HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』186

●マッドサイエンティスト日記(2001年1月後半)


主な事件
 ・森山威男カルテット・多治見コンサート(27日)
 ・NAM-LABORATRYライブin宝国寺(28日)

2001年

1月16日(火)
 おっそろしい寒さである。カフカ的「水凍る寒さ」((C)かんべむさし)。穴蔵から自宅までほんの少し歩くのに重装備でないと10歩と進めない。……朝4時。路上のルン吉くん、いない。さすがにこの寒さで路上に寝転がっているのは不可能であろう。
 しかし、どこへ行ったのだろう。

1月17日(水)
 引き続きおっそろしい寒さ。体を動かす気にもならない。と、夜に近い夕方、「水凍る寒さ」の命名人・かんべむさし氏(初期短編『氷になった男』参照)がわが穴蔵にやってきた。こんな日でないと解けてしまうから外出できないらしい。……うちのボンクラ息子とちがって偏差値抜群の大学生であるかんべ氏令嬢がホームページを開設したのだとか、「どんなものかわかるか?」という質問。検索エンジンで調べると一発でヒットした。かんべ愕然、「メールなんか出さないように」とわしに念押ししてから、インターネット接続可能なパソコン導入を決意して香枦園の方向に去る。

1月18日(木)
 播州龍野の母から長い電話。話し相手の愛猫が亡くなって寂しいのだろう。動物病院からお花が届いたと感激している様子。こうなると「そりゃ治療費をたっぷり払い込んだからでっせ」などとはいえない。花束は墓に飾ってやりたいが、この寒さではすぐ痛んでしまう。写真があれば、その前に飾るからプリントしてほしいという。
 ハードディスクから取り出して「遺影」拡大プリント。発送する。
 off
 なかなかいいではないか。

1月19日(金)
 姫路からMくんが来る。30分ほどしゃべる。
 ……室津のタクシー運ちゃん殺しの女子高生について、なんとも生々しい話を聞く。
 田舎だから、知り合いひとりを介せば、たいていの人は知り合いになってしまうのだからなあ。
 うーん。わが母校も水鏡子の母校も関係があるとは……

1月20日(土)
 どんより曇っていたのが昼前からみぞれまじりの雨。
 ルン吉くん、16日以来、姿を消したままである。
 わしも動く気にならず、終日穴蔵。

1月21日(日)
 とつぜん暖かくなった。が、外出する気分にならず。
 梁石日『死は炎のごとく』(毎日新聞社)を読む。
 これは「どこまで実話」なのか。この「文世光事件」は比較的よく覚えているのだが、背後関係は結局うやむやになってしまった。
 ……パスポートを作る過程にいちばん関心があったのだが、これは報道で知るところと矛盾なし。使用された拳銃が交番から盗まれたのもほぼ事実。最後は唐突で、書き急ぎの感拭えず。ここは、はっきりと現実の事件とは違う。
 フィクションである以上、このような読み方は野暮を承知。
 明らかなフィクションを見ていくと、上六の「連れ込みホテル風の要塞」は作りすぎだし、女がらみの描写が詳しくのもバランス上不自然。男は全員がビールと乾きものとカップ麺ばかりで、造形が希薄な印象が残ってしまう。(どうしても『夜を賭けて』と較べてしまうからなあ。『夜……』ではいつも便所で大便している男の存在感が凄かったが、『死は……』ではみんなが似たような雰囲気でビールばっかり飲んでいる)
 梁石日の腕で料理しても、まだこの事件の方が凄すぎる、ということか。

1月22日(月)
 茨城県で「一家五人で無職のなんとかさんを撲殺した」という記事。
 どう読んでも警察が家族を保護しなかったからとしか読めない。なにしろ犯人に七十なんぼの「実母」まで加わっているのである。これ以上詳報は知りたくない気分。こういう時こそ人権派諸君が加害者を支援すべきではないか。
 『らくだでも殺されたなら「さん」がつき』

1月23日(火)
 ルン吉くん、今日もいない。前の路上から消えてもう1週間である。
 北野勇作『かめくん』(徳間デュアル文庫)を読む。
 傑作である。わしのルン吉くんへの思い入れと北野さんの「かめくん」への思い入れの類似について考えることしきりである。

1月24日(水)
 必要あって禁酒。なかなか眠れないものだ。

1月25日(木)
 午前中、年中行事のひとつであるバリウムを飲む。
 夕方に近い午後に胎内巡りを終えた第一陣がやっと出てくるが、なかなかまとめては出ないものである。
 夜は専属料理人に命じて野菜いっぱいのナベにしてもらうが、なかなかなあ……。

1月26日(金)
 昨夜も降り続いていた小雨が夜半にはあがったらしい。
 朝5時、朝刊をとりに穴蔵を抜け出すと、やや、なんとルン吉くんが戻ってきている。10日ぶりではないか。
 雨が上がったものの、まだ路面は濡れているのに、定位置で寝ている。どこに行ってたのだ。長靴が白いのに変わっている。ふーむ。
 バリウム、やっと出尽くした感あり。

1月27日(土)
 天気怪しげである。ルン吉くん、またいなくなってしまった。
 午後のこだまで名古屋、そこから中央線快速で多治見へ向かう。
 関東地方や長野方面は大雪で中央線の特急はほとんど運休状態。多治見までは問題ないのだが、折り返し運転の快速も遅れているからダイヤめちゃくちゃ。
 夕方から多治見文化会館でのコンサート「森山威男GROOVE」に向かうためである。早めに出て正解であった。
 多治見16時過ぎに到着。この前たまたま入ってすごくうまかった蕎麦屋が駅の近くにあったので、そこで軽くと思ってたら「本日、売り切れました」の張り紙。……有名な店だったのか。
 しかたなく、駅前ビル地下のうどん屋。ここはまあ、多治見では健闘しとるのかもしれんけどねえ……。
 多治見で合流予定だった「森山G追っかけナンバーワン」の塩之谷さんは、ややこしくも朝名古屋を出て大阪の学会参加、とんぼがえりで新幹線しなののりつぎで来る予定が、これまたしなの運休で、多治見着が18時頃である。
 多治見文化会館まであるいて行列の最後に並ぶが、すでに数十人の列。先頭近くにはラブリー常連かぶりつき専門の加藤さんとか、皆さんやるなあ。看板の前で記念撮影。
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 ええっと、このコンサートは素晴らしいものでありました。
 「7年くらいで曲が入れ替わってしまう」(以下、森山さん発言)ということで、今回は田中信正さんの作品中心に、ということで、第一部は『信正見参』のナンバー中心。
 が、第二部では「芸大時代にいじめられていた時、この曲に励まされた」という「ダニーボーイ」(この曲での森山〜田中のチャンバラは凄い)や、「井上淑彦さんが去る前に書いてくれたが、曲の意味『感謝』については、真意を確かめかねた……」という「Gratitude」、「Sunrise」、「Hush-a-bye」などおなじみのナンバーが続き、アンコールの「Good bye」が終わったところで「やっと肩がほぐれてきた」。いやあ元気です。
 詳しくは森山グループ追っかけナンバーワン塩之谷香さんの熱血レポートをご覧下さい。
 場内、携帯電話・録音・写真撮影のアナウンスしきり。森山研としても、迷惑かけてはいけないので、音フラッシュなしでも撮影は自粛。
 終了後、CDサイン会のロビーで、最後にのっそりと出てきた望月尊師と記念撮影。ついでにサインに忙しい森山大明神の横でスナップ。
 望月尊師からは「泊まっていくべし」といわれたが、わしゃ最終で帰るつもり。……が、このお言葉が正解であったかもしれない。
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 予定していた名古屋行きに乗ろうと多治見まで行ったら、またも雪の影響で、21:31が遅れ、21:50最終電車しかなし。20分待って名古屋、乗り換えの改札を走ってギリギリで最終ひかりに飛び乗り、どうにか帰阪。……ああ、尊師の予言、あなどれないなあ。
 ともかく夕方のうまくもないうどんから何も食べない。帰宅0時。
 幸い、ビーフシチューの残りがあり、それにキャベツとパンでワインがぶ飲み。やっと落ち着く。
 が、ともかく荒天のなかを往復した価値は十分でありました。

1月28日(日)
 久しぶりに朝8時まで朝寝してしまう。
 気がつけば昼。大阪女子マラソンを中継している。渋井というのが独走。小幡という選手が泉ピン子によく似ているのに感心する。おしん的ガマンの走りか。しかし悲壮美ということではザトベックどころか(実物は見たことないけど)、ザトベック投法の村山の比すらない。悲壮美というのはすべからく「男の悲壮美」であってほしい。後家の踏ん張りなんて言葉を思い出す。あ、小幡はたぶん未婚女性なんだろうけど。……マラソンというスポーツがザトベック時代から遠く離れてしまったことを痛感する。
 夕方から、本日は泉州は信田の方向、和泉府中の宝国寺というところへ向かう。
 ここにあるNAM-LABORATRYというスタジオへ。
 ごく小規模のライブがあるという。
 NAM-LABORATRYの存在は滝川雅弘さんのCDで知った。南方慶照和尚の主宰する月例ライブがあって、もう40回以上続けられてきた。が、3月で終了予定という。滝川雅弘さんはここのハウスバンドといっていい存在だったというから、もっと早く知ってたらなあ……。ご案内いただいたので初参加。
 ふだんは1バンドだが、本日は特別で2バンド出演という。
 まず、鍋島直昶カルテット。
 鍋島直昶(pib) 高橋俊男(p) 中山良一(b) 田中ヒロシ(ds)
 鍋島さんは神戸のライブハウス中心に活動されているベテラン・バイブ奏者、こんな場所で聴けるとは思わなかった。
 初めて聴いたが意外にも(なんていってはいかんのか)モダンで洗練されたバイブに驚いた。てっきりスイングスタイルと思いこんでいたのである。こっちの方が精神的にオジンになっとるわけだ。
 さらにもう1グループ。
 Freedom Jazz Spirits
 荒崎英一郎(ts) 佐藤由行(p) 中嶋明彦(b) 岡野正典(ds)
 このグループも初めて聴く。こちらも関西中心に活動しているグループ、本日はスタンダード中心だが、すでにCD2枚あり、近日NAM-LABORATRYからも出る予定。
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    鍋島直昶カルテットとFreedom Jazz Spirits
 テナーの荒崎さんのホームページの存在を知る。ここは関西のジャズ状況がたちどころにわかる。
 会場は南方さんの個人スタジオ兼ミニライブスペースとでもいうのか、客は常連中心らしい20人ちょっと。案内に「酒類・たべものは各自お好きなものを持参してください」とあった。ビールはあるらしい。雰囲気がわからないのでデパートでカツサンドを買っていく。……が、1ステージ終わったところでわかった。皆さん結構豪華な手作り弁当持参、ワインやバーボンや一升瓶がテーブルに並びはじめた。あ、これならわしも専属料理人に弁当を作ってもらうのであった。ライブハウスで食事するよりよほど豪華だもんね。
 2グループが交互に2ステージ。午後5時から始まって終了は午後9時を過ぎた。
 いやあ、結構なライブであった。
 特に両グループともにベースが端正で、これが気分良く聴ける「ベース」なんでしょう。……前に聴いた(2000年12月8日)某山某さんがちと酷すぎるんだよね、などと愚考する。
 和泉府中21:42の快速で帰宅は22:40分。意外にスムースに帰れた。

1月29日(月)
 季刊「小松左京マガジン」を読む。
 なによりも扉の写真がいい。書斎におけるご近影。
 この机には20年ほど前に座らせていただいたことがある。雰囲気はほとんど変わっていない。
 ただ、小松さんがどのくらい原稿をこの机で書いたのかは不明だ。
 たとえば『ゴルディアスの結び目』は、ニューオータニの一室で、手元にあったのは理科年表だけ。これは信頼に足る証言。……この書斎はものを考えるのがメインの場所なのではなかろうか。

1月30日(火)
 だった。
 ↑このフレーズは田中信正さんのフレーズ。
 特別のことがなかったということであろう。面白いのでまねることにした。

1月31日(水)
 長尾隆一『法哲学入門』(日本評論社)を読み始めた。ある人に薦められてなのだが、いや、これは面白い。これから朝まで読むので、今月の日記はここまで。


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