『マッドサイエンティストの手帳』812

●マッドサイエンティスト日記(2023年9月前半)


主な事件
 ・池田の飲み会(7日)
 ・ニューサン(9日)
 ・KLL例会(15日)


9月1日(金) 穴蔵/ウロウロ
 目覚めれば9月であった。
 午前中、静かに机に向かう。
 体調が戻ってきた。
 午後1時半頃、とつぜん近所で防災無線のスピーカーが鳴り響く。スマホまで連動。
 「防災の日」で、府内あちこちで南海トラフ地震を想定して避難訓練が行われているのだった。
 関東大震災から100年。つうことは、来年は大阪がジャズ日本一の街になって100年か。
 何か個人的記念行事をやらねば……と思うが、いつ日本一になったか、はっきりしない。
 日本一から陥落した日ははっきりしている。
 1926年12月26日。大阪市がダンスホール規制条例を公布した。(あくまでも俗説だが)大正天皇の崩御にもかかわらず、ジャズとダンスで騒いどるのはけしからん、というわけである。多くのジャズメンは東京に戻った。
 何かやるなら3年先だな……
 などと愚考しつつ、午後、散歩に出る。
 北消防署の横を抜ける。
 「津波が○○に接近中」などと館内放送が聞こえてくる。
 まだ訓練続行中のようだ。
 久しぶりにジュンクドーを覗き、あと中崎町から豊崎をウロウロ。
 A先生の研究所前を通過する。
 この建物は写真集などの表記では「大淀のアトリエU」であり、道路東側の(勝手に書斎棟と呼んでいた)建物は「大淀のアトリエ・アネックス」である。
(ついでながら、勝手に豊崎の長屋と呼んでいた建物は「大淀の長屋」である。)
 今年になって西側に新たな建物が建築中。設計・建築主ともにA研究所である。
  *
 そろそろ完成の時期だが、駐車場だったスペースが掘り返されている。庭園でもできるのか。
 カフェみたいに見えるが……「大淀のアトリエ・なんとか」になるのか。
 要注目である。

9月2日(土) 創サポ講座
 晴。わたくしには涼しい日である。
 穴蔵にて静かに過ごす。
 ジョン・スラディック『TIK-TOK』(竹書房文庫)を読んで仰天。
 じつは色々な事情からスラディックを読むのは初めて。
 ニューウェーブは20年間で色んな方向に分かれて行ったが、スラディックは(前衛文学に最接近しつつも)ひとりSFの孤塁を守っていたのではないか。各所に「SF愛」が読み取れる。これが80年代初期の「ロボットSF」であることにも納得。
 訳者の鯨井久志氏はこれが初の翻訳? 才人であるなあ。
 こんな本(これに限らず、イスラエルSFとかギリシャミステリなど異色作続出)を出す竹書房もすごい。
 このことは改めて。
 夕刻に這い出て、地下鉄で谷四へ。
 創作サポートセンターの講義。
 作品は、短編2、長篇1。いずれもSFがらみの作品である。
・極軌道の小惑星に巨大な幕面構造体レンズを置いて「超高エネルギー宇宙線」を捉え、後方の「接眼鏡」に誘導して、超巨大加速器として働かせようとする計画。孤独な作業に従事する低予算研究員に、とつぜん予想もしなかった方向からの「指示」が入る……。どう展開しても5,60枚は必要な設定を1万字に詰め込んだ力作。
・喜六と甚兵衛さんを思わせるコンビの、一種の道中もの。落語(的小説)だが、ふたりが旅するのは、ブラックホールから始まる多元宇宙の数々……。落語となると話たいことが多く、理論立てたコメントができなくなってしまった。
・上海を舞台に、京都からさらわれてきた不思議な能力を持つ少女を巡って、彼女を守ろうとする、茶楼の娘、陸軍の密命を受けた男、英国財閥の青年ら。少女を奪おうとするのは青幇、連合工部局その他謎の組織。時は上海事変の少し前、上海の街にはゾンビを凶暴にしたような「野獣」が出没していた……。中国舞台の歴史伝奇ファンタジーを近代の上海に持ち込んだような力作長篇。上海のその後を見れば、さらに凄まじい展開が期待できるのではないか。……上田早夕里さんの『上海灯蛾』が日本歴史時代作家協会賞「作品賞」を受賞したように、戦前の上海は、今や「歴史小説」の世界でもあるのだ。それだけこちらが歳をとったわけでもある。
 ……なんだか、全体にしゃべりたいことが多すぎて、話を整理できず、まとまりがつかなくなってしまったような。
 もう少し作者の意図を聞きたかったのだが。
 こちらの耄碌が進んでいるのかも。嗚呼。

9月3日(日) 穴蔵
 晴。終日穴蔵。
 ほぼ終日、ラスカルズのCDを整理しながら音源を確認する。
 明日からは1日3時間程度にしよう。
 年内の楽しみは保証されたようなもの。

9月4日(月) 穴蔵
 朝、紹介状を持って近くの建築を訪れる。
 この40年ほど、いつも前を通過しながら、建物に入るのは意外にも初めて。
  *
 百日紅が咲き、なかなか風格のある建築である。
 午前中あれやこれや。
 時々足を運ぶことになりそうな。
 昔、手塚治虫さんが学んだ場所であり、ここを最後の場所にするのも悪くない気がしてくる。
 午後は穴蔵にこもる。
 たちまち夕刻。
 新潟の茶豆など5皿ばかり並べてもらって、久しぶりにビールを飲む。
 ラスカルズを聴きつつ。
 まだ70年代前半。東通り商店街にあった「レッドアロー」を思い出す。
 ゲストに南里文雄が来た。懐かしい記憶である。

9月5日(火) 穴蔵
 晴。まだ秋晴れとはいえないが、(わたくしの場合は)残暑は感じず。
 身内に「暑い」と愚痴をこぼされると腹が立ってくる。おれの責任ではないだろうが。
 ややこしいトラブルは回避したいので、終日穴蔵にこもる。
 夕刻に近い午後、近所を30分ほど散歩。
 A研究所西側の「大淀のアトリエ?」、ほぼ完成である。
  *
 南側が源光寺。これから電気工事とか内装か? 塀で囲われるのか。
 どう見てもA建築には見えないのが不思議だ。

9月6日(水) 穴蔵
 曇。終日穴蔵。
 川上弘美『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』(講談社)を読む。
 自身を半分ほど投影したように読める、不思議な連作短編。これについてはまた後ほど。
 あとはラスカルズのCDを整理しつつ(聴くばかりだが)過ごす。

9月7日(木) 穴蔵/池田の飲み会
 曇。終日穴蔵。
 夕刻に近い午後に這い出て、阪急池田へ。
 20年以上続けてきたタイムマシン業の、取締役会・株主総会を兼ねた飲み会。
 会社は昨年4月に工場をほぼ撤去して、ペーパーカンパニーになっているのだが、インボイス制でうるさく言ってくる可能性もあり、その相談……というのは名目で、久しぶりの(株主3名による)飲み会である。
 以前は石橋の海鮮居酒屋だったが、コロナ禍で雰囲気が変わったらしく(それに座席が狭く、店内に飛沫が飛び交う感じ)、池田駅前・商店街入口にある寿司店(居酒屋兼業)にする。
 ここは40年ほど前から(伏尾に事業所があった関係で)使ってきた店。テーブルが広く、間仕切りが高く、快適である。
 居酒屋メニュー並べて、盛大にビール。
 話はどうしても誰それが亡くなったという話がメインになるが。
 早めに切り上げ。
 池田駅前、北側のビルが解体工事中で、バス乗り場などもだいぶ変わっている。
 紅葉の頃に伏尾まで行ってみることにするか。
  *
 駅前の酒屋で呉春を購入、ぶらさげて帰館。

9月8日(金) 穴蔵
 曇り空で涼しい一日である。
 終日穴蔵。
 平谷美樹『賢治と妖精琥珀』(集英社文庫)を読む。
 大正12年、宮沢賢治は教え子の就職依頼などで樺太に旅行するが、花巻から青森に向かう夜行あたりから不気味な一団につきまとわれる。それは樺太で怪僧ラスプーチンと対決することになる序章だった。
 賢治のイメージを損なわずに伝奇ファンタジーを成立させた平谷美樹の手腕、恐るべし。
 たちまち夕刻。
 専任料理人が数皿並べる。
 茶豆、明石鯛、おでんなど初秋メニュー。
  *
 これでビール、昨夜買ってきた呉春(きりっと冷やして)を一献。うまっ。
 残り少ない人生のお楽しみはこれだけだ。

9月9日(土) 穴蔵/ニューサン
 晴。涼しい日なり。
 午前。集合住宅に光回線の一社が入るので、その説明会に出る。
 理事のひとりが導入を推したらしい。個別に光ファイバーが引かれるが、16戸が限度という。
 長期契約にすれば(少し)安くて速いことはわかるが……穴蔵は2年後には引き払っている可能性が高いし、寿命の方が先に来そうだし、手続きは面倒だし、動画を見ることはなさそうだし。パスだな。
 午後、田中啓文『貧乏神あんど福の神 秀吉が来た!』(集英社文庫)を読む。
 貧乏長屋で酒ばかり飲んでいる、例によって「面白いけどお近づきにはなりたくない」連中が引き起こす怪事件。啓文さんの上方落語的語り口は、もはや名人芸である。
 夜、ニューサントリー5へ出かける。
 ラスカルズ・メンバーは木村さん、川合さん、尾崎さん。
 若いメンバーが色々来ていて、MITCH(tp)や、東京から早稲田の後輩クラ・宮沢さんなど。
  *
 若い連中がフロントに揃うと、もうラスカルズの雰囲気はまるでない。ここまで変わるのも、ひとつの方向だな。
 ステージ合間、MITCHとカウンター隣りになった。
 今、10月から始まるNHKの朝ドラ「ブギウギ」(笠置シヅ子の前半生を描く)の収録中で、2年前の「カムカムエヴリィバディ」につづいて、ジャズの「実技指導」を担当しているという。
 ドラマは道頓堀時代から始まるそうな。南里文雄は?と聞けば、出てこないらしい。高島屋少年音楽隊時代だから無理か。
 しかし、ともかく楽しみな朝ドラである。

9月10日(日) 穴蔵
 晴。 午後雲が増え、夕刻には雷雨。
 空の移り変わりを眺めつつ、終日穴蔵。
 ラスカルズのCDも移り変わっていく。
 たちまち夕刻。
 専任料理人が数皿並べる。
 茶豆、ヤッコなどでビール。
  *
 カジキのトマト煮にパスタをぶち込んだので白ワイン。うまっ。
 お楽しみはこれだけだ。

9月11日(月) 穴蔵/ウロウロ
 ほとんど晴。午前、まさか雨は降るまいと出かけたら、急に薄日の空から雨滴。不安定な天気である。
 ATM回り、駅前ビル地下のチケットショップ(週末の名古屋行きのため)に寄り、解体開始のマルビルを見物、ついでに大阪駅まで行き、久しぶりに「風の広場「に上がる。
  *
 2期地区の工事が進み(万博会場とか左岸線に較べて、ここは早いなあ)、北エリアの高層ビル、南エリアのホテルなど、ほぼ外観が出来がっている。「中庭」は遊園地みたいな。
 ヨドバシ〜紀伊国屋〜ジュンクドーを回って帰館。
 午後は穴蔵。
 夜は天ぷらとヅケで一献。
 初秋の1日が過ぎる。

9月12日(火) 穴蔵/ウロウロ
 晴。やがて雲が増えてきた。昨日と同じ。
 午前、近くの「手塚治虫さんの学び舎跡」に出向く。
 色々あって、午後1時頃に解放された。
 裏手の中国街道・中津陸橋から、うめきた2期地区を眺める。
  *
 西端に1本残っていた貨物線のレールはなくなり、北エリアには建物がひしめき、もう何の魅力もなくなった。
 貨物線のレールが放射状に広がっていた景観が懐かしい。
 東から暗雲が立ち込めてきたので、慌てて帰館。
 午後は穴蔵。
 なにもせず。

9月13日(水) 穴蔵
 晴。穴蔵。正午自宅で昼食、夜自宅で晩酌。
 ……と断腸亭風に書けば1行で終る。
 おっさんの年齢に当てはめれば、浅草で転倒して「正午大黒屋」になる時期である。
 身辺整理を進めねばならぬ。

9月14日(木) 穴蔵/ウロウロ
 晴。終日穴蔵……とはいかず。
 昼前に出て、西梅田の某院へ、半年前から予定されていた検査に出向く。
 検体検査など含めて1時間半ほどかかったが、前回と同じく、諸数値は極めて良好。
 次回はまた半年後となる。
 西梅田へ来るのは半年ぶり。
  *
 JPタワーはほぼ完成。倉庫みたいなのを作って残していた旧ビルの残骸がどこにも使われていない(ように見える)のはいい。
 ま、半年後に見物することにしよう。
 大阪駅からグラフロの西を抜けて帰館。
 午後はマジメに机に向かう。
 明日、明後日も動く予定。穴蔵ではおとなしくしていなければならぬ。

9月15日(金) KLL例会
 昼前に出て神戸・三宮へ。
 センター街はタイガース優勝など関係なしの雰囲気であった。これでいいのだ。
 騒がしかったのは戎橋だけか。これもマスコミが作った疑似イベントの感があるが。
 午後の神戸文芸ラボ(KLL)の例会に出席。
 実質的には、先月の議論のつづき。
 倦怠期の主婦が「疑似恋愛AI」のモニターを務める話だが、このAIが、現代風というよりも、ひと昔前のアイボみたいに描かれているところがミソ(と、わたくしには読める)。作者の狙いは現代ホラーにあるらしいが。
 AIの変化は急なので、案外この方向は狙い目かもしれない。
 あとは、田舎の「負の遺産」とか、野球ファンは球場に行くと人格が変わるとか、JASRACはマジメに対応するとバカを見るとか……エッセイのネタは豊富だが、作品にするにはもう一歩というところ。
 まっすぐ帰館。


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