは来ない。こんな時だからこそ笑わないと」と選手に強制スマイル指令。Aクラス死守に向けて、徹底的に笑い倒す作戦(!?)だ。
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海亀産卵顔のアホ原が「笑え」ったって無理だろうが。
そもそも命じられて笑えるものではないのだ。苦笑・失笑・冷笑・嘲笑ならできるだろうけど。
貧すれば鈍すの典型。
「笑顔のないところに幸せは来ない」がそもそも間違っている。幸せが来た結果として笑顔があるだろうけど、だいたい笑いながらゲームして勝てるのかねえ。
小松左京氏の名言を思い出した方がいい。『坂道を荷車引いて上っているやつを笑わせてみろ。どうなると思う』
などと呆れ返りつつ、夕刻、専属料理人と新梅田食堂街の「春駒」へ行く。
と、カウンターに「うわばみ」高井さんが来ているではないか。
おれの顔を見るなり、「HPの原に関する書き込みを見て、ぜひこの写真を見せたいと思っていた」とわざわざコピーをいただく。偶然とは不思議なものだ。
7月13日A紙スポーツ欄。12日に読売が阪神に14-3でボロ負けした翌朝の記事である。この泣き面は傑作。著作権その他があるから誰の顔かわからないようにアップするけど、ぜひ原典に当たっていただきたい。この顔で選手に「笑え」ったってなあ……
この写真をながめつつ、あら煮、握り数皿。ビールが旨いなあ。
20時前にニューサントリー5へ。
全日本デキシーランドジャズ・フェスティバルの「前夜祭」で超満員かと予想していたが、ふだんとそう変わらない。
お馴染みの方あちこちに。
ステージ合間に、口羽事務局長から、明日のために来阪されているトラディショナル・ジャズ研究家の柳澤安信氏を紹介してもらった。
柳澤氏の凄さは『ジャズ批評』などで知られているが、ラスカルズのディスコグラフィーを作成した人であり、最近はオーディオパークレーベルでアーリー・ホワイトジャズやシカゴジャズなどSP盤の貴重なシリーズを復刻されている、凄い人なのである。
一目で「学究肌」とわかる方であった。……クラリネット特集も企画中という嬉しい話を伺う。
その他、ゲスト色々。
※ゲストのひとりは「バンジョーのツムラさん」と紹介されていたから、ギターの「ツムラ・コレクション」で知られる「ツムラアキラ」氏のはずである。「世界は日の出を待っている」その他が聴けた。
いちばん近いカウンター席で最終ステージまで。
わしゃ、演奏途中に「疲れるから」と隣りに座った福田さんとお互いの頭髪の話をし、専属料理人は河合さんとツーショットを撮っていただいて大満足であった。
歩いて帰宅0時前である。
7月27日(日)
ほぼ終日穴蔵。
舞子では全日本デキシーランドジャズ・フェスティバルの日であるが、少しは仕事もしなければならないのであった。
夕刻、近所の「安くて旨い」北京料理店「菊華」で、北野勇作さんとモリカワと合流。
急なことだが、北野夫妻、生野区へ引っ越すという。
ささやかながら送別会である。
北野さんは別にキタが嫌になったわけではなく、もっと広くて安いところがあるらしい。
亀3匹が這い回るためのスペースが大幅に拡大と聞くと、そりゃいいという他ない。
かめくんは阪神大震災でアパート倒壊、勇作さんに連れられて都島、それから同じキタの住カメになってもう6年である。
ちょっと寂しくなるが、まあ時々旨い焼き肉を食べに行く機会が増えそうだし。
まだモリカワの荷造りが残っているらしいので、深酒はやめて、ごく上品に最後の晩餐。
「生野へ行くの」というオジンギャグを思いついたがむろん言わなかった。
7月28日(月)
月曜である。
雑用が色々あるのであった。
午後、出かけたついでにハチに寄る。
ここで天満のタウン誌「あるっく」の井上彰さんと会う。
別冊として出している『天満人』を受け取る。
わしゃ『天満人』2号に西天満がらみで「SFとジャズと上方落語」のことを書いているのであるが、眼目はむしろ天満宮の氏子としてのハチママ・インタビュー記事(これにも多少協力しております)、その他天満の人たちのインタビュー集、大塩平八郎の乱に関する資料など、面白い記事が多い。
天神祭に合わせて発行、大手書店にあるが、むろんハチにも「青空書房」にも置いてあります。
井上さんが苦しいなか頑張って出しているムックなので、立ち読みといわず、ぜひ一冊お買い求めを。
おれがこんな宣伝をするのは珍しいでしょ。
それくらい充実した内容なのであります。
ハチママと8/7山下洋輔ソロライブのことなど1時間ほどしゃべって帰る。
夜は滝川雅弘、サム・モスト、ケニー・ダーヴァンとクラCDを聴きながらビール。
読売のボロ負けのない日は静かなものである。
7月29日(火)
関西のSF関係でよく知られている小鯛亜紀さんから「結婚しました」というハガキ。
まことにめでたいが、その写真にのけぞる。極妻がマトリックスやってるようではないか。
ともに素顔なら美男美女の組み合わせだから、これは一種の照れ隠しか。
ということで「非公開」
7月30日(水)
大阪駅で朝8時半の新快速に乗る。神戸からのジャズ友・藤本さんと合流、米原から大垣経由、名古屋に向かう。
「青春18」期間になったら予定していたジャズ・コレクター訪問「その1」である。
11時過ぎに名古屋着、美術評論家にしてジャズ研究家の今高英一氏、わざわざまでホームまでお出迎えで恐縮する。
まず「あつた蓬莱軒」……由緒ある老舗の出店である……に寄って、数日遅れの「土用」ということで「ひつまぶし」でビール。
あと、今高邸に移動。
今高さんとは去年のニューオリンズジャズ・カーニバルでお目にかかって以来、何度も手紙のやりとりなどあり、そのコレクションの凄さに驚きつづけ、一度見せていただきたかったのである。
応接を兼ねたリスニングルーム……窓とドア以外はすべてレコート・CD棚と書棚とオーディオ装置。
正確な枚数はご本人にもわからないらしい。
インデックスはなく、しかし、○○関係というと、即座に取り出されるから、これにも驚く。全部アタマに入っているのである。推定、LP10000枚、CD15000枚くらいか。これはわが棚と比較しての荒っぽい計算。
藤本さん(中央)と今高さん。
今高コレクションは、ジョージ・ルイスに関してはSP時代から「ほぼ完璧」、それに、意外にもコルトレーンも凄い。何しろあの藤岡靖洋さんが訪ねてきたことがあるというのだから。
クラリネットに関しても、トラッド系は多く、最近のエヴァン・クリストファーもすべて揃っている。
その他、美術が本職だが、写真もうまかったらしく、「ジョージ・ルイス・イン・トーキョー」のジャケット写真は今高さん撮影のものなのであった。
……1964年に上京した時に、確かソニービルの一角でルイスの大きなポスターを見て、ほしいが値段を聞ける立場ではなかった記憶があるのだが、どうやらこの時の写真も今高作品らしいのである。
他にも、ディスコグラフィーや評伝など、珍しい資料を見せて貰っていたら、あっという間に夕方である。
また機会を見てお伺いすることにする。
帰路も新快速で大阪まで。午後9時頃に帰宅。
旅費2300円である。
7月31日(木)
朝からタイムマシン関係で雑件色々。ああ面倒な。
午後、わが家では「某経紙のH記者」としておなじみのH記者来訪。昨年2月19日に東京転勤以来である。
今回はわが「穴蔵」へ。
しばらくして林譲治さんも来穴蔵。
わが穴蔵、今までの来訪者はかんべむさしと身内の人間(専属料理人とか兄とか)くらいではないかなあ。
あまりお見せ出来る場所ではないのだが、今回、H記者の企画に協力するかたちで、ただおれひとりではご期待に応えられそうにないので、急遽林譲治さんに助っ人依頼である。
※わが穴蔵に関しては松田卓也先生が「明るい穴蔵生活」のなかである程度明かしている。
まあ、好奇心旺盛な種族にあまり書棚を検分されたくないというのが本音。
大部分を実家に移送して、いつでも夜逃げできるよう、ほとんど何も置いてないのが実情である。
ということで2時間ほど。
あと、専属料理人がつまみを運んできてくれたので軽くビール。
話はこういう状態になってからの方が面白いが、たぶん記録はなしである。
写真は例によって「ジャーナリストだから素顔は隠して」の「刑事犯扱い」。伊吹秀明さんや青山智樹さんが見たら「なんだ、Hのやつ、また何か悪いことやったのか」なんだけどね、ははは。
夜、テレビ大阪で『男はつらいよ 寅次郎恋愛塾』……22:40頃にやっとピットインの場面、望月「グズラ」英明さんと井上叔彦さんが約5秒映る。待ち時間が長すぎ。ドラマ自体は、シリーズもこの頃になると面白くもなんともない。せめて寅にはピットインで騒いでほしかったなあ。
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