『マッドサイエンティストの手帳』656
●マッドサイエンティスト日記(2017年6月前半)
主な事件
・独居老人生活
・播州龍野いたりきたり
6月1日(木) 穴蔵/ウロウロ
独居生活継続中。
気がつけば6月になっていた。
終日穴蔵。
室温29℃で快適。午後はじめて扇風機を弱で回す。
少しは仕事もするのであった。
昼の弁当、夜のコンビニメニューに飽きてきたので、昼は自転車で天六へ。
*
玉一にてこういうのをいただく。水分補給も怠りなし。
6月2日(金) 穴蔵/ウロウロ
晴れて爽やかな青空。
午前、西長堀の中央図書館へ行く。2時間ほど3階の大阪コーナー。
図書館カードの更新も行う。市内各区の図書館カードとも統合され、ネット利用で電子書籍や音楽(ストリーミング)も利用できる。ますます本とCDが売れなくなるなあ……
帰路、「なにわ筋線」予定コースをぶらぶら難波まで歩く。
*
なんばHatchに初めて入るが、平日の昼過ぎ、人気はなく、がらんとした1〜4階をエスカレーターだけが動いている。
JR難波とどうつながるのか、よくわからん(ここは地下に阪神・近鉄、四つ橋線、千日前線が錯綜しているからなあ。それに四つ橋筋となにわ筋は近すぎるようにも思うし)。
ま、生きているうちに見られそうにないが。
夜はコンビニメニューに飽きたので、中崎町のヤマタツでトンカツとサラダを買ってくる。
さらに岐阜産の枝豆を茹で、翁豆腐のヤッコを並べてビール、黒糖焼酎水割り。
うまっ。専属料理人不要論が再浮上してくる。
6月3日(土) 穴蔵/雲仙普賢岳噴火から26年/あの事件からも…
晴。爽やかな、むしろおれには肌寒いような日である。
終日穴蔵。
たいして仕事は出来ないのであった。
夕刻のニュース。
雲仙普賢岳の噴火から26年。1991年6月3日(月)の大火砕流は43人の犠牲者を出した。追悼式典が中継されている。
この災害報道のたびに、おれは別の事件を思い出す。
某工場で総務関係の仕事をしていた、仮にAさんとしておこう。
この工場には、普賢岳に近い地域出身の従業員が多くいて、実家の数家族が避難生活を送ることになった。
数日後、Aさんは(従業員全員が休むわけにもいかないので)代表して現地のご家族を見舞いにいった。
この頃、テレビのワイドショーは、その災害報道などそっちのけという雰囲気で、あるゲス不倫事件を追い回していた。
たとえば1991年5月25日に夕刊フジが「上原謙の老年離婚」を伝えている。
* *
それに関して、週刊文春1991年6月6日号(出たのは5月30日)に「池端雅子」という上原夫人が「特別手記」を寄せた。
これが発火点になって、ある会社社長の愛人騒動に拡大し、芸能レポーターが追いかけ回し、1年以上、妻帯者の婚約不履行というけったいな裁判まで、アホな騒ぎは拡大し続けることになる。
Aさんが避難所へ家族の見舞いに行ったとき、テレビで「釈明会見」というのが流れていて、周囲からの好奇と批判の視線を浴びて、身の置き場がなかったという。この会社の上層部の連中、末端社員の悲惨な状況を知っていたのであろうか。
この事件に関しては、ダンボールに詰めた資料を処分できないままである。
やっぱり書いておくべきか。
それにしても……先日、週刊新潮で「芸能レポーター石川敏男氏によれば」というコメントを見かけた。石川はレポーターではなく事件の当事者として関与していた。まだ「業界」の隅で生きているのか。寄生虫の生命力は恐ろしいね。
6月4日(日) 大阪→加古川→播州龍野
朝の電車で播州龍野へ移動することにするが、途中、加古川で途中下車する。
珍しいことで、この半世紀、1000回以上通過しているはずだが、下車するのは初めてである。
昨夜のブラタモリが倉敷で、クラボウの工場跡(赤煉瓦を残したアイビースクエア/ここには改修前に来たことがある/駅北側の工場にも何度も来た)を取り上げていたので、赤煉瓦よりも古い工場社宅が見たくなったのである。
駅の南西部にニッケパークタウン。日本毛織の工場跡で、全国どこにでもある店舗が集まった商業施設だから、わざわざ来る意味はない。
ここを抜けて、国道南側の一角がニッケ社宅群。
* *
綿紡・毛紡の古い工場の雰囲気はどこともよく似ている。
ノコギリ屋根の赤煉瓦工場や倉庫、横に棟割長屋風の社宅が並ぶ。工場長社宅は一応屋敷で、後は管理職社宅もそれほどではない。ただし医局の医師は別格であった。
おれはボンサラ時代、社宅に住んだことはないが、隣接の独身寮に住み、時々先輩の社宅に飲みに行ったりした。
富山、高知、城北(今の毛馬橋東のリバーサイドしろきた)で、70年代半ばまで社宅群が残っていた。
ここニッケの社宅も雰囲気が似ていて(こちらの方が少し立派)、不思議に懐かしさを覚える。
集会などに使う会館(倶楽部と呼ばれていることが多い)なども残されていて、これは貴重な産業遺産である。
ただし、ここは(一応手入れはされているが)保存されているのではなく、残っているだけのようである。新しい独身寮は使われているし、一部では新しい幼稚園が建築中である。それに……申し上げにくいことだが、周辺の家屋に比べて、この一角が古くは見えないのである。それほど周辺の住宅の老朽化(廃屋かなと錯覚するレベル)がひどいのである。操業をやめた企業城下町の没落であろうか。
イトヘンに限らず、工場横の社宅群は消滅していく。東海道・山陽道は皆無。入善・泊あたりの操業中の工場をgoogleマップで見ても社宅はないようだ。地方のクルマ通勤が主流になったからな。
午後、播州龍野に着く。
雑事色々。
夕刻、揖保川沿いを散歩。
鮎解禁で竿師諸君がちらほら突っ立っておる。
久しぶりに龍野泊。
鴨居のスピーカーから降り注ぐマラソンセッションを聴きつつ、味三昧の弁当でビール、あとは龍力の熱燗を飲む。
夜の室温22℃で、熱燗の方がいいのである。
6月5日(月) 播州龍野→大阪
目覚めれば午前5時。7時間熟睡。やはり静かなせいであろう。室温19℃。毛布使用は正解であった。
タイムマシン格納庫にて見張り番をつとめる。
昼、身内用の「揖保乃糸」を手配しに横尾製麺の直販所へ行ったら、姫新線・東觜崎駅前へ移転している。無人駅である。なぜこんな不便なところにと思うが、本社・工場と駅をはさんですぐ近くということか。しかし、ここは近くに「そうめんの里」があるから、一般客は来そうにないな。直売所を兼ねた本竜野駅の「はりま路」が懐かしい。
まあ、うちは先代社長と親が懇意だったし家も近かったから、長年、素麺はヤマヨ、醤油はヒガシマルである。引き続きひいきにするからね。
揖保川沿いに戻る。
*
ま、鶏籠山が移転することはあるまい。
夕刻の電車で帰阪する。
6月6日(火) 穴蔵
定刻午前4時に目が覚める。
終日穴蔵。
久しぶりにボケーーーーツとタドコロ状態で過ごす。むろんあってはならぬ状態である。
朝のニュース。
トーハンが週刊新潮の中吊りを文春に6年前から見せていたと公表、お詫び。
週刊文春は今日の夕刻が校了だから、今週号でどんな言い訳をするのか。楽しみに立ち読みすることにしよう。
それにしても文春のポテンシャル低下は目を覆うばかり。カンニングがばれて意気消沈か。ともかく読みたい記事が皆無。これは、読みたい唯一の連載コラムが「しばらく休載」になった(これはカンニングが原因ではないと思うが)からだけではあるまい。
対する週刊新潮はいいね。一昨日の車中で読んだ「結婚」欄で、宮内悠介氏と近代詩伝道師Pippoさんの結婚を知る。おめでとうございます。
その宮内さんの最新作『あとは野となれ大和撫子』は、これまた凄いチャレンジ作だ。
面白い本は色々読んでいるのだが、今年になって、感想を書いてないな。
多少職業意識が働くためか、ついタドコロ的になってしまう。
心を入れ替えて、明日からアップしていくことにしよう。
ということで、夜は昨夜の「残り半分」メニューで晩酌。
即ち、岐阜産枝豆、翁豆腐のヤッコ、出来合の鶏肝、ハム・トマト・キャベツざくざくなどでビール、焼酎水割り。揖保乃糸黒帯1束50グラムを茹でて仕上げ。
楽しきかな独居生活。
6月7日(水) 穴蔵/大坂正明移送
雨音で午前4時に目が覚める。
入梅のようである。
終日雨が降り続く。室温26℃、外は20℃で、肌寒い日。穴蔵にて半タドコロ状態で過ごす。
昼前、正確には11時50分〜12時10分の間、うちの上あたりをヘリが周回する。テレビ局のヘリらしいがマークは判然としない。事故らしきものはなし。何だったのか……と思ってたら、午後のニュースで判明。
中核派の大坂正明が大淀暑から桜田門へ移送されたのだった。
へえ、大淀暑に拘留されていたのか。わかってたら見物にいったのに。
それにしても、71年11月から46年間の逃亡生活。三島事件の翌年から今年まで。おれにとっては、会社人生+タイムマシン業17年の期間にあたる。この間、大坂正明は身を潜めて生き抜いた。生産的なことは何もしてないはず。見かけは普通のおっさん。よく食えた(食わしてもらった)ものと思う。面白い人生だったのだろうか。
吉村昭氏存命ならば、この逃亡人生に興味を抱かれたであろうか。
おれは、自分と同年代のプロバビリティに興味を覚えるが、わざわざ調べようという意欲はなし。
大坂正明よりも梅内恒夫の方に興味があるのだが、どうしてるのかなあ。
夕刻に近い午後、傘さして散歩……といっても、近所の食品スーパー往復、路地裏の花を眺める。
6月の花は小雨の日に限る。特に紫陽花は。
* *
野々村竜太郎の生家前にも花は咲くのであった。
6月8日(木) 穴蔵/ウロウロ
定刻午前4時に目覚める。曇天。
終日穴蔵にてタドコロ状態で過ごす。いや、タドコロよりはまし。本を読み、少しは字も書けるのである。
昼は河春で幕の内を買ってくる。
16時頃、運動不足なので散歩に出る。
ジュンクドーへ向かう抜け道、梅田芸術劇場と毎日放送の間の通路に時ならぬ出町柳の並木道。
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さすがに花道は歩けず、柳並木の後ろを通らせていただく。
ミュージカル「パレード」公演中らしい。ポスター見ても、知った名は藤木孝だけである。
藤木孝の舞台を見たのはSHINCONでの『スタア』……1975年だから42年前か。藤木敬士の時であった。
まさか藤木孝を待ってるのではあるまいな。
ジュンクドーに寄って、あと中崎町ウロウロ、ヤマタツでトンカツとサラダを買って帰館。
夜は、翁豆腐、岐阜産枝豆など追加して、ビール、黒糖焼酎水割り。
この手のメニューも飽きてきたなあ。
しかし、弱音は吐くまい。楽しき独居生活を続けるのである。
6月9日(金) 穴蔵/ウロウロ
晴れた空そよぐ風。
朝、洗濯を行う。
あとはタドコロ状態。
いかんなあ、人間の屑になってしまいそうな。
運動不足なので、昼前に散歩に出る。
本日は西回り。工事中の梅田貨物線に沿って、中津経由、北郵便局に寄り、あとスカイビル農園を通過。
*
近所の小学生による田植えは終わっている。
稲妻家でだしまき弁当を購入。
屋外で食したい気分だが、ひとりではなあ。もろ独居老人の「孤食」になってしまう。
地下道、ヨドバシ、紀伊国屋経由で帰館。
缶ビールで水分補給しつつ稲妻弁当をいただく。
あとは午睡。
またもタドコロ状態。
いかん、明日こそホリは羽ばたく……つもり。
6月10日(土) 穴蔵/湾岸区
午前9時、可児市alaのHPに接続、9月16日の森山威男ジャズナイト2017の予約開始である。今年は伝説の山下トリオ「復活」もあり。まあまあの席が確保できた。
昼前に出て、近くのセブンイレブンでチケット購入。
これで8月6日の山下洋輔(ハチ)、9月16日の森山威男が確定した。それまで何とか元気で生きていたいものだ。
天気がいいので梅田まで歩くが人出多し。人があまりいない湾岸区の方へ行ってみたくなり、大阪駅のバスターミナルへ行くと、ちょうど鶴町四丁目行きが停まっていたので、これに乗る(本数は天保山か酉島車庫が多い)。
あみだ池を過ぎてしばらく、「赤手拭稲荷」というバス停がある。「ぞろぞろ」の舞台ではないか。こんなところにあったのか。バス通りからは見えない。また改めて来ることにしよう。
大正区役所前で降りる。
千島公園の向かい側、沖縄会館へ。千島の路地裏にあったが「よしや」がこちらに移転したのである。
*
定番の、こういうものをいただく。炭水化物やや過剰か。
あと、内港まで歩くが、日射しが強く、千歳渡船場まで行くのは断念、引き返す。
千島公園でしばらく休み、大正から地下鉄で帰館。
早めに水分補給しなければならぬ。
6月11日(日) 穴蔵
午前曇天、午後は晴、東向き穴蔵居住者にはありがたい天気である。
終日穴蔵。ほんの少し、仕事もするのであった。
夕刻に近い午後、専属料理人が帰ってきた。
ということで、夜は久しぶりに静岡メニュー。
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静岡産枝豆、駿河湾の生しらす、なんとか屋の黒半+かんとか屋のわさび漬け、なま生姜と金山寺味噌、ヒラメ刺身など並べてもらってビール、れんと水割り。
ま、これはこれでうまい。が、楽しき独居生活は本日で終わる。嗚呼。
6月12日(月) 穴蔵/ウロウロ
晴れて、さほど暑くもなし。
穴蔵にてボケーーーッと過ごす。
前にも書いたが、ウチの周辺は工事だらけで、これが10年ほど続きそうである。
大きいのが「梅田貨物線の地下化工事」と「三井アーバンホテル・東洋ホテル跡地のタワーマンション建設」、北側で「淀川左岸線延伸工事」「上水道設備建設」「地下鉄御堂筋線の防水塀建設」。
さらに本日、隣接する市営住宅の建て替え計画(7年後目標)という話を聞く。
野々村竜太郎の生家が生まれ変わるわけで、高層化され、ウチのリビングからの眺望は一変しそうだ。
これに「なにわ筋線」工事を加えると、生きてる間、大規模工事が周辺で途切れることはなさそうである。完成した姿は見られそうにない。
困るのは北梅田の近未来像が確定しないことである。
あれこれ思い悩むばかりで、想像力が面白い方向に拡大しない。困ったことだ。
どこかで見切りをつけねば。
午後、散歩を兼ねて、ジュンクドー〜ヨドバシ。
歩数計の調子がおかしいので、中国製の安物を購入する。
グラフロ西側を貨物線沿いに歩いて帰る。
*
新駅からの地下工事、阪急高架近くまで迫ってきた。
ウチの周辺、4、5年はこんな眺めがつづく。また楽しからずや。廃墟になったら、さらに楽しいのだが。
6月13日(火) 穴蔵/ウロウロ
晴。直射光は強いが、室内に射し込む時間を過ぎれば、室内・外気ともに26℃くらいで快適である。
専属料理人兼専属洗濯婦に命じられて、春物や椅子のカバーなど、洗濯物を出す。
エルゴヒューマンの椅子は本日より秋までメッシュモードとなる。
斜陽の時刻になってから、昨日買ってきた歩数計をポケットに入れて公園に出る。
……歩数計(万歩計)という商品カテゴリーはなくなり、活動量計の1ジャンルになっていた。商品も少ない。
スマホのアプリを使うからだろうか。おれの場合、スマホはバッグに入れるから、歩数計には適さない。
買ったのは中国製DRETECの1,090円の。前のは10年間使ったから、いいであろう。価格半額以下、体積は1/3くらいになった。
*
公園で諸数値のチェックと較正を行う。
3パターンの歩き方で歩数をチェック。極めて正確である。
センチ単位で距離がわかっている場所を4パターン(早足、普通、雨天、千鳥足)で歩いて、歩幅を測定する。
千鳥足は10年以上ないから、平均的なモードとして70cmに設定する。10年前は80cm、5年ほど前に75cmにしていたから、やはり老化しているのである。
歩幅チェックは年に1度行う必要がありそうだ。
ということで、ジュンクドー往復。
4,423歩となった。
高井信『日本ショートショート出版史』(ネオ・ベム)
副題は「星新一と、その時代」
ハードSF研公報に連載されていたショートショートの書誌学的研究が完結、1冊にまとめられた。
しかも、書影がすべてカラーで収録されている。
高井信さんは、SF作家であるとともに、コレクターとしても著名であり、特にショートショートでは際だっている……というより、日本で唯一の研究者といえるのではないか。
ヨコジュンが作家であると同時に古典SFのコレクターであり研究者であることに似ている。
高井さんには『ショートショートの世界』という研究書があり、これはショートショート概論として唯一のものである。
本書はその基礎となった書誌学的研究であり、データベースでもある。
星新一のデビューが1957年。そして1997年に死去。40年の活動である。
そして、その後、高井さんはショートショート研究を始め(蒐集はずっと前からつづけている)、星さんの活動した40年間のショートショート出版史を、デビューから60年目に完成させた。
そのほとんどは、極めて綿密な40年間のショートショート出版史の編年体による記述だが、背景にある星新一の大きさ、その影響の大きさが伝わってくる。そして、短い記述のなかにも、膨大な資料を取捨選択し、データが濃縮してあるのがわかる。これは拙作に関する短い記述を読むだけで実感できるのである。
本書はオンデマンド出版である。
ショートショートというジャンルの貴重な研究書であり、広義にはひとつの文芸ジャンルに関する重要出版であり、全国の図書館を含めて広く読まれる・書架に置かれることを願う。
6月14日(水) 穴蔵/ウロウロ
晴。直射光は強いが、室内に射し込む時間を過ぎれば、室内・外気ともに28℃くらいで快適である。
穴蔵にてボケーーーーッと過ごす。
斜陽の時刻になってから、散歩に出る。
梅田貨物線(今は東海道線支線というらしいが)北側の公園。
昨年から地下鉄御堂筋線への防水壁の工事が続いている。
新大阪から来た地下鉄、淀川を渡って、貨物線手前で地下に潜り込む。あとは大和川の向こうまで地下である。
御堂筋線への浸水防止で、高さは4メートルほど。
北区の水害ハザードマップでは、淀川氾濫の場合、水位4メートルと想定しているから、それに対応しての工事なのだろう。
*
ところが、そのすぐ南、梅田貨物線の高架はほぼ同じ高さである。
貨物線の地下化工事で、この先100メートルほどで地下に潜り、うめきたの新駅につながる。
では、JRも地下への入口を4メートルの防水壁で囲うのか?
豊崎第6架道橋については代替通路をどうするかで揉めていて、防水壁なんて何も出ていない。市とJRで防水対策が違うのか。
貨物線側から流れ込んだ洪水が、うめきた新駅から溢れ、地下鉄梅田駅に浸水する光景は面白そうだが。
などと愚考しつつ、貨物線沿い、グラフロ西側を歩き、ヨドバシを東に出たところで、とつぜん某テレビ局のインタビューを受ける。
ふだんは断るのだが、「こんあたりは津波で2メートルの冠水が予想されてますが、どう思われますか」と訊かれて驚く。
南海トラフ地震による津波のことらしい。驚いて、えっ、どこへ逃げたら……みたいな反応を期待してはるようだ。
「地下街への浸水が気になりますが、防水対策が市とJRで協議されてるのですかね」といったことを言ったが「映るのは好きではありませんので」と伝えたから、たぶんアホ面が流れることはないであろう。
しかし、不思議な取材をしているものだ。
本日6,568歩。
6月15日(木) 穴蔵/ウロウロ
晴。直射光は強いが、室内に射し込む時間を過ぎれば、室内・外気ともに29℃くらいで快適である。あ、少しずつ上昇してるな。
本日も終日穴蔵。
播州龍野に用事きにしもあらずだが、動くのが面倒になってしまった。来週に送る。
斜陽の時刻(15時過ぎ)になって散歩に出るが、日射しが強く、ジュンクドー往復のみ。
たちまち夕刻。
専属料理人に、静岡産枝豆、翁豆腐のヤッコなど並べてもらいビール。
メインはパプリカの肉詰め。
*
でかい。ハンバーグ1.5個分の肉が詰まってるのではないか。ちょっと残す。
安ワイン少しばかり。付け合わせの淡路島産タマネギがいちばんうまい。
早寝するのである。
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