『マッドサイエンティストの手帳』715

●マッドサイエンティスト日記(2019年10月後半)


主な事件
 ・神戸新聞文化センター(18日)
 ・SF検討会(25日)
 ・足立真知子展@豊崎長屋(27日)
 ・播州龍野いたりきたり


10月16日(水) 穴蔵
 秋晴れである。
 朝、近所の某医院へ行き定期検診。数値はごく正常である。ほっ。
 あとは終日穴蔵にあり。
 資料を読み、楽しみのための本を読み、しばらくは机に向かう。
 運動不足なので少しは歩いた方がいいのだが、ま、明日に送る。
 たちまち夕刻。
  *
 専属料理人の並べたイカマリネ、パスタ、サラダなどで、ビール、中本酒店の格安バカ旨ワインを少しばかり。
 秋の夜は更けゆく。

10月17日(木) 穴蔵
 朝から穴蔵にて一応マジメに机に向かう。
 晴れていたのが薄曇り、だんだん雲が厚くなってくる。
 13時からBSでドン・シーゲル『突撃隊』を見る。4月に見逃していた作品。高校時代に見て以来56年ぶりか。
 やはりシーゲルらしいアクション映像が所々に見られるが……マックイーンの最後の「突撃」は凄まじいと思っていたが、記憶の中で増幅していたらしい。もっと「あの手この手」がある印象だったが、アイデアはそう多くなく、記憶どおりなのは、ジープの音を重戦車に「偽装」する場面だけであった。これはシナリオの弱さだろう。
 シーゲルは3年後に「殺人者たち」を撮り、11年後に「ダーティハリー」、13年後に「突破口」を撮る。
 やはり鬼才であったのだ。

10月18日(金) 神戸新聞文化センター
 昼前に出て神戸三宮へ。
 神戸新聞文化センターでの講座の日である。
 三宮は「そごう」が「阪急」に変わったのが話題だが、おれにはJR三宮のビル取り壊しの方が驚きだ。
  *
 ↑教室からの眺め。先月までシートで覆われていたのが、屋上から解体されはじめている。
 全面的な建てかえなのであった。
 講座は提出のエッセイ4篇、小説3篇を中心に。
 いずれも面白いのだが、驚いたのが「小学唱歌集」を編纂した伊沢修二に関するエッセイ。この名に記憶はあったが、おれが知っていたのは弟の伊沢多喜男の方である(『人民は弱し 官吏は強し』に登場する台湾総督)。
 そして、別のエッセイ……改元エピソードから、515事件、226事件、昭和大恐慌とつながる緊迫の近現代史ものだが……伊沢多喜男は226の襲撃対象者の候補だったはずである。
 偶然だが色んな「からまり」が出てきて刺激的である。
 伊沢兄弟というのも不思議な存在だなあ。
 ただし、この時代にのめり込むとたいへんなので、少し距離をおくが。

10月19日(土) 穴蔵
 天候不安定の予報は外れ、曇時に晴れ間あり。
 終日穴蔵だから、天気は関係ないけど。
 色々面白い本を読む。
 感想書くのが最近面倒になってきた。いかんなあ。明日から始めることに。
 台風19号による決壊浸水の報道がつづく。
 被災者の方々の映像を見るのがつらい。
 それにしても、脱ダムバカどもはどう思っとるのだろう。
 ハゲ頭の欲ボケ三百代言五十嵐敬喜、少しは反省しているのだろうか。してないだろうな。
 福島の原発事故では「管直人が日本を破滅から救った」といい放った外道だ。今回も管なら洪水は防げたといいかねんな。
 諸悪の根元、早くこの世から退場しろ。

10月20日(日) 穴蔵/ウロウロ
 ちょっと寝坊、午前5時に目覚める。
 諸々の朝のセレモニーの後、一応マジメに机に向かう。
 たいして進捗せず。
 午後、運動不足なので散歩に出る。
 淀川堤、新御堂筋から東へ。
 と、上淀川橋梁(JR鉄橋)の東側にフェンスが張られ通行止めである。
 半年ほど堤防の工事らしい。
  *
 閉ざされた散歩道。
 淀川堤の西は、水管橋撤去で半年通行できず、その後も左岸線の工事が本格化して、海老江まで、7年間ほど塀で仕切られるはず。
 生きているうちに、淀川堤は東西ともに閉ざされ、毛馬閘門から伝法水門まで自転車で走るなんてことはなさそうだ。
 取材は終わったから机に向かえということか。

10月21日(月) 穴蔵
 曇天、午後は雨、だんだん本降りになる。
 終日穴蔵。
 夜は集合住宅の臨時総会と、引き続き理事会。
 議事は問題なく進んだが、承認された議案を考えると、暗澹たる気分になる。
 これから2年ほど、体がもつのか。
 遅い時間の晩酌。
 専属料理人から「あんまりため息ばかりつかないで」と注意されるが……

筒井康隆『老人の美学』(新潮新書)
 先日、ヨコジュンを偲ぶ会で、山田正紀さんと、老齢期について話したところであった。
 おれは後期高齢者になったのだが、山田さんはまだまだ若いはず。しかし、シバレンの享年が61歳と気づいて落ちこんだという。
 どんな老齢が理想か。大岡昇平ではないかというあたりで一致したのだが、「成城だより」が書かれたのは70代半ばであった(印象としては80代と思っていた)。
 が、ここに、やはりとんでもない「老人」がいた。
  *
「老人の美学」は、老人のダイディズムを論じて、これからの10年を(生きている限りは)勇気づけてくれる伝道の書である。
 筒井氏は(おれの)10代から60年近く、いつも10年先で「理想」の姿を示しつづけてくださる方である。
 むろんその位置に追いつけるものではなく、遙かな高峰を仰ぎ見る存在である。
 しかし、だからこそ、その道筋は、ずっと大きな啓示になってきた。
 ここには、著者の60代から創作した老人、出会った理想的老人、迷惑老人、かんちがい老人、その他玉石混淆の老人たち、さらに自らも含めての老人パターンが語られ、誇りを失わぬ老後が示される。
 おれとは別だな(前の職場になにかと連絡してくる老人とか孤独に耐えられない老人)もあれは、手遅れかと思う(ちょいワル老人はいまさら無理だ)事例もある。加齢臭は意外に重要な問題だ。注意せねば。
 色々なことを考えさせてくれるが、最終的に、死を「美的に」かつ「楽に」迎えるには、長生きするのがいちばんなのである。
 これを読むと、集合住宅の理事長なんてことで悩むのはアホで、どうでもいいことがわかってくる。
 とりあえず長生きすることにする。

10月22日(火) 穴蔵
 吾妻ひでお氏の訃報。
 うーん。前から悪かったらしい。
 一度ウチにおいで頂いたことがある。1981年のダイコンVの前夜だった。色々な方が見えたが、吾妻さんは新井素子さんといっしょに現れた。感激であったなあ。
 本日は服喪。
 夜は翁豆腐、中トロの刺身など並べ、吉乃川で献杯。

10月23日(水) 小宇宙徘徊
 昼過ぎにSFの友人Aさんが近所からメールしてきた。
 久しぶりの来阪なので、しばらくつき合うことにする。
 SF以外の共通の趣味が街歩きである。それもどちらかといえば廃墟趣味。
 どのあたりがいいか訊くと、おれの普段の散歩コースだという。
 面白いのかなあ。
 徒歩圏の「三大生家+X」を中心に歩くことにする。
 まず、野々村竜太郎の生家。数年後に取り壊し予定である。
 つづいてA建築研究所。「かんさいだき」の名店の近くである。
 第6架道橋をくぐり、淀川堤へ。
 水管橋撤去前のセブリ小屋をながめる。
  *
 Aさんのいうには、多摩川堤にも似たような小屋があったが、先日の増水で流れ去ったとか。
 堤防をおりて、佐伯祐三生家を訪ねる。
 となりの富島神社に参拝。
 西にしばらく歩いて、許永中の生家あたりを見物。
 中津商店街を抜け、阪急中津の西にある「リレーションホテル」を見る。
  *
 昔は「穴毛」と並ぶホテルだったが、今は仏専用……面白いかなあ、これ。Aさんは喜んでいるが。
 スカイビル北の里山を歩く。稲刈り前である。
 うめきた2期地区を横断して、グラフロを抜け、ステーションシティ「風の広場」に上がる。
  *
 六甲〜北摂山系を遠く眺めて、ここで解散する。1万歩を超えた。
 130億光年の宇宙を夢想してきたのが、今や、わが宇宙は徒歩圏、直径数キロの空間である。
 うめきたから世界を眺めて……か。

10月24日(木) 穴蔵
 曇天、午前から雨になり、だんだん強くなる。
 終日穴蔵にあり。
 机に向かうものの、生産的なことはできず。
 某方面でややこしき事件出来(しゅったい)。
 電話であれやこれや。落ち着かぬことである。
 動くにしても来週になるか。
 要するに某国の集団××団が暗躍しているらしい……という話である。
 困ったことだ。

10月25日(金) SF検討会
 浅田飴だ。昼前にはやみ、夕刻には晴れてきた。
 晴れ間に合わせたように、かんべむさし氏が焼酎ぶらさげて来穴蔵。
 久しぶりに定員2名内容非公開のSF検討会を行う。
 穴蔵での飲酒は滅多にないのだが、この時ばかりは別である。普段の晩酌メニューより少しマシなのを専属料理人に運ばせて、だらだらと湯割りを飲みつつ、今年はじめのヨコジュンから先日の吾妻ひでお氏まで、今年逝去した人たちの業績をあれやこれやと検討しているうちに、話はあちこちに飛び、最終的には阪神間モダニズムと大大阪(だいおおさか)モダニズムの世界に入り込んで、気がつけば4時間近くが経過していた。
 まだ少し話し足りない気がするが、続きは忘年会とする。
 それまでに、お互い少しは仕事を進めておかねばならぬ。
 もう年の瀬が近いのだなあ。

10月26日(土) 穴蔵
 薄曇りの空、午後には晴れてくる。
 終日穴蔵にあり。机(PC)に向かって過ごす。
 やらねばと思いつつ、迷うことも多し。
 昨夜のかんべさんとの検討会(偶然似たようなことやってる人もいるなあ)での議論が尾を引く。
 ある題材(1991年後半にワイドショーを大騒ぎさせた事件)について、おれはもう作品化はやめるから、その概要だけを書いておくことにしたのだが、むさしくん「それは作者の能力しだいでしょう」という。
 うーん。岩倉具視から始まり、華族、財閥(野村財閥、川崎財閥)の盛衰が語られ、その残光を、銀座のホステスとなった、北海道のつぶれた網元の娘が消滅に導く……考えようによっては凄い物語であり、それぞれの「ライフヒストリー」を重ねると、異色の近現代史にもなるのだが、結末があまりにも下品なのである。
 むさしくん「そこを感動的に読ませるのも腕でっせ」という。確かにかれの『本真剣の師』は、語られる主役の人生もさることながら、背景となる大阪の「近現代史」描写が見事なのである。
 また迷いが生じるなあ。
 この事件に関連するエッセイはハードSF研(HSFL)の公報に送り、石原藤夫博士は面白いといってくださった。
 ひきつづき事件の概略は書くつもりである。ハードSF研公報限定だけど。

10月27日(日) 小宇宙徘徊
 薄曇り、だんだん晴れてくる。
 このところ運動不足なので、歩くことにする。
 日曜だから、仕事まがいのことはやらなくてもバチは当たるまい。
 10時頃に出て、ジュンクドーに寄り、あとは中崎町の路地をうろつき、中崎商店街を天五へ。
 天神橋筋商店街を南北にうろうろ、いぶきうどんにてキツネを食す。うまっ。
 となりの都そばがガラガカなのも痛快なり。
 天六交差点から西へ。
 豊崎長屋まで来たら、足立真知子展「温故知新 屏風へのオマージュ」が開催中である。
  *
 期間中は、主屋(吉田邸)への出入り自由なのであった。
 さっそく上がり込む。
 屏風に四季を描いた作品……ベンガラで描かれた「秋」がなかなか。おれにも少しは鑑賞眼があるのである。
  *  *
 有形文化財の吉田邸を内部から見られる機会は滅多にない。
 うろうろしてみるものだ。

10月28日(月) 大阪←→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 薄暗い時間に出て、9時前に着けば、播州龍野は秋晴れなり。
 実家にてややこしい作業。
 要するに先日、近辺を荒らし回った泥的の被害調査と事後処理である。
 泥的に破壊されたガラス戸をガラス屋が持ち帰り、夕刻に戻してくれることになる。
 遅れてきた身内と屋内チェック。
 金目のものは何も置いてないので、被害はゼロ。
 ご近所数軒も同様であったらしい。
 ただ、就眠中に隣室を物色されて気づかなかったという話は不気味だ。
 大きな声ではいえないが、日本人離れしているなあ。
 気色悪いので大掃除。
 時間があったので、昼飯ついでに揖保川町馬場地区のコスモスを見に行く。
  *
 例年どおり。ま、こんなものであろう。
 夕刻まで待って、ガラス戸を入れる。
 請求……3万近い。嗚呼。被害額はこれである。
 日が落ちてから帰阪。
 遅い時刻からの晩酌となった。

10月29日(火) 穴蔵
 朝だ。雨が降っているが、天気に関係なく、先日の偲ぶ会で貰った浅田飴を口に含む。
  *
 一連の朝の行事を終えて、机に向かう前に1個……最近の習慣である。
 のどに快適な浅田飴に栄光あれ。
 セクハラを反省せぬ龍角散の社長に災厄あれ。
 ということで、終日穴蔵にあり。
 一応机に向かって過ごす。
 九州工大の特任教授(68)を風俗嬢ストーカーで逮捕。面白いなあ。おれから見れば「若気の至り」。うらやましい限りだ。

10月30日(水) 穴蔵
 朝だ。黄砂がかかっているのか。10月の黄砂は史上2度目という。ただ、霧かもしれない。
 ベランダから見る、午前5時の茶屋町アプローズ。
  *
 たちまち、くしゃみ連発。
 本日も終日穴蔵とする。
 昼間、晴れているが、薄い雲。黄砂かどうかはわからん。
 たいして生産性あがらぬまま、たちまち夕刻。
 晩酌。早寝とする。

10月31日(木) 穴蔵/ウロウロ
 秋晴れである。
 2日間運動不足、歩くことにする。
 昼前に出て、天六まで歩き、金融機関にて月次の処理。
 昼はひさしぶりに天六うどん。うまっ。
 あと、本庄〜中崎〜豊崎、初めて路地を選んで帰る。
 ニワトリ飼っている家とか、珍しい発見も色々。うろうろしてみるものだ。
 驚いたのが許永中の旧邸宅あたり(旧極真会館跡のはす向かい、民団の南側、浄方寺の北側)。
  *
 ここには「西向不動尊」というややこしい「神社?」があり、極真会館取り壊しのあと、本尊?だけが道路西のコーナーに移されていた。
 その狭いコーナーが取り壊されて、住宅らしき建物が建築中である。
 これで許永中の残滓も払拭されるか。15年がかりだなあ。
 午後は穴蔵にこもる。


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