『マッドサイエンティストの手帳』713

●マッドサイエンティスト日記(2019年9月後半)


主な事件
 ・播州龍野いたりきたり
 ・神戸新聞文化センター(20日)
 ・森山威男JazzNight@ala


9月16日(月) 穴蔵
 早寝したら午前3時に目が覚めてしまう。
 本日も終日穴蔵にあり。
 ジャズ系の雑事を集中して片づける。
 たちまち夕刻。
 専属料理人に、枝豆、翁豆腐ヤッコ、ほうれん草、サンマ、キンピラ、筑前煮など並べて貰って、ビール、吉乃川。
 やらねばいかんこと色々あるが、本日も早寝。

9月17日(火) 福薗くんの訃報
 晴れて涼しく、過ごしやすい日である。
 朝、近所の某医院で定期検診。数字は極めて良好であった。
 あとは終日穴蔵にて雑事。
 夜は集合住宅の理事会。某コンサルとの契約を承認、来月の臨時集会を経て、たぶん2年ほど気が重い日々がつづくことになる。
 たぶん……後期高齢を理由に抜けられると期待しているのだが。
 遅めの晩酌。野菜がやたら多いが、しかたあるまい。
 おや、元逆鉾(井筒親方)の訃報。膵臓が悪かったらしい。58歳。まだ若いなあ。
 おれには福薗好昭くんの方がなじみ深い。こちらに書いているが、あれからもう四半世紀経過しているのか。
 まあ、当時から「女には不自由しなかった」と話してたから、悔いはあるまい。

9月18日(水) 大阪←→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 タイムマシン業の相棒の某くんと色々打ち合わせ。
 もうおれの出番はあまりないのだが。
 ややこしいのは、隣接する駐車場の奥に生えている樹木(カイズカイブキというらしい)の処理である。
  *
 向こう側は姫新線、こちらは(今は使ってない)駐車場。
 いずれにしても、今後数年放置するとしたら、台風での倒木が心配である。
 昨年の大阪、今の千葉の惨状を見るに、全部バッサリやるのがいいようだ。また余計な出費が生じる。嗚呼。
 夕刻の電車で帰阪。

9月19日(木) 穴蔵
 晴れて涼。終日穴蔵にあり。
 明日のために資料を読む。
 午後は松原隆一郎『頼介伝』(苦楽堂)を途中まで(←後で書くつもり)。
 夕刻のニュース。
 さいたま市の小学生殺害……父親を「死体遺棄容疑」で逮捕。昨日の朝以来、誰もが訊きたがることに、アナウンサーもしゃべりにくそうな雰囲気であったなあ。
 詳しくは明後日くらいに読めばいいか。
 専属料理人の並べた和風メニューで一杯。
 寝ころんで本のつづき。

9月20日(金) 神戸新聞文化センター
 昼前に出て阪急で神戸三宮へ。
 神戸新聞文化センターの講義である。
 エッセイ5篇、短篇1を中心に合評会形式で。
 それぞれ面白く、特に某さん(そのうち紹介する機会はあると思う)のエツセイ、短篇、ともに秀逸。
 特に阪神間モダニズムに触れたエッセイは、すでに某方面に送った拙稿と多くの点で重なるので驚いた。
 京アニ放火犯みたいに逆上してガソリンまかないように。
 夕刻帰宅。ちょっと一杯。
 明日は遠出である。

松原隆一郎『頼介伝』(苦楽堂)
 副題は「無名の企業家が生きた もうひとつの日本近現代史」……ノンフィクション・ノベルの傑作である。
  *
 頼介伝というタイトルを見ても、松原頼介とわかる人はごく限られているだろう。
 松原隆一郎氏の祖父である。
 隆一郎氏は御尊父が亡くなられた時、戸籍謄本の出生地に神戸市「東出町」という表記を見つける。初めて見る地名である。
(松原家は魚崎にあり、隆一郎氏は歩いて灘校に通い、東大に進み、東大教授を経て、今は放送大学教授。森山威男研究でも知られる碩学であることは、今さら説明することではあるまい。)
 さらに不思議な木造船の写真が出てくる。祖父・頼介が船を所有していたことは知っていたが、それがどう使われていたのかは知らない。
 そこから、10年近くに及ぶ祖父・松原頼介調査行が始まる。
 ここで明らかになる頼介の人生は波乱に満ちたものである。
 1897年、山口に生まれ、若くしてフィリピンに渡る。その後、神戸の東出町に移るが、ここは人足やヤクザ(山口組の創生期?)の密集地であり、鈴木商店に焼き討ちを見る(ここから頼介の、鈴木商店の金子直吉に似た資質が記述される)。荷車を使った商売で資金を稼ぎ、やがて魚崎に工場を作り、帆布製造で急成長を遂げる。この事業はやがて日出紡績(のちの大和紡)に吸収され、挫折を味わうが、頼介は戦後、電気炉による製鋼で再起する。だが、その事業もまた行き詰まり……こうした履歴はぜひとも本書で確認していただきたい。まさに波乱の人生である。
 面白いのは、頼介の浮沈に、日本(特に神戸を中心とする経済)の浮沈が重ねられて、まさに「もうひとつの日本近現代史」になっているところだろう。さらに、阪神間モダニズムも重ねられ(魚崎はその中心地である)、「細雪」に代表される文化とは別に、東出町から這い上がったもうひとつの「阪神間モダニズム」も記述される。
 さらには、製鋼会社の破綻が(後を継ぐ覚悟で東大の冶金工学に進むつもりだった)隆一郎氏を直撃して、進路を都市工学に変更する。このタイミングが人生の進路を決定することになる。「自分史」の一面も読みとれるのである。
 あとがきで隆一郎氏は、これは伝記ではなく「ライフ・ヒストリー」であると書く。つまり記述が「社会的事象にまで及ぶ」のである。
 それは阪神間に関する戦前戦後の記述と考察から十分理解できる。
 その上で、私は、本書は松原隆一郎氏が自分のルーツ探しを描いた「ノンフィクション・ノベル」の傑作でもあると評価したい。
 何よりも面白いのが、その徹底した調査行動である。
 1例のみあげる。祖父の船舶・喜久丸の停泊している写真から、これは西播の御津ではないかと推測し、当時の祖父の持つ土地の特定から始める。たつの市役所に出向き(わが故郷である!)、法務局を紹介され、さらに後日、御津支所の税務課に出向いて、古い文書から地番を確認する。そこは揖保川の河口に近い「中川」の工場地帯である、その地に立って、写真の背景にある山の形を確認する。
 これが長い調査行のごく一部なのである。文献調査と並行して現地調査を根気強く続ける隆一郎氏の姿は感動的である。
 わが「知人」が祖父を描いた作品としては、星新一『祖父・小金井良精の記』が思い浮かぶが、むしろ山下洋輔氏が祖父・山下敬次郎の足跡を辿った『ドバラダ門』の方に近い印象を受ける。
 久々に読むルーツ探し「小説」の傑作である。

9月21日(土) 森山威男JazzNight@ala
 この20年つづく恒例行事のひとつ、可児市での森山威男ジャズナイトの日である。
 ところが、毎年顔を合わせる顔ぶれ、今年は揃って不調である。
 大阪の池田くんは、会社の引越が重なって行けなくなった。そこへ九州組からメールが入り、台風で飛行機が欠航という。致し方あるまい。
 おれはどうかというと、3ヶ月前からチケットは押さえているが、ホテルが取れない。
 なんでも年寄りの体育大会があるとかで、多治見〜可児一帯のホテルは予約を受け付けないのである。
 しかたなく、今年は日帰りである。
 昼頃に出て、新幹線で名古屋へ。
 チェックインの必要はないので、今年は犬山回りで行くことにする。
 名鉄犬山線で、途中、江南(昔は古知野の駅名だった)で降り、一時期いた工場あたりをうろうろするつもりだったが、駅周辺は変わらぬ(むしろ寂れた)雰囲気なのでパスし、犬山市内をうろうろ。
  *
 犬山城まで行ってみたが改修工事中であった。
 やはり姫路ほど面白くはなし。
 広見線で今渡へ移動、徒歩10分で文化創造センターalaに着く。
  *
 18:30〜森山威男ジャズナイト開演。
 森山威男(ds) 渡辺ファイアー(as) 川嶋哲郎(ts) 佐藤芳明(acc)
 田中信正(p) 水谷浩章(b) 相川瞳(per)
 昨年のメンバーから類家さんが抜けた構成かな。
 ええっと、最初はフォレストモードだったかな。最近はメロディはわかるが曲名が出てこないことが多い。
 つづいて「アフリカの生誕」だったか……相川さん17歳の時(芸大受験の時)の曲という。
 若い時の流れで「ふるさと」……森山さんが幼少期に刷り込まれた曲(後は演歌と浪曲)という。
 変な流れで田中信正ソロ「ハッシャバイ変奏曲」……色々なクラシックの曲が登場して、時々ハッシャバイにもどるという構成。
 1ステージ最後は、なんだったか、おなじみの曲。
 休憩、ジャンケン大会があって……
 2ステはドラムのマーチから始まって「スイングしなけりゃ……」
 「グラティチュード」「サンライズ」とつづく。ファイアーさんと川嶋さんが会場に降りてきたり。
 最後は井上淑彦さんを偲んで「ずっと」
 ピアノトリオの「グッドバイ」で終わった。
 20:50終演。
 今渡→犬山→名古屋→新大阪と順調に乗り継いで、23:30の帰館となった。
 案外近いのだなあ。

9月22日(日) シンギュラリテイサロン
 午後、歩いてグラフロのナレッジキャピタルへ。
 シンギュラリティサロン。台風の影響か、ふだんより人は少ないような。
 本日のテーマは「自然言語処理と画像処理における最近の注意モデル」
 講師は東京女子大学・情報処理センターの浅川伸一先生。
 浅川先生は「文学博士」である。心理学が文学部にあるからで、神経心理学とか神経科学から、ディープラーニングへと拡大中らしい。
 2014年に画像処理分野で「畳み込みニューラルネットワーク」が人間を超える性能を示した。
 自然言語処理分野でも人間を凌駕する性能のモデルが複数出てきて、数々の番付表?が示される。
 AIは、マンガやアニメ(画像処理)の方が得意で、小説(自然言語処理)の方はまだ手こずっているということか。
 太宰的なもの(全集を読み込ませてしまう)と坂口的ものから、わりと簡単に坂口安吾が書いた太宰治的な小説が作れそうな……となると、うーん、おれには作品データだけでなく、酒の飲み方の違いも学習させなければ無理なんではないかと想像してしまう。
 あ、これは本講演の本質的な部分ではないのだが。
 つい余計な想像ばかりして、とても全体が理解できた自信がない。
 帰路、ピアスタワー前に来たら、2、300人の人だかり。
  *
 ポケモンか何かであろう。ええ歳こいたおっさんまでが。
 人間の大部分はとっくにAIに凌駕されていると思わざるをえない。

9月23日(月) 穴蔵
 うへっ、本日も世間は休日である。穴蔵にて過ごす。
 マジメに机に向かう。
 仕事が進んだかどうかは別だけど。
 夕刻近い秋分の日の空。
  *
 西側のタワー(ブランズウィック)、外観完成、11月の竣工に向けて仕上げ段階。
 10年ほど(もっと短いか)、この風景を見るのだなあ……
 一杯飲んで早寝。

9月24日(火) 穴蔵
 未明の晴れた朝焼けを見るが、6時過ぎから雲が増え、7時には曇天となった。
 終日穴蔵。
 マジメに机に向かうのであった。
 連絡事項色々。
 10月の3連休に上京することにして、あれこれ調整する。
 播州龍野からも連絡あり、明日は龍野行きとする。

9月25日(水) 穴蔵/ウロウロ
 定刻午前4時に起床。
 早朝の電車で播州龍野へ移動のつもりであったが、ちとこみ入った事情で難しくなる。
 8時頃に龍野にいる相棒の某くんに電話、取りあえずの対応を依頼。
 9時過ぎに出て市内ウロウロ。
 ATMが混んでいるなあと思ったら、世間は給料日であったか。
 ついでにチケットショップに寄り、来月上京の新幹線のチケットを買い、大阪駅で指定席。
 当日まで指定なしで、予定にしばられず気楽に動くのが好きなのだが、今回は連休だし、増税前に決めておく方がいいであろう。
 午後は穴蔵。
 気持ちのいい秋晴れである。専属料理人が専属洗濯婦と化し、やたら張り切る。
 夏物の衣類、布団、シーツ類を全部交換。
 本日よりAWモードとなる。

9月26日(木) 穴蔵/ウロウロ
 秋晴れである。
 終日穴蔵にあり。一応机に向かって過ごす。
 天気がいいので、午後1時間ほど散歩。
 ジュンクドー経由、中崎町うろうろ。
 鶴野町から豊崎への歩道で信号待ちしていたら、横をA先生がスマホで話しつつ、赤信号を平気で渡って行かはった。
  *
 テントさんみたいにならないか心配である。あれから3年になるのだなあ。

9月27日(金) 穴蔵/ウロウロ
 断腸亭のおっさんに倣えば「晴。正午天五。」の1行で済むか。
 そういう1日であった。
 専属料理人が昼前に出かけたので、昼は散歩を兼ねて天五の非公開某店へ。軽く一杯。
 天八経由、淀川堤を歩き、豊崎神社に参拝して帰館。
 穴蔵にて、資料再読。
 30年ほど積み上げていた、処分前の雑多な資料で、読み出したらやめられない。
 雅美事件に関するものだが、芸能レポーターという「ウンコにたかる蠅」連中の愚劣さに改めてむかつく。
 梨元は死んだが、石川敏男という男はまだのうのうと生きとるのだなあ。
 某誌に書くつもりで再読中。

9月28日(土) 穴蔵/ウロウロ
 穴蔵にてボソボソと作業を続ける。
 午後、散歩を兼ねて梅田のチケットショップへ。
 増税前のまとめ買いになるのかな。11月の静岡行きのチケット購入である。合計すれば、800円ほど安いはず。
 梅田、人出多し。歩き慣れてない人(休日にたまに出てくる人種)が多いらしく、やたらぶつかりそうになる。
 他の買い物はやめて、さっさと帰館。
 ゆうメールが届く。
 おっ。
 下関のS夫人から堀晃さんの小さいリトグラフを贈っていただいたのである。
  *
 机正面の本棚の上に飾る。
 これでうちには「鳥」「海」「虫」が揃ったことになる。
 今日はいい日だ。

9月29日(日) 穴蔵
 秋日、終日穴蔵にあり。
 人出が多そうで、ただ出歩くのが面倒なだけである。
 明日は少しはマシな日になるだろう。

9月30日(月) 穴蔵
 秋日、終日穴蔵にあり。
 昼は30℃を超えたらしいが、おれには快適である。
 だいぶ進んだ。
 こんな日が続くのであろう。
 9月が終わる。


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