『マッドサイエンティストの手帳』803

●マッドサイエンティスト日記(2023年4月後半)


主な事件
 ・KLL例会(21日)


4月16日(日) 穴蔵
 晴。天気予報は「曇一時雨」であり、特に午後は「急な雷雨」ありという。
 日曜で人出も多そうだから、穴蔵にて、ボケーーーーッと過ごす。
 外は晴れて暖かそうな。
 穴蔵にこもるのも息苦しく、夕刻、散歩に出る。日曜でガーやんはいないだろうから、左岸線の工事現場(豊崎JC)あたりまで。
 淀川堤への道は閉ざされたまま。フェンス越しに覗いても、工事が進展している気配なし。
 北摂方面に積乱雲……あちらは「急な雷雨」か。
  *
 万博のシャトルバスが、新大阪から来て、このあたりから(左岸線は間に合わないから)堤防上の道路を走る予定のはずだが、どこから降り、どこから戻るのやらもさっぱりわからん。
 万博なんてどうでもいい。
 左岸線の工事は、中津あたりの地盤の問題で8年(!)延びて、完成は2034年以降である。生きてても90歳。
 もう淀川堤を歩くことはできないのである……引っ越しを考えた方がいいのだろうか。
 最近感じる「閉塞感」の原因はこれなんだろうな。
 1970年以来、わたくしは淀川沿いで生活してきた(週に1度は堤を散歩した)。その道が閉ざされてしまった。
 話はとつぜん変わるが……
 長々と書いたこの気分を100字で書ければ北野勇作になれるのだろうな。このことは明日にでも。
 晩酌。ビール飲み始めたら、10分間ほど激しい雨になった。
 天気予報もたまには当たるのだ。

4月17日(月) 穴蔵
 午前、色々動く。午後は連絡など色々あり。たちまち夕刻。
 6皿(鉢)ばかり並べてもらって一杯やったら、ともかく眠い。
 早寝させていただく。

4月18日(火) 穴蔵/ウロウロ
 本日も何かと雑事が重なって慌ただしいことである。
 金になる話ではなく、むしろ税金(納税)が絡んでくるから、困ったものだ。
 豊崎郵便局へ行ったついでに、東公園でしばらく休憩。
 わたくしが豊崎名建築のひとつと評価している「ふ屋敷」を眺める。
  *
 これは草野食品の本社(登記上はここ)だったが、工場が荒本(東大阪)へ移転して、この建物も「記念館」のようなものであろうか。
 工場の移転にはいろいろ事情(製品が麩だから臭いの問題など)があったようだが、隣の工場跡はタワマンになって、入居が始まっている。この建物の対比も面白いのである。
 google-mapで表示しておくと、豊崎3大名建築とは、
豊崎長屋
豊崎の長屋(正式には「大淀の長屋」(Row House in Oyodo)らしいが)
ふ屋敷(正式には草野食品)
 であります。

4月19日(水) 穴蔵
 曇天。朝から一応マジメに机に向かっていたら、視界にちらっと光、2秒ほど後に凄まじい雷鳴が轟いた。8時ちょうどである。
 もともと小さいキンタマが萎縮してしまう。20分ほど雷雨。
 終日穴蔵。
 気力が萎えてしまい、本を読んだり時々テレビを見て過ごす。
・木村雄二……じゃなかった、木村隆二、相変わらず完黙らしい。雄二だったらベラベラしゃべるだろうが。
 雄二・隆二で漫才コンビを組めばいいのではないかと思うが、時代がちがうか。

4月20日(木) 穴蔵
 朝、曇っているように見えたが、黄砂でも花粉でもなく、霞だったらしい。やがて晴れてきた。
 終日穴蔵。
 昼間の室温は23℃、ベランダは25℃。まあまあ暖かい(あと2,3℃上がると適温だが)。
 一応マジメに座っていたら、たちまち夕刻。
 夜は久しぶりに春パスタ。
  *
 中本酒店推奨格安馬鹿旨白ワインを少しばかり。
 いい季節になった……と思うが、コロナは明らかに増加傾向。
 何も報道しないのが不気味だ。
 後期高齢者としては、マスク、保護メガネ、外出自粛は継続しますがね。

4月21日(金) KLL例会
 晴。昼前に出て阪急で兵庫県へ越境、三宮へ。
 神戸文芸ラボ(KLL)の例会である。
 ちょっと早めに来て、市役所南側の東遊園地に寄る。
  *
 やっと再整備工事が終って、立ち入れるようになった。5年ほど前から月1で神戸に来るようになってから初めて。
 東遊園地に限らず、三宮の南側一帯には「電柱がない」から、街歩きしていて、気分がほっとする。
 KLL、本日は6名。
 創作3篇については、割と辛口の合評会となった。
 エッセイにも創作にも「ChatGPT」がらみの話が出てきたが、ひと月で話題が「時代遅れ」になっていくようで恐ろしい。

4月22日(土) 穴蔵
 このところ、また早起きになってきた。3時前に目が覚める。
 晴。6時過ぎに穴蔵に日が射し込み、室温急上昇。
 室温24℃になった(ベランダは14℃、アメダスは12.0℃)。
 着替えずに過ごせるのはありがたいことである。
 終日穴蔵。
 ……のつもりだったが、少しは歩かねばならぬ。
 午後、ジュンクドーで書棚をのぞき、あと阪急側へ出たら、アプローズ前で、歩道を占拠した50人ほどの集団とぶつかりかける。
 慌てて退避。
 全員マスクしていないから、某国からのインバウンドだろう。
 また梅田方面は散歩できなくなる。
 北側に進路を変え、近所の公園など……いちおう藤棚もあるのだった。
  *
 野田まで行くこともないか。

4月23日(日) 穴蔵
 本日も3時前に起床。
・朝。
 5時半からMBS「らくごのお時間」で桂歌之助「悋気の独楽」を見る。
 あと演者インタビューあり。三代目襲名の事情も色々。襲名披露の時はたいへんだったなあ。
 丹波篠山でカレー店というのは知らなかった。
・昼。
 昨日射殺された神戸長田区のラーメン店の大将が、暴力団組長だったと知る。
 面白いニュースだが、そのラーメン店が「苅藻」と知って、関心は別方向へ。
 ここへは一度行こうと思っていた。三ツ星ベルトの本社を見に行きたかったのである。
 播州龍野からの帰路、途中下車しようと思っていた。それがコロナ以来むつかしくなっていた。
  *
 そのうち、JRの車窓からも見える↑この広告塔が見えなくなった。
 見逃したのかな……程度に思ってたのだが、ラーメン屋との位置関係を調べているうちに、なんと「2020年5月に解体」されていたことを知る。老朽化のためという。
 ……昨年、タイムマシン業を実質終結したことで、三ツ星ベルトとも(同社のカレンダーとも)縁がなくなった。
 寂しい限りである。
・夜。
 一杯飲んで早寝させていただく。

4月24日(月) 穴蔵
 4時に目覚める。日常パターンにもどった。
 曇天。風あり、肌寒い日である。
 昼間の外気は17℃くらい、室温は22℃。
 終日穴蔵にあり。
 アタマの中では色々と思索しているのだが、文章化するのが面倒になつてきた。
 人これをボケという。嗚呼。
 たちまち夕刻。
 一杯飲んで早寝させていただく。

4月25日(火) 穴蔵
 曇天。午後には雨になる。
 終日穴蔵。
 室温はずっと21℃、ベランダは昼間ほとんど16℃。ともかく寒い日である。
 コタツに潜ったまま過ごす(連休明けまで片づけないのは正解である)。
 たちまち夕刻。
 専任料理人が色々並べてくれた。
  *
 空豆、湯豆腐、筍、白エビ掻き揚げ、刺身など。ビール、熱燗に合うものばかりではないか。
 BSで「世界ふれあい街歩きSP/音楽が響く街」という番組を見つつ、だらだら晩酌。
 世界の色々な街角の音楽を拾う番組で、なかなかいいが……
 専任料理人が「そういえば昼間、JR加古川駅の『駅ピアノ』が半年で撤去されたというニュースがあった」という。
 マナーのひどい連中が無茶苦茶やったらしい。
 さもありなん。播州でいちばん文化度の低いところだからな。
 ひょっとしたら特異なのもいたかもしれないが、加古川では認められまい。
 水鏡子の本拠地だが、かれは書庫を作ってこもっているから日本でも稀な存在なのであり、加古川駅のコンコースで本を広げてSFを論じ出したら、たいへんなことになるだろう。
 そういうものだ。

4月26日(水) 穴蔵
 浅田飴だ。本降り。今日も肌寒い日である。
 終日穴蔵。
 ニュース雑感。
・民間初の月面着陸は、最後の着地で失敗、月面に衝突のような。
・人工知能学会がAI「大規模生成モデル」について声明文を公表。妥当と思う。
・谷公一国家公安委員長が「雑賀崎漁港で爆発物」の急報を受けたのは、高知でうな丼を食っていた時であった。
 で「うな丼はしっかり食べた」と、25日の都内でのパーティーで挨拶。ウケ狙いだろう。野党が攻撃。
 いいではないか。わたくしはこの3年、金がなくて食べとらんが。
・天六の中華「十八番」と立ち食いうどん「天六うどん」が昨日で閉店したという。
 40年ほど前(ともに今の店の東側にあった)から、よく行った店である。
 「十八番」は朝食(5時頃)、「天六うどん」は立ち食いの最高評価店であった。
 ただ、この3年ほど行かないまま。
 朝の豚汁定食と、あのケツネうどんは、もう一度食べたかった気はするが、しかたあるまい。

4月27日(木) 穴蔵
 晴。昨日よりは暖かくなった。
 終日穴蔵でおとなしく過ごす。
 たいしたことは出来ず。嗚呼。
 明日こそホリは羽ばたく……つもり。
 一杯飲んで早寝させていただく。

4月28日(金) 穴蔵
 定刻4時に目覚める。
 晴。寒くなく、いい日であるが……調子出ず。
 朝の予定(保険関係の来訪予定など)が先方の事情で狂ったのからはじまって、午後にも影響する。
 近所のATMは連休前で混み合い、イライラしているうちに夕刻となる。
 しかたあるまい。
 明日から1週間、世間とのつき合いを遮断して穴蔵にこもることにしよう。
 日暮れが遅くなってきた。
  *
 暮色の残る北梅田を眺めつつ、タコの唐揚げなどで酎ハイ。デフランコ師匠を流す。
 ぜんぜん似合わんか。

4月29日(土) 穴蔵
 昭和の日である。世間は大型連休の初日。
 朝は晴、雲が増えてきて、昼過ぎから小雨、夕刻には本降り。出歩かないに限る。
 終日穴蔵。
 一応マジメに机に向かう。
 たちまち夕刻。
 専任料理人に5皿ばかり並べてもらってビール、酎ハイ。
 ……世間の連休中、こんな日が続きそうな。
 早寝させていただく。

4月30日(日) 穴蔵
 連休2日目。日曜日。
 早朝までの雨があがり、薄曇り、午後には晴れてきた。
 終日穴蔵。
 少しは歩かねばならぬ。人混みは避けて、近所の豊崎を40分ほど散歩。
 本日は豊崎3名建築につづいて、豊崎3アホ建築を巡る。
 まず、おなじみ「野々村竜太郎の生家」。
  *
 廃墟になって4月経過した。今は野良(サクラ耳の猫たち)の住処である。このまま残ればアホ建築ではなくなる。
 2番目は貨物線北側、オリカ産業に挟まれた、じつにいやらしいホテル「穴毛」である。
  *
 豊崎の恥は、今年になって取り壊された。おおさか東線が横を走り出したが、客の目に触れず、なによりであった(ちなみに取り壊し前はこんな感じであった)。
 3番目は、うちの近所にある、アホ建築というより謎の建築……「許永中がらみの建築」である。
  *
 このビルについてはこちらで触れているが……
 許の生家は中津3丁目あたり、その豪邸は本庄2丁目にあった。
 中津と本庄の中間の豊崎にも関連するビルがあり、1980年代後半、許がKBS京都乗っ取りで動いていた頃、うちの近所の小さいビルにとつぜん「KBS京都」の看板が掛けられ、ここが「本社」になったことがある。
 いったい何があったのか。
 その後、許の豪邸はマンションになり、このビルもオーナー(たぶん普通の人)が変わって、普通のビルのようである。
 その許永中、今はソウルにいるが、週刊文春の最新号にインタビュー記事があり、近いうち日本への「帰国計画」があるという。
 中津へ帰ってくるのか……ちょっと不気味だ。
 google-mapで表示しておくと、豊崎3大アホ建築は、
野々村竜太郎の生家
ホテル穴毛
許永中がらみのビル(のあたり)
 であります。


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