『マッドサイエンティストの手帳』714
●マッドサイエンティスト日記(2019年10月前半)
主な事件
・播州龍野いたりきたり
・シンギュラリティサロン(5日)
・ヨコジュンのびっくりハウス(11日)
・横田順彌さんを偲ぶ会(11日)
10月1日(火) 穴蔵/ウロウロ
目覚めれば10月1日であった。遅すぎるのであった。
本日も秋日……だと思うが、何でも10月としては記録的暑さというか、観測史上最高の33℃(午後)と騒いでおる。
おれは快適だけどねえ。
午前中で一区切りつく。
CD-Rに焼いて、封筒に入れ、クリックポスト。
昼はざる蕎麦。
午後に散歩を兼ねて外出、封筒をポストに投函、あとは月次の処理があって、梅田の金融機関うろうろ。
爽やかな秋晴れ……としか思えんがなあ。
たちまち夕刻。
*
夜は枝豆、ネバネバ小鉢、鶏肉煮込み、サラダなどでビール、酎ハイ。
早寝するのである。
10月2日(水) 穴蔵/ウロウロ
たそがれの国に入ったなあ。
色々なこと考えつつ過ごす。
ネット調べてたら、梨元が敗訴した判決が出てきてびっくり。
懐かしいというか、思い出したくもない名前が色々出てくるなあ。中原とか酒井とか。梨元側証人で出廷してたのか。
連中、どうしてるのか。案外しぶとく生きとるのだろうな。
午後、久しぶりに淀川堤(新御堂西側)を散歩する。
水管橋の撤去工事、また再開されるような。
*
先月来た時に、工事が中途半端なままで、特にトラスが堤に食い込んだままなのが気になっていた。
左岸線の工事関係者が来たので訊ねると、淀川の水量が少ない冬場に撤去と堤の修復をやるそうで、その間、左岸線の工事は中止するという。
そういうことだったのか。また1年ほど道がふさがれるが、しかたあるまい。
セブリ小屋がどうなるのかは「知らない」ということであった。
楽しみはこれからだ(セブリの撤去を希望しているわけではないよ)。
10月3日(木) 穴蔵
薄曇りの空。少し風あり。
播州龍野へ行こうか迷うが、天気予報は午後雨。明日にずらす。
終日穴蔵にあり。本を読んで過ごす。
目の疲れがひどく、1時間ほどで眠くなる。つらいものなり。
午後に雲が厚くなり、断続的に雨、夕刻激しく降る。
珍しく天気予報が当たったような。奇跡を祝して、夜、一杯飲む。当たらなくても飲むのだが。
早寝するのである。
10月4日(金) 大阪←→播州龍野
早寝したら午前2時に目覚める。
強い雨が降っているが、未明にはやみ、浅田飴にはならず、晴れた。
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
タイムマシン格納庫の横を確認、先月依頼したカイズカイブキの伐採、跡形もなく、通過する姫新線から丸見え。
* ← *(9.17)
早くも駐車が可能となった。隣のK産機のクルマ。しばらくは有効活用できるかたちになった。
あとは線路向こう(小学校)の樹木が台風で線路側に倒れるないことを祈るばかり。千葉のゴルフ練習場みたいになると大変だからなあ。
事後処理色々。
実家の方も、台風被害がいくつか。窓が破れたりはないが、落ち葉はひどいもの。
内部だから、当面、そのままにしておく。
これからの数年、生活の拠点をこちらに移して、長いものに専念するのがいいか(大阪の集合住宅ではこれから2年、雑事が多すぎる)、迷うところだ。
龍野は龍野で、雑事は多そうだし。
夕刻の電車で帰阪。
10月5日(土) シンギュラリティサロン
昼過ぎに出て、グラフロのナレッジキャピタルへ。
シンギュラリティサロン。
本日の講演は「脳の構造と機能をつなぐ構成的神経科学:脳から身体,社会へ」
講師は河合祐司(大阪大学 先導的学際研究機構附属 共生知能システム研究センター 特任講師)先生。
講演概要は「脳神経ネットワークは、ランダムではなく構造化されているわけでもない「スモールワールド性」のネットワークととらえられる。近年その構造的特徴が明らかにされてきたが,機能は未解明である。そこで、シミュレーションを用いた、脳構造の機能、神経活動の複雑性を解明する研究を紹介し、さらに身体や社会に目を向け、(人工)脳の可能性を考える」(←ごくごく粗っぽい要約)。
*
……脳神経ネットワークがつながる「スモールワールド」の色々な生成バターンから、モジュール性が「創発」する……これらはコンピュータ・シミュレーションだが、これが身体(外界/社会まで)とカップリングするあたりから、脳と体の共進化へと、話はさらに面白くなる。
二足歩行モジュールや、カルマンの渦列の中で魚の死体が生きているように泳ぐ映像(←これは脳とは関係なしに「体」が動く例だけど)……これには議論が集中。河合先生は機械系出身だそうで(そういえば松田卓也先生も航空工学が長かった/おれも機械系で流体力学)、やはり脳は体の動きにつながらないと面白くないなあ。
河合先生は淺田稔研究室の出身。ということは以前淺田研を見学に行った時に学生だったのかなと思ったが……河合先生は(たぶん)まだ30代半ば。見学は2002年だったから、まだ小学生だったのではないか。
時の経つのは早いなあ。嗚呼。
10月6日(日) 穴蔵/ウロウロ
早寝したら2時に目覚める。このところ、寝起きが不規則になった。
ただし、朝食5〜6時、昼食12時、晩酌19時のパターンは守っているから、睡眠時間が不規則に移動しているだけ。
たいしたことではあるまい。
穴蔵にて、考えること多し。
運動不足なので、夕刻に近い午後、近所を散歩。
久しぶりに中津1丁目の路地に入って仰天。
地下鉄のすぐ西、中津郵便局の裏あたりに、かなり広い更地が出現しているのである。地下鉄中津からすぐの場所。
*
(Google-mapでは建物が建っている。)
マンションでも建ちそうな面積だが、ここに入るには四方、狭い路地しかない。
どう工事するのか。西側と折衝するしかないのではないか。ややこしそうな。
また数年、楽しみが増える。
あと5、6年は生きられそうである。
晩酌時。
BSで『激突』をやっている。70年代に映画館で観て、あとテレビで観たのは20年前くらいかな。
今見ると冗長に感じる。やはり短篇であって、マティスンの小説の方が凄みがあるな。
10月7日(月) 穴蔵
秋晴れ。
いかん、不調である。ややこしい案件浮上、気になって他のこと何もできず。
終日穴蔵。
明日は少し動くつもり。
こんな日が月に1度はある。老化であろう。
10月8日(火) 大阪←→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
実家にて「ややこしい案件」の書類調査。
先方の勘違いであり、こちらに落ち度がないことが判明。ドキュメントを分けて保管するから面倒になるのかなあ。
コピーを届けて、差しあたり一件落着。
タイムマシン格納庫でちょっと作業の後、昼、姫路に移動。
思い立って、姫路駅北西(山陽デハートの裏)……南新地〜久保町あたりをうろうろする。
意外にも、この一角を歩くのは生まれて初めてである。
昔、竹中武が10代でパンパン屋を経営していたあたりである。
高校時代は怖くて近寄れなかった。
* *
モノレールの大将軍駅跡あたりまで。さすがに駅側が再開発され、裏道は寂れた雰囲気である。
お、穴毛がある。看板の色やロゴが似ていて、豊崎の姉妹店としか思えない。全国展開しているのだろうか。
また機会があれば、夜に来ることにする。
夕刻に近い新快速で帰阪する。
10月9日(水) 穴蔵
秋晴れ……雲ひとつない快晴である。
終日穴蔵。
たいして仕事もできず。台風19号の動きが気になって落ちつかないのである。
『未来趣味』増刊の「横田順彌追悼號」が届く。
立派な本である。これについては3日後に書くことにする。
何もしないまま夕刻。
一杯飲んで早寝するのである。
10月10日(木) 穴蔵/ウロウロ
秋晴れ……嵐の前の晴天か。
相変わらず、仕事は進捗しないままだが。
連休前に片づけておく雑事あり、昼過ぎに梅田うろうろ。
近所のタワーマンションの竣工が近い。
地下鉄中津を中心に、左から元世界長(これは2年前)、元東洋ホテル、元三井アーバン。
*
この3棟が並んで見える場所は少ない。ウチのリビングからは1棟が隠れてしまう。
淀川堤を含めて、うろうろすることにしよう。
気になるのは、タワマン含めて賃貸のマンションもあちこちで建築中だが、スーパーがまるでない。
1階にスーパーを入れると、格が落ちるし、自転車は増えるし、事情はよくわかるが……近所にはバカ高くて生鮮ならぬ小型食品スーパーが2軒のみ。
スーパーは天六か天八、むしろ梅田のデパ地下が近いのである。
ま、買い物はおれの役目ではなく、関係ないことであるが。
10月11日(金) ヨコジュンのびっくりハウス/横田順彌さんを偲ぶ会
朝から曇天である。
昼過ぎに出て、古書会館へ。
本日より追悼展「ヨコジュンのびっくりハウス」開催中である(19日まで)。
先着100名に浅田飴がプレゼントされる。間に合った。
* *
著作、古書、生原稿、若い頃のメモ(じつに几帳面)など充実した展示だが、特に目を引くのが、小松左京マガジンのエッセイに御大が「真実であることを証する」と記入した「公認弟子証明」。横に100円ライターがあり、「この日の記念に(小松左京氏から)いただいたもの。粗末に扱わないように」というメモとともに残されていた。
古典SF研究会のメンバー(北原さん、森下さんら)、山田正紀さん、高橋良平さんらとも久しぶりに会う。
ぞろぞろと近くのダイニングカフェ・エスペリアへ移動する。小雨になった。
「横田順彌さんを偲ぶ会」である。
司会が吉田隆一さんで、バリトン吹く時と印象がまるで違うので驚いた。
鏡明の発声で(最初だけ)ノンアルで献杯。
豊田さん、高齋さんはじめ、SF関係の出席者多く、盛会である。
一の日会メンバーとはまったく久しぶりで、お互い、名札を確認しないとわからない。
*
写真は永井豪さんと。
川又千秋とは「もうこんな会が開かれることはないだろうな」という話になった。
20時まで。台風19号が接近中なので、ささっと失礼する。
が、帰宅は日付が変わってからになってしまった。
10月12日(土) 穴蔵
目覚めれば午前8時であった。数年ぶりの朝寝坊である。
雨が降っている。昨日いただいた淺田飴をひと粒。
あとは終日穴蔵。ちょっと机に向かう。
昨日色々と刺激を受けることが多く、おれも少しは頑張らねばと思うのである。
テレビで断続的に台風情報を見る。
台風19号は19時頃に伊豆半島に上陸と報道される。
夜、フィッシュ&ボテトで酎ハイ飲んでたら、ボンクラ息子その1からメール。ウチの上あたりを通過しているらしいとか。
メールが届くうちは安心してられるのである。
和田誠さんの訃報。
週刊文春の表紙がずいぶん前から「再使用」になっていたから、お悪いのだとは思っていた。
1965年「話の特集」創刊以来のファンである。大学時代からだ。
ともかく「才人」という言葉がこれほど似合う人はいなかった。似顔絵がスタートだが、イラストレーターとしても凄いし、エッセイ(戯文)もうまく、これらが総合された『雪国』シリーズは最良の仕事と思う。さらには『麻雀放浪紀』で映画監督まで。内輪のジャズコンサート(色川武大氏がらみ/『唄えば天国ジャズソング』刊行記念/隅の方で聴いていた)の企画と司会も務められていた。趣味が広くて、全部仕事に繋がっていた。これはもう、羨ましいという他ない。
同期(?)の横尾忠則が画家として成長していったのと対称的な生き方だった。
おれは1点描いてもらった(小説誌のグラビア)。これは生涯の名誉である。
『未来趣味』横田順彌追悼號(日本古典SF研究会)
先日の「横田順彌さんを偲ぶ会」の最後に北原尚彦さんが「おかげで3つの企画が実現できた」と挨拶された。
追悼展と偲ぶ会、そしてこの未来趣味・増刊の「横田順彌追悼號」である。
川又さんと会場で「もうこんな会が開かれることはないだろう」と話したのは、こんな企画が実現するのは、ヨコジュン以外では考えられないからである。
本書の編集は中根ユウサク、発行は日本古典SF研究会で、頒布委託は発行盛林堂(こちら)。
*
この「未来趣味」は充実している。巻頭の年代記風の写真がいいし、全書影(巻末には著作目録)も貴重で、さすが古書マニア諸氏が総力を結集した出来映えである。
多くの寄稿もあり、特に鏡明氏の「横田さんは発明家である」が印象に残る。
最大の発明が「(日本)古典SFというカテゴリーそのもの」という。ひとつは科学的思考を前提とすることから「明治以降の作品」に限定した(オールディスのSF「フランケンシュタイン」起源説に近い)こと、もうひとつは海外作品の翻訳が大きく影響したことを明らかにした。これだと古い作品の発見、発掘だが、そこに「古典SF」という概念を付加した創意が「発明」というわけだ。
私個人は誰も気づかなかった概念を見いだして規定したのだから「発見」の方がいいような気がするが、これは、エジソンよりもアインシュタインの方が偉いという思いこみがあるからかもしれない。
このカテゴリーの発明・発見というのは興味深く、たとえば最近のセカイ系とか百合SFなどがそれではないか(実は小生も「阪神間SF」というカテゴリーを発見したつもりで、それはハードSF研公報に載る予定だが、ごくごく小さいカテゴリーである)。
鏡明さんの指摘は「ヨコジュンは日本古典SFという途轍もない大カテゴリーを発明した」ということであり、われわれは数十年間それに気づかなかったのである。
10月13日(日) 穴蔵
定刻4時に起床。普通の生活パターンに戻った。
台風一家……と書いてしまうねえ、豪さんと会った2日後だと。
台風一過、大阪は未明から静かなものだが……関東は悲惨。
夜が明けるにつれて、河川氾濫、堤防決壊が次々に中継される。
広域に渡るので覚え切れず。
ただ、台風の(昨日からの)進路は報道されない。細かい進路はたどれないのか。
昨夜、ボンクラ息子その1が21時過ぎに「雨がやんで無風、目の中らしい……また風雨」とメールしてきたが、中心部の進路は確認はできず。
進路図もネットでは衛星写真に重ねたのしかわからない(幅10キロ弱の精度)。
無事らしいからいいのだが。ちなみに住居は横浜市青葉区。あと、通過したのは森下(調布)か鏡(世田谷)か。
断続的にテレビ見つつ、終日穴蔵にて過ごす。
10月14日(月) 穴蔵
終日穴蔵にあり。
朝から机に向かう。
先日から心を入れ替えて仕事に集中……のつもりだが、まあボチボチ。
たちまち夕刻。
夜はおでんでビール、焼酎は本日から湯割りとする。
早寝するのである。
10月15日(火) 穴蔵
未明には曇天であったが、日の出とともに晴れ間増え、雲はあるものの、午後には晴れた。
終日穴蔵にあり。
記述がだんだん晩年(同年)の荷風のおっさん調になってきた。
一応、机には向かっているのである。
たちまち夕刻、
*
タワーマンション(元東洋ホテル)のため、日暮れが早くなった気がする。
ヨコジュンにつづけと「急かされている」気分だ。
ちと気分が沈み、メランコリーの妙薬を飲む。
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