『マッドサイエンティストの手帳』798
●マッドサイエンティスト日記(2023年2月前半)
主な事件
・播州龍野いたりきたり
・ボンクラ息子の帰還(9-11日)
・梅田貨物線の線路地下化(13日)
2月1日(水) 穴蔵
目覚めれば如月であった。
終日穴蔵。
夜、自宅にて晩酌。
おっさん荷風散人も「正午浅草」が増え、時々「来話」の時期である。
いいではないか。
2月2日(木) 穴蔵/ウロウロ
曇、時に晴れ間あり。寒。
午後、必要あって地下鉄で淀屋橋、市内でここしかないATMで所用を済ませる。
あと北へぶらぶら歩いて帰ることにする。
少し北に母校(といっていいかな)の適塾を見て、土佐堀川を渡る。
中之島図書館で、ちょっと気になっていた日経新聞の記事をチェック(※後述)。
水晶橋を渡って堂島川の北へ。
裁判所の西側を北へ行くと、右に宇治電ビル(60年代に眉村さんが勤務していた)、左に第二神明ビル(60年代に筒井康隆さんのヌルスタジオがあった)筋である。
おっ、第二神明ビル跡にあった料亭 「芝苑」が閉店している。
*
一度いったことがある。わたくしには高級すぎる店であった。
貼紙によれば、近日なにか工事が始まるようである。
ここからは、60年間歩きなれた道。
ハチ(本日は休み)を通り、阪急東通りを抜け、新御堂を北上、北梅田の穴蔵に戻る。
最後はだいぶ疲れたが……やはり歩かねばいかんなあ。6000歩ほどになった。
※気になっていた日経の記事というのは、1月28日夕刊に載った文学周遊である。
小松左京「果しなき流れの果に」が取り上げられ、和泉葛城山を「周遊」した記事。
図書館で紙面も確認した。
*
小松さんの原点のひとつを取り上げた、いい記事である。
ちょっと気になったのが、ネットに掲載してある写真ルポの方である。
取材で撮影した写真で構成しています(これは紙面には掲載されてない)とあり、いい写真が並んでいる。その4枚目。
「野々村の失踪の後、佐世子は葛城山麓の親戚の家に移り住んだ」とあるが、ここは蕎原(そぶら)ではないか。
わたくしも10年前に、佐世子の住んだ村を探して葛城山へ行った。
この時、貝塚側から葛城山を目指す途中、蕎原を通りかかって、その景観から、佐世子の終の住いはここに違いないと思った。
ただ、近所の人にも訊いたが、蕎原から葛城山頂は見えないのである(勤務先の学校にも通えない)。
あれやこれやの後、佐世子の住まいは「葛城小学校」と近くの木積(こづみ)と結論づけたのだが……むろん、異論はあると思う。
写真の見誤りだったらご容赦を。
イメージとしては蕎原、生活感覚からは木積ではないかと思う。この顛末は小松左京マガジン47号に書いた。
そうか、生誕92年になるのか……
2月3日(金) 穴蔵
晴れなのか薄曇なのかわからん空。寒そうなのであった。
終日穴蔵。
ドタマ働かず、ボケーーーーッと過ごす。
・夕刻のニュース。
山口利家(一昨年続出した生活圏の殺人者のひとり。十三の弁当店のアルバイト(ベトナム人女性)を自室へ誘い込んで、金を奪って絞殺した)に無期懲役の判決。年齢からいって死ぬまでムショ暮らしだろう。求刑どおりだから、まあよしとするか。控訴はするまい。
森本恭平(元妻刺殺)は神戸地裁で懲役17年。残るは宮本浩志(天五カラオケパブのオーナーママ殺人/懲役20年で控訴中)と松尾留与(稲美町の甥っ子焼殺)か。時間がかかることよ。
夜は、専属料理人の並べた肉豆腐でビール、山芋、ほうれん草、鉄火巻きなどで上撰一献。
早寝させていただく。
2月4日(土) 穴蔵
立春。日差しうららかなり……外出しないから、寒いのかもしれんけど。
終日穴蔵。
考えごと(残り少ない人生のことなど)をしていたら、たちまち夕刻となる。
お、若ごぼうのパスタなどが並んだ。
*
これらでビール、ワインなど。
つまらん「悩み」など忘れて、早寝させていただく。
2月5日(日) 穴蔵
眠り不安定。4時半に目覚め、朝の定例行事、また仮眠して、8時過ぎに起床する。
空澄み渡りて春めきたり……とおっさん調。
昼間、歩くことにする。東南方向。
*
中崎町にこんな荒れ地が残っているとは知らなかった。
2時間ほどうろうろして帰館。7000歩ほどになった。
夜、一杯飲んで早寝させていただく。
2月6日(月) 穴蔵
午前4時に目覚め、5時にゴミ出しに出る。
と、猫のエサ場に、今まで謎であった「エサ容器撤去人」が出現した。
電動クルマ椅子(電動カート?)で現れ、マジックハンド(ゴミひろい棒)で、だいぶエサが残っている容器を前カゴに入れて、さっと持ち去ったのである。
*
この人は、ひょっとしたら……
むむむ、再確認が必要だな。
野良猫戦線の様相は、わたくしが想像していた以上に大きく変貌している可能性がある。
「世界」がまるで見えなくなってきた。
明日からゴミ出し時間を色々変えて実相に迫るつもり。
晴。春のきざしあり。
終日穴蔵。
アタマは春霞状態で一日が過ぎる。嗚呼。
2月7日(火) 穴蔵
午前3時に目覚め、プラゴミ出し、ついでに猫のエサ場見る。新発見はなし。午前1時頃に起きれば面白しろそうなのだが、ちとつらい。
曇天。
終日穴蔵にあり。
コタツで居眠りしたり、少し本を読んだり、時々テレビを見る。
フィリピンから今村磨人と藤田聖也の強制送還の中継を見るが……
朝、収容所から空港に護送され、昼頃には飛行中らしい。14時半ころに成田着、夕刻に渋谷署に入る。
……淀川河口のマッコウクジラ曳航の方が遥かに面白かったなあ。
明日は、渡辺優樹と小島智信の送還中継? マルコス大統領とどちらが先になるのか?
人気は渡邊だろうが……明日の方が少しは面白いかも。
たちまち夕刻。
専属料理人に数皿並べてもらって伊佐美の湯割りをちびちび。
*
一升瓶を前に置いて飲むと雰囲気がいいなあ。
BSの街歩き番組で「メンフィス」を見つつ。
エルビスの故郷だが、ジャズ好きとしても、一度は行ってみたかった街だ。もう無理だけど。
2月8日(水) 大阪←→播州龍野
気がかりな事態発生。
午前8時過ぎに、突発的に播州龍野行きを決意する。
穴蔵を飛び出し、地下鉄、JR(新快速)を乗り継いで、10時過ぎに本竜野駅に到着した。
実家に赴く。
ややこしい強盗まがいの侵入かと思ったら、(たぶん)最近の気象状況に関連するトラブルであった。
応急的措置。
ついでに雑件片づけ、午後の電車で帰阪。姫路駅で「えきそば」。16時前に穴蔵に戻る。
あわただしい日であった(この程度のことは会社員時代なら半日もかからなかったのだが。嗚呼)。
和風ハンバーグ、その他色々でビール、伊佐美の湯割り一献。
フィリピンから「(主犯格の)残り2名」と「大統領」が日本へ搬送されてるのか、さっぱりわからん。
早寝させていただく。
2月9日(木) 穴蔵/ボンクラ息子の帰還
早朝のテレビニュース。
フィリピンからの残党2個(渡辺優樹と小島智信)の護送は、夜中(日本時間では0時過ぎてから)に始まったらしく、朝5時に見た時には羽田から都心へ移送中らしい。
で、フィリピン大統領はどうなっとるのか。ネットで見たら、昨夜専用機で羽田に着いたらしい。テレビ報道はなし。不思議なものだ。
マニラが意外に近いこともあろうが、早いなあと思う。
新幹線で東京〜大阪間を移送するような間隔だ。
ウチの近所に大淀署があって、時々大物犯が前の道を移送されることがあって、ヘリが飛び交ったりするが……
そういえば大坂正明の移送は5年前だった。
46年逃亡して逮捕、それで昨年秋(10/25)にやっと初公判である。その後どうなっとるのか。
渡辺優樹も5年以上かかりそうな気がする。判決が出るころには、世間は忘れてしまってるのではないか。
関東に「警報級」の大雪が迫っているというニュース。
避難してくるわけではないが、ボンクラ息子その1ファミリー(犬も勘定に入れます)が横浜からクルマで移動してくることになった。
月遅れの正月帰省である。
20時前に到着。時間はマニラから恵比寿署への移送と同程度であったような。
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専属料理人が色々並べておる。
これから2日半ほど、酒池肉林に浸らせていただくことにする。
2月10日(金) 酒とバラの日々
曇天。5時頃から雨。寒。鬱陶しい日である。
10時頃に雨がやんだので、ボンクラ息子その1と出かける。
阪急中津から電車で十三へ。丹波のきさらぎ漬が目的だが、十三に着くと「やまもと」でねぎ焼きが食べたくなる。が、ここで男ふたりが一杯やったのでは、女房どもが治まるまい。
メール連絡、昼はお好み焼きということにして、スーパーでキャベツと豚バラも買って帰館する。
昼は、お好み焼き、きさらぎ漬などで盛大にビール。
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昼ビールはたまらんなあ。
来客の犬は番外、安楽椅子でくつろいでおる。
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しばらく午睡させていただく。
たちまち夕刻。
夜はおでん・その他でビール、上燗。
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だらだらと埒もないことをしゃべりつつ、2時間近い宴会となった。
わたくしだけ早寝させていただくことに。
2月11日(土) ボンクラ息子の帰浜/ニューサン
報道によれば本日は全国的に「広く晴れて気温上昇」とか。
確かにふだんより寒くはなし。
アタマも春霞状態。
昼は一家で味噌煮込みうどんを囲む。
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ビールを(わたくしだけ)盛大にいただく。
犬の客人はウチに慣れて、熟睡しておる。
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わたくしもつきあって、しばらく昼寝したら、たちまち夕刻。
17時過ぎに夕食という。
ビーフシチューなどで(わたくしだけ)ビール、ワインを少しばかり。うまっ。
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18時、ボンクラ息子その1ファミリー(犬も勘定に入れます)が横浜に帰ることになり、ワゴン車を見送り。
わたくしはすっかり遊びグセがついてしまい、夜は久しぶりにニューサンへ出かけることにする。
ニューオリンズ・ラスカルズの出演日。
おや、クラとトロンボーンの位置が入れ替わっている(長年こんな位置であった)。
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色々面白い事情もあったような。
2ステージを堪能、最後は「アラビアの酋長」で終るが……本日はおとなしい(というより紳士淑女の)客が多く、「パンツを脱げ」の掛け声がないのが寂しい。
政府も「マスクを外せ」というのなら、これくらい気の利いたフレーズを作るべきだろうに。
……などと愚考しつつ梅田を歩いて、22時頃に帰館。
ボンクラ息子ファミリーは静岡あたりのようだ。
2月12日(日) 線路切替/大阪JAZZ@放出
晴れて、そう寒くない日である。
昼前に出て、梅田貨物線(今では東海道線の支線)の線路切替工事の現場を見物に行く。
新御堂筋の下あたり。
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本日は「くろしお」「はるか」を運休にして、線路切替。
長年続いてきた工事だが、明朝から列車はこの300メートルほど先で地下に潜り、うめきたの新駅を通過(3月18日からは停車する予定)、福島へ抜けることになる。
残念ながら上から覗ける場所はなし。
福島側の工事の方が面白いようだが、フェンスによるガードは福島の方が厳しそうだしな。
ま、明朝の大事故を密かに期待しつつ去る。
北新地まで歩き、片町線で放出へ。
午後、ディア・ロードで大阪JAZZ同好会の例会に参加する。
特集はTさんによる「ジュディ・ガーランド」……厳密にはジャズ・ヴォーカルとはいえないが、意外に感動的な名唱があれこれ。ちょっと意外であった。
Fさんの新譜紹介。いつもながら80歳を過ぎて新譜への関心が強い姿勢には頭が下がる。
持ち寄り企画は「ヴィブラフォンの名手達」ということで、当然ながらライオネル・ハンプトン、ミルト・ジャクソンの稀覯盤があり、テリー・ギブスやボビー・ハッチャーソンなども。Red NorvoとかTerry Pollardなどは初めて聴く。
わたくしはEddie Daniels & Gary Burton「Benny Rides Again」を持参したが、ちょっとかすんでしまった感じだ。鍋島さんの方が面白かったであろうか。
2月13日(月) 穴蔵/線路切替
未明から雨が断続的に降りつづく。
昼前、雨がやんだ時間に、近所の線路脇まで昨日の切替工事の結末を見に行く。
残念ながら幸いトラブルなしで地下への線路に切り替わったらしい。
* *
地下から出てきた「はるか」が養護学校前を上り、300メートル先の旧高架へ走り抜けていく。
150年ぶりの変化である。
手前の旧線路と高架は……たぶん当分そのままなんだろうな。歩道橋は3年ほど先の予定。
切替工事は福島側の方が派手であったような。
寒く陰鬱な日である。
あとは終日穴蔵。
2月14日(火) 穴蔵
晴。終日穴蔵。
夕刻のニュースで豊田章一郎(97)の訃報。
思うところあって、昼間、高杉良『労働貴族』を再読していたので驚いた。
なぜこれを読み返したかというと、先日、日産が「ルノーとの出資比率をやっと対等(15%)に戻した」ニュースがあり、そういえば「レバノンに海外逃亡したゴーン」はどうしているのか気になり、ゴーンが来たのは日産が経営危機に陥った99年だが、これは石原俊の海外戦略の失敗のせいといわれる。しかし本当の原因は労働貴族・塩路一郎の横暴にあり、経営の足を引っ張りつづけて生産効率を落とし続けたことにある。60年代は「技術の日産、販売の豊田」といわれたものだが。石原が塩路を退治したが、時すでに遅かった気がする。……『労働貴族』は面白いが、ラストが物足りない。フォーカスの記事が取り上げられているが、いちばん面白い「トンカツ持って女の処へ向かう途中をフォーカスに狙われて、雪道でスッテンコロリン」(1986)の場面が出てこないのである。
一方、トヨタは先日、豊田章男社長の交替を発表した。こちらは佐吉以来の一族経営が続くが、日産のように「私利私欲に走る独裁」には陥らなかった。ここが決定的な違いだったのだろう……
などと思っていたところに豊田章一郎の訃報である。
そういえば……工販合併(1982)の衝撃は大きかったなあ。当時、豊田通商(繊維機械部門だが)と仕事する機会が多かったが、色々と動揺があったことを思い出す。もう40年になるのか。
2月15日(水) 穴蔵
晴。たぶん典型的な冬型気圧配置。
雪のニュースが多いが、窓から見る北梅田は晴れて穏やかそうである。
終日穴蔵にあり。
たいした仕事はできぬまま。
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