HORI AKIRA JALINET
雑読雑聴

  

雑読雑聴 2


筒井康隆『小説のゆくえ』(中央公論新社)
 
 断筆宣言後に書かれた短い文章を総ざらいしたエッセイ集。
 巻頭に21世紀の文学に関する論考、つづいて表現の自由を巡る断章、さらに書評、文学賞の選評、推薦文とつづくが、その活動領域の広さに改めて驚く。
 役者としての活躍が目立つ昨今だが、芝居に関する文章は意外に少ない。むしろ芝居が小説に影響していることの方が面白いのである。
 色んなかたちで論じられる筒井作品だが、まだまだ新しい切り口があるように思えてくる。
 ひとつは現代科学への影響である。小松さんの影響は大きいが、筒井作品も意外なところに影響しているのである。
 北野勇作さんが『恐怖』における「腰を抜かす場面」の描写を「芝居をやっているものでなければできない描写」と指摘したのには感心した。が、ぼくはこの場面、ロボテックスの先端と重ねて読んでいたのである。ロボットの歩行に関する比喩がつづけて出てくる。
 こんな話を浅田稔教授にしたら、浅田先生も筒井ファンで「間接話法」などに刺激を受けたと話された。それどころか、川人光男先生にいたっては、工学から脳科学に転じるきっかけになったのは『脱走と追跡のサンバ』であると断言するほど。人生を変えた一冊の本なのだそうである。
 ……と、色々なヒントや発想が得られるが、やはり面白いのは、後ろの方の日常や「筒井家」に係わる文章。
 「週間食卓日記」は1997年の記録だが、基本的には20年前と変わってない印象。20年前の同趣向のが手元にないので確認できないが、朝の茶漬けが増えたのが一番の変化である。以前は、前夜に飲み過ぎた時に限られていたと思う。(と、われながら細かいことを覚えているなあ。ファンというのはそういうものである)
 おれは(別に健康管理なんて意識からではなく)20年以上、食事のメニューを記録している。……うーん、わが食卓と比較すると、おれの方が保守的であるなあ。
 おい、北野勇作くん、キムチや寿司など同じメニューばかりだといかんぜよ。
(2003.5.31)

平谷美樹『ノルンの永い夢』(ハヤカワJコレクション)
 
 Jコレクションについては書きたいことが多くて、かえって書くきっかけを逸してしまう。
 ちょっと遅くなったが、これは久々に登場した本格的時間SFである。
 具体的には、小松左京『果しなき流れの果に』、山田正紀『チョウたちの時間』につづく力作である。……間に川又千秋の短篇『指の冬』を入れてもいいかな。
 ともかく久々に読む時間SFの意欲作。
 意欲はつぎの2点に現れている。
 まず「果しなき……」の最終章に出てくる高次元宇宙のイメージをさらに視覚化しようとする試みである。
 山田正紀氏は「時間の量子化」というアイデアで挑み、平谷美樹氏は「超ひも」ならぬ「超セル」でクラスター状の特異な宇宙像を作った。このあたりになかなかのチャレンジ精神が感じられる。
 もうひとつは、「天才の内面」を描こうという、論理的には無謀ともいえるチャレンジである。
 天才(とくに科学者)の内面を描写するのはSF作家につきつけられた課題であって、難題でもある。理系の人間はとくに苦手なのではないか。おれなんぞ、「秀才と呼ばれても皮肉でいわれる方が多かった程度のオツムで天才が描けるわけないがな」と最初から敗退である。石原藤夫博士は、明らかに自分の等身大で書かれていて、ほとんど天才に近い秀才を描くことでは、その筆力はずば抜けている。理系でこれにチャレンジしようとしているのが瀬名秀明氏と思うのだが、話が逸れるので、別の機会に。
 天才科学者の描写で圧倒的に凄いのは、いうまでもなく小松左京。作品多数。
 つづいてデビュー作からヴィトゲンシュタインを登場させた山田正紀。
 それに、ブルトンの出てくる川又千秋「指の冬」の描写が光る。
 「ノルン……」では、第1部の天才少年科学者、これにプランクがからむあたりの描写が素晴らしく、これは並々ならぬ力量だと感心した。
 ここから受ける印象でいえば(SFMに載ったJコレクション・パネルの並び方を見ての印象とあわせてだが)、平谷美樹氏は「想像できないものを想像する」側の作家であるように思う。
 前半の「天才少年」描写は願望充足型を兼ねているので、ちょっとやりすぎかな。エンジンまで自分で作ってしまう「工作の才能」までは必要なく、理論家を脇で支える器用な少年を配置してもよかった気がするが。(もっとも野田篤司みたいに全部自分でやってのける天才も確かにいるけど)
 こうした天才描写のうまさと豊かな想像力が重なって、ラストの、壮大なイメージと同時にタイムトラベラーの哀しみを両立させたところがいい。
(2003.5.31)

平谷美樹『約束の地』(角川春樹事務所)
 
 帯を引用すれば「圧倒的スケールで人類の来るべき日を描くサイキックSF巨編!」であって、このフレーズに誇張はない。
 『ノルンの永い夢』が『果しなき……』を引き継ぐ本格時間SFであったならば、小松左京賞作家としては、エスパー、超能力ものに挑戦する時が来る。『エスパイ』に相当する作品である。
 フリーライターの高木はかつて取材したことのある超能力者・新城から以前ウェブサイトに参加していた「仲間」を探し出してほしいと依頼される。高木は超能力者ではないが、サイキックに関する「理解と負い目」があって捜索に協力する。そして……最初の100ページくらい、「色々な得意技」を持ったサイキックたちがつぎつぎに紹介されていく。例によって多彩な人物を書き分ける平谷美樹氏のうまさが発揮されるところだが、いずれもが超能力ゆえに脅えるいは鬱屈して生活している、その生活感の描写が見事だ。
 一方、陸上自衛隊の櫻木は、極めて能力の高いサイキック九條を擁し、超能力兵器への利用を画している。
 「約束の地」を目指そうとするサイキックたちと、それを捕獲あるいは絶滅させようとする側とは、水面下での激闘を繰り広げることになる……。
 尋常ならざるサスペンスで、ともかく読ませる。
 この面白さはと考えて、忍者小説の緊迫感に思い至った。予知や透視、心霊治療と色々な「得意技」が巧妙に組み合わされての集団戦にもつれ込むのだが、特に泰男が櫻木の前から初めて瞬間移動で消える場面は見事な呼吸だ。
 忍者小説というのは、けっして皮肉な比喩ではない。
 高木(通常人)−新城以下のサイキック
 櫻木(通常人)−九條以下のサイキック集団
 という構図。サイキックがエリート集団ではなく、むしろ虐げられた階層であることなど、山田風太郎よりも司馬遼の『梟の城』を思い出したのである。
 また時代小説を書ける力量の持ち主であるともいえる。
 ただし、話は、ここでまだ前半。
 後半については、作者の「あとがき」を尊重して、あらすじの紹介は控えさせていただく。
 後半(第2部)は部隊を東北の廃村に移して、ここではまた別の(デビュー作「エンデュミオン……」に登場したパイレーツクラブの日本版とでもいえばいいか、ともかく良く書けいてる)趣向が用意されていて、これまた面白い展開となる。
 2段組約400ページ。長編2冊の分量である。
 『約束の地』はデビューから9冊目というが、実質的には(本書の構成から見ても)9、10冊目といっていい。
 『エスパイ』と比較したが、これは作家としての姿勢と活動領域のことであって、『約束の地』は『エスパイ』とはまったく雰囲気の異なる、オリジナリティの高い作品である。ただ、この旺盛な創作意欲と筆力から、『エスパイ』時代の小松左京氏(ぼくは生を近くで見ていたからよくわかる)を思い出してしまうのである。
 おそらく多作に耐えられる作家であり、多作によって文章の艶が増すタイプなのではないかと思う。
 第1回小松左京賞にふさわしい活躍である。
(2003.5.31)

Stewy von Wattenwyl Trio『Live at Bird's Eye』(RKCJ-2008)Rovingspirits
 
 先日、尾田悟と中村誠一の2テナー・ライブを聴いて、いつもならクラリネットを聴く時間、手持ちのテナー(コルトレーン、ロリンズからジョニー・グリフィン、スティーブ・グロスマン、井上淑彦、音川英二まで)のCDを流しながらここ数日仕事をしている。むろん仕事はいい演奏ほどはかどらない。
 わしゃ古いタイプで「ながら族」以前なのである。
 で、聴いたとたんに、まったく仕事などする気がなくなったのが、この『Live at Bird's Eye』。
 Stewy von Wattenwyl TrioにテナーのEric Alexanderがゲスト参加したスイスでのライブ録音盤。
 このCDを聴くまで、わしゃエリック・アレクサンダーというテナーはまったく知らなかった。太く音量のあるトーン、豊かなメロディラインが流れ出したとたんに仕事の手が止まってしまった。
 この日は早々に仕事を切り上げて、専属料理人に命じてビールの用意をさせる。
 急ごしらえで粗食。しかし、ビールから焼酎に切り替えて、2度続けて聴いたが、まさに聴き惚れる、酔いしれる状態。
 夜、田中啓文氏に問い合わせたら、アレクサンダーは日本ではすでに有名で、来日もしている。CDも何枚か出ているらしい。
 しかし、ともかく、わしゃ素直に感動。
 こんなCDをリリースしてくれたローヴィングスピリッツに感謝! である。
 テナーファンならずともぜひご一聴を。
 ローヴングスピリッツは上山高史さんのザット・オールド・ピーセスを出したところでもあり、そのセンスと姿勢には頭が下がる。
(2003.5.31)
 ……これを書いたあと、今頃エリックを初めてとはなにごととご意見頂戴。この10年ほどの新しいプレイヤーをあまり聴いてないことを痛感する。お薦めにしたがって「Straight Up」「too toon to tell」など聴く。あわせて同世代のトランペット、ライアン・カイザーも。なかなかいい。ハードバップでも新世代が台頭していることが実感でいる。SFもしかりだものなあ。
 ただし最近聴いたなかでは、やっぱり『Live at Bird's Eye』が際だっているという印象は変わらない。(2003.7.21)


菅浩江『歌の翼に』(NONノベルス)
 
 活躍をつづける菅浩江さんの音楽を題材にしたミステリー連作。
 ミステリーというよりもパズラーかな。人殺しとか凶悪犯罪はなく、日常生活に起こるちょっとした謎が、身近な小道具とか音楽関連の題材(絶対音感とか音楽治療とか)できれいに解かれる。
 ちょっと影のあるピアノ教師を主人公に、いまひとつ経営状態のよくない音楽教室とそれを取り巻く人たちの生活が細やかに描写されていて、小説の重心も謎解きよりもこちらに置かれている。
 菅さんの音楽的素養がうまく生かされている。
 ジャズでないのがちょっと寂しいが、これはおれの趣味だからわがままというものか。
 SFを離れてこれをやったのは筒井さんの「ジャズ小説」くらいかな。
 おれもジャズで書いみたいが、不器用だからとても無理だな。
 ジャズでやるとしたら田中啓文さんかなと思っていたら、今出ている「小説すばる」の新連載シリーズが、まさにこの「上方落語版」である。落語ミステリーで業界描写も面白い。これはこれで楽しみだが、田中さん、これが終わったら、次はジャズ・ミステリーに挑戦するように、と、菅作品の感想が妙な方へずれてしまった。
(2003.5.31)

橋元淳一郎『カメレオンは大海を渡る』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
 
 橋元淳一郎さんの科学コラム集。
 『シュレディンガーの猫は元気か』の続編でもある。
 一言でいえばSFのネタの宝庫。
 多くは『サイエンス』と『ネイチャー』の論文から話題を蒐集してあるのだが、その取捨選択とダイジェストの工程に、「われ思うゆえに思考実験あり」に見られる独自の思考力とセンスが発揮されている。
 この種のコラムは大宮「デンスケ」信光氏も得意とされるところだが、橋元さんの取り上げ型はハードSF直結で嬉しい。
 やっぱり天文関係、宇宙論の話題が面白いなあ。
(2003.7.21)

中野晴行・編『BLACK JACK ザ・コンプリート・ダイジェスト』(秋田文庫)
 
 『ブラックジャック』全243話の「ダイジェスト」とうたってあるが、1ページ1話を紹介する「ブラックジャック辞典」である。
 百科事典でいえば索引の巻に当たる。
 「コンプリート」を称するはず。
 単行本未収録作品(「金!金!金!」など)もきちんと収録されている……というより、この作品、まったく知らなかった。
 ファン必携の文庫である。
(2003.7.21)

桂米朝『桂米朝コレクション』七、八(ちくま文庫)
 
 第七巻『芸道百選』
 第八巻『美味礼賛』
 これでついに完結である。
 最終巻には米朝師匠の「ご挨拶」が掲載されている。短いが感動的な文章である。
 解説は編者・中野晴行氏で、これが「味の招待席けなに重ねて秀逸。
 ぼくは当然、創元社版の全集も持っているが、重ならない部分もあるし、やっぱり「読む」のには文庫がいい。
 ええ……落語を「読む」意義については第二巻「奇想天外」篇の拙文を書かせていただきました。
 これだけでもう光栄であり満足であります。
 あとはDVDを揃えて余生の楽しみとしよう。
(2003.7.21)

笠原和夫『昭和の劇』(太田出版)
 
 荒井晴彦・スガ秀実による脚本家・笠原和夫氏の聞き書き。
 600ページの大著であり、この本は多くの書評で取り上げられて評判になっているから、いまさら「紹介」でもないのだが……。
 全作品の成立過程を徹底的に語っていて、これは脚本術であると同時に「現代映画史」であり「昭和史」でもある。
 脚本リストを見直すと、ひばり映画も観ているはずだし、学生時代には「日本侠客伝」や「総長賭博」も観ているが、脚本家・笠原和夫を強烈に意識したのは『日本暗殺秘録』だった。これは69年秋に工場実習でいた高知の映画館で観ている。菅原文太の演じたテロリストが凄まじい迫力であった。
 その後の大作へのつながりから、やはりこれは重要作品であったことがわかる。
 聞き手はふたりだが、95%は荒井晴彦氏で、これがまた徹底してすごい。
 特に天皇制に関する「秘話」は、扉やあとがきにくどいほど「必ずしも資料的裏付けはない」と注記されていることから、その凄みがわかろうというものだ。
 聞き手もうひとりはチャチャ入れ程度の参加であるが、シャケもたまにはいいことをやると誉めておこう。
(2003.7.21)

笠原和夫『映画はやくざなり』(新潮社)
 
 笠原和夫氏の遺稿集。
 わが「やくざ映画」人生
 秘伝 シナリオ骨法十箇条
 未映画化シナリオ「沖縄進撃作戦」
 の3部からなる。
 第1部は『昭和の劇』と重なるところが多い。
 短いが、驚くべきは「シナリオ骨法十箇条」である。
 ぼくはシナリオもある程度勉強したし、一時期、年間に観た映画約100本よりも読んだシナリオの方が多い時期がある。
 が……それでも、こんな「業界の符丁」はまったく読んだことがなかった。
 要約すれば、骨法十箇条とは、
 コロガリ(展開)カセ(宿命)オタカラ(葛藤の核)カタキ(敵)サンボウ(正念場)ヤブレ(挫折)オリン(感動的場面)ヤマ(見せ場)オチ(ラストシーン)オダイモク(テーマ)の十項。
 サンボウとは光秀が三方を返す「敵は本能寺にあり」の場面に由来するという。
 オリンはヴァイオリンの略で、感動的場面にヴァイオリンが掻き鳴らされることが多いから。
 これは小説作法としても基本的なことだし、ゲームにも応用できる。
 「笑い」がないのは、笑いが「香辛料」に相当するのからであろうん。
 SF作法版を作るとすれば「びっくり」(センス・オブ・ワンダー)とか「謎解き」に相当するものが入るはずだし。
 いずれにしても微妙にして複雑な内容が一語に凝縮されているところが重要なのである。
 たとえば落語の骨法。
 桂枝雀師匠は、笑いは「緊張の緩和」であり、サゲを「ドンデン」「謎解き」「へん」「合わせ」の四語に「凝縮」した。
 命がけの思考の結果であり、それは↓次の本で読める。
 この思考を平気でかっぱらった犯罪者・中松某は「市中引き回しの上、打ち首」にすべきではないか。
(2003.7.21)

上田文世『笑わせて 笑わせて 桂枝雀』(淡交社)
 
 桂枝雀の「評伝」である。
 枝雀師匠について書くとすれば小佐田定雄氏か上田文世氏であろうと予想はしていたから、やっと出たなという印象。
 小佐田氏はいわば「身内」だから、評伝を書くには立場が微妙なところだろう。
 『笑わせてわらわせて 桂枝雀』の印象をひとことでいえば「淡泊」。
 丹念に取材してあるのはわかるし、珍しい写真が多く収録されているのもいい。ただ、なによりも著者が枝雀ファンであることが逆にカセになっているところもある。
 どういえばいいのかな、友誼の書であり追悼の書でもあるが、これは枝雀評伝の「決定版」とはいえない印象なのだ。
 「決定版」というのは、ハリウッド・スターや監督の評伝などのに見られる分厚くて、ビブリオグラフィーの徹底したやつである。
 欧米との体質の差であろうか。日本ではこの手の評伝が少ない。映画関係は比較的多いなあ。『昭和の劇』がそうだし、ジャズでは、守安祥太郎の評伝『そして風が吹き抜けていった』みたいな例がある。
 年譜に加えて、出演記録、著書、関連記事など、資料面でも徹底した評伝が待たれるところだ。
(2003.7.21)

梶尾真治『タイムトラベル・ロマンス』(平凡社)
 
 副題し「時空をかける恋・物語への招待」。
 カジシンのSFガイドである。
 新聞などに連載していたSF紹介コラムを中心に「黄泉がえり」映画化に係わる文章までを集めたSFエッセイ。
 カジシンがこんな連載をやっていたことを初めて知った。
 「作家という前に、私は大のSFファンである」と書いてあるが、じつはおれも同じ立場。カジシンとは40年前に知り合って、以来、読んでいるものもそう変わらない。これはガイドブックであると同時に、カジシンの精神形成史でもあり、その過程はもういやというほどよくわかる。
 カジシンがロマンチックSF(というよりも、あまり科学に縛られない本格SF)志向なのに対して、ぼくがハードSF好きだった程度の違いで、90%くらいの好みは重なっている。
 50年代SFの最良部分が新世紀に映画化されヒットというのは、まさにご同慶の至りである。
 映画はまだ観ていないので、そのうちに。
(2003.7.21)


 [目次] [戻る] [次へ]

SF-HomePage