『マッドサイエンティストの手帳』706
●マッドサイエンティスト日記(2019年6月前半)
主な事件
・Big River Jazz Festival 2019(2日)
・滝川雅弘4@ニューサン(5日)
・インテックス大阪(6日)
・創サポ@エルおおさか(8日)
・ラスカルズ@ニューサン(8日)
・大阪JAZZ同好会(9日)
6月1日(土) 穴蔵/ウロウロ
午前3時頃に目覚める。6月になっていた。
一応机に向かう。さほど生産的なことはやれず。
昼間、ビールの運び役を務めたり、雑事あれこれ。
たちまち夕刻。
色々並べて晩酌の後、専属料理人につき合って茶屋町まで散歩。
恒例の「100万人のキャンドルナイト」をやっている(おれはどうしても昔のエロ雑誌のタイトルを連想してしまうのだが/70歳以上でないとわからんかな)。
ビンに入れたろうそくを並べて文字を作った程度のが多く、4、5年前の熱気はない。
*
ろうそくの熱気で紙の風車を回すオブジェが、いつ燃え上がるかヒヤヒヤさせて面白い……程度かな。
このイベントも来年あたりで終了か。
30分ほどうろうろして帰館。
6月2日(日) Big River Jazz Festival 2019
昼前に出て、自転車で中崎町を抜け、天五経由、OAPに至る。
ビッグリバー・ジャズフェス。
毎年5月連休の開催だが、今年は改元騒動でややこしく、本日になった。
緑が深くなり、曇天だが直射光がなく、これはこれでいい雰囲気である。
関西(姫路や広島も含む)7バンドが出演。
さらに(連休ではないものの/1泊4日?で)早稲田ニューオルリンズジャズクラブも来阪。
その上、高齢化に歯止めをかけようと、今年は、すぐ近くにある扇町総合高校の吹奏楽部「OHGIES」が出演。
* *
大川側の広場で演奏。ジャズ風アレンジ(ジャズの吹奏楽アレンジか)「シングシングシング」などパフォーマンスを繰り広げて、これは元気があってなかなかよかった。
来年からレギュラー入りとなるか。爺さんに近いおっさんばかりではなあ。
6月3日(月) 穴蔵
晴れて気分のいい日になった。
穴蔵にて雑事(非SF系)をだらだら。集合住宅の排水管について調べること多し。
この狭い分野でも業者の多さに驚く。
わがタイムマシン業(時速1時間未来行き専用機/繊維の物性も計れる)がニッチもニッチ、世界見渡しても競合相手がいなかったことを改めて実感する(マーケットは消滅寸前だけど)。
たちまち夕刻。
専属料理人に色々並べてもらって晩酌。
テレビで土井なんとかセンセイがネパール料理を食べる番組を見ていたらゴロンとした岩塩が出てきた。
これには見覚えがある。
1999年だったと思うが、北野勇作さんがひと月ほどネパールへ行った。そのみやげに岩塩を貰ったのである。
削って使うのだが、専属料理人があれやこれや試みて、ずいぶん楽しめた記憶がある。
20年経つのか。懐かしいなあ。
6月4日(火) 穴蔵/ウロウロ
午前中は曇天。
淀川堤を走ろうと自転車で出るが……
上流、毛馬閘門は水管撤去工事中で堤はふさがれている。
至近の新御堂西側は秋まで水管橋撤去工事がつづいていて、堤は通行できない。
下流、十三大橋から西に走ると、淀川左岸線の工事がだんだん迫ってきている。
下流方向は、これから7年かけて豊崎まで工事が進み、その後、門真方向へ掘り進められる。
生きてるうち、淀川堤の縦走(毛馬閘門から伝法水門まで)は無理だな。
もうウロウロする(取材)のはやめて、机に向かえということだろう。
進路を北にとり、十三大橋を渡り、十三商店街の丹波で「きさらぎ漬」を求める。本日はキャベツがあった。
ついでに中本酒店で「吉乃川」を買って帰館。急冷。
たちまち夕刻。
夜は専属料理人に「きさらぎ漬」を刻んでもらう。
他に(保存食含めて)枝豆や翁のヤッコなど、計8皿が並ぶ。
* *
これらでビール、吉乃川。
おーい、オキシさん、飲みに来ませんか(漬物の好きな男なのである)。
6月5日(水) 滝川雅弘4@ニューサン
夏日なり。
終日穴蔵にあり。資料を読んで過ごす。
夜、久しぶりにニューサンへ。夜遊びじたいが久しぶりである。
滝川雅弘カルテットの出演日。
*
滝川雅弘(cl) 笹井真紀子(p) 山本学(b) 高阪照雄(ds)
やっぱりバップはいいなあ。
特にパーカー・ナンバーとなると気合いがちがう。
水割り、ちょっと飲み過ぎ。23時の帰館となった。
6月6日(木) インテックス大阪/逝去詐欺
夏日なり。
午後、地下鉄で本町〜コスモスクエア経由、インテックス大阪へ行く。
インテックスに来るのは2001年以来である。
(タイムマシンを出展していたのである。その見本市OTEMASは2001年が最後になった。)
雰囲気はそう変わっていない。
*
月末に世界の首脳がこんな場所に集合するのだが、大丈夫かねえ。トイレもそうきれいではないが。
本日はKENTENという、建築材料・住宅設備の見本市。
集合住宅の理事長としてはいたしかたなし。
展示はそれなりに面白いのだが。
夕刻帰宅。
と……某同級生から留守電があったらしい。
生死の確認である。
どうやらこの時の名簿が5年経って、また出たらしい。
今回はアンケートもこなかったから、名簿は「逝去」のままなのだろう。
詐欺やセールスの電話はほとんど「業者の名簿」が原因だからな。そもそも業者に丸投げという姿勢がいかん。
おれは「業者に丸投げの名簿」のアンケートにはすべて同じ対応(2011年7月26日に死去と記入)をしている。
では、この日記を書いているのは誰なのか。AIである。そんなショートショートを書いたことがある。
電話かけてくるより香典送れといいたくなるが、香典受け取ると詐欺になるのかなあ。
6月7日(金) 穴蔵
定刻午前4時に起きてボケーーーーッとしていたら、午前6時に雨が降りはじめ、8時頃からは本降り、10時頃には激しい雨になった。
終日穴蔵にて痴呆状態で過ごす。
たちまち夕刻となる。
晩酌。並べられた6品、見事に植物系。
*
お浸しの削り節、グラタンに少し挽肉、オニオンに少しチリメンが振りかけてあるのが動物系か。
大いに結構。
ビール、酎ハイを飲む。
6月8日(土) 創サポ/ハチ/ラスカルズ@ニューサン
穴蔵にこもって資料を読む。
夕刻這い出て地下鉄で天満橋へ。
創作サポートセンターの講義。提出作品3編を中心に。
・インドのジャンヌ・ダルクを描く500枚の長篇歴史ロマン。前回、作者が欠席だったので、詳しく行う。
・滅びかけている「流星漁」という仕事を描くヘンなSF。
・魔術師の世界、養成学校に「小鬼」が教師として赴任してくるヘンな設定だが、「進路指導」がじつによく書けているのに感心する。
20時過ぎまで。
帰路、いんたーぷれい8に寄って8月4日(日)のチケットを手配。
今年はハチ60周年であり、恒例の山下洋輔さんのソロに加えて、ハチ出身で昨年ECMからリーダーアルバムをリリースした気鋭のドラマー・福盛進也さんとのデュオが実現した。楽しみなことである。
あと、ニューサンに寄る。
ニューオリンズ・ラスカルズの出演日。
*
2ステージの途中からラストまで。
最後は「オーバー・ザ・ウェーブス」で、意外にも久しぶりに聴く。
こういうのが聴ける限り、やはり生きていようという気分になる。
6月9日(日) 大阪JAZZ同好会
昼過ぎに出て、片町線・放出のディア・ロードへ。
ジャズファンのおっさん爺さん連中がごく内輪でCD・LPを持ち寄って楽しむ会である。
源流は天六にあったワイルドバンチで始まった天満ジャズ倶楽部で、もう11年になる。庄内さんや敬愛する何人かが亡くなったり、色々と変転もあり。
本日の持ち寄りは「60年代ジャズ」……これは企画自体がちょっと無茶である。
60年代は、フリージャズの登場、ビートルズ旋風、コルトレーン来日、ボサや電化サウンドなど、変化の激しい時代だが、マイルスやコルトレーンを持ってくるのはひとりもいない。
中間派健在とか、ビートルズにしてもエラが64年に歌ったのとか、凄いのはドリス・ディのジャズナンバー(61年の「DUET」)……60年代はすべてが混在していたのである。
おれが持っていったのはジョージ・ルイスの63年来日コンサート。個人的には、60年代はジャズはラジオで聴くだけで、最大のイベントはルイスの来日公演だったのである。
体験的60年代ジャズと、あとから追体験して構築する60年代ジャズは別物なのである。
SFも同じ。おれの場合、50年代の海外SFの名作群を60年代半ばに集中して読んだことが大きい。
このあたりのことは、ジャズ体験もSF体験も、もう少し検証しなければいかんなあ。
6月10日(月) 穴蔵
午前5時に小雨が降りはじめ、曇天、午後には晴れたと思ったら急に雨、また晴、ともかく天候不安定。
こんな日は出歩かないに限る。
さして生産的な仕事はできず。
夜、田辺聖子さんの訃報。6月6日に亡くなられたという。91歳。
本当に偉い方(その社会的な地位でも、教養の深さでも、頭脳明晰という意味でも)であり、それを過剰に感じさせないということでも凄い方であった。
30年以上前だが、一度だけご挨拶したことがある(京都の歌舞伎座で『ヴェロニカの部屋』を見た時のロビーだったかな)。
それを後日老母に話したら、うらやましがられるより、愚息も偉くなったものという雰囲気で、なんだか親孝行できた気分になった。
むろん愛読者であった(母の蔵書を読んだのだけど/晩年は母へのみやげに新刊を届けた)。
おれにとっては(SF関係は別として)米朝師匠と並ぶ関西の偉大なエンターテイナーであり、人生を楽しく豊かにしていただいた存在である。
6月11日(火) 穴蔵
曇天で、朝は快適である。穴蔵にこもる。さほど生産的な仕事はできず。
午後は晴れてきた。雷雨の予報はどうなったのだ。
運動不足なので近所を散歩。
淀川堤、新御堂の西側、水管橋撤去工事のフェンスを撤去しはじめた。
水管の残り部分は西側から工事するのか。煉瓦の橋脚はそのまま残るのかな。
*
ホームレス諸君のセブリはそのままである。(激突が見られないのは)残念というか、(住みついてる猫のためには)よかったというか。
工事完了までまた3ヶ月ちょっと。まだひと波乱あるか……こんなことしか楽しみがない。嗚呼。
6月12日(水) 穴蔵/ウロウロ
晴れたり曇ったり、暑くはなく、出かけるにはいい日である。
昼前、久しぶりにミナミ(地下鉄難波)へ行く。
ずいぶん変わったなあ。
高島屋の前。精華小学校跡にEdion(前のミドリ電化だな、確か)がオープン。ミナミにしては意外に目立たない作りである。表から見るだけ。
中国人いっぱいあるよ。
花月の向かい、なんとジュンク堂がドンキになっている。中国人は日本の本は読まんわなあ。
道具屋筋はそう変わらず。
日本橋筋にはホテルが4軒ほどオープンしている。
主目的のナニワネジに寄る。ここはガラガラ。がんばってほしい。
あと、中古パソコンを見つつ南下するが……デスクトップはほとんど見当たらない。ジャンク店も減ったなあ。
シリコンハウスが残っているのが救いである。
新世界に至る。
中国人いっぱいあるよ。
串カツはパス。ジャンジャン横丁、やまと屋2号店は休みであった。嗚呼。
動物園前から地下鉄で本町へ移動。
昔なじみの店の昼定食で一杯飲んで帰館。
ミナミへは当分行くことはなさそうだ。
6月13日(木) 穴蔵
終日穴蔵。集合住宅の修繕方法について調べていたら夕刻となる。
夜は修繕委員会。
某社が来社、新工法についての説明を受ける。
あと委員でぐだらぐだら。
やはり高齢化してきたと実感するなあ。「日本沈没」に出てきた1案「このまま何もやらんでええのです」がつい口に出かける。たぶん半数の賛意は得られるのではないか。
21時半を過ぎての晩酌となる。
NHK-Eテレ「フランケンシュタインの誘惑」でチューリングを取り上げている。
がんばって作っているとは思うが、「イミテーション・ゲーム」に及ぶものではなかった。
6月14日(金) 穴蔵
朝、近所の医院で定期検診。
血圧がふだん(も正常値なのだが)よりも、収縮期拡張期ともに20以上低い。
暑くなったからだろうといわれるが、かえって気味が悪い。
あとは終日穴蔵。昨日の議事録を30分で作り(こういうことは速い)、あとはボケーーーーッと過ごす。
たちまち夕刻。
専属料理人が並べた多品種少量7品目でビール、酎ハイ。
*
植物系減塩が血圧に作用しているのであろうか。
6月15日(土) 穴蔵
目覚めれば晴れていた。
午前6時、テレビは「西日本は大荒れ」(確かに高知の映像は凄い)ばかりだが、大阪(キタ)は静かなもの。
天気予報を一応は信用して、終日穴蔵にこもる。
*
穴蔵から見る14:30の空。25℃で快適。雲の動きは少し速いが。
眼下にある野々村竜太郎の生家(を含む集合住宅)、3年後に全員退去(近くの新築に移る)、あとがどうなるのかは未定という。
解体は間違いないようだ。
おれは近隣の集合住宅の理事長として、「野々村竜太郎生誕の地」の石碑を町内会に提案したいと思っているのだが、賛意は得られるか。
佐伯祐三の生家と並んで、いいと思うのだかなあ。許永中から「おれの碑も作れ」とクレームがつくか。
……などと愚考するうち、16時頃に急に暗雲たちこめ、15分ほどで雷雨。30分ほどであがり、あとは普通の雨が断続的。
本日よりala恒例「森山威男ジャズナイト2019」(9/21)の予約受付開始。
10時頃にネットで購入。もう主要席は埋まっているが、まあまあの席を押さえた。
で、10数年の習慣で多治見のオースタット予約しようとしたら満室である。
電話で訊いたら、この時期、なんとかいう老人の体育イベントがあって、全室予約されているのだとか。
迷惑な話だ。唯一の専属料理人黙認の外泊日なのだが、日帰りにするしかないようだ。
が、いずれにしても、8月の山下洋輔ライブ(ハチ)、9月の森山ジャズナイト、あと3ヶ月は生きる希望が残っている。
夕刻となる。
一杯飲んで早寝。
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