『マッドサイエンティストの手帳』187
●マッドサイエンティスト日記(2001年2月前半)
主な事件
・今年はじめてニューオーリンズ・ジャズ(3日)
・チャンタくんの会(7日)
・久しぶりに結婚式に出る。(11日)
・宇宙作家クラブ大阪例会・番外編(11日)
・先事館シンポジウム「21世紀の宇宙」(12日)
2001年
2月1日(木)
仕事の最中にボンクラ息子その1がとつぜん電話してくる。パソコンのCPUについての問い合わせ。日本橋で最終決定のためらしい。春モデルが出たので安くなったモデルを見に行ったら新型を売りつけられている気配。専属料理人もいっしょらしい。パイト代を出してふたりで折半というが、どうだか。共用だからと、結局オヤジのより高性能のを買う用である。嗚呼……。
このページにもよけいなことが書きにくくなるなあ。
「価格.com」で調べたら、デジカメの価格が急に安くなっている。いちばん安いのが道修町の店なので電話で申し込む。
2月2日(金)
朝5時、ルン吉くん、なんと白っぽいシートのようなものを被って寝ている。成長したのだ。
1月14日には厳寒期というのにそのまま寝ていたものなあ。
昨日注文のデジカメを取りに行く。……が、これ店頭でも下がっていることが判明。激安でもなかったのだ。どうやら近日画素数の多いモデルが新発売なのであろう。まあいいか。80万画素のを2年以上使ってきたのだらなあ。
2月3日(土)
ボンクラ息子その1、ノートパソコンを買ったものの、接続もせず、わが旧型デジカメを払い下げると、大喜びで2泊5日のスノボー・ツアーに出かけてしまう。気楽なものだ。
夜、今年はじめてサントリー・ファイブへ出かける。
ニューオリンズ・ラスカルズの出演日。
2ステージ目から聴いていたら、すぐ横に南方慶照さんが現れたのに驚いた。
先月の1月28日にNam-labolatryで開かれたライブの主催者であり、滝川雅弘さんのCDをプロデュースした方である。奇遇といえば奇遇。
気になっていたオーディオ機器のことなど色々と聞く。悪役ランプこと中野晴行さんが帰阪すると必ず訪れるという、新世界のジャズバー「ベイビー」もよくご存じらしく、今まで顔を合わせなかったのが不思議な気がしてくる。
南方慶照さんとコピーライターの内田美紗さん。たまたま隣り合わせた内田さんは神戸ジャズストリートでラスカルズ・ファンになった方である。
2月4日(日)
終日書斎。雑読。
夕方、ボンクラ息子その1が出かけたままなので、ノートパソコンを専属料理人のインターネット接続用に設定。同じasahi-netのファミリー・メンバーだから、よけいなことが書きにくくなるなあ。
2月5日(月)
だった。
↑と、またも田中信正フレーズ。
書くほどのこともなかりし隠居前
2月6日(火)
早寝したら午前2時半に目が覚めてしまった。
久しぶりに朝遊びというか明け方の散歩というか、午前3時ちょうど、梅田へ出かけようかと防寒服で自転車置き場へ出たところで、雨が降り始めた。ルン吉くん、定位置に寝ている。起きそうにない。5分ほど見ていたが、まだ本降りでもなく、変化がないので、穴蔵書斎にもどって机に向かう。向かっているだけで書いているわけではない。
朝5時、朝刊を取りに自宅往復。雨が本降りになり、ルン吉くんの姿なし。
このところ終日「書けない」ことばかりである。
書斎以外では「書けない」内容の行動が多く(違法行為をやっとるわけじゃないが)、
また書斎では「書けない」としか書けない状態の日々である。
嗚呼……。
2月7日(水)
夜、梅田で久しぶりに同窓会。
2バージョンある同窓会の「入学年度」版で、この関西グループを「チャンタの会」と称する。やたら転勤の多いチャンタくんが異動するたびに集まる習慣からである。前回はというと、1999年12月15日であった。
場所は、これまた前と同じ梅田のビアホール。部屋まで同じで、参加メンバーの8割ほどが同じ。
ただ、驚いたのは、チャンタくんとわしのアホ2名以外、諸君の酒量が急に落ちた感あり。食べる量も少ない。前回、やや持て余し気味だったので、いちばん安いコースにしておいたのだが、それでも余るほど。
次回からは和食系に変えた方がよさそうだ。
頭髪に関する話題が多いのも前回同様……。
前日に欠席を連絡してきたM西くんは、ふつうに「電車に乗ろうとしたとき、いきなり、左足がぐきりときて」どういうわけか、「2週間は足に力を入れてはだめだとのことで松葉杖を支給されてしまいました。」という。まあこれは体重に問題があるのだが。
二次会も前回と同じサントリー・ファイブ。これまた同じ水曜で原田紀子さんとフラット・ファイブの日である。……工学博士でもある大手鉄鋼メーカー研究所の要職にあるM居くん、女性ベーシストに「一目ぼれ」、記念写真をお願いする。「固い」材料を扱う仕事をしている人間ほど、こういう場所では柔らかくなるものである。「精密」なのを扱っているとずさんになる。「ハイテク」ほどロー人格になる。……日頃ふわふわで軽い「綿」に関係あったのはわしひとり。むろんこういう場所では真面目そのものである。
2月8日(木)
ロックウェルという、もとディレクターであった岩味潔氏のレーベルから鈴木章治と北村英治のCDが届く。このCDの存在は、右近雅夫とデキシーランド・ハートウォーマーズのCDを手配してもらったのがきっかけで判明。
ともに初期の録音だが、とくに北村英治の『You and the Night and the Music』は1957年の録音で、北村英治28歳の時の初リーターアルバム。資料的にも貴重だが、録音状態も、その瑞々しくモダンな感覚は今聴いても突出している。
まだまた貴重な音源があるらしい。ということは、21世紀にも鈴木章治や北村英治の「新譜」がまだまだ聴ける可能性があるわけだ。
2月9日(金)
……だった。と田中信正フレーズ。
午後のニュースでは三浦海外の洞窟から女性らしきバラバラ死体発見。これでたぶん織原くん事件が動き出すのだろうが、こっちの関心が九州の「判事の妻」(←まあ、折を見て離婚なんだろうけど、今縁切りすると、判事からの入れ知恵をべらべらしゃべられるから困るんだろうなあ……)に移ってしまっているのが恐ろしい。世田谷の事件すら忘れかけだ。風化の速度が異常である。
某講座用の資料作成。
SFの「専科」ということで、実作中心になるので、ぼくも対等の立場で「競作」しようというわけである。売れるといいのだが……。
2月10日(土)
終日書斎。
2月11日(日)
快晴であり暖かい。穴蔵にこもってばかり、筋力の急低下が心配になる。昼前から久しぶりに淀川堤を上流へサイクリング。北野勇作『かめくん』の「舞台訪問」気分である。毛馬の蕪村の句碑から城北公園近くまで。 あ、『名作の舞台訪問』というのは別ページでシリーズ化しよう。小林信彦『冬の神話』の埼玉・名栗村とか『汚れた土地』の横浜・矢口台にはわざわざ行ってるし、岡本喜八『独立愚連隊』のロケ地・御殿場、近くでは梁石日『夜を賭けて』の砲兵工廠跡など、わざわざ出かけていった所はずいぶんあるのだ。『かめくん』の舞台は散歩のコースだけどね。
……ちょうど昼になったので、城北公園通りと城東貨物線が交差する位置にあるうどん屋『咲』できつねうどん。……この店は以前、「路線バスの旅」という企画で淀川沿いの路線を紹介した時に「発見」した店で、場所はちょっと不便だが、自転車で来る値打ち十分である。田中啓文氏は知らないであろう。
午後、帰宅後、フォーマルな格好に着替えて新大阪の某ホテルへ。
久しぶりに結婚式・披露宴に出席である。
一世代若いSF関係の「結婚イベント」がだいたい終わってしまったから、ここ数年、結婚式には出ていないなあ。
1997年6月28日に姪っ子が結婚。
SFでは1997年10月10日の本藤昭彦さんと「謎の美少女」千加ちゃんの結婚イベント以来か。
いずれにしても3年以上のブランク。
本日は珍しくも「会社」関係で、しかも新婦側のゲストとしてである。30年ちょっとの会社員生活であったが、新婦側での出席は初めて。……この日、市立科学館の「先事館シンポジウム」と重なっていたのだが、何しろここ数年、わしがSFのためにやるボンサラ手抜き仕事を全部カバーしてくれたのが新婦K嬢。つまりSFにとっても大恩人であるから、欠席するわけにはいかない。
「同期」の女性や「ご学友」など、美人が多くて華やかである。
祝婚歌はキンキ・キッズやモー娘。が人気で、「君といつまでも」からずいぶん経ったのだなあと、感慨無量。「乾杯」も「セイ・イエス」もアムロももう古いのである。
なにしろ新郎の誕生日がアポロの月着陸の翌年なんだからなあ……。
SF関係とは違って、こういう場合、わしはごくおとなしくご馳走をいただくのであった。
夕刻帰宅。
あわただしく着替えて、梅田へ。
「先事館シンポジウム」の流れで、宇宙作家クラブのオープン懇親会に合流。科学館関係、天文関係、特に小天体探査フォーラム諸氏やA紙科学部長O氏の参加もあって30人以上と盛会である。これならもっと広く静かな会場を用意するべきであったか。野尻さんと何度が打ち合わせしたが、予約と人数確定の関係で難しいところだ。
本日のシンポジウム、SFからは小林泰三氏がパネラーとして参加。「ファンタジー宇宙とリアル宇宙」で、ファンタジー宇宙の「悪口」を言い終わったところで時間切れ、リアル宇宙についてはほとんどしゃべれなかったらしい。しかし、悪口の方が面白いし受けるのも間違いない。東京からの参加も多く、夜中まででもという雰囲気があったが、午後からずっと宴会で疲れて(この点、森喜朗というのはタフだなあ)、21時頃で失礼する。
2月12日(月)
自転車で中之島へ。あ、ここは名作『霧に沈む戦艦未来の城』の舞台である。
大阪市立科学館主催の『先事館シンポジウム』2日目。
※先事館とは江戸時代、大阪で活躍した天文学者・麻田剛立の開いた天文塾。伊能忠敬は孫弟子に当たるという。先事館のあった場所はたぶん今の本町3丁目、丼池の北端あたりだったらしく、ここはよく通る場所である。
10時〜先事館シンポジウム『21世紀の宇宙をさぐる』。2日目の午前は、「宇宙探査はどうなっているのか」で、パネラーは「X線天文学」の北本俊二、「太陽活動観測」の柴田一成、三菱電機で観測機器の開発を担当する浅里幸起、SF作家の野尻抱介の各氏。
それぞれの話題提供、たいへん面白く刺激的であった。
レポートを書くべきだが、野尻ボードや小天体探査フォーラムのMEF日記の矢野創さんや秋山さんの日記に詳しい。
北本氏のプレゼンテーションのうまさ、柴田氏の「磁気リコネクション」という話題のおもしろさ、浅里氏のエンジニアとしては異色の仕事内容(経歴からいって、ぼくは浅里さんの姿勢にはすごく親近感を覚えた)など、なかなか話題豊富で、これらをうまくSFに関連づけた野尻さんの進行もうまいものである。
野尻さんの話の要旨は、SFからのアプローチは、
1 キャラクター
2 物語性
3 参加(SETI,小天体探索、打ち上げ見物など)
の3方向からが考えられるということである。
ぼくは、もうひとつ、人間の寿命というのを考えることが多い。SFだと主人公の人生内(クローンや「人工実存」も含めて)で完結できるのだが、現実の学者や会社員の場合、寿命より先に「定年」というのが来るわけだし……。したがって、日本の現役科学者にもぜひSFを書いてほしいと、これは20年ほど前にもいったことがあるか。
会場には、松浦晋也、小林泰三、林譲治、北野勇作氏ら。……さすがに本日終了後の宴会はなさそうである。
松浦氏、眠そうな表情で「Nさんのいびきがすごくて……」さもありなん。6月の盛岡では3人同室だったがこんな愚痴は出なかったから、笹本祐一氏は静かなのであろう。しかしいびきの大きい作家は大成する。代表・小松左京。
「宇宙飛行士のいびき」問題という重要テーマを思いつく。牢屋ではいびきの大きいのは殺されるからなあ。
午後の部も気になるところだが、専属料理人の体調がいまひとつ。アレルギー性の痒みと奥歯ガタガタによる発熱が重なって(本人は「ストレス性」というがほんまかいな?)、連休で歯医者へもいけず、家事も気になるので、午後は帰宅。
科学館の裏手に「純情うどん」という看板の店があるが、うまいのだろうか。店の作りはよさそうで気になるが、そのまま通過。田中啓文氏に偵察してもらうべきか。
2月13日(火)
早朝に母から電話。なにかと思ったら、中学・高校の初代校長であった神父の訃報。毎年この時期には訃報が多く、特に連休明けは要注意。今年は母の愛猫の訃報だけで、まあ「逃げ切りの年」かなと安心しかけていたところであった。ベルギーで逝去、近日「学校葬」らしい。……関係先にメールなど。
ついでに先日の「タクシー運転手殺し」に関して「自殺者」が出たという話まで聞く。マスコミが殺したようなものだから報道されないのであろう。
2月14日(水)
朝刊に、加堂修三氏が自殺していた記事。A紙は「小説が書けなくなって」、S紙は「病気を苦に」。60歳だったとは意外な若さである。70年代はじめの小説現代新人賞デビューで、揚野浩とか赤江爆などと同時期の人。もっと年上の印象であったが。……意外かもしれないが、ぼくは愛読者であった時期がある。一度だけお見かけしたことがある。谷甲州氏が神田の仕事場にいた時だから13年ほど前か、永瀬唯氏と3人で古書店街を歩いている時にすれちがった。ぼく以外はわからなかったようだが、ぼくは一目でわかった。いかにも文士という存在感が漂っていた。
2月15日(木)
思うところあって、本日より「減塩生活」に入ることにする。
血圧測定。うーむ。冬だからか「ストレス」か……
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