『マッドサイエンティストの手帳』132
●マッドサイエンティスト日記(1999年12月前半)
主な事件
・故郷のランドマーク「樟」を撮る。
・ディスプレイを液晶15インチに変える。
・2年ぶりに同窓会。
1999年
12月1日(水)
ダイナマイツのコンサートから一夜明けて、飛び起き、新幹線で名古屋へ。尾張一宮で大阪から来た相棒と合流、某社訪問、10年ぶりである。
夕方帰阪。
12月2日(木)
午前7時になっても誰も起床の気配なし。寝坊しているのではないかとリビングを見ると、テーブルの上に「学校の創立記念日なので起こさないように」のメモ。ボンクラ息子その2は休日であり、寝過ごしているのではないという「警告」である。……ボンクラ息子のためなら朝食もお弁当も作るが、「ご主人様」だけなら朝飯作らんもんねという専属料理人の宣言である。嗚呼……。物音をたてないように注意しながらひとり朝食、睡眠のじゃましないよう、こそこそ出社。情けないことである。
12月3日(金)
ボンサラ、本日はふつうに朝食を作っていただいて出社。誠実に仕事。つまらん日である。午後「西走」の仕事あり、夜、ついでに播州龍野の実家に帰る。
12月4日(土)
朝4時、しばらく寒空のなか、満天の星を鑑賞。大阪ではまず無理である。
午前5時に朝刊。SF大賞は新井素子である。ちょっと意外な感じ……というか、そうか、新井さんはこの種の受賞がいままでなかったのだと気づく。もう堂々たる中堅作家なのだなあ。それよりずっと以前から人気作家だったわけだし。いわゆる小説家のイメージをおおきく変えた人なのだが、こうしてみるとやっぱり堂々とした小説家である。おめでとうございます。
日が昇ってから、揖保川川べりの楠の大樹を撮影に行く。徒歩5分。……母が第二歌集(で、たぶん最後の歌集、という)を出すことになって、扉に大楠の写真を入れたいという。母は80年、この土地を離れたことがない。ぼくも50年前からこの楠を眺めて育ってきたから、その気持ちはよくわかる。コンクリートの河岸工事が行われた40年前、この楠を切り倒す話が役所から出た。堀家の白壁の土蔵と楠の間が道路。この道路が、樹があっては、ここだけ狭くなるという理屈である。……この時、職人が、「恐ろしくてこの樹はよう切らん」と拒否した。おかげで白壁と楠は龍野のランドマークとして残ったのである。
『川べりの樟の大樹を目印と言いてふるさとを出づることなし』
これが母の歌集扉の予定。
午後、帰阪。姫路の本屋で、谷岡ヤスジの追悼出版「天才の証明」を購入。大阪まで車中ただ涙。チクリ先生とショノ一味の皆さん、お元気でしょうか。
12月5日(日)
終日ごろ寝。ボンクラ息子その1が借りてきたビデオで「交渉人」を見る。知能指数180の攻防戦にしては舌戦が物足りないなあ。
12月6日(月)
ボンサラ、ひたすら誠実に仕事。ひたすらつまらん。
12月7日(火)
引き続き誠実な手抜き仕事を夕方まで続けた後、午後7時、久しぶりに北浜、アイル・モレ・コタタでの「桂歌之助花舞台」を聴きに行く。
桂紅雀「ろくろ首」
桂歌之助86話目「辻八卦」
おなじく87話目「三人兄弟」……やっぱりこれがいちばん面白いなあ。
それに歌やんの「三題噺」
なんと本間祐氏が来ている。
終演後、菊川さん、間名ご夫妻(この姓MANAは【森山研】がうらやましがるであろ)と北浜でビール。22時まで。システム関係勤務の皆さん、正月は泊まり込みとか待機のようである。たいへんてであるなあ。
12月8日(水)
本町の大阪国際ビル1階にオープンした紀伊国屋書店を見る。ここ、客の入りは期待できないだろうなあ。梅田店の1/5程度の客の入り。2年は持つまい。
夜、学友の森“チャンタ”健一くんと会う。
居酒屋経由、サントリー5。
某大手商社からこの秋に某電子部品メーカーに転じて、大阪・中国の往復生活。小説なんてものは、(文盲とはいわないが)まったく読まない。が、批判はけっこう一人前。
要約すれば『お前、小説書いてなんぼになるねん。女子供の娯楽にしかならんもん、何になるねん。安い中国の労働力使うてやっとギリギリの生活できるのがこれからの日本やで。ラチもないこと書いて喰うてけるわけなてやんか』というご意見40分。……わしがムキになって反論しなかったのは、この主張、90%正しいからである。10%の反論があるとすれば、お前、読んでから批判しろよ、だけどね。それは別として、チャンタくん、髪が若々しくなったなあ。
12月9日(木)
注文していた15インチの液晶ディスプレイ(ナナオのEIZO L350)が届いた。さっそくドライバーをインストールして起動。うーん、急に机が広くなった印象である。が、画質はやっぱりCRTだなあ。場所に余裕があれば17インチCRTの方が応答は速いようである。ちなみに購入価格は107000円、税入れて112350円である。
12月10日(金)
朝4時、朝日朝刊一面に「雅子妃ご懐妊の兆候」のトップ記事。ほんまかいな。他紙は報道せず、NHK5時のニュースでも報道なし。朝日の「スクープ」か?与太記事だと面白いことになるが。……7時のHKニュースでは流れたから、まあ確実なニュースであろうか。インターネットでは読売がつづいて流している。
気になるのはご懐妊の日付だ。ひょっとしたら、エロタコ知事がお尻を撫でた時なのではないか? 心配なことである。
12月11日(土)
ボンクラ息子その2、学校休みの日である。ひとり寂しく朝食。自転車で会社へ。世間休日なれど雑件処理。午後、かんべ事務所へ。雑談2時間。不景気な話ばかり。……松竹芸能のデータベースに先代の「桂文我」が残っていて、担当者は亡くなったことをしらなかったという話を聞く。今の文我さん、勝手に米朝事務所に籍を移してしまったと誤解されるのではないかい。よく抗議されなかったものよ。
12月12日(日)
世間休日なれど、本日もひとり寂しく静かに朝食。ひとりで朝の御堂筋を自転車で会社へ走る。銀杏がきれいである。
海外から帰国の相棒と雑談3時間。
午後帰宅。妹が来宅している。ダンナが単身赴任中というのに「エリツィンの顔そっくり」というでかいカニを貰ったので食べてくれと届けてくれたのである。
夜、カニでビールとワイン。持つべきものは、出来のいい妹のダンナである。
12月13日(月)
新聞休刊日につき、朝することなく、7時前に出社。ひたすら誠実に手抜き仕事。
12月14日(火)
午後、この春まで仕事でいっしょだったM上さんが梅田に出てたので、喫茶店で1時間雑談。宝くじを買うために来たという。本日は「大安」という。……わしゃバクチはいっさいやらないから、宝くじというもの、買ったことがない。「何枚買いましてん?」「100枚ですわ」「100枚でなんぼですねん」「3万円」
3万円の投資で3億はむろん安いものである。
ぼくが宝くじを買わないのは、今3億貰っても一生好きなことが出来るはずないからである。
夕方から珍しく会社のメンバーで忘年会。いやあ、たまには会社メンバーで飲むものだ。想像もしなかった話を色々聞く。社宅関係で驚天動地の話。むむむむむ。……けど、一昔前の『大騒動』の比ではないね。
12月15日(水)
二日酔いで出社。ボンサラなりに誠実な手抜き仕事。
夜、梅田で大学の同窓会を兼ねた忘年会。発作的な会なのでわしが臨時幹事、こうなると便利さだけで、「異形コレクション」や「宇宙作家クラブ」でおなじみの「ニュートーキョー」に集合。
約2年前、1997年2月28日に集まって以来。その時に「オヤジ狩り」という理不尽な被害にあったM井くんも、まあ元気に参加してくれた。右足のしびれがまだ残っているという。それに会話がゆっくり。落研出身だけに、その抜群の話術の冴えが聴けないのは寂しいが、メールの書き込みで発揮されるユーモア感覚は衰えていないから、その知性は心配ないだろう。
11名参加。二次会はおなじみサントリー・ファイブへ。原田紀子とフラット・ファイブの日。先週に引き続きチャンタくんも当然参加している。「唯一の独身者・結婚歴なし」のチャンタくんのために「ブルークリスマス」。泣けますね。
10名中、社長が3名。セーター姿の若々しいのと、日榮の取り立てみたいな(見たことないけど)オッサンと、ぼくの横にいる昔ジャズ研でアルトを吹いていN井くんがそう。みんな苦労しているらしいが、その雰囲気を出さないところがいい。
なぜか病歴と髪の毛の話題が多い。
某大手鉄鋼の研究所・副所長もひとり。「いつトップになるのでしょう」「そら、初めて生理があった時でっせ」「そのココロは」「ショチョー」
色んな話をしたはずが、よく覚えてないなあ。が、楽しい会であった。
諸君、また会おう。
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